第67話 新大陸へとべ
この“城”に連れてこられてから、既に1ヶ月近くが経過した。
食事は一日に三度しっかり与えられ、ある程度行動の自由も認められている。
元の世界から持ち込まれたテレビゲームや漫画など、退屈を潰すための娯楽用品も多く揃えられてはいたが、小金井芳樹は、あまりそういったものに手をつけなかった。あれだけ好きだったソーシャルゲームのノベライズ本なども、手に取ってはみたが、どうしても開くつもりになれなかったのだ。
一度、自分が滅多にやらないレトロゲームなどを頼んでみたことがある。が、それもやはり、ほとんどやらないうちにやめてしまった。空木恭介がこういったゲームが特に好きだったはずなのだが、やはりどうも、良さや面白さというのがわからない。
この城で過ごして1ヶ月になるということは、スオウが死んでからも、1ヶ月近く経過しているということだ。
アケノは、『スオウと違って隠し事が苦手だから』という理由で、様々なことを教えてくれた。
自分たちは、血族の計画によってこの世界に連れてこられたこと。クラスのクイーンである紅井明日香は、その血族の一員であったこと。血族が持つ因子の話や、“フィルター”の話。フェイズ2と呼ばれる能力の話。血族の中の序列の話。血族の目的の話。
鷲尾吼太を殺害したのが、アケノであること。
スオウを殺害したのが、空木恭介であること。
それらの話を聞いたとき、小金井は情報を処理しきれず、曖昧な返事をすることしかできなかった。怒りのようなものは湧いてこず、その代わり、しばらくのちに喪失感じみたものを覚えた。
彼に謝罪をする機会すら得られずに、彼に会う機会を永遠に失ってしまった。あの時、アケノに掴みかかっても良かったのだ。だが、小金井はそれをしなかったし、できなかった。自分でも、鷲尾の死を受け入れられていないのかもしれない。
では、スオウの死についてはどうだ。友人の命を奪った空木恭介―――彼に殴りかかることができるかと言えば、やはりできない。恭介が、小金井が学校で得た最初の友人であるという事実は、そこに関係してくるだろうか。
結局、小金井芳樹という存在は他者の生命や痛みというものに、鈍感な生き物なのかもしれない。
行動を起こしたのは、ちょうど1ヶ月が経過した、その日のことである。
アケノはときおり、小金井の様子を見に来る。だがそれは、『スオウが気にかけていたから』という以上の理由はないと、本人が言っていた。鷲尾を殺害したことにたいする形式上の謝罪はあったが、それだけである。どうやらアケノ自身、小金井のことがそう好きではないらしい。
だが、そのアケノのおかげで、小金井はフェイズ2能力《精霊憑依》を使いこなせるようになっていた。レア種族かつレア能力の組み合わせだ。ポーンクラスの血族ならば相手にならない。そのため、先述のとおり、“城”での自由行動も許されている。
小金井に血族因子が注入されていないのは、一度血族化した場合、渇血症を防ぐためにハイエルフの血を定期的に摂取する必要が出てくるためだ。ハイエルフはその数を大きく減らした稀少種族であり、その血の入手は容易ではない。
つまり、現在小金井は王の支配下にない。脱走や反逆を企てようとすれば、もしかしたら可能なのかもしれない。
久しぶりに部屋を出、小金井は“城”の中をうろついた。この拠点が果たしてどこにあるのか。海を2回ほど渡った記憶はあるが、それ以上のことは小金井にはわからない。
やがて小金井は、“王”の眠る部屋へと、足を踏み入れた。
“王”は、ボロ雑巾のようになった身体を、フラスコの中に浮かべかろうじて生命を維持している。その“王”のフラスコの前には、玉座に腰掛けた少女が鎖に繋がれ、“王”の言葉をしゃべるためだけに生かされている。この光景は、小金井が見ても眉をしかめるほどの醜悪なものだ。
玉座の方からは、話し声がする。見れば、2人の人影が、代弁者たる少女と言葉を交わしていた。
「……む?」
玉座に腰掛けた少女がふと、虚ろな顔をあげる。
視線が、小金井へと向けられた。小金井は小さく会釈をする。
「例のハイエルフか。姿を見たのは久々だな」
「……どうも」
少女にたいする安っぽい憐憫とともに、彼女を喋らせているフラスコの中の王に、強い嫌悪感を抱く。
自分たちがこの世界に転移してきたのも、鷲尾が死んだのも、スオウが死んだのも、元をたどればこの“王”のせいなのではないか、という思いが、小金井の中にはあった。
むろん、王がいなければ、“ハイエルフの力”の力を得て一時の多幸感を得ることも、スオウという気のいい男と友人関係を築くこともできなかった。鷲尾と交流を深めることだってあり得なかったはずだ。
だが、あのフラスコの王に感謝する気持ちは、どうしても生まれてこない。
「なんの話、してたんですか?」
沈黙がいやなので、小金井はそう尋ねてフラスコの方へと足を進める。
フラスコの前に立っていた2人の男女が、小さく舌打ちをした。
「グレンとシンクに今後の指令を下していたのだ」
少女の口を借りて、王が答える。
グレン、シンクというのは、この2人の男女のことだ。タキシードを着た男、ゴシックドレスを身にまとった女。こちらの世界に即した格好なのかもしれないが、見た目は日本人なので、どうもコスプレ臭さが抜けないな、と小金井は思った。
見たところ、ポーンではない。ツーマンセルで行動するのは、原則としてナイトとビショップだ。
「お初にお目にかかる。僕がグレンだ」
あまり友好的ではなさそうな声で、男のほうが言った。
「あたしがシンク。あなたが、ゲートをくぐってきたハイエルフね。アケノが連れてきたのかしら」
「ええ、まあ……」
そこで小金井は、グレンとシンクが話をしている最中も、ずっと手を握り合っているのに気づいた。
リア充だ。爆発しろ、と条件反射に思ってしまう思考回路が、まだ小金井の頭の中には残っている。ただ、それを口にして笑い合えるような間の友人は、もういない。
「グレンとシンクは、長引いていた北方の戦線から先日呼び戻した」
“王”が小金井に説明する。
「明日香の離反によるゲート計画の遅延を鑑み、今後も少し、方針を変える必要がある」
ゲート計画。小金井たち2年4組の生徒をモンスター化させ、配下に従える計画だ。
アケノの話では、小金井を含めクラスの半分近くの生徒は、フェイズ3まで到達することでルーク級、クイーン級に匹敵する戦闘能力を期待できる算段だったという。それを各地の戦線に投じ、一気に中央帝国の中枢まで切り込むのが、当初の予定であった。
だが紅井の裏切りによって、その計画は潰えた。“王”の復活には、中央帝国への進軍は不可欠である。各地で人間たちと小競り合いを続けている血族を撤収させ、別の作戦に切り替えるつもりなのだ。
「クイーンと戦闘したルーク“スカー・レッド”が重傷を負って城に戻ってきたのは知っているか?」
グレンが尋ねてきたので、小金井はかぶりを振る。
“王”は笑った。
「レッドは忠義者だ。ああなることを予期した上で動いたのだろう。事実、私の期待したいくつかの結果のうちのひとつが、今はもたらされている」
「期待した結果、ですか」
「君のクラスメイトはおそらく、大陸の各地に離散してしまっている。意図的な転移事故だ。明日香も激突の余波で彼らを殺さず、かつ、レッドを撃退するためには苦渋の選択だったのだろうな」
クラスメイトが、離散している? 大陸の各地に?
小金井は動揺した。アケノの話では、彼らはフィルター切れが近いのだ。その状況で、クラスメイトがバラバラになってしまったということなのか。あまりにも危険な状態だ。下手をすれば、個別に殲滅されたり、捕獲されたりしかねない。
その時、小金井は、彼らが血族に捕獲されれば、また会うことができる、などとは考えなかった。クラスメイトが一定数集まれば、おそらく血族は自分たちをフェイズ3に到達させるために因子の注入を開始する。その場合、自分も、彼らも、血族に逆らうことはできなくなる。
「既にポーンたちを編成し、シャッコウを中心にバラバラになった連中の捕獲に動き出している。グレン達に出している指令も、その延長だ」
いよいよ、小金井は緊張に身体を硬直させた。つまり、既に目星はついているということである。
虚ろな表情のまま、少女の口は淡々と、王の言葉を紡ぎ続けた。次の言葉は、小金井ではなく2人の血族に向けられたものだ。
「戦力の拡充は進めなければならない。2人にはこれから、新大陸に向かってもらうが、やってもらうべきことは多い。話したとおりだ」
「わかっています。“王”」
グレンは、シンクの手をぎゅっと握り締めて言った。
「お達しの指令は確実に遂行します。スオウ達のような轍は、二度と踏みません」
その言葉に、小金井はわずかに顔をしかめる。グレンの口からは、スオウの存在を軽んじるかのようなニュアンスが受け取れたからだ。
グレンとシンクは“王”に頭を下げて、小金井を一瞥してから広間を後にする。彼らはこれから新大陸に向かうと言っていた。バラバラになったクラスメイトの手がかりが、そこにあるのだろうか。なんとかして彼らについていこうと思ったが、しかし、ベストな言い訳が思いつかない。
玉座に腰掛けた少女はかくん、と糸が切れ、完全に黙り込む。小金井の動向など、まるで一切気にかけていないかのように、“王”は口を閉じた。
行けども行けども、草ひとつない荒地が広がっている。まるで3ヶ月前、大陸西方の荒野を彷徨っていた時のことを、恭介は思い出す。あの時と違うのは、今、自分たちが帰るべき場所も、わからなくなってしまったということだ。
日は高く、時刻はおそらく昼過ぎであることを示す。じりじりと照りつける日差しは、スケルトンである恭介から体力を奪うことはないが、心配なのは凛の方だ。
凛は恭介と合体したりすることもなく、ゆっくりと地面を這って移動している。
「……大丈夫か?」
「えっ、うん。ぜんぜんへーき!」
身体をむにょんと動かして答えた。
「恭介くんこそ大丈夫? 身体にダメージとか残ってない?」
「そういうのはないよ。大丈夫だ」
いつも元気な凛の口数が明らかに少ない。きっと、『ぜんぜんへーき』ではないのだ。だが、ここでどう追求したものだろうか。迷っていると、凛の方が先に別の話題に切り替えてしまった。
「みんな、どこ行っちゃったのかなぁ」
確かに、今一番気にするべきは、そこだ。
「俺たちがどこに来ちゃったのか、っていうのもあるな」
船上で発生した、紅井とルークの激突。その力のぶつかり合いが、恭介たちを転移させる原因となったのは間違いない。詳しいメカニズムまではわからないが、おそらく紅井は、こうなることをある程度予期して行動に移った。全力でルークと戦えば船は壊れてしまう。転移は意図的に引き起こされたものだ。
だが、どこに飛ばされるかまでは、おそらく調整が効かなかったのだろう。他のクラスメイトたちが一切見当たらないこの状況こそが、それを物語っている。
「うぅん……。恭介くん」
凛が、動物のような声を出して言った。
「なんだ?」
「あたし、おなか減ったよぉ」
「ああ、そういえば何も食ってないな……」
ここは、海からそう離れた場所にはない。なんらかの手段で方角が判明したとき、果たして海がどちら側の方角にあるかで、今後とるべき方針が変わってくるからだ。
もし海が北側にあれば、ここはアルバダンバよりさらに南下した場所であるという可能性が高い。いわゆる新大陸だ。旧大陸の北方部は寒冷な気候であると聞くので、流石にここではない。
ともあれ、食事か。
「食べられるものかぁ。こんなところで見つかるのかなぁ」
「見つかったとして料理できるのかな……。火を起こせる子もいないし、調理器具もないし、彩ちゃんもいない……」
言いつつ、足は自然と海の方へ向いていた。荒野で探すよりは可能性が高そうだ。
砂浜が広がり、この付近には植物も少し生えている。見たことのないシダ植物だ。凛はその葉にうにょーんと身体を伸ばし、葉っぱをちぎって飲み込んでみた。が、直後、猛烈に葉っぱを吐き出す。
「ぺっ! ぺっ! ま、まずいっ!!」
「エビの殻も食べた奴が?」
「あ、あたしそんなことしたっけ……」
恭介もシダ植物を手に取って口の中を放り込んでみた。猛烈な苦味と酸味が口の中に広がる。吐き出そうにも、吐き出す機能が備わっていないので、植物はするりと喉元を通って砂浜に落ちるだけだ。
「確かに、これは食べられないなぁ」
「でしょお?」
「と、言っても、魚釣りもできそうにないし……」
食べ物がない。
ひょっとして、これは、かなりまずい状況ではないのだろうか。
3ヶ月近く不自由をしてこなかっただけに、恭介は現状の悪さを再確認するのに時間がかかってしまった。だが、あの時はまだ恵まれていたのだ。考えてみれば当然である。あのダンジョンは、血族が自分たちにサバイバル生活を行わせるため、お膳立てした施設だったのである。
ここは違う。ガチのサバイバル能力が試されるだけでなく、本当に食べられるものがあるのかという、運も絡む場所だ。恭介は、以前図書室で読んだ本の内容から、使えそうなものを探すために、脳をフル回転させた。
「(なお、脳はない)」
くだらないジョークを思いつく程度だから、まだ心に余裕はあるのだろう。
「ともあれ、砂浜を掘って貝やらカニやらを探すしかない、な……」
「うーん、しょっぱい生活だ……」
恭介はそのまま、骨の指を熊手替わりにして、地道に砂を掘ることに決めた。
「恭介くん、たぶん、今引き潮だよね」
凛は、少し高い岩場に張り付いたフジツボのようなものを指して、そう言った。
「ああ、みたいだな」
「と、いうことは、砂浜の中の貝は水管を出している穴があるのではないでしょーか」
「あー、そうだな。アサリの目だ」
潮干狩りでアサリを探すコツだ。満ち潮の時、地中のアサリは呼吸をするために砂に穴を開け、水管を出す。もっとも、盛況な潮干狩り会場なんかだと、人の足音が多すぎて、“アサリの目”はすぐに引っ込められてしまうのだが。
「おまえ、相変わらずへんなところで博識だなぁ」
「えへへー。もっと褒めてー」
問題は、ここが異世界だということである。果たして、アサリという貝は存在するのだろうか。
アルバダンバに向かう途中の航路で、魚住兄妹や杉浦たちが捕まえてきた魚介類の中には、地球で見られる魚もそれなりにあった。と、いうことは、アサリに期待しても良い気はする。
「恭介くん、アサリは傾斜のある浜に固まって生息しているよ!」
「おまえ、なんでそういうトリビアは豊富なんだ……」
凛の言葉に従い、浜の中でも傾斜の出来ている部分、波によってえぐられている部分を探していくと、“アサリの目”のような穴が、砂浜にぽこぽこと空いているのが確認できた。
「姫水先生、ここでイイでしょうか」
「うむ、よろしい。掘りなさい」
凛はスライムなので掘れない。恭介の熊手アーム(骨)で砂浜を掘るしかないのだが、それでも5センチ程度掘ればアサリは出てくるのだ。
これがアサリの呼吸穴であるという保証はないのだが。
恭介がザクザクと浜を掘っていくと、小粒の二枚貝がちらほら出土し始める。
「おおおっ!!」
凛が感動の声をあげた。
「貝だ! 貝、これアサリ!?」
「どうなんだろう。実は毒がある異世界特有の貝って可能性もあるよなぁ」
「でも見た目はアサリだよねぇ」
出てきた貝を拾い上げ、2人は真剣に考え込む。
こういう時、奥村や五分河原がいれば、彼らが毒見をしてくれた。オークやゴブリンといった種族は、胃腸が非常に強くできており、毒を食べたくらいで身体を壊すなんてことはないのだ。
身体の頑丈さと悪食さで言えば、実は凛も良い勝負である。ただ、彼女は食べた毒素をそのまま身体の中に取り込んでしまうので、それが致命的な毒であった場合いきなり命に関わる恐れが出てきてしまう。
それでも恭介は、なんとなく聞いてみた。
「凛、食べる?」
「えっ!? ちょ、ナマは……嫌かなぁ!」
「エビの殻は食べてたのに?」
「うーん……。なんでだろうねぇ……」
凛の言動に、ちょっぴり違和感を覚える。別人のように感じる、というわけではない。ただ、三角コーナーの異名まで取った凛にしては、少しばかり食に対して消極的に思えるのだ。
まぁ、三角コーナー自体、名誉な称号ではないから、あるいは乙女心を自覚して人間らしい食事を摂取するよう心がけているのかもしれない。それを追及するような真似は、あまりにもデリカシーがないので、恭介もしない。
「問題は、これをどう砂抜きするかだ」
「バケツとかないもんね」
ごっそり集まったアサリを手に、恭介と凛がつぶやく。
「他に水を貯められるような……。あっ!!」
「なんだ」
「恭介くんの頭蓋骨!」
「ふざけんな!」
恭介は条件反射で叫び返してしまった。
「だいたい目とか耳とか穴が空いてるでしょーが!」
「そ、そこはあたしが塞ぐなりして……」
「それができるなら、凛がプールの形になって海水注いだ方が量も入るぞ」
「はい……。しょっぱいのは嫌です……」
今の凛は全身が味蕾になってしまったようなものだ。それに、長時間海水に浸しておくと、浸透圧の関係でやはりまた命に関わる。やめておいたほうが無難だろう。
「まぁ、砂抜きしてなくても食おうと思えば食えるさ」
「うっわー。すっごいジャリッて言いそう……」
「問題は、どうやって火を起こすかだなぁ……」
クラスの中でも、火を起こせる生徒というのは実は限られている。小金井がいなくなったあとは、もっぱら竜崎の担当だった。あとは瑛や佐久間、カオルコなどか。
道具も能力もない状況で火を起こすのは難しい。
「あ、そうだ。せっかくカンカン照りなんだからさ。干物にするっていうのは?」
「悪くないけど、今晩はメシ抜きだなぁ」
「そうだねぇ……」
まぁ、選択肢としてナシではない。その場合は、もっと大量に掘って大量に干しておきたいところだが。
恭介たちがアサリの処遇に関して思いを巡らせているときだ。
そう遠くない場所で、大きな爆発が起こったような音が聞こえてきた。はっと顔を上げ、視線を向ける。続いて、悲鳴と怒号のようなものが、徐々に近づいてくる。これは、戦闘の音だ。
「あずにゃんの声だ」
「御手洗か!」
恭介の声に、凛は頷いた。
出席番号37番、御手洗あずき。奉仕部所属。実家はクリーニング屋だ。やや潔癖症のきらいがあり、趣味は洗剤集めという変わった子である。クラスではあまり目立たない、大人しい少女だった。
転生したモンスターは“あずき洗い”。日本の妖怪だ。あまり戦闘力のあるタイプではない。彼女が戦いに巻き込まれているのか。
「行くぞ、凛!」
恭介はアサリを砂浜に放って駆け出そうとする。
当然、凛は『うん!』と叫び、ついてきてくれるものだと思っていた。
だが、実際のところ、彼女の反応があるまで、わずかに一拍ほど時間を要した。
「ん……うん、行こう。恭介くん」
凛はややためらいがちに、恭介と合体する。ストリーム・クロスによって驚異的な身体能力を得た恭介と凛は、砂を蹴りたて、音のした方へと急いだ。
しばらく走っていれば、戦闘の状況も見えてくる。御手洗あずきは、数名の男女に追い立てられていた。その様子を見ても、恭介が状況を理解するまでに、しばらくかかった。
「まさか、人間か……?」
そう、人間だ。恭介の身体を包む凛が、きゅっと全身を緊張させるのがわかった。
追いかけられているあずき、“妖怪あずき洗い”も、人間とそう変わらない姿をしたモンスターである。少女と差し支えないと言って構わない外見の彼女を、数名の武器を持った人間が追い掛け回している。
人間は全員で5人。武器を持っているのは3人ほど。男が2人に、女が1人。そこから少し遅れて、ローブやカソックなどに身を包んだ男女が1人ずついる。
冒険者だ、と恭介は直感的に思った。
帝国の支配から脱し、ギルドを組織して自由に振る舞う傭兵的存在である。多くの場合、商人が海を渡ったり、長距離を移動したりする際は、必ず冒険者に護衛を依頼する。それ以外にも、未開の地を開拓したり、モンスターを退治したりするのも、彼らの仕事だ。
帝国の支配から脱している以上、2年4組のクラスメイトたちとは、ある程度協力関係になれるのでは、と考えられている存在では、あった。
だが、彼らが今襲いかかる、退治しようとしている“モンスター”は、恭介のクラスメイトである。これを見逃すわけにはいかない。
「きょ、恭介くん!」
凛が声をかけてきた。
「なんだ、凛!」
「あの人たちと戦うの!?」
「必要ならな!」
もちろん恭介も、最初から暴力に訴えるつもりはない。だが、相手があくまでこちらをモンスターとしてしか見なさず、話を聞いてくれないというのなら、戦う。それだけの覚悟は、今までに積み上げてきたつもりだ。
「でも……人間なんでしょ?」
「ああ」
「恭介くん、人間と戦って平気? その……あの人たちを、殺せる?」
「必要ならな」
自分でも驚く程、その言葉を吐くのに躊躇はなかった。
「俺はスオウを殺したし、トキハラを殺した。あいつらだって人間だったんだ。必要なら、そうする」
「そ、そうだよね……。あたし達、殺したんだよね……」
つぶやく凛の声は、わずかに震えていた。そう、スオウを殺した時も、トキハラを殺した時も、そして名も知らぬポーンを殺した時も、恭介と合体していたのは凛だった。恭介と凛は、今までに3人の“人間”を殺害している。
わずかに、身体が重くなるような感覚があった。両手両足に、鉛をつけているような感覚。
「凛……?」
「ご、ごめん。なんか、あたし……」
やはり、大丈夫ではない。『ぜんぜんへーき』ではない。
今の凛は、何かがおかしい。
いや、あるいはひょっとして、おかしかったのは『今までの凛』や、恭介自身の方であって、今の凛は『正常』な反応を見せているだけに、過ぎないのではないだろうか?
恭介は、転移事故が起こる直前に、紅井の発した『フィルター』という言葉を思い出していた。
しかし、今、これ以上凛のことを気遣ってやれる余裕はない。
「凛、おまえは御手洗を頼む!」
「えっ……?」
「今のおまえは戦えない! そんな気がする!」
御手洗あずきは、必死に逃げていた。息も絶え絶えになり、生傷が目立つ。こちらに気づいた彼女は、わずかに安堵の笑みを浮かべた。その後ろ、あずきを追いかける冒険者たちも、恭介と凛の存在に気づく。
「でも、恭介くんは……」
「俺は戦える。一応な!」
あくまで精神的な話だ。徒党を組んだ冒険者を相手に、果たしてどこまでやれるか。
「ひ、姫水さん! ウツロギくん!」
あずきが叫び、こちらに真っ直ぐに走ってくる。飛び込んできた彼女を、凛が受け止めた。
「あずにゃん!」
「う、うう……。怖かった。怖かったよう……」
涙をすするあずきの声に、安堵しているだけの暇もない。恭介は、2人を庇うように前に出た。
追いかけてきた冒険者たちも、恭介たちの前で動きを止める。リーダーと思しき剣を構えた男が、訝しげに眉をひそめて言葉を発した。
「スケルトンと……スライムか? 奇妙な取り合わせだな」
剣を持った男の横には、ポールアクスを構えた女、短剣を持った男。
そしてその後ろには、ローブに身を包み杖を持った男。白いカソックのようなものに身を包み、やはり杖を携えた女がいる。戦士職2人、探索職1人、魔法職2人、といったところか。ファンタジーゲームの知識で、恭介はそう分析した。
「あんた達、冒険者か?」
まず第一声、そう尋ねると、冒険者たちはざわつく。
スケルトンが喋る、ということが、やはりこの世界では常識的でないらしい。
「おいウォンバット、喋るスケルトンなんていたか?」
リーダーの男が、盗賊のような姿をした隣の男に尋ねる。
「高名なネクロマンサーによって蘇生させられたアンデッドは自我を持つそうだが、種族としては聞かねぇな」
「上位種のヘルナイトは魔法を使えるんじゃなかった? でも言葉をしゃべれるっていうのは聞かないね」
ポールアックスを持った女が、盗賊の男に言葉を続ける。
だが、こちらの言葉に反応を返してくれる気配はない。恭介は、後ろの凛とあずきを気遣いながら、慎重に、かつ辛抱強く、言葉を重ねることにした。
「俺たちはあんたらに危害を加えるつもりはないんだ。だからこの場は……」
「返答するなよ、レスボン」
恭介が言い切るまでもなく、魔法使いらしき男が、リーダーの男にそう告げた。
「スケルトンではなく、ミミックのような擬態種の可能性もある」
「ああ、吸魂型の。ありえるな。会話を続けると、魂が少しずつ吸われてしまうタイプだ」
ウォンバットと呼ばれた盗賊の男が頷く。
あまり良くない流れだ。恭介は焦った。
「待ってくれ、そういうんじゃない! 別に見逃してくれれば良いんだ! あんた達だって、別に俺たちを狙うような……」
「ま、なんだって良いさ。レアモンスターなんだろ」
リーダーの男は、剣を構え直した。恭介が息を呑む。
「ただのスケルトンでないのは、間違いねぇな」
「じゃあ、」
男は、特にその顔に狂気を孕むようなこともなく、ただただ当たり前のことを口にするように、こう告げた。
「倒しちまおう」
後ろで、凛とあずきが小さな悲鳴をあげる。同時に、前に立つ3人の前衛職が、武器を構えて一気に突撃してきた。恭介は後ろに振り向き、叫ぶ。
「凛! 御手洗! 逃げろ!」
だが、空気を引き裂くような雷鳴が轟き、青い稲妻が凛たちの周囲へと着弾する。ローブ姿の男が魔法を使ったのだ。ただ一人、聖職者らしき格好をした女だけが、戸惑うようにおろおろしていたが、最終的に意を決したように、魔法を発動させる。
まっさきに突っ込んできた盗賊の短刀に、不思議な光が宿る。恭介は、背骨に悪寒の走るような感覚があった。あの光は、触れてはいけないものであるように感じたのだ。
「おらぁっ!!」
「っく……!」
盗賊の男の放った短刀の一撃を、辛うじて回避する。
続けて、リーダーの男が剣を振りかざす。短刀を避けたばかりの恭介は、そこで回避をとるだけの余裕がなかった。剣は、恭介の肩骨を強く強打する。紅井の血によって頑健になった骨は、砕けることこそなかったが、衝撃に耐え切れずバラバラに吹き飛んでしまう。
「お、意外と硬いぞ。こいつ!」
リーダーの男が叫ぶ。
「ならば私に任せろ!」
最後に飛び出してきたのは、ポールアックスを構えた大柄の女だった。
「恭介くん!」
後ろで凛が叫んでいる。確かに、あの一撃をもらえば、ひとたまりもない。だが、既に体勢は崩されてしまっていた。冒険者たちの連携は見事である。既に、恭介は避けられない。
ここで、“死”を覚悟できるほど、恭介は殊勝ではなかった。恭介が負ければ、次には凛とあずきにその手が及ぶ。ここで死ぬわけにはいかないのだ。
最後の一瞬まで、活路を見出さなければならない。
目の前に、女の構えたポールアックスの刃が迫っている。既に回避は間に合わない。他にどのような手が打てる? 恭介は必死に考えを巡らせる。どのようにすれば、この状況から生還できる?
だが、いくら探しても、そんなものは見つからなかった。状況は絶望的なのだ。ほんのわずかな反撃の糸口すら見当たらない。
「……くそおっ!!」
恭介の口をついたのは、悪態だった。
こんな唐突に、こんなあっさり、すべてが“終わって”しまうことなど、恭介には許容できるはずもない。
その瞬間、虚空を割いて放たれた黒い炎が、ポールアックスを構えた女を飲み込んだ。女の悲鳴が響き、ポールアックスが取り落とされる。恭介はその隙を見て、わずかに距離を取った。
今の炎は、《邪炎の凶爪》。
他のクラスメイトが助けにきてくれたのだろうか。佐久間か、カオルコか。そう思って、恭介が視線を向けると、そこにはまったく予想だにしない存在が立っていた。




