第68話 鬼の住まう国
繰り上げ的な感じではありますが、一時的に四半期ランキング4位くらいに入れましたよー。
ありがとうございますー!
突如、真横から吹き付けてきた黒い炎。それは、ポールアクスを振りかぶった冒険者を女を飲み込み、その身体を焼いた。恭介の目の前で、女が絶叫じみた悲鳴をあげる。炎は一切の容赦も、呵責もなく、恭介の身体をも焦がそうとした。
恭介はこの炎を知っている。暗黒魔法、あるいは混沌魔法と称される、モンスター特有の攻撃魔法、そのひとつ《邪炎の凶爪》だ。
一瞬、恭介は他のクラスメイトが助けにきてくれたのだろうかと思った。
邪炎の凶爪は、サキュバス佐久間の得意技だからだ。あるいは、丘間カオルも暗黒魔法を使いこなすことができる。
だが、悲鳴が後ろからも聞こえてきた瞬間、その考えを打ち消した。
その一撃は、たとえ恭介を助けるために放たれたものであったものであったとしても、明らかに威力過剰であったのだ。
「レイン!」
剣を携えた、冒険者のリーダーらしき男が女の名前を呼ぶ。黒い炎は女の身体をにまとわりつき、身を焼き続けた。肉の焼ける嫌な臭いが、周囲に充満していく。聖職者らしき格好をした女冒険者が杖を掲げ、継続して治癒魔法をかけ続ける。
「まずい、また出たぞ。レッサーデーモンだ!」
そう言って、盗賊の男が炎の吹き付けてきた方を指差した。
冒険者たちは、一斉に視線をそちらの方へと向けた。恭介もつられて見てしまう。
「(なんだ、あれは……)」
そこに立っていたのは、ひょろりと高い背丈を持つ、不気味な出で立ちの異形である。
肉付きは決してよくない。あばらの浮き出た体躯は、一見貧弱ですらある。頭部はヤギによく似ており、背中には翼を生やしていた。身の丈は2メートルを超えている。双眸は血塗られたように紅く、ぎらぎらと不気味な輝きを宿していた。
それまで、こちらに襲いかかってきていた冒険者たちは、すでに意識を完全にあちらへ向けている。その表情には緊張の色が濃かった。
レッサーデーモン、と言っていたか。
おそらくは、この土地固有のモンスターだ。恭介は己のゲーム知識を元にその性能を探ることもできたが、まずは逃げ出すことを優先した。冒険者たちはレッサーデーモンに気を取られているし、レッサーデーモンも、こちらではなく冒険者たちを狙っている。
「凛! 御手洗!」
恭介は振り返って、2人に声をかけた。
「あ、きょ、きょ、恭介く……」
「逃げるぞ! 合体はできるな!」
「あ、う……」
凛の返事は硬かったが、彼女はするりと恭介の身体にまとわりついて、肉体を構成する。まだ少し重いが、スライムの姿のまま地面を這わせるよりは、マシだろう。
御手洗あずきは、顔を青くした様子で冒険者たちの姿を見ていた。目の前で女が丸焦げにされた光景が、少し堪えているのかもしれない。だが、恭介にはそこを気にかけてやるだけの余裕はなかった。今が命を永らえる千載一遇のチャンスなのだ。
恭介はあずきを抱きかかえ、一気に地面を蹴った。背後で轟音が響く。振り返っているだけの余裕はない。方角すら気にせず、ただひたすら走って、なんとかその場を後にすることに成功した。
しばらく走ると、少し景色の変わった場所にたどり着いた。荒地はやがて草原に変わり、草木の茂る比較的なだらかな丘陵にたどり着く。この付近までたどり着くと、先ほどの戦闘もだいぶ遠くなったはずだ。だが、少し内陸部まで入り込んでしまい、海からは遠ざかったような感覚がある。
スケルトンである恭介は、肉体的な疲労とは無縁である。特に息を切らすわけでもなく、ようやくそっと、あずきを地面に降ろすことができた。凛も恭介と合体を解除し、ずるずると丘陵の上に身体を滑らせる。
「なんとか、命拾いしたな」
恭介も手近な岩に座り込んでため息をついた。
「………」
「………」
返事は、ない。あずきはまだ青い顔をしており、凛はぷるぷると震えていた。
こういう状況は苦手だ。恭介はコミュニケーション能力が闊達ではないのである。だが、この状況ではそうも言っていられないだろう。最初は言葉を選ぼうとしたが、なかなかいいものが思いつかず、最終的には自らの思いをそのまま切り出すことに決めた。
「まず状況を確認したいんだ。御手洗、話せるか?」
声をかけると、あずきは顔をあげ、何かを喋ろうと口を開けた。だが、まだ言葉が出てこない様子である。恭介は無理に喋ろうとする彼女を、片手で制した。
「わかった。落ち着いてからで良い。先に俺たちの方を話そうと思うけど、凛は?」
「ん、ちょっとなら、へーき……」
「よし、じゃあ俺がメインで話す。凛は補足があったら頼む」
クラス委員の竜崎は、いつもこんなことをやっていたのだろうか、と恭介は思った。彼のように、折衝能力や意見をまとめる能力に長けている仲間が一人でもいれば、この場は楽である。
無い物ねだりをしてもしょうがない。そんな人物がいないなら、自分がまとめ役になるしかないのだ。
「まず俺と凛は、目が覚めたら砂浜にいたんだ。多分、紅井とルークの戦いがあって、そこでワープ的なことが起こったんだと思う。他にクラスメイトは見かけていない。御手洗が最初だ」
あずきは、こくこくと頷いていた。
「次に、ここがどこか、っていう話になる。さっきの冒険者は新大陸って言っていた。俺は、あんまり竜崎たちの持ってる地図には目を通していなかったんだけど……」
そこで、恭介は周囲をきょろきょろと見回す。
「なんか、書くものないかなぁ……。ないか」
ひとまず、新大陸と目的地の位置関係だけでもはっきりさせておきたい。
恭介たちは当初、海洋連合国家アルバダンバから、海を渡って北東にあるヴェルネウス半島を目指していた。だが、アルバダンバを発ってからしばらくしない海上で、ルークによる襲撃を受けたのである。
新大陸は、海の南側にある大陸だ。その全容まるで明らかになっておらず、一部の冒険者が訪れる以外、人の立ち入ることはほとんどないと言われている。
「事実だとしたら、大変なところに飛ばされちゃったよね……」
凛がぽつりと呟いた。
「そうだなぁ……」
恭介も腕を組んで頷いた。あまりペシミスティックには考えたくないのだが、状況ははっきり言って、かなり悪い。
「ひとまず、俺たち以外に飛ばされてきてるクラスメイトがいるなら、そいつらと合流したいんだ。御手洗、誰か見てない?」
あずきは首を横に振った。
「私もその、えっと、目が覚めたら砂漠のあたりにいたので……」
「そこで冒険者に襲われたんだな」
「あ、はい……」
あずきは、先ほどからやたらと両手をこすり合わせている。癖のようなものだろうか。
そういえば、御手洗あずきは潔癖性だった。戦闘の最中、冒険者に追いかけ回され、彼女の服装は泥で汚れてしまっている。し、逃げる際に彼女の身体を思いっきり抱きかかえてしまった。
「……御手洗、身体洗う?」
「………」
恭介がおずおずと尋ねると、あずきは躊躇いがちに頷いた。
妖怪あずき洗いへの転生は、彼女にとって福音であっただろう。少なくとも、こうした水のない状態においても、あずきは種族能力を使って、何かを洗うことができる。
とはいえ野っ原だ。草原だ。遮蔽物のようなものは、ほとんど無い。
「ひとまず、えーっと、凛、見張りを頼んで良いか? あの辺の茂みで済ますとして」
「おー、そうだねー。あたしが見張ってるね。あずにゃん、それで良い?」
あずきは無言のまま、こくこくと頷いた。
あずきと共に茂みに向かおうとした凛を、恭介は一度、呼び止める。
「凛、大丈夫か?」
「えっ、なにが?」
「モンスターに襲われたとして、対応できるか? 俺が行ったほうが良いか?」
スライムな彼女は、一度動きを止める。彼女の表情も、恭介はだいぶ読み取れるようになった。
「……わかんない。おかしいよね、なんか、急に怖くなって」
「多分、紅井の言いかけた奴だ」
「フィルターだよね。あたしも、そう思う……」
今にして考えてみれば、おかしい話だったのだ。多少の混乱はあれど、それぞれ自らの姿を自然に受け入れ、順応も早かった。人の形をしたものと戦い、それを殺すことにほとんど抵抗を覚えなかったのである。
それが、紅井の言わんとしていたフィルターというものだと、恭介は想像していた。本来人間が抵抗を覚え、躊躇するような物事に対してフィルターをかける。だから恭介と凛は、これまで3人の血族を、殺害することができたのだ。
「恭介くんは? 平気なの?」
「今のところはな」
と、言いつつ、恭介はなんとなく、自身のフィルターが既に切れてしまっているような自覚があった。
アルバダンバを発つ直前、トキハラを手をかけたことに対して覚えたわずかな違和感。今にして思えば、あれがフィルター切れの証左であったのかもしれない。
だが、それだけだ。冒険者に襲われたあずきを助ける際には、恭介ははっきりと『必要とあらば、人間を殺す』と宣言した。それ自体が異常なことなのか、あるいは極限状態においては正常な反応なのか。恭介としては、もうどちらでも良かったが、必要以上に凛を怯えさせるようなことは言いたくなかった。
「そっか……。個人差があるのかな」
「あの様子だと御手洗もフィルター切れしてるな」
「うん……。でも、大丈夫だよ。モンスターくらいならへーき。あんまり良い気分じゃないと思うけど。戦える」
「わかった。なんかあったら呼べよ」
「そー言って覗くのはナシだかんね?」
言葉にはいささか覇気がなかったが、冗談を言える程度には回復しているらしい。恭介は、苦笑いする代わりに凛を蹴っ飛ばしてやった。
御手洗あずきは、少なくともルックスに関して言えばアタリのモンスターを引いた。和服に蓑笠をまとった和風少女といった出で立ちだ。なので、彼女が身体を洗うといえばドギマギして然りの状況でもあるのだが、今の恭介にはそれだけの余裕がない。
「おまたへー、あずにゃーん。おー、割と着痩せするねぇ」
「ひ、姫水さんやめて……。気にしてるので……」
そうか。着痩せするのか。
茂みの方から、御手洗あずきの身体を洗う音が聞こえてくる。恭介はふと、砂浜に置き去りにしてきたアサリのことを思い出した。桶と水を自由に出し入れできるあずきがいれば、アサリの砂抜きは割と簡単にできたのではないか。
どのみち、食料は改めて確保しなおしだ。
今後、どのようにして他の生徒と合流を目指すか。冒険者や野良モンスターの攻撃をいかにして防ぐか。今後の課題は極めて多い。
「(冒険者……人間か……)」
この世界の人間、それの武力を持った人間と敵対するのは初めてとなる。
自分たちがモンスターだということを、改めて実感させられる瞬間だ。クラスがバラバラになり、さらにフィルター切れという危機が重なる状態で、これは望ましい展開ではない。
「(だとしても、生き残る。それでまた、全員で会うんだ)」
その為なら、相手が人間であっても、手をかける覚悟はある。
恭介は蒼穹を見上げ、一人で静かに、決意をかためていた。
ゴールドランクの冒険者、レスボンをリーダーとした冒険者パーティは、レッサーデーモンとの戦闘を終え、なんとか中継キャンプまで引き返すことに成功した。
ポールアクス使いであるレインは、全身に火傷を負う重症である。単なる火傷とは異なり、暗黒魔法でつけられた傷は、治癒魔法の効きが、あまり良くない。仮に快癒したとしても、痕は残るだろう、と回復役のフィルハーツは言った。
冒険者ギルドでは、新大陸への渡航をゴールドランカー以上にしか許可していない。新大陸は神話戦争の時代において、“魔の王”が撤退した場所であり、現在も魔の王直系のモンスターが大量に跋扈しているから、というのがその理由だ。
事実、レスボン達はこれまでに、10体近くのレッサーデーモンと交戦している。
新大陸は、旧大陸西部と並んで最大規模の人跡未踏地帯だ。探索によって得られる成果は大きいが、その分、危険も付きまとう。
「そろそろ撤収を考えた方が良いかもしれんな」
ローブを纏った魔法使い風の男、パーティのサブリーダーであるウェイガンがそう言った。
「壁役であるレインがここまでダメージを受けていると、今後も戦いを続けるのが厳しい」
「ああ、だがこのままだとビミョーに採算がとれないんだよな……」
レスボンは腕を組み、考える。
「やっぱり新大陸の固有種をもう少し狩っておきたい。あのスケルトンとか、スライムとか。あとあの女のモンスター、あれはなんだ?」
「アズキアライだな。新大陸固有種だ。魔の王直系種とも少し血統が異なる。ウォンバットかフィルハーナなら詳しいと思うが」
およそ200年前、人類が未曾有の危機に見舞われたことがある。その起源をまったく異にする複数の脅威が、人類に対して牙を剥いたのだ。
その中に、旧大陸の東側から、海を渡ってやってきた修羅の軍勢と呼ばれるものがあった。現在も、大陸の東側には“対修羅沙海上防衛要塞跡”が、当時の戦いを伝える痕跡として残されている。
アズキアライは、修羅の軍勢に混じっていたモンスターの一種だ。現在となっては、その存在は中央帝国の文献が伝えるのみだが、近年新大陸で発見された。これは、旧大陸の東にあるとされた修羅の軍勢の故郷と、新大陸が地続きになっているという地質学の学説を裏付ける証拠として、学者連中の間では盛んに議論されているらしい。
アズキアライだけではない。学説が正しいのであれば、修羅の軍勢の中核を担っていた、テングやオニ、ヌエ、ツチグモなどといったモンスターもこの新大陸に生息しているはずである。
レスボン達は、そういった新大陸固有種(修羅族とも呼ばれる)モンスターを捕獲、あるいは捕殺し、冒険者ギルドを通して中央帝国の学者連中に売りつける目的で、この地を訪れていた。帝国の稀少生物書士隊からすれば、喉から手が出るほど欲しいサンプルであるに違いない。
「やっぱり、もう少し東に行かないといないのかなぁ……。あのアズキアライははぐれモンスターか?」
「どうだろうな。なんとも言えん」
2人が会話を交わしていると、偵察に出ていたウォンバットとフィルハーナが帰ってきた。
ウォンバットは盗賊から冒険者に転向した、典型的な探索タイプだ。フィルハーナは最近ゴールドランカーになったばかりの年若い少女で、神託魔法という、冒険者にしては珍しい回復手段を用いることができる。
「おい、レスボン。朗報だぞ」
少し興奮した様子で、ウォンバットがそう切り出した。
「何かあったか?」
「見つけたんだよ。新大陸固有種だ。4匹くらい固まってる。それも別々の種族だぞ」
「本当か?」
レスボンは思わず立ち上がってしまった。
見つけたのは、カラステングをはじめとした中級の新大陸固有種だ。残念ながら、オニやヌエのような上級種ではないが、それでも資料がほとんどないようなモンスターである。高く売り飛ばせるのは間違いないだろう。
「わかった。レインは動かせないから、1人が護りについて、3人でいこう。レッサーデーモンにだけは気をつけてな」
中級程度なら、ゴールドランカー3人でも十分対処ができる。バランスを考えるなら、ウォンバットにレインを看てもらうことになるだろうか。
考えていると、フィルハーナがおずおずと切り出してきた。
「レスボン……、本当に行くんですか?」
「ん、どうしてだ?」
「アズキアライを追いかけている時も思ったのですが、彼らをモンスターとして捕獲することに強い抵抗があります。あの時、アズキアライは明らかに恐怖を覚えて逃げ回っていましたし……」
「まあ、そりゃあなあ……」
レスボンは、ぽりぽりと頭を掻きながら言った。
「高度な知性や社会性を持つモンスターっていうのはよくあるから、感情移入する冒険者が多いっていう話はよく聞くな。エルフやドワーフも200年くらい前まではモンスターの括りだったっていうし」
「だったら……」
「でも、その辺も含めてちゃんと調べなきゃわからないことだろ。連中が200年前に人類に牙を剥いたのは事実なんだし」
生き物なんだから、恐怖を覚えて逃げ惑うのは当然のことだ。それが、たまたま人間に近い姿をしていて、人間と近い知性を兼ね備えているだけ、というそれだけの話である。
もっとも、ここの線引きは曖昧だ。それこそ、エルフやドワーフのように、時代の変化とともに人類の一員と認められるようになる種族もいる。しかし今の段階では、アズキアライはモンスターなのである。
このあたりを難しく考えていては、冒険者稼業はままならない。毎日毎日ダンジョンに潜って日銭を稼ぐならまた話は別だが。大陸北方の冒険者自治領ゼルメナルガでは、まだそういった冒険者が主流であると聞いている。
レスボンは、そのような冒険者のことは“モグラ”と呼んで軽蔑している。あれは田舎者の稼ぎ方だ。
レスボンが丁寧に解説をすると、フィルハーナはやがて観念したように頷いた。
「とりあえず、そいつらを捕まえたら撤収の準備をする。思ってたよりレッサーデーモンとの遭遇率が高いから、慎重にいこう」
レスボンが指示を出し、この冒険者パーティの方針は、そのように決定された。
あずきは、身体と服を洗い、つやつやテカテカの状態で再び恭介の前に姿を現した。髪がしっとりと濡れ、潤いを取り戻した肌は妙に色気があるが、現時点でそこは重要な問題ではない。綺麗好きのあずきも、身体の汚れを落とすことでようやく一息をつけたらしい。
「モンスターは出ませんでした、参謀!」
ぴっ、と敬礼のように身体を変形させる凛。恭介は頭を掻きながら頷いた。
「久しぶりに聞いたな、参謀……」
「また1ヶ月くらい誰も言わない日が続くよ。恭介くんが参謀だってことを思い出すためにあたしは定期的に言うよ」
「お、おう……」
凛の方も、いつもの調子を取り戻している。ひとまず、リラックスして話ができそうだ。
「この大陸に飛ばされたのが、俺と凛と御手洗だけ、ってことは、ないと思うんだけど」
手近な岩に腰かけ、恭介が話を切り出す。あずきは、やはり手近な岩を見つけると、水で洗い流したあと、手ぬぐいのような布をかけてその上に腰を下ろした。大した念の入り用である。
「とりあえず、俺と凛は割と近くにいたから、近い位置に飛ばされたんじゃないかと思う。御手洗は、飛ばされる前、近くに誰がいたか覚えてるか?」
「ん、んー……。あの時は慌てていたので……」
あずきは小首をかしげている。
「でもその理屈で言うと、ウツロギくんと一緒に火野くんもいるはずなのでは?」
「瑛か……」
幼馴染の名前を出され、恭介は少し、苦い顔……は、作れなかったので、とりあえず苦い感じのニュアンスを声に出した。
「あいつ、飛ばされるタイミングでちょっと離れた場所にいたんだ」
「あたし達よりは、みゃーちゃんとかの方が近くにいたよね」
特に安否が心配なクラスメイトの一人ではある。誰が無事で、誰が無事でなくても良い、ということはもちろんないが、それでも生まれてこの方17年、連れ添った親友である。ここ最近は、言葉を交わす機会があまりなかったことも、心配に拍車をかけていたかもしれない。
「さっちゃんとかも心配だね。確か、紅井さんの一番近くにいたと思う」
「カオルコや春井達もそうだな」
この転移事故を、紅井自身が意図して起こしたというのなら、紅井の一番近くにいたという事実はどういった意味合いになってくるのか。
あの時、彼女は『なるべく離れろ』と言っていた。真っ先に光に飲み込まれた佐久間祥子たちが、果たしてどうなったのか。紅井は何を危惧して『なるべく離れろ』と言ったのか。あまり、良い想像はできない。
「私の周りには確か……。雪ノ下さんとか、烏丸くんとか……?」
あずきは、首を傾げたままそう言った。
「割と引っ付くくらいの距離にいたはずなので……私がいた場所の近くに飛ばされていた可能性は、高いのでは?」
「なるほど。雪ノ下に烏丸か……」
「おー、和風妖怪ばっかりだ」
凛がちょっと嬉しそうに言った。その言葉に、あずきははたと手を打つ。
「そうだ。壁野さんもいたかも」
「ちーちゃんね。ということは、御座敷くんもいるねぇ」
クラスメイトの名前が挙がると、すぐに他のクラスメイトの名前が出てくるあたり、さすがはクラスの情報通だ。
とは言え、
「御座敷と壁野って仲良いの?」
「サッカー部のエースとマネージャーだよー? 何かあるよねー。ま、付き合ってるとかは聞かないけど、ちーちゃんはよく御座敷くんを見てたし」
「おまえよく見てんな……」
となると、最低でもその4人は、あずきがワープしてきた近くに飛ばされた可能性があると見て、間違いないだろうか。恭介は考え込む。この丘陵は比較的安全地帯のようだが、4人を探すとなると、再びあの荒地や砂漠に向かう必要が出てくる。
冒険者やレッサーデーモンと遭遇する可能性のある、危険な場所だ。おいそれと向かうべきではない、が、逆に言えば、あの4人はそうした危険地帯にまだ取り残されているということでもある。
「恭介くん、行くの……?」
凛がおそるおそる尋ねてきた。
「ああ、行く」
恭介は頷いた。
「き、危険なのでは……?」
「危険は百も承知だ。別に、自棄になってるとかじゃなくてさ」
あずきの言葉に、恭介はゆっくりと語る。
「自己犠牲とか、他者優先とかでもなくて。なんか、結局、やりたいこととか、起きて欲しくないこととか、そういうのを考えると、こうするしかないなっていう答えがあって、こうするしかないなら、そうするしかないなって」
「でも、恭介くん、一人だとすっごく弱いじゃん……」
凛の言葉は核心をついた。そう、そうなのだ。恭介は一人だと弱い。ちょっと身体が頑丈な程度のスケルトンでしかない。武器があればまた別なのだが、徒手空拳なのだからなおさら貧弱だ。
だが、恭介はそれも承知の上だった。承知の上で、自分勝手だとは知りながら、取るべき手段はひとつしかない。
「知ってるよ」
こうするしかないから、そうするしかない。
「だから凛、力を貸してほしいんだ」
「あー……」
凛の声には、わずかに苦笑いするようなニュアンスが含まれていた。
「そう来たかぁ……」
「もちろん、人間の冒険者に遭遇したら一目散に逃げる。レッサーデーモンと遭遇してもそうだ。逃げるにしたって、俺が一人で裸のまま逃げるよりは、凛の力があった方が逃げやすいんだ」
いつか、こういうお願いをしなければならない時が来るような気はしていた。
自己犠牲を語る気はないが、それでも恭介はよく他人を救うために危険を冒す。だがそこで、恭介が可能な限りのリスクヘッジを行おうとすれば、凛や瑛の力を借りざるを得ないのだ。凛はいつも喜んで同行してくれた。瑛は文句を言いながらも、常に恭介の意にそぐう判断を下してくれた。
しかし、いつまでも彼らが頷いてくれるとは限らないのだ。そんな時でも、恭介は自分がしたいと思った我が儘を貫き通すために、彼らに無理を言わなければならない。
「まー、そう言いつつ恭介くん。烏丸くん達を逃がすために、自分がしんがりを務めるのも視野に入れてるんでしょー?」
「う、ま、まぁ……」
「あたし、今、ビビりだよ? 身体、固まっちゃうかもしんないよ?」
「その時は俺がお姫様抱っこしてでも連れていく」
そんな2人の会話を、御手洗あずきがぽーっとした様子で眺めていた。
「良いなぁ……」
「おっと、すまんねあずにゃん。見せつけるつもりはなかったのよ。はっは……あだっ」
何やら余裕ぶっこいた発言をする凛に、恭介はとりあえずデコピンをかました。
「そういうわけなんだけど……。御手洗にはもちろん、道案内について来てもらわなきゃいけない。大丈夫か?」
「まぁ、私も、クラスメイトは一人でも多い方が心強いので……」
こくん、と御手洗あずきは頷いた。
これで、一応は満場一致か。日は傾きかけている。夜になると探しにくくなるから、できれば、早いうちに捜索に出たい。恭介が立ち上がって、丘陵から砂漠の方を眺めていると、凛がちょいちょいと足を突っついた。
「恭介くん恭介くん。一応言っとくけど、マジでね」
「ん?」
「あたしやっぱり、人を殺すのが凄い怖い」
押さえられた声のトーン。姫水凛が、陰鬱な言葉を紡いだ。
「今まで、何の疑問も持ってなかったことも、凄い怖い。今までに殺した3人、全員、あたしの能力だよね……?」
1人目、名前を知らないポーンは、凛の水流噴射で加速したキックで、腹に風穴を開けて殺した。
2人目、ナイトのスオウは、身体の一部を体内に侵入させ、中から食い破るエクストリーム・ブロウで殺した。
3人目、ポーンのトキハラは、やはりエクストリーム・ブロウで殺した。
純粋に、凛の能力であるとは言い難い。だが、恭介の身体に生々しく残る感触と同じものが、おそらく凛にもあるのだろう。それで正気を保っているのも、恭介に同行すると言ってくれるのも、あるいは、彼女の強靭な精神力のおかげなのかもしれない。
「だから、あたし……」
「凛にこれ以上、誰かを殺させる気はない」
恭介はきっぱりと言った。
「必要なら、俺が殺す」
「……できるの?」
それが、精神的なことを言っているわけでないことは、恭介にもわかった。
空木恭介は、それ単体では、ただの貧弱なスケルトンだ。
でもこれはきっと、できる、できないの問題ではないのだ。恭介に、選択の余地は残されていない。
「そうするしかないなら、そうするしかないさ」
次回更新は18日になりますよー。




