第42話 東の海を目指して
戦いは終わった。恭介がキマイラから取り戻した鷲尾の骸は火葬され、改めて骨壺に納められ仏壇の中に置かれることとなる。2回目の葬式とも言える場には恭介も参列し、鷲尾の冥福を静かに祈った。
魔法のある世界でも、アンデッドモンスターの蔓延る世界でも、喪ったものは帰らない。その大原則は絶対である。黄泉路へと旅立った鷲尾の魂は、今どのあたりにいるのだろうか。輪廻転生の概念は、この世界にもあるのだろうか。セレナは、“転生者”と呼ばれる異世界来訪者の存在を語ったことがある。鷲尾の魂が他の何かとして生まれなおすことは、果たしてあるのだろうか。
そんなことをゴウバヤシに尋ねたら、こんなことを言われた。
『死後の魂の救済という概念は、生者が死の恐怖から自立し前を向くためにある。死者が蘇るかもしれないという空想にすがってしまうくらいなら、最初から、そんなものはないと思った方が良い』
冷たい物言いだったし、宗教家らしからぬ言葉ではあった。
だが、空木恭介の友人である豪林元宗の言葉だ。恭介は甘んじて頷いた。
恭介が冥福を祈らなければならない魂は、もうひとつある。
古城から少し離れたところに、小高い丘があった。丘といっても、王都跡と同様、木々の林立によって決して見晴らしが良いと言えるような場所ではない。だが恭介は、蘇芳貴史の埋葬場所にそこを選んだ。
彼との決着は一瞬だった。エクストリームブロウを防ぐ手立てが彼にはなかったのか、それとも、最初から防ぐ気がなかったのかは、わからない。だが胸から血をしぶき、ナイトのスオウは倒れ込んだ。どれだけ身体能力と再生能力に優れた吸血鬼でも、心臓を破砕されれば死ぬ。紅井に教えてもらったことだ。
恭介には手心を加えるだけの余裕はなかった。紅井に言われた、活動限界の都合もあった。下手に手を抜いて、エクストリーム・クロスが解除されれば、それから長時間、恭介はEX合体ができなくなる。そうして、決定的手段を失った恭介たちを、スオウが攻撃してこない保証など、なかったのだ。
スオウは眷属として生まれた自らの血の宿命を『クソみたいな』と揶揄していたが、アケノを逃がししんがりを買って出たところを見る限り、ある程度の帰属意識はあったのだろう。彼はアケノや小金井が向かったであろう場所について何も口にしたりはしなかった。
ままならないものだった。歯がゆさがないと言えば嘘になる。『会うところが違っていれば』なんて少年漫画みたいな思いを、まさか自分が抱くことになるとは思わなかった。
スオウの埋葬は、鷲尾に比べればかなりひっそりと行われた。あの戦いを見届けてくれた竜崎、ゴウバヤシ、原尾、猫宮。それに紅井と佐久間、そして凛と瑛だ。この8人に恭介をくわえた9人で、灰のように霧消してしまった彼の亡骸を拾い集め、丘の上に埋めた。
多くのクラスメイトにとって、スオウは敵のままだ。鷲尾の死を冒涜した怪物、キマイラを率いて分校を襲撃した。佐久間をさらおうとし、彼女を酷い目に合わせた。そんなスオウの埋葬に他のクラスメイトを誘うことには、わずかな躊躇もあったが、ゴウバヤシ達は頷いてくれた。
「じゃあ、俺たちはまた引き続き、古城の探索に戻るよ」
黙祷が終わったあと、竜崎はそう言った。
「暮森の話だと、スオウの襲撃で分校が揺れた時に機関部がダメージ受けたみたいで、修理にはあと1日くらいかかるそうなんだ」
「なるほど、その間は古城の探索か」
「それなりに長い間、あそこに潜伏していたみたいだ。色んなものが見つかっている」
例のダンジョン、“約束の墓地”同様、侵攻拠点としての役割も持たせるつもりだったのだろうか。分校の改修に使える資材もある程度は見つかっているとのことだった。
それに、数々の娯楽だ。チェスやトランプといったテーブルゲームに始まり、発電機とテレビゲームが発見された時はクラスメイト達は大いに沸いた。恭介は、スオウが最後にアケノに告げた言葉の意味を理解して、ほんのちょっぴり切なくなった。
これ以上は、墓前でする話ではないと判断したのだろう。竜崎は、ゴウバヤシや猫宮を連れて丘を下って行く。原尾は大きなあくびをする。
「我は分校に戻り、再び眠りにつくとしよう……」
「ああ、原尾もおつかれ。今回はいろいろありがとう」
「友を守ることもまた、原尾の務め……。なんびとも原尾の眠りを妨げることなかれ……」
言うなり、原尾は瞬間移動で消えてしまった。
「相変わらずキャラ濃いなぁ……」
凛がぽつりと言った。残された一同は無言で頷く。
「ともあれ、これで一件落着だな。万事解決、といかないのが辛いところだが」
「ああ、手放しで喜べる状況でもないけど、身近な問題はひとつ、解決したよ」
瑛の言葉を受けて、恭介は自らの腕を見た。
以前に比べて、骨が妙に弱くなっているような感覚がある。フェイズ3能力の長時間使用による、“血の力”の枯渇だ。紅井はこれを指して『血が枯れた』とも言っていた。時間の経過により血の力は戻ってくるらしいのだが、どうやらエクストリーム・クロスもそうポンポン使えるものではないらしい。紅井が絶えず血の供給を行えばそうでもないらしいのだが、その点について恭介の態度は消極的だった。
この場にいるのは、凛、瑛、佐久間、紅井。恭介は4人に向き直って、改めて頭を下げる。
「今回は、いろいろ、迷惑かけてごめん。勝てたのはみんなのおかげだ」
「う、うん……」
「そういうの、別に良いから」
もじもじとする佐久間の横で、紅井があっさりと言った。
「一応言っとくけどウツロギ、フェイズ3になれたからって調子に乗らないこと。あんたがあたしの血を持ってるって、バレたようなもんだから」
「うっ……」
紅井の言葉に、恭介は少しばかり、たじろいでしまう。やっぱりそうなのか、という思いだ。
紅井が力をひた隠しにしているのは、その位置を王に気取られないようにするためだ。王が眷属に指令を下すのに、どれほどの条件を必要としているのかはわからない。だが、紅井がその支配から脱しきれていない以上、恭介の身体もまた、王の支配を受けているに等しい。
恭介はフェイズ3に到達した。それはすなわち、紅井の眷属と化したことを示している。恭介もまた、王の命令を拒むことができなくなっているのだ。
「それに関しては、僕らの方でフォローしていくしかない。そうだろう、紅井」
「ん、まぁね」
瑛の言葉には、何やら含みのようなものがある。
「今後の方針に関して、竜崎たちと改めて話し合う必要がある」
「今後の方針?」
「小金井くんのこととか、カオルコちゃんのこととか、」
首を傾げる恭介に、凛が捕捉を入れた。
「あと、紅井さんの目的のこととか、だね」
「………」
紅井は腕を組んだまま、目を閉じている。凛や瑛も、おそらく“それ”には気づいているのだ。紅井にとってのゴールは、竜崎たちの掲げる“元の世界への帰還”などでは決してない。
だが、それこそ墓前でする話ではないだろう。紅井は息をつき、恭介たちに背中を向けた。
「じゃあ、あたし、分校に戻ってるから」
「あ、あたしもあたしもー! あたしも戻る! 火野くんも行こう!」
「構わないが。……あぁ、そうだな」
紅井に追従するように、凛と瑛が丘を下りて行く。驚いたのは佐久間だ。
「えっ、ちょ、あれっ……待っ……」
急にこの場を離れてしまう3人を追いかけることもできず、狼狽を露わにしている。恭介は溜め息を――吐ける身体では、相変わらずないのだが、とりあえず溜め息をついたような気分になった。あいつら、余計な気を利かせたな。
分校でスオウを追う直前、瑛にかけた言葉を佐久間にもかけてやれと、彼は言った。なんのかんので機会を逃し続けていた恭介だが、この場で言っておけということなのだろう。
「う、ウツロギくん……」
妙にもじもじしながら、佐久間が言う。こんな彼女を見るのは、妙に久しぶりな気がした。
ここしばらく、佐久間はずっと気を張りっぱなしだったから、仕方のないことかもしれない。恭介と言葉をかわす機会だってほとんどなかった。紅井に意見を言える立場としてクラスの女子代表みたいな立場を任され、それから数日もしないうちに、鷲尾の死やら紅井のカミングアウトやらの頭を悩ませる案件が連続した。
クラスがまとまっているのも、紅井や自分がこうして無事でいられるのも、彼女の頑張りがあってのことだ。
「とりあえず、俺たちも丘を下りよう」
「うん、そうだね……」
人の手が入らずに久しいこの森は、下手をすれば方向がわからなくなってしまいそうだ。
「……ウツロギくん、初めて図書室で会った時のこと覚えてる?」
会話に詰まったのか、佐久間が不意にそんな話を切り出した。
「ああ、俺が借りようとした本を佐久間に譲ったんだよな。“黒い森の魔女”だっけ」
「うん。この森、その本に出てきた森によく似てるよね」
「“黒い森”だからなぁ。日本の森のイメージに比べて、結構不気味だよな」
「やっぱりそうだよね。この辺の木、ぜんぶ針葉樹だし」
思えば、佐久間とこういう話をすること自体、とんでもなく懐かしいことだ。こちらの世界に来てから1ヶ月半以上。もうすぐ2ヶ月になる。昔読んだ本の内容について語り合うなんて、それこそ図書室以来である。
こういう話をする時の佐久間は、えらく楽しそうな表情をみせる。最近の張りつめた表情よりも、こうした顔の方が彼女の性根に近いのだろうな、と思う。
「佐久間、」
「なに?」
「さっきも言ったけど、佐久間たちのおかげで、今回は勝つことができたよ。ありがとう」
その言葉をかけると、佐久間が目を丸くした。
「佐久間にも、普段から助けてもらいっぱなしで……」
「それ、みんなに言ってたりするの?」
「えぇっ!?」
予想だにしない反応がかえってきたので、恭介は思い切りつんのめり、斜面を転がってしまう。
「う、ウツロギくん!?」
「み、みんなというか……。あとは、瑛に似たようなことを言った」
「あ、そうか……。火野くんか……」
上半身を起こしながら正直に言う恭介に手を貸しながら、佐久間は難しい顔を作った。
「ウツロギくん」
「な、なんでしょう」
「私、姫水さんに負けないように頑張るね」
「……そういうのは、本人に言わないもんじゃないの?」
恭介は全身から汗が噴き出すような心地だった。当然、骨なので汗腺はない。
佐久間の言わんとしていることが理解できないほど、愚鈍ではないつもりだ。だがそれを正面から受け止めきれるほど成熟してもいないわけで。今まで散々、自分の内面から目を逸らし、周囲の感情からも目を逸らしてきたツケが、一気に回ってきたような心地だ。
こういう会話は心臓(ない)に悪いし、胃(ない)が痛い。
「佐久間」
「うん」
「が、がんばれ……!!」
「そういうのは本人が言わないもんじゃないかなぁ……」
それ以外にどうしろというのだ。
丘を下りながら、佐久間が『もちろん火野くんにも負けないように頑張るね』と言ったので、恭介はまたも斜面を転がり落ちていくハメになった。
その晩、恭介たちは分校の艦長室に集まった。面子は昼間、スオウの埋葬に参加したものとほとんど変わらない。あれから猫宮と原尾を抜き、犬神を追加した形になる。
分校のエンジン修理は今晩中には終了するということで、今後の方針を改めて話し合うことになる。
古城の探索を終えた結果、おそらくアケノが残したと思しい様々な資料が発見された。その内のひとつが、『転移変性ゲート概略』と書かれたレポートだ。恭介たちには、おおよそ理解できない内容ではあったが、異世界転移とモンスターへの体質変性を同時に行うゲートについてのレポートだということは、紅井の解説でわかった。東の森の賢者“マスター・マジナ”に手渡す資料としては、十分な価値がある。
それ以外にも、人体の屍鬼化を行うウイルスについての資料も見つかった。セレナの話では、屍鬼がモンスターとして発見されるようになったのはおよそ10年前、紅井の話では血族が異世界移住の計画をたてたのが3年前で、こちらの世界と元の世界では3倍近い時間の流れの差があるということから、おおよそ時期的に一致することがわかる。
「さて、これからなんだけど」
竜崎は、机の上に地図を広げた。この大陸が描かれた大きな地図だ。
地上の大陸は、かなり不格好ではあるものの、おおよそ下弦を描く三日月の形に広がっている。だが、その中で地図が仔細に描き込まれているのは、中央から東西南北に伸びた一部のエリアだけで、分校が今滞在している森は、灰色に染まってしまっている。
「セレナさんの話だと、この世界は数百年前に外敵による大規模な攻勢があって以来、人類の活動圏が大きく狭まっているらしい。この大陸の地図も正確じゃないそうだ。本当は三日月状じゃなくて、もっと広いはずだと言っていた」
「最初に転移してきた荒野は、人間の手がほとんど入ってなかったもんね」
竜崎の言葉に、凛が頷く。
「ただ、人類の活動圏―――というより、帝国の活動範囲が狭いということは、きちんと迂回すれば彼らとことを構えずに済むということでもある。で、俺たちはその迂回路を、今通っているわけだ」
セレナ達の国から大きく南下し、帝国の感知できる領域からは外れてしまっている。このまま東へ進んでいけば、広い海に出る。帝国の南側には、小さな島々からなる海洋国家や、新大陸と呼ばれる土地が存在するらしい。このあたりには帝国の手もほとんど入らず、新大陸は変わり者の冒険者くらいしか訪れる者がいない。
この海や新大陸を通りながら、東の森に暮らす賢者のもとを訪れよう、というのが、当初の案だ。一同はそこに異論をはさまない。
「問題はふたつ。ひとつは、海に出てしまうとカオルコと合流できなくなることなんだけど……」
竜崎が顔をあげ、紅井と佐久間が難しい顔を作った。この2人はカオルコと付き合いが長いと聞いている。
だが、ゴウバヤシはこう言った。
「東で待ち合わせよう、という話はしてある。この湾岸地帯のどこにいるかは知らないが、視界の開けた範囲であるなら、そこで待っているはずだ」
「じゃあ、海に出たら最初にすることはカオルコの捜索だな……」
「これ、地図見たら何本か川が海にそそいでるけど」
凛が地図を覗き込みながら言う。
「もしその場を動かないっていうなら、この川の近くじゃない? 海だと真水がないし、長期の滞在には向かないよね」
「確かにそうだな……」
竜崎は、西から東にかけてそそぐ川の何本かにチェックを入れた。
「ふたつ目の問題は、帝国の勢力圏から外れているということは、血族の勢力圏と被っている可能性があるってことだ」
一同は難しい顔で頷く。それはある程度、予期していたことだからだ。
この王国跡がそうであるように、血族たちは人類の主勢力である帝国の感知しにくい場所に、拠点を設けている可能性がある。セレナの母、女王陛下の話では各地で既に小競り合いが始まっているようだが、戦力として編入される予定だった2年4組の生徒たちとクイーンが裏切っているとなれば、一度矛を収めて帝国の勢力圏外に撤退する可能性がある。
正直、自分たちにそれほどの力があるとは思えないのだが、それは能力覚醒の進行している生徒が少ないから感じることだ。ポーンに匹敵する力を持つ生徒が40名。紅井と犬神を除いても38名。フェイズ3まで到達すれば、ポーンでは確実に相手にはならなくなる。1人1人が、戦力の中核に組み込むには十分すぎる力を得るのだ。
ともあれそうした事情もあって、撤退した血族たちが、分校のこれからの進路上に拠点を設けている可能性は、否定できない。帝国との衝突は避けられるが、決して楽な旅にならないのも事実だ。
「まぁこれは、良し悪しな側面もある。小金井の捜索とか」
「ああ」
竜崎の言葉に、恭介は頷いた。目下、クラスで小金井の救出に一番意欲的なのはこの2人だ。
「それにだ」
恭介は、続けて何か言おうとする竜崎を遮って、口を開いた。
「この場にいるみんなはもう気づいていると思うんだけど、どのみち、連中とは戦わなきゃいけないよな」
その言葉に一同は黙り込み、そして次に、紅井を見た。紅井は腕を組んだまま、わずかな溜め息をつく。
「まぁ、少なくとも、あたしはそうだね」
「クラスの中にも、薄々気づいている奴はいるはずだ。ただ“人間に戻り、元の世界に帰る”だけでは、根本的な問題が解決しないことを」
瑛が恭介の言葉を補足する。
血族は、異世界間の移動をある程度自由に行える技術を持っている。古城に遺されたいくらかの資料、物品からも、それは容易に想像がついた。明らかに、こちらとあちらの世界でやり取りされている手紙や、元の世界でつい最近発売されたマンガ、週刊誌のバックナンバーなどがほぼ途切れ目なく押収されている。
つまり、元の世界に戻ったところで、血族はこちらを追撃してくる。多くのクラスメイトは見逃されるかもしれないが、問題は紅井だ。裏切り者である彼女には、たとえ元の世界に帰ったところで、安寧が約束されないのである。それを理解できていない紅井ではないだろう。
紅井が最初から王に楯突くつもりであったとするなら、この異世界転移における彼女の最終目標は、元の世界への帰還ではない。
“紅月王”と名乗る吸血鬼の王に対する、叛逆だ。
「ここにいる連中に隠し立てをしてもしょうがないけど」
紅井はまた溜め息をついて、言った。
「この2年4組の編成には、あたしも口を出したんだよね」
「紅井が?」
「まず、犬神を入れろって言ったのは、あたし」
一同から少し離れた場所で腕を組み、壁に背を預けていた犬神響が、顔をあげた。
既に犬神が、血族に滅ぼされた人狼の生き残りだという情報を掴んでいた紅井は、素知らぬ顔で犬神をクラスに入れるよう提言した。転移変性ゲートを通っても、最初から人間ではない犬神はモンスター化しない。血族に対する敵意は最初から備えている。
他に紅井が名前をあげたのは、竜崎やゴウバヤシだ。彼らがいれば、紅井が陣頭指揮を執らずともクラスをまとめてくれるだろうという考えがあった。他にもいくらか、紅井の提言がなければクラスには編入されなかった生徒はいるという。
つまり彼らは、完全に紅井の都合でこのトリップに巻き込まれたことになる。
「そりゃあ、言えないなぁ」
竜崎が苦笑いをしながら頭を掻いた。紅井が意外そうな顔をつくる。
「怒らないんだ」
「怒って欲しいなら怒るけど……。なぁ、ウツロギ」
「え、俺に振るの?」
恭介は思わず顔をあげた。しばし考えた末に、こんなことを言う。
「いや、まぁ、怒ってもしょうがないし、紅井の判断は間違ってなかったよ」
少なくとも竜崎のおかげで、クラスは現在纏まっている。紅井はカリスマ性こそあるわけだが、彼女だけではこんなにキチンと生徒たちが足並みをそろえられることはなかっただろう。
竜崎やゴウバヤシにとっては気の毒な話だが、恭介としては竜崎を巻き込んでくれて良かった、といったところだ。彼がいなければ、クラスはもっと早い段階で瓦解していたし、きっともっとたくさんの死者が出ていた。
「……2人して、バカなの?」
「ああ、竜崎はバカだ」
「恭介も実に愚かだよ」
「……なんで2人はそんな自慢そうに言うの?」
したり顔で頷くゴウバヤシと瑛に、紅井による困惑気味のツッコミが入る。
「こーゆー時はねー、紅井さん。『ありがとー』って言っとけばいいの」
「う……」
凛の言葉に、紅井が若干言葉を詰まらせる。彼女はしばらく、視線を宙にさまよわせ、やがて観念したように溜め息をつき、言った。
「あ、ありがとう……」
「ひゅー!!」
凛が全身でハートマークを作って囃し立てるので、恭介はデコピンをかましておいた。
「クラスに入れて欲しくなかったけど、入れられた奴もいるよ。サチとか、カオルとかね」
「明日香ちゃん……」
「それって、叛意を疑われてたってことか?」
「かもしれないし、付き合いの旧い友達がいた方がさびしくないだろうっていう、余計なお世話だったのかもしれない」
ともあれ、重要なのは紅井が王に対する明確な翻意をもって、このトリップに臨んだということだ。おそらく彼女は、王の支配から脱するための最後のチャンスであると捉えていたに違いない。そのために、3年前から入念な準備を整えていた。
紅井は王を倒さなければ、自由にはなれないのだ。だが、それにクラスメイトを付き合わせることに、まだ幾らかの躊躇があるらしい。彼女の中に芽生えてしまった情のためか、あるいは別の理由かは、わからない。
「まぁ、俺は付き合うよ」
恭介は言った。
「小金井を助けなきゃいけないし、俺も眷属になってるし、どのみち連中は倒さなきゃいけない」
「恭介くんがやるなら、あたしもやらないとだねぇ」
「僕もだ。この2人ではどうにも危なっかしいからな」
凛と瑛も追従する。
「私も、お手伝いするよ。明日香ちゃん」
佐久間も、胸元に手を置いて頷いた。
「俺はクラスメイトの無事な帰還を最優先に考えたい」
竜崎は、ちらりとゴウバヤシを見て言った。ゴウバヤシは腕を組んだまま頷く。
「ただ、俺たちは血族のメンバーを何体か倒してしまっているし、今後のことも考えると、帰った後も無事でいられるかはわからないな。明日香やウツロギ達だってクラスの仲間なんだから、手伝う方向で考えておく」
「異論はない」
一同の視線は、それまでずっと黙ったまま会話に参加しなかった犬神へと向けられた。犬神はフンと鼻を鳴らす。
「あたしは、気にいらねぇ吸血鬼どもをブチのめせるなら、なんだって良いさ」
ひとまず、この場は満場一致ということだ。今後の方針として、2年4組は血族と戦うことを余儀なくされる。
問題は、これを多くのクラスメイトに飲ませるのが難しいという事実だ。鷲尾の敵討ちであると言えば、一部の生徒は賛同してくれるかもしれないが、そのために死者の名前を使いたくはない。危険が伴う決断である以上、消極的な生徒たちに無理強いをさせることはできないだろう。
むしろ、セレナ達人間勢力との協力が不可欠になっていくかもしれない。帝国の方針として、モンスター軍団である2年4組が彼らと協力するのは難しいかもしれないが、そこも改めて、考えていく必要がある。
「課題は山積みだな……」
竜崎がぽつりと言うと、恭介は思わず吹き出してしまった。
「なんだ、どうした? ウツロギ」
「いや、なんか、毎回それだなぁと思ってさ……」
「ほんとだよ。よく尽きないもんだ」
恭介の言葉に、竜崎は苦笑いして頷く。
ちょうどそのあたりで、艦内放送で夕食の支度が出来た旨がアナウンスされる。一同は今後の方針についての秘密裏の会合を終え、艦長室を出ることにした。
紅井の告白によって事態の透明感がかなり出てきたが、わからないことは、まだ多い。
結局、紅月王が異世界移住ではなく、異世界侵略を企てた理由とはなんなのか。紅井は、王はプライドが高く、陰でひっそりと生きていくことが我慢できなかったからと話しているが、果たしてそれだけが事実なのか。考えてもわからないことではある。
「きょーうすけくん!」
廊下を歩きながら考え込む恭介に、後ろから凛が話しかけてきた。彼女の歩調(?)に合わせているうちに、すっかり他のメンバーから遅れてしまっている。
「ん、ああ。なんだ?」
「相変わらず面倒くさいことばっか考えたりはするんだねぇ」
「そうだなぁ。性分みたいだ。結局、いろいろあったけどこういうのは変わんないもんだな」
結局、エクストリーム・クロスを経て自分の中に劇的な変化が起こったかというと、そんなことはない。相変わらず自分自身は中身がないと感じるし、他人に価値観を依存する部分は変わらない。ただなんとなく、そういう自分も悪くはないかな、と思えるようになっただけだ。
「ねぇ、恭介くん。エクストリーム・クロスの時の、イメージの中でのことなんだけどさ」
「う……」
恭介はふと、足を止めた。イメージの中。いわば、夢の中でのことだ。
何があったか覚えていないわけではない。そうした経験のまったくない恭介にとっては、たったアレだけのことでも過激な記憶であった。過激な夢だ。その話を振られただけで、今まで真剣に考えていた内容が、すべてブッ飛んでしまう。
「人間の姿に戻れたら、もっとやろうね。ちゃんとやろうね」
「………!?」
仕方あらじ。思春期とはそうしたものだ。
中身が空っぽだとか薄っぺらいだとか、そんなことで悩んでいても、しょせん、空木恭介は健康な高校生男児である。今はただのホネだが。
「もっとって、ちゃんとって……つまり……、どういうこと?」
「そりゃあここでは言えないなぁ」
不定形少女・姫水凛は、からかうような口調でそう告げると、立ち止まる恭介を置いて廊下をずるずると這って行く。いつもよりペースが速いので、もしかしたら、スキップでもしているのかもしれなかった。
―――――
――――――――――――
――――――――――――――――――――――
目の前で起こった戦いの一部始終をいまだ信じられずに、レミィは腰を抜かしたまま後ずさる。
レミィは大陸南方商会ギルドのメンバーだ。海洋キャラバンの一員として、南方の海洋国家諸国と物資のやり取りをする。先日、酷い嵐にあって船団が座礁し、唯一残されたレミィの船も西側の辺鄙な浜辺に打ち上げられてしまった。
他のメンバーが船の修理をしている間、レミィは流れ着いた他の船の仲間たちやら商品やらを拾い集めていた。で、その途中で魚人による襲撃を受けたわけだ。大陸南方の海で確認されている魚人はマーマン、サハギン、ギルマンの3種類で、人類に友好的な種族はマーマンだけだ。レミィを襲ったのはサハギンだ。
周囲のひと気はなく、船団の仲間たちが直している船の場所は遠い。レミィは死を覚悟した。
その時、颯爽と駆けつけ、サハギンに攻撃を仕掛けてきたのは、別の魔物の群れだったのである。
小悪魔のような小型モンスターを主軸に構成されたその軍団は、レミィに襲い掛かろうとしたサハギン達をあっという間に蹴散らし、サハギン達は大慌てで海の中へと帰って行った。
レミィは助けてもらったお礼を言うべきか、それともさっさと逃げ出すべきか迷った。迷ってるうちに、魔物の群れのリーダーが、レミィの方へと歩いて来てしまった。
「お嬢さん、怪我はないかしら?」
「え、あ……はい」
思ったよりも優しい、理知的な言葉だったので、レミィは拍子抜けしてしまう。
「そう、なら良かったわ」
そう言って、魔物はにこりと笑う。月明かりに照らされる笑顔は、とても綺麗なものだった。
「聞きたいんだけど、これは海かしら。それとも、とても大きな湖?」
「あ、いえ、えっと、海です」
「海か……。これより東には、行けないのね」
「はい。海岸沿いにずっと北に進んでいくと、ヒトの街があると思うです」
魔物は顎に手をやって『なるほど……』と考えてから、はたと顔をあげる。
「思う?」
「あ、いえ……。あたし達も遭難しているので……」
「あー……」
「ひょっとしたら、無人島って可能性も……」
「それはないわね。アタシ達ずっと北西から来たけど、大陸と地続きのはずよ」
そう言って、魔物は夜の海を眺めた。星明りしかない夜の海というものは、すべてを飲み込んでしまうような不気味さがある。こんなに友好的な魔物の群れと話をするのは、レミィの短い商人人生でも初めての経験だ。一体、どこから来て、これからどこへ行こうと言うのだろう。
ふと、レミィは思って、魔物のリーダーにこう尋ねた。
「あのう、少しお願いがあるんですけど……」
「何かしら」
「うちのキャラバンの護衛をお願いできませんか……?」
もちろん、お礼はします。と言う。商人として。
キャラバンでは冒険者を護衛として雇っているが、海洋国家と大陸の間を行き来する船の護衛というのは彼らにとって退屈が多いらしく、冒険者ギルドにとっては評判の悪い仕事だ。どれだけ依頼金を吊り上げても、質の良い護衛を雇えることは少ない。実際、先だっての嵐で、雇った冒険者はほとんど流されてしまった。
「別に良いんだけど」
魔物は腕を組んで、少し迷うような顔を見せる。
「しばらくの間、ここで待ち合わせをするつもりだし。ただ、待ち合わせの相手が来たら、付き合えるかわからないわ」
「そ、それでも構わないです! このあたりはサハギンも出るみたいですし、船が直るまでの間だけでも……」
「ふぅん……」
そのまま、魔物は自らの顎に手を当て、人差し指でそっと自分の唇を撫でる。やけに色っぽい仕草ではあった。
「ま、良いわ。どうせツレを待ってる間、やることなんてないんだし」
「本当です!?」
レミィは顔を輝かせる。魔物ではあるが、どうやら信用できそうな相手だし、いくらかの報酬で安全を守れるならば安い物だろう。
「あ、あたしレミィです。大陸南方商会ギルドの、海上キャラバン所属です! えぇと、お兄さんは?」
「お兄さん……」
魔物は一瞬、露骨に顔をしかめたが、すぐに『ふうっ』と溜め息をつく。
「ま、良いわ。アタシ自分の内面と見つめ合ったし、そう見えるなら仕方ないのよね……」
「え、えっと……」
ひょっとして、何か悪いことでも言ってしまったのだろうか。
だが、その魔物―――インキュバスは、特に気にした様子もなく、穏やかな笑みを浮かべてレミィに右手を差し出した。
「アタシはカオル。丘間カオルよ。レミィ、早速だけど商談に入りましょうか」
クラスまるごと人外転生 ―最弱のスケルトンになった俺―
第三章 <完>
深夜0時に、外伝作品である乾物ティーチャーかつぶしを更新します。
第四章開始は1週間後、4月23日の予定です。更新時間はいつもの7時です。




