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第38話 すらりん、がんばる

 転生オウガの合流と、渓谷のヒュドラの撃退。状況は思わしくない。

 ナイトのスオウはがしがしと頭を掻きながら、ソファに腰を下ろした。ここ最近はアケノがずっとあんな調子だから、ブレインの真似事なんかをやっているが、参謀を気取るにも限界がある。所詮自分は偏差値の低いヤンキーなのだ。

 とは言え、それがベストを尽くさない理由にはならないだろう。王からの通達が下るまでは、できるだけ自分たちでやれることをやらなければならない。


 2年4組の陸上戦艦は、まっすぐに渓谷を抜け、この王国跡地を目指している。到着は時間の問題だと思われた。


 現状、スオウとアケノがするべきは転移変性ゲートを通過してモンスター化した生徒たちの懐柔だ。

 本来はクイーンが約束の墓地カタコンベにてクラスをまとめ、こちら側との合流を行う手筈であったのだが、彼女の裏切りはほぼ確定事項となってしまっている。既にハイエルフの小金井芳樹は味方に引き込めているものの、それ以外はまったくの未知数だ。

 懐柔を行う上で一番のネックとなるのが、アケノがグリフォンを殺害してしまった点である。これについては、小金井にもまだ話せてはいない。


「スオウ様、お言いつけ通り、渓谷のヒュドラを捕獲して参りました」


 ポーンの一人が、そのように報告しにくる。


「ああ、ご苦労だったな」


 番犬としての役割が果たせない以上、これ以上あのヒュドラを野放しにしておく理由もない。いずれこの古城も放棄することになるのだ。ならばさっさと捕まえて、アケノの奴に弄らせる。転生モンスターで戦力を賄えていない今、他で補うしかないのだ。幸いにして、首が1本になるまで痛めつけられたヒュドラの捕獲には、そう労力は割かなくて済んだ。

 スオウはそこで、下がらずその場にとどまるポーンの視線に気づいた。

 彼は、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべて、スオウを見ている。


「……なんだ?」


 このポーンは新入りだ。とはいっても、既に1ヶ月半前には既に合流をしているのだが。


「いえ、アカイ様は、やはり裏切ってしまわれましたなぁ、と……」


 やけに弛みの残る顎を撫でるポーンの仕草は、見ていてあまり心地の良いものではない。

 ポーンの共通装備である黒甲冑プロモーショナルアーマーは、アケノの謹製によるものだ。脆弱な防御力を補い、黒紅気を扱えるようにし、高い身体能力を与える。一人一人の体格に合わせたオーダーメイドとなるので、どのポーンにもピッタリと合っている。

 この中年ポーンは元の世界でよほど不摂生な生活を送ってきたのか、黒甲冑のサイズもかなり不格好だ。


「てめぇ、知ってたのか? クイーンの修学旅行についてたんだろ。なんか話さなかったか?」

「いえ、まさか。私はポーンとして忠実に、仰せつかった使命を果たしただけにございますので。アカイ様とお言葉を交わすなど、とてもとても……」


 なら良いんだが、とスオウはソファに寝っころがって天井を仰いだ。


「あの王様に忠実だったクイーンが、裏切りなぁ……」

「本当に忠実だったのでしょうかね。心では反抗していても、王の力には抗いがたいものもありましょう」

「ま、そうだな」


 かくいうスオウだって、心の底から王に心酔しているわけではない。ただ、眷属にとって王の権力は絶対だ。決して抗うことのできない、血の制約で縛られてしまっている。

 だからここに居ると言うのはある。それ以外にも理由はあるが。


「そういやアケノはどうしてる?」

「キマイラの整備がひと段落ついて、現在はご自分の頭を弄っておられます」

「ああ……。だいぶポンコツになってたもんなぁ……」


 ここまで状況が悪化するなら、もうちょっと早くさせておけばよかった。脳神経系の再整備というのは、繰り返すたびにどこかが解れてしまうのであまりさせたくないのだが。それでも一度やっておけば、少なくともグリフォンを殺すことはなかったはずだ。


「まぁ良いや。下がれよ」

「はっ」


 中年ポーンは慇懃な態度で一礼し、広間を去って行く。入れ替わるようにして、小金井が入ってきた。小金井は、ポーンとすれ違う瞬間軽い会釈をして、そのまま立ち止まり、しばしその背中を見送る。


「よう、小金井。どうした?」

「いや、あの人、なんか修学旅行の時の運転手さんに似てるなって……」

「気のせいだろ。てかよく覚えてんな」


 スオウはソファの上で腹筋運動などを始めてしまう。


「だってヒキガエルみたいな笑い方するし……。なんか、エロマンガに出てくる悪徳貴族みたいだねってウツロギ達と話してた。エルフとかを買って奴隷にするような奴」

「そんなん読んでんのかよ。キモオタだなぁ」


 軽口を叩くが、小金井は特に気分を害した様子もなく『いやぁ』と頭を掻いた。


「ねぇ、クラスのみんなにはいつ会いに行くの?」


 小金井の言葉に、スオウは腹筋運動を止める。


「……もうちょっと待ってくれ。今は、時期が悪い」

「そっか。わかった」


 何の疑いもなく頷く小金井。そう、今は時期が悪い。だが、時期が良くなるよりも、こちらとあちらが接触してしまう方が早いだろう。

 陸上戦艦がこの王国跡地にたどり着くまで、あと数日もないはずだ。


「小金井、もしクラスのみんながこっち側につかないって言ったら、どうする?」

「えぇ、それ困るな……」


 小金井は露骨に顔をしかめて、頭を掻いた。


「アケノさんとかは怖いけど、スオウは良い奴だし。でも、ウツロギ達も良い奴だしなぁ……。その時になんないとわかんないな」


 その良い奴は、次に会うときは良い奴じゃなくなってるかもしれないけどな。

 スオウは口の中に浮かんだ言葉を飲み込む。眷属としての使命を果たす過程で、小金井の意志に背くようなことばかりしている。最初から決めていたことではあるが、胸糞が悪い。


 その時になんないとわかんないか。確かにそうだ。


 スオウは、ひたすら無心になって腹筋運動を再開した。





「今から、みんながそんな姿になった理由について話す」


 クラス一同の前に立ち、しかし決して鷲尾の仏壇に背を向けないよう気を遣いながら、紅井明日香はそのように発言した。甲板に揃った生徒たちの間に、ざわめきが広がる。竜崎とゴウバヤシも、驚いたように目を見開いていた。

 鷲尾の葬式が終わり、クラスの中にひと段落した空気が流れる中、こんなことを口にするのには躊躇いもあった。


 だが、タイミングとしてはこれ以上引き延ばすわけに行かないのも、事実だ。


 犬神は既に気づいていたようだが、この重巡分校の周りには、常に監視役と思われるポーンの気配がある。連中の中継基地は、おそらく近い。紅井の裏切りにも、おそらく感づいているはずだ。その前に、みんなに話しておかなければならない。

 紅井はすぅ、と呼吸を整えた。席に腰かけた佐久間が『がんばれ』と言うように拳を握るのが見える。


「まず、この異世界転移とモンスターへの転生は偶発的なものじゃない。仕組まれたものだということ」


 クラスのざわめきが収まらない中、紅井は続ける。


「次に、もう薄々感づいてる奴もいると思うんだけど、それを仕組んだのが、紅き月の血族レッドムーンとかいう連中だっていうこと」


 竜崎が腕を組んで頷くのがわかった。それ以外にも、何人かの生徒はその言葉を予期していたかのような態度を見せる。

 この葬儀の場に、空木恭介の姿はない。彼もまた感づき始めてはいただろう。だが、今は気にしている場合ではない。


「血族はもともと、あたし達の世界にいた吸血鬼だってこと。そして―――、」


 ここで、一拍置く。

 クラスの連中とは、なるべく距離を置いてきたつもりだ。なるべく情が移らないように。

 それでも、この決定的な一言を口にするには、幾何かの勇気を必要とした。


「あたしが、その吸血鬼の仲間だってこと」


 一瞬、クラスがしんと静まり返る。氷のような視線が、紅井の身体に向けられた。


 紅井は淡々と続ける。元の世界で住処を追われた吸血鬼たちが、異世界への移住計画を打ち立てたこと。その過程で戦力補充として、人間をモンスター化させるプロジェクトが立ち上がったこと。いくらかのテストケースを経て、最初の集団転移に“クイーン”である紅井のクラスメイトが選ばれたということ。

 計画自体は3年前に立ち上がっていたものだ。血族は、紅井が進学する高校の職員にも何人かの眷属を送り込み、比較的“アタリ”を引きやすい生徒たちを、彼女と同じクラスに固めた。


 転移先となる荒野の岩場には、“約束の墓地カタコンベ”と呼ばれるダンジョンを設けた。これは危機的状況に追い込んでクラスの結束にひびを入れ、それを紅井自身がまとめなおすことで、クラスメイトをまるごと血族に引き込むことを目的としていた。

 生活に必要最低限となる調理器具や家財などがダンジョンの上層部に用意されていたのも、様々なものに転用可能な魔導炉や資材を持つゴーレムが、下層部に配置されていたのも、そうしたサバイバルを見越してのことだ。


 だが、ここまで話せばわかるとおり、紅井は現在のところ、血族の意志に背き続けている。

 これが明確な“裏切り”として、王のもとに伝わるのも、恐らく時間の問題だ。


「なんだ、やっぱりそうだったのか」


 静まり返ったクラスの中でそう言い放ったのは、竜崎だった。

 腕を組んでうんうんと頷く彼に、紅井は思わず尋ね返してしまう。


「―――は?」

「俺はわかっていたぞ、明日香。よく話してくれたな」


 嘘だ。紅井は直感的にわかった。後ろのゴウバヤシの態度を見てもわかる。

 竜崎も、ある程度察しがついていたことでは、あるのだろう。だが『わかっていた』なんてことは、さすがにないはずだ。咄嗟に、いつものような冷たい態度で『何言ってんの?』と返しそうになって、紅井は口をつぐむ。

 これは竜崎なりの配慮である。


 紅井が如何に血族の意向に刃向うつもりであれ、彼女が原因でクラスがこの状況に置かれているのは紛れもない事実なのだ。そうしてそれが、結果的には鷲尾を殺した。怒りは間違いなく、紅井自身に向く。


 そうした中で、『全部わかっていた』と言い切ることで、竜崎は彼女を許すと暗に言っているのだ。

 こいつバカだ、と紅井は思った。こいつバカだろう、とゴウバヤシの顔が言っていた。


 が、


「おい、待てよ。俺は納得してねぇぞ」


 とげのある声が、生徒たちの方から聞こえてくる。白馬だ。


「じゃあなんだ。鷲尾が死んだのは紅井のせいってことか? 紅井がもっと早く何か言ってりゃ、鷲尾は死なずに済んだってことか?」

「待てよ白馬、明日香だってまさかあそこで出てくるとは思ってなかったろうし……」

「竜崎は黙ってろよ!」


 白馬は一喝し、その視線を紅井へと向けてくる。


「俺だって葬式の席でこんなこと言いたかねぇよ! でも納得できねぇだろうが! おい紅井、何か言うことはねぇのか!」

「………」


 紅井は目を閉じた。言われるだろう、と予感していたことだ。

 弁解することは、いくらでもできる。理解してもらおうとは、思わない。許してもらえないなら、それでいい。


 そんなものは欺瞞だ。このクラスのことを思うなら、女王としてのプライドを捨ててでも、許しを請うべきだろう。


「……ごめんなさい」


 紅井は、丁寧に頭を下げた。ビロードの髪が、カーテンを降ろしたように揺れる。


 クラスは再び、しんと静まり返った。


「あのさ、明日香」


 席の中で、女子の声があがる。取り巻きの一人、ハーピィの春井だ。


「一個聞きたいんだけど、明日香から見て、アタシらが人間に戻って帰れる方法ってあるわけ?」

「はっきりしたことは言えないけど、」


 紅井は顔をあげる。


「ウツロギや鷲尾が接触した朱乃あけのは転移変性ゲートの開発者だから。それについての手がかりが得られるかどうか次第。あと、賢者って奴がどれくらいそれを理解できるかどうか」

「ふーん。一応手がかりはあるんだ。なら良いかな」


 春井はどこか納得したように頷いた。

 帰還への手がかりがより強固になったことで、ひとまず手打ちにしよう、という空気が出来上がりつつある。だが、白馬だけは納得いかないように、紅井のことをじっと睨んでいた。

 いや、白馬だけではない。生徒のうちの何人かは、紅井が話した内容に隠された、根本的な問題に気付いているはずだ。


「みんな、明日香に言いたいことはあると思うけど」


 竜崎はパンパンと手を叩いて言った。


「そろそろお腹も減ってるだろうし、ひとまずご飯にしよう。明日香が俺たちの敵じゃないっていうのはわかってるし、どの道この異世界転移は起こっていた。明日香から得られた情報を、これから有益に生かしていく方向で考えたい」


 クラスの中にホッとしたムードが流れる。みんな、これ以上ピリピリするのは嫌だったのだろう。

 紅井を恨む気持ちと、気まずい空気はごめんだという気持ちの間で揺れ、どちらに舵を切るか迷っていたというところか。一部の生徒を除き、大半のクラスメイトは竜崎に促されるまま席を立った。


「明日香、“それ”は今度、クラス会議を開いて話し合おう」


 食堂への移動が始まる中、竜崎が、紅井にそっと耳打ちをする。


「明日香が話したのは、“元の世界に帰るための手がかり”。そして、“敵の正体”。今はそれでいい」

「あぁ、うん……」

「今は気になる件もある。ウツロギのこととか」


 空木恭介の名前を出され、紅井は険しい顔を作った。

 フェイズ2とフェイズ3の話、竜崎にはしておくべきだろうか。いや、これも近い内に、クラス全員に話さなければならないことだろう。

 竜崎、ゴウバヤシあたりは、今血を与えればすぐにフェイズ3まで到達できるだろう。だが紅井も、これ以上クラスメイトに血を別け与えるつもりはない。フェイズ3に到達するということは強制的に眷属化するということで、それはあまりにもリスキーである。


 紅井がこの方針を貫く限り、クラスでフェイズ3に覚醒できるのは、 空木恭介だけ。

 彼にはどうしても、立ち直ってもらわなければ困るのだ。





 鷲尾の葬式から数日。クラスは平穏を取り戻しつつある。食堂には、葬式の際に使われた仏壇が設置され、多くのクラスメイトが毎日拝んでいた。紅井への不信感を抱いていた生徒は少なくなかったが、その内の何人かは、毎朝欠かさず仏壇に頭を下げる彼女の姿を見て、多少は許す気になったらしい。ただ、鷲尾と親しかった白馬の溝は、まだまだ深そうだった。

 この数日、紅井は竜崎や佐久間と様々な相談をしながら、セレナの作ってくれたメモに目を通していた。それぞれの生徒が、どのようなフェイズ2能力に覚醒する可能性があるか、既に覚醒している生徒は紅井の目から見てどれくらいいるのか。そのあたりに関しての話し合いだ。


 で、


「姫水、お待たせ」


 食堂で待っていた凛の下に、紅井がやってくる。


「ううん、待ってないよー。今来たトコー」

「デートじゃないんだから……」


 紅井は相変わらず退屈そうな、つまらないジョークを聞いたような顔をして、凛の対面に腰を下ろす。まぁ、実際つまらないジョークを聞かせてやったのだが。

 凛はまじまじと紅井の顔を見つめる。


「……なに?」

「いや、紅井さんからそんなツッコミが返って来るなんて思わなくって……」

「ダルいから話始めていい?」

「あ、はい」


 トントンと書類を整理しながら言う紅井に、凛はピンと背筋(ない)を伸ばす。

 紅井は書類をパラパラとめくりながら、懐から取り出した縁の薄い眼鏡をかけ、目を細める。


「あれ、紅井さんって……」

「近視。悪い?」

「吸血鬼なのに……。しかもネイティブの」

「暗闇だったら全部見えるよ。夜中は灯りつけずに本読むし」


 むしろそんなことをしているから目を悪くしたのではないだろうか。


 まぁ、良い。今日、姫水凛は紅井明日香から呼び出しを受けていた。本当はここに火野瑛も参加するはずであったのだが、彼は参加を断っている。空木恭介に関わることだと聞くと、瑛は『なおさら僕ではなく姫水だけの方が良い』と言っていた。

 凛は瑛から、恭介のことを託されている。彼は『器を満たすのは水だ』と言っていた。信頼してもらえるのは嬉しいのだが、なんだか瑛がいないというのは、妙に不安だ。


「とりあえず、フェイズ2の話から。姫水はもう入ってるよね」

「あぁ、うん。やっぱそうなんだね」

「スライムのフェイズ2は、仮説上では確か5個とか6個とかだったけど、多分姫水のはこれ」


 紅井が差し出した書類には、日本語でしっかりと《液体操作》と書かれている。そのまんまだ。

 他には《魔導覚醒》とか《生体発電》とかあった。ちょっと珍しいのだと《人化》か。こっちの方が良かった気がしないでもない。一人でも走れるようになるし。


「転移変性ゲートで姿を変えるモンスターは、適応者の心象風景が反映されるんだけど」

「ふんふん。これもみんな薄々感づいてたことだよね」


 つまり、心の在り様を投影した姿になる。一部、理解できない生徒や納得できない生徒もいないことはないが、凛だってすべてのクラスメイトの心の中を完全に把握しているわけではない。きっと何かしらの理由があるのだろう。

 フニャフニャした性格の凛はスライムになったし、激情家の瑛はウィスプになった。心の中の鬼を意識しすぎたゴウバヤシはオウガになってしまった。女性の処女性に異様にこだわる白馬はユニコーンだ。


「そう言えばさっちゃんは?」

「サチのこと? あたしの口から言わせる?」

「ごめんなさい」


 やっぱそうなのか、と凛は思ってしまう。気まずい。


「フェイズ2以降の力は、そうした姿とどれだけキチンと向き合えているかで、使いこなせるかどうかが変わってくるわけ。……あ、ありがとう」


 紅井の下に、やや遅めの朝食が運ばれてくる。料理を運んできた杉浦は『ごゆっくりー』と言い、手をひらひらと振りながら厨房に戻って行った。

 吸血鬼の紅井だが、食べる料理は案外普通だ。人間の血とか、吸わなくって大丈夫なのだろうか。


「姫水は多分きちんと向き合えてる。あと竜崎とかゴウバヤシとかも。だから、力を存分に使えている」

「あー、じゃあ、ウツロギくんがあたしと合体できなくなったのは、そんな自分を信じられなくなったからなんだね」

「そう」


 紅井は頷いて、皿の上から一本の細長いパンを手に取った。


「ウツロギは自分の問題から目を逸らしていた節があるよね。で、気づいた今はそれを拒絶してる。もちろん、精神的なショックもあるんだろうけど、それで姫水と合体……」


 と、言いかけて、紅井は口をつぐんだ。掴み上げた細長いパンは、焼き加減が甘かったのかフニャリと折れてしまう。


「……あたし、今、変な話してる?」

「してないしてない。で、あたしはこれから、ウツロギくんに自信を取り戻させて、立ち直らせるお手伝いをしてあげればいいんだよね?」

「姫水やっぱ気づいてるよね?」


 心の問題を解決することが大事なのだと、紅井は言った。だが、そもそもの大前提として、恭介は自分の問題を拒絶してしまっている。自分の人間性の一部を否定してしまっている。かなり、厄介な問題であると言えた。

 恭介は鷲尾の葬式には参加しなかった。自分の心に対して守りに入ってしまっているためだ。一番大事なタイミングで合体できなかったことが、相当堪えてしまっているらしい。


「問題を解決して、力を完全に引き出せるようになるのが、フェイズ3の前段階」


 フニャフニャのパンにはあえて手を付けず、紅井はそう言った。


「で、血族の血を与えることで、フェイズ3に覚醒するんだけど」

「あ、そうなんだ。じゃあ、ウツロギくん、問題を解決したらもっとパワーアップするんだ」

「一応ね」


 紅井の言葉には、妙に含みがある。以前言っていた、『良い副作用』と『悪い副作用』の話だろう。紅井が血を差し出すことを渋っていること、そして、紅井自身が、自分の血族に対して裏切り行為を働いていることから、その“デメリット”もある程度推測できる。それを、彼女の口から言わせるつもりはない。

 紅井の血のおかげで、恭介が助かったのは、事実なのだ。


「で、姫水はどうなの。ウツロギのこと、どうにかできそうなの」

「うーん。どうだろう。火野くんとかゴウバヤシくんとかからね。ヒントはもらってるとこ」


 全身をべたぁ、と伸ばし、凛は答える。


「紅井さんは、これ以上ヒントくれない?」

「心象的には出したくない。あたし、サチの味方だから」

「ああ、うん……。そっかぁ……」

「でも、姫水がやろうとしてることで正しいと思うよ」


 紅井はそう言って、椅子に背中を預けた。ティーカップに入ったハーブティーに口をつける。


 つける瞬間、重巡分校が急停止した。カップの中から思いっきり飛び散りそうになったハーブティーを、紅井が黒いエネルギー体で押しとどめる。椅子の上から放り出された凛とは対照的に、まるで空間から切り離されたかのように、微動だにしない。

 これがクイーンの力だ。王に位置を察知されないよう、なるべく戦闘には参加しないと言っていたが、このくらいの力を使うのは良いらしい。


『あー、五分河原だ!』


 艦内放送が鳴ったので、凛と紅井は天井を見上げた。


『すまん。動ける戦闘要員は出て来てくれ。またヒュドラが出た! 再生している頭は5本、分校の進路上に居座っているので、撃退したい!』


 この山間では、取れる進路方向は限られている。紅い月の血族レッドムーンと正面からやりあうことが難しい今、進路の確保は最優先だ。うかうかしていると、またポーンやナイトによる襲撃を受けかねない。

 紅井は険しい顔で、ハーブティーのカップを置いた。確かに、彼女が参加すれば手早くカタはつくのだろう。


「姫水はこれからどうするの?」

「ウツロギくんに声をかけてくる」


 這いながら食堂を出ようとする凛に、紅井は、わずかに微笑んだ。


「頑張って」

「うん、ありがと!」





 恭介の部屋に訪れると、ちょうど彼が扉を開けて出てくるところだった。

 恭介はふっと顔を挙げ、凛の方に視線を向ける。向けた視線を、少し逸らして、恭介はまた視線を凛に戻した。


「姫水……」

「よっ、ウツロギくん!」


 ぴょこん、と身体を伸ばして凛が挨拶をする。


「甲板に行くの?」

「ああ……。じっとしてるなんて、出来そうにないから……」


 恭介の声には覇気がない。つつけば崩れそうな頼りなさだ。

 結局、付き合いがせいぜい2ヶ月にも満たない凛には、恭介が何を考えているのかわからない。骸骨には表情がないから、なおさらだ。ショックを受けて完全に自分の殻に閉じこもり、他人を拒絶しているのならばまだわかりやすかったが、今の彼にはそうした様子も見られない。

 恭介は廊下を2歩、3歩進み、そしてまた立ち止まった。


「やっぱり行かない?」


 凛が努めて明るい声を出し、尋ねる。


「外は寒いしねぇ。それも良いんじゃないかな」

「………」


 金縛りにあったように停止し、動けずにいる恭介。


 じっとしているなんで出来そうにない。だが、行ったところで何ができるのか、わからない。そんなところか。

 自分の内面から目を逸らそうとしている恭介は、せめて他人の為に行動することで気持ちの埋め合わせをしようとしている。だが、他人の為に行動することが結局自分のエゴに端を発しているということを、恭介は認められないのだ。だから動けない。


「ねー、ウツロギくん、あたしと合体しようよ」


 恭介の背中を見ながら、凛が言う。彼の肋骨越しに、向こう側の景色が透けて見える。


「……出来なかったじゃないか、この間は」

「まぁ、この間はね。良いじゃん。あたしがしたいって言ってるんだから、合体しよ?」


 結局、恭介はどれだけ落ち込んでも、他人の頼みを断れない。彼の美点でもあったし、欠点でもあった。彼の支柱となっている部分であったし、空っぽな部分でもあった。“他人の為に行動する振りをする自分”が嫌いでも、他人を拒絶することができずにいる。

 今の凛は、そうした彼の甘さを盾に強引に態度を押し通そうとしている。

 少し、悪いとは思うが、やるしかない。


「………」


 恭介は、無言の内に肯定の態度を見せた。凛は足元に這いよって、その骨に触れる。

 力の湧き上がってくるような感覚も、恭介の心が直接伝わってくるような感覚もない。まるで石造りの棒切れに触れているような、無味乾燥な感触。やはり、恭介のフェイズ2能力は完全に死んでしまっている。


「よっ……」


 それでも凛は、恭介の身体に纏わりつくようにして、身体を構成した。恭介の骨格を中心にして、人の形を象る。その間、恭介はぴくりとも動かなかった。


「よっ……よしっ、完……璧っ……!」

「姫水……」

「ウツロギくん……! できたよ、合体っ……!」


 それは、恭介の身体を支柱にて、凛が一人で強引にヒトの形を真似しているに過ぎない。フェイズ2能力である《特性増幅》の恩恵を受けられない今、凛は恭介の“肉体”として身体を固定させることができない。慣れない姿勢で、身体が重い。全身の表面は重力に逆らいきれずドロドロで、ぽたぽたとゲル状に液体が垂れてきている。床に落ちた液体は、弱々しい顫動運動を繰り返しながら、凛の身体に戻ってくるのを繰り返した。

 無様で不格好で、おまけに体勢が辛い。これは恭介の身体だからこそ行える“クロス合体(瑛命名)”ではなくて、スケルトンの身体にスライムを適当に乗っけただけの姿だ。それでも凛は、『合体できた』とはっきり告げた。


「え、えへへ……。ねー、合体できたけど、これから、どうするー?」

「………」


 恭介は黙って、自分の右腕を見た。開いたり、閉じたり。合体した時に、身体がどれだけ馴染んでいるのか、確認するためによくしていた行為だ。恭介の手のひらに貼り付いた凛の身体は、その動きに合わせてもたもたと、開いたり閉じたりを繰り返した。


「姫水……」

「とりあえず、ウツロギくん……、えっと。か、甲板に行こうよ!」


 きっともう、こちらの強がりはバレている。恭介だってそこまで鈍感ではない。

 だが、仮に悟られていたとして、それを口にさせるわけにはいかなかった。『合体できた』という事実を、凛は恭介に無理やり押し付ける。押しを強くすれば、彼は断れない。


「……わかった」


 恭介は頷き、廊下をゆっくりと歩きだした。全身からは相変わらずゲル状の液体を垂らし、その歩調は遅々としたものだ。スケルトンというよりは、どちらかと言えばゾンビのようでもある。


 これだけぴったりと寄り添っていても、恭介の心の声は響いてこなかった。

 本当はもっと、器用な言葉をかけてあげたかったけれど。今できることは、これしかない。


 ゴウバヤシは、問題は解決できず、向き合うしかないと言った。

 瑛は、空っぽの器を満たせるのは水しかないと言った。


 恭介がどう思っているのかは、わからない。でも今できることは、これしかない。

 空になった器を満たすまで、絶対にこの身体を放さない。凛は覚悟を決めていた。

次回明日朝7時更新です。

正妻に託された思いを継ぎ、不定形ヒロインすらりんの献身は果たして身を為すのか。

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