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第37話 前を見る為には

「ご、ゴウバヤシ……なのか……?」


 竜崎の問いかけに、そのオウガはゆっくりと頷いた。


「ああ、俺だ」


 その声の響きは、1か月半前に聞いたあの時と、まったく変わっていない。強く、太く、威厳に満ちた、竜崎邦博の大親友・豪林元宗のものに他ならない。全身から立ち上る金色のエネルギーは、彼もまた幾度かの苦難を乗り越え、フェイズ2に移行したことを示していた。

 竜崎は歓声をあげたかったし、泣きつきたくもあった。積もる話もあったし、正直なところ恨み節だってあった。1カ月前の竜崎であれば、たやすくそれを口にしていたかもしれない。


 ヒュドラの首が、突然の闖入者を前に警戒を露わにする。残り5本の首がチロチロと舌を出しながら、一端距離を取るべく霧の中まで引いていく。


 竜崎は沸き起こる一切の感情を棚に預け、体勢を立て直す。ゴウバヤシを見、そして彼が甲板に横たえた、ゼクウの身体を見た。オウガの体力がどれほど持つのか。セレナの残したメモを信じる限りでは、ある程度余裕はあると考えて良い。だがそれでも、ここにずっと転がしてはおけない。


「魚住、妹の方は大丈夫か?」

「ダメだ。鱒代は今参っちまってる」

「そうか、白馬も今は動けないな……」


 竜崎が気にしているのは、この場に回復魔法の使い手がいないことだ。強敵を前に、こちらはジリ貧を余儀なくされる。

 ゴウバヤシと行動を共にしていたカオルコも回復魔法を扱うことはできたが、その影は付近には見当たらない。


「待たせたね諸君、ボクをお探しかい」


 気取った声が聞こえ、長靴を履いた黒猫が甲板に姿を見せる。

 ケット・シーの猫宮美弥ねこみや・みやだ。彼女の背後、船室の影からサンダーバードの神成鳥々羽かみなり・ととはがひょっこり顔を出した。


「猫宮、平気なのか?」

「神成に怒られたよ。自分を責める暇があったら、鷲尾の為に何ができるか考えろってね」


 竜崎の問いに、肩をすくめる猫宮。ゴウバヤシは一瞬、空気の変化に眉をしかめたが、何も言わなかった。


「ま、ありきたりな詭弁だけどね。でも、ビビりの神成に言われてボクが動かないわけにはいかない。そうだろ」


 相変わらず面倒くさい奴だ。が、動いてくれるのはありがたい。


「猫宮、回復魔法を頼む。最優先はゼクウだ」

「委員長は? 血だらけだけど?」

「俺はまだ持つ。ゴウバヤシ、戻って早々だがひと働きしてもらうぞ」

「構わん。そのために戻ってきた」


 ゴウバヤシは腕を組んだまま微動だにしないが、全身から立ち上がるエネルギーはなおも勢いを増している。


「大きくなったな、竜崎」


 身体のことだろ、と照れ隠しを口にしたくなった。


「来るぞ!」


 剣崎が叫び、同時にヒュドラの首が4本、一気にこちらへ向けて突っ込んできた。


「籠井と剣崎、奥村と魚住で1本ずつだ!」


 素早く指示を下し、突っ込んできた一本の首に、竜崎は猛然と食らいつく。ゴウバヤシも同様に、1本の首を両腕で受け止めた。五分河原はゴブリン達に指示を下し、最後の1本による奇襲に備える。

 その直後、竜崎は真横のゴウバヤシが、とんでもない動作に移るのを見た。


「はあぁぁぁぁ………――――ッ!!」


 ゴウバヤシは、その丸太のような腕をもって一本の頭を片手で抑え込むと、全身から立ち上る黄金色のエネルギーを、空いたもう片方の腕へと収束させた。エネルギーが圧縮された右腕は、まるで太陽のような輝きを放つ。霧に覆われた重巡分校の甲板で、ひときわ強く視界を焼く。


「ふゥン!!」


 右腕を叩きつけた瞬間、エネルギーが爆裂する。ゴウバヤシが担当していたヒュドラの頭は、その拳が触れるか否かというところで容易く消し飛び、衝撃が重巡分校を揺るがした。爆裂の余波は他の頭にも襲い掛かり、当然、竜崎の身体もたたらを踏む。

 『男子三日会わざれば刮目して見よ』は、ゴウバヤシの座右の銘のひとつである。竜崎は彼の友人として、その言に違わぬ成長をしてきたつもりだが、それはゴウバヤシに関しても同じことであったらしい。


 負けていられるか。


 竜崎は両爪をヒュドラの首に食い込ませ、至近距離からブレスを叩き込む。頭部が焼けただれ苦しみ悶えたところを、その大顎でとらえ、噛み砕いた。

 ゴウバヤシは、苦戦している奥村と魚住の援護に回る。黄金色の闘気を練り上げ、2人が懸命に押さえ込むヒュドラの頭を、蹴り砕く。それとほぼ同じタイミングで、剣崎が自慢の一斬にて頭部をひとつ、切り落としていた。


 残るは一本。竜崎は霧の中を睨むが、渓谷は不気味なほど静まり返っている。ずる、ずる、と這うような音が重巡分校の右舷から聞こえ、同時に甲板に投げ出されたヒュドラの首が引っ張られるようにして落ちて行った。


「逃げる気みたいだ」


 ピンと耳を張った猫宮が呟く。


「進路方向には?」

「大丈夫。何もいなさそうだよ」

「わかった。五分河原!」


 駆け寄ってきた猫宮の《影紡ぎシャドウヒール》にて傷を癒しながら、竜崎は叫ぶ。


「おう!」

暮森くれもりに伝えてくれ。機関最大、この渓谷を一気に抜ける!」

「アイ・アイ・委員長!」


 ぴっ、と敬礼に似た仕草を取って、五分河原は甲板を走り去って行く。

 竜崎は《完全竜化》を解除し、改めて自らの傷を確認した。鱗の一部が剥げ、血がダラダラと流れている。が、まぁこのくらいの怪我はいつものことだ。痛くないわけではないが、今はそれよりも重要なことがたくさんある。傷は今、猫宮が治してくれているわけだし。

 竜崎は、ゴウバヤシの姿を見た。竜崎だけではない。剣崎や奥村たち、それにゼクウも、帰ってきた男を見つめている。


「ずいぶん、いろいろなことがあったようだな」


 ゴウバヤシは言った。


「ああ、楽しいことも哀しいことも、いろいろあったよ」

「そうか……」


 腕を組み、ゴウバヤシは静かに頷く。剣崎が剣をおさめながら、恐る恐る尋ねた。


「ゴウバヤシ、カオルコは……?」

「ああ、その件も含めて、話すことは多い。一度、情報を整理しよう」





「そうか、鷲尾がな……」


 その話を聞いた時、ゴウバヤシは真っ先に目を閉じ、そして黙祷した。その表情の裏でどのような感動がせめぎ合っているのか、周囲から窺い知ることはできない。

 ゴウバヤシが帰ってきたというニュースは、鷲尾の死で塞ぎ込んだクラスにとって、福音じみたものがあった。ニュースを触れて回った猫宮と神成が、彼の甲板での活躍を多少脚色して話したということもあり、死に脅える一部の生徒たちの心は、だいぶ抑えられたと言える。

 食堂で行われたゴウバヤシとの情報交換を、何人かの生徒が見に来ていた。


 こちらからゴウバヤシに伝えなければならないことは山ほどあった。鷲尾の死だけではない。さらわれた小金井のことや、人間たちとの接触のこと。クラスが今どういう思いを抱き、動き始め、そしてそれを揺るがされているか。

 真剣に話を聞いていたゴウバヤシが唯一口を挟んだのは、赤い翼の悪魔のことである。


 ゴウバヤシとカオルコは、アカハネと呼ばれるモンスターと何度か交戦し、それを追っていたという。どうやら話を進めていくうちに、そのアカハネが紅き月の血族レッドムーンのポーンであるらしいという結論に至る。

 あれがあくまでポーンに過ぎず、既にナイトとビショップの姿が確認されていること、そして鷲尾はそのビショップに殺されたのだということを聞くと、さすがのゴウバヤシも驚愕に目を見開いていた。


 そう、クラスメイトの関心と言えば、カオルコである。

 ゴウバヤシと一緒に旅をしていたはずのカオルコは、一体どうしたのか。


「はぐれた。というよりは、アカハネとの交戦中に、俺が奴を逃がした」


 ポーンに重傷を負わされたゴウバヤシは、それから10日ほど人間の騎士に匿われ療養したため、カオルコの姿は見れていないという。


「ウツロギや凛の話だと、レッドムーンにとらわれているのは小金井だけだ」

「あいつも俺と同じように自らの内面と対峙し、新たな力を獲得していた。逃げるだけなら、そう捕まることはないはずだ」


 あまりにも楽観的な観測ではあったが、現状、不確かな情報を元に悲嘆にくれるよりは、そちらの方がよほど良いだろう。

 ゴウバヤシとカオルコは、あらかじめはぐれた場合の進路について打ち合わせをしておいたという。カオルコは、フェイズ2能力を使って小悪魔インプをはじめとしたモンスター達を味方につけ、東へ向かっているはずだった。


「そうだ、ゴウバヤシ」


 ちょうど話がひと段落する頃になって、竜崎はそう言った。


「む?」


 出された湯呑でハーブティーを飲みながら、ゴウバヤシは顔をあげる。


「明日、鷲尾の葬式をやるんだ」

「大切なことだ。死者を弔い、別れを告げる。人が前に進むためには必要な儀式だ」

「ゴウバヤシ、お経をあげてくれないか」

「む……」


 空になった湯呑をテーブルに置き、ゴウバヤシはいささか困惑した表情になった。

 豪林元宗は寺の息子である。門前の小僧、というわけでもないが、父親や兄僧らと共に修行に励む彼であれば、読経くらいはできるのではないか、と思ったのだ。


「確かにいくらかの経文を諳んじることはできるが……、鷲尾の宗派と同じとは限らんぞ」

「良いんだよ。こういうのは、形が大事だと思うから」


 これは遊びじゃない、とか。

 死者を使ってごっこ遊びをするな、とか。


 そういうなじり方をする者はいるかもしれない。だが竜崎は、“葬式ごっこ”は必要なものだと考えていた。

 自分たちは人間で、いつか元の世界に帰る。そうした思いを忘れずにいるために、竜崎はクラスでの行いに様々な形式を持たせている。“異世界クラス会議”だってそうだし、“重巡分校”という名前だってそうだ。セレナやゼクウを“転校生”として扱い、出席番号を与えたのだって、そういう意図がある。

 鷲尾が死んだ今、一番大事なのは、彼を“人間”として送り出してやることだ。クラス全員で、人間・鷲尾吼太の死を受け止め、彼の魂に別れを告げることだ。そのためにも、なるべく体裁は整えたい。


「なるほど」


 ゴウバヤシは、そうした竜崎の意図をどれほど汲み取ったのかは知らないが、腕を組んで頷いた。


「死者を弔う上で一番必要なのは、弔意だ。俺のつたない読経が、クラスの弔意をまとめる切っ掛けになるのならば、引き受けよう」

「ありがとう、ゴウバヤシ」

「ところで、ウツロギはどうしている?」


 ゴウバヤシは、食堂をぐるりと見回して尋ねる。そこには当然、空木恭介の姿はない。


「俺がいなくなった後、あいつはお前を助けてくれたはずだ。礼を言いたい」

「ウツロギは今、ちょっとな……」


 竜崎は、わずかに視線を逸らす。

 あのあと、五分河原から少し話を聞いた。恭介は戦いに加勢するため甲板に出て、凛との合体を試みたが、出来なかったのだそうだ。鷲尾の死をはじめとした様々な事件が立て続けに起こって、精神的なダメージを受けていることが原因なように竜崎には思えたが、正確なことはわからない。

 これから話そうと思っていることを、多くのクラスメイトに聞かせて良いかどうか、迷う。竜崎が少しそれを考えていると、事情を察した杉浦がパンパンと手を叩きながら『はいはい、みんな邪魔だから出てってー!』と言いながら、人払いをしてくれた。


 溜め息をつき、改めて竜崎は話す。


「ゴウバヤシ、ウツロギの性格、どう思う?」

「おまえによく似ている」


 ゴウバヤシはあっさりと言った。


「違うのは、おまえには自信があって、ウツロギには自信がない。俺はそのように見ていたが」

「なんかさ、ここ最近のウツロギを見てると、すごいこう、不安になるっていうか……」


 他者優先すぎるところがある、と竜崎は語る。

 恭介に対して、ずっと感じていた違和感だ。気にしすぎなのかもしれないが、主体性があまりにも薄い。


「主体性のない人間もいるし、他者優先すぎるところのある人間もいる。俺には、ウツロギの抱えている問題が、さほど特別なものだとは思えんな」

「そうかな」

「そうだ。誰だって悩む。俺たちは思春期だ」


 まさかゴウバヤシの口から『思春期』という言葉が飛び出すとは思わなかった。竜崎は盛大に噴き出し、むせる。


「……妙なことを言ったか?」

「い、いや、ごめん……」

「恐らく切っ掛けはあるのだろう。その切っ掛け次第では、問題自体が特別でなくとも、根は深いかもしれん。自分の問題を必要以上に難しくとらえることは、ままあることだ。特にウツロギのようなタイプではな」


 こいつ本当に同い年か。竜崎は、ゴウバヤシと話すたびに感じる疑問を、改めて胸中に宿した。だが今は、そんな思いすらも懐かしい。

 あの頼れる男、ゴウバヤシが帰ってきてくれたのだ。だが以前のように、クラスの問題をすべて彼に背負わせるつもりは、もうない。みんなでできる無理を、少しずつ。その無理をひとつ、彼にも担当してもらうだけだ。

 これで、今までウツロギが背負っていた負担だって、またひとつ減る。

 だからできれば、ウツロギにはまた、元気な姿を見せて欲しい。天井を見上げる竜崎を見て、ゴウバヤシは笑った。


「やはり竜崎、おまえは大きくなった」


 よせよ、と答えながら、その言葉は素直に嬉しかった。





 恭介はあれから、部屋を出てこない。凛は廊下でがっくりとうなだれ、べたぁっと広がった。


「やはりダメか、姫水」

「うん……」


 ふよふよと、弱々しく燃え上がる火の玉が、凛のもとに飛んでくる。瑛だ。

 船酔いですっかり弱ってしまった瑛もまた、恭介の心が大きな傷を受けたことで、自分を責めていた。7年も前に気付いておきながら、ただただ大きくなっていくのを眺めるしかできなかった空木恭介の心の穴が、とうとう彼を傷つける日が来てしまったのだ。その悔しさたるや、相当なものだろう。

 加えて瑛は同じくらい、鷲尾の死にもショックを受けている。凛は、瑛に鷲尾の最期を伝えた。恭介と凛を助け、謝罪がおざなりだったことを何度も謝り、小金井への遺言をのこして、散った。

 それは、鷲尾の言動を信用せず『形だけの謝罪』だと断じていた瑛にとって、心を強くえぐるような話であったらしい。


「すまない、姫水。僕が、もっとしっかりしていれば……」

「ううん、そういうの、言いっこ無しだよ」


 この件は、誰のせいでもない。恭介がいつか、向き合わなければならなかった問題だ。

 だが、その心を癒す方法だけがわからない。凛にとっては、それがもどかしい。


 恭介は今、完全に他人を拒絶する状態に入ってしまっている。一応、こちらが声をかければ応じてくれるし、出てきて欲しいと言えば、出てきてくれる。だがその態度は妙にぎこちないし、話がなくなれば、また部屋の中に戻ってしまう。


「多分、恭介は自分のことを信じられなくなっているんだ」

「うん。あたしも、そう思う」


 瑛は言った。凛も頷く。


 恭介は今まで、徹底的に自分の問題から目を逸らしてきた。目を逸らしてきたということは、気づく余地はあった。あるいは本心では気づいていたのだ。でもそれが、自分の欲求であるとは思いたくなく、他人のためなのだと信じ込んで生きてきた。

 それを改めて見せつけられた状況が、今の恭介だ。


「火野くん、やっぱウツロギくんの今の性格って、前言ってた火事と関係あるのかな」


 恭介の部屋の前から離れながら、そう尋ねる。


「多分ね。あの火事、火元は恭介の部屋なんだ。ディスポーザブルライターだったかな」


 その言葉がいまいちピンと来なくて、凛は少し考えてしまった。


「それって、ウツロギくんが火をつけたってこと?」

「本人が何も言わないから、確証はない。子供の時だったしね。その結果、恭介は両親を失って自分だけが生き残ったわけだけど、それがどういう影響を及ぼしたのかは、推測するしかない」

「うん……」


 確かに、そうだ。推測するしかない。

 恭介は、他人が命を落とすことに強い拒絶感を抱いていた。それを火事と結びつけることはできるが、まったく関係ない、彼自身の優しさに起因する感情であると考えることもできる。

 ただ、『他人に感謝されたい』という、ともすればごく当たり前の感情をグロテスクなものと考え、目を背けようとしてきた背景には、そういった事実があるのかもしれない。


「まぁ、知ったところで、どうするんだって話だよねぇ……」


 凛はぽつりと呟く。


「多分これは、恭介を理解する手助けにはなっても、今の恭介をどうこうする手がかりにはならないよ」


 瑛も頷いた。


「恭介を立ち直らせるには、今までとはもっと別のやり方が必要な気がする」

「もっと別のやり方?」

「ああ。悔しいけど、僕は……」


 そう言いかけたところに、『ぬっ』と廊下の角から姿を見せる影がある。凛と瑛は一瞬、言葉を失った。


「お、おお……。ゴウバヤシくん、久しぶりだねぇ!」


 その影に、真っ先に声をかけたのは凛だった。


 オウガの豪林元宗だ。先ほどのヒュドラ戦のさなか、電撃的に帰還し、クラスの中に安堵の風を運んできてくれている。凛もその戦いっぷりは船室から見ていたが、ポーンあたりとは互角に渡り合えるであろう力を備えているように、思えた。

 ゴウバヤシは腕を組み、低い天井を角で傷つけないよう気をつけながら『うむ』と頷いた。


「ウツロギはどうしている?」

「ああ、うん……。落ち込んでる」


 凛が答えると、ゴウバヤシは『そうか』とだけ答えた。話は竜崎あたりから聞いているのだろう。


「ねぇ、ゴウバヤシくん」


 凛は、ふと思い出したことがあって、ゴウバヤシに尋ねた。


「む?」

「ゴウバヤシくんは、結局、自分の問題をどう解決したの?」


 話に聞く限り、ゴウバヤシは自らの中に住まう“鬼”の存在と向き合うために、クラスを出たはずだ。おそらくクラスの中で一番最初に、かつ、一番真摯に、自分の中にある問題と向き合おうとした生徒だろう。そうして彼は問いかけのさなかにフェイズ2能力を覚醒させ、それを十全に発揮することができている。

 能力の覚醒と、自分の中の問題が果たしてなんらかの因果関係を持つのかどうか、凛には確固たる証拠があるわけではない。だが、自らの問題と向き合い、しかしその問題を前に心を委縮させた恭介は、凛と合体することができなくなっていた。ゴウバヤシの言葉から、恭介を立ち直らせるヒントを得たかった。


 だが、ゴウバヤシの答えは、意外なものだった。


「解決などしていない」

「え……?」

「俺は毎日のように自問し、自らの心の中の“鬼”を消すにはどうすればいいのかを考えた。だが、結局いくら考えても答えは出なくてな。強いて言うなら、得られた結論はひとつだ」


 凛も瑛も、言葉を一切発さず、ゴウバヤシの次の言葉を待つ。


「認めるしかないのだ。どれだけ身体を清め、心を研ぎ澄まそうと、俺は自分の中にある“鬼”の存在と、付き合っていくしかない」


 それが、一ヶ月もの間放浪し、ゴウバヤシの得た結論であると言う。


「もちろん、それ以外にも手段はあったかもしれん。だが俺はこの道を選んだ」

「うん……」

「参考になったか?」

「どうだろうね」


 ゴウバヤシの問いには、凛より先に瑛が答えた。


「今の恭介に、自分の心を認めさせるのは難しい。でもそれは、僕が今までにとろうとしなかった手段だから、あるいはそれが、正解なのかもしれない」


 そう言って、瑛は最後に『悔しいけど』と付け加える。

 恭介に認めさせる。自分の心を。自分の本音を。そんなことが、果たしてできるのだろうか。認めたところで、恭介は本当に変わることができるのだろうか。恭介が自分の内面と向き合うということは、結局のところコップのヒビ割れを修復するだけの行為でしかない。

 ヒビが直っても、空っぽの入れ物は、空っぽのままだ。


「君ならできるよ、姫水。僕にはできないけど」


 悩む凛の隣で、瑛は言った。


「器に合わせてしなやかに形を変えつつ、本質は決して変わらない。空っぽの器を満たせるのは、水だけだ」





 翌日、鷲尾吼太の葬式が開かれた。竜崎の言葉通り、様々な形で体裁は整えられる。

 即席の仏壇が用意されたし、画霊(高名な絵画に取り付くとされる日本の妖怪)に転生した画原によって、生前の鷲尾の似顔絵が、遺影として用意された。画原の描いた似顔絵は、おおよそ写実的ではない、どちらかと言えば“イラスト”とも呼ぶべきものであったが、それでもクラスメイトは鷲尾の特徴をよくとらえたその遺影を眺め、昔の彼を懐かしんだ。原尾が棺桶を提供するとまで言ってきたが、それは丁重に断った。


 ゴウバヤシが読経を行う中、正座ができる生徒たちは正座し、それができない生徒たちも、静かに目を閉じ黙祷する。

 ともすれば、シュールな光景ではある。だが一同は真剣な面持ちで鷲尾の葬儀に臨んだ。普段から決して協力的とは言えない紅井や犬神、原尾ファラオまでも列席し、目を閉じて死者の冥福を祈る。遺体が手元にないことだけが、心残りだった。


 一連の葬儀が済んだあと、ゴウバヤシが立ち上がり、クラスの全員に振り返る。死者に背を向けないよう、少し移動してだ。


「鷲尾の魂は、これで眠りに就く。長い年月をかけて天へと昇り、仏様への仲間入りを果たす。俺たちもいずれは死ぬだろうし、鷲尾と同じ行程を辿って死後の世界をめぐるだろう。その時は奴が先輩だ。せいぜい恥ずかしくないよう、賢明に生きねばならん」


 いわゆる御説法だ。やや宗教的な話が入るので、ピンと来ない生徒も多い。

 ゴウバヤシは『俺は僧ではないしまだ修業が足りない』などと言って説法することを渋ったが、それでも最終的には了承した。形式が大事だと言う竜崎のことばはよく理解できたし、『クラスメイトの死』というショッキングな出来事を、柔らかく受け止めるための手順は確かに必要だと感じたのだ。

 なるべく、宗教臭くならないように気をつけなければならない。


「古来、死というものは、ごく身近で当たり前のものだった。俺たち文明人はそれから遠ざけられて生きている。だが死は決して特別なものではない。誰の隣にでもあるものだ」


 その言葉を受けて、わずかに身体を震わせる生徒が、何人かいる。


「その当たり前の、だが恐ろしい“死”をはっきりと認識し、死者を送り出すのがこの葬式という儀式だ。死者を弔うことは大事だし、悼むことは大切だ。だが俺たちは、鷲尾を送り出してやらねばならん。必要以上にその命を惜しむことは、魂を現世に繋ぎとめる。それは鷲尾にとっても、良くない」


 言いながら、ゴウバヤシは改めて、『葬式』というものが死者ではなく生者のための儀式であることを実感する。

 鷲尾は死んだ。死んだ者は語らない。語らないからこそ、遺された者は様々なことを思う。鷲尾が死んだことを忘れ、笑い、おどけることが不誠実であると考えるようになる。だがそれは、生きている者が生き続けるためには必要なことなのだ。

 死んだ者は語らない。何も思わない。生きているものを恨まないし、不誠実さを咎めない。そうしたある種合理的な思想を、人間的な感情で包み込み『忘れる』ことこそが死者の為であると思いこむ。そのための儀式だ。


「鷲尾はお調子者だった。俺たちが次第にあいつのことを語らなくなるのを見て『そりゃないぜ』くらいは、まぁ、思うかもしれんな。だが人は生きている者のことだって、次第に語らなくなる。それでも忘れることはないはずだ。10年も会わずにいた友人のことを、わざわざ口に出して話し合ったりはしないだろう。それでも時折は思い出すし、再会すれば話もする。それで良い。鷲尾と会う日はまたいつか来る。それが60年後、70年後、あるいは那由多の先であるかもしれんが、ただ、それだけのことだ」


 斎場と化した甲板は、静まり返っている。


「俺からは、以上だ。竜崎」

「ああ」


 ゴウバヤシが声をかけると、竜崎は鷲尾の仏壇に一礼をしてから、ゴウバヤシと同じ位置に立ってクラスメイトに振り返った。


「この後、食堂に行って昼食を摂る。その前に、俺からもひとつ。小金井のことだ」


 クラスメイトの間に、僅かな緊張が走る。

 小金井芳樹の名前を出すことは、鷲尾が死んだあとタブーのように扱われていたからだ。敵の言葉から、小金井が敵側についていることがハッキリしてしまっている。やむを得ぬ事情があったにせよ、鷲尾が死んだ今、にわかに彼を受け入れがたいという空気が醸成されつつあった。


「凛から、鷲尾の最期の言葉を聞いている。小金井に伝えてほしい言葉は『気にしていない』だそうだ。みんなも複雑な思いはあるだろうし、受け入れるのに時間はかかるだろうけど、俺は鷲尾の遺志を汲みたい」


 クラスの中から、その件について言葉があがることはなかった。竜崎はため息をつく。


「まあ、それだけだ。じゃあこれから食堂に移動して……」

「竜崎、」


 彼の言葉を遮るように、クラスの中でぴんと手をあげる生徒がいた。それがあまりにも意外な生徒であったから、竜崎は目を丸くする。


「……明日香?」


 クラスのクイーン、吸血鬼の紅井明日香だ。紅井の表情から、いつものような怠惰な色は消え失せている。


「あたしからも、みんなに言いたいことがあるんだけど。良いかな」

次回は明日朝7時更新です。

クラスが前向きになりつつあるところで、恭介の復活エピソードようやく始動します。3章クライマックスは近し。

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