第47話 使うべきか、使わざるべきか
ウェルカーノは、リュウザキと名乗るドラゴニュートとの商談を終えて、帆船の方へと戻った。そんな彼に、キャラバンの生き残りたちが難しい顔をして詰め寄ってくる。
8隻の帆船からなる海上キャラバンも、現在は1隻しか残っていない。生き残ったのは大半が若い商人で、経験の浅いものがほとんどだ。彼らはウェルカーノに視線を向け、口々に尋ねた。
「隊長、どうなりました?」
「やっぱり、連中の申し出を受けたんですか?」
ウェルカーノは杖を片手に、無言のまま頷く。
連中、というのは、もちろんあのドラゴニュートが率いているとされるモンスター軍団のことだ。しばらくこのキャラバンに滞在し、サハギン達からの護衛を引き受けてくれたオカマというインキュバスも、その軍団の仲間であるらしい。
ウェルカーノも、ウェルカーノ商会の会長として、大陸南方の様々な国を渡り歩いてきた。大陸南部は、他の地方に比べてとりわけ国の数が多く、それだけ多様な文化が存在する。特に南西部の竜王信仰文化圏と、南東部の獣王信仰文化圏は、人外種に対して非常に容認的であり、モンスターと親交を深める国や地方というのも、たびたび存在した。
だが、それにしても、あれだけ多様なモンスター種が人間の言葉をしゃべり、ひとつの軍団に統率されているというのは、異常とも言うべき事態だ。多くの商人が警戒しているのは、その得体の知れなさであると言える。
「あいつら……一体、なんなんですか?」
「わからぬ」
商人のひとりの言葉に、静かにかぶりを振る。
当然、ウェルカーノもリュウザキにそれを尋ねた。あなた達は一体どのような集まりで、何を目的にしているのかと。
リュウザキの言葉では、彼らは成り行き上ひとつになって動かなければならなくなったモンスターの集団であり、その全員の目的を達成するために、東の森を目指しているのだという。大陸東端、ソレイユ公国のさらに東側に広がる、鬱蒼とした森だ。
おそらく、嘘はついていない。ウェルカーノはその言葉を聞いて直感していた。だが、本当のことを話しているわけでもないだろう。こちらには言えない、何かしらの事情がある。
だが、そうした事情を差し引いても、リュウザキ達の申し出は海上キャラバンにとってありがたいものであった。護衛として雇った冒険者がみな流されてしまった以上、危険の付きまとう航海に戦力と言える手がひとつもないというのは、心もとない。月と星の位置から割り出したこの砂浜から、海洋連合国家アルバダンバまではかなりの距離がある。付近の海域にはサハギンが生息しているし、そうでなくとも海は危険がいっぱいだ。クラーケンにシーサーペント、そして海賊。そういったものから船と商品を守るには、やはり戦力が必要なのである。
「隊長、気持ちはわかりますけど、やっぱり危険ですよ」
若い商人が、不満も露わにそう言った。
「会長だって知ってるでしょう。大陸各地を襲った、レッドムーンとか名乗る連中の話は」
「それと、リュウザキ殿たちに、何か関係があるとでも言うのか?」
「ないと言えますか?」
そのように尋ねられては、ウェルカーノも反論はできない。
「商会ギルドは比較的自由権が与えられてると言っても、本部は帝国領のアルカルグにあるんです。下手に帝国に睨まれるようなことになったら、事ですよ」
リスクなど、百も承知だ。安全策を取るならば、この後、船を海沿いに進めて北上し、フィルナンド竜騎士王国に保護してもらうのが一番良い。
だが、キャラバンを結成し、船を動かし、冒険者を雇った時点で、大金が動いているのだ。ここで引き返せば、あれだけの金を払いながら一銭の売り上げも出すことができず、大赤字となる。ここにいる若い商人たちは、結局、首を吊ることになるのだ。
前に進むしかない。そして、前に進む以上、護衛は雇わなければならない。
何より彼らは、対価として金銭を要求していないのだ。
「気持ちがわかる、というならば、おまえたちの言い分だってわかる」
ウェルカーノは、木箱の上に腰を下ろしてそう言った。
「だが、我々の状況はもう“詰んで”いるのだ。多少のリスクを拾ってでも前に進まなければ、首の皮は繋がらん」
結局のところ、その言葉がすべてだ。現時点でとれる安全策は、展望を開いてはくれないのである。
この商人たちも、それが理解できないほど愚かではないだろう。感情的な側面、あるいは、危機意識を司る本能的な側面。リュウザキ達を否定したがっているのは、そうした側面の影響が強い。
おそらく、ここにウェルカーノがいなくとも、誰かが同じ結論にたどり着き、そしてこのように詰問を浴びせられていたはずだ。
この様子では、リュウザキがした他の話は、しない方が良さそうではある。
彼が護衛の対価として要求してきたものは、3つ。
ひとつは、アルバダンバへの入港の際、先方に対して彼らの身柄を保障するということ。
ひとつは、必要な資材を揃え、リュウザキの指定した大陸の南東部に運んでおいてもらいたいということ。
そして最後のひとつは、致死量に至らない程度の、人間の生き血を提供してほしいということ。
ひとつめの提案は飲んだ。ふたつめの提案は、改めて金銭のやり取りが発生するなら不可能ではないと告げた。
みっつめの提案に関しては、さすがに断った。
「それに隊長、俺たちが遭った嵐だって……」
そう言われて、ウェルカーノは目を細める。
「覚えてるでしょう。あいつが起こした嵐……。あいつだって、レッドムーンの仲間じゃないんですか?」
脳裏に去来するのは、数日前の記憶だった。
快晴だったはずの空に、突如として暗雲が立ち込め、雨風がキャラバンを襲ったのだ。海はひたすらに荒れ狂い、高波が横から船に襲い掛かった。結果として、いくつもの商船が転覆して、ウェルカーノ達の船だけが、辛うじて生き残った。
暴風雨の中、宙に浮かんでいた悪魔の姿を、ウェルカーノ達は見ている。全身を黒い甲冑で覆った、筋骨隆々の体躯。浅黒い肌と、刈り込んだ髪。血色の双眸と、口元から覗く鋭い犬歯。あれは確かに、報告にあったレッドムーンの一味に、よく似た姿を持っていた。
「なんであるにしても」
ウェルカーノは、改めてそう口を開いた。
「前に進まねばならん、という話に変わりはないのだ。彼らがレッドムーンの一味であり、ひいては、我々海上キャラバンを壊滅に落ち込んだ、あの甲冑姿の男の仲間であったとしてもだ」
結局のところ、結論は変わらない。
「今後、この件についての議論は受け付けない。彼らの船も、明後日には修理が終わるそうだ。こちらも船の修理を終わらせ、その後、アルバダンバを目指して出発する」
せめて船が2隻あれば、希望者のみ竜騎士王国を経由して帰らせることができた。
彼らの口にした言葉は、ウェルカーノはすべて織り込み済みで話をしている。リスクは承知で背負うしか、今はないのだ。
彼らが、こちらに何かしら害意を持って接しているのであれば、こちらが打てる手は皆無である。
だが、そうであった場合、自分は船に乗る若い商人達に恨まれながら死ぬことになるだろうな、とウェルカーノは思った。
「じゃあ、その海上キャラバンの人たちと一緒に、例の島国を目指すことになったんだ」
「ああ。一応、最低限の交渉は出来た感じみたいだ」
重巡分校に戻ってから、恭介は凛とそんな会話をした。
あの後、竜崎は親指を立てて恭介たちのところへ戻ってきた。一同は、少しほっとしたものである。その後、交渉の内容について竜崎の口から詳細を聞き、カオルコを交えてしばらく団欒した後、重巡分校へと帰還した。
既に周囲は真っ暗になっており、浜辺にはそこかしこで火が焚かれている。打ち寄せるさざ波の音を聞きながら、生徒たちもしばしのリラックス・タイムを迎えているといったところだ。何人かの生徒は、重巡分校ではなくこの浜辺で一晩寝るつもりらしい。
「ただ、紅井に血を提供する件はやっぱり断られたみたいだ」
「ああ、そりゃそうだよねえ」
凛も頷く。
「でも、紅井さん大丈夫だった? なんか、こう、アレでしょ? イライラしてるっていうか……」
「酒の切れたアル中みたいになっていないか?」
「もうっ! 恭介くん、あたしがせっかく言葉を選んだっつーのに!」
ぷんすかしながら全身で跳ねる姫水凛。スライムモーションも板についている。
「紅井は、佐久間やカオルコと話してから落ち着いてるよ」
「あ、そうなんだ。良かった」
凛は、心底ほっとした様子でそう言った。スライムに表情はないわけだが、最近になって、恭介は結構彼女の感情というものが読み取れるようになっていた。慣れという奴なのか。いちいち言葉に込める微細なニュアンスや、身体の跳ねさせ方のリズムが、なんとなくわかるのだ。
そんな様子を眺めながら、ふと、尋ねる。
「なぁ凛、こういうこと聞いて良いのかわからないんだけど」
「なになに? 言ってみ?」
「いや……。やっぱ失礼かなぁって」
凛には、自分と瑛と小金井、あるいは紅井と佐久間とカオルコのような、仲の良い友人はいないのか、と思ったのだ。だが、それを口にして尋ねるのは、なんだかデリカシーがないような気もする。
そう思って言ったのだが、凛は露骨に唇を尖らせた。正確には、尖らせるような仕草を取った。
「だから、そういう遠慮が良くないなぁって、あたしは思うなぁ。まぁ言ってみ?」
「いや、凛はそういう、話して落ち着くような友達、誰なんだろうなって」
「あー、あたし? あたしはねぇ、このクラスだとあんまいないね。強いて言えばつるぎんかな。まぁ、あたし自身、あんま精神が不安定になることないしね」
「そうか。凛は強いなぁ……」
砂浜に腰かけながら、目の前に焚火を眺める。夜の砂浜で、炎に照らされているスケルトンとスライムが、ただただ語らっているのだから珍妙な光景ではある。恭介はすっかり慣れてしまったが、これも、ウェルカーノやレミィに見せたら思わず眉に皺を寄せてしまうような光景なのだろう。
レミィに言われたことも少し気になった。こういう時、些細なことでも誰かに打ち明け、相談できるというのは安心する。それがほとんどなくても平気と言っているのだから、凛は強い。
「……ねぇ、恭介くん」
凛がぽつりと、恭介の名前を呼んだ。
「ん、どうした?」
「……いや、なんでもない」
「なんだそれ。俺には言えって言っといて」
何かを言い淀むなど、彼女らしくない。
「いやぁ、なんか……。夜の砂浜でさ、焚火を見て二人でお話しなんて……ロマンチックなはずなんだけどなぁ、と……」
「あー……」
どうやら、同じことを考えていたらしい。
「(ロマンチック、か)」
スケルトンとスライムではムードもあったものではないが、やはり凛もそういったことを考えるのだな、と思う。
いつの間にか、自分と凛は互いを名前で呼び合う仲になっている。いや、いつの間にかではないな。EX合体をしたあの時以来だ。2人の関係に何か言いたげな者もいたし、一切興味がなさそうな者もいた。
恭介は生まれてこの方17年。恋人というものが出来たことはない。
火野瑛がそうである、なんて冗談のように言う連中は常に一定数いたが、まぁ、それは置いておくとして。
今までいなかったものだから、恋人の作り方というものがわからない。
ぶっちゃけた話、凛は、自分のことが、好き、なのだと思う。
だが、彼女は『好きです』とも『付き合ってください』とも言ったわけではない。ただなんとなく、好意のあるような態度を見せているだけだ。はっきりと言ってもらったわけではないので、恭介にはかなり、不安が残っている。
姫水凛は元々、誰に対しても明るく優しく接する女の子だった。
そんな凛だったから、小金井も当初は好意を寄せてしまっていたわけで。
中学時代の苦い経験がある恭介としては、こういったものが『ネクラ野郎のキモい勘違い』なのではないかと、常に疑ってかかる癖ができてしまっているのだ。
「あー、大丈夫だよ。恭介くん」
恭介が悶々と考えていると、凛がそんなことを言った。
「あたしも恥ずかしくて、言わないだけだから」
「そ、そう?」
それでも、『じゃあ、凛は今、俺の彼女なの?』とは、聞けない恭介だった。
「ホラ、行きなさいよサチ!」
「えっ、ええっ。待って、ちょっと待ってよ……」
そんな恭介たちの様子を、少し離れた場所から見守っている影がある。
佐久間祥子と、丘間カオルだ。サキュバスとインキュバス、というと実に淫靡な組み合わせではあるのだが、インキュバスがサキュバスの背中を押している姿は、それこそ仲の良い兄妹(あるいは姉妹)にしか見えない。実態も、似たようなものではあった。
カオルが佐久間の背中をさっきから押しているのには、当然理由がある。
佐久間は今、周回遅れである。包み隠さず言えば、恋愛の話だ。
果たしてそれが、“恋心”と言えるほど確かなものであるかどうかは定かではないが、佐久間祥子は人間時代から、空木恭介を意識していた。していたのだが、恭介はこちらに来てから、姫水凛とつるむことが多くなり、その距離をグングン縮めていたのである。
正直、油断していたのはあるだろう。人間時代、恭介に想いを寄せる女子などいなかったわけで、そうした意味では完全に佐久間の独占市場だった。こちらに来てから、佐久間はサキュバスになって、凛はスライムになったが、結局それが佐久間にとって有利に働くことは、一切なかった。人間時代にアドバンテージを取っておかなかったのは佐久間自身の失策である。
そこまでドロドロしていない自分の感情は、あるいは恋愛方面に対する稚拙さ、幼さからくるものなのだろうか。それでも、凛を『羨ましい』と思う気持ちはあって、どうにもできない自分をもどかしく思ってはいた。
カオルが佐久間の背中を押しているのは、早くしないと挽回のチャンスまで無くなってしまうという理由である。
「あのねサチ、見たところ凛ちゃんは、愛の告白までしているわけじゃないのよ」
カオルは言った。
「してるわけじゃない、とは思うけど……。でも、あの2人、もう絶対恋人だよ……」
いつの間にか名前で呼び合うくらいにまでなっているし。多分、今から乗り込んでも勝ち目はない。羨ましいとは思うし、できることなら、自分もあんな関係になりたいとは思うけれど。
古城を発つ日、恭介に『頑張るから』と告げたは良いものの、頑張り方が、わからない。
しかしカオルは言った。
「でも、あの2人は高校生なのよ?」
「……カオルちゃんは違うの?」
「高校生は、付き合ってるか付き合ってないかのビミョーな空気感の違いなんて理解できないわ。良い? 『付き合ってる』とか『好き』とか、言語化しないと付き合ってるという事実を認識できないの。つまりサチ、あんたが横から『好きです』って言っちゃえば一気にアドバンテージを回復できるのよ」
「それで断られたらちょっと立ち直れないよ……」
ところで、インキュバスやサキュバスには《魅了》と呼ばれる種族能力がある。相手の好意を自分に向け、言うことを聞かせることができる、というものだ。カオルは完全に使いこなしている様子で、インプやサハギンなどを従えるまでになっていた。今も、キャラバンの護衛を従えたモンスターに任せ、こっちまで顔を出している。
が、佐久間はサキュバスに転生してから2ヶ月近く、そうした能力を一切使っていない。
『ダメよサチ、まだ《魅了》してないの? せっかくサキュバスになったんだから、早く済ませておかないと』
付き合ってる男の子とどこまで行ったの? みたいなノリで、カオルにはグイグイと責められてしまった。
サキュバスの能力を十全に行使できていない、というのは、つまりクラスに貢献できる余地がまだまだ残っているということだ。加えて、淫魔のフェイズ2能力とは《魅了》に関係するものであり、《魅了》を使えない以上はフェイズ2にも到達できない。
今でも十分、佐久間は戦闘要員としてクラスに貢献できている。だが、丘間カオルは、おそらく佐久間がしている以上の貢献ができるはずだ。佐久間同様の魔法能力に加え、《魅了》を使って従えたモンスター達。インプやサハギンなどに自由な指示が出せるなら、クラスのパフォーマンスは大きく向上する。
クラスのことを考えるなら、佐久間もさっさと《魅了》をマスターするべきなのだ。だが、別に好きでもない相手に《魅了》を使うのは、なんとなく違う気がして、今まで使えずじまいでいた。
しかし、しかしである。
しかし、意中の相手に《魅了》を仕掛けて振り向かせるのは、それはそれで、なんというか、ズルではないだろうか。という思いは、確かに佐久間の中にはある。加えて、恭介は凛と仲が良い。それをサキュバスの能力で無理やり自分に興味を向けさせるというのは、なんというか、やはり、良いものではない。
もちろん《魅了》の効果は一時的なものだし、効果の程度を調節することもできる。そう聞いても、やはり佐久間はどうしても、自分の力を恭介に使う気がおこらなかった。
と、言うようなわけで、佐久間祥子は、今こうしてグダグダしてしまっているのである。
「……やっぱり、《魅了》は使うべきなのかな」
佐久間がそんなことを言うと、カオルは肩をすくめた。
「さぁ? アタシは意中の相手を落とすのには使ったことないわ。それに使っても、効果は一時的なものよ」
「で、でも、好きでもない人を《魅了》するのって、なんか、やだ……」
「まぁそこは個人の好き好きね。『好きです』なんて愛の告白だって、結局、《魅了》と大して変わんないわよ。告白したら一時的にこっちを見てくれるけど、相手も好きになってくれるかは、本人次第だしね」
『うーん』と、カオルは大きく伸びをする。
「アタシは、またキャラバンの方に戻って見張りを引き継ぐけど、あんたも頑張んなさいよ?」
「う、うん……」
「じゃあねー」
丘間カオルは、翼を広げて夜の闇に消えて行く。佐久間は拳を握って、改めて恭介たちの方を見た。
恭介の横には姫水凛がいる。スケルトンとスライムであるから、表情なんてないように見えるのだが、語らう姿はとても楽しそうに見えた。あそこに、自分の入り込む余地が、果たしてあるのだろうか。
いや、あるのか、と考えていてはダメだ。頑張ってねじ込まないと。
「よ、よしっ……」
佐久間は拳を握って、恭介たちの方へと歩いていく。
もう、自分はだいぶ遅れてしまっている。《魅了》を使って、少しでもアドバンテージが取れるなら……。という気持ちが、少しずつ勝ちつつあった。やはり、恭介と凛が仲良さそうに話しているのを見ると、羨ましいのだ。
別に、永続的に自分に惚れさせるわけではない。ほんのちょっと、興味を自分に向けるだけだ。後味が悪いならもうしなければ良いし、別に凛への好意を根こそぎ自分へ向けようなんて考えているわけではない。そう、ほんのちょっとだけ、《魅了》の効果を絞って……。
「あれ……?」
ふと、佐久間は立ち止まって、首を傾げる。
「威力を絞るのって、どうやるんだろ……」
そのタイミングでようやく、佐久間祥子は、自分が《魅了》の使い方がさっぱりわからないことを思い出した。
「……カオルちゃんに教えてもらって、練習したほうが良いのかなぁ」
数日が経過した。重巡分校の改修作業は順調に進行し、キャタピラユニットは最終的に、海中へと沈められることになった。エンジンモーターは、改めてスクリューへとつなげられ、重巡分校は海へと浮かべられる。キャタピラユニットを作った暮森は、ちょっとだけセンチな顔をしていた。
これから海の上を走るということで、塩害を気にした花園が畑の周りに衝立を立てている。さらに船の先端から縄梯子を降ろして、魚住兄妹が上り下りできるようにした。
一同が分校に乗り込み、しばらく待っていると、北の方から海上キャラバンの帆船が海の上を走ってくる。さすがに規模が段違いなので、こちらの重巡分校の大きさには驚いている様子だった。
「というか、帆船か」
恭介は、今更思い出したように、顎に手をやった。
「風がなければ航行できないな。どうするんだ?」
「風がないなら、起こせば良いさ」
竜崎がそう言って指した方向には、何人かの生徒が顔を突き合わせて話をしている。
春井由佳、神成鳥々羽、猿渡風太、それに烏丸義経。一見すると共通点がほとんど見いだせない4人だが、神成以外の3人は風属性魔法が使える。神成は大きな翼で風を起こせるから、この4人は商船の帆に風を送る要員ということなのだろう。
「こんだけ船の大きさに差があるなら、キャラバンの荷物をいくつか預かっても良かったな」
「俺もそんな提案をしたんだけど、やっぱりあんま信用されてないみたいだ」
重巡分校と商船の間の連絡には、カオルコの従えたインプなどを使うことになった。それ以外の、上述の風起こし要員をはじめとした飛行可能組も、ふたつの船の間を自由に行き来できるため、連絡役を兼任することとなる。
もちろん、キャラバンメンバーの大半は、こちらのことを強く警戒している。下手にモンスターを行き来させて、刺激するのは得策ではないだろう。最低限の連絡要員を向こう側に待機させて、定期的に交代させる程度がベターだろう。
商船に先導してもらう形で、重巡分校は海を進んでいくことになる。出発まではあと数時間ほど。
「おう、竜崎。そろそろ航路について、そのウェルカーノって人と話をしたいんだけど」
船室から、最近すっかり操舵手ポジションの板についてきた五分河原が姿を見せた。竜崎も頷く。
「ああ、もうそんな時間か。すぐに向かうから、甲板で少し待っててくれ」
「おーう」
五分河原はひょこひょこと甲板の方へと出て行く。彼のように流暢に喋るゴブリンを見ると、やはりウェルカーノ達はまた驚くのだろうな、と恭介は思った。
「じゃあ、ウツロギ。また後で」
「おう」
竜崎も甲板の方に向かうと、完全に手持無沙汰になってしまった。
凛のところへ行こうか、と恭介は考えた。
結局、自分と彼女の距離感は曖昧なままだ。この数日の間でも、それはほとんど、詰めることができなかった。作業場が別であった、という理由もある。
だが凛は今、数日前から続けている『海水に慣れる特訓』という怪しい行為を続けている。あれはあまり邪魔しては悪いので、やはり、これから航海を控え、すっかりグロッキーになってしまっている瑛の様子でも、見に行ってやるべきだろうか。
そう思って、船員室の方へと足を向けた時だ。
「う、ウツロギくん!」
「ん、佐久間か?」
恭介が振り返ると、そこには、聞きなれた声の主が立っていた。
佐久間は、今戦闘を控えているわけでもないというのに、例の過剰に布面積の少ない、ボンテージ気味の服を着ていた。騎士王国のバザーで購入していた、いつもの清楚なワンピースではない。
珍しいな、と思うのと同時に、佐久間のこの衣装はちょっぴり正面から見づらい。ちょっぴりもじもじした仕草を見せる様子は、転移直後の彼女を思わせる。
ビッグバースト、という白馬の言葉が脳裏をかすめた。
「ね、ねぇ、ウツロギくん」
「お、おう?」
佐久間祥子は、白い肌をほんのり上気させながら、こんなことを言った。
「私の、目を見てくれない?」
次回は明日朝7時!
さっちゃんの攻勢開始! どうなる恭介! 乞うご期待!




