第44話 さっちゃんは班長
「おお、ウツロギが俺の班か! 歓迎するぞ! こっちに来てから、あまり話す機会がなかったな!」
班分けのあと、やたらと大きな声で恭介を歓迎したのは猿渡風太である。
ハヌマーンってなんだ、と思って瑛に尋ねたことがあるのだが、要は孫悟空のモデルのひとつとなったインドの霊獣ということらしい。ハヌマーンというのは個体名であり、正確には猿族という種族に分類されるらしいのだが、その中でもっとも有名な一人、ということで、日本のサブカルチャーにおいては“ハヌマーン”がひとつの種族として扱われることも多い。
と、言うことを、瑛はめちゃくちゃ不機嫌そうに教えてくれた。瑛が不機嫌なのはよくある話だが、あの声のトーンはだいたい特撮関係で機嫌を悪くしていることがほとんどなので、恭介は放っておくことにした。きっと、好きな特撮番組でイヤな役どころをやっていたのがハヌマーンなのだろう。別に猿渡には罪はない。
「こっちに来てからも、元の世界でも、あまり話すことはなかった気がするんだけど」
「それもそうだな! まあよろしく頼む!」
猿渡は前線を張れて魔法も使える、稀有なポジションだ。ただ、防御力はそう高くないので壁役としては期待できない。
ちなみに神代高校では野球部だった。いわゆるエースピッチャーという奴だが、神代高校の野球部というのは弱小で、だいたい大会に出ると一回戦で負けて帰ってくる。ほんの3ヶ月前の練習試合においても、相手高校の女子ピッチャーに完封を喰らったというのは有名な話だ。
「あのう、猿渡くん……」
「ん!?」
その後ろから、佐久間がおずおずと彼に声をかけていた。いつものワンピース姿ではなく、露出の高いサキュバススタイルだ。戦闘服、ということになるのだが、もっと防御を意識した衣装でもよいのではないか、と思う。
そんな佐久間にも一切動じないのが、猿渡という男だった。いや、動じないわけではないか。視線をわずかに逸らしている。
「どうした、佐久間! 相変わらず声が小さいな! 言いたいことがあるなら言ってみろ!」
「この班の班長、私なんだけど……」
「そうか! それもそうだな!」
思わず耳(ない)を塞ぎたくなるような大声を出し、猿渡は頷く。
佐久間を班長に、オークの奥村、ユニコーンの白馬、ハヌマーンの猿渡、そして恭介をくわえたのが、今回の班編成だ。壁要員、魔法攻撃要員、回復要員をくわえた、割と理想的な編成ではある。白馬の回復魔法はアンデッドに効果はないが、恭介の負傷をリカバリーするための猿渡なのだろう。
この世界における回復魔法には、いくつか種類があるらしい。これもセレナメモで発覚したことだ。
まずは医療魔法と秘蹟魔法。人間の世界で発達したこれらの魔法を使える生徒は、2年4組にはいない。逆に、人間が扱うことのできない魔法に、生命魔法、精霊魔法、影魔法などがあり、生徒たちが使う回復魔法はこうしたものに分類される。
このうち、最もリスクが少なく万能性が高いのが、生命力そのものを操作する生命魔法だ。しかしこれは、本来の生命力とは別の理で動いているアンデッドには効果がない。こう言われると、“生きている”自覚のある恭介としては非常に複雑なのだが、実際問題として効果がないのだから仕方がない。
アンデッドにも通用するのは、水属性精霊魔法の《癒しの水》や、影魔法の《影紡ぎ》などだ。
猿渡が扱えるのは、風属性の精霊魔法だ。これらは傷を癒すことはできないが、物体を空中に固定するなどの器用な芸当ができる。恭介の骨にひびが入るなどの事態がおこれば、これで対応しろということなのだろう。
「影魔法が使える猫宮の班に回してもらった方が早かった気もするんだけどなぁ」
「ま、仕方がないデブ。パーティーバランスっていうのもあるデブ?」
奥村が腕を組んでもっともらしいことを言った。その横で、白馬が首を傾げている。
「この班、バランスが良いか?」
「玉龍」
「は?」
「白馬が玉龍。おいらが八戒、猿渡が悟空、さっちゃんが三蔵。完璧デブ?」
「ちょっと待て。それ、俺が沙悟浄ってことか?」
恭介が思わず突っ込みを入れる。奥村が話しているのは西遊記のことだ。パーティーリーダーの玄奘三蔵が佐久間、それが乗る馬の玉龍が白馬というのはまぁわかるし、オークが猪八戒、ハヌマーンが孫悟空というのは確かにそのまんまだが、余った自分が沙悟浄というのは納得がいかない。それなら今、重巡分校で作業に従事している魚住兄の方が、よっぽど沙悟浄だ。
だが、それまで黙っていた佐久間は、ニコニコ笑ってこう言った。
「でもウツロギくん、悟浄が首から下げてるドクロは玄奘の前世のものなんだよ?」
「知ってるよ。なんで佐久間は嬉しそうにそんなことを言うの?」
確かに恭介は自らのドクロを露出させているが、別に首からドクロを下げているわけではない。そんな笑顔で『玄奘のドクロなんだよ』と言われても困ってしまう。
いやまぁ、別に良いのだが。実際にこれから天竺に行くわけではないし、沙悟浄の無駄にカッコ良いバックボーンを知らない恭介ではないので、別に良いのだが。ちなみに沙悟浄を水の妖怪とするのは誤りという説があるが、それこそどうでも良いことだ。
「とりあえず、奥村くんが前衛、猿渡くんが中衛、私が後衛だね。移動中は一列になって、猿渡くんが一番後ろを警戒」
佐久間は、手元のメモを確認しながらよどみなく言った。
考えてみれば、彼女の班に編入されるのは恭介としては初めてのことだ。話には聞いていたのだが、こうして立派に指揮を執っているところを目の当たりにすれば、正直、驚きを禁じ得ない。顔つきだって凛々しく見える。
「ウツロギくんは、白馬くんの背中ね」
「え!? なんで!? さっちゃんが乗ってくれるんじゃないの!? 三蔵法師でしょ!?」
白馬は思いっきり悲壮感を漂わせながら叫んだ。
「合体してないウツロギくんは走るの得意じゃないし……。《特性増幅》の効果を活かそうと思ったら、それが一番良いのかなって」
合理的な案ではあるが、恭介も自分だけ馬上で楽をするというのは、なんだかちょっぴり気まずい。
「反対意見があるなら聞くけど、私は、これが一番安全で確実な隊列だと思っています。楽しく探索するのも大事だけど、まず一番は、誰も死なないようにすること。そのためには、白馬くんの生命魔法を増幅させるのが一番なんです。これで、良いですか?」
「「は、はい……」」
そこまではっきり言われてしまうと、恭介も白馬も頷かざるを得なかった。熱血野球バカ猿渡は、腕を組んで『ナイス青春だ』などと首肯していた。この会話のどのあたりに青春要素があったのか恭介にはわかりかねるが、あの男に言わせればこの世の8割くらいは青春になる。
恭介は、すっかり似合ってしまっている白馬の蔵の上に跨った。《特性増幅》の効果が鞍越しにも発動するのかは定かではないが、まあいざとなれば首元でも掴んでやれば良いのだ。
「ったく……。ありがたく思えよウツロギ、俺が男を乗せるハメになるなんてよぉ」
「感謝してるよ白馬。ところでふと気になったんだけど、男でも処女判定ってあるのか?」
「知らねーよ。あるのかもしんないけど、だったら一応、このクラスの男は全員処女だよ」
何やら佐久間が聞き耳を立てているような気がしたが、恭介は気にしないことにした。
「竜崎、恭介を僕たちと別行動させたのに理由はあるのか?」
「ん?」
重巡分校の改修作業中、竜崎は瑛にそんなことを尋ねられた。
瑛は今、体温を上昇させて資材を溶かしている。これが彼のフェイズ2能力かというと、そうでもないらしい。火野瑛はまだフェイズ2に到達していないというのが、紅井明日香の見解だった。瑛はもともと1000度近い火力を出すだけのポテンシャルがあって、それを他人に見せようとしていなかっただけだ。
それが、こうも容易く協力してくれるようになったのは、空木恭介以外にはなかなか心を開かなかった瑛が、こちらにも前向きに接してくれるようになったということだろう。
「僕や姫水に仕事があったのはわかるが、恭介を探索班に回さなくたって良かったはずだ。何か考えがあったのか、と僕は聞いているんだが」
「まぁ、簡単に言えば新しい方向性の模索だよ」
竜崎は、グレムリンの暮森から渡された作業工程表を眺めながら、そう答えた。
「これから海を渡るから、火野は動きにくくなる。自然と、ウツロギと凛の合体パターンが増えるだろうなって思うと、今のうちに別の動き方を考えておいた方が良いと思って」
「その考え方には僕も同意するよ。この周辺は安全なのか?」
「明日香の話ではね。ナイトとビショップは2体ずつしかいないから。欠員の補充は行われるだろうけど、この近辺に血族は残っていない。だから、今のうちに単独行動にも慣れてもらいたかったんだ」
合体していない状態の空木恭介は、極めて弱い。同じ分離状態でも、瑛や凛はこうして別々の役割を果たすことができるが、恭介に関しては完全に“合体したうえでの戦闘要員”だ。現状、紅井明日香を除けばナイト級の血族に唯一対抗できるのだから、その存在を軽んじるつもりはないが。
ただ今後、凛や瑛が動けない可能性というのは、考慮するべきだ。その場合、恭介単独での立ち回りを、彼自身に考えてもらう必要がある。もちろん、単独と言っても、他のクラスメイトと共同戦線を張る前提だ。
恭介のフェイズ2能力《特性増幅》の効果は、竜崎自身も実感している。騎士王国西の要塞線でポーンと交戦した際、竜崎は明らかに重量過多であったにも関わらず、翼を広げて飛行することができた。あれはおそらく、恭介の持つフェイズ2能力が、自分にも作用した結果だ。
神成鳥々羽も、エクストリーム・クロス状態の恭介たちを乗せた際、いつもより速く飛翔することができたという。単純なスペックアップ効果と考えても、恭介の力はまだ様々な使いようがある。
「竜崎、ちょっと良いかー」
五分河原が、ゴブリン集団を連れてこちらまでやってくる。
「これから重巡分校を着水させて、内側の工事をするそうだ。その後、外側からキャタピラユニットを取り外す」
「わかった。予定通り、取り外しの作業は魚住たちを中心に進めてくれ」
「それは良いんだが、外したキャタピラユニットはどうする? さすがにここから先は資材も手に入らないから、同じものは作れないってのが暮森の話だぞ」
現在の重巡分校は、使えるように直した重巡洋艦の船底にキャタピラユニットを取り付け、それをエンジンと連動させたものである。エンジンも資材もすべてダンジョンで調達できた。至れり尽くせりな話だったが、それもそのはずで、そもそもあのダンジョン自体が、2年4組が適度に混乱し、適度に結束を乱し、そして適度に結束を固められるよう、お膳立てされたものだったからだ。使えそうな資材や魔導炉などが、下層部には大量に廃棄されていたのも、血族の連中があえて置いて行ったものであるらしい。
まぁ、さすがにここまで大きな陸上艦を作るとは考えていなかったようだが。
ともあれ、これからキャタピラユニットを取り外す。船体を安定させるため、キャタピラユニットは重量があり、当然これをつけたままでは海は渡れないのだ。船に載せて運ぶわけにもいかない。沈めて漁礁にするのが一番だが、そうなると海を渡ったあとに分校を放棄せざるを得なくなる。
「運べないならしょうがないよ。置いて行こう」
「ういうい。暮森に伝えとく」
「でも厨房やら、家庭菜園やら、それに鷲尾の仏壇なんかもあるからなぁ。分校は放棄するにしても、その辺はなんとかしたいな……」
竜崎が、そんなことを呟いた時だ。
「ぎょわーっ!!」
海の方から悲鳴が聞こえてきたので、視線を向けてしまう。
「凛の声だ」
「どうやら濾過には失敗したようだね」
相変わらず高い熱で鉄を溶かしながら、しかし冷静な声で瑛が言った。
凛にはその能力を使って、海水の濾過作業と塩作りをやってもらおうと思っていた。真水なら、精霊魔法で作り出すことはできるのだが、小金井のいなくなった今、水属性精霊魔法の使い手である魚住鱒代たちに、その負担が集中している。凛が海水を濾過できるなら、それがベストだと思ったのだが……。
「むりむりむりむりーっ! しょっぱい! しょっぱいしなんか、浸透圧で身体の水分が抜けた! あたしダメだ! 海とは一つになれない!」
見れば、そう叫びながら律儀に真水と塩を別々に噴き出している、器用なスライムの姿があった。
「無理と言いつつ、出来なくはなさそうだね」
瑛が非情なことを言う。竜崎も苦笑いを浮かべ、頷いた。
「ただ、貯水モードにはなれなさそうだ」
これは海上での戦闘において、瑛だけではなく凛の動きも大きく制限されるという事実に繋がる。やはり、海を渡るのにはいくつもの苦労が付きまといそうだ。
「ふえええん、辛くてしょっぱいよー……」
「よしよし、よく頑張ったねー。すらりん」
しょぼしょぼになった凛を、スキュラの杉浦彩が慰めている。
「(あとで凛に謝っておかないとな……)」
それだけ思ってから、竜崎は再び作業に戻った。
「ふんふん、つまり大陸は帝国って大きな国が支配していて、あんた達はそこの商人なわけね」
「そこの、っていうと、またちょっと語弊があるです。大陸には大きく別けて5つの商業ギルドがあって、“帝国の商人”として扱われるのは、中央ギルドだけです」
「あんた達のキャラバンが入ってるのは? 南方ギルドだっけ?」
「大陸南方商会ギルド。5つの商業ギルドの中では一番出入りする国が多いです」
海上キャラバンの若き商人であるレミィから、この世界についての簡単なレクチャーを受ける。浜辺から少し離れた木陰でのことだ。打ち寄せる波の音に混じって、帆船を修理する男たちの作業する声が、ここまで届いてくる。
丘間カオルは、そこでようやく、この世界がどれだけの規模を持っていて、自分が今どのあたりにいるのかを把握した。そして、この2ヶ月近くでどれだけの距離を移動してきたのかもだ。
「(アタシって、割と健脚なのねぇ……)」
地図を見ながら、カオルは自分で自分に感心してしまう。
そんなカオルを、レミィはまじまじと見つめていた。レミィは小麦色の肌をした年若い娘である。キャラバンの生き残りとは、カオルは一通り挨拶を済ませたが、その中でもとびぬけて若い。というよりは、幼いのだろうか。おそらく、自分たちの実年齢よりも、もっと下だ。
それに、耳がとんがっている。これは小金井と同じ特徴だった。彼女も、エルフなのだろうか。しかし地図で見せてもらったエルフの国は大陸の北東部にあって、彼女たちが活動している大陸南部からは、大きく離れてしまっている。
「あのぉ、カオルさん」
「なぁに?」
レミィがおずおずと切り出したので、カオルはニコリと笑った。
「カオルさんって、男性なんです? 女性なんです?」
「アラ、結構答えにくいことさらっと聞くのねあなた。最初にお兄さんって言ったでしょ? じゃあそれで良いわ」
「でも……」
「デモもカモもないの。アタシもねぇ、そりゃ可愛い女の子になりたかったけどね。でもアタシの名前知ってるでしょ? オカマカオルよ。下から読んだら、ルオカマカオなの。どっちにしてもオカマじゃない? 結局アタシ、どんなに逆立ちしたところでオカマなのよ。まぁ普通に立っててもオカマなんだけど」
まくしたてるように話すと、レミィはコクコクと頷く。小動物みたいな子だ。
ま、今言った通りだ。結局、どんなに着飾って小奇麗にしてみても、自分は男だ。そればっかりは、自覚して生きていくしかない。豪林元宗がそうしたように、カオルも自分の姿と正面から向き合ってみて、その結果少し気が楽になった。
ゴウバヤシ。彼は今、無事だろうか。アカハネの奇襲から自分を逃がすため、囮になってくれたのだ。そう簡単にあの男が死ぬはずないと思っているが、しかし、あの赤い翼の悪魔の実力は、圧倒的だった。
「おお、オカマ殿、こちらにいらっしゃいましたか」
木陰にいた2人の下に、口ひげを蓄えた人間の老人が姿を見せる。
レミィが属する海上キャラバンのリーダーだ。名前は確か、ウェルカーノといった。レミィ同様、小麦色に焼けた肌。歳のせいか肉のつきは悪く頼りない風貌だが、身体中には傷跡が見える。昔はさぞかし、良い男だったのだろうな、とカオルは思った。
「おかげさまで、サハギンどもの襲来からもなんとかキャラバンを守れております。あと数日もすれば船の修理は済むでしょうから、どうでしょうか。よろしければ我々と……」
「だからその話はしたでしょうが。アタシ、ツレを待ってんのよ」
これから、彼らは船を直して海上連合国家アルバダンバに向かうという。
アルバダンバだかアルバトロスだか知らないが、さすがにそこまで付き合う義理は、カオルにもない。この周辺で、自分はゴウバヤシを待たなければならないのだ。
もし、ゴウバヤシが来なかったら? ということは、あまり考えないようにしていた。考えないようにしていたが、もしそうなってしまった時は、《魅了》の力を使って仲間にしたインプ達と、この浜辺でのんきに暮らしていくしかない。
ふと、カオルは思うことがあって顔をあげた。
「ウェルカーノさん。ひとつ聞きたいことがあるんだけど、良いかしら」
「なんでしょうかな」
「赤い翼を生やした、黒い甲冑の悪魔って知ってる? アタシ達は、アカハネって呼んでるんだけど」
カオルがそう尋ねると、ウェルカーノはわずかに目を細める。
「わしらも詳しい話は知らんですが、大陸の各地で出没情報がある悪魔と、特徴としては合致しますな。なんでも、レッドムーンとか名乗っているそうで」
「あら、そうなの」
思っていたよりも、あっさりと手がかりが手に入った。カオルは拍子抜けしてしまう。
レッドムーン、か。連中は、明らかに自分やゴウバヤシのことを“知って”いた。それだけではない。こちらを捕まえようとしていた。自分たちの身に何が起きているのか知る上で、重大な手がかりになることは間違いない。
拠点に残してきたクラスメイト達も、もしかしたら彼らの存在に気づき、もう動き始めているかもしれない。
確かめるためにも、ゴウバヤシ達と合流したいものだ。そう考えているカオルの耳に、キャラバンのメンバーの悲鳴が届く。
「サハギンが出たぞー!!」
「あらあら」
目を細めて、立ち上がるカオル。レミィとウェルカーノの表情が、緊張に引き締められた。
「あのお魚さんたちも懲りないのねぇ。ちょっくら行ってくるわ」
「お、お気をつけてです」
気を付けるようなことなど、何もないのだが。あのサハギン達の実力は既にだいたいわかっている。インプ達を指揮し、戦えば、そう苦戦するような相手でもない。ただ、気持ちだけは嬉しいので、カオルは笑顔で『ありがとう』と言っておく。
「あ、そうだレミィ」
「は、はいっ?」
浜辺へと向かう直前、カオルはふと振り返った。
「あなた商人なんだから、もっと格好に気を遣いなさいな。ちょっとその服のセンス、ダサダサよ?」
「え、ええっ!?」
会った時から、言おう言おうと思っていたことだ。まるで麻袋のような服である。
「アタシ、ファッションチェックがシュミなの。女の子はいつだって、ウィー・アー・オンステージの気持ち、忘れちゃダメよ?」
「は、はぁ……」
「じゃあねー。お魚さん片づけたら、また話してあげるわ」
言いたい放題言って、丘間カオルは浜辺の方へと駆けだした。
探索開始から、1、2時間は経った頃だろうか。重巡分校の停泊地点からはかなり離れ、恭介たちは海岸沿いをゆっくりと北上していた。ただ浜辺が続いているだけではなく、時折進みにくい岩場などもあったりして、予想外に手間取る。ただ、モンスターの類は、一切出現しなかった。
あまり北に行きすぎると、“火の民”という火山信仰や竜王信仰を続けている民の国とぶつかってしまう。苛烈で排他的な性質を持つ彼らは、セレナの故郷である騎士王国と、その南東側に位置する竜騎士王国が、抑え込むような形で帝国への侵攻を防いでいるらしい。
「竜王信仰なら、竜崎を連れて行けばなんとかなったりしないかな」
浜辺を歩きながら、恭介は雑談がてらにそんな話をした。
「どうかなぁ。私も資料よんだけど」
佐久間が少し困ったような笑い方をする。
「火の民の竜王信仰って確かにドラゴニュートと繋げて考えられることが多いから、歓迎はされるかもしれないけど。でも、あのあたりの火山帯に暮らしてるドラゴニュートって、竜王直系って言われてるらしくて、すっごいプライド高いんだって」
「さっちゃんは物知りだなぁ」
恭介に手綱を握られたまま、白馬が感心したように言った。
「飛竜連山と火山連峰の間に、“覇竜の頂”っていう一番高い山があってね。その頂上では、大陸最強と呼ばれるドラゴニュート達が日夜殴り合いをしているんだって」
「ファンタジーだなぁ」
「ね。ワクワクするよね」
大陸最強、というくらいだから、さすがに今の竜崎では手も足も出ないくらい強いのだろう。
「と、言うことは、アレだな。委員長もいつか自分の力に限界を感じて、そこに修行しに行くとか……。そういうパターンもあるかもしれないな!」
列の最後尾で周囲を警戒している猿渡が、暑苦しく叫んだ。
「大陸最強と呼ばれるドラゴニュートの一人に弟子入りをして……。あるかもしれないな! 燃えるな! 青春だな!」
「まぁ、これから俺たちが向かう方向とは、真逆になっちゃうけどな。その覇竜の頂」
恭介は頭に地図を思い出しながら呟く。猿渡は露骨にしょぼくれた顔をした。
まぁ、どのみち自分たちは、火の民の国を越えても、そこから先へ進むことはできない。火の民の国を越えれば、海沿いに竜騎士王国と南王国があり、この2つは帝国の影響が特に強い国なのだ。更に南王国から東へ進むには運河を越えなければならない。運河を迂回しようとすれば帝国領に足を踏み入れる。陸路は無理だ。
「でもなぁ、またそろそろ、人間が恋しいな」
恭介が、なんとはなしにそう言ったためだろうか。白馬は急に足を止め、鞍に乗せた恭介を見た。
「な、なんだよ白馬……」
「いや……。お前がそんなことを言うなんて珍しいなと思ってさ……。まぁ、確かに人間は恋しいな」
竜崎が主導する重巡分校の生活では、自分たちはかなり“人間らしく”振る舞っている。だが、こうして人間の生活圏をあえて迂回するように進んでいるというには、ちょっと寂しい。本当はこの世界のさまざまな国の、さまざまな文化に触れてみたいという気持ちだって、なくはないのだ。
「しょうがないよ。私たち、人間だけど、モンスターだもん」
「まー、そうなんだけどさ。さっちゃん。いやぁ、やっぱ騎士王国は良かったな……。セレナさん可愛かったし……」
白馬は陶酔したように、視線を宙に泳がせる。恭介が額をぺちぺちと叩くが、なかなか帰ってこない。
「ひょっとしたら、意外と早く、人間たちに会えるかもしれないデブな」
先頭を歩いていた奥村が、それまでの沈黙を破ってそう言った。
「どういうことだ? 奥村」
「ここから先、しばらく進んだところに、帆船が停泊しているのが見えるデブ」
そう言って、奥村は望遠鏡を覗き込んでいる。以前、荒野で朽ち果てた重巡洋艦を探索した際、彼が見つけた望遠鏡だ。レンズにヒビが入っていたりするが、奥村はこれを気にいって重用している。
それを聞いて、白馬と猿渡が飛び跳ねた。
「本当か、奥村!」
「再び異文化交流だ! 楽しみだな!」
反面、佐久間は難しい顔を作っている。恭介も、表情は作れないが同じように考え込んだ。
地図によればこのあたりは、人類の生活圏からはやや外れている。おそらくは、航海途中で遭難し、この付近に流れ着いた船だ。火の民は航海技術を持たないから、帝国側の人間か、あるいは海洋連合国家の人間か。
憶測を裏付けるように、奥村は言った。
「マストが折れてるデブ。それ以外にも……まぁ、船はだいぶ傷ついているデブな。どうするデブ?」
最後の質問は、班長である佐久間に投げかけられたものだ。
「急ぐなら早くした方が良いデブ。モンスターによる襲撃を受けてるっぽいデブよ」
その言葉を聞いて、佐久間はハッと顔をあげる。
人間がモンスターに襲われている。のであれば、助けに行かなければ。佐久間の脳裏に瞬時に浮かんだのはこの図式だろう。人のことをどうこう言える恭介ではないが、別に、行き過ぎた正義感であるとは思わない。少なくともこちらには、人間よりはるかに高い戦闘能力がある。
逡巡の理由は、その人間たちの素性がまったく掴めていないことだ。彼らが帝国側の人間であれば、むしろ話がこじれる可能性がある。そこを、現場の判断で決めてしまって良いのか。佐久間が迷っているのはそうした理由だ。
「佐久間」
恭介は声をかけた。
「俺は助けに行きたい。ただ、班長は佐久間だから、佐久間が決めてくれ」
「ウツロギくん……」
佐久間は顔をあげ、恭介を見た。次に白馬、猿渡、そして奥村へと視線を移していく。
「大義名分が必要なら、恩を売って航海の手助けをしてもらう、って話にすればいいさ」
「うん……。そうだね」
いくら相手が帝国の人間であったとしても、実際に遭難しているのであれば、孤立無援の状態だ。そう難しく考える必要はない。もちろん、佐久間では交渉に向かないから、本当に恩を売るのであれば、あとから竜崎なりを連れて来なければならないが。
ともあれ、佐久間は言う。
「これから、その帆船の乗組員たちを、助けに行きます」
おぉっ、と、恭介たちは声をあげた。
次回は明日朝7時更新です。
いよいよ、凛も瑛もいない恭介くんの戦闘。果たしてまともに戦えるのか! あとカオルとは無事に合流できるのか!




