第7話 新たな力
「剣崎さん、大丈夫?」
ようやく物陰に逃げ込んだところで、佐久間祥子が言う。剣崎恵は頷くのが精一杯だ。とはいっても、首から上は基本脇に抱えているので、腕で抱えなおして前後に動かさなければならなかったが。
竜崎やゴウバヤシがクラスメイトを連れて脱出してから、かなりの時間が経過している。1時間か2時間か、あるいはそれ以上の時間が経過しているのかは、剣崎恵にはわからなかった。
あの強大なモンスターに真っ向から立ち向かうことは、自殺行為に等しい。佐久間もそう判断したらしく、足止めに徹した。興味が逃げた生徒に向かないよう、適度に攻撃を加えて挑発する。もちろん、自分が殺されないようにしっかり逃げる。遠距離からまた攻撃を加える。それを繰り返しているうち、佐久間と剣崎は、すっかり迷宮の奥まで入り込んでしまった。
10階から上へ連なる階段は狭く小さい。あのモンスターが上へ向かうことはできないだろうから、目的はほぼ達成したことになる。
「後は……どうやって逃げるかだな……」
剣崎は苦しげな声を出した。
奥まで入り込んでしまった、とは言うが、この地下11階自体は非常に単純な構造をしており、迷う要素はない。だが、かえってそれゆえに、モンスターに見つかりやすいマップでもあった。今も、獲物を探し求めたあの巨人が、地響きを立てながら歩き回っている。
「ここから10階の階段まで、一気に……。は、無理だよ、ね……」
「さすがに厳しいな。どう見ても、直線距離で500メートルはある」
そう言いながらも、佐久間は生還をあきらめてはいない。その顔立ちに、しっかりとした意志の炎を宿している。まるで、烈火のごとくに。
この娘は、こんなに強い子だったか、
剣崎は、姿のすっかり変わってしまったクラスメイトを見て、そう思った。
佐久間祥子は、決してクラスで目立っていた子ではない。どちらかと言えば地味で大人しい、自己主張をあまりしない女子生徒だった。眼鏡をかけ、校則をきっちり守ったスカート丈で華やかさはなく、いつも図書室で本を読んでいるような、そんな子だった。
剣崎も、4月のクラス替えて彼女の前の席だったということ以外、ほとんど接点がない。ろくに言葉をかわしたことさえ、なかったのである。
そんな佐久間が、トリップ以降露骨にちやほやされるようになった状況に対し、剣崎は苦い思いがあった。
確かに彼女は強い。だがそれ以上に変わったのは、そのルックスだ。
それまでの地味さとは一変、すべての男を虜にするような妖艶な顔立ちと、扇情的なボディライン。そしてそれを包み隠そうともしない、破廉恥な衣装。風紀委員の立場からも苦言を呈したくなるような、ひどい恰好だったが、当然男ウケは良かった。
しかしそうした変化を、佐久間自身が喜んでいたわけではない。少なくとも、剣崎にはそうは見えなかった。
だからこそ、姿が変わった彼女を持て囃し、ちやほやする男子生徒に対する不信感を募らせていたのである。
引っ込み思案な佐久間が、嫌がりながらも迷宮探索に駆り出されている。剣崎に見えたのはそうした光景だ。だが、あの大型モンスターに襲われたとき、ゴウバヤシにはっきりと意見を出し、指示を飛ばした彼女を見て、剣崎は彼女に抱いていた同情や庇護心、苦い思いなどを、尊敬へと変えたものだ。
「剣崎さん……、どうしたの?」
「いや、佐久間は立派だと思ってな」
しばらく休んで、体力が回復する。剣崎はゆっくりと立ち上がった。
「立場が人を成長させるのか。あるいは、そうした佐久間の隠れた力のことを、今までずっと知らずにいたのか」
「ええ……。私、大したことないよ……」
「謙遜するな。あそこでゴウバヤシ達を先に行かせる判断も、その上でなお生きて帰ろうと考える意志も、立派なものだ。私は支持する」
「生きて帰りたいのは……、そんな立派な理由じゃないし……」
佐久間は少し恥ずかしそうにもじもじしながら、そんなことを言った。
好きな男でもいるのか。今のクラスの男子は完全に人外魔境と化しているが。この様子だと、だいぶ前から思いを寄せていたのだろう。とりあえず、小金井以外なら許す。小金井はダメだ。あの男は、クラスの中で一番危険なにおいがする。
とにかく今は、生きて帰る。
竜崎やゴウバヤシ達は、救出に戻ってくるだろうか。可能性はどちらとも言えない。だからこそ、ここは自分たちの力で脱出しなければならないのだ。
「……っ! 剣崎さん!」
急に佐久間が、表情を険しくする。剣崎は振り返ったが、顔は脇に抱えていたので見えなかった。改めて身体ごと振り向く。
こちらを見下ろす、二つの虚ろな顔。六本の腕に構えた蛮刀が別々に動き、獲物を見つけた歓喜に打ち震えている。不揃いの牙が覗く口から、だらりと涎が垂れてきた。
あのモンスターだ。
「くっ、見つかったか……!」
剣崎は剣を引き抜き、佐久間を庇うように後退した。
「佐久間、私の顔を持っていてくれ」
「う、うん……」
デュラハンの身体は実に不便だ。頭を首の上に乗っけても、すぐにポロリと落ちてしまうので、思うように戦えない。視界の概念を、最初から考え直さなければならないほどだ。まだまだ、修行不足を実感する。
佐久間は、背後から魔法での援護射撃を行ってくれた。このまま後退すれば、階段からは更に遠ざかってしまう。だが、目の前の怪物の股下、あるいは脇をすりぬけて、階段まで走って行くのは困難だ。ここは退くしかない。そう考えていたときである。
「「おおりゃああぁ―――――ッ!!」」
弾丸のように突っ込んできた〝それ〟が、モンスターの側頭部に叩き込まれた。
少し、時間は巻き戻る。
戦闘を最小限に抑え、地下へ、地下へと進んでいく。恭介は、スケルトンにもらった剣を、背中に挿していた。正確には、凛に挿した形になるのだが。彼女は『うええ、剣の錆がしょっぱい……』などと漏らしていたが、他に持ち運ぶ方法がわからないので、ガマンしてもらうしかない。
先ほどのスケルトンを除けば、アンデッドモンスターにはほとんど遭遇しなかった。恭介と凛は、不思議そうに周囲を見渡した後、その視線を並走するウィスプへと向ける。
「……どうした、二人とも」
「いや、ひょっとして、ほとんどモンスターに遭遇しないのは瑛のおかげなのかなって」
生物は、元来火を恐れるものだ。加えて、アンデッド系のモンスターが火属性を弱点とするのは、元の世界のファンタジーゲームではよくある話であった。不気味に輝く瑛の灯火が、モンスターを遠ざけているという可能性は否定できない。
「そういえば、さっきのスケルトン達も、あたしには攻撃してきたけど火野くんにはたじろいでたね!」
「ああ、やっぱりそう見えるか?」
「この世界にも属性相性ってあるんだねぇー」
時折、凛の口から飛び出す言葉には、微妙にゲーム経験の豊富さを思わせるものがある。クラスのアイドル、陸上部のエース、県下最速のトップスプリンターとは言え、やはりゲームはするのだろうか。恭介は、プレイするゲームの好みでも微妙に小金井と合わなかったりしたので、凛からそういう単語を聞くたびに、妙にうずうずしてしまう。
いや、今は、とにかく、瑛の炎だ。死霊の王もまたアンデッドである。瑛の力をもって死霊の王を威嚇できるのであれば、佐久間や剣崎の救出は一気に楽になるはずだ。
「もうひとつ、隠れ能力って可能性もあるよねー」
凛はのんきな声でそう言った。恭介は首をかしげる。
「隠れ能力?」
「いや、この場合は違うのかな。とくせい? パッシブ能力?」
考え込むような言葉が、頭の内側に響いてきた。
「キャラごとにさ、ダンジョンでのエンカウント率を下げる能力とか、アイテムを見つけやすくなる能力とか、そういうのが設定されてたりしない? 火野くんのがそれなのかも」
「まさか。モンスターに転生した上に、そういう能力がついたりするのか?」
「モンスターごとの種族特性かもしれないじゃん! ウィルオウィスプはエンカウントしにくくなる!」
さすがに発想がゲーム的すぎる。もちろん、わかりやすく言えばそういうことになるのかもしれないが、その〝エンカウントしにくくなる能力〟というのは、例えば先述した〝生物は火を恐れる〟〝アンデッドモンスターは火に弱い〟という基本設定を踏襲した上で、ゲーム的につけられるものではないのか?
恭介は懐疑的だったが、瑛は何やら考え込んでいる。
「瑛、信じてるのか?」
「いや、姫水の妄言を信じるわけじゃないんだが」
「ひどい」
「僕も少し、気になることがあってね。ただ、仮説の域を出ないので、まだ黙っておくよ」
そうこうしている内に、一同は10階から11階へと向かう階段を駆け下りて行く。
「恭介、姫水、先に言っておくけど」
瑛の声は緊張感に満ちていた。
「なんだ?」
「今回の目的は、あくまでも佐久間と剣崎を連れ帰ることだ。死霊の王に余計な攻撃を加えるなよ」
恭介は、ふっと笑うように息を漏らす。笑うための表情筋も、息を漏らす肺もなかったが、その辺は凛が頑張ってフォローしてくれた。
「わかってる。俺たちだってそこまで迂闊じゃないさ」
「「おおりゃああぁ―――――ッ!!」」
水色の弾丸が、死霊の王の側頭部へと着弾する。それが大したダメージになっていないことは、反応を見ても明らかだった。渾身の跳び蹴りだったのだが。
死霊の王が、六本の腕を振り上げ、攻撃を仕掛けてくる。恭介と凛は、キックのめり込んだ頭部を蹴りたてて、迷宮の床に着地する。見上げれば見上げるほどに、大きい。全長5メートルだったか。数値の上ではピンとこなかったが、目の当たりにするとそれを実感する。たった5メートルでも、これだけ大きいのだ。
大きくて強いものは、恐ろしい。それはすべての生物が本能的に感じる事実だ。だが、ここで手をこまねいては、いられない。
「ウツロギ……くん……?」
声のした方に視線を向けると、そこには相変わらず布面積の薄い服に身を包んだ佐久間祥子が、胸(大きい)に手を当てながらこちらを見ていた。そして、その彼女を庇うように、首なし騎士が立っている。こちらは剣崎。良かった、二人とも無事だ。
「なんてこった!」
凛が叫んだ。
「つるぎんの首がない!」
「それは元からな」
「あっ、そうか……」
いや、元からではないが。
剣崎恵の顔は、やはり佐久間が持っている。剣崎は、じっと恭介と凛の方を見つめ、こう呟いた。
「……凛、か?」
「やっほう、つるぎん」
うにょん、と恭介を包む凛の身体から、彼女用の〝手〟が伸びる。ちょうどそのタイミングで死霊の王が剣を叩きつけてきたので、恭介は跳躍しながらそれを回避した。おちおち挨拶もさせてくれない。
次の瞬間、佐久間が抱え込んだ剣崎の言葉から、叱責がまろび出た。
「おまえ達、こんなところで何をしているッ!」
「な、何って……。俺たちは二人を助けにだな……」
「そんなことではない!」
びしり、と首なし騎士の指先が、恭介と凛に向けられる。
「男と女が、公衆の面前でそんな親しげに肌を重ね合わせるなど……破廉恥極まりないッ!」
「あー……さすが風紀委員……」
「あたしもウツロギくんも肌ないんだけど」
そろそろ慣れてきたとはいえ、男の身体を女が文字通り包み込んでいるのだから壮絶だ。人間時代ではほぼ実現不可能だったプレイであろう。これは断じてプレイではないが。しいて言うなら、イソギンチャクの中で生活するクマノミとか、そんな感じだ。
「ウツロギくん、それ、片利共生ね。あたしとウツロギくんは相利共生だから、イソギンチャクとヤドカリ」
「ん、そうか……」
お気楽能天気娘かと思ったら、凛は妙なところで博識だ。
「とは言えつるぎん、誤解だよー。あたしはただウツロギくんと合体してるだけで……」
「が、合体!?」
「違うぞ剣崎、合体といってもアクエリオンとかゴーダンナーみたいなものじゃない! もっとこう、ガンバスターとかグレンラガンとか、そういう健全で清らかな合体だ!」
「何をわけのわからないことをくっちゃべっている!」
そんなやりとりをしている間にも、恭介と凛は死霊の王の攻撃を必死に回避していたりする。佐久間は佐久間で、顔を真っ赤に染め、やけにもじもじとしながら『が、合体……』『ウツロギくんと姫水さんが……』『合体……』などと呟いている。これは非常によろしくない傾向であるような気がした。
死霊の王に、真横から小さな火炎弾が叩きつけられたのは、その時だ。
「恭介ぇ―――――ッ!」
ぴゅーっと飛んできた瑛の声は、怒りに打ち震えていた。
「君は! バカか!? 僕が! あれだけ! 君は! まったく!!」
「あぁ、うん。ごめん瑛……」
ウィスプの身体は、これ以上ないほどに膨れ上がっている。これは相当カッカしている証拠だ。だいぶ離れた位置にいるはずの佐久間と剣崎も、熱さを感じるのかじりじりと下がっている。
怒りのエネルギーで火炎弾も強化され、死霊の王は炎を嫌がるのか少し後ずさった。大きく開けた通路に、向けての、通り道が確保される。恭介は、即座に佐久間と剣崎に合図を送った。二人は頷き、死霊の王の攻撃が当たらないギリギリの位置を、まっすぐに駆け抜けて行く。
「恭介、これは貸しだ!」
「俺、おまえに借りいくつ作ってたっけ」
「昨日までの時点で99822個だ!」
「うわあ、生まれた時からの付き合いだとしても1日16個……」
凛は計算も早いようだった。優等生だった。
とは言え、そろそろ呑気におしゃべりしている時間もない。ここから階段に向けては、縦にも横にも広い通路だ。遮蔽物は少なく、死霊の王にとってもっとも適した戦場であると言える。恭介と凛は、佐久間と剣崎を追いかけるようにして走るが、ずしん、ずしんと鳴る地響きのような足音が、すぐ後ろまで迫ってくるのを感じた。
「ウツロギくん!」
「わかっている!」
凛の叫び声に応じ、恭介は立ち止まって振り向いた。佐久間と剣崎が驚く。
「ウツロギくん!?」
「凛、何を……!」
右の拳をぐっと握りしめると、密度が集中し重量と硬度が増すのがわかった。合図はある程度打ち合わせてある。まずは足止めだ。
「ジャンプだ、姫水!」
「おうっ!」
恭介の足の骨が、逆関節状に組みなおされ、次の瞬間には高く跳躍する。さらに天井を蹴っての加速。顔面めがけて、渾身のパンチを見舞う。
「おおりゃッ!」
が、手ごたえはない。2つの顔、4つのくぼんだ眼窩に納められた不気味な瞳が、一斉にこっちへ向けられた。
「今だッ!」
恭介の合図で、凛が背中の剣を引き抜いた。恭介の腕ではない。ちょうど肩のあたりから生えた、彼女自身の腕だ。突如生じた第三の腕は、その剣を自在に振り回し、四つの目の内の一本に突き立てる。
「ヴオオオオ………!」
それは、死霊の王が初めて漏らした苦悶の声だった。同時に、瑛が火炎弾での援護を行い、その隙に恭介と凛は距離を取る。足の骨の形状はいつの間にかもとに組みなおされていた。
「ウツロギくん! 姫水さん!」
「二人とも、早く逃げろ!」
恭介はじりじりと後退しながら叫ぶ。死霊の王に、わずかではあるがダメージは通っている。今、怯んでいる隙に、走り抜けるしかない。そのまま彼女たちの方を向き、足を動かす。瑛もすぐに追いかけてきた。
あと少し。階段が目に見えて近づいてくる。あそこを昇り切れば。
そう思った時である。
「ウツロギくん、危ない!」
不意に響いた声は、頭の内側に直接叫びかけてきた。
直後、恭介の身体は突き飛ばされる。骨の身体を覆い尽くす半液状の肉体が、一気に剥がれるのがわかった。一瞬何が起こったのかわからず、続いて理解が追いつく。凛の側から、強制的に合体を解除したのだ。そうして、スライムの彼女が、恭介を後ろ側から突き飛ばしたのである。
どしん、という衝撃が後ろから恭介の身体を揺らした。迷宮の床にすっ転び、そのまま後ろを見る。
「姫水ッ……!」
先ほどまで、恭介たちのいた場所には、死霊の王の蛮刀がめり込んでいる。床を叩き割り、瓦礫が飛散し、土煙があがっていた。姫水凛の返事はなかった。死霊の王が剣を上げると、床でぐったりとした凛の姿が確認できる。
スライムである凛は物理的な攻撃に強い。一方、骨の身体でできた恭介は衝撃に弱い。
凛は恭介を庇ったのだ。自分だけで剣を受ければ死ぬことはないと。だが、いかに物理的ダメージに強い身体であろうと感覚はある。感覚はある以上、痛覚もある。過ぎた激痛から心を庇うため、意識をシャットアウトする機能も、あるのではないか。凛は明らかに気絶していた。
「り、凛ッ……!」
後ろで剣崎が叫ぶのがわかった。親しげな呼び名だ。凛は陸上、剣崎は剣道、どちらも運動部のエースとして親交が深かったのだろう。佐久間も、息をのんでいる。
階段までの距離は、もういくらもない。走れば間に合う。だが、それができない。
如何に凛が物理に強い身体をしていると言えど、死霊の王がそれだけを攻撃手段にしているとは限らない。
スケルトン達は言っていた。アンデッドモンスターは魔力を喰らい、糧にするのだと。凛の身体を維持しているのも、そのモンスター特有の魔力であるとすれば。このまま放置すれば、彼女は生命エネルギーを吸収されて死ぬ。
「《邪炎の凶爪》!」
直後、黒い炎が、恭介の背後から死霊の王へと吹き付けた。佐久間だ。
地下に潜ってから今まで、おそらく数時間は戦い続けたであろう彼女の表情には、疲労の色が濃い。だが、佐久間は強い意志をその両目に宿して、死霊の王を睨みつけていた。佐久間だけではない。剣崎もまた、颯爽と駆け出し、凛のもとへと駆け寄っていく。
弱点である炎を浴びせられ、死霊の王はわずかに怯む。その隙に、剣崎が凛に声をかけた。
「凛、しっかりしろ! 凛!」
「う、つ、つるぎん……?」
「急いで離脱するぞ。肩を……か、貸せないな……」
「え、えへへ……。ありがとう……」
凛は、ずるずると床を這いながら移動を始める。だが、足が遅い。恭介が身体を貸さなければ。そう思い、駆け出そうとする恭介を、後ろから瑛が呼び止めた。
「死ににいくようなものだ、恭介」
その声は、冷たく、静かだ。
「スライムほどではないにせよ、スケルトンの動きは緩慢だ。死霊の王のリーチ内に飛び込めば、一瞬でバラバラになるぞ」
「じゃあ、黙って見ていろっていうのか!」
そんな、ありふれた言葉しか出てこない自分が恨めしい。
その間にも、佐久間は背後から魔法攻撃による支援を行う。剣崎が凛につき、彼女を守るようにゆっくりと移動する。このまま見ていれば、佐久間の魔法攻撃が続く限りは、二人は安全に移動できる。その間に恭介のもとにたどり着き、もう一度合体して逃げれば、それで良い。
だが、佐久間も、剣崎も、疲労がかなり溜まっている。いつ倒れてもおかしくはないのだ。
「恭介、ここに向かう途中に言った、僕の言葉を覚えているか?」
瑛が、やはり冷静な声で言った。
「瑛の……?」
「仮説があると言った。君が望むなら、その実証実験を今行っても良い」
モンスターの固有能力、あるいは、それに関連づいた何かであったか。瑛の言葉からするに、それは現状を打開しうるものであるらしい。恭介が答える前に、瑛は更に続けた。
「ただ、僕の仮説が間違っていた場合、君は死ぬ可能性がある」
「瑛は?」
「僕は無事だ。おそらくなんともない」
「じゃあ、やろう」
「君ならそう言うと思ったけど」
1も2もなく頷く恭介に、瑛は呆れたような声をあげる。
「まあ良いさ。恭介、これも貸しだぞ」
そう言った直後、瑛の身体が恭介に向けて飛び込んできた。
何を、と思った瞬間、恭介の身体に焼けるような激痛が走る。つい最近、似たような感覚を味わったことがあった。凛と初めて合体した時のことだ。あの時は、全身を締め付けるような圧迫感があったと記憶している。
だが今回も、その時と同じように、痛みはすぐに引いていく。代わりに、恭介の身体を包み込むようにして、新たな肉体が構成されつつあった。
いや、これは、
炎だ。
凛のスライムの身体が恭介の肉体となったかのように、腕にも、足にも、当然胸や腹にも、燃え上がるような炎がまとわりついている。全身から燃え立つ炎。炎を纏う骸骨の魔人。今の恭介の姿は、まさにそれだ。拳を握れば、炎が強く舞い上がる。感情を反映するかのように、火力が勢いを増していく。肋骨の背面から噴き出す火は、まるで不死鳥の翼か真紅のマフラーのようですらあった。
凛との合体がスライムに捕食された人間なら、これは炎に焼かれて焼死する人間のようでもある。
「もっとマシな例えはないのか、恭介」
頭に響くような、瑛の声があった。
「まあ良いさ。仮説は実証されたんだ」
「瑛、これは……」
「君の力だ」
戸惑う恭介に、はっきりと瑛は告げる。
「ずっと疑問に思っていたんだ。君と合体した姫水は、明らかに従来のポテンシャルを越えた動きをしている。それは、単に君が支柱となり彼女の負担を軽減している、という言葉では追いつかないほどのものだ。つまり、君という個体の能力なのか、あるいはスケルトンという種族の能力なのかは知らないが……」
「合体したモンスターの力を増幅するとか、そういうものか?」
「そういうこと。まぁ、合成素材に最適なモンスターということさ」
その例えも大概に酷いものだが。
恭介の全身から燃え上がる炎を見て、死霊の王は明らかにたじろいでいた。やはり弱点は火なのだ。
これならば、いける。恭介は、悠然と歩を進め始めた。一歩一歩、床を踏みしめるたびに、火の粉が散っていく。
驚いているのは、死霊の王だけではない。凛も、佐久間も、剣崎も、一様の目の前で起きた現象に唖然としていた。無理もない。当事者である恭介だって。ここまで驚いているのだ。
「すごい……! ウツロギくん、かっこいい!」
凛はテンションをあげていた。
「不純異性交遊は……いや、不純同性交遊……!? 校則ではどうだったか!?」
剣崎は戸惑っていた。
「合体……!? ウツロギくんと、火野くんが……合体!?」
佐久間は何故かめちゃくちゃテンションをあげていた。
「非常に心外な想像をされている気がするが、まあ良いさ」
瑛は冷めた口調で言った。
「恭介、行動はすべて君に任せる。倒そうとは思うなよ。姫水と剣崎、そして佐久間が10階に逃げるまでの時間を稼ぐんだ」
「わかった。姫水の時と違って、身体が脆そうだしな!」
右手をぐっと握ると、拳に纏った炎がいっそう強く燃え上がる。
この炎を、死霊の王に思い切りたたきつける。恭介が床を蹴りたてると、炎がブースターの役割を果たし、彼の身体を一気に加速させた。
次の更新は本日19時を予定。
恭介(炎の魔人モード)と死霊の王の戦闘の行方や如何に。そして、クラスに新たな混乱を呼ぶ事件とは! お楽しみに!