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第69話 ミスティック・リキッド

 時間を少しだけ巻き戻す。


 新大陸に広がる広大な砂漠は、“時界砂漠じかいさばく”と呼ばれる。そこかしこを埋め尽くす砂の海は、神話戦争の時代に、巨大な人工魔導具が砕け散った破片であり、今もその一粒一粒が、当時のものを縮小した機能を保っている。すなわち、周辺時間への干渉だ。

 時界砂漠の砂は、それそのものはアイテムクラフトの素材として重宝されるが、その砂が大量に寄り集まった砂漠は、魔境として多くの冒険者に敬遠される。


 時界砂漠へ迷い込んだ4人の生徒たちは、そういった事実を知らない。だが、長くここに留まるのが良くないということは、当然理解できていた。砂漠の熱は体力を奪う。ぬりかべに転生した壁野千早が日陰となり、ある程度しのぐことはできるが、それも限界がある。


「いやあ、暑い! 暑いねぇ、はっは!」


 雪ノ下涼香が、笑顔で胸元を緩めながらそのように言った。壁野と御座敷は、ぐったりと黙り込んだまま、言葉をひとつも発さない。この状況で一番辛いのは、実は雪女の雪ノ下であるはずなのだが、彼女は相変わらずテンションが高い。


「大丈夫大丈夫! できるできる行ける行ける。諦めちゃダメだよ。がんばろう!」


 励ますつもりでまくし立てている雪ノ下だが、実は先ほどから同じようなことしか言えていない。

 実際問題、この砂漠がどこまで続いているかは定かでなく、果たしてどちらへ向かえば助かるのか、そもそもここがどこで、みんながどこに行ったのかというのも、はっきりとわかってはいないのだ。


 そんなおり、上からぶわーっと風が吹いてくる。生暖かい風ではあったが、かすかに汗が冷えて心地よい。


「おう、戻ったぞ」


 鴉天狗の烏丸義経だ。この中では唯一飛行能力を持つことから、ひとまず空から周辺を偵察する仕事を任された。全身から黒い羽毛が生えているので、こちらも相当暑そうである。


「お疲れ、烏丸くん! これは労いの冷凍光線よ!」

「あんま無茶するなよ。力使うんだろ」


 雪ノ下の放った涼やかな光を浴びながら、烏丸は葉団扇を振った。冷却された空気が周囲に拡散される。


「そういえば、冷房は扇風機と併用すると良いってよく聞くわね」


 壁野の言葉通り、冷気が少しだけ気持ちを楽にしてくれる。


「それで、どうだった? 空から見て」

「一応、砂漠はあっちの方に広がってて、反対方向には海が見えた。で、こっちに結構行くと、緑があるな」

「ほー。じゃあこのまま砂漠で溶けるってことはなさそうね!」


 雪ノ下は笑顔で腕を振り回し、頷いた。


「位置的に近いのは海の方だな。そこから海岸沿いに緑地を目指すのが良いと思うぜ」

「で、問題はそこまで行って、これからどうするのかよね……」


 烏丸の言葉に、壁野は重い声を返す。


「大丈夫! 行ける行ける、なんとかなる!」

「雪ノ下のそれ、毎回説得力ないんだよなぁ……」


 ひとまず、一同の方針はそれで決定する。

 クラス内でもほとんどつるむことの無かった組み合わせだが、それでもなんとか破綻せずに協力できているのは、この3ヶ月の積み重ねの賜物だろうか。人間に戻り、元の世界に帰りたいという目的自体は、まだ一致しているのだ。


 ただ、彼らがこれから向かおうという方角は、ちょうど人間の冒険者たちの中継キャンプがある。そして、ここからそこに向かおうとするがゆえに、彼らは冒険者たちに発見され、待ち伏せされることになるのだが、当然それを知る由はなかったのである。


「あれっ!? そういえば、御座敷くんいなくない!?」

「いるわよ。私の陰のところ」





 そして現在。


 恭介、凛、あずきの3人は、丘陵を降り荒地を越え、砂漠付近まで戻ってきていた。あずきは身体をきゅっと小さくしている。冒険者に襲われたのが、ちょうどこの辺りの位置だったのだ。

 恭介は、まだ冒険者とわかり合う努力を放棄するつもりはないが、同時にあらゆる呵責を排除して相対する決意を固めていた。凛やあずき、他のクラスメイトに危害が及ぶようなことは、絶対に避けなければならない。


 問題は凛とあずきのフィルター切れだ。彼女たちは精神的な問題で、人間と戦うことが難しい。その分、恭介が頑張らなければならないわけだ。

 できることなら、何事もなく、他の生徒たちと合流できればいいのだが。


「この辺、隠れられるところないから不安だねぇ」


 恭介と合体した凛が、そんなことを言う。


「冒険者とレッサーデーモン、どっちが来ても危ないな。急ごう」

「あずにゃん、転移してきた場所がどこか、わかる?」

「え、えっと。逃げるときは死に物狂いだったので……」


 ま、それもそうだろう。荒地はどこも似たような光景が広がっているわけだし。

 だが、そこで恭介は、視界の片隅に転がっている何かに気づいた。目(ない)を凝らしてみると、それが何かの死骸であることがわかる。凛にその事実を覚悟させてから、恭介は近寄ってみた。


「うっ……」


 凛が小さい声で唸る。


「レッサーデーモンか。さっきの冒険者たちがやったのかな」


 それは、身体のところどころが焼け焦げ、全身に切り傷をつけた悪魔の骸である。既に瞳からは光が消えていた。

 あずきは、近寄るのも恐ろしいが、恭介たちから離れるのはもっと恐ろしいようで、なるべく死体の方を見ないようにしながらついてきている。


「恭介くん、この世界のレッサーデーモンのこと、どれくらい知ってる?」

「あんまり知らないな。そういうモンスターがいるってこと自体、はじめて聞いた」

「あたし、セレナちゃんからちょっと聞いたよ」


 なんでも、この世界の歴史を紐解くと、太古に行われた神話戦争というものに行き着くらしい。

 神話戦争に参加し、敗れた神々というものが存在する。それが“魔の王”や“竜の王”などと呼ばれる者たちだ。彼らは、現在も直系の眷属を残しているが、それそのものは姿を隠したままである。


 “竜の王”の直系種族として、ドラゴニュートが存在する。

 “海の王”の直系種族として、ギルマンが存在する。

 それらと同様に、“魔の王”の直系種族として、デーモンが存在するというわけだ。


 暗黒魔法と呼ばれるものは、魔の王から力を借りて発動するメカニズムであり、魔の王に連なる種族モンスターにしか、行使することはできない。デーモンのような直系ではないが、インキュバスやサキュバスなども、これらに該当する。


「……初めて聞いた」

「はっはっは。勉強不足だなぁ恭介くん。火野くんとかは熱心に調べてたよ?」


 太古の神々は、他にも“剣の王”やら“獣の王”やら“命の王”やら、まぁ、いろいろいたらしい。それぞれの直系眷属は、今もモンスターとして旧大陸に生息している。ただ、魔の王は新大陸に敗走したため、旧大陸ではほとんどその直系を見ることはできないのだそうだ。


 恭介は、そこでふと思った。


 自分たちが今敵対している血族。彼らの首魁も“王”だ。

 他の駒が、ポーンだのナイトだのクイーンだの言われている中で、あれだけは“キング”ではなく“王”である。何か関係あったりするのだろうか。


「(血の王……。いや、考え過ぎだな)」


 恐ろしい力を持っていたが、さすがに神を僭称するには不足な気もする。それに、彼らは恭介たちと同じ世界の出身だ。


「あのう、私、思ったんだけど、」


 後ろでおずおずとあずきが言った。


「それだと、竜崎くんやレッサーデーモンに匹敵する力が、魚住くんにあるということなのでは……?」

「実は魚住くんもフェイズ2に覚醒したらすごい強いのかもしれない」


 凛は大真面目に言った。


「いま、一番大事なのは、そのレッサーデーモンも徒党を組んだ冒険者に勝てないってことだな」

「レッサーがいるってことはグレーターもいるだろうから、レッサーデーモンが竜崎くん並ってことはないと思うけど、それにしたって危ないね」


 レッサーデーモンの不意打ちを受け、女冒険者は丸焦げになっていた。だが、危険度で言えば、冒険者パーティの方がわずかに高いということになる。

 恭介は改めて、レッサーデーモンの死体を確認した。角をはじめ、身体を構成する一部が不自然に欠損しているのは、意図的に剥ぎ取った痕跡だろう。死体が新鮮なところから見ても、おそらくここが先ほど、冒険者たちと遭遇した場所だ。


 あとは、この付近から烏丸や雪ノ下を探すだけだが……。


「あっ」


 凛が声をあげる。


「どうした、凛」

「あれ、多分ちーちゃん。烏丸くんもいる」


 肩のあたりから、にゅるんと凛の腕が触手状に伸びる。視線を向けると、確かに巨大な石壁が、砂漠をこちらに歩いてくるところだった。その横を、鴉天狗が飛んでいる。


「ウツロギくん、あれ、冒険者なのでは」


 あずきも緊張に満ちた声を出す。彼女の指先には、岩の陰にじっと息をひそめる、3人の人間の姿があった。

 例の冒険者パーティだ。ポールアクスを持った女と、盗賊じみた雰囲気の男がいない。


「待ち伏せしているのか……!」


 恭介は拳を握った。やはり、冒険者にとって烏丸たちは、単なるモンスターでしかないというのか。

 凛が身体を強張らせるのがわかった。このままでは、烏丸たちは確実に冒険者の奇襲を受ける。逆に、こちらが打って出れば、冒険者たちに奇襲をかけられるのだ。だがそれは、凛の力が、人間に対して向けられることを意味している。


 フィルター切れを起こしている凛には、荷が重い。


「きょ、恭介くん。行くの……?」

「行く。凛は、ここにいろ」


 とにかく、烏丸や雪ノ下たちに冒険者のことを教えなければならない。ここを動くとなれば、冒険者たちに気付かれるのは確実だ。だが、そうするしかないなら、そうするしかない。


「ウツロギくん、これ、武器になるかわからないけど」


 そう言って、あずきはそっと木桶を差し出してきた。


「ま、まぁ、素手で殴るよりはマシそうだな……。ありがとう」


 恭介は礼を言って、桶を受け取った。凛の身体が、ずるりと恭介から滑り落ちる。


「恭介く……」

「すぐに戻る」


 恭介はそう言って、岩陰に隠れた冒険者たちのもとへ、一直線に駆け出した。


「うおおおおおおおおおッ!!」


 どれだけ大声を出しても、喉が張り裂けるなんてことはない。恭介が吼えると、隠れていた冒険者たちは武器を構えてこちらを振り返った。剣士、魔法使い、そして聖職者。戦い慣れしているのだろう。慌てる様子もなく、剣士が前に出、魔法使いは杖を構えた。


 木桶を持った骸骨が突進してくるのだから、はたから見たら何がなんだかわからないかもしれない。


 真っ先に動いたのは魔法使いだった。何やら呪文を唱え、おそらく触媒となっているであろう杖が、怪しげな光を灯す。虚空が弾けて、稲妻が迸った。恭介は渾身の力で、木桶を投擲する。

 稲妻は木桶を撃ち、御手洗あずきから借り受けた桶は粉々に砕け散った。


 ちらり、と視線を向けると、烏丸たちが行軍を止めている。こちらの異常に気づいたのだ。


 凛とあずきは、回り込むようにして彼らの方へと移動を開始していた。移動速度の遅い凛を、あずきが2つ目の木桶に入れている。


「ちっ、作戦失敗か!」


 リーダーの剣士が忌々しげに叫ぶ。


「こいつ、さっきのスケルトンか!?」

「レスボン、気をつけろ。見た目以上に知能が高いぞ!」


 恭介は拳を握る。ここまで来れば、見よう見まねのジークンドーでできるところまでやってやる。

 剣士が剣を振り上げる。恭介は足を止め、飛び退くように跳ねた。剣は、虚しく空を切る。そこで、今度は勢いよく前に踏み込んだ。剣の刃を肋骨の間に通し、その腕を掴む。


「しまった!」


 剣士が声をあげる。恭介は、握った拳を解いた。この骨の手足を生かす、もっとも効果的な攻撃手段は。


 これもフィルター切れの影響なのか、わずかな躊躇があった。だが恭介は、その躊躇いすらもあっさりと振り払う。手を抜けば殺される。そして、殺されるのは自分だけでは済まないのだ。


「いぃやぁぁぁぁっ!」


 伸ばした指を、まっすぐに剣士の顔に向けて突き込んだ。抜手の形で伸ばした指は、その何本かが男の頬を引っ掻き、


「ぎゃあああっ!!」


 嫌悪感と罪悪感を掻き立てる悲鳴。人差し指と中指は、男の左目に、的確に突き立てられた。ぐちゅり、と目玉の潰れる感覚が指を伝う。恭介は右腕を引き抜き、抉り抜いた目玉を、地面に捨てた。


「フィルハーナ、何をしている! 援護を!」


 魔法発動の準備を整えながら、ローブ姿の男が叫ぶ。


「あ、は、はい!」


 女が杖を掲げると、柔らかい光が、剣士の男へ降り注ぐ。


「おぉおりゃあっ!!」


 男は、左目から血を垂れ流しつつも、剣を振るう。先ほどよりも俊敏で、鋭い一撃は、恭介の肋骨の間をすり抜け、左腕に激突した。


 痛覚は、存在しない。だが衝撃はあった。腕は弾け、吹き飛ぶ。紅井の血によって強化されたはずの恭介の身体だが、男の放った剣撃はそれを上回っていた。刃を叩きつけられた恭介の左腕が、粉砕される。


「雷よ!!」


 恭介の身体が、よろめき、剣士の男から離れる。魔法使いの男は、その直後に待機させていた呪文を発動させた。再び走る稲妻が、一切の容赦なく恭介を打ちのめす。


「がああっ!」


 恭介はその瞬間、わずかに意識を飛ばす。

 左腕を失ったことは、さほど痛手ではない。だが、彼我の戦力差は改めて認識させられた。このまま、剣士が一歩踏み込んで、恭介の頭を叩き割ろうとすれば、それで戦いは終わってしまう。簡単なことだ。


「恭介くんっ!!」


 手放しかけた意識を繋ぎ止める声が響いたのは、その時だった。





 恭介の腕が吹き飛ばされた時、凛はその名前を呼んでいた。ちょうど同時に、烏丸たちがこちらに合流する。


「どうなってるんだ!?」


 まずは第一声。烏丸義経がそう尋ねる。


「あれは人間か!? 戦ってるのはウツロギなのか!?」

「あ、あの! あまり説明している余裕はないので!」


 御手洗あずきは、彼女にしては珍しい大きな声で、烏丸を遮った。


 恭介は、腕が吹き飛ばされ、稲妻に撃たれ、それでも両足で砂を踏みしめ留まった。

 剣士はその左目から、大量の出血をしている。それを眺めるだけで、凛には全身が震えるような感覚があった。自分が人間であったころは、誰かを傷つける、なんてこと、考えたこともなかったのだ。

 殴ると、痛いし、殴られると、痛い。姫水凛はよく知っているつもりだった。


 凛の常識では、人を傷つけるのは良くないことだ。

 傷つけられると痛い、辛い。それを他者に強制するなんてことは、凛にはできない。


 フィルターによって久しく忘れていた感覚ではある。


 その良くないことを、空木恭介はやっていた。腕を失いながらも、残った腕を、再度振りかざす。彼は、鋭利な自らの指先が凶器たり得ることを知っていた。目の前の剣士に向けて、骨をまっすぐに突き立てる。

 頬の骨を抉り、血が弾けた。真横であずきが息を飲むのがわかる。恭介はさらに、男の頬肉をむしり取った。


「恭介、くん……」


 凄惨な戦い方である。残虐な戦い方である。凛は身体の震えが止まらなかった。


「雪ノ下、ウツロギを助けに行く!」

「よっしゃあ! わかったわ!」


 烏丸と雪ノ下が、同時に駆け出す。彼らはまだ、フィルター切れを起こしていないらしい。

 その間にも、恭介の戦いは続く。自身の骨を砕き、相手の皮膚を裂き、肉を毟り、血を弾けさせる。スケルトンであり、武器も持たない彼にはそれくらいの戦い方しかできないのだ。


 正直に言って、身の毛のよだつような恐ろしい光景である。例えば人間時代、動画サイトなどでこんなものを見せられたら、凛は目を逸らして閉じていたことだろう。

 だが、凛は今、恭介から視線を背けることができなかった。


 自分は彼になんと言っただろうか。


 心が欠けているなら心になると。中身がないなら中身に。彼の肉に、内臓に、皮になると。

 そういう約束だった、はずだ。


 恭介は今までに、3人、殺してきた。それは凛も同じである。

 そしてこのまま、この世界で戦い続ける限り、それで済むことはないだろう。4人、5人と、恭介は誰かを殺していく。その4人目は今ここで生じるかもしれないし、もう少し先のことになるかもしれない。


 誰かを殺すことは悪徳だ。


 その悪徳を、恭介だけに背負わせるだなんて、そんなことがあって良いだろうか。

 恭介がこの先、何人、何十人と殺していって、その時自分は、彼の横に立って、平気でいられる?


 自分の覚悟は、そんな甘いものじゃ、無かったはずだ。


 雪ノ下と烏丸が、恭介の援護に割って入る。だが、おそらく魔法によって強化されている剣士の攻撃が、2人を寄せ付けない。その間に、魔法使いの放った稲妻が、恭介を含む3人に叩きつけられた。


「御座敷くん!」


 凛は、木桶の中で叫んだ。


「このままあたしを蹴っ飛ばして!」





 稲妻が空気を引き裂き、身体を焼く。烏丸と雪ノ下が盾になったので、恭介の受けるダメージはそこまでではなかった。烏丸が葉団扇を握り、大きく振るうと、巻き起こった突風が剣士と魔術師の身体を吹き飛ばす。その瞬間だけ、稲妻が止んだ。

 雪ノ下が隙をついて動き出す。砂漠の熱気は既に彼女の身体をだいぶ溶かしていたが、掲げた右腕からは、その熱を忘れるほどの冷気が滲みだした。


「分子運動、虚数領域を突破! マイナス1兆2000万度!」


 事実かハッタリか、よくわからない文言の後に、溜め込まれた冷気が、彼女の両腕の間から発射される。


「冷えピタクールビィームッ!!」

「《光壁》!」


 だが、冷凍光線は冒険者たちに直撃することはない。聖職者の女が展開した障壁が、光線を阻んだ。冷気が霧散し、大気中の水分が氷となってパラパラと砂漠に落ちる。体勢を立て直した剣士が、剣を構えて一気に突っ込んできた。

 恭介は立ち上がろうとするが、その時点で足にもひびが入っているのを確認した。痛みこそないが、全身の骨がいつになく軋んでいるのがわかる。前方では、烏丸が剣士と、雪ノ下が魔術師と互いを牽制しあっている。だが、聖職者の女が展開する補助魔法のおかげで、思うように攻めきれていなかった。


 せめて、逃げられるだけの隙を作らなければならない。できるだろうか。この身体で。


 身体を押さえ、ようやく立ち上がった恭介の下に、ひとつの木桶が飛んできた。


「恭介くぺっ」


 木桶は砂漠にめり込み、中身をぶちまける。中に入っていたのは、薄水色の半透明な液体。もっと言えば、姫水凛である。


「り、凛……?」

「お待たせ、恭介くん! 合体しよう!」

「お、おう……?」


 凛は先程までとは打って変わった、力強い口調でそう言った。彼女の気持ちがよく理解できなくて、恭介は一瞬、言葉に詰まってしまう。だが、恭介のひび割れた足に張り付き、そのまま全身を包むように這い上がってくる凛を確認し、そして改めて前で起きている戦いを確認すると、恭介は慎重な声を作る。


「……良いのか?」

「良くないことなんて、何もないよ」


 全身を、凛の薄水色の身体が包み込む。左腕の骨がないぶん、彼女の体積が少し余る。


「あのスライム、何かする気だぞ! レスボン!」

「ああ!」

「やらせるかッ!」


 魔術師が叫び、剣士が剣を構えなおす。だが、烏丸が葉団扇を振るって、その体勢を突き崩した。


「ごめんね、恭介くん。あたしもう迷わないよ」


 姫水凛の身体が、しっくりと骨に馴染む感覚がある。身体に入った僅かなひびの隙間さえも埋めていき、全身がぐっと安定するのがわかった。だがそれでも、凛から震えが完全に取れることはない。まだどこか、誰かを傷つけること、あるいは戦いそのものに怯えてるのがわかった。はっきりとした恐怖の感情が、重ねた身体から伝わってくる。


「凛……」


 怖いなら、無理をしなくていい。


 その言葉を、恭介は飲み込んだ。怖いはずだ。無理をしているはずだ。だがそれでも凛は来た。その気持ちを蔑ろにすること自体が、彼女に対する冒涜だ。自分は凛の力を借りる。そして、この窮地を脱するのだ。


「ありがとう、恭介くん……」


 恭介にしか聞こえない、か細い声が、耳朶のあるべき場所に響いた。


「なるべく、殺すつもりはない。それでもいつか、また誰かを殺すことになると思う」

「それでいいよ。戦うことが罪なら、あなただけに背負わせはしない」


 その瞬間、空木恭介は、一万の味方を得たに等しい。全身が軽く、心が一気にクリアになっていくような感覚があった。身体の中に、風が吹き込んでくる。水の流れを一度に変えていく。恭介は右の拳を握り、砂の上を駆け出した。


「凛、エクストリームだ!!」

「エェェェェックストリィィィィィィィィィムッ!!」


 駆けながら、突風が全身を取り囲む。2つの身体が溶けて1つの身体を作り出す。失った左腕が、凛の身体を使って再生された。ちょうど剣士が、烏丸に向けて剣を振り下ろすところだ。世界の動きが乱れ、時間が極端に引き伸ばされる。

 取り囲んだ竜巻を振り払いながら、恭介の右腕が、剣士と烏丸の間に割って入った。剣はざくりと剣を受け止め、烏丸には届かない。


「なっ……!」


 剣士が驚愕の声を漏らす。魔術師も聖職者も、一瞬その動きを止めた。


「なんだ、こいつは!?」


 受け止めた腕には剣が深くめり込んでいるが、一切の血は流れない。恭介はその双眸でギロリと冒険者たちを睨みつける。


「烏丸、雪ノ下、下がっていろ」

「大丈夫なのか? 姫水の調子、悪そうだったぞ」

「俺がいるから、大丈夫だ」


 思えば、恭介が初めて凛に身体を貸したのは、彼女を支えてやるためだった気がする。

 その恩は十分に、足りなくなるくらいに返してもらった。きっとこれからも、凛には世話になり続ける。だからこそここは、せめて彼女の恐怖を、躊躇を、肩代わりする。


 烏丸と雪ノ下は傷ついた身体を休めるため、わずかに後退した。

 混乱をしているのは冒険者たちの方だ。こんなモンスターは記録にないだろうから、まぁ当然ではある。だが、そこで待ってやるほど、恭介はお人好しにはなれなかった。逃げ出す隙を作るため、少し痛い目に遭ってもらう!


「烏丸! 壁野や御手洗たちを連れて丘陵の方に逃げろ!」

「わかった、無茶はすんなよ!」


 恭介は、剣を受け止めた姿勢のまま、剣士の腹に蹴りを入れた。


「ぐっ……!」


 魔術師の放つ稲妻が、恭介たちを直撃する。わずかに仰け反るが、手足はまだ動く。恭介は拳を握り、さらに一発、二発と、相手の剣士を殴りつけた。剣士は再度剣をかざして切り込んでくるが、その瞬間、恭介の全身は液化して斬撃を回避した。


「……!?」


 剣士の瞳が驚愕に見開かれる。


「こいつ、アクアエレメンタルか!?」

「レスボン、エンチャントを使え!」

「わかってる!」


 剣士が剣を改めて構え直すと、その剣身にうっすらと紫色の光が灯る。恭介は身構えた。あの手の武器は初めて目にする。いわゆるマジックアイテムの類だろう。液状化した身体にも、ある程度ダメージを入れられるよう、攻撃を魔法属性化するものだ。


 ならば。恭介は躊躇せずに、前に踏み出した。魔術師が今度は火炎魔法を唱える。だが、その発動よりも早く、恭介は剣士の男に接近した。魔術師が舌打ちをして、詠唱を止める。やはりあの魔術師は、混戦状態ではうまく魔法を放てないのだ。

 男の身体は、さらに淡い光に包まれた。聖職者の女が強化魔法を仕掛けたのだ。今までとは比較にならない速度で、剣が振るわれる。恭介はそれでも、さらに前に出た。


「凛!」

『うんっ!』


 剣は、果たして恭介の身体に深くめり込む。全身が焼けるような激痛が走った。だが、恭介は左腕で男の片腕を掴み、右の手刀を振り上げる。


「おおりゃあああああああッ!!」


 叩きつけられた手刀は、男の腕に食らいつき、肉を千切り、そのまま骨を叩き割った。冒険者の男は、またも大きな悲鳴をあげ、身をよじる。恭介の身体には、剣が突き立てられたまま。ものの見事に叩き折られた右腕の傷口からは、血が噴き出している。


「レスボン!」


 聖職者の女が、男の名前を呼んで駆け寄る。


「フィルハーナ、危険だ!」


 魔術師の男の静止を、女は聞かなかった。倒れたままのたうつ剣士を抱き抱えるようにして庇う。


 恭介は男の右腕を放り捨て、身体から剣を引き抜いた。聖職者の女を睨みつけると、彼女もまた、強い意思を秘めた視線でこちらを睨み返してくる。ここで剣を振り下ろすのは、簡単なことではあった。恭介にその覚悟はあるし、凛にもある。


「あいつらは俺たちの仲間なんだ。これ以上手を出すな」


 だが、恭介はそう言った。この聖職者の女は、他の冒険者に比べて、こちらを攻撃するのにいくらかの躊躇があったように思える。話が通じるのなら、彼女くらいなものだ。


「わかりました」


 女が答えたのを聞いて、恭介は内心、微かに安堵する。凛も同様のようだった。


「ですが教えてください。あなた方はなんなんですか? この大陸固有のモンスターなのですか? なぜ、人間の言葉を?」

「込み入った事情があるんだ。あまり話したくはない」


 恭介はそう言い、地面に落ちた剣の鞘を拾う。


『あたし達、海を渡る手段を探してるんだけど……。まぁ、この感じだと仲良くなれなさそうだし……』


 剣士の男は、痛みのためか全身にびっしりと汗をかいている。こちらの声が届いているのかはわからないが、こらえるような唸り声をあげるだけで、言葉を発そうとはしなかった。魔術師の男も、攻撃を仕掛けてくる気配がない。手を出せば、恭介たちが目の前の2人を斬り殺すと思っているのだろう。事実、そうするつもりはあった。

 聖職者も、恭介たちの目をじっと見つめたあと、小さく頷いた。


「わかりました。見逃していただいたことを感謝します」

「武器は返してやりたいけど、また襲われるのも嫌だから預かっとく」


 レッサーデーモンに気をつけろよ、と続けようとして、恭介はやめた。戦う力を奪っておきながら、そんなことを言うのは性格が悪い。それを言うなら、ここでトドメを刺さないこと自体が、性格が悪いのかもしれないが。


『難しく考えるのはよそうよ』


 凛が小さい声で言う。


「ま、それもそうだな。とりあえず俺たちは行くから。レッサーデーモンには気をつけろよ」


 結局、言ってしまった。背中を向けるのに少し躊躇はあったが、恭介たちはそのまま烏丸たちを追って、丘陵の方へと移動をはじめる。後ろでは、魔術師たちが剣士を立たせる音が聞こえてきたが、こちらに攻撃を仕掛けてくる気配はなかった。


 恭介は安堵のため息をついて、エクストリーム・クロスを解除する。左腕が再び、欠損した状態に戻った。


「ごめんね恭介くん、あたしがもっと早く動いてれば……」

「ん? ああ……。まぁしょうがないさ。嬉しかったよ」


 とはいえ、腕がないのはかなり不便だ。幸い、別の骨を継ぎ足せば機能はするはずなのだが。


 ま、今は全員の無事を喜ぶことにしよう。あれだけの人数が集まれば、できることもかなり増えてくる。問題は、他にこの大陸に飛んできている生徒がいないかどうかだ。もう少しそのあたりを調べる必要があるだろう。

 あとは、血族の動向も気になる。新大陸は、血族の拠点があると目されていた土地のひとつだ。ここが連中の膝下である可能性も考慮して、慎重に動かなければならない。


「凛、これからも、かなり無理をさせると思うぞ」

「んーん、良いよ。恭介くんがするつらい思いは、あたしも一緒にしたいから」

「そうか」


 フィルター切れ、という窮地は、おそらくこれから他の生徒たちにも降りかかる。だが少なくとも、凛はそれを乗り切ることができたのだ。他のみんなだって、できないことではない。

 恭介は、暮れかけた夕日を眺めて、ぽつりと呟いた。


「凛が一緒で良かったよ」

「へっへっへー、あたしもー」


 そんな会話をかわしながら、2人は丘陵の方へと歩いて行った。

























 既に、周囲を取り囲まれてしまっている。夜の砂漠は冷たく、身体の自由を奪うには十分すぎるものだった。周囲を取り囲む小悪魔インプ達は爛々と目を光らせ、こちらに狙いを定めている。この包囲網を突破するには、こちらの戦力はあまりにも貧弱すぎたのだ。

 白馬一角はくば・かずすみは、後ろを振り向いた。蜘蛛崎糸美と触手原撫彦。触手原はともかく、蜘蛛崎の方はそこまで戦い慣れしていない。おまけにどちらも、機動力は鈍重だった。


 触手原に蜘蛛崎を守ってもらう形で、白馬と、そしてもうひとり、犬神がインプ達を退けている。クラスの中でも飛び抜けて高い治癒魔法を行使できる白馬は、パーティ全体の継戦能力を大きく向上させてはいた。

 既に獣化した犬神は、手近な小悪魔に次々と襲い掛かり、喉笛を噛みちぎっては放り捨てている。月の満ち欠けはだいぶ満月に近づいており、その戦闘能力は真価を発揮している状態にかなり近い。


 が、それでも、主戦力を犬神ひとりに任せている状況は、ジリ貧であった。


「ぐるぉおおうッ!!」

「ぴぎィッ!」


 犬神は、放たれる魔法を次々と避け、魔力キャパシティの低い小悪魔たちがガス欠した瞬間をついて、またも飛びかかる。


「どうすんだ白馬、敵の数、ぜんぜん減らねーぞ!」

「このままじゃ、押し切られちゃう!」


 後ろの2人からも悲鳴が上がった。せめてあと一人いれば、話も違うのだが。そもそもここはどこなのか。白馬も角を振りかざして応戦しながら、必死に考えを巡らせる。

 その時、敵の群れに深く切り込んでいた犬神が、飛び跳ねるようにしてこちらに戻ってきた。


「どうした、犬神!!」


 獣化した犬神響に声帯はない。彼女は四足を地面につけ、身体を低くして唸り声をあげた。牙をむき出しにしたまま、双眸が宵闇を見つめている。警戒心を顕にしているのだ。

 その時、白馬の脳裏には嫌な予感が掠めた。血族の天敵である犬神には、生来、連中の存在を嗅ぎ分けるだけの能力が備わっている。彼女がこれだけの警戒を見せているのはだいたいいつも、血族が絡んでいる時だった。


 白馬は目を凝らし、犬神の睨む方向に注意を向けた。


「フフフ……。4匹もいるのね。これはあたりかしら?」


 まずは、女の声が聞こえた。


「そうかもしれない。戦力を動員してきた甲斐もあったってものだ」


 次に、男の声が聞こえた。


 闇の中に、ぼうっと2人の影が浮かび上がる。ゴシックロリータを身にまとい槍を携えた少女と、タキシードを着た青年の姿だ。2人は仲睦まじげに、互いの指を絡み合わせていた。白馬は小さく舌打ちをする。見ただけで、2人がどれほど親密な関係であるのか、わかってしまう自分が嫌だった。


「あいつらか」


 白馬が小声で尋ねるが、犬神は頷かなかった。

 相変わらず可愛げのないやつだな、と思ったが、どうやら無視しているわけではない。そうわかったのは、白馬がインプの向こうで自分たちを取り囲む、他の影の存在にも気づいたからだ。


 そびえるような、恐ろしげな異様。合計6本の腕が生え、2つの顔と4つの瞳が、爛々と輝いている。後ろで、蜘蛛崎が地面にへたり込むのがわかった。おそらく、トラウマを刺激されたのだ。

 かつて白馬たちをあの地下迷宮で襲った、死霊の王。それが、2人の血族に率いられるようにして、少なくとも十数体、こちらを包囲していたのである。

次回は20日朝7時です。

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