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第46話 サキュバスの課題

 2時間近く海岸を南下して、重巡分校のもとへたどり着いた頃には、一同もヘトヘトだ。杉浦が海鮮バーベキューをやっていたので、ありがたく御馳走になることになった。魚や貝やらを捌く仕草は、なかなか堂に入ったものである。

 これだけの魚介類を捕ってきたのは、やはり魚住兄妹の活躍によるものなのだろうか、と尋ねてみたところ、杉浦はかぶりを振って『自分で捕ってきた』と言った。そう言えば彼女はスキュラだった。下半身はタコであって、泳ぎなどお手の物らしい。


 ともあれ、新鮮な海の幸だ。修学旅行の日程では、4日目の夜にこんな食事が振る舞われる予定だったらしいが、ありつく前にこちらの世界に転移してしまった。奥村や猿渡などはガツガツ食べている。

 恭介も食べるのだが、その後ろで凛が虎視眈々と食べ落とし・・・・・を狙っていた。完全にスカベンジャーである。喉を通った貝を、落ちて砂がつく前にひっつかみ、凛を手招きすると彼女は嬉しそうに這い寄ってきて貝を食べ始めた。


「ひ、姫水さん……」


 佐久間がひきつった笑みを浮かべている。


「凛、おまえ、人間としての尊厳はどうした……」

「なに? あたしが犬みたいだと言いたい?」

「いや、犬っていうか……。三角コーナーだよなぁ」

「その呼び方めっちゃ久しぶりに聞いた!」


 まぁ、本人が幸せならいいのだが。


「それともさっちゃんも食べる? 恭介くんの食べ落とし」

「えっ、良いの!?」

「佐久間、俺おまえまで三角コーナーになるの、ヤなんだけど……」


 そう言いつつ、あまりにも物欲しそうにしていたものだから、恭介は喉を通した魚を佐久間に手渡してやる。

 恭介には唾液がないとはいえ、さすがに咀嚼したものを彼女に手渡すのは気が引ける。食感を楽しみたいエビや貝の方は、積極的に凛へと放ってやることにした。


「なんだか、少し味が薄くなるね」

「ねー。不思議だね。やっぱ味にも魂みたいなのがあるのかなぁ」


 エビを消化しながら、凛が言う。その様子を、白馬がカニをついばみながら見ていた。


「なんなんだこの羨ましいのか羨ましくないのか微妙によくわからない光景は……」

「青春だな」

「自分の食ったものを吐きだして女の子に食わせるのが? 俺はもっと清らかな青春を見たかったよ」


 まるで恭介の青春が薄汚いものであるかのように言われてしまったが、否定する術は特にはない。


「みんな、探索おつかれさま」


 そんな食卓に、竜崎が紅井とゴウバヤシを連れて歩いてくる。片手に書類の束を持って歩くのが、今となってはすっかり板についてきてしまった。


「竜崎、重巡洋艦の作業の方は良いのか?」

「一応ね。暮森と触手原が内部の作業はほとんどやってくれたから、あと2時間ちょっとで日没だから。続きの作業は明日にする」


 内部の改修が終われば、外側のキャタピラユニットを取り外す作業になる。これは魚住兄妹が海に潜って行うことになるが、夜の海は暗くて不安定だ。明日の日中に集中してやろう、ということである。

 ゴウバヤシは相変わらず腕を組み、何を考えているのかわからない“への字面”だが、紅井の方はやはり苛立ちを隠せていない。たまに、歯をガチガチと打ち鳴らしている。


「佐久間からの報告書は読んだ。人間の隊商と、サハギンと呼ばれる魚人たち、あとはカオルコだな」


 佐久間は頷く。


「まず最初に余談の方を話しちゃうけど、セレナさんのメモに魚人に関する記述があった。この世界には3種類の魚人がいて、比較的浅い海で暮らしているのが、マーマンとサハギン。そのうち、粗暴で攻撃的な性質を持つのがサハギンだ」


 先ほど、キャラバンのリーダーであるウェルカーノ氏は、“マーマンの国”という言葉を口にしていた。

 つまり、マーマンは人間と友好的な関係を築ける魚人種ということになる。サハギンは、その逆だ。


「魚住はギルマンだっけ。意思疎通はとれないのか?」

「どうだろうな。ギルマンは深い海に暮らしているから、あまり研究が進んでいないそうだ。昔この海を支配していた“海の王”の直系種族で、サハギンやマーマンはその傍系というか、“海の王”の血が薄くなった種族らしい」

「ドラゴニュートも同じだね。竜崎くんみたいな竜面種ドラコフェイスは、昔いた“竜の王”の直系種族なんだって」


 佐久間が捕捉を入れる。一同は『へぇー』と頷いていた。


 “○○の王”というのは、この世界について深く知ろうとする過程で時折出てくる名前だ。竜の王、獣の王、命の王あたりは、大陸にある国や文化と密接に関係しているためよく聞くが、“海の王”というのは初めて聞いた。

 聞くからに凄そうな存在なのだが、既にこの世界にはいないらしい。


「この付近の海域に、おそらくサハギンの縄張りがあるんだろう。ここも襲撃を受ける可能性があるけど……。まぁ、長居はしない方が良いってことだな」

「近縁種なら、一度魚住をぶつけてみるのもアリかもしれないな」


 竜崎は、更に1枚書類をめくる。


「カオルコに関しては、これからあいつに状況を説明する必要がある。それは明日香と佐久間に頼もうと思う」


 紅井が険しい顔で頷く。単純に、不機嫌という理由だけではないだろう。

 小金井がさらわれたし、鷲尾が死んだ。カオルはそれをまだ知らない。そして、そのそもそもの原因が、ほかならぬ紅井明日香にある、ということも。なまじ仲の良い親友であるからこそ、話すのも躊躇われるのだろう。


「大丈夫だよ、明日香ちゃん」


 佐久間が笑顔で、紅井にそう語りかける。


「あたしも一緒に話すから。ね?」

「うん……。ありがと」


 彼女にそう言われた時だけ、紅井は歯を鳴らすのをやめ、わずかに微笑を作った。

 乙女同士の清らかな友情に感動した白馬が、大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らしていた。猿渡も口を押さえ目を潤ませながら『青春だ……』と呟いている。結構、人生が楽しそうな奴らだった。


「で、竜崎。隊商の件はどうするデブ?」

「これから直接話しに行くよ」


 奥村の問いに、竜崎はあっさり答える。


「連れて行くのは、明日香、ゴウバヤシ、佐久間。あと緊急時の回復役として猫宮を連れて行く」


 対象の影をリソースとして使う猫宮美弥ケット・シーの影魔法は、これからの時間帯が一番有効に力を発揮する。選択肢としては妥当だろう。


「俺も行って良いか?」

「恭介くん?」


 手を挙げた恭介を見て、凛が驚いたような声をあげる。


「別にかまわないぞ。どうかしたか?」

「いや、深い意味はないんだ。凛も行くか?」

「ううん。あたし、こっちで海水に耐える特訓してるから。行っておいでよ」


 海水に耐える特訓ってなんだ、と恭介は思ったが、深くは突っ込まないでおく。


「わかったよ。ウツロギは骸骨参謀だからな。確かに、状況を直接把握してもらった方が良い」

「そのあだ名、まだ有効だったのか……」


 笑顔で言う竜崎に、恭介は複雑な心境で答えた。





 その後、一同は改めて、隊商が停泊している海岸へと赴いた。多くの商人たちが、訝しげな視線をこちらに向け遠巻きに眺めている中、竜崎がウェルカーノ氏に挨拶をする。竜崎の方はまだいいのだが、その後ろで腕を組みながら立つゴウバヤシの威圧感が凄い。

 あのウェルカーノ氏は隊商を束ねる身ではあるのだが、あの海上キャラバンが氏によるワンマン体制ということはないだろう。彼も、この数時間のうちに若い商人たちと話をし、意見をまとめているはずだが、彼らの態度を見るに、やはり向こうの態度は芳しいものではないのかもしれない。


 竜崎がウェルカーノ氏と話すことは、まぁ、いろいろあるだろう。

 これからアルバダンバに向けて旅立つにあたり、人間のキャラバンと同行したいという要求が主になるだろうが、彼らが商人とわかれば、話はそれだけにとどまらない。現状では廃棄せざるを得ないキャタピラユニットの運搬、あるいは資材の買い付けなど、彼らの手を借りて行いたいことは山のようにあるのだ。

 それに、これは難しい要求になるだろうが、紅井の求める“人間の血”というものもある。


 本格的な交渉に入る段になり、竜崎はウェルカーノ氏と1対1で話すことになった。同行している恭介たちは、席を外さなければならない。


「ならばその間、紅井と佐久間はカオルコと話していると良い」


 砂浜でゴウバヤシが腕を組んだまま、そう言った。


「俺たちや、それに他の商人の目があると話しづらいこともあるだろう。人払いは俺がしておく」


 体の大きさに比して、こうした細かい気配りのできる男である。人払いというか、ゴウバヤシの場合は腕を組んで立っているだけで普通の人間ならビビって近づかないのだから、まぁ、うってつけではあるか。

 恭介たちは、この浜辺に戻ってきてすぐ、ウェルカーノ氏と話をすることになったので、紅井やゴウバヤシはカオルとまだ話をしていない。彼は、《魅了の魔眼テンプテーション・アイ》を用いて従えたインプやサハギンなどに周囲を見張らせつつ、自身も護衛としての警戒を続けているらしい。


「うん、わかった……。ありがとう、ゴウバヤシくん」


 佐久間はそう言って頷くと、紅井の手を引っ張ってカオルを探しに行った。最近、紅井に対して積極的になる佐久間をよく見る。二面性、というほど極端なものではないが、もともと引っ込み思案だった佐久間祥子が、クラスのクイーンの手を引っ張って行く光景というのは、見ていて少し面白い。


「俺はいま言ったように、佐久間たちが話をしている間、他の商人を近づけないよう見張っているつもりだが、2人はどうする? 一緒に見張るか?」

「遠慮しておくよ」


 ゴウバヤシの言葉に、芝居がかった口調でケット・シーの猫宮が答える。


「キミの横にいると、息がつまりそうだしね。ウツロギは?」

「別に目的があってきたわけじゃないからな。ゴウバヤシと一緒にいても良いんだけど」


 恭介はぐるりと砂浜を見渡した。

 先ほどの戦闘での、サハギンの死骸は綺麗に片づいている。おそらく商人たちは帆船で寝泊まりをしているのだろう。砂浜には、人間が宿泊できるような設備はない。ただ、積荷のようなものが一ヶ所に纏められ、それを点検している小さな少女の姿が見えた。

 褐色肌の幼い少女。さっきも見かけた。レミィという娘だ。


「キミも気になるか。ちょうどいい、付き合えよ」


 恭介を見上げて、猫宮美弥はそう言った。


「気になる?」

「このキャラバンの生活様式さ。こういうファンタジー世界の人間がどういう風に生きているのか。普通に生きていたらなかなか取材する機会なんてないからね」


 そう言えば、騎士王国にいた時も、猫宮は王宮のそこかしこを歩き回っていたような記憶が、恭介にはある。演劇部だから、というわけでもないか。もともと、好奇心旺盛な性格なのだろう。


「……好奇心は猫を殺す」

「そういう笑えない冗談はやめたまえ。と、いうわけでゴウバヤシ、ボクとウツロギはその辺をブラブラしている」

「ふむ、わかった」


 恭介が了承の意を示さない内に、猫宮はグイグイと話を進めてしまった。まぁ、恭介としても特に断る理由はないので、構わないと言えば構わないのだが。


「そうは言っても猫宮、向こうもこっちを警戒してるし、取材なんて出来ないんじゃないか」


 ゴウバヤシの背中を見送りながら、恭介は言った。アレは傍から見ると、オウガが2人の美女の後ろをつけている形なので、相当怪しい光景ではないだろうか、と思いつつだ。


「ならば勝手に見て回れば良いさ。ああ、ボクが付き合えって言ったのを警戒してるのか? さすがに他人の想い人を寝取る悪趣味はないぞ」

「まあ、別に警戒も自惚れもしてないけど……。ネコは好きだけどな」


 猫宮美弥は長靴を履いた黒猫である。機嫌のいい時は、ご自慢のカギ尻尾をピンと立てて歩く。

 恭介は学校の中でも比較的狭い世界で生きてきた。狭い世界というのは、つまり、恭介と瑛と小金井しかいなかった世界だ。場合によっては、図書室という空間で佐久間と話をすることはあったが、それでも彼の学校生活の必要な人間は、5人にも満たなかった。


 そんな恭介なので、ここ2ヶ月近く、様々なクラスメイトと言葉を交わすことになったのは結構驚きの出来事であったりはする。話してわかったのは『自分は思ったより疎まれていないんだな』てなものであるが、猫宮のようなタイプは微妙に距離を測りあぐねるので1対1で会話するのは苦手だ。


 スケルトンとケット・シーが砂浜を歩く様子を、若い商人たちは警戒しながら眺めている。ただ、彼らも日が沈む前に帆船に引き上げようとしているところで、どちらかといえばそそくさと逃げていく、と言った方が、正しかったかもしれない。


「まだ残って作業をしている人はいるね。あと、とびきり若い女の子もいる」

「ああ、レミィって言うらしい。カオルコと最初に会ったんだってさ」


 レミィは、砂浜に並べられたタルや木箱を、書類を片手にひとつずつチェックしているところだった。男たちは通りかかるたびにレミィと言葉を交わし、木箱やタルを帆船に運び込んだりしている。

 褐色肌の女の子。年齢は13、4歳くらいだろうか。耳がぴょこんと飛び出ている。小金井ハイエルフを思わせる形状だが、あるいは、彼女もエルフだったりするのだろうか。


「やあ」


 物怖じしない様子で声をかけにいく猫宮。レミィに話しかけようとした男が、ぎょっとして距離を取るのがわかった。

 レミィの方は特に怖がる様子もなく、小さく会釈をするだけに済ませる。


「精が出るね。何をしてるんだい」

「積荷のチェックです」


 そう言うレミィだが、先ほど見た時と微妙に印象が違うような気がした。ほんの数時間前には、ズタ袋のような服を着ていたはずだが、今はちょっぴり、オシャレになっている。


「(あれ、カオルコのセンスだね)」


 小声で猫宮が言った。


「(そうだな、ファッションチェックでも喰らったのかな)」


 ファッションチェックはカオルコの趣味だ。彼の座右の銘は『ウィー・アー・オンステージ』であり、それを前提に、女子に対しては特に厳しく接する。要するに、『アナタ達、せっかく生まれた時から女なんだからもっと可愛くなりなさいよ!』ということであって、最初は気味悪がられていたカオルコも、2ヶ月経つころにはすっかりクラスのファッションリーダーになっていた。


 こんな無人の海岸で綺麗な服なんて手に入るはずがないから、商品のいくつかに手をつけたりしたのだろうか。


「……この服は、廃棄する積荷から、もったいないからとカオルさんが」


 どうやら正解らしい。慣れない服で恥ずかしいのだろうか、ちょっと声が緊張していた。


「棄てちゃう積荷とかあるんだ。もったいないね」

「海流の関係だと思うんですけど、嵐で沈んだ他のキャラバン船の積み荷が結構流れ着いてくるです。私がしているのは、そのチェックです。積荷がどこの商会のもので、何が入っているか。全滅しちゃった商会の積荷もあるので、その中で欲しいのがあったりすると、競売があったりするです。きちんとチェックして、売り上げの一部は帰ったらギルドと遺族の方に支払うとか、ルールも複雑です」

「商魂たくましいなぁ」


 恭介も感心したように声を漏らす。


 この海上キャラバンは、大陸南方商会ギルドに所属する複数の商会が出資しあって結成されたものらしい。レミィは、ウェルカーノ商会の新人として、今回の旅に同行していたそうだ。その矢先にこれであるから、実に運が悪いとしか言いようがない


「あとは、みなさんが退治してくださったサハギン。サハギンの刺叉は海沿いの街では魔除けとして人気があるし、鱗なんかも素材として取引されるので、この辺も残った商会で山分けしたです」


 説明するのが楽しくなってきたのか、言葉には若干、自然な柔らかさが戻ってきている。が、そこでレミィはふと口を紡ぎ、くるりと恭介たちを振り返った。スケルトンとケット・シーを前にしても、さほど怯んだ様子を見せない。


「そこのスケルトンの人は、さっきサハギンを退治してくれた人ですね?」

「あ、うん」

「ひとつ質問です。なんであたし達を助けようと思ったです?」


 それは、恭介が苦手な質問だ。『困っている人を助けるのは当然じゃないか』とは、なんだか言えない自分になってしまった。どう答えたものか迷っていた恭介だが、その直後、そもそもその解答自体が、的外れなものであったと気づく。


「確かにサハギンは凶暴で意思疎通の厳しい種族です。ただ、みなさんがあたし達ではなくサハギン達を攻撃した理由というのが、ちょっとわからないです。この周辺がサハギンの縄張りだとするなら、それを荒らしているのはあたし達の方です」


 確かに、そうだ。言われてみるまで気づかなかった。

 恭介たちは、自分たちのことを人間だと思っている。姿が変わっても、心は人間だ。最近では、『人じゃないけどな』というお決まりの人外ジョークを口にする生徒も少なくなってきた。まぁ、凛のように、自分を人間だと言い張りながらとうてい人間には真似できないような行動を取る奇態な連中がいないこともないが、それでもやはり、それぞれのメンタリティは人間であった頃とほとんど変わっていない。


 ただ、それを言葉で説明するのは、困難を極めるだろうと思った。自分たちが元は人間で、実は転移者トリッパーである、という荒唐無稽な話を、軽々しく口にして良いのだろうか、という疑問はあるのだ。


「ま、ボク達はどこが誰の縄張りとか、どうでも良いと思ってるよ」


 猫宮が、ギリギリ嘘にならない言葉を口にする。


「そうです? カオルさんもそうですけど、みなさん、あまりにも人間臭いから……」

「そういうレミィはどうなんだい。耳が尖っているけど」

「ああ、はい。あたしはハーフエルフなので。ただ、両親が誰かはわからないです」


 あっさりと、衝撃の事実を告白された。


「ゼルガ剣闘公国で奴隷商に売られていたです。あそこではモンスターの売買もあったし、喋る芸を仕込まれた個体も多かったので、皆さんを見たときもあんまり驚かなかったです」

「結構ハードな人生送ってんだね」

「ただ、そこで見たモンスター達とは、みなさんは明らかに考え方が違うような気がして……。ま、それだけです」


 ゼルガ剣闘公国は、ピリカ南王国から大運河を挟んで東側にある国だ。北を獣王連峰の峻厳な峯に守られているため、帝国の支配が直接届いていない国である。そうした事情を背景に、大陸では現在唯一、奴隷売買が認可されている国でもあった。

 一応、現在想定している進行ルートでは掠りもしない場所なので、そこまで深く意識したことはなかった。


「おーい、レミィ、ちょっとこっち来てくれー!」


 そのあたりで、レミィは大声で他の商人に呼ばれる。


「あ、はーい! すぐ行くです! では、ちょっと失礼するです」


 ぺこり、と頭を下げて、レミィは砂浜を走って行った。取り残された猫宮は、レミィが先ほどまでチェックしていた木箱を眺めながら、恭介に尋ねる。


「どう思う?」

「結構入ってきた情報が多すぎて、どれのことを指して聞いているのかわからないんだけど」

「まぁ、それを総括してだね。どう思う?」


 言われて、恭介は考える。


「やっぱり、俺が一番気になるのは、俺たちが人間から見ると凄い異様な集団なんだなってことだな」

「ま、わかり切っていたことではあるんだけどね。セレナも言っていたじゃないか」


 姿がモンスターでありながら、メンタリティが人間のままであるがゆえに、どうしても生じてしまう違和感。人間と交流すると、それを実感せざるを得なくなる。あの商人たちの態度を見ても、自分たちは“化け物”のままなのだ。


「で、猫宮。おまえはどう思ったんだ?」

「ボク? ボクかい? うーん、そうだねぇ」


 猫宮美弥は、カギ尻尾をメトロノームのように振りながら、芝居がかった仕草で考え込む。


「彼女、半分人間で、しかもモンスターを怖がってないから、頼めば紅井クイーンに血を飲ませてあげられるんじゃないか、ってことを思った」


 名案のような、迷案のような、そんな提案だ。いや、これはダメな奴だな。


「と、いうか、紅井が血に飢えてるって話は、もうそんな有名なのか……」

「みんな知ってるわけじゃないと思うけどね。本人も、あんまり隠すつもりないんじゃない?」


 冗談のように話をしているが、実際問題として、紅井のことは心配だ。見たところこのキャラバンには人間も多いし、彼らが血を提供してくれればそれが一番良いのだが、心象的な意味でもそれを要求するのは難しいだろう。


「紅井、耐えきれなくなって人を襲ったりはしないよなぁ」

「あのクイーンが? さすがに、そこまで品のない女じゃないだろう、彼女は」


 その紅井も、今は佐久間やカオルコと話をしているはずだ。親友との会話で、少しは落ち着きを取り戻せると良いのだが。





「元気そうだね、カオル」

「あんたもね、明日香」


 無事を確認する言葉は、それだけで良かった。紅井は必要以上の言葉を口にするタイプではないし、その点カオルはおしゃべりではあるものの、愚にもつかないことを延々と食っちゃべり続ける性格でもない。必要最低限の言葉を交わしたあと、特にどちらかから何かを口にすることはなかったし、佐久間も余計なことを言うつもりはなかった。


 それよりも話さなければならないことは、山のようにある。

 佐久間は紅井に目配せをして、彼女が頷くと、まずひとつひとつ、順を追ってカオルに話しはじめた。


 小金井を連れ去られたこと、人間勢力と初めて接触を果たしたこと、重巡洋艦を改造して移動分校にしたこと。


 鷲尾が死んだこと。

 紅井が転移前から吸血鬼であったこと。

 今回のトリップは、紅井の血族が仕組んだものであったこと。


 カオルは途中で口を挟んだりせず、ひとつひとつ丁寧に聞いて、それから最終的に、静かに頷いた。


「そう、小金井くんに、鷲尾くんが……」

「ごめんね。こんな一気に話して……受け止めるの、大変かもしれないけど……」

「良いのよ、サチ。あんたも今までよく頑張ったわね」


 優しげに微笑んで、そっと佐久間の銀髪を撫でるカオル。直後、視線を紅井の方へと向けた。

 紅井は、わずかに目を細める。腕を組んだまま大きく深呼吸し、組んだ腕を解いて、ゆっくりとカオルへと頭を下げた。


「あたしからも、ごめん。カオル。あんたやサチは、できれば……」

「そういうの、」


 顔をあげた紅井の口元に、カオルは人差し指を押し当てた。


「こんなタイミングで言うことじゃないわね。明日香、ダサダサよ?」

「……うん」

「ま、気にしてないっつったら嘘になるけど。でも自分と向き合う良い機会でもあったわ。それに、怒るべき対象がいるとしたら、あんたじゃない。そうでしょ?」


 丘間カオルは、こういう男だ。男だ、と断ずることに、少々問題はあるのかもしれないが。佐久間は心の底から、カオルの友人であって良かったと思うし、それは紅井もそうだろう。紅井は、少し周囲を気にするように見回してから、いきなり息を吐きだした。


「はあっ……!!」

「明日香ちゃん?」


 誰もいないことを確認したのだろう。紅井はそのまま、砂浜に座り込んでしまう。言うまでもなく、彼女の服装はセーラー服だ。スカートに砂がつくが、気にした様子を見せない。


「気を張るの、疲れた……。あんた達2人を前にしてたら、カッコつけるのもバカバカしくなるしね……」

「あらァー? 壁に耳アリ障子に目アリよ?」

「今はちょっと、勘弁して……」


 紅井は苦笑いを浮かべる。

 今、ゴウバヤシが闘気を全開にして人払いと警戒を同時に行っているので、実際この光景を外から見られる可能性は、ないと言って良いだろう。


「ま、アタシ達にしかそういう姿を見せられないっていうのは光栄だけど。でもね明日香、あんたの仲間、アタシ達だけじゃないってこと、忘れないでよ。取り巻きの2人だって」

「ああ、春井と蛇塚……」

「あのコ達だって、心の底から明日香のこと友達だと思ってるんだから。隠し事をしてたらショックだろうし、ちゃんとフォローしてあげなさいよ」


 カオルの言葉は優しげだが、言っていることは厳しい。確かに、紅井の告白という一件があってから、春井や蛇塚はほんの少しだけ、彼女に対してよそよそしくなった。みんな、表面を取り繕うのは上手い人種だからだろうか、その些細な違いに気づける生徒は、ほとんどいない。

 何も春井や蛇塚に限ったことではないが、佐久間が見ていて一番気になるのは、やはりこの2人と紅井の間に生じてしまったわずかな溝だ。


「うん、がんばる……」


 紅井は、わずかな逡巡の後、はっきりとそう頷いた。


「ん、良い返事だわ。それと明日香。もういっこ気になってんだけど、聞いて良いかしら?」

「なんでも答えるよ。なに?」

「ちらっと話しに出てたわね。フェイズ2とか、3とか。それって、アタシにもあるの?」

「ああ……」


 紅井は砂浜の上で体育座りをしたまま、カオルを見、そしてその後佐久間の方を見た。


「そうだね。良い機会だから話すよ。話を聞く限りだと、カオルはもうフェイズ2能力に目覚めてる」

「あ、そうなの」

「そもそも、淫魔のフェイズ2能力って、理論上一個しかないって結論になってるから」


 淫魔の、とわざわざ断ったということは、やはりインキュバスとサキュバスが同一種であるということだろう。つまりそれは、佐久間のフェイズ2能力に関わることでもある。今まで、クラスに蓄積された様々な資料を読み込んできた佐久間祥子ではあるが、淫魔に関して書かれたものには、ほとんど目を通さなかった。


 理由は、自分でもわかっている。


「《洗脳強化》、だったかな。精神干渉系の能力全般を強化する奴。カオルが、インキュバスの《魅了》能力で、男女や種族関係なく味方にできたのは、これのおかげね」

「そうなんだ。じゃあ、サチのフェイズ2能力もそれなのね?」


 うん、と紅井は頷いてから、少しためらいがちに、こう続けた。


「でもサチは、そもそも《魅了》を一度も使っていないから、課題はそれ以前なんだよね……」


 別に、怒られているわけでもない。呆れられているわけでもない。紅井明日香は、淡々と事実を述べているだけだ。


 だがそれは、佐久間の大きな胸に深く突き刺さる。

 サキュバスというからには、種族能力の《魅了》が使えるはずなのだ。だが、佐久間はそれを使ったことがない。

 クラスのみんなは、少しずつフェイズ2能力に目覚めつつある。そんな中、自分だけはフェイズ2を使えるようになる気配がないし、そもそもその前提となる能力を、一度も使ったことがないというありさまだ。


「(使った方が、良い、のかな……)」


 紅井とカオルの会話を聞き流しながら、佐久間はある少年のことを思い浮かべていた。

次回は明日朝7時更新です。

みなさんそろそろお察しかと思いますが、第4章は周回遅れヒロインさっちゃんが頑張る回です。女(とオカマ)の友情も見どころだよ!

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