第49話 海を越えて
その日、朱鷺原はいつものように、アルバダンバの酋長会議に参加した。
月に一度開かれるこの酋長会議は、次の一ヶ月のアルバダンバの方針を占う上で非常に重要だ。今ではすっかり常連となった朱鷺原も、アルバダンバの一員として気を引き締めて臨む。
主に話し合われるのは、国ごと、部族ごとに定められた漁場の再分配である。魚介類が主要なタンパク源となるアルバダンバだが、良い魚の捕れる場所やたくさんの魚が捕れる場所というのは海流の関係上限られており、どこの部族がどの漁場で魚を捕って良いかというのは、そのひと月の漁獲量を参考に毎回決めなおす。違反した部族へのペナルティは重く、部族によっては違反者を死罪を課したりもする。
5年ほど前から、数字に強い朱鷺原が、この話し合いにおいて重要な裁定権を持つようになった。袖の下を持ち込もうとする部族もいないわけではなかったが、朱鷺原にとっては、この酋長会議での信用こそが一番の財産である。それらは強硬に突っぱねた。
今回も、滞りなく漁場の再分配は終了した。
「次は、大陸から来る商船団のことだ」
議長を務める酋長が、重々しい声で言った。
「半年に一度、デルフの港にやってくるはずの商船団だが、予定よりだいぶ遅れている」
「航海は海や風に左右されますからね。これくらいはよくある範囲でしょう」
酋長の言葉に朱鷺原はそう言ったが、彼はおおよそ、何が起きたかを理解していた。
彼らの話す商船団とは、大陸南方商会ギルドから派遣される、海上キャラバンのことである。大陸で製造された珍しい品々をアルバダンバまで運び、アルバダンバで採掘される特殊な魔導鉱石や、周辺海域で採取される珍しい魚介類、モンスターの素材などとの交易をおこなう。中央帝国の支配から完全に抜けているアルバダンバが、帝国の技術に触れる数少ない機会であり、交易によってもたらされる品々はアルバダンバの国民たちにとっても人気が高い。
交易の場にはそれぞれの部族の酋長が参加をするが、その際、より良い品、より珍しい品を仕入れられるかどうかは、部族内における酋長の評価にも微弱ながら影響を及ぼす。そうした理由もあって、この商船団との交易は、アルバダンバでも重要な意味を持つようになっていた。
その商船団が、アルバダンバに到着しない。
当然だろう、商船団はほぼ全滅しているはずだ。
アルバダンバに籍を置いている朱鷺原としては歯がゆい話だったが、彼はおおよそ、その事実を認識している。
“ルーク”が動いたのだ。
王の勅命で行動し、主に裏切り者の粛清を担う大駒の片割れ。ルーク“疵面の赤”。
海上キャラバンには、大陸の冒険者ギルドに潜入させていたポーンが一人いた。大陸南方の戦線から引き上げる最中だったそのルークは、王からポーンの裏切りに関する報告を受け、商船団を襲ったのである。結果としてキャラバンの船は、ほぼすべてが沈没した。残った船も海流の関係で、サハギンの生息域まで流されてしまっている。
彼らも運が良ければこのアルバダンバまでたどり着くだろう。だが、たどり着いたとしても一隻だ。商船団との交易は、かなりつつましやかなものとなる。
「近海が荒れたという話は聞かないが……。海では何があるかわからんからな」
酋長の一人が顎髭を撫でながら言う。
「商船団に関しては我々が気をもんでも仕方があるまい」
「然様、彼らの航海の無事だけを祈るしかないだろう」
「ふむ、そうさな」
「ベルゲル酋長、次の議題は?」
酋長たちが口々にそう言い、議題はあっという間に流れてしまう。
このあたりの適当さは、このアルバダンバの特色と言っていい。おかげで潜伏はずいぶんと楽だった。
「これが最後の議題だ。議題というほどではないが……。また、子供の失踪事件が起こった」
酋長たちはざわつきこそしなかったが、一様に顔を引き締め、会議の空気が変わった。
海洋連合国家アルバダンバでは、1ヶ月から2ヶ月に1回の頻度で、子供の行方不明事件が起こる。子供に外で遊ぶことを禁じていても、必ずどこかで起きてしまう。高波にさらわれたとか、密林に潜む肉食獣に食い殺されたとか、様々な憶測はたてられたが、明確な答えは出ていない。
もし、アルバダンバに文字の文化があり、記録をすべて記すことができていたならば、この事件が朱鷺原の出現とほぼ同時期に発生していることに、誰かが気づくことができただろう。
失踪事件の犯人は朱鷺原だ。定期的に人間の血を摂取しなければ、渇血症を患うことになる。
だから、最長スパンでも2ヶ月に1度は、人間をさらって血を吸う。それが子供というのは、単に朱鷺原の嗜好によるものだ。加えて、死体の処分が楽だというのもある。大人だろうが子供だろうが、血を吸った相手を生かしておいては面倒になるから、殺しておくしかないのだ。
「トキハラ、今回はそなたの家の近くの浜辺で起こったそうなのだ。遊んでいた子供たちの一人がはぐれて、その後戻ってこなかったそうでな。何か知らぬか」
「いえ……。いつごろの話でしょう」
「1週間前の夕方であるそうだ」
「やはり、存じませんな」
朱鷺原は知らない顔をした。酋長は『そうか……』と痛ましい顔を作る。
「お力になれず、申し訳ありません」
「いや、良い……。何か、防ぐ手立てはないものか……」
こちらも、悲痛な顔を作ることは忘れないが、朱鷺原は頭の中で、既に別のことを考えていた。
日程的にも、そろそろクイーン率いる生徒たちが、このアルバダンバを訪れるはずだ。モンスター軍団を果たしてこの国に滞在させられるかどうかという問題だが、さほど、難しく考える必要はないだろう。この連合国家は、意外なほどに開放的だ。朱鷺原がちょっと口利きをすれば、どこかの部族は受け入れてくれる。
ただ、彼らの滞在中、朱鷺原は姿を見せるわけにはいかない。日本人であることはすぐにバレるし、更にいえば、目が赤いから吸血鬼であることもバレてしまう。クイーンに見つかってしまえば決定的だ。
姿を見せずに、彼らのこれからの行き先を探り、それを王に報告する。
そしてできることなら、クイーンの血を採取し、それを王に届ける。
前者はともかく、後者は難題だ。アケノから預かったポーンが潜伏しているとはいえ。
このアルバダンバを、戦いの朱に染めることは、あり得るだろうか。
まぁ、そうなったらそうなっただ。目の前で顔を突き合わせている、お人好しの酋長たちには、気の毒な話だが。
「うおおおりゃあああ―――――ッ!!」
ストリーム・クロス状態となった恭介による渾身の蹴り込みが、艦のへばりついた触手のひとつにえぐり込む。だが、その太さだけで2、3メートルはあろうかという巨大な触手は、打撃攻撃ではビクともしなかった。恭介は手刀を作り、改めてその触手を睨んだ。
「凛、カッターで叩き切る!」
「了解!」
掲げた手刀を振り下ろす瞬間、加圧された水が直径わずか1ミリの太さで放出される。超高圧の水流は、如何な軟体と言えどその衝撃を殺し切れず、触手はあっけなく切断された。ウォーターカッターが船上の他の設備を傷つけないよう、凛は素早く水を止める。
切断された触手は甲板の上をのたうつが、すぐに動かなくなった。吸盤にはトゲが生えており、甲板に傷をつけている。
「よし、一本!」
「これ、食べられるのかなぁ……」
重巡分校と海上キャラバンの商船は今、クラーケンに襲われていた。
イカだかタコだかよくわからない、海の魔物だ。セレナメモによれば、海の王が直接産み落とした水棲モンスターの末裔であるということだが、そんなことは正直どうでも良い。触手の長さだけで、50メートルは下らない巨体に加え、こちらは船上、相手は海中ということもあり、かなり苦戦を強いられている。
カオルコが真っ先に魅了を試みてはくれたのだが、効いているのかいないのか、よくわからない内に触手に弾かれて飛んで行ってしまった。いや、弾き飛ばされたのだから効いていなかったのだろうが。とにかく、巨大なイカゲソに絡まれて沈没しそうな商船を、クラーケンから守るために戦闘中、ということなのである。
恭介たちは重巡分校の甲板で、触手のひとつをようやく叩き切ったところだった。
このクラーケンは相当な業突く張りと見え、商船と重巡分校の両方に触手を伸ばしている。だが、大きさ的にも分校の方を沈めるのは至難の技だろう。どちらかといえば、商船の方を守ってやらねば危ない。
既に、《完全竜化》中の竜崎が空からクラーケンに向けてブレスを吹きつけている。竜崎だけではない。烏丸や猿渡、春井など、飛行可能な生徒たちはクラーケンの本体に何度も攻撃を仕掛けているし、奥村やゼクウ、それに剣崎などは、既に商船の甲板に飛び移って触手を切り落としにかかっている。
「恭介くん、あたし達も!」
「よし、行くぞ!」
足の骨の構造を逆関節状に組み替えて、十数メートルはある船の間を、軽々と飛び越えていく。恭介と凛は、そのまま商船の甲板へと落着した。
「来たか、ウツロギ!」
ちょうど、剣崎たちは協力して、一本の巨大なゲソをひとつ、切り落としたところだった。
「加勢する。残りのゲソは何本だ?」
「確認できているだけで12本だ。だが、なんとも言えんな」
剣崎は、床に転がした顔で渋面を作る。ここに置いておくといざというときに踏みつぶしてしまいそうなので、恭介はそっと隅っこの木箱の上に載せておいてやった。
一方、残る触手の数を聞いた凛は、唸り声をあげる。
「多いなぁ。イカの足って10本じゃなかったっけ」
「志摩マリンランドには足が96本あるタコの標本があるんだぞ」
「ウツロギ、姫水、だいたいクラーケンはイカでもタコでもないデブ」
触手の何本かは、まだ重巡分校にもしつこく張り付いている。だが、あちらの方にもまだかなり戦力が残っているから、心配はいらないだろう。そう思っている内に、頼れる男の代表格であるゴウバヤシが、船室の中から飛び出してきた。マントをたなびかせながら、黄金色の闘気を身に纏っている。
叩きつけられるように伸びてきた一本のゲソを正面から受け止め、両腕で掴むとそれを強引に引き千切った。さらに迫るもう一本を、後ろ回し蹴りで両断する。打撃攻撃であの軟体を切断できるのは、果たして闘気による効果なのか、オウガの並外れた身体能力によるものなのか。
さらに見れば、今までその強烈な見た目以外に対して個性を発揮していなかった触手原が、いつになく張り切った様子で、甲板に佇んでいるのがわかる。
「俺の触手とおまえの触手……。どちらが上か、勝負と行くぜ!!」
直後、触手原撫彦はゲソパンチを喰らって海の中へと飛んで行った。海中には魚住兄妹やサハギンによる水中部隊がいるので、すぐに救助はしてもらえるだろう。普段は戦闘要員ではない杉浦彩も、この時ばかりは海中から援護に回ってくれている。
重巡分校に貼りつかれた触手は、ゴウバヤシがすべて叩き切ってくれた。自由になった分校はゆっくりと回頭をはじめ、艦首をクラーケンの方へと向ける。船室から飛び出してきたゴブリン達が、次々と銃座についた。
とは言え、機関銃の弾薬も有限だ。危機回避の牽制用くらいにしか、今は撃てないだろう。
空中部隊も、健闘を続けている。烏丸、春井、猿渡の全員は、風属性の精霊魔法を扱うことができた。《風刃》をはじめ、切断系に特化した風属性の攻撃魔法は、クラーケンに対してそれなりの有効打を得ている。竜崎の火炎放射も効果的だ。神成は電撃が使えないが、頭のあたりに猫宮を乗せたまま、触手を掻い潜ってヒット&アウェイを繰り返していた。
「いくぜっ! 俺の青春の結晶!」
猿渡は、両腕を向い合せ、風のエネルギーを集約させる。野球のピッチングのように、空中で大きく振りかぶると、球状に集約された風の魔力を勢いよく投射した。
「疾風剛弾!!」
風の刃を圧縮した球体である。クラーケンの“腹”の肉を食い破って行くが、貫通とまではいかない。肉が分厚すぎるのだ。
「猿渡、なんだ今の」
春井が冷ややかな目を猿渡に送る。
「俺の青春の結晶……。魔球だ!」
「あぁ、うん……。そう……」
春井はそれ以上突っ込まなかった。
やはりクラーケンを倒すのであれば、内臓などの重要器官が詰まった頭部や腹部を集中攻撃するのが手っ取り早いのだが、多くの生徒が飛行できない以上、それも難しい。恭介たちは商船に張り付いた触手を、地道に引っぺがしていくしかない。
「というか、火野はどうした。火野と合体すれば早いんじゃないのか!」
触手の一本に剣をぶち当てながら、剣崎が叫ぶ。恭介はマストに張り付いた触手めがけ、ウォーターカッターを発射した。
「瑛は船酔いで寝込んだままだ!」
「なら凛は! 凛も飛べるだろう!」
「水が足りないよ! 切れたら海にまっさかさまだし!」
割と、ままならないものである。
「まだ甲板に出てない奴がいるぞ。原尾は! あいつの念力があれば!」
「寝てる」
「茸笠はどうした! あいつの胞子でゲソをキノコまみれにしてやろう!」
「海に落ちたらシオシオになってしまうので、怖がって出てこれない」
「雪ノ下はどうだ! 冷凍光線で氷漬けにするぞ!」
「暑くて半分くらい溶けてるから許してやってくれ」
万年寝坊野郎の原尾真樹は論外としても、マタンゴの茸笠や雪女の雪ノ下など、環境ゆえに全力を発揮できない種族もいるというのが、海上戦闘の厄介なところではあった。瑛を寝かせているのも、下手に不調な状態で出てこられても、海に落ちればそのまま死んでしまいかねないという理由による。
なお、雪女に転生した雪ノ下涼香は相当なポテンシャルを有していると目されているのだが、本人の性格に致命的な問題があって前線に出たことは少ない。苦境や逆境に立たされると自身を奮い立たせ“燃える”タイプの女なので、下手にピンチの状態で出したりすると、勝手に燃えて勝手に溶けるのだ。基本、役に立たない。
「お、遅れてごめんなさい!」
そんな声とともに、キャビンから少女が転がり出る。
「佐久間祥子、犬神さんと一緒に前線に出ます!」
サキュバスの佐久間だ。彼女に連れられるようにして、更に獣化した犬神が甲板に躍り出る。犬神は、分校に張り付いている触手がないことを確認すると、ゴウバヤシと一緒にこちらの商船の方に飛び移ってきた。佐久間の方は翼を広げ、空中戦組に加勢する。
紅井は出てきていない。血を吸えていない彼女に無理強いをするのも、今はちょっとできないところだ。
「魚住たちが今、海中の残りの触手を切って回っている」
ゴウバヤシは、触手のひとつを引き千切りながらそう言った。
「触手を全部切り落としたら、本体を佐久間の魔法で一気に焼く。ウツロギ、行けるか?」
「えっ、俺?」
恭介が、思わず顔を向けて尋ねてしまう。
「白馬から聞いたぞ。佐久間の魔法を《特性増幅》で強化する戦法があるんだろう。確か、ジャイアントバーストとかいう……」
「ビッグバーストだよ……」
寺の息子で煩悩とは無縁に見えるゴウバヤシだが、果たして白馬が込めたもうひとつの意味に気付いているのだろうか。
「えっ、恭介くん。それ初耳だよ。なに? さっちゃんのビッグバストがどうしたって?」
「凛……。おまえはいつもストレートなんだなぁ……」
「ふっ、ウツロギ。それが凛の良いところなのだ」
腕を組んで、なぜか自慢げにズレたコメントをする剣崎である。
ともあれ、佐久間の魔法攻撃力を恭介の力で増幅して撃ちだすのがビッグバーストだ。別に他の生徒の魔法攻撃でも、良いと言えば良いのだが、小金井がいない今、魔法攻撃の威力が一番高いのは佐久間だから、必然的に佐久間にバフをかけるのが、理論上最大火力を出せる計算になる。
「なるほどなるほど」
凛にはすぐに伝わった。合体状態というのは便利なものだ。
「ふと思ったんだけど恭介くん、さっちゃんとかカオルコちゃんに《特性増幅》使ったら、《魅了》の効果も増幅されたりするのかなぁ」
「うん? まぁ、するんじゃないか? 佐久間が《魅了》を使うところは見たことがないけど」
「ふむー……」
凛は何やら声を漏らす。恭介は、顔をあげて空中戦組を見た。
既に、空中戦組を迎撃するだけの触手は、クラーケンには既にない。おそらく残った足はすべて、海中で魚住たちと交戦中なのだろう。無防備になった腹めがけて、魔法やブレスが次々に炸裂していく。このまま放っておいても、倒せそうではあるのだが。
「これ、やっぱ掛け声として技名を叫ぶの?」
「え、えぇと。多分そうじゃないかな……」
「じゃあ叫ぼう」
「お、おう……」
あまりにもあっけらかんと言う凛。恭介は小さく咳払いをして、空を飛ぶ佐久間に声をかけた。
「さ、佐久間! びっ……ビッグバーストを、使うぞっ!!」
決していやらしい単語ではないはずなのに、口にするのが無性に恥ずかしい。何のプレイだ、これは。
空に浮かんでいた佐久間が、すぐにその声に気付き、商船の甲板へと飛んでくる。やたらと嬉しそうな顔をしていた。
「わかった、ウツロギくん! ビッグバーストだね!」
「よくわからんが、そのビッグバーストであのクラーケンを倒せるのだな?」
剣崎もまったく気づいていない様子で会話に混ざって来るので、恭介は頭を抱えてしまった。
「あ、え、えっと、姫水さん。ウツロギくんの力、借りるね」
「恭介くんはあたしのものではないから、存分に借りなさいよ」
「ウツロギくん、よろしくねっ!」
何故か頬を上気させて、満面の笑みとなる佐久間。
気のせいかもしれないのだが、ここ最近、彼女はなんだか妙に吹っ切れたように感じられる。何を吹っ切ったのか、と言われるとちょっとわからないが、開き直ったというか、前向きになったというか。まぁ、なんにせよ良いことだ。
佐久間がこちらに背中を向けて詠唱を開始したので、恭介は少し手をさまよわせた。どこに置くか、というのは、結構難しい問題だ。散々迷った結果、恭介は結局、前回と同様、肩に触れることにした。
「うおっ、さっちゃんの肩、なんか柔らかい」
恭介が思っていても意識しないようにしていた言葉を、凛が言葉にしてしまう。佐久間の体温がちょっぴり上がった。
「みんな避けろ! ウツロギと佐久間が、ビッグバーストを使うぞっ!!」
剣崎の大音声が響き、空中からクラーケンの本体に攻撃を加えていた一同が、大きく散開する。
「佐久間、わかってると思うけど、この船を壊さないようにな」
「うん、わかってる……!」
詠唱を終えた佐久間は、充填した魔力をクラーケンへと向けた。掌から、黒い炎が大きく燃え上がり、禍々しい爪のような形を作る。
「イヴィルフレア・ビッグバーストッ!!」
佐久間の叫びと共に、邪炎の凶爪が解き放たれる。5つの爪は、まるでそれ自体が別々の生き物であるかのように空を切り、迸り、クラーケンの白く柔らかそうな身体に飲み込まれていく。それは、今まで空中戦部隊が攻撃を重ね、傷だらけになったクラーケンの腹部に大きく食い込んで、数秒後、爆裂した。
断末魔は響かない。爆音がその代わりだ。大きく弾けたクラーケンの身体は、ゆっくりと海の上に倒れ込み、水柱をあげる。
「いよしっ……!」
佐久間が両こぶしを握って快哉を口にした。
「お美事」
凛も佐久間に称賛の言葉を送った。
恭介は大きく溜め息をつく。クラス全員の戦闘能力が向上していることもあって、とりたてて苦戦をしたわけではないのだが、手のかかる相手だった。やはり、海の上でこれだけの大型モンスターと戦うのは、困難が伴うのかもしれない。
「……おお、終わりましたか」
船室に引っ込んでいたウェルカーノ氏が、ひょっこりと顔を見せて言った。
「……ええ、船も大きな傷をつけずに守れました」
答えたのはゴウバヤシだ。口調は丁寧だが、闘気を解除したわけではないので、やはり威圧感が凄い。
「腕利きの冒険者でも、海上でクラーケンを撃退できるものなどそう多くはありますまい。流石ですな」
使い古されたような世辞ではあるが、聞いていて悪い気はしない。
ウェルカーノ氏が謝意を示しているのは本当なのだろうが、やはり少し距離を置いてしまっている。これだけの力を見せれば、怖がられてしまうのも道理なのだろうか。船室からは、レミィが辛うじて顔を覗かせているだけで、やはり他の商人たちは出てくる気配さえ見えない。
「では、我々は戻りますので。少し落ち着いたら、また出航しましょう」
これ以上、この甲板に長居をしては相手を怖がらせるだけだと判断したのだろう。ゴウバヤシはそう言い、空中部隊に手を振った。重巡分校から商船に飛び移るのは、分校の甲板の方が高い位置にあるので容易なのだが、逆となるとそうはいかない。神成や竜崎に、きちんと運んでもらう必要がある。
「やっぱ人間から見たら、怖いものだよねぇ」
凛がぽつりと言う。
「まぁ、あたしも人間のつもりではあるけどね」
「うん……。ウェルカーノさん達から見たら、私たち、本当にただのモンスターなんだよね……」
凛の言葉に、佐久間が頷いた。
別段、重い気持ちになるというわけではないが、やはり溝の深さを感じるのは良い気分でもない。実は恭介としては、今回の件で海上キャラバンの商人たちの警戒心を解き、紅井の為の血を別けてもらえたらと思っていたのだ。が、やはりそれは、望み薄だ。
「あたしも同じこと考えてたんだけどねぇ……」
そうこうしている内に、神成や竜崎たちが、商船の甲板に降下してくる。彼らの背中に乗って、恭介たちは、重巡分校へと戻って行った。見下ろすと、ようやく船室から商人たちが出てきて、船の傷のチェックなどをはじめている。
そんな時、不意に下の方から、悲鳴が聞こえた。男の野太い悲鳴である。
なんだ、と思って改めて視線を向けると、聞きなれた女の声が、こう叫んでいた。
「いかん! また首を忘れた!」
神成鳥々羽の背中で、首なし風紀委員が慌てていた。
クラーケンに襲われた時は、このような海の怪物と何度も闘わねばならないのか、と思ったが、あれは比較的レアリティの高い遭遇であったらしい。それ以降、重巡分校と商船は、大きな障害にぶつかることもなく、順調に海を渡って行った。
その間、クラーケンの足を使った料理やら、捕ってきた魚の一夜干しやらを商船の方に届けたりはしてみたものの、彼らが心を開く気配は一向に見られない。強いて言うなら、ハーフエルフのレミィが、重巡分校に興味を示していたくらいだが、彼女がこちらの艦に渡ってくることは、ウェルカーノ氏が許可してくれなかった。
ただ、アルバダンバに到着するまでの数日間、2年4組の生徒たちは、レミィから興味深い話を聞けた。
モンスターのどういった素材が、アルバダンバにおいて高値で取引されているか、などといった情報である。自分の身体の一部を叩き割ってまで売ろうとは思えないが、それが生産可能なものであるならば、用意しておかない法はない。
アラクネの糸は特に人気が高いと聞いた蜘蛛崎は、せっせと糸を出していたし、茸笠も必死に胞子を振り出しては、甲板の家庭菜園をキノコまみれにして花園にガチ切れされていた。
暮森は余った資材などで小さなオルゴールを作っていたし、手先の器用な五分河原やゴブリン達も、木彫りの工芸品などを作って暇をつぶしていた。
もちろん、古城で押収したテレビゲームに熱中してそんなことを考えない生徒もいたし、ただ変わらない水平線を眺めてぼーっとしているだけの生徒もいたし、釣りを楽しむ生徒もいれば、魚を干すのに熱心な生徒もいた。
そんなこんなで、およそ2週間。こちらの世界に来てから、2ヶ月と1週間近くが経過した、その頃。
それぞれが思い思いの船旅を満喫している中、彼らはようやく、海洋連合国家アルバダンバへと到着した。
次回更新は明日朝7時! 予定!




