第70話 ペシミスティックな彼女
努力は必ずしも報われるとは限らない。
根性があってもなんとかなるとは限らない。
心が冷え始めたのはいつの頃だったか。部活動で、自分より努力をしている相手を差し置いてレギュラーに抜擢された時、それがおおよそ才能によるものであると理解した時、この世界にはどれだけ頑張っても埋まらないものがあると知った。
それでもレギュラーだ。仲間達を勝利に向けて牽引する重要な1人である。それからは人一倍の努力をしたし、根性を見せた。いつしか周囲は自分を『努力と根性の人』と認識するようになり、自分自身、そのような立ち振る舞いを心掛けるようになっていた。
いかなる時も、努力と根性。
魂を込める。
心は熱く。
炎のように。
私は燃えている。
寒々しい嘘っぱちだ。それらしい言葉を口にするたびに、心が冷えていくのをはっきりと知覚する。上っ面のアツさが浮き彫りにするのは、冷徹で酷薄な自分の本性だ。夢を語っても、現実は覆せない。
クラスの仲間達は帰れると信じている。表面上はそれに追従した。いや、心の中でも、納得し追従したはずだった。だが、世界はそんなに、都合が良くはできていない。どこか、心の中では冷めていた。
2度目の転移が起きた時も、やっぱりと思う気持ちの方が強かった。
こんな状況で、元の世界に帰れる手段はあるのだろうか。
ないわけではない。だが、限りなく細い。
信じたい気持ちは常にある。諦めないことも信じ続けることも大事だ。自分の心をどれだけ納得させようとしても、薄ら寒い笑みを浮かべる本性が、常に自分を俯瞰している。
気持ちは無意味だ。
世界に心はない。
現実は冷酷で。
まるで氷だ。
まっさらに冷えていく。
雪ノ下涼香は、そろそろ、自分をごまかすことができなくなってきていた。
緑の茂る丘陵地帯に、一時的な拠点を築くことになった。とは言え、木を切り倒すのはともかくとして、組み立てるとなれば一苦労だ。それだけの種族能力を持った生徒も、知識を持った生徒もいない。結果として、切り倒した木を『人』の字状に組み合わせる、粗末で不安定な犬小屋が完成した。
「今までの環境がどれだけ恵まれていたか、よくわかる話だな……」
恭介は、冒険者たちから奪った魔剣を肩に載っけながら、そんなことを呟いた。
「ま、これだけできれば上出来だろ。とりあえず雨風がしのげりゃさ」
烏丸は、腰に手を当てて頷いている。
「そんなことよりさ、ウツロギ。左手はなんともないのか?」
「ん、ああ。一応な。違和感はあるけど、ちゃんと動くよ」
恭介は、右腕よりは幾分か長い左腕を掲げてみせる。
先日、冒険者との戦いで、恭介は左腕を失った。幸いにして彼はスケルトンであり、別の腕を接ぎ木すればきちんと機能するようになっている。恭介は、烏丸や雪ノ下らと共にレッサーデーモンの亡骸から、その左腕を回収したのだ。
フィルター切れを起こしたあずきには見せられない光景だったし、できることなら凛にも見せたくはなかったので、同行はこの2人に頼んだ。肉をそぎ落とし、乾燥させ、骨だけになったところを接続すると、意外となんとかなった。
「不明なユニットが接続されました、とか、そんなシステムメッセージ出てないか?」
「出てない……。烏丸もゲームやるのか?」
「アクション系は結構やるぞ。おまえ達オタクグループほどじゃないんだけどさ」
某有名ゲームのセリフを運用した烏丸に、恭介はついつい突っ込んでしまう。なるほど、クラスメイトといっても、こうして一対一で話さないと知らないことも多いものだ。
「でも、そういうゲームは多分、小金井の方が得意だな。俺はレトロゲーム派でさ」
「へー。帰ったらなんか貸してくれよ」
「いつになるのかわかんないけどな」
恭介は、烏丸とそんな会話を繰り返しながら、自らの左腕を確認する。
レッサーデーモンの左腕は、すでに恭介の身体の一部として認識されているらしい。実際、左腕に凛を載せてみたところ、《特性増幅》は発動した。だが、妙にトゲトゲして大振りな腕は、いまいち感覚的に馴染まない。
恭介は実のところ、この悪魔の腕骨が、何かしらの副作用を引き起こすことを期待していた。現状、烏丸や雪ノ下はフィルター切れを起こしてはいないが、もしその局面を迎えた際、乗り越えられるかどうかの確証はない。恭介と凛が頑張るしかないのだ。その際、この左腕が新たな力になってくれるのではないかと考えているのである。
そんなことを口にすれば、ひどく怒られるかもしれない。だから、言わなかった。凛あたりは、既に気づいていそうなことではあったが。
「やっほーう! 諸君、おっまたせー!」
そんな折、向こうから元気な凛の声が聞こえてくる。あずきと雪ノ下も一緒だ。彼女達は大きな木桶を抱え、その中にはたっぷりと水が張られている。中には大量のアサリが突っ込まれていた。
恭介と烏丸が拠点の建築を進めている間、他の一同は食材を探しに出ていた。凛たちは浜辺へ潮干狩り、壁野と御座敷は森の中で木の実を探している。この面子では、食材は採るだけ採って困ることがない。余った食べ物は、雪ノ下が冷凍保存できるからだ。
「アサリか……。やっぱアサリご飯にするのが美味いよなぁ……」
「お米もお醤油もみりんも砂糖もないの。贅沢言わない!」
どんっ、と凛は木桶を地面に下ろした。たっぷんたっぷんと張られた海水の中で、アサリたちが砂を吐き出している。
「これ、桶に入れた海水を天日干しすれば塩が採れるんじゃないか?」
「おー、良いね良いね。塩良いね」
烏丸の提案に、凛は身体を乗り出して賛成した。
桶を出すのは、あずき洗いである御手洗あずきの能力だ。いつも持ち歩いていると思ったが、まさか能力で生み出せるものだとは思わなかった。
ちなみに魔力を編んだものであるのか、24時間経過すると木桶は消えてしまう。あずきが1日に生産できる木桶の数は、だいたい10個前後といったところだ。あずきも、自分の能力が役に立つならと、喜んで桶と水を用意してくれる。
ひとまず、再び社会というものが出来つつあることに、恭介は安堵した。必要なのは人間らしい生活だ。
「木の実、採ってきたわ」
ガサガサと森の木がうごめいて、向こうからぬりかべ少女が帰ってくる。御座敷はどこに行った、と思って視線を動かすと、彼女の陰になるあたりに立っていた。相変わらず、影が薄い。
「火を起こすか。ウツロギ、頼んだぞ」
烏丸にいわれて、恭介は魔剣を構えた。精神を集中し、気を込めると、剣身が炎を纏う。まさか剣を奪われた冒険者も、ライター代わりに使われているとは思っていないだろうが、お陰様で食生活はかなり助かっている。
あの冒険者たちは、果たして今どうしているだろうか。心配と言えば心配だが、あまり気にかけすぎるのも良くない。
薪に炎を点火すると、一同はあらかじめ用意していた串に、アサリや木の実を突き刺してそれにくべ始めた。
「それで、これから私たち、どうするの?」
腕が短いので作業が手伝えない壁野が尋ねる。
「どうするって、そりゃあ、脱出だろう。この大陸から出て、ヴェルネウスを目指す」
烏丸がせっせとアサリを串に刺しながら答えた。
「出来るのかしら。だって、海を渡るのだって時間がかかるでしょ?」
「諦めなけりゃなんとかなるさ。なあ、雪ノ下」
「そうそう、なんでもファイヤーだよ」
唐突に話を振られても、雪ノ下涼香はぐっと拳を握って暑苦しい笑顔を見せる。
雪ノ下涼香は、雪女に転生した女子バレー部員である。そのぶっ飛んだテンションが特徴的な熱血少女で、ポジティブシンキングっぷりや強引さは野球部の猿渡風太に匹敵する。というか、熱血ハイテンション運動部員として、双璧をなす。
熱血雪女、というだけでかなりキャラの立っている雪ノ下だが、本人のテンションがあがって身体が溶けてしまうということがままあった。
「晴れて、ウツロギくんも腕を取り戻したし! あたし達の戦いはまだ始まったばかりだわ! 負けてらんないわよ、スタンダップ!」
「今立ち上がってどうすんだよ」
「気持ちの問題、ハートの問題なのよ!」
雪ノ下はアサリを串に刺しながら力説していた。
「諦めちゃダメよ! 諦めたらできることもできなくなっちゃうし、信じ続けるから出来ることもある! 不可能を可能に! 奇跡は起こすものだわ!」
「誰だって、雪ノ下さんみたく楽天家みたくなれないわよ」
壁野の何気ないセリフ。恭介は凛と並んで、黙々とアサリを串に刺していたが、その瞬間わずかに雪ノ下が真顔に戻るのを見てしまった。いつも笑顔で暑苦しいセリフを振りまいている彼女からは想像もできないような、冷たい顔つきである。
だが、すぐに雪ノ下は笑顔に戻った。
「こういう人が一人くらいいた方が良いでしょ? あたし、難しいこと考えるの、苦手なのよね!」
「ま、そのテンションに助けられるところがあるのは事実よね」
「あっはっは! 頑張れ頑張れできるできる!」
雪ノ下は親指を立てて白い歯を見せた。
「頑張るのはいいけど、みんな無茶はするなよな」
恭介は、釘をさすように強めに言う。
「フィルターが切れたら動けなくなるかもしれないんだ。特に、雪ノ下や烏丸みたいなタイプは危ない」
「心配してくれるんだ! ありがとう、ウツロギくん! あなたの熱いハート、ばっちり受け取ったわ!」
唐突だが、雪ノ下は美人である。雪女というのはだいたい美人なので当然だ。彼女が正面から見据え、ばちっとウインクしてくるのだから、多少は魅力的な光景である。真横で、スライムがぷくっと膨れ上がるのがわかった。
とは言え、はぐらかされたな。恭介はアサリに串を刺しながら考える。
今まで、あまりまともに考えたことはなかった。雪ノ下涼香は、なぜ雪女などに転生したのだろうか。転生先のモンスターは、ある程度その精神性に影響を受ける。雪ノ下のようなタイプなら、瑛同様、ウィスプやサラマンダーに転生しても、良かったのではないだろうか。
この中で、フェイズ2に覚醒しているのは恭介と凛だけだ。つまり、ここにいるメンバーはほとんど、自分の中にある問題を解決していないか、気づいていない。今まではそれでも良かったかもしれないが……。
「凛」
恭介は、雪ノ下がそのハイテンションっぷりで周囲の注意を集めている間、膨らんだ凛にこっそり呼びかけた。
「あとで相談に乗ってほしいことがあるんだ」
「ん……、わかった」
凛は、その言葉だけでおおよそを察したように頷く。理解の早い子で、本当に助かる。
「みんな、もっと熱くなろうよー。気合だよー!」
雪ノ下涼香は、相変わらず周囲がにが笑いを浮かべるほどに、テンションをあげていた。
まず生活を安定させた恭介たちは、海を渡りヴェルネウス王国に渡る手段を模索することになった。あの巨大な重巡洋艦は既に無く、しかし海を越えるには船が必要だ。加えて言えば、相応の航海技術も。
重巡の入手経路は極めて特殊だった。血族によるダンジョンのお膳立てと、暮森出雲の種族能力があって初めて実現可能な手段がいくつもあったし、海を渡るにしたって、海上キャラバンによる道案内や五分河原率いるゴブリン軍団がいたから殆ど問題が起こらなかったとも言える。
恭介たちの取れる手段は2つだ。
1つは、なんとかして海を渡るのに必要な物資を揃え、大海に漕ぎ出す。
もう1つは、あの冒険者たちに協力を要請する。
現実的なのは後者だ。だが、脅迫じみた手段を取らずに彼らに協力を取り付けるのは難しい。
ひとまず結論を急がず、周辺の探索を優先しよう、ということになった。何かしらのブレイクスルーが見つかるかもしれない。冒険者でなくとも、この新大陸で暮らすモンスターに協力を取り付けられる可能性はある。
それに、この大陸に飛ばされた生徒たちが、自分たちだけであるとは限らない。烏丸たちの証言によれば、彼らの近くにはさらに別の集団があって、距離的に同じ場所へ飛ばされた可能性は否定できないという。彼らと力を合わせれば、別の展望も開けてくるかもしれない。
恭介にそんなつもりは一切なかったのだが、このチームの中での仕切りポジション、言わばリーダーは、彼になりつつあった。骸骨参謀の面目躍如という奴である。恭介としてはまったく嬉しくなかったが。
もともとが社交的な性格ではないのだ。当たり障りのない人付き合いはできるが。ただ、そうも言ってはいられなくなってきたため、恭介はしぶしぶ、リーダーの座に甘んじることになった。竜崎のように上手くできるかはわからないが、それで全員が生還できる見込みがあるなら、なんだってやる。
『そうも言ってはいられなくなった』とは、すなわち雪ノ下涼香のことである。
恭介はその夜、凛に雪ノ下のことを聞いた。竜崎と並んで、クラスで人のことを見ている凛である。雪ノ下涼香という人間(あえて人間と言う)に対する、所感を尋ねようと思ったのだ。
『まぁ、涼香ちゃん本人はちょっと冷めてるところ、あるよね』
凛はあっさりとそう言った。
『なんで、いつもあんなに前向きなことを言っているのか、言おうとしているのかわかんないけど、本人に問題があるとすれば、そこだと思うな。ただ―――』
ただ? と尋ねると、凛は少し言葉を濁してから、言う。
『そこを、このタイミングで取り急ぎなんとかする必要があるかどうかは、あたし、わかんないなぁ』
俺はそうは思わない。極限状態が続いている今、雪ノ下の無理は近いうちに破綻する。恭介はそう言った。
『それは体験談?』
そうかもしれない。
なんというか、雪ノ下の精神的な境遇は、自分とどこか似ているようにも感じられる。彼女は前向きなように見えて、自分自身に主体性を持っていないのだ。
時折、『雪ノ下の発言はからまわってる』と揶揄される。もっと辛辣なことを言えば、『アツすぎてサムい』とか、『言葉が軽くて同調できない』とか。凛の言葉によれば、そうした意見は転移前から、あるにはあったそうだ。彼女は自分の言葉をしゃべっていない。
心にもないポジティブ思考を、表面上だけでも続けているなら、それはいつか破綻する。
特にこの状況だ。雪ノ下が、現実的で辛辣な意見を吐くリアリストなら、それで良い。悲観的な意見を吐くペシミストなら、それも良い。問題は、彼女が楽天家を気取っているところだ。その理由まではわからないが、そろそろ、ガタが来てしまいそうな気がする。
『恭介くんはさぁ、』
と、凛は言った。
『涼香ちゃんの問題を解決できると思う? 恭介くんにはあたしがいたけど、涼香ちゃんの心に干渉できるような人、いるかなぁ』
俺じゃダメかな、と言ったら、凛はすごい膨らんだ。
『ダメとは言わないし、恭介くんらしいとは思うけどね!』
ただ、雪ノ下に限った話ではなく、できることならみんなの問題を解決してやりたいと思うのだが、それはワガママだろうか。自分は、凛に助けてもらえて嬉しかった。その気持ちを一番還元してやりたい相手は凛だが、同じ救いを得て欲しいと思う相手は、たくさんいる。
『まー、恭介くんがそうしたいって言うなら、あたしは力を貸すけどねぇ……』
なんか、ごめん。恭介は言った。
『謝らないの』
凛はぴしゃりと返してきた。
『誰かを助けたいって思うのは、良いことだよ。あたしも、恭介くんのそれに助けられたんだから。最近あんまり言ってないけど、恭介くんと一緒に歩くのも走るのも、すっごい楽しいよ』
ありがとう、と頭を下げる。
『翻って涼香ちゃんだけど、あたしが言えること、あんまない気がすんだよね』
恭介が感じたとおり、雪ノ下の精神性はどこか恭介に通じるものがある。だから、凛ではなく恭介が絡んでいくべきだと、彼女も話した。凛が雪ノ下に対してできることは、そう多いわけではない。
恭介の本質が空っぽだとするならば、雪ノ下の本質は氷である。恭介がするべきはその氷を溶かすことなのか、あるいは楔を打ち込むことなのか、もっと別の方策を探すべきなのかはわからない。
『ひとまず、恭介くんは涼香ちゃんとチーム組んでいろいろ探ってみなよ。他のメンバー探しとか、周辺の探索とかは、あたしが指揮を執るよ』
凛だってフェイズ2持ちである。水を生み出せるあずきの援護があれば、その辺のモンスターに遅れを取ることはない。他の生徒のフィルター切れが懸念される以上、恭介と凛は、探索時にはなるべくばらけておこうというのは、早い段階で決めていた。
そのようなわけで、恭介は雪ノ下と海沿いの探索を行うことにし、凛たちは森林地帯の探索を行うというチーム別けがなされた。
『恭介くん、あの、一応言っとくけどね』
相談が終わり、ではそろそろ寝るか、という段になって、凛は小さな声で恭介に語りかけた。
『他の人のことを助けようって思えるのは恭介くんの良いとこだと思うけど、こう、ほどほどにしろとは言わないけど……』
そこで言葉を区切り、
『いや、やっぱほどほどにしといてね? なんか、不安になっちゃうし』
それ、どういう意味? と尋ねるだけの勇気は、恭介にはなかった。
新大陸まで出向いた冒険者が、旧大陸まで帰るのは容易ではない。連絡船の手配は出発前までに済ませなければならないから、約束の日まで船は訪れない。刻限が来たとしても、船が事故に遭うなどして到着が遅れる場合も多々あるのだ。食料などは多めに積んでいくのが定石である。
レスボンをリーダーとした冒険者一行は、そのレスボンが右腕を喪失し、パーティの壁役であるレインが全身に火傷を負ったことから、既に探索をほとんど諦めなければならなかった。レスボン自慢の魔剣であるブレイズブレイドはモンスターに奪われてしまい、総合的には赤字もいいところである。
「くそっ、あのモンスターどもがよぉ……!」
元盗賊のウォンバットが、拳を握って岩を叩いた。
「余計な邪魔さえ入らなければ、今頃レアモンスターを捕獲してゆうゆう船を待つだけだったんだろ!?」
「まぁ、そうだけど」
右腕を失った剣士のレスボンは、残った左腕でロングソードを素振りしながら呟いた。
「冒険者なんだから、これくらいのリスクはあって当然だ。見通しが悪かったのは俺のほうだよ。みんなには謝らないといけない」
冒険者ギルドのランクもそうとう下がるだろうな、とレスボンはぼやいた。
右腕を失った剣士がこれからも冒険者を続けるのは難しい。幸いレスボンはゴールドランカーであり、それなりの貯蓄がある。工業都市ギルアゼルグで最新型の魔導義手を造りリスタートを図ってもいいし、元手にして何か商売を始めても良い。いずれにしても、命を見逃してもらえたのは幸運だった。
モンスターの中には、知性と理性を持つものがいる。だからといって余計な感情移入をしてはならない、というのがレスボンの冒険者哲学だが、今回はその知性と理性のおかげで命を長らえたのだから、複雑な心境だ。
「そうは言ってもリーダー、納得いかねーよ……!」
ウォンバットが歯ぎしりするのを、レスボンは複雑な目で眺めていた。
他のメンバーはどうしているのか。ふと視線を動かすと、フィルハーナが必死に何かを書き連ねているところだった。自律制御魔法による、半自動執筆だ。おそらくはテレパスによって受信した情報を書き連ねる遠隔文書通信魔法だろう。
フィルハーナは、通信魔法士の資格を持つ。戦闘にも参加できる、かつゴールドランクの冒険者資格を持つ通信魔法士は貴重なので、彼女を連れてこられたのは幸運だった。フィルハーナはテレパスを使って本土の冒険者ギルドに連絡をとり、もう少し早めに船を手配できないか交渉している。ただそれでも、急がせて1週間はかかるだろう。大型商船ならば1ヶ月近くかかる航路だ。
「フィルハーナ、向こうはなんて……」
と、言いかけて、レスボンは気づく。彼女がファクシミリでしたためているのは、通信記録などではなかった。
『ゼルガ大武闘会、出場チーム揃う! 魔獣闘技部門にダークホースか!』『ヴェルネウス王国の秘湯にモンスターの経営する温泉宿が!?』『アルガリカ運河を謎の鋼鉄船が渡る!』。どれも三流新聞のゴシップ記事のようである。テレパスネットから拾ってきたのだ。
レスボンはため息をついて、フィルハーナの手から紙を奪い取った。
「ああっ!?」
「またゴシップ記事の切り抜きつくってんのか……」
「かっ、返してくださいよう!」
フィルハーナの趣味は、こうした眉唾ものの三流誌の購読だったりする。新大陸に渡って新聞に触れられなくなってからも、テレパスネットを使ってよく閲覧しているのだ。
「冒険者にとって情報収集は大事でしょう!?」
「こういうのは情報収集って言わないんだよ。もっと政治とかさ……」
「じゃっ、じゃあ、こういうのは!? ピリカ南王国でクーデターの兆し!」
レスボンはそれを聞いて、眉をぴくりと動かした。彼は南王国の、西のはずれで生まれ育った。祖国に対してあまり愛着はないが、確かにあそこは、昔からキナ臭い国ではあった。国家の上層部に帝国の支配が根強く、圧政に苦しむ国民が多いのだ。
「なんでも、王宮を追放された第三王子が民を率いて立ち上がるとかなんとか。王宮ではその動きを警戒しているらしいですね」
「ふうん……」
「王子の側近は長靴を履いた黒猫だそうです」
「真面目に聞いて損した」
やはり三流記事ではないか。レスボンは紙をフィルハーナに突き返した。その様子を見て、こらえきれずにウォンバットが叫ぶ。
「そんなことよりさ、どうすんだよ! このままじゃ赤字だろ!」
「諦めましょうよ。どーせこの職業が博打じゃないですか」
もともと、あのモンスターたちと戦うことに後ろ向きだったフィルハーナは、のほほんと呟いてファクシミリの受信を再開する。
「ここで実入りのいい依頼でも舞い込めば別だけどな。あいにく、ここは新大陸で……」
レスボンが、そう言いかけた時だ。
「ちょうど良かった。実は頼みたいことがあるんだ」
聞きなれない声が、中継キャンプに響いた。一同がびっくりして視線を向けると、サブリーダーを勤める魔術師のウェイガンが、2人の見知らぬ男女を連れてきていた。1人はタキシード、1人はドレスを着ていて、あまり戦場にそぐう格好ではない。
その姿を見たとき、フィルハーナがわずかに身体をこわばらせた。
「ウェイガン、その2人は?」
「グレンとシンク。冒険者だ。つい先日、この新大陸に乗り込んだらしい」
紹介されると、2人の冒険者は恭しく頭を下げる。妙に板に付いた、それでいて芝居がかった仕草だ。2人は仲睦まじく指を絡め合っているが、その血のように赤い双眸は、あまり笑っていない。
「実は、モンスターの捕獲を行っているんだが、昨晩2体ほど逃げられてしまってね。捜索に協力して欲しいんだ。報酬は出す」
ギルドを介さない冒険者への依頼は、協定で禁じられている。何かとトラブルを生むからだ。
だが、現地で合流した冒険者が、他の冒険者に協力を要請し、その謝礼として報酬を支払うことは、限りなく黒に近いグレーであるものの黙認されている。当然、これも余計なトラブルを生むことが多いのだが、その場合はギルドは介入しない。
レスボンはウォンバットを見た。彼の気持ちもわかる。せっかく新大陸まできたのに、赤字のまま、それも負傷して帰られなければならないという事態は、極力避けたい。
「取り逃がしたのはユニコーンとライカンスロープだ。どうだろうか」
「……話を聞こう。だけどまだ、聞くだけだ」
レスボンはロングソードを地面において、そう応じた。
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