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第72話 凍てつくほどに熱く、燃えたぎるほどに冷たく

「昼間は退屈ね。動くと身体がだるいし」


 血族の用意したセーフハウスの中で、シンクがあくびをしながら呟いた。


「だから冒険者たちに声をかけて、動いてもらえることになったじゃないか」


 薄暗闇に映える紅い双眸を細めて、グレンは優しい声で応対した。


「どうにも、連中は昼間の方に動くから、僕らとは相性が悪いらしい。場所さえわかれば、夜襲をかけることもできるんだけど」

「どっちでもいいわ。できれば、このままもう何人か捕まって欲しいのだけど」


 ビショップのグレンとナイトのシンクは、日の出ている間はあまり動かない。


 彼ら血族は、世間一般では吸血鬼と呼ばれている。吸血鬼の一般的なイメージとして、太陽には弱く、夜間に活動するというものがあるが、それは血族という種族の大きなくくりにおいてはまったく関係がない。ただ、日中は因子の消耗が激しいことから、昼間から動くことを嫌う個体は、それなりに多くいた。

 グレンとシンクはその代表的な例で、基本、昼間はベッドにくるまったまま怠惰に過ごす。脱ぎ捨てられた服は床に散らばっており、互いの存在は、闇を掠める紅い残光と、息遣い、そして触れ合った肌の感触でのみ確かめられる。


「ねぇ、あの冒険者たち、信用できるのかしら」


 シンクは、グレンの身体に垂れかかりながら、甘ったるい声で尋ねる。


「嫌なのよね。ああいう人種。なんだか、平気で裏切りそうだわ」

「連中には、元からあまり期待はしていない。まぁ、小悪魔や屍鬼だと、いざという時、抑えにならないからね」

「じゃあ、結局、私たちが出なきゃいけないのね。億劫だわ」

「死霊の王も動かそうか?」

「あれ、アケノが作った奴じゃない。あれに頼るの、嫌だわ」

「やれやれ。相変わらず君は我侭だ」


 闇の中で、シンクの体重と、鼻先に触れる銀髪の香りを確かに感じながら、グレンは苦笑いを浮かべる。


 シンクは、アケノとスオウのコンビを嫌っていた。グレンもそんな好きではなかったが。だから、あのアケノが王片を研究して作った“死の王”のレプリカを、戦場に動員することに、あまり積極的ではないのだ。

 だが、死霊の王は、血族が量産できる戦力としては間違いなく最高峰だ。報告では、多くの標的はフェイズ2にすら覚醒しておらず、それに対する抑えとして、死霊の王は十分すぎる戦力である。加えて、王片の研究も進んで、生産される死霊の王自体のスペックも総じて底上げされているらしい。


 グレンは、シンクに気づかれないよう、小悪魔たちにそっと指示をくだした。海岸沿いの探索に、死霊の王を随伴させる。あの周辺は冒険者も探索を続けているから、運悪く遭遇した場合、彼らに倒されてしまう可能性もあるが、まぁ1つ2つくらいなら、失っても痛手ではない。


 我侭なお姫様の退屈を損ねないようにするのは、結構な骨だった。





 一度叫ぶと、すっきりした。


 うじゃうじゃと沸いてくる小悪魔と屍鬼を睨み、恭介は魔剣を構え直す。雪ノ下と協力すれば、蹴散らせる数だっただろうか。彼女の冷凍光線は本当にマイナス1兆2000万度なのだろうか。聞きそびれてしまった。

 だが、彼女と力を合わせて目の前の敵を掃討するような気には、恭介はなれなかった。恭介の持つ《特性増幅》の力で、雪ノ下の冷凍光線を強化することはできるが、どうしてもそのつもりになれなかったのだ。


 ちょっとムッとしたくらいで、有効な戦術を放棄するなんてバカみたいな話だが。


 魔剣に魔力を込めると、剣身にエネルギーが宿る。棚ボタ的に手に入れた武器ではあるが、こいつにはだいぶ助けられる。正直、剣の扱いなど素人同然ではあるが、適当に振り回すだけでも、かなりの威力を発揮することがわかっていた。


「(こっちの世界にきてから3ヶ月以上、考えてみれば戦い詰めだな……)」


 徒手空拳の戦闘においては、無我夢中ながらそれなりに板についてきたが、やはり一度、誰かの指南は受けるべきだったかもしれない。まぁ、それにしたって今考えることではないか。


 放っておいても奇跡は起こらない。だが、奇跡を待つ性分でもない。恭介は白馬を庇うようにしながら、ぞろぞろと編隊を組んでやってくる屍鬼を迎撃するのだ。ずきり、と、デーモンの腕骨を流用した左腕が、疼くような感覚があった。

 接続は確かに成功しているはずなのに、左腕が違う生き物になったようにやたらとざわつく。柄を支える左手がカタカタと震えるので、構えに支障をきたしていた。


「う、うう……」


 ちょうどそのタイミングで、背後で呻くような声が聞こえる。恭介はハッと振り返った。


「白馬、目を覚ましたか!?」

「う、ウツロギか……?」


 ユニコーンの白馬一角は、ややよろけながらも、その大きな身体を起こし、4本の足で立ち上がった。フラついてこそいるものの、足取りは意外としっかりしている。その間にも、屍鬼たちは徐々に近づいてくるところだった。


「他の……奴ら……犬神は……?」

「俺が見つけたのはおまえだけだ。白馬、動けるか?」

「一応な」


 立ち上がった白馬は、ぶるぶると頭を振るった。角が振り回されて危ないので、恭介はちょっと避ける。


 白馬が動ける、ということは、ここで無理に戦う必要はない。

 恭介の左腕の震えが収まった。右手で剣を構えながら、左手で白馬に触れる。その瞬間、白馬の全身が淡い光に包まれて、傷口が塞がっていく。白馬の扱う生命魔法で生命力を循環させ、それを恭介の力で増幅することにより、わずかにだが活力の循環がプラスに転じていく。


「楽になった。ありがとう、ウツロギ」

「よし、わかった。だったら長居はできないな。逃げるぞ」


 あれだけ勇ましい咆哮をあげておきながら、もう逃げる。当然だ。恭介だって命は惜しい。

 奇跡は起こらないのだ。そんなものに賭けるつもりは、ない。


「……なぁ、白馬」


 恭介は、白馬の鞍に跨りながら、ふと尋ねた。


「なんだ?」

「砂漠に雪を降らせられると思うか?」


 先ほどの、雪ノ下の言い回しを思い出しての質問だ。そんな小説を、以前どこかで読んだことがあるような気がする。砂漠に雪を降らせることは、できるのか。

 熱血モードの雪ノ下ができると言ったということは、彼女はできないと思っているのだ。奇跡は起こらないし、起こせない。いかにも悲観主義者らしい彼女の言葉だった。そして、いま思い返せば、恭介にとっても、それは重い。


「こんな時に何バカなこと言ってんだ」


 白馬はやや困惑気味に応えた。


「そ、そうだよな。ごめん」

「砂漠に雪は降るぞ」

「え?」

「何年か前に、エジプトで雪が降ったってニュースでやってた。ま、数十年ぶりらしいけどな」


 白馬が何気なしに発した雑学に、恭介はぽかんとしてしまう。

 あ、降るんだ。なんて間抜けな感想すら出てきた。


「ぼーっとすんなよ! 舌噛むぞ!」

「うおっ! 舌ないけどな!」


 白馬の蹄が、颯爽と砂浜を蹴り立てる。屍鬼たちののろまな動きでは、決して追いつけないほどの速度へと、あっという間に到達した。小悪魔の中でも特に動きの早い数体が、編隊から抜け出して追いすがってくるが、恭介は白馬に跨ったまま、まず一体を切り捨てる。

 残る個体がスピードを落とし、攻撃魔法を放った。小さな火球を見据え、恭介はさらに魔剣を振るう。エネルギーに包まれた剣身が魔法を打ち返し、砂浜に着弾して小さな爆発を散らした。


 砂漠に雪は、降るのか。恭介は、先ほどの白馬の言葉を反芻していた。


 では、果たして奇跡は起こるのだろうか。

 この瞬間、このタイミングで、白馬は目を覚ました。これは奇跡と称するにはあまりにもちっぽけな偶然だが、おかげで恭介は連中と戦わずに窮地を脱することができる。

 奇跡は起こらなくとも、そんなちっぽけな偶然が重なれば、奇跡と等しい影響に至ることは、あるのではないか。


 砂漠に雪は降る。恭介は剣の柄を握り直して、それを確信に変えた。





 あのまま、空木恭介と力を合わせていれば、連中を倒すことはできただろうか。多分、無理だ。雪ノ下涼香は自嘲気味に笑った。きっと腕が震えて、足がすくんだ。今の自分は、戦えないのだ。

 フィルター切れを自覚したのは、あの押し寄せる屍鬼や小悪魔達を見た、まさにそのタイミングだった。決して戦えない相手ではなかったはずなのに、まず恐怖が先に立った。心が折れれば、もうダメだ。恭介に、自分と白馬の2人を守って戦わせることになる。


 無駄だと知りつつ、逃げよう、と提案した。

 あそこで自分がフィルター切れを起こしていると伝えていれば、恭介は素直に一緒に逃げてくれただろうか。それもノーだ。きっと、あの場に留まって2人を守りながら戦おうとした。

 どのみち、恭介1人では、あの軍勢に勝てない。彼は死ぬか、捕らえられる。絶望的な予測が、雪ノ下の心を支配した。だったら、一緒に留まってやればよかったのに、と、心の中で誰かが囁いている。


 未来を悲観する、冷酷な自分が強くなっているのを感じた。この異世界に来てから、ずっと熱血を演じてこれたのは、実はあのフィルターのおかげだったり、するのだろうか。

 いつしか、雪ノ下は砂浜を走るのをやめ、ゆっくりと歩いていた。


 このまま歩いて戻って、他のクラスメイトと合流できるだろうか。合流したとして、自分は受け入れてもらえるだろうか。この本性を認めてもらえるだろうか。空木恭介を見捨てたことを、許してもらえるだろうか。

 否定ノー否定ノー否定ノー。頭の中を駆け巡るのは全て『否定ノー』だ。楽天的な予測が一切できない。悪い可能性ばかりが浮上する。世の中に奇跡は起こらないが、不幸な事故ならばいくらでも起こる。頭の中が悪意に満ちた可能性で満たされた。


 愛と勇気はただの幻想。

 夢も理想もいつかは朽ちる。


 奇跡は、起こらない。


 この悪夢のような現実に直面したとき、自分は一体どうすればいいのだろう。これから、どうすればいいのだろう。あらゆる疑問を並べてみても、答えは出ない。ただ、頭の中に巣食った性根の悪い誰かが、こう囁いていた。


『もう終わりだ。諦めろ』


 その誰かは、抗おうとする自分を押さえ込み、ただ無情な“現実”を突きつけようとしている。


 受け入れてしまえば、きっと楽だ。起こりもしない奇跡を待つのは疲れるから。叶うかも知れない望みを抱き続けると、裏切られた時が怖いから。今までもそうだったではないか。もしかしたら、きっと、みんなで一緒に帰れるかもしれないという望みは、鷲尾の死によって、あるいは、この転移事件によって、あっさりと裏切られてきた。


 ならば、期待など抱かない方が……。


「キイイッ!」


 とぼとぼと歩いていた雪ノ下の耳に、ふと、甲高い叫び声が聞こえた。はっと、顔をあげる。


 全長数十センチの身体にコウモリの羽を生やした魔物が、小型の槍を構えて前方から突っ込んでくるところだった。小悪魔インプだ。


「ひっ……」


 追いついてきたわけではない。新手だ。雪ノ下は悲鳴をあげてしゃがみこんだ。敵の数は一体ではない。キィキィと不快な鳴き声をあげながら、小悪魔はどんどんと仲間を呼んでいた。数がじわじわと増えていく。

 先ほどに比べればまだ大したことはない。だが、雪ノ下は足がすくんでいた。戦うことに対する決定的な怯えがあった。荒い呼吸とともに、周囲の大気がどんどん冷え込んでいく。冷や汗が凍りつき、震える腕を伸ばして、なんとか抵抗しようと、力を込める。


「(分子運動を……虚数領域に……。えぇっと、冷凍光線を……)」


 指先からほとばしる光は、ひょろりと頼りない軌跡を描いて、小悪魔たちの背後の岩へと着弾した。


「っく……。は、あ……!」


 小悪魔たちは、キシシと笑った。


 絶望が、そっと頬を撫でる感触がある。もうおしまいだ。諦めろ。下手な希望にすがるな。無理をして、理想に手を伸ばせば、それはきっと苦しいだけだから。雪ノ下涼香の悲観主義は、ここにきて強迫観念を帯びる。

 数体の小悪魔たちは、槍を持って一斉に雪ノ下へと襲いかかった。逃げようと身体を振り向く間もなく、槍の一本が、彼女の胸を刺し貫く。けほっ、と口から漏れたのは、血ではなくて雪だった。


 雪女なんていうのは所詮、氷の塊であって、胸を刺し貫かれたところで致命傷には至らない。だが、これまでに感じたことのないような激痛が、脳幹を直撃した。痛みで身体の動きが麻痺する間に、さらに2本、3本と、槍が手足を突き刺していく。


 ああ、どうやら本当に終わりらしい。雪ノ下は笑った。もしかしたら、ずっとずっと、この瞬間だけを待っていたのかもしれない。手ぬるい希望をすべて手放して、実感できる現実だけに身を委ねられる、その瞬間を。

 雪ノ下は目を閉じた。これから自分は殺されるのか。あるいは、血族のもとへ連れて行かれて、もっとひどいことをされるのか。わからないが、今となってはもう、どうでもいい。希望を抱かずに済むというのは、気が楽だ。


 だが、残酷な現実は、そうやすやすと彼女に絶望を許したりはしなかった。


「雪ノ下ァッ!!」


 声が聞こえ、はっと目を開く。砂浜を蹄が蹴りたて、ユニコーンにまたがったスケルトンが、剣を構えてこちらへ突撃してくるのが見えた。


「キィッ!?」


 小悪魔たちが動揺を見せる。スケルトン――恭介は剣を振るい、まず手近な小悪魔を一体切り捨てた。

 次いで白馬が、動揺した小悪魔を前足でたたきつぶす。すると、残った数体も悲鳴をあげて散り散りになった。恭介はそれを追うこともなく、雪ノ下に振り返って身体に刺さった槍を抜いた。


「白馬、治癒魔法をかけられるか」

「ああ、任せろ」


 白馬の角が淡い輝きを放ち、雪ノ下を包み込む。慣れのためか、発動手順を省略しても、《癒しの光ヒーリングライト》はしっかり発動した。

 手にできたヒビ、胸に空いた穴などが、瞬く間に塞がっていく。雪ノ下は荒い呼吸を繰り返しながら、恭介を睨んだ。


 感謝を、するのが筋なのだろう。だが、どうしても、雪ノ下の口からその言葉は出てこない。


 こちらが何かをいうよりも早く、先に恭介が言った。


「奇跡は起こらないかもしれないが、おまえを助けるのには間に合ったな。雪ノ下」

「………!」

「俺は諦めないからな。現実は覆せなくても、やっぱり諦めるなんてゴメンだ」


 恭介がきっぱり言うと、後ろで白馬が『砂漠に雪は降るんだぜ』と自慢げに頷いていた。


 どうしてそこまで前向きになれるんだ、という気持ちと、どうしてこんなに自分は苛立っているんだ、という気持ちが、心の中で喧嘩をしている。自分は希望を持ちたいのか、持ちたくないのか。いや、もうだいたいはわかっている。さっさと希望を手放して、楽になりたいのだ。


 恭介は剣を持ったまま、周囲を警戒している。白馬の鞍から降りると、今度は雪ノ下を、半ば無理やりその鞍へと乗せた。白馬は幸せそうな顔をしていた。


「……あの大群は?」

「振り切って逃げてきた。だから、もたもたしてると追いつかれるんだ。急ぐぞ」


 さすがに、先ほどまで倒れていた白馬に2人で乗るわけにはいかないという判断だろうか。その代わり、恭介は左腕をぴったり白馬の首筋につけていた。こちらは《特性増幅》の効果を常に発動させるためだ。

 直ぐにその場を離れようとするが、不意に、地響きのような音が聞こえてきた。びくん、と白馬が首を跳ねさせる。


「まずい、ウツロギ。あいつだ」

「どいつだって?」

「死霊の王だよ。俺たちを襲った中に混じってたんだ」

「なに……」


 死霊の王、というのが何を指すのか、一瞬雪ノ下にはわからなかった。だが、すぐに思い出す。転移当初のダンジョンで、地下への進軍を妨げていた巨大なアンデッドモンスターだ。クラスに立ちはだかった最初の障害でもある。

 当時、雪ノ下は探索チームの一員だったが、そこまで下層に潜ったことがなく、死霊の王との邂逅は果たしていない。


 そうこうしている内にも、地響きはどんどん近づいてくる。恭介は、小さく『くっ』と呻いてから、雪ノ下の後ろ、白馬の鞍の上に飛び乗った。


「うおっ!?」

「きゃっ」

「ごめん白馬、雪ノ下。歩いていたら追いつかれる。走れるか!」

「馬使いが荒ぇーなちくしょうめ!!」


 白馬は叫んでから嘶くと、そのまま一気に砂浜を駆け始めた。


「雪ノ下、フィルター切れを起こしてたんだな」


 手綱を片手で握ったまま、恭介はそんなことを呟いた。


「……だから?」

「いや、別に言ってもらっても良かったのになって」


 言っていたら言っていたで、また余計な気遣いをしたじゃない。あなたは。

 雪ノ下はそんな悪態をつこうとして、飲み込んだ。


「よくわかんねぇんだけど、」


 2人の会話はそう長く続かず、間に白馬が入ってくる。


「雪ノ下、イメチェンか記憶喪失でもしたの?」

「今までのが演技だったの。どう、白馬くん。幻滅した?」

「難しいところだな。どっちもいいね!」


 素直な男だった。


 岩の多い荒地から、ゆっくりと巨体が姿を見せる。全長10メートルはあろうかという高さに、骸骨のような顔が2つ、ぬうっと飛び出した。雪ノ下は小さく息を呑む。あれが死霊の王だ。凹んだ眼窩に瞳はなく、魂まで凍てつくような感覚に囚われる。

 死霊の王の周辺には、先ほどの小悪魔たちがキシキシと笑いながら浮遊していた。おそらく奴らが連れてきたのだ。このままでは追いつかれる。白馬の息も、あがりかけていた。


「ねぇ、あたしを降ろして」


 雪ノ下は提案した。


「バカを言うな!」


 当然、恭介に一喝される。


「バカじゃないわ。あたしのほうが、ウツロギくんより重いでしょう。1人も助からないより、2人が助かるほうがいいじゃない」

「こういうのは多ければ良いとか少なければ悪いとかじゃないんだ!」

「じゃあなんだって言うのよ」

「俺はおまえに死んで欲しくないんだよ!」


 絶句した。別に、そういう意味ではないとわかっていても、その瞬間は言葉を返せなかった。

 雪ノ下は、わずかに視線を俯けて、呟く。


「……姫水さんが怒るわよ」

「雪ノ下を見捨てたほうが、凛は怒るよ」

「おまえら人の背中でいいご身分だな」


 白馬は息を切らせながら悪態をついた。


「悪いな白馬。死んで欲しくないのは、おまえも一緒だ」

「ありがとよ!」


 別に、とっつかまったところで死ぬわけではない。といっても、やはり恭介は聞かないだろう。そうこうしている間にも、ずしん、ずしんと死霊の王は距離を詰めてくる。恭介が歯噛みするのがわかった。あとしばらくもしないうちに、こちらは死霊の王が構えた六本の蛮刀の射程内に入ってしまうのだ。


 恭介は剣を構え、白馬の鞍から飛び降りた。


「何をする気!?」

「足止めだ! 別に死ぬつもりじゃない!」

「変わんないわよ! バカじゃないの!?」

「だったら―――、」


 白馬が蹴り立てたばかりの砂埃が、宙を舞う。恭介は背中をこちらに向けたまま、続けた。


「俺が死なないように助けてくれ。それくらいしか道はない」

「なっ……!」

「フィルターも切れてる、悲観主義者のおまえに頼むのも心苦しいが……無理をして戦ってくれ! 俺を死なせたくないならな! 現実は変えられなくても、せめて自分の心くらいは、変えてみてくれ!」


 なんて自分勝手なやつだ。停止した白馬の鞍の上で、雪ノ下涼香は唖然とした。

 余計な気遣いをするなんて、とんでもない話だった。こっちがどれだけ辛い思いをしているのか知らないくせに、何を平然と、あんなことを言えるのか。しかも恭介は、こちらの援護を微塵も疑わずに、勇猛果敢に死霊の王へと斬りかかっていく。

 いや、援護があると、確信しているわけではない。きっと、そうするくらいしか、彼にはもうできないのだ。空木恭介は、一人では貧弱なスケルトンで、足止めくらいしかやることがない。


「どうする。雪ノ下」


 白馬が尋ねた。


「戦えるわけ……。戦えるわけないじゃない……! このまま、みんな、負けて……!」


 口にしながら、雪ノ下は歯をがちがちと打ち鳴らした。みんな負けて、捕まって。そんなのは嫌だ。


 嫌なのだ。


 雪ノ下涼香は、はっきりと自覚した。どれだけ理想や希望を否定して、絶望にすがり、悲観した未来を唱えようと、それに恭順するのは、嫌なのだ。自分は死にたくないし、ひどい目にあいたくないし、できることなら、他の誰かにも、あって欲しくない。


 努力と根性は実らない。

 愛と勇気はただの幻想。

 夢も理想もいつかは朽ちる。


 奇跡は、起こらない。


 どれだけ未来を悲観しても、その現実を許容できないのなら。


 雪ノ下は、白馬の鞍からゆっくりと降りた。目の前では空木恭介が、死霊の王の蛮刀から必死に逃げ回っている。ほんの少しの手違いで、彼は頭から蛮刀で叩き割られ、死ぬ。そんな未来が、雪ノ下にはありありと想像できた。

 その現実を、雪ノ下は拒絶する。諦念は、踏み砕かねばならなかった。絶望の安寧を叩き潰さねばならなかった。心の中で、諦めろと叫び続ける冷徹な本性を、ねじ伏せなければならなかった。


 それには、多大な労力を有した。


 戦いには、仮面が必要だという。雪ノ下は、すぅっと息を吸い込んだ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 夢や理想は叶えられない。それでも、せめて心の熱だけは本物になるように、祈り、叫び続ける。


 願わくば、命よ燃えろ。闘志よ弾けろ。心の氷を溶かして見せろ。

 冬の雪山に向日葵咲かせ、砂漠に雪を降らせて見せろ!


 一度でいい。たった一度でいい。せめてこの戦いだけでもいい。すべてを悲観し、希望を唾棄した、絶望にすがる弱い自分を荼毘に伏せ。現実が覆らないのなら、せめて自分の中の何かを、すべてを、表裏きれいにひっくり返せ!


 凍てつくほどに熱く! 燃えたぎるほどに冷たく!


「分子運動、虚数領域に突入……! マイナス、1兆ッ、2000万度ッ!」


 絶対零度を振り切って、雪ノ下の生み出す冷気は、あらゆる物理学を足蹴にした。


 そしてすべてを覆すのはここからだ。本当の奇跡は、ここからだ!


「虚数反転ッ! オォーバァーヒィートォォォ――――ッ!!」





「ウツロギぃぃぃっ! 下がれぇぇぇぇっ!!」


 白馬の絶叫は、悲鳴に近かった。なんだ、と思って恭介は背後を振り返り、そして絶句した。


 それは砂漠に雪が降るよりも、もっと非現実的な光景だった。がっちり着込んだ白装束をはためかせ、雪女が掲げた右手の先には、天地を焼き払う太陽のような火球が現出している。それはじりじりと砂を焼き、小悪魔たちは目を潰されて墜落していった。

 火球を支える雪女は、まさしく雪ノ下涼香だ。恭介は、危うく見とれてしまうところだった。恭介が慌てて退避しようとするが、死霊の王はそれを許さない。背中を向けた恭介めがけて、蛮刀が振り下ろされるのがわかった。


「唸れッ! あたしのッ! いっ兆ォゥ! にぃィィィせんまん度ォォォォォォッ!!」


 雪ノ下が絶叫とともに火球を放つ。太陽は地面をえぐり、周囲の地面を焦がしながら死霊の王の身体を飲み込んだ。恭介には背後に強烈な熱を掠める感覚だけがあり、その直後、轟音と共に一本の大きな腕が落下してきた。


「うおおっ!?」


 背後からの衝撃に、恭介は思わず前へと転倒した。振り向けば、そこには大きく焼け焦げ、えぐれた地面があるだけで、死霊の王が存在した痕跡は微塵も残っていない。小悪魔たちも、その亡骸すら残さずに、一瞬で蒸発してしまっていた。


「い、1兆度……? マジで……?」


 思わずそんな言葉が口から漏れる。いや、本当に1兆度だったらこんなもんじゃ済まないだろうという気持ちと、でもファンタジーだからなぁという気持ちが混在していた。

 雪ノ下は全身の肌から滝のような汗を垂れ流し、湯気を発しながら片膝をついている。彼女が、やったのだ。おそらくはこの土壇場で、フィルター切れを克服し、フェイズ2能力を発現させた。あの火球こそがまさしく、雪ノ下の到達した固有能力に違いない。


「雪ノ下!」


 恭介は彼女の名前を呼んでやり、駆け寄る。

 汗だくの雪女は、恭介を見るなり、ふっと微笑む。白馬の身体に寄りかかるようにして立ち上がった雪ノ下は、そっと恭介に向けて右腕を差し出し、


 思いっきり、拳で顔面をぶったたいた。


「えええええええええ!」


 予想外の衝撃に、恭介の頭は驚愕の悲鳴をあげながらすっ飛んでいく。砂浜をゴロゴロ転がる頭蓋骨を、必死に追いかけるスケルトンの姿があった。


「すっきりした」

「そりゃよかったな」


 白馬が疲れた声で相槌を打ってやる。


「何してるのよ、ウツロギくん。急ぐわよ。また大群が追いかけてくるんでしょ。あたし、こんなしんどいの、もうゴメンだわ」


 そう言って、雪ノ下はスタスタと砂浜を歩き始めてしまった。恭介は拾ってきた頭蓋骨を首の上に乗せてから、白馬に駆け寄り小声で尋ねる。


「あいつ、なんか性格悪くなってないか……?」

「ああいう雪ノ下も良いな!」

「ああ、そう……」


 悲観主義者なのか、熱血少女なのか、ただの性悪女なのか。なんだかもう、よくわからなくなってしまった。

 が、どれかひとつが、彼女の顔というわけではないのだろう。性格の悪い、悲観主義の熱血少女。どうやら、雪ノ下涼香とはそういう娘らしい。ひとまず窮地を脱したことと、彼女の中の問題がひとつ解決したらしいことを知って、恭介は安堵することにした。


 悲観主義と熱血願望を、自分の中でどうやって折り合いつけたのか。それはまた、ほとぼりが冷めたら聞いてみることにする。


「2人とも何をやってるの! 気合が足りないわ! 努力と根性よ!」


 恭介は、さすがにキャラがブレてるんじゃないかと思ったが、白馬が『ああいう雪ノ下もいいなぁ』と呟くものだから、それ以上何も言う気にはなれなかった。





「やっぱり、あいつらが絡んでるんじゃないか……」


 岩陰からそんな3人の様子を眺めながら、冒険者のレスボンはため息をついた。


「言葉をしゃべるユニコーンって時点で、嫌な予感がしたんだよ」

「どうします?」

「どうするも……。見ただろ? あの火球。それに、もう手を出さないって約束もしたしな」


 フィルハーナの言葉に肩をすくめる。腕を切り落とされて隻腕になってしまったレスボンだが、あのスケルトンに極端な恨みつらみがあるわけではない。命を見逃されたことについては、感謝をしても良いくらいだ。

 スケルトンは現在、例のスライムと行動を共にしてはいない。どうやら単騎では貧弱なようで、そこを襲えば勝てそうな気もするのだが、レスボンはあまり積極的にそうしたいとは思えなかった。


 あの目の赤い2人の冒険者は、どうにも胡散臭い。あまり信用したくない、というのが正直なところだった。本人は詳しく話してくれないが、フィルハーナがやたらと警戒心を強めているのも気にかかる。


「それはそうと、あのユキオンナが倒したデカブツはなんだ? あんなモンスターが生息してるなら、もっと見かけても良いはずなんだが」

「あれは“死の王”のレプリカです。人工的に作られたものですよ」


 フィルハーナの言葉に、レスボンは首をかしげた。


「レプリカ? 神様の?」

「帝都の魔術院でも研究してるって言いますよ。ただ、死の王片は帝都には保管されていないので、あれは何らかの手段で、王片を手にした者たちがいるということでしょうね」

「詳しいなぁ、おまえ」

「一般教養です」


 ともあれ、本格的にキナ臭くなってきた。王片といえば、個人の取引が禁止されている神話戦争時代の遺物だ。そんなものを持ち出して、神様のレプリカを造り、言葉をしゃべるモンスター達を襲わせる連中がいる。それ自体が、事態の異常性を際立たせている。

 やはり、思い浮かぶのはあの2人だ。連中は、信頼をしないほうが良いかもしれない。


「で、どうしますか?」


 フィルハーナがこちらを見上げてくる。


「私としては、彼らとコンタクトをとったほうがいい気がします。王片を持ってるような連中に狙われているんです。うまく情報を聞き出せば、私たちも帝国の庇護を受けて安全に帰還できるかもしれません」


 と、言われてもな。

 レスボンは、海岸沿いに緑地の方へと戻っていく奇妙な3匹を見送りながら、頭を掻いた。

73話は近日投稿予定デス。

74・75・76話でまたワンエピソードを予定。

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