表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/115

第43話 クイーンの憂鬱

活動報告の方に、地図を載っけたりしています。

半分くらい自己満足ですが、世界観をより把握したい方は是非どうぞ。


http://mypage.syosetu.com/mypageblog

「スオウさんが亡くなった?」


 その報告を受けた時、朱鷺原ときはらは算盤をはじいていた。


 こちらの世界に来てから、朱鷺原は正確には朱鷺原ではない。数あるポーンの中の一人として認識され、個体名でよばれることはほとんどない。ただ、彼はルベリング海に浮かぶ群島国家“アルバダンバ”に居座り、血族の中でも無視できない貢献をしていたことから、便宜上“アルバダンバのポーン”などと呼ばれていた。そうまでするなら、普通に朱鷺原と呼んでくれても良いのに、とは思う。


 さてさて、ビショップのアケノからもたらされたその報告は、朱鷺原にとってはそれなりに驚くべきことであった。

 ナイトのスオウ。まだ若く、血気盛んな吸血鬼ではあったが、腕は確かだった。そんな彼が死ぬ、ということは、一大事だ。しかもスオウやアケノが居座っていた西の古城は、外敵が来る可能性がほとんどなかった場所でもある。


「クイーンの造反は確定的だ。フェイズ3に覚醒した生徒がひとりいて、そいつと交戦した」


 アケノは淡々と告げる。朱鷺原は『ふむ』と呟いて、眼鏡のレンズを拭いた。


「まぁ、既に聞いている話ですな。クイーンの造反があったということは、戦力補充がなされないということでして。各地で小競り合いをはじめていた血族たちも一時的に引き上げていると聞きますわ。やはり、無謀でしょうなぁ。70年前だか80年前だかに、鬼どもがこぞってやろうとして、失敗したことですからな」

「私はハイエルフを連れて王の下へ行くつもりだ」

「そのために、わざわざ海を渡って来られたんで?」

「頼みたいことは、もうひとつある」


 そう口にするアケノを見て朱鷺原が思うのは、今はずいぶん落ち着いているな、というようなものだ。


 朱鷺原は経営していた会社を捨て、元の世界で言うと3年前にはもうこちらに現地入りしていた。血族が活動するための地盤を築くためだ。その後、元の世界にとどまった血族は教皇庁の聖堂騎士団やら、内閣特殊異能対策室の連中やらと一悶着があったらしい。

 朱乃雅あけの・みやびが脳を負傷したのはその時だと聞いている。彼女の唱えていた転移変性ゲートや屍鬼化ウイルスは計画の骨子であったため、彼女の知能を失うわけにはいかなかった。手を尽くした甲斐もあってアケノとその知能は保たれたが、知性や情緒には著しい欠陥を残すことになった。定期的に、脳のクリーンアップを行う必要が出てきたのだ。


 おそらく、今のアケノはそれを済ませた直後だ。当分は、単独行動をさせても大丈夫だろう。気になることと言えば、クリーンアップのたびに、少しずつ精神に変調をきたしていくことだが、それは王もアケノ自身も織り込み済みのことだ。

 アケノがどのような状態であれ、彼女の手綱をキチンと握ることのできるスオウが死んだのは、やはり痛手であるかもしれない。朱鷺原はそんなことを考えながら、アケノの話を聞いていた。


「クイーンに率いられた連中が、このアルバダンバを通る可能性がある」

「ほう」

「王国跡から東に向かう節が見られた。いずれ、海岸に出るだろう」

「そこから、海岸沿いに北上して行くってセンはないんですかね」


 拭き終わった眼鏡をかけて、朱鷺原は尋ねた。


「なくはないが、この世界に関する知識が少しでもあるなら取らない選択肢だろう。海岸沿いに進んでいけば、火の民の国にぶつかる。あそこの連中は排他的だ」

「なるほど」


 尋ねはしたが、朱鷺原だって彼らがバカ正直に海岸沿いを通っていくとは考えていない。もし連中が東を目指しているとしても、海沿いを進むのはかなりリスキーだからだ。フィルナンド竜騎士王国、ピリカ南王国などは中央帝国の意向を無視できないから、モンスターである彼らは下手をすれば捕えられてしまう可能性がある。


 海に出る、というのは、現実的な線ではある。彼らにまともな航海技術があるかは別として。


「クイーンたちは、どこへ向かっているんでしょうねぇ」

「私は、人の考えや感情に基づいて推測をたてるのは苦手だな。だが、どのみちクイーンたちに逃げ場はない。どこへ行こうと同じことだ」

「ごもっともで」

「ポーンを何体か置いていく。そいつらの指揮はお前が執れ。連中がアルバダンバに来たら、なるべく足止めをして、それが無理なら行き先を割り出せ」


 どこへ行こうと同じだ、と言いつつ、行き先を割り出せ、か。まぁ、言いたいことはわかる。

 血族にとってもっともベストな選択は、クイーンをはじめとした連中全員をひっとらえることだ。身柄さえ確保してしまえば、言うことを聞かせる手段などいくらでもある。だが、それは既に難しい段階に入っていると、言わざるを得ないだろう。スオウを殺せるような奴が、相手にはいるのだ。

 ならばせめて、相手がどこにいるのか、何を目的としているのかだけでも割り出しておきたいというのが、正直なところだ。詳細な居場所さえわかれば、王は遠くからでもクイーンに“指令”を下すことができるし、そうすれば展望も開けてくる。


「了解しました。最終的には、王からの指示待ちですかなぁ」


 朱鷺原はそう言った。アケノも頷く。


「連中を殺してでもクイーンの確保を優先するか。あるいは徹底的に捨て置くか。そのあたりは王の指示を仰がねばなんとも言えん」

「わかりました。確認ですが、王は私やあなたの位置は正確に把握しておられるのですな?」

「今更そんなことを聞くのか。この会話も、すべて王には筒抜けだ。余計な気を起こしているわけではないな?」

「ははは、そんなまさか」


 一度、王に血を捧げてしまえば、王の監視からは決して逃れることはできない。元の世界にいたころのクイーンは王に対してひどく従順で、それゆえに血を捧げなくとも良いと目こぼしをもらっていたのだ。王自身が、クイーンのことを憎からず思っていたという理由もあるだろう。

 結局は、それが裏目に出た。王はクイーンを殺すだろうか。殺すような気もするし、造反を許すような気もする。どの道、王とクイーンが対峙すれば、否が応でもクイーンは屈服せざるを得ない。王の支配権能は、絶対だからだ。


「クイーンの血を採取できれば、それが一番ベストですな?」


 朱鷺原がそう尋ねると、アケノは意外そうに目を見開いた。


「ベストだが、難しいぞ。彼女が、あまり前線には出ないだろう」

「ま、そうでしょうな。私も、いろいろ考えてみましょう」


 海洋連合国家アルバダンバに身を置いて、実に9年。こちらの世界の時間で、9年だ。

 長かったが、おかげで地盤はかなり固まっている。帝国の支配が薄いこの群島国家は、血族の移住に備えた下準備を行うのには最適だった。最初は怪しがられていた朱鷺原も、今はひとつの島の経理を任され、酋議会へも列席が許されている。

 立場を活かせば、いろいろとやりようはあるものだ。


 素通りされれば、すべてが水の泡ではあるのだが。


 帝国に知覚されないよう海を通るのであれば、このアルバダンバは避けて通れぬ要所だ。可能性は、高いと見て良い。


「長居したな」


 そう言って、アケノは朱鷺原に背を向けた。


「もう行かれますか」

「ああ。あのハイエルフが従順な内にな」


 従順、というのとは、また少し違うだろう。アケノ達を乗せた船が島に着いた時、朱鷺原もそのハイエルフの少年を見ている。あれは、ショックを受けて塞ぎ込んでいる顔だった。おそらく、死んだスオウと交友関係を築いていたとみるべきだ。


「アケノさんは、喪に服されたりはしないのですなぁ」


 余計なことだと思いつつ、口にする。ぴたり、とアケノは足を止めた。


「スオウのことか」

「ええ。お二人は仲が良かったと伺っていますが」

「確かに仲は良かった。だから、いつか仇は取るつもりだ」


 アケノは部屋を出て行った。仇討ちをするつもりでいるとは、存外に湿っぽいところも残っているようだ。

 朱鷺原は、スオウが殺されるそもそもの切っ掛けとなった一連の出来事を知らない。だが、よしんば知っていたとしても、スオウを殺されたアケノの怒りを、正当なものだと思っただろう。殺されたから殺すし、殺すから殺される。吸血鬼と人間の交わりなんていうのは、この1000年間、ずっとそんなものだったのだ。


「王も、帝国への侵攻なんて馬鹿げたことを考えずに、大陸の隅で大人しくしていれば良いでしょうにねぇ」


 ま、吸血鬼である以上、それも無理か。血を吸えなければ、いつかは干からびる。

 こちらに来てからいろいろ試してみたが、人間の血でなければダメなのだ。エルフでもダメだし、獣人でもダメだ。リザードマンやドワーフでもいけない。そして、人間の血を吸わねばならない以上、どこかにほころびは出る。

 結局、元の世界と同じだ。因果な身体であると、朱鷺原は思う。


 そう言えば、ここ1ヶ月、人間の血を吸っていない。日が暮れて出歩く者がいなくなる前に、浜辺で遊んでいる子供でも捕まえてくるか。

 朱鷺原はガチガチと犬歯を打ち鳴らして、外に出る身支度を整えた。





「ねぇ恭介くん。紅井さん、最近イライラしてない?」


 と、凛が言ってきたので、恭介は食堂の少し離れた場所に座る紅井明日香を見た。


 確かに、不機嫌そうに歯を打ち鳴らしているのが確認できる。あのクイーンにしては行儀の悪い仕草だ。目の前のトレーには、フォレストラビットのステーキと付け合せの野菜、そして主食のイモが置かれている。紅井は、それらに一切、手を付ける気配がない。ここ最近、確かにそんな紅井をよく見る。

 最近、といっても、ほんの数日のことだ。スオウ達との激戦が終わり、あの古城を発って東に向かい始めてから、まだ1週間と経っていない。


「血が吸えていないせいかもしれないな」


 ふよふよと浮かびながら、瑛がそんなことを言った。恭介は腕を組む。


「そう言えば、紅井って吸血鬼だよなぁ。こっちに来てから、まだ一度も血を吸ってないよな?」

「少なくとも、人間の血はそうだろうね。騎士王国に滞在中、こっそり吸っていた可能性もなくはないけど」

「今まで、あたし達と同じものばっかり食べてたもんねぇ」


 紅井明日香は吸血鬼だ。それも、恭介たちのように、転移変性ゲートを通って“吸血鬼”になったわけではない。彼女は生まれつき吸血鬼だった。そして、公言こそしていないものの、元の世界にいる間も闇にまぎれて人間の血を吸っていたはずなのだ。

 それを、この1ヶ月半以上、まったくできていない。彼女たちにとって、人間の生き血とは、嗜好品のようなものなのだろうか。


「でも、アレだね。下手に血を吸ったら吸血鬼増えちゃうね」

「別に吸っても増えねーよ」


 凛がぽつりと言うと、後ろからトレーを持った犬神響が吐き捨てるような声で言った。

 恭介は意外そうに、彼女の手元を見る。


「あれ、犬神、自分で下膳するようになったんだな」

「佐久間がうるせーからな」

「ねーねー響ちゃん、吸っても増えないってどういうこと?」


 凛がくいくいと、犬神のセーラー服の裾を引っ張った。恭介と瑛も頷く。


 恭介たちのイメージする吸血鬼とは、血を吸うことで喉の渇きを癒し、そして血を吸った相手を吸血鬼に変える。そうした意識の大前提があって、それを元に話していたのだが、犬神は違うと言う。

 犬神響もまた、紅井と同じく元の世界の時点で人狼だった少女だ。吸血鬼の一族とは浅からぬ因縁があるわけで、彼らの生態にもそれなりの知識はあるのだろう。犬神はわずかに舌打ちをしたが、すぐに丁寧に教えてくれた。


「だから、血を吸っても相手が吸血鬼になるわけじゃねーの。血を吸うだけ。まあ、1ヶ月くらいは吸わなくても我慢できるもんらしいけどな」

「へー」


 凛はたぽたぽと身体を上下させながら相槌を打つ。


「確かに、血を吸うたびに吸血鬼になっていたら、ネズミ算式だから地球はあっという間に覆い尽くされていたね」


 瑛も得心がいったように頷いていた。


「そうはいっても、もう1ヶ月はとっくに過ぎてるぞ」

「だから我慢の限界なんじゃねーの。ま、知ったこっちゃねーけど」


 それだけ言って、犬神はすたすたと歩いていってしまう。


 その背中を見送ってから、恭介、凛、瑛の3人は、顔を突き合わせた。いや、恭介以外に顔はないのだが、とりあえず突き合わせた。真っ先に口を開いたのは恭介だ。


「どう思う?」

「そこはメンドくさい思春期から脱却した恭介くんの自主的な意見を聞きたい」

「僕も同感だ。恭介はどう思う?」

「そういう扱いされんの正直アレなんだけど……。いや、単純に紅井は、今まで色んな緊張があったから血を吸うどころじゃなくって、それが最近になって一気に解けたから、吸血衝動が返ってきたとか、そんなんだろ?」


 紅井は、自らの素性と正体をクラスメイトに明かした。クラスには多少の戸惑いが生まれたものの、最終的には彼女のことを受け入れている。もっとも、紅井が『王を倒すためにクラスメイトを利用しようとしている』ことは、知らない生徒の方が多いのだが。それでも、恭介や竜崎、佐久間などに話したことで、だいぶ肩の荷が下りたことだろう。


 それで、今まで我慢していた吸血衝動が、一気にぶり返してきた。そんなところだと、恭介は睨んでいる。


「まぁー、それしかないよねぇ」


 凛も頷いた。


「人間でなければダメなのだろうか。佐久間や春井たちから、血を募ることはできないのかなと、僕は思うんだが」

「無理じゃない? それができるなら、その辺で捕まえた動物の血でも良さそうだし」


 人間の血か。これからのことを考えると、手に入りづらいものではある。


 2年4組の生徒たちを乗せた重巡分校は、これから海へと向かう。海についたら、古城で確保した資材を使って、分校の再改修だ。その後、東を目指して旅をする。

 大陸の南側は、帝国の影響が根強く残っているため、無用な衝突を生む可能性がある。だから、海側を迂回して目的地のある東側へと回り込むのだ。南は南でも、大陸の南東に大きく突きだしたヴェルネウス半島は帝国の影響力が薄い。そこから東の海沿いに北上していくのが、竜崎に提示したプランだった。


 つまり、これから海に出るのだ。海に人間はいない。


「多分、中継地として島国に寄ったりするから、そこまでは我慢だよねぇ」

「島国に着いたとして、血を大人しく分けてもらえるかって言うと、それもまた問題だな……」


 『課題は山積み』が合言葉の2年4組に、また新たな課題が増えてしまった。恭介も高校生である。課題も宿題もゴメン被りたいところだが、いくら被っても課題は鬼のように降り注いでくる。


 紅井はやはりイライラしていた。歯を打ち鳴らしながら、ステーキを切って口に運んでいく。付け合せの野菜やイモには手をつけなかった。そのまま下膳することなく乱暴に席を立ち、食堂を後にする。彼女は不機嫌になると黙っていても怒気を宿すので、他のクラスメイト達は怯えたように紅井に進路を譲っていた。


「ねぇ、恭介くん」


 凛がつんつんと恭介の骨を突っつく。


「ん?」

「恭介くん、もしスケルトンじゃなかったら、紅井さんに血をあげようとか考えたりした? と、いうのも、そんな光景を見たら、あたしちょっと嫌な気持ちになるかもって思ったからなんだけど、恭介くんのことだからやりかねないなぁ、と……」

「姫水」


 恭介が答えるより早く、瑛が声をあげた。


「あっ、はい。なんでしょう正妻様」

「そういうことはドンドン言うと良い。恭介は、君が何も言わなければ全身の金箔を惜しげもなく他人に渡す幸福の王子だけど、君が嫌だと言ったらそれはしないはずだ。君は今恭介の手綱を握っているんだ。大したことだと思うよ」

「なるほどなるほど」


 そういう話は、本人を前にすることではないだろう、と恭介は思う。

 思うのだが、まぁ、否定はできない。


 凛は空っぽの恭介を認めてくれ、足りないものがあったら補うと言ってくれた。おかげで恭介は立ち直れている。以前と比べて劇的な変化があったかというと、そんなものは全くないのだが、少なくとも凛に対する意識は変わった。彼女が嫌と言えば、それはしないことにする。

 彼女が嫌と言って、それでもしたいことがあったとしたら、それはそれで中身が生えてきたということなので、喜ばしいことだ。衝突はするだろうが、そうした日が来ること自体は、凛も歓迎してくれる気がする。なので、恭介は気楽に構えることにしていた。


「まぁ、瑛の言う通りだ。俺は相変わらずバカだから、そういうところで歯止めは効かないけど」

「あたしがブレーキかけると。よしよし。任せなさい」


 凛は全身で拳を作ると、ドンと胸を叩く仕草をした。相変わらず感情表現のダイナミックなスライムである。


「まぁ、結局今までとあまり変わらない気もするけどね。でも僕は姫水に期待している。君なら恭介を変えてくれそうだ」

「はーい、頑張りまーす」

「だから本人の目の前でそういう話をするんじゃないよ……」


 恭介は、下膳するために、ひとまずトレーを持って席を立った。





 重巡分校は、順調に東を目指して進行中だ。キャタピラで木々を薙ぎ倒していくのは、自然破壊をしているようであまり気分が良くないが、そうでもしないと進めないのだから仕方がない。数日前に王国跡を発って、そろそろ風に潮が混じってくる。海は近いはずだ。


 海か。佐久間祥子は、甲板で景色をぼんやりと眺めながら、思った。


 裁縫担当であるアラクネの蜘蛛崎糸美は、女子用の水着を作り始めている。海といっても別に海水浴に行くわけではないのだが、彼女にとっては服を作る切っ掛けがあれば何でも良いらしい。男子は男子で大喜びしているし、白馬などは鷲尾の遺影をくわえて、蜘蛛崎の裁縫室を毎日のように訪れている。


 ここ数日は大した戦闘もなく落ち着いているので、佐久間もいろいろと考えることが増えた。


 紅井明日香のこと。犬神響のこと。空木恭介のこと。

 それに加え、丘間カオルのこともだ。ゴウバヤシの話では、クラス内ではカオルコと呼ばれていた彼とは、東で落ち合う約束をしていたらしい。海に出る前に、なんとかしてカオルと合流したいところだ。


「カオルちゃん、元気かなぁ……」

「ま、元気なんじゃない。あいつのことだから」


 佐久間の独り言に答えたのは、いつの間にか彼女の隣に立っていた、紅井明日香だった。


 紅井と佐久間は幼稚園からの仲だが、ここに丘間カオルをくわえると小学校以来の仲になる。性別、というものを意識したことは、あまりない。カオルは昔から女子力が高かった。紅井にメイクやファッションセンスを仕込んだのも、佐久間に料理や裁縫を教えてくれたのも全部カオルだ。

 いつも元気で明るかったカオルだが、インキュバスに転生した時は本気で落ち込んでいた。『これくらいならクラーケンやモルボルになっていた方がよほどマシだったわ』とは、彼自身の弁である。


「ゴウバヤシも帰ってきたし、カオルもきっと自分の問題と向き合ってる。サチ、あんたなんかよりは、よほど安心だよ」

「そ、そうかなぁ……」

「姫水とウツロギのくっつき具合見られたら、またあんた、カオルに何か言われるんじゃない?」


 そう言われて、佐久間は思わず小さくなってしまいそうだった。


 確かに、彼なら言いそうだ。『あんたがボケッとしてるからウツロギくん盗られちゃったんじゃない!』くらいは、普通に言いそうだ。別に佐久間は盗られたとは微塵も思っていないわけだが、そうした煮え切らない態度についても、きっと何か言われる。


 話題を変えよう。話題を。考えることを変えよう。

 そう、紅井だ。いつの間にか隣に来ていた彼女だ。佐久間は彼女についても、聞きたいことがあった。


「明日香ちゃん、最近具合悪そうだけど、大丈夫?」

「ヘーキ。でもないかな。最近、血を吸ってないから」


 ガチガチと歯を鳴らす紅井を見て、佐久間は驚いたように目を開く。


「そっか、明日香ちゃん……」

「騎士王国に入った時、無理やりにでも一人吸っときゃ良かったよ……。まだ持つけど、2ヶ月越えたらヤバいかも」


 ヤバい、というのがどういう意味なのか、佐久間には判断しかねるものがあった。精神的な意味なのか、それとももっと、命に関わる深刻な意味なのか。佐久間は、ワンピースの袖から覗く自らの腕をじっと眺め、おずおずと紅井に尋ねた。


「明日香ちゃん……。あたしの血、吸う……?」


 今度目を見開くのは、紅井の方である。


「え、いや……。大丈夫だよ。っていうか、ヒト以外の血を吸っても、満たされるわけじゃないからね」

「あ、そうなんだ。ごめん……」

「人間の時のサチだったら、吸いたいなって思ったことは何度かあるけど」

「え、ええー……」


 それは、光栄に思うべきなのかどうか、難しい。別に彼女が自分のことをただの食料として見ていたわけではないと思うのだが、『食料としても魅力的な友人』というのは、果たして人間と吸血鬼の間では褒め言葉として成立する文句なのだろうか。フィクションを読み込んでいる佐久間には、いくつかの物語の中に出てくるエピソードを思い浮かべられるが、これは現実の話なのだ。


「ま、そういうわけだから、人間の血を吸いたいんだけど……」


 紅井はそう言って、ガチガチと歯を鳴らした。意識が一気に引き戻される。


「……ああ、大丈夫。致死量にならないくらいに気を遣うことはできるから」

「そ、そう? なら良かった……かな?」

「問題は人間に会うまでに、どれくらいかかるかかな……」


 ぽつりと呟く彼女の声は、風に紛れて消えて行った。


 ところが、紅井の望みは、そのわずか一日後に叶えられることになる。





 海が見えた、という報告を聞いた時、生徒たちはこぞって甲板へと詰めかけた。


「いよいよ海か。ヒレが鳴るぜ」

「腕じゃなくってかい?」


 心底楽しそうに呟く魚住鮭一朗ギルマンに、猫宮美弥ケット・シーが尋ねている。生徒たちの反応は多種多様だが、大半の生徒は目の前に開けた水平線に心を躍らせている様子だ。唯一、甲板に菜園を持つ花園だけが複雑そうな顔をし、潮風から作物を守るための囲いを、用意し始めていた。


 当然、恭介たちも甲板に来ていた。凛は楽しそうに身体を躍らせていたが、瑛はちょっと青ざめた顔……ではなく、火力の低そうな顔をしている。炎の塊である彼は水に落ちたら死んでしまうだろうし、そもそもこれから当分船酔いから解放されないとなると、その気持ちもわからないではない。


「おい瑛、大丈夫か……?」

「ダメかもしれない。ひとまず、改修の為に数日は陸で生活するだろうから、せいぜい満喫することにするよ……」


 可哀想になるくらい、声が震えていた。


「あー、みんな、聞いてくれ!」


 ざわつくクラスメイトのもとに、委員長竜崎がやってくる。当然、ゴウバヤシも一緒だ。


「これから海岸に出る! 出たら、暮森を中心にした改修班と、カオルコの捜索と周辺の探索を兼ねた探索班に分ける予定だ! あと魚住兄妹と凛は、こっちから頼みたいことがあるので残ってくれ!」

「お、ご指名された」


 足元で、凛がたっぽんと跳ねる。瑛がなまっちょろい炎のまま、解説に入った。


「おそらく、海水を姫水が取り込めるかという実験をするんだろう。そこから塩と水に分離させることができれば、航海も楽になるからな」

「おうおう……。あたしも完全に濾過装置扱いだね……。でもさ、恭介くんどうする? あたしがこの海全部と一体化しちゃったら……」

「どうするって……どうしような? ひとまず小金井を取り返すのは楽になりそうだ」


 しかしそうなると、凛とは別行動か。恭介はおそらく探索班に回されるだろうから、妥当なところではある。ただ、合体相手がいないと無力なのが恭介なので、瑛あたりを無理やり引っ張って行くことになるだろうか。


 竜崎は更に続けていた。


「詳しいメンバーはこれから決めるが、暮森の話だと、改修班には火力が必要になる。火野、乗り物酔いは大丈夫か?」

「ん、ああ……。大丈夫だ。少し休めば、1000度くらいまでは出せるよ」


 どうやら、瑛もまた居残り組に入れられるらしい。と、なると、恭介は改修班に回されない限り、2人とは離ればなれだ。ちょっとばかり、狼狽する。


「いやぁ、どうやら恭介くんもソロデビューか……。感慨深いね……」

「え、いや。ちょっと待てよ。流石に一人は無理だろう」

「無理ということもないさ。特性増幅の効果を他にも試す良い機会と言える。さすがに、EX合体は息の合う相手じゃないと難しそうだけどね。僕離れができたんだから、次は姫水離れだ」


 今まで散々甘やかされていたところを、いきなり突き放された気分だ。

 まぁ、この周囲にはさほど強いモンスターもいないだろうし、確かに2人に頼らない新しい戦い方を身につける時期には、入っているのかもしれないが。いつまでたっても組み合わせが固定では、竜崎もパーティを組むのが大変かもしれないし。


 恭介は、海を前に心躍らせる生徒たちを前に、果たして誰となら特性増幅の効果を試しやすいだろうかと、割と真剣に吟味しはじめてしまった。

次回投稿は明日朝7時です。

凛&瑛と引き離された恭介、そして探索に出かけた彼らが見たものとは! お楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ