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第66話 タイムフォーセレクト

※現在4章を読みすすめている方へ

 平素より人外転生をご愛読いただきありがとうございます。

 この4章なんですが、8月18日あたりを目処に一気に改稿を行う予定です。

 改稿といっても細かい展開の修正や入れ替え、冗長な描写の削除がメインになり、全体の流れに変化はありません。



クラスメイト一覧作ったわよー


http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/346822/blogkey/1165935/

 戦いは終わった。2年4組が被った損害は、最低限だったと言っても良いだろう。ポーン5体、さらに紅井の身柄を一時的に奪われておきながら、一人の死者も出なかったのは奇跡的だ。

 どちらかといえば、彼らの宿泊したデルフ島の島民に対して、同情すべき点は多い。


 トキハラと呼ばれたあの吸血鬼は、ベルゲル酋長をはじめとした島民たちに強い信頼を得ていた。犬神を救出するためにはやむを得なかったとはいえ、また、トキハラ自身が島民たちを騙し、影から何人もの犠牲者を出していたとは言え、彼と親しくしていた一部の島民たちは、かなり複雑な気持ちを背負うことになった。

 無論、子供や友人を殺害された怒りが先に出ていた者、そのトキハラを倒し、結果として復讐を果たしてくれた恭介たちに感謝を示す者も多くいた。いずれの場合においても、複雑な話ではある。


 そのような複雑な話を抱えたまま、デルフ島での交易会は執り行われることとなった。


 広場には、海上キャラバンが運んできた大量の商品に、2年4組の生徒たちが用意したものが並ぶ。一部、文化祭の様相を呈したような状況もあった。他の島の酋長たちは、取り決めに従ってカタログからの購入を進めていく。が、その中に、ベルゲル酋長の姿はなかった。まだ、ふさぎ込んでいるらしい。

 トキハラと仲の良かったとされるベルゲル酋長だが、当初発言した通り、2年4組の生徒に対する『謝罪』として、島民たちからの献血を主導してくれた。吸血鬼に対する忌避感のある島民たちを説き伏せ、紅井のために血を集める手伝いをしてくれたのである。


 島民のひとりであったトキハラが、2年4組の生徒たちに迷惑をかけたからだと、ベルゲル酋長は言っていた。理性的な発言であり、間違ってはいない。

 だがそれでも、彼の心の中では、友人を殺害した2年4組の生徒たちに対する、怒りや憎しみの感情があったはずだ。それを押し殺して、“島の責任者”として、友人たちの敵に利のある行動をとらなければならなかったのは、どれほど辛いことなのだろうか。


「明日香、とりあえず血は集められたよ」


 木陰でぐったりと休む紅井のもとに、竜崎が血の入った瓶を持ってくる。

 量にして2リットルといったところか。紅井はちらりと瓶を見て、尋ねた。


「……血液型は?」

「いや、わかんないけど。そういうの気にする?」

「言ってみただけ。血液型で味なんか変わんないよ」


 紅井の近くには、カオルコや春井、蛇塚などがいる。夏の日差しが照りつけるデルフ島である。木陰でも、砂浜の反射した熱がじっくりと身体を焼く。春井は翼をばさばさと動かして、彼らに風を送っていた。


「血ね」


 カオルコは、瓶の中をまじまじと見つめて言う。


「こういう飲み方……。味気なくて、あまり好きじゃないんだけど……」

「贅沢言うなよ。やっぱり首筋とかに噛み付きたかったのか?」

「相手の体温とか匂いとかも含めての食事だから。まぁでも、うん、ありがとう」


 紅井は、竜崎から瓶を受け取り、ようやく口をつけた。


 どろりとした液体は、多くの媒体などでトマトジュースに例えられるが、やはりその瓶いっぱいに注がれた液体は、他にたとえようもなく“血”である。注射器で抜き取った人間の血を、同級生である紅井明日香がゆっくりと飲み干していく様を、一同はなんとなく眺めていた。


「……そんなに見るもんじゃないよ」


 紅井はぼそりと呟く。


「特になんとも思わないの?」

「え、何が?」

「いや、なんでもない」


 発言の意図を汲み取れず首をかしげる竜崎に、紅井はぶっきらぼうに言った。

 カオルコや春井、蛇塚たちも、紅井の言わんとしていることは、よくわかっていないらしい。


 代わりに紅井は、このように尋ねた。


「……ウツロギや姫水に、何か変わったことはある?」

「特にない。いつもどおりだよ」

「ふぅん……。じゃあ、ゴウバヤシは」

「いつもどおりだけど……」


 紅井が眷属化した恭介を気遣うのはよくある話だったが、そこで意外な名前が出てきたので、竜崎は訝しがった。


「ウツロギやゴウバヤシが、どうかしたのか?」

「するかもしれない。原尾や、五分河原は?」

「いや、変わんないよ。五分河原は交易会で売り子やってるし、原尾は棺桶の中で寝てる」

「………」


 空になった瓶を砂浜に置き、難しい顔を作る紅井。

 その肌は、いくらか血色が良くなったように思える。ツヤと生気が戻ってきた。竜崎たちがホッとする中、春井は一同の疑問を代弁し、紅井に尋ねた。


「明日香、なんか心配ごとでもあんのか?」

「うん……」


 紅井は顎に手をやって、頷く。


「竜崎。明日、この島を発ったあとに、みんなを集めて欲しいんだけど」

「わかった。また何か重要な話があるんだな」

「うん……。“フィルター”の話をする」





「ウツロギくん!」

「んー?」


 交易会の会場で一人佇んでいた恭介に、声がかけられた。


 いざ交易会が始まって見ても、恭介ができることはあまりない。売り物を作るのを手伝ったわけでもないし、特別愛想がいいわけでもなければ、島民を怖がらせない見た目というわけでもない。結局のところ手持ち無沙汰なので、砂浜から海を眺めていた。

 声をかけてきたのは、佐久間祥子だ。彼女は恭介とは対照的に売り子向きなので、交易会でもそちら側に回っているはずだったが、どうやら手が空いたらしい。


 このアルバダンバが暑いからなのか、佐久間は騎士王国のバザーで購入したようなワンピースやジャケットを着ていない。転移当初のような、レザー製のどぎついボンテージファッションだ。見慣れたといえば見慣れたのだが、白い渚との組み合わせはやけにミスマッチで、よくわからない情欲を駆り立ててしまう。

 まあ、スケルトンに情欲も何もあったものではないのだが。結局恭介は、弾む胸を眺めるのが気恥ずかしいという理由だけで、少し視線をそらした。


「売り子の方は終わったのか?」

「うん、だいたい売れちゃったから」


 佐久間は笑顔でそう言って、恭介のとなりに腰を下ろす。

 尾ていのあたりから、スペードのような尻尾が生えていることを、恭介はこの時はじめて知った。


「佐久間、色々お手柄だったな」

「あ、うん。ありがとう。私だけじゃなかった気もするけど……」

「いや、今回は佐久間だよ」


 恭介も犬神を救出したり、トキハラを倒したり、佐久間を助けたり、色々やりはしたが、やはり今回のMVPは佐久間ということになるのだろう。恭介の活躍は、どちらかといえば地味であった。


「………」

「………」


 そこで、会話が止まってしまった。

 砂浜に押し寄せる波の音が、後ろで聞こえる交易会の喧騒からはやけに遠く聞こえる。


 別に会話が途切れることは珍しいことでもなんでもない。恭介も佐久間も、話し上手というわけではないから、図書室で話をしていた頃から、こういうことはしょっちゅうあった。それでも当時は本を読んでいれば良かったので、あまり気まずい思いはせずに済んだのだが。


「(……なんだ、これは)」


 と、恭介は思った。

 本の有無とはまた関係ない。この会話の停止は、図書室の時とは、また違う何かがある。


「……私、ウツロギくんに謝っておきたいことがあるの」

「ん、なんだ?」

「ウツロギくんに、《魅了》を使おうと思ったことがあって」


 そう言われて、恭介は思わず、佐久間を見た。

 ひどく思いつめた、というわけではない。ただ、海を見つめるサキュバス少女の横顔が、そこにあった。


 《魅了》は、淫魔であるサキュバス、インキュバスの種族能力だ。相手の精神に干渉し、強い効果を及ぼすようになる。一時的だが、使用者に対して強い魅力を感じるようになる。それを、自分に『使おうとした』と言われては、さすがの恭介も穏やかではない。


 なんでそんなことを、と、言おうとして、恭介は口をつぐんだ。


 わざわざクラスメイトに《魅了》を使おうとする状況など、常識的に考えてそう多くはない。理由の心あたりなど、いくらでもこじつけられた。もしそれが正答であった場合、本人の口から語らせるのは、あまりにも酷なのではないか。


「そうか」


 と、結局恭介は、そう言った。


「(何が『そうか』だよ……)」


 淡白にもほどがある発言を、早速頭の中で後悔する。


「ごめんね、ウツロギくん」

「あ、ああいや、別に、気にするほどのことじゃ、ないんじゃない、か……?」

「でもウツロギくん、姫水さんのこと好きでしょ?」

「ぶっ」


 噴き出すものなどないはずなのに、思わず噴き出した。そこで凛の名前が出てくるとは思わなかったのだ。


 凛のことが好き、とは。


 やはり、そうした意味なのか。


 確かに自分は、彼女に惹かれている。ような気がする。そして凛もまた、自分のことを憎からず思っているだろうということは、察することができた。だがそこに、それ以上突っ込んだ回答を出すことはできない。自分が誰かと“相思相愛”であるということに、強い疑問のようなものがある。

 いや待て、しかし、なんだこの佐久間の言動は。いや、察することはできなくもない。そろそろ『人の心がわからない空木恭介』は、卒業したいと思っていたところなのだ。だがここで、佐久間の心を理解しようとすることは、極めて危険な行為である。自分の心が耐えられるかわからない。


「う、うううう……うう……」


 恭介は頭を押さえた。


 空木恭介は、二股が嫌いだ。こういうのはキッパリと言ってしまうのが正しいように感じる。だが、それを口にするだけの勇気は、自分にはわかなかった。なんと情けない話だろうか。


「まだまだ修行が足りない……」

「修行、してたの……?」

「してたの。いや、凛のことは、好きだよ」

「……うん」


 恭介が言うと、隣で少し息を飲む音がした。


「……でも、佐久間のことも、そんなに嫌いじゃないというか……」

「……うん」

「俺って最低かなあ?」

「そうかも」


 くすり、と佐久間が笑うのがわかる。


「ウツロギくん、私を傷つけないように言ってるわけじゃないよね?」

「違う……。と、思う。多分」


 そう言っておきながら、はっきりしたことは恭介自身にもよくわからないのだ。佐久間のことは嫌いではないのだが、嫌いではないからこそ、曖昧な言葉で誤魔化しているのか、あるいは純粋に凛と同等の好意を抱いているのか。

 そもそも、結局こういうのは、二股というのではないか……? きっぱりとした意思表示をしていないから、まだギリギリ認められるのか……? いや、もしこれがアウトであるとしたら、自分ははっきりと答えを出せるのか……?


「ウツロギくん、もう空っぽなんかじゃないよね」

「こういう状況で言われるのは、実に複雑だ……!」

「でも良かった」


 佐久間は立ち上がり、お尻についた砂を手で払う。


「私、姫水さんに負けないように、頑張るね」


 満面の笑みである。直視すると、少しくらっとした。

 《魅了》を使われたわけではないだろう。だが、心臓が跳ね上がるような感覚があった。心臓はないが。心がちくりと痛み、なんだか凛に対して不義理を働いているような罪悪感が持ち上がってきてしまう。つまりそれが、恭介の本心だったのかもしれないが、ここはあえて、心に蓋をする。


 空っぽから最低にクラスチェンジだ。どちらがマシなのかは、わからない。


「お、お手柔らかにお願いします……」


 恭介としては、そのように言うより他はなかった。





 翌日、2年4組の一同は海洋連合国家アルバダンバを発った。見送りに来た島民は、そう多くはない。

 交易会で得られた商品は、当初の約定に従い、すべてウェルカーノ商会に売りつけることとなった。2年4組はこちらの世界の通貨を得、その一部で商会に資材を用意してもらう。ウェルカーノ氏をはじめとした海上キャラバンは、もうしばらくこの島に滞在するということだったが、重巡分校はこのまままっすぐに、大陸南東部のヴェルネウス半島を目指す。


 日本列島の伊豆半島や、地中海のイタリア半島を思わせる形で海につきだしたヴェルネウスは、帝国の支配域からは大きく外れ、恵まれた気候と地形から極めて温厚な民族性を持つ地域だという。人間の国家が存在するが、他種族に対する扱いも非常に寛容だ。

 ヴェルネウス半島から大陸の東側を北上し、マスター・マジナの住まう東の森を目指す。東の森にたどり着けば、元の世界に戻ることもできるだろう。着実な進捗に、クラスの中でも楽観的なムードが広まっていた。


「やぁ、恭介」


 甲板で遠ざかるアルバダンバを眺めていた恭介のもとに、火野瑛がやってくる。


「瑛、船酔いは大丈夫なのか?」

「ああ。まぁね。今のところは」


 ふよふよと浮かぶ火の玉が、どのようなメカニズムで乗り物酔いを起こすのかは未だによくわからなかったりする。が、本人が酔っていると言えば酔っているし、いないといえばいないのだろう。

 恭介は、瑛が隣までやってくると、周囲をきょろきょろと見回した。


「……凛は?」

「さっき剣崎と話しているのを見たが。どうかしたか?」

「……ああいや、特にどうかしたわけじゃ、ないかな……」


 どうにも最近、凛が隣にいないことに違和感を覚えるようになってしまった。こちらの世界に来てからもうすぐ3ヶ月近くになるが、一緒に過ごすことのほうが多かったのだから、当然かもしれない。ちょっとでも離れていると、不安になる。あまりよろしくない傾向だ。


「君は相変わらず、物事を難しく考えているらしい」

「そうかなあ」

「そうさ。したいようにすればいいと思う……けど、まあ、恭介にはまだ難しいかもしれないな」


 瑛はそう言って、恭介の隣に並ぶ。


「気晴らしに、もっと別のことでも考えよう」

「別のこと?」

「例えば、血族の今後の動向だ」

「それ、気晴らしにならない気がするけど……」


 だが、恭介も気にはなっていたことだ。瑛にきっかけを与えられ、改めて考える。


 血族との対決状況は、ここでまた大きな転換期を迎えた。紅井の身体越しでの、“王”との対面。彼女の裏切りが、血族の長にまで本格的に露呈したこととなる。今後連中はどのように動いてくるのか、今もまったく読めていない。

 それに、血族と決着をつけなければならない、という事実にも、変化はない。元の世界に戻ったところで、紅井は安寧を約束されていないのだ。それを考えると、血族の本拠がどこにあるのか、という疑問も湧く。


「僕は、連中の本拠地は新大陸にあると思うんだが」


 瑛は言った。


 新大陸は、セレナに用意してもらったこの世界の地図にも載っている。アルバダンバから、さらに南へ下った場所にある、人跡未踏の大陸だ。正確には、物好きな冒険者たちが何度か足を運んでいるらしいが、その全貌は全くと言っていいほど解明されていない。

 吸血鬼たちが、移動の為にこのアルバダンバを経由しているのだから、可能性としてはかなり高い。だが、あるいは2年4組の進路と同じように、帝国の支配領域を避ける形で、大陸の東側に向かっているだけ、という場合も考えられる。


「新大陸だとすると、俺たちはこれから連中の本拠から離れていくことになるな」

「逆に、旧大陸の東側にあるのだとすれば、僕たちは敵の本拠地に近づいていくことになる」


 恭介と瑛は、並んで考え込んだ。


「そういえば、クラスのみんなもポーンを倒したんだよな」

「ああ、そうらしい。クラスの雰囲気は、徐々にまとまってきているとは思う。鷲尾が死んだ時に比べても、結束は……うっ」


 急に呻き声をあげ、瑛の身体からぱらぱらと灰が落ちてきた。吐いたのだ。


「酔ってんじゃないか……」

「さ、さほど問題はない……。それよりも、僕が気になるのは……」


 そう言いつつ、ぱらぱらと落ちる灰の量は変わらない。甲板が汚れるわけではないから良いのだが。恭介は背中をさすってやろうとして、いったいどこをさすればいいのかわからず、途方に暮れた。

 そんな折である。


「おー、恭介くんに火野くんだ。やっほー」


 凛の声だ。恭介が振り向くと、そこには彼女だけではなく、ほかの生徒たちもぞろぞろと出てくるところだった。


「ん、あれ? これから会議かなにかか?」

「あ、聞いてない。あのねー、紅井さんから、みんなに大事な話があるんだって」

「紅井からか……」


 恭介がつぶやき、ちらりと瑛を見る。彼は未だに灰をまき散らしながらも、こちらに頷いた。


 紅井が大事な話というのだ。それは、きっと今後の2年4組の行動方針にも、深く関与してくることに違いない。それを、恭介や竜崎、佐久間といったごく限られた対象だけでなく、クラス全体に話そうというあたりに、やはり変化を感じられる。紅井も、クラスの結束を信じ始めているのだろう。

 それだけの、その“大事な話”がどういったものなのか、純粋な不安はある。


 生徒たちは甲板に並ぶ。そこにはゼクウもいたし、白馬は仏壇を荷車に載せて引っ張ってきていた。クラス全員というからには、鷲尾も参加させるべきだと考えているのだろう。友情に篤い男だ。その仏壇の真横に、原尾の棺桶があるのが気になるが。

 奥村、五分河原、暮森などは、まとまって話をしている。ゼクウもゴウバヤシではなく、こちらのグループに混ざっていた。剣崎や魚住兄などの班長組、猿渡や雪ノ下などの運動部組など、こうして見ると、転移前と比べ変化のあるグループも、ないグループもある。


 姫水凛という変化を加えた恭介たちのグループも、ほかの生徒たち同様甲板に並んだ。

 少し離れた場所では、佐久間、カオルコに、春井、蛇塚の混ざった、いわゆる紅井の友人グループも親しげな談笑を続けている。人間関係にしこりは残らなかったらしい。ホッと胸をなでおろす。


「あー、みんな! 今回の件はお疲れ様!」


 前に立った竜崎が、よく通る声で叫ぶ。そういえば、書記役であるはずの佐久間は、今はあそこにはいない。


「無事にアルバダンバを出航できた。ヴェルネウスにつくまで、2週間くらいかな。あの国には温泉もあるらしいから、向こうに着いたらゆっくり休もう」


 すっかり板のついた、それでいて気取らない挨拶。温泉という単語に『おおー』という声があがる。


「それで、明日香からちょっと大事な話があるらしいんだ。みんな聞いてくれるか」


 竜崎に促されるようにして、紅井がゆっくりと前に出た。

 血の補給は既に済んだらしく、しっかりとした足取りである。生徒たちは黙ってそれを見つめていた。彼女は前に立つと、咳払いをするでもなく、前置きをするでもなく、いきなりこのように言った。


「まず、みんなに聞きたいんだけど」


 そう言って、紅井が取り出したのは、ひとつのガラス瓶である。

 中には、赤い液体のはいっている痕跡があった。あれが血の入っていた瓶か、と、恭介はのんびりと考える。


「みんな、あたしが人間の血を飲んだって想像したとき、何か思ったりしたかな」


 生徒たちは、少し困惑気味にざわついた。紅井の言葉の趣旨が理解できない、といった様子だ。


「……多分、個人差はあると思うんだけど、普通だったらそういうの、気味悪く思うはずだよね。みんなは、平然と受け入れてくれているけど」


 恭介は、その言葉を聞いて、まず真っ先に今まで自分が戦ってきた相手のことを考えていた。


 今まで恭介が戦い、倒してきたポーン、それらはすべて、元の世界では“人間”として扱われていた存在だ。それを、仲間のため、自分の命のためとはいえ、寸分の躊躇もなく殺害できてきたことに、わずかな違和感はあった。

 恭介はそれを、自分が空っぽだったからだと、そう分析してきたつもりだが。


 紅井は続ける。


「みんなが潜った“転移変性ゲート”には、いくつかの効果がある。ひとつは、みんなみたいに人間の身体を変質させる効果、」


 そう言って、指を折り始めた。


「ひとつは、フェイズ2―――特殊能力を付与する効果、」


 ここで、紅井は言葉をひとつ区切り、一同を見渡す。


「そしてもうひとつが、“フィルター”を付ける効果。これから話すのは、この3つめ。“フィルター”について……」


 彼女がそう口にしたとき、甲板に異変が発生した。


 それまで晴れていたはずの空に、いきなり暗雲が立ち込め始めたのである。太陽が塞がれ、暗い影が落ちる。これも、紅井が真っ先に反応し、顔をあげた。単なる天候の変化にしては唐突すぎる。クラスメイトたちも騒ぎ出し、紅井と同様に上を見上げる。


「なんだ……?」


 風が強く吹きすさび始めるなか、竜崎がぽつりと、そうつぶやくのが聞こえた。


「(嫌な予感がする……)」


 恭介の胸中が、ひときわ強くざわめく。


 紅井は、講釈を中断した。恭介が彼女の方に視線を向けると、空を見上げたまま、目を細め、唇を噛んでいるのがわかる。それだけで恭介は、この唐突な悪天候が、いかなる存在によって巻き起こされたものかを、おおよそ理解する。

 空の彼方、豆粒ほどの大きさのものが、高速でこちらに飛翔してくるのが見て取れた。海面ギリギリの速度で飛行するそれは、全身に纏う風が衝撃波のように海面を割っていく。


「みんな、下がって!」


 紅井の悲鳴のような叫びを聞いたのは、初めてだったかもしれない。


 直後、轟音と衝撃が、重巡分校の船体を揺らした。艦船は、横からの衝撃には弱い。あわや転覆というほどに傾いた船だが、棺桶の蓋を蹴り飛ばして飛び出した原尾がアンクを掲げると、彼の念動力によってギリギリのところで留まる。

 何が起きたのか、尋ねるまでもないことだが、それでも一同は紅井を見た。


「明日香、これは!」


 甲板に爪を突き立てる竜崎は、既に竜化を完了させていた。他にも多くの生徒が、戦闘態勢を整えている。

 凛も恭介の身体に飛び移って、合体を完了させた。だが、血の力は使い切った後だ。まだエクストリーム化はできない。


「名前は知らない。けど、ルークだ」

「ルーク!? 大駒か!」


 この暗雲も、徐々に強く吹き付け始める風も、血族の力の一端であるというのだろうか。大駒たるルークは、ここまでの力を持っているということだろうか。

 船べりの向こうから、軍服を着た男の姿がゆっくりと持ち上がってくる。顔には大きな裂傷の痕が走り、その瞳は文字通り血塗られたような赤色に染まっている。恭介は、自分の身体に張り付いた凛の身体が、小刻みに震え始めるのを感じた。


 男は、まだほとんど何もしていない。ただ、空中に浮かんでいるだけだ。


 それでも、立ち上る気迫は、こちらが卒倒しそうなほどであった。相対するだけで心のくじけそうな、暴力的なまでの威圧感。甲板に立つ多くの生徒たちも、その大半が身動きを封じられたように硬直していた。


「バカな……!」


 風に紛れて聞こえてきたのは、おそらくゴウバヤシの声だった。彼は、片膝をついたまま、必死に身体を動かそうとしている。だが、その全身は、彼の言うことをまるで聞いていない様子だった。

 原尾もそうだ。彼は両腕を背中に回し、胸を張るいつもの態度を取っていた。だが、そこから動き出そうとしても、手足が硬直したかのように動かない。

 竜崎は両手の爪を甲板にめり込ませ、必死に耐えている。だがやはり、身体を動かすことはできない。


 恭介は、せめて一歩、前に踏み出そうとした。全身が、鉛のように重い。まるでセメントで塗り固められたような感覚があった。


「凛、頼む……!」

「ご、ごめん……」


 恭介が唸ると、消え入りそうな凛の声で、謝罪が帰ってきた。


「わからないけど、身体が動かない……。わからないけど……!」


 視線を動かすと、瑛もまた動くことができず、そこに浮かんでいる。

 唐突に現れた襲撃者は、ただそこにいるだけで、40人ばかりのモンスターたちを圧倒していたのだ。


 その時、不意に、恭介たちの背後で、強烈な圧迫感が生まれた。前方に浮かぶ軍服の男―――ルークから発せられる気迫とほぼ同等か、あるいはそれを凌駕するほどのものだ。身体と心がすり潰されそうになりながら、恭介たちは、確信を持ってその気迫の持ち主を見ることができた。


「紅井……」


 髪の毛や制服の裾が、ゆらゆらと持ち上がるように揺れている。恭介は、今までに何度か見た紅井の能力が、そのほんの片鱗でしかなかったということを、改めて認識した。

 ポーンとナイト、ビショップの間に越えられない差があるのは確かだが、そこからルーク、クイーンにも、覆し難い大きな差があったのだ。ほかのクラスメイトたちが一切動くことができない中、紅井明日香だけが、悠然と甲板を歩く。


「何しにきたの」


 腕を組んだまま、底冷えするような声で、紅井はルークを見上げた。

 そこでルークは、初めて言葉を発する。


「“王”の命令を遂行しに来た」

「命令? あいつの?」


 紅井の言葉には、強い怒りと嫌悪感が滲んでいた。


「この船を破壊する」

「なに……!?」


 ルークの言葉に、まっさきに反応したのは竜崎である。理不尽な宣誓に、ほかの生徒たちからも反抗をむき出しにした声が続出した。ルークは小さく鼻を鳴らし、甲板に降下してくる。生徒たちは一歩も動くことができないながら、ルークに対して強い敵意をぶつけていた。

 一触即発。だが、いざ戦闘となれば、勝目があるのは紅井だけだ。


 まさか、“ルーク”の力がこれほどのものとは。


 恭介は歯ぎしりをしそうになった。


 紅井は腕を組んだまま、ルークを睨みつける。その瞬間、またも激しい音が鳴り響いて、甲板の床が一部、いきなり吹き飛んだ。紅井もルークも、まるで手出しをしていないように見える。だがこれは、彼らの放つ力の応酬、その結果であると、恭介はすぐに理解した。

 ふたりの力の激突に、重巡分校が耐え切れないと、それは暗に証明してしまっている。


「お前が取れる手段は限られている、クイーン」


 ルークは言った。


「ここで大駒メジャーピースが2つぶつかった場合、何が起こるか。わかっているはずだ」

「………」


 腕を組んだまま、紅井は目を瞑る。


 ルークの言葉には、含みがある。激突の余波で、ただ重巡分校が破壊されるだけでは、済まないというのか? 恭介は、せめて相手の本当の目的を探ろうと、考えを巡らせた。だが、状況判断をするには、あまりにも情報が不足している。

 なんとなく察することができるのは、ルークは決して紅井を牽制しているわけではないということだ。ここで目的通り船を破壊できても、あるいはクラスメイトを守ろうとした紅井が恭順の意を示しても、全力で衝突した結果、その“何か”が起こっても、この男―――ひいては彼らの血族はなんらかの“得”をする。


 紅井もそう感じたのだろう。静かに目を閉じ、何かを勘案し、そして目を見開いて、こう言った。


「みんな、ごめん」

「え……」


 謝罪の意図を掴ませぬまま、紅井は甲板を蹴りたてた。拳を握り、ルークに向けて勢いよく突撃する。


「……!!」


 ルークはそれを受け止めようと、右腕を掲げた。腕を取り囲むようにして、ポーンたちの着る黒甲冑によく似た色合いのガントレットが出現する。だが、男の力とその籠手をもってしても、紅井の放ったパンチ一発を、完全に殺しきることはできなかった。

 果たして、渇血症を患っていない、万全の状態の彼女の一撃が、ルークの全身に襲いかかる。


 男が怯んだ瞬間、恭介たちは威圧から解放された。紅井に加勢しようと動き出す彼らを、しかし当の彼女がこうたしなめる。


「みんな離れて! そしてできれば、なるべく一箇所に!」


 そう言って、甲板を蹴り立てて宙に浮かぶ。


 彼女の言葉の意味を、当然一同は測りあぐねた。だがその言葉に従って、彼らはすぐに甲板を走る。多くの生徒たちは、親しい者とともに。あるいは、足の遅い者を庇うように。だが、佐久間や春井たちは、紅井の身を案じ、彼女から離れることができずにいた。

 紅井の両腕が、真っ赤なエネルギーを生み出す。血の色に輝くそれは、暗雲に包まれた甲板を不気味に照らしだした。

 ルークの両腕も、黒いエネルギー体を生み出す。力の弾ける音が、空間を叩いていた。


 紅井の動作が、一瞬、恭介には奇妙に映る。


 ルークは際限なく、その黒いエネルギーを大きくしているように見えたが、紅井は力を調節しているように見えたのだ。真っ赤なエネルギー体は、黒いエネルギー体とその威力を合わせるように、慎重に巨大化していく。

 だが、その意味を考える前に、両者は攻撃に移った。ルークの放った黒色のエネルギーに合わせ、紅井も溜め込んだ力を放出する。まるで、アニメか漫画のような撃ち合いを経て、赤と黒が激突した。


 光が炸裂する。赤と黒と光体が激突し、混じりあった光は、激突地点を中心に一気に周囲へと広がった。


 それは一瞬の出来事。


 だが、恭介はしっかりと見た。


 光は、触れたものをかき消し、その範囲を拡大させていく。

 そしてそれは、甲板に立っていた生徒たちにも容赦なく襲いかかった。紅井から離れられずにいた佐久間が、春井が、カオルコや蛇塚もまとめて、光に飲み込まれる。叫び、手を伸ばす暇さえも、恭介には与えられなかった。


 次の瞬間、重巡分校全体が、光の奔流に飲み込まれた。


 身体の浮かび上がるような感覚とともに、恭介の意識はぷっつりと途切れた。



























「……くん! 恭介くん!!」


 自らを呼ぶ声に、空木恭介はうっすらと目を空ける。

 そしてその直後、自分には瞼がないことを思い出した。単純に、気を失っていたのが戻っただけだ。頭を押さえて、上体を起こす。目の前には、ぷよぷよとした薄水色の、半透明の物体が、身体を上下させながら恭介の名前を呼んでいる。

 なんとなく涼しそうだったので、手を伸ばしてつまんでみる。


「ふぎゃあっ!」


 悲鳴があがった。


「なに!? いきなりなにすんの!?」

「いや、なんとなく……。ごめん、凛……」


 恭介は改めて、周囲の状況を確認した。


 どうやらここは砂浜だ。波の押し寄せる音がやけにはっきりと聞こえる。生えている木々は、アルバダンバで見られていた南国のものとは、少し異なっている。それにどちらかといえば、岩の方が多い。

 船が壊されて、どこかに流れ着いたのだろうか。


 でもそれだったら、凛は浸透圧でシオシオになって死んでいるはずだし、そもそも大陸までは2週間近くかかる場所にいたはずだ。


「あいつ……ルークは……?」

「わかんない。気がついたら、あたしもここにいたんだ」

「紅井も?」

「見つかんない……」


 恭介は、そこでようやく立ち上がった。


 2人の力の激突で、何が起こるのか。そして今何が起こったのか。朧げながら、察しをつける。

 空間転移、いわゆるワープのようなものだ。あの時離れろと言っていたのは、近くにいた相手と、同じ場所に飛ばされるからなのだろうか。あの時、自分の近くにいた生徒は、凛の他には……。


「俺の他には、誰も見つかっていないのか?」

「うん……。恭介くんが起きたら、一緒に探しに行こうかなって」

「そうか……」


 気になることはたくさんある。特に強く安否を確認したい相手もいる。

 だが、ここで考えていても、喚いたとしても、何もはじまらない。


 ここは、いったいどこなのか。

 自分と一緒に飛ばされた生徒は誰なのか。


 まずそこから探さなければならない。

 恭介は凛と合体して、付近の捜索を開始することにした。

恭介たちが転移した場所は、以下の5つの中からアンケートで決めようと思います。ルートによって同行する生徒が違ってくるぞ!

・ピリカ南王国ルート

・ゼルガ剣闘公国ルート

・ヴェルネウス王国ルート

・新大陸ルート

・キャラバンルート

詳しくは、

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/346822/blogkey/1166011/

をチェック!


乾物ティーチャーかつぶしも、近日更新予定です。

本編の更新再開までは、1週間から10日くらいお待ちくださいな。

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