第50話 渇血症
その巨大な船が沖に姿を見せた時、アルバダンバ最西の島、デルフ島はちょっとした騒ぎになった。
海を渡り近づいてくる木製の帆船は、北の大陸から来る商船団の旗を掲げている。だが、島民がよく知る商船団の船はその一隻だけであり、後ろを走る鋼鉄製の黒船のことを知る島民は一人もいない。まずは漁に出ていた男衆がそれに気づき、浜辺で遊んでいた子供たちがそれに気づき、デルフ島の酋長と経理担当のトキハラを呼びに行った。
酋長は、予定より大幅に遅れたものの、商船がアルバダンバまでやってきたことを喜び、次に商船の数が一隻しかないことと、その後ろを走る黒船のことを訝しんだ。トキハラはあれも商船のひとつだろうと言い、商船団との取引を開始するため、他の島の酋長にこの件を伝えてくると、この浜を離れた。
いつものように、沖に停泊した商船から小型のボートが降り、商船団の団長であるウェルカーノが浜の方までやってくる。彼が孫のようにかわいがっているハーフエルフのレミィも一緒だったが、更にそこに、見ず知らずのドラゴニュートが混ざっていることが、島民たちの構えを硬くした。
ドラゴニュートは、大陸にでその生息が確認される半竜半人のモンスターのことだ。かつて大陸を支配していた竜の王の末裔であり、恐るべき力を振るう高い知能を有するため人間との交流も不可能ではないが、そうした変わり者の数は限られていた。
酋長も若い頃は海に出る戦士であり、大陸側の人間からドラゴニュートのことは何度か聞かされた。ほとんどが人間と交流を断っているとはいえ、ドラゴニュートは知的種族だ。珍しいと思いこそすれ、こういったことがまったくないかと言うと、ありえない話ではない。
「どうも、ご無沙汰しております。ベルゲル酋長」
両腕を左右の肩にあて、ゆっくりと頭を下げる部族式の最敬礼で、ウェルカーノは酋長にそう挨拶をした。
「あなたも息災そうで何よりである。ウェルカーノ。だが、今回は少し、奇妙なことになっておるな」
島の子供たちは好奇心旺盛なもので、初めて見るドラゴニュートのまわりに早速群がり始めている。怖いもの知らずな一部の子供は、尻尾を引っ張ったり鱗をつついたりしては、顔を青くした親に思いっきり殴られていた。
竜人は顔をくしゃりとゆがめ、手をぱたぱたと振っている。破顔、したのだろうか。その後、ドラゴニュートは、レミィと何かを話し合っている。
「まず、商船団の船が、いつもより少ないことについてなのだが……」
ちらちらと竜人のことを気にしつつも、酋長は尋ねた。ウェルカーノは難しい顔を作る。
「その件については、大変申し訳ない。実は、商船団が嵐に遭いましてな」
いつもと同じ口調で言ってはいるが、その言葉の先を理解できない酋長ではなかった。
「そうか……。大変であったな」
それでも、一隻だけでもここにたどり着いてくれたことには、感謝をするべきだろう。酋長も、部族式の最敬礼を行って頭を下げる。
次に、酋長は沖合に停泊した巨大な船舶に視線を向けた。
あのような船は、酋長も見たことがない。帝国では、その動力を風にも人力にも頼らない、魔導船というものが開発されている話なのだが、その類なのであろうか。この浜から見ても、遠近感が狂ってしまいそうなほど大きい。商船に比べても、数倍近いサイズがあった。
酋長の視線の先にあるものを、ウェルカーノも理解はしたのだろう。すぐに頷き、説明をしてくれた。
「あれは、このリュウザキ達の船なのです」
ウェルカーノの紹介の直後、ドラゴニュートも両肩に左右の手を置き頭を下げる、部族式の最敬礼を酋長に向けた。
「初めまして、ベルゲル酋長。現在は、あなたがアルバダンバの酋議会の議長であると伺っております」
「あ、ああ、いや。議会の議長というのは持ち回り制だ。私に、この連合国家の中で特別な権力があるわけではない」
思ったよりも流暢な言葉で挨拶をするドラゴニュートに、酋長は少したじろいでしまう。
ドラゴニュートはリュウザキと名乗った。どうやら、あの船には彼が連れる多数のモンスターが生活しており、途中、ウェルカーノ達を護衛する形で、このアルバダンバまでやってきたらしい。取り立てて害意はない、ということであるが、多数のモンスターが生活しているという言葉が、酋長にはちょっと、ピンと来なかった。
害意がない、というからにはないのだろう。それにウェルカーノがある程度の信頼を置いているようにも見える。つまり、相手はモンスターであるが、信用には足る。酋長はそのように考えた。デルフの島に暮らす部族は、アルバダンバでも特に開放的な考え方をする。外の世界のものを、よく受け入れる。
「沖合でクラーケンに襲われた時も、彼らに助けられました」
ウェルカーノがそう言うと、リュウザキは少し驚いたように、彼を見た。その表情の意味まではわからない。
「ウェルカーノ達を守ってくれたのなら、我々の兄弟だ。歓迎しよう、リュウザキ」
「あ、ああ……。はい。感謝します、ベルゲル酋長」
リュウザキはどこか拍子抜けをしたような表情を作り、改めて最敬礼をした。礼儀もよくわきまえている。
ウェルカーノ達が、酋長と今後の日程について話し合いを続けていると、比較的近くに暮らしている他種族の酋長たちがやってくる。アルバダンバも決して狭いわけではないので、遠くの島にいる酋長を呼びにいくまで、丸一日はかかるはずだ。
海上キャラバンとの交易会は、早くても明日、準備期間を見据えると、明後日以降の開催となるはずだ。他部族の酋長たちも、今は完全に手持無沙汰でやってきている。交易品となる魔鉱石や海産物などは、おそらく部族の若衆に準備させ、運ばせている最中なのだろう。
「ベルゲル酋長、我々の方でも品物は用意させていただいたので、よろしければ」
「ああ、それはありがたい。ウェルカーノ殿たちに不幸があったとはいえ、やはり交易品が少ないとなると寂しいからな」
大陸の商船団との交易は、アルバダンバでも年に2回しかない重要なイベントのひとつだ。商船一隻分となると、商品もかなり少なくなるので、交易会もかなりつつましやかになることが想像された。その中で、モンスター達が何か用意してくれたというのは、体裁を整える上でもありがたい話だ。
リュウザキからその後、しばらくアルバダンバに滞在したいという旨が伝えられる。酋長としては、アルバダンバの総意を出すことはできないものの、ひとまずデルフ島の酋長としては許可を出せる。
「しかし、モンスターというと、どのようなものがいるのだろうか?」
酋長は首を傾げた。リュウザキはそこで少し、言葉に詰まった。
このアルバダンバでモンスターと言えば、多くは海洋棲、すなわち魚人やクラーケン、シーサーペントなどが大半を占める。アルバダンバの島では、大型の肉食獣であるヤグァラが森の中に暮らしているくらいで、モンスターと呼べるような生き物は、生息していないのだ。
以前、商船団に連れられて大陸の稀少生物書士隊という連中が、このアルバダンバを訪れたことがあった。その彼らの話では、ヤグァラも広義では魔獣に分類されるということなのだが、少なくとも酋長はそのような存在としてヤグァラを認識したことはない。
そこで口を開いたのは、今まで黙っていたレミィの方である。
「ギルマンやオーク、ゴブリンといった亜人種モンスター。スケルトンやデュラハンといったアンデッドモンスター。ユニコーンやケット・シーのような霊獣型、魔獣型モンスター。多様なモンスターによる連合です」
「ほぉう」
思った以上にバラエティに富んだ構成に、酋長は感嘆の声を漏らした。
「一応聞いておきますが、人間を食べたりするようなモンスターはおりませんな?」
「ああ、そこは大丈―――」
言いかけて、一瞬、リュウザキは言葉に詰まる。だが、すぐにかぶりを振った。
「大丈夫です、ベルゲル酋長。人間を殺して食べよう、などと考えているモンスターは、我々の仲間にはおりません」
「ならば、良いのですが。つい最近、子供が一人、行方不明になったばかりでしてな……」
「な、なるほど……。それは心配ですね」
リュウザキの表情が、一瞬、複雑なものとなる。ウェルカーノもレミィも、それぞれ思い思いの顔で彼を見ていたが、それがどのような意味合いを持つのか、酋長にはわからない。
ドラゴニュート、竜崎邦博の仲間には紅井明日香という吸血鬼がいて、その吸血鬼が人間の血を求めていること。それこそが、竜崎が言葉に詰まった理由であり、ウェルカーノとレミィが彼の顔を見た理由でもある。
竜崎の表情には『これでは何か理由をつけて血を要求することは難しいな』というようなものであったのだが、当然、それを理解できるような力は、酋長にはなかったのである。
沖合に停泊した重巡分校に、しばらくして竜崎が戻ってくる。あっさりと上陸許可が出たというのだから、生徒たちは拍子抜けを喰らってしまった。2週間近い航海ですっかり陸地が恋しくなった生徒たちは、サンダーバードの神成鳥々羽にしがみついたり、小舟を降ろしたりして、浜へ向かう準備を整えていた。
「おい、瑛、大丈夫か? アルバダンバについたぞ?」
「あ、ああ……。とうとうついたのか……。うっ……」
ウィスプ火野瑛はグロッキーだ。見るからに身体を構成する火力が小さい。
「すまない、恭介……。エチケット袋を出してくれないか……」
「そ、そんなのあるのか? いや、そもそも吐くのか……?」
「の、乗り物酔いで今にも吐きそう……。うっ……」
ぶぱっ、と、ウィスプの身体から大量の白い灰が噴出した。
「うおっ……」
「す、すまない。恭介、見苦しいものを……」
「いや、ヴィジュアル的には別に見苦しくないし良いんだが……。そうか、これ吐しゃ物なのか……」
部屋の片隅に置かれていた箒で、床にばらまかれた灰を掃除する恭介。
「まぁ、またしばらくすれば航海だからな……。短い滞在になるかもしれないけど、せっかくの南の島だ。満喫しよう」
「そう、そうだね……。南の島か……」
瑛がふらふらと飛びながら、そんなことを言った。
「他の、生徒たちは……もう、上陸しているのか?」
「凛は待っててくれてるよ。あと、佐久間は紅井のところにいる」
「紅井の……」
「ああ」
恭介は頷く。
紅井はいま、部屋の中に引きこもって上陸しようとしていない。実はここ数日、また調子が悪くなってしまったようで、食堂に姿を現すことも少なくなった。やはり、血が吸えていないためだと思われる。
クラスメイト達もそれなりに紅井のことを心配しているようで、魚住兄妹はウミガメを捕まえてきて杉浦に渡していたし、杉浦はそのウミガメの肉で生焼けのステーキを作って、紅井専用のメニューを作っていた。抜いた血を瓶に入れて紅井に飲ませたということなのだが、彼女の調子が改善された様子はない。
一部のクラスメイト達は、なんとかして人間から生き血をもらう手段について考えていたのだが、どのような手段をもってしても、人間たちの信頼を損ねるような結果にしかならないということで、実行には移せずにいた。
佐久間やカオルコなどが、時折思いつめたような表情をしていたところを見るに、彼女たちも《魅了》の力を使って血を提供させることを、考慮に入れてはいたのだろう。
恭介は、ゆっくりと飛んでいる瑛のペースに合わせて、廊下に出る。そのまま凛の待つ甲板に向かおうとして、意外な生徒たちが廊下で待っているのを目撃した。
「なんだ、春井に蛇塚じゃないか」
ハーピィの春井に、ラミアの蛇塚。
クイーン紅井の取り巻き、という言葉が、何やら妙に懐かしく感じられる2人である。2人は、恭介たちの方に視線を向けたが、すぐに逸らして、退屈そうな表情を見せた。
「2人とも……。何をやってるんだ?」
「待ってんの。明日香のこと」
瑛の言葉に、春井が妙にとげとげした口調で言う。
待ってる、と言いながら、2人の立っている場所は、紅井の寝室からは少し離れていた。言葉に含まれた攻撃的な色合いの意味までは、恭介には理解できない。が、理解できないなりに、想像を巡らせようと頭を働かせる。
「ずいぶん、機嫌が悪そうだ」
恐れを知らない火野瑛が、恐れを知らずにそう言った。
「はん、てめぇに何がわかんだよ」
「いや、僕にはわかるよ。紅井が、自分たちを頼ってくれないのが不満なんだろう」
瑛があっさりと言うと、2人は表情をこわばらせる。恭介は首を傾げた。
「どういうこと……かは、聞かない方が良い、のか?」
「ま、恭介、君が彼女たちの心の機微に配慮するというなら、僕はこれ以上言わないよ」
ぴくり、と春井の顔が引きつった。彼女が何かを言おうとした、ちょうどその時、少し離れた場所の部屋の扉が開く。紅井明日香と佐久間祥子が姿を見せた。春井と蛇塚は、まず心配そうな顔を作り、そしてすぐに、それを掻き消す。
「明日香……」
蛇塚が、ぐったりした様子の紅井を見て、ぽつりと呟いた。
紅井明日香は、すっかり顔色を悪くしていた。もともと肌の白い紅井だが、今や白いを通り越して青白い。まるで蝋のようなのっぺりとした白さは、不気味な生々しさがある。まるで死人のそれだ。
これが血の不足によって引き起こされている症状だというのなら、何故こうなるまで黙っていたのか。
「あ、ウツロギくん。春井さん達も」
佐久間の声を聴いて、紅井は、こちらに気付いたように顔をあげる。
「………ああ」
とだけ言って、特にそれ以上の言葉を語るわけでもなく、視線を落とす。
「明日香、大丈夫なん?」
「……しんどいけど、平気」
春井の言葉にも、なるべくいつもの言葉の調子を崩さずに、そう言った。
「……ウツロギと、火野もいるんだ。ちょうど、よかった」
そのまま、視線を恭介たちに向けて続ける。
「……この状態について、ウツロギにも、ちょっと話しておきたいことがあって」
「ああ、俺は別にかまわないけど……」
「おい明日香」
恭介が返事をしたところで、後ろから春井の冷たい声が響いた。
「なんだよ、それ」
「春井……」
「別に、佐久間とかウツロギのことを頼るなって言ってるんじゃないんだけどさ、なんで、そういう大事な話とか、毎回あたしらにはしてくれないわけ? なに? あたしらって、明日香にとって、そんなに頼りがいのない女だったわけ?」
その言葉には、妙なトゲがある。言葉の意味をそのまま理解するなら、確かに、瑛の言った通りの意味となるのだろう。恭介は、ようやく理解した。
「あたしら、友達じゃなかったん?」
この2人は人間時代から、紅井明日香の取り巻きだった。少なくとも周囲の認識はそうだ。だが、“取り巻き”とはやや悪意のある言い方であって、少なくともそれは彼女たちにとっては、“友人関係”である。傍から見て、そこに上下関係じみたものはあったかもしれないし、春井たちがそれに甘んじていたのは事実だったかもしれないが。
それでも、紅井が吸血鬼だったという事実を隠していたのは、春井たちにはショックだっただろうし、それを自分たちではなく、佐久間に先に打ち明けていたというのも、ショックだったのかもしれない。紅井は、佐久間やカオルコなどには頼るが、少なくとも春井たちには頼っていない。それが、もしかしたらショックだったのかもしれない。
そんなことを言われるとは思っていなかったのか。紅井は、驚いたような表情を見せていた。
「春井……」
「まぁ、別に良いけど。先に行ってるし」
そう言って、春井は紅井達に背を向けて、甲板に向けての階段をあがっていく。
「あ、おい春井!」
蛇塚も声をあげて、彼女を追いかけて行った。
紅井もそれを視線で追うが、すぐに恭介の方へと目を戻す。
「……それで、ウツロギ。今の、あたしの状態についてなんだけど」
あっさりそんなことを言ったのに、恭介は驚いた。
「春井たちを追わなくって、良いのか?」
「先にこっちの方を話しておきたい……。ああ、サチ、ごめん。もう大丈夫……」
佐久間に肩を預けていた紅井は、そう言うと、辛うじて自分の両足で、廊下に立つ。
いくらかよろけているが、存外に立ち方はしっかりしていた。荒い呼吸を肩で繰り返しながら、汗で額に張り付いた黒髪を掻く。
「渇血症……。って、言うんだけど。今のあたしの状態」
「渇血症……?」
「そう……。人間の血が長い時間入らないと、そうなる……」
恭介たちの世界における“吸血鬼”とは、血に通した特殊なエネルギーで力を得た種族である。魔力にもよく似たそれは、霊的な遺伝子のようなもので、個々それぞれによって形が異なる。霊的遺伝子の中にある同一構造部分を通して、主は眷属に対して指令を下すことができる。
紅井の血の中には、王の霊的遺伝子からの命令を受け取る同一構造が存在するし、紅井の眷属となった恭介の中にも同じ霊的遺伝子構造は存在する。
吸血鬼はかつて普通の人間だった。そこに、外的な手段によって霊的遺伝子を血に流せるようになった種族である。それは吸血鬼の間に生まれた子供にも受け継がれるが、本来その霊的遺伝子は人間が持つべきものではなかったため、構造上の無理が生じている。
生命活動や力の行使によって消費された霊的遺伝子は、血液の中に滞留する。いわばエネルギーの死骸だ。それは、いくら循環しても、もともと人間と大差のない吸血鬼の内臓器官では浄化することができない。そこで、エネルギーの死骸が混ざっていない、純粋な人間の血を摂取する必要が出てくるのだ。
長期にわたり血を摂取せず、エネルギーの死骸で血液が淀んでいる状態。それが渇血症である。
「それは、わかったけど……」
恭介は頬を掻いた。
「なんで、そんなことを話すんだ?」
明日香は、次に、意外なひとことを口にした。
「このまま血が吸えなかったら、あたし一度、あんたに血を返してもらわなきゃいけないかもしんない、ってこと」
そんなことできるの? と、恭介は思った。
次回は明日朝7時更新です。




