第53話 朱色の研究
※現在4章を読みすすめている方へ
平素より人外転生をご愛読いただきありがとうございます。
この4章なんですが、8月18日あたりを目処に一気に改稿を行う予定です。
改稿といっても細かい展開の修正や入れ替え、冗長な描写の削除がメインになり、全体の流れに変化はありません。
「クイーン達が、我々の存在に気付いた可能性があります」
朱鷺原が浅緋に告げたのは、ようやく空が白んじてきたあたりのことだ。
正確には、浅緋に対してだけ告げたわけではない。朱鷺原の用意した密林の中の空家には、数人の吸血鬼が待機していた。いずれも、アケノと共に古城から引き上げたポーンであり、朱鷺原に戦力として貸与され
ている連中だ。朱鷺原は、彼らを使ってクイーン達の今後の動向を割り出し、出来ることならばその血を回収して王へと献上する。
「やはり、あのイヌを回収したのがまずかったのか?」
ポーンの1人が尋ねる。朱鷺原は頷いた。
「浅緋さんがイヌに襲われた時点で、仕方のない話ではありましたなぁ。殺して死体を放置したとしても、同じ結果だったでしょう。酋長の話では、歓迎会を途中で退席して、沖合の軍艦に戻ったそうで」
「朱鷺原さん、イヌは今どうしている?」
「地下に鎖でつないでありますよ。ただ2、3日は警戒が必要でしょう。今は半月から新月に向かっている途中ですが、その程度なら鎖は簡単に引き千切れる」
昨晩、ふらふらと外を出歩いていた浅緋が、人狼族の生き残りによって奇襲を受けたのだ。浅緋は1ヶ月近く人間の血を入れていないので、食事を探しに行っていたのだろう。そこで襲撃を受けたのは、実に運がなかった。
やはり、この吸血鬼たちを出歩かせるのは得策ではない。アケノ達が海を渡ってこのアルバダンバを訪れたのは半月近く前。デルフ島の島民たちは彼女らを客人として迎え入れ、送り出したが、当然アケノ達が吸血鬼であることは知らないし、数人のポーンを朱鷺原のもとに置いて行ったことも知らない。
「まぁ、あと2、3日で全てが片付きます。食事が必要なら、その後用意しますから、少し我慢していただきたい」
交易会が終われば、彼らもこのアルバダンバを発つだろう。目的はその前に果たす必要がある。
こちらの取るべき行動はふたつだ。
ひとつは、酋長を通して、連中の今後の目的と進路を探ること。
もうひとつは、おそらく軍艦の中にいるであろうクイーンから、彼女の血を奪取すること。
後者の方が明らかに難易度が高い。それに、朱鷺原は直接出ない方が良いだろう。軍艦の襲撃を酋長たちに悟られると厄介だ。表向きは、無関係を装っておく必要がある。
「逆に言えば、現状は好機でしょう」
朱鷺原はそう言った。
「連中が私たちの存在に気づき、またイヌが行方不明になっているとわかれば、人員をそこに割かざるを得ない。クイーンの護衛は薄くなりますよ」
「なるほど。例のものはもう?」
「準備はできていますよ。なるべく、連中が軍艦から離れている時間に、決行するべきでしょう」
わざわざ、あのイヌを生かしておいたのは、その“例のもの”を用意するためだ。人狼族の唾液には、吸血鬼因子を強制的に基底状態へと戻す作用がある。一度噛み付かれれば力を大きく弱体化させられ、更に不調をきたすようになるのだ。だからこそ、王はその存在を忌み嫌い、一族を滅ぼそうとさえしていた。
いかにクイーンとはいえ、体内にあるすべての因子の動きを止められれば、動くこともできなくなる。クイーンの身柄を奪取する上で、一番厄介なのはクイーン自身なのだ。なんとかして、その動きを封じなければ、話にもならない。
もしこの作戦が成功すれば、血などと生ぬるいことは言わず、身柄そのものを王のもとへ運ぶことだってできる。
だが、作戦が失敗し、クイーンに返り討ちに合うようなことがあれば、
「(その時は……)」
朱鷺原は、棚の上に並べた、いくつかの瓶を眺めた。
密閉された幾つかの容器にはラベルが貼られ、中は緋色の液体で満たされている。
「なぁ、朱鷺原さん」
貧乏ゆすりなどをしていた浅緋が、同じ方向へと視線を向けながら言った。
「あの血、私が飲んではいけませんかね」
「ダメです。あれは、切り札なものでね」
早朝の密林を抜け、歓迎会のあった広場へとたどり着く。かがり火の焚かれた跡だけは残っているものの、広場は綺麗には片付いていた。集落はひっそりと静まり返っている、と、思いきや、既に人の動く気配があった。早起きな人というのはいるものである。
ただ、彼らと出くわすといろいろと面倒なことにはなりそうだ、と恭介は思った。同行している瑛は口が回るが、口が上手いとは言えない。残りの面子も、状況説明は下手くそである。強いて言えば、凛くらいなものか。
「とりあえず、植物への聞き込みを開始しよう」
広場は密林に囲まれた状態にある。問題は、聞くにしても、木々の数があまりにも多すぎることだ。
「任せな」
何故か真っ先に触手原が、うねうねと動きながら密林の中に踏み込んでいく。全身から触手を出してしばらくしていると、密林のどこかから、やけにカラフルで色鮮やかな触手たちが伸びてきた。触手原の触手と、密林の触手が接触し、何かを交感しているように見える。
「本当に触手が自生してるんだな……」
恭介が呆然とした声で呟いた。
「レミィちゃんに聞いたんだけど、アルバダンバの触手は生きたまま瓶詰にされて、海上キャラバンとの交易に使われるらしいよ」
「誰が買うんだよそんなの」
「帝国の貴族の人とかが買うんだって」
そこから先は聞かない方が良いのだろうか。そもそも凛は、いつの間にレミィとそんな交流を深めていたのか。スライムになっても、クラスカースト上位のコミュ力は伊達ではないということを、改めて実感させられる。
「一度、持ち帰る途中の船の上で、瓶が破裂してパニックになったことがあるんだって。レミィちゃん達は、辛うじて他の船に逃げられたけど、結局その船は触手に乗っ取られて、今もルベリング海を漂っているらしいよ」
「すごいイヤだなその話!」
「テンタクラー・シップって言ってね。大陸の船乗りの間では有名みたい」
と、言うことは、そのテンタクラー・シップに触手原を近づければ、海を渡れる船がもう一隻入手できるということになるのだろうか。触手に乗っ取られ、支配された船というのも嫌な話ではあるが、自力で航行できているのなら大した話だ。
「恭介……。またこのテの与太話を真面目に吟味しているんだろう……」
瑛が横から呆れたような声で言う。
「別に与太話じゃないんだけどぉー」
凛が唇を尖らせるように、身体を変形させていた。
いつの間にか茸笠も密林の足を踏み入れ、足元に生えたカラフルな毒キノコとファンシーな会話を開始している。キノコに話しかけるキノコ人間というのは、傍から見るとホラー的な趣がある。その横で、小さな花に話しかけている花園と、何が違うと言うのだろうか。
調査は足だ、というが、かなり地道な捜索になりそうだ。その間、恭介たちにはすることがないというのも、退屈と言えば退屈だった。護衛として来ている以上気は抜けないが、なにぶん、することがない。
「ウツロギ、大変なものを見つけちまった!」
密林の中から、触手原の声が聞こえてくる。恭介は凛と合体し、瑛を随伴して中へと足を踏み入れた。
触手原の周囲には、大量の触手がうねうねとうごめいている。それらすべてと交感し、手懐けている触手原はさながら触手の王といったところか。人間時代、小金井が貸してくれたエロ同人誌を思い出す。とても女の子を連れてきたくはない。連れてきてしまったが。
「恭介くんそんなのが好きなの?」
「別に好きってわけじゃない」
凛の疑問をはっきりと否定しておく。
「それで、触手原。大変なものってなんだ?」
恭介が尋ねると、触手のうちの何本かが、うねるようにして白い布を運んできた。
白い布だ。一瞬、なんだろうと思ったが、恭介はすぐに正体を看破した。そして絶句した。白地に控えめな花柄、レースのついたそれは、明らかに女性ものの、
「下着か」
瑛があっさりと言った。
「ああ、パンツだ」
触手原が言いなおした。
「犬神のパンツだ。パンツだけじゃないんだが。俺はとても恐ろしくて触れないので、ウツロギが持っててくれ」
「い、いや、俺だって触れないよ……」
「じゃあ僕が持とうか」
瑛の口調は、いつもと変わらぬ様子である。
「やめろよ! 火野が持ったら焦げパンになっちゃうだろうが!」
「そもそもなんで瑛はそんなに冷静でいられるんだ……」
「女性ものの下着を目の当たりにしただけで、そこまで取り乱す理由もわからないんだが……。デパートに行けば置いてあるだろう」
「ただの女性ものじゃないんだ! 犬神のだぞ! 同級生のパンツなんだぞ! しかもあの、不良娘のパンツなんだぞ!? けっこう可愛いなこれ!」
「はいはい、そこまでにしたまえ青少年諸君」
恭介の肩あたりから、凛の身体がにゅるっと伸びて、触手から犬神の下着を受け取った。もちろん下着だけではない。手渡される服を淡々と受け取っていた凛だが、ブラジャーを受け取った瞬間だけは、そのカップをまじまじと確認していた。
「まぁ、俺は以前、拠点で一度犬神のストリップを見てるけどな……。あれは衝撃的だった……。思い出したよ」
触手原がうっとりと語るのを無視して、恭介たちは改めて犬神の抜け殻を眺める。
「服だけ捨ててあるって、つまりどういうこと? 女の子としては、あまりしたくない想像をするんだけど」
「別にむずかしく考える必要はないんじゃないか。犬神の奴は、狼に変身するときに服を脱ぐんだろ」
ただ、こうして脱ぎ捨てるのは急を要する場合のみであって、普段はきっちり畳んで隅っこに置いておくらしい。思春期の少年には割と刺激の強い情報だった。
「ウツロギ、キノコへの聞き込みはだいたい終わっ……うわあ! 下着!?」
「ウツロギくん、いろいろ聞いてみたけどわかったことは……うわあ! 下着!?」
「下着だけじゃないんだが……」
茸笠と花園も戻ってきては相応のリアクションを返す。
「それで、聞き込みはどうだって?」
「あ、うん。えっとね、昨日の夜、歓迎会を抜け出した犬神さんが、このあたりを通るのを見たって」
「キノコたちは、その犬神が服を脱ぐところまでは見たそうだ」
やはり自発的に脱いだのだ。変身するためだろう。
で、何故変身する必要があったのかといえば、やはり吸血鬼を発見したからではないだろうか。犬神が戻ってきていない以上、やはり交戦があったと見るべきか。今までの予想が、そう間違っていないことを確信する。
「触手原、触手たちはなんて言ってる? 犬神を見てはいないのか?」
自分で言ってから、頭のおかしい台詞だとは思うのだが、何も間違ってはいないはずだ。
「ウツロギ……。触手には目がないんだ。見えているわけないだろう」
「今更だよ! じゃあ俺や凛や瑛はどうなんだよ! そんな可哀想なものを見るような声で言うなよ!」
「まぁ、とにかくこいつらには視覚がないらしいぞ。犬神を見てはいない」
となると、聞き込みは続行か。このあたりに犬神の下着が落ちていたのだから、植物に聞けば向かった方向くらいはわかるだろうか。
「茸笠、キノコたちは、犬神が変身したところまでは見たんだろう?」
「ああ。だけど、その姿を目に焼き付けるのに夢中でそれ以降は覚えていないそうだ」
「なんで触手には視覚がなくてキノコにはあるんだろうな……」
その後、花園が付近の植物に聞き込みを再開し、犬神の向かった方向だけは次第にはっきりしてきた。一同は、花園が聞きだした情報を頼りに、密林の中を進んでいく。
しばらく進んでいったところで、花園は足を止めた。
「どうした? 花園……」
恭介が尋ねると、花園は無言で、前方に生える一本の木を指差す。
木の幹には、まだ真新しい傷が、いくつもつけられていた。刃物、あるいは鋭利な爪や牙によるものであることは、見てわかる。恭介が、それを詳しく確認しようと近づいていくと、足元の異変にも気が付いた。
「恭介くん、血だ」
「ああ」
凛の言葉に頷き、片膝をつくようにしてしゃがむ。木の根元や周囲の草に、赤い液体がかかっている。更に地面の草を掻きわけると、銀色に輝く細い毛が、何本も落ちているのがわかった。おそらく、銀狼状態になった犬神の体毛だ。
「この付近で戦闘があった……と、いうことだろうか」
瑛の言葉に、恭介はもう一度頷く。
「花園、茸笠、ここでもう一度聞き込みをしてくれ」
「うん」
「よし」
さすがに、このあたりに触手は生えていないらしい。触手原が全身の触手をうねらせて、恭介たちの方に近づいてくる。
ここは密林でも比較的人のいるエリアに近い。すぐ目の前は開けた道になっている。集落同士をつなぐ、島民用の道路なのだろう。その道路が見える位置で、犬神は何者か―――おそらく、吸血鬼と交戦した。この血と毛、そして幹についた傷を見る限り、犬神は負傷している。木の幹についた傷は、その際にひっかいて出来たものだろう。
「響ちゃん、無事かな……」
凛が心配そうに呟いた。
「なんとも言えない状況にはなってきたな」
さすがに、ここで無責任なことは言えない。難しい顔で木の幹を眺めていた恭介だが、ふと、妙なことに気付いた。
「この木の傷、なんか変だな」
「変って?」
「なんか、ただ苦しみもがいてつけた傷にしては、多すぎる気がする」
なんというか、滅多切りしたような傷跡なのだ。縦横に、何度も何度も切り付けた跡。自然についた傷と見るには、あまりにも不自然である。かといって、犬神が意図的につけたと考えるには、あまりにも奇妙だ。
窮地に陥った犬神が、自分に向けたメッセージなのだろうか。だが、規則性のようなものは一切見いだせない。恭介は、後ろを向いて花園に声をかけた。
「花園、ちょっとこの木の話を聞いてみてくれないか?」
「あ、うん」
恭介は、1歩2歩を下がり、花園に場所を譲る。
「えっと、犬神さんのことを聞くんで良いんだよね?」
「あと、その傷を誰につけられたかも聞いて欲しい。……瑛、他にはなにかあるか?」
「いや、ないよ。それで良いと思う」
花園は頷いて目を瞑り、その片手でそっと木の幹に触れた。その後、何度か首肯による意思表示を、おそらくは木に対して行いながら、そっと傷跡をなぞって行く。
交感は意外と長く、十数分は続いた。その後、花園はゆっくりと目を開いて、こう言った。
「2つ、わかった」
「2つ?」
「うん」
小柄な少女の姿をとった花園は、振り返って恭介たちに告げる。
「まずひとつは、犬神さんのこと。犬神さんは、ここで2人の男の人と戦って、負けて……連れ去られたみたい」
その言葉を聞き、恭介たちは黙り込んだ。殺害された、ではないだけマシとは言えるが、決して良い状況とは言えない。だが、連中は犬神を連れ去って、果たしてどうするつもりなのだろう。それに、2人と言った。これがレッドムーンだとして、吸血鬼は最低でも2人いるということになる。
「それで、もうひとつ」
花園は、痛ましそうな目で、木の幹を見た。
「この傷は、犬神さんと、その男の人の片方が、別々につけたものみたい」
「なんだって?」
彼女の話では、こうだ。
交戦の結果負傷した犬神は、木の幹に爪を立ててひっかき傷を作った。その後、男の片方が木の幹を見て何かに気付き、刃物を持ち出して、幹の表面を滅多切りにしたのだという。男が幹に傷をつけたのは、犬神を連れ去るほんの直前、男2人の相談ごとが、ちょうど終わったあとらしい。
「なるほど、隠蔽だね」
瑛が言った。
「つまり、響ちゃんが残したヒントが、ちゃんとあったってこと?」
「ああ、それを上から不規則に切りつけることで隠蔽を図った……。見られてはまずい情報だったということだ」
「いっそ切り倒したり、木の皮ごと剥いじゃえば……っとと、ごめんね。華ちゃん」
口にした言葉が、植物にとって残酷なものだと気づいたのか、凛は慌てて花園に謝罪する。
「ううん、大丈夫」
「花園、犬神がつけた傷がどれなのかわかるのか?」
「一応は……」
そう言って、花園は幹に指をあて、傷をそっとなぞる。それは、恭介たちのよく知る言語、日本語のカタカナの形をとっていたので、すぐにわかった。
「ト……キ……。トキ?」
恭介は首を傾げる。
「トキって、なんだ?」
「ペリカン目トキ科の絶滅危惧種」
凛が言った。それを皮切りに、他の面子も一斉に口を開く。
「岐阜県の南東部にあって愛知県と隣接してえるとこ」
「あるいはそこに住んでた武将」
「ララァが死ぬ間際に見た奴」
「ケンシロウのお兄ちゃん」
「大喜利やってるんじゃないんだぞ」
キノコと話してもさして有用な情報を得られなかったのか、いつの間にか茸笠まで混じっている。恭介は呆れた声を出した。
「あ、でもさー。恭介くん」
「うん?」
「トキって、朱色に鳥のサギって書くよね」
「ああ、そうだな」
そうだな、と言ってしまったが、一瞬恭介は朱鷺の鷺がサギと読むのかどうか、判断に迷った。
「こじつけかもしんないんだけど、今まで名前がわかってる吸血鬼ってさ。紅井、蘇芳、朱乃でしょ?」
「蘇芳ってなんだ?」
「スオウ色、ってのがあるよ。ウツロギくん。もともとマメ科の植物で、染料につかってたの」
花園が補足をしてくれた。
「濃い赤……って、いうのかなぁ。とにかく赤色だよ」
「ふむ……」
紅井、蘇芳、朱乃。それに加え、朱鷺か。
確か紅井の話では、元の世界でも吸血鬼を支援していたシンパのような人間たちがいたという。血を提供したり、様々な根回しをしたり。そうしたシンパの人間が認められると、因子を植え付けられ吸血鬼になるのだとか。
話を聞く限り、それは非常に閉じた社会での話だ。苗字に“赤”色が混じるということは、案外、バカにした話ではないのかもしれない。
「これ、結構大きな手がかりかもしれないな」
「ああ。だが、犬神が敵の手に落ちている以上、あまりのんびりはできない」
恭介に釘をさすように、瑛は言った。
「ここで一度、竜崎に報告に行くか、それとも聞き込みを続けて先を急ぐか。慎重になった方が良い」
言われて、恭介は考え込む。見上げると、既に日は昇り、葉の隙間から覗く空は青くなっていた。
竜崎たち朝一で動くと言っていたので、今からベルゲル酋長の家まで行けば、報告は間に合うだろう。朱鷺、という人物についても、情報を得ることができるかもしれない。
「そう言えば、バスの運転手さんの名前、浅緋って言ったよね」
「そうだっけ?」
「ガイドさんが言ってたじゃん。珍しい名前なんですよーって。浅い緋色って書いて、浅緋」
「……紅井の奴、そんな重大なこと言ってなかったぞ」
恭介は頭を掻く。
「紅井さん、聞かれない限り本当言わないよねぇ」
「運転手が吸血鬼だったとなると、先生やガイドさんはどうしたのか、という話になるからな。あまり余計な情報を与えたくなかったんだろう」
瑛の言葉を聞いて、恭介は担任教師の勝臥出彦のことを思い出した。どことなく適当でいい加減さの目立つ教師だったが、余裕のある良い大人だったように思う。彼も、バスの転落事故に巻き込まれたはずだったのだが、その後どうなったのだろうか。
いや、今は考えるだけ余計なことだ。恭介はかぶりを振って、情報を頭から追い出した。
バスの運転手である浅緋が吸血鬼の一味だという可能性は、確かにあるが、それも今は置いておく。
この木の幹に書かれた“トキ”というのが人名であるとして、それが吸血鬼の苗字である可能性は十分にある。そして、それをわざわざ消そうとしたということは、“トキ”という名前から、その正体にぶつかる可能性があったということである。
「“トキ”が、島の人たちに名前を知られている、って可能性は、あるわけだよね」
恭介の思考をそのまま読み取って、凛が言った。
「でも、そんな人、昨日の歓迎会に来てなかったよ」
「バカ正直に姿を現したりはしないと思うぜ。日本人だったら、一発でバレるからな」
「そう考えると、自分の名前を出したりしないように、言ってあったりすんのかな。酋長とかに」
確かに“トキ”という文字列は、他の島民と比べて随分と日本的だ。
だが、これだけ情報があれば、揺さぶりはかけられる。かけられるが、酋長やウェルカーノが吸血鬼と知って繋がっていた場合、揺さぶりが逆効果となる可能性もある。もし、こちらが“トキ”の情報を掴んだと相手側に知れ渡れば、犬神の命が危ない。
『“トキ”が酋長たちと繋がっている』場合も厄介だが、『酋長たちが“トキ”と付き合いつつも、その正体を知らなかった』パターンというのも、それはそれで厄介だ。彼が害意のある吸血鬼であると証明するのは、並大抵の努力ではない。だが、もしもこの島が戦場になる場合、自分たちは説明責任を果たさなければならない。
「聞き込みを続けよう」
恭介は言った。
「犬神の連れ去られた場所を確認して、救出部隊を待機させる。竜崎に伝えて、“トキ”の正体をあぶりだすのは、その後でも良い」
これは危険の伴う決断かもしれない。
自分や、花園たちの身の安全を確保するなら、いちど竜崎に説明を通しておく方が確実ではある。
だが、いつ犬神が連中の手にかかるか、こちらの動向が察知され、島民たちは商人たちに危険が及ぶかということを考えれば、引き返すことによるタイムロスを被ることは避けたかった。
身勝手な考えで、班員を危険にさらすかもしれない。
「(大丈夫だよ、恭介くん)」
凛の意識が、心の中に反響した。
「(みんなのことは、絶対に守ろう)」
「(ああ)」
強い決意と共に、恭介は密林の中を眺める。
その数分後、花園の聞き込み情報をもとに、一同は密林の中を進み始めた。
次回は明日朝7時更新です。
基本、1章14話構成を目指しておりましたが、1~3話増える可能性が出てきました。




