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第36話 彼女の告白、彼の帰還

 佐久間祥子が紅井明日香と初めて出会ったのは、幼稚園の年中組の時である。紅井は子供の頃から大人びた雰囲気があって、他の子供たちに自ら話しかけてくることはなかったが、決して悪い子でもなかった。

 佐久間も当時から絵本を読んで過ごすのが好きな大人しい子供だったから、紅井も佐久間も幼稚園の先生をかなり困らせた記憶がある。何の切っ掛けだったかは忘れたが、2人で絵本を読んで遊ぶようなことがあってから、先生たちも何かにつけて2人をくっつけるようになった。で、それ以来の仲だ。


 ここにカオルコを加えた3人は小学校、中学校とずっと一緒の学校で、別に示し合わせたわけでもないのだが高校も同じところに通うことになってしまった。カオルコとは小学1年生の時に一緒のクラスになって、席の近い紅井とやたら絡んで、こっちともそれ以来の仲だ。

 3人ともまったく違うタイプの人間で、特に中学生ぐらいになってくると学校でつるむのはそれぞれ別の相手になってきていたが、それでも休日などは一緒になって遊ぶことも多かった。隠しごとはしない、なんて子供みたいな取り決めをしていたわけではないが、それでもお互いのことは、だいたいわかっているつもりでいた。


 が、


「……じゃあ、明日香ちゃん、もうその頃から、えぇっと、その……吸血鬼だったの?」

「まぁね」


 紅井はふぅっ、と溜め息をついて答えた。


 当然、佐久間にとっては寝耳に水というか、聞いただけで受け入れるのは難しい告白である。紅井明日香の口から語られたのは、それほどまでに突拍子のない内容だったのだ。紅井明日香は、生まれた時から純血の吸血鬼。

 つまり、佐久間と一緒に幼稚園でおままごとをしていたその時から、彼女はずっと人間ではなかった。


 紅井はそのまま椅子の上で足を組みなおす。佐久間の後ろでは犬神が壁に背中を預け、腕を組みながら紅井を睨んでいた。


 理解できない話では、ない。

 むしろ彼女が自分の能力を完全に把握していた理由としては、十分すぎるものだ。だがさすがに予想外すぎる内容ということもあって、佐久間は話を受け入れるのにしばらく時間がかかっていた。


「犬神さんも、元から人狼だったの?」

「そーだよ」


 腕を組んだままの犬神は、ふんと鼻を鳴らして天井を見た。


「ま、あたしの場合は紅井とは違って仲間なんか残っちゃいないけど」


 それでも視線だけは鋭く、紅井の方へと向けられている。


 不良少女、犬神響は同じクラスになったあの日から、ずっと紅井のことを目の仇にしていた。紅井もまた紅井の方で、犬神に対してはどこか避けるような態度を見せていたのを、佐久間は知っている。吸血鬼と人狼。転移する以前から二人が互いの正体を知っていたのかは定かではないが。それでも、この二つの種族それ自体が対立しているであろうことは、容易に想像がつく。

 すると残る問題は、紅井とあの紅き月の血族レッドムーンの関係だ。

 今までの彼女の口ぶりからして、紅井はレッドムーンと明らかなつながりがある。そしてかつて、赤い翼の悪魔が拠点を襲撃した際に、犬神に対して放った言葉。犬神の、明らかに攻撃的な連中への態度。断片的な情報が、決して好ましくはない形で組みあがって行く。


「明日香ちゃん、明日香ちゃんとレッドムーンは、明日香ちゃんと犬神さんは、どういう関係なの……?」


 佐久間の問いに、紅井は顔を向けた。血色の瞳が複雑な感情に揺れ、じっと佐久間を見る。

 こんな紅井を見るのは初めてだ。紅井はしばらく言い淀んでいたものの、やがてはっきりと、こう答えた。


「レッドムーンは、吸血鬼の血族のひとつ。で、あたしはそのひとり」


 やっぱりそうだったんだ、と佐久間は思った。ようやく、線がひとつで繋がってくる。

 だがそれ以上に重いひとことを、紅井は発する。


「生存競争の過程で長い間犬神の一族と敵対していてね。最終的には、滅ぼしたんだったかな」

「え……」

「そう。で、あたしがその一族のたった一人の生き残りってわけだ」


 犬神はそれだけ言うと、壁に預けていた身体を起こした。セーラー服の上から羽織ったジャージに手を突っ込んで、猫背のまま紅井の方へ、大股で歩み寄る。呆けている佐久間の真横までやってくると、犬神は表情を敵意にゆがめながら、ずずいとその顔を紅井に近づけた。


「なあ、紅井。あたしだって、別にクイーンに盾付こうなんてバカなことは考えちゃいなかったさ。こっちに来てから、てめぇはやけにおとなしかったし、ポーンが来ても動く気配がなかったしな」


 紅井の一族が、犬神の一族を滅ぼした。それは何かの比喩などではなく、おそらくそのままの意味なのだろう。佐久間にとって衝撃的だったのは、それがおそらく、自分が生きてきた元の世界で行われていたであろうという事実だ。

 あの世界が平和だったなんて思ってはいない。だがその裏で、吸血鬼と人狼が生存権を賭けて争いあい、そしてその片方が滅ぼされるほとの事態にまで発展しているというのは、とうてい信じられないことだった。


「でも鷲尾が死んだんだ。良いか、あたしは別にクラスの連中に仲間意識を持ってるわけじゃないが。それでも、クラスメイトが一人、殺されたんだ。他ならぬてめぇらの血族にだ。さすがにこれ以上は黙っちゃいられねぇ」

「だから、わざわざサチを連れて押しかけにきたんだ?」

「そりゃあな。佐久間がいればてめぇはまず断らないし、自棄をおこしてこいつを殺したりもできない」

「待って、待って」


 佐久間は慌てて立ち上がり、今にも跳びかかりそうな犬神と、それを睨む紅井を押しとどめた。


「ちょ、ちょっと待って。知ってることを全部話してほしいって言ったけど……。なんか、情報が多くて頭が混乱しそうだよ。え、えっと、明日香ちゃんはその、レッドムーンのクイーンなの?」

「その言い方、あんまり好きじゃない」


 紅井はややぶっきらぼうに答えてから、頷く。


「でも、そうだよ。あたし達は、一番上にキングっていう王様がいて、クイーン、ルーク、って感じで、チェスの駒の名前の称号みたいなのが振られてるの。子供みたいで、笑っちゃうでしょ」


 そう言って浮かべられる紅井の嘲りは、果たして自身とその血族の、どちらに向けられたものであったのか。


「犬神の一族を滅ぼしたことについても、弁解はしないよ。あたし達が子供の頃の話だったけどね」

「私たちが、この世界に来て、この姿になったのは?」

「あっちの世界はもうだいぶ生きづらくなってたから、うちの王様が異世界への移住計画を立てたんだよ。でも、あいつはプライドが高いからね。異世界に逃げてまで、陰でこっそり、ひそひそ生きるのが嫌だって言って」

「それで、戦争を?」

「そう。もう我慢できなくなって攻撃しちゃってるみたいだけど、あたしに任されたのは、その準備としての戦力補充。朱乃あけのの開発した転移変性ゲートは、“人間”の身体を作り変えるわけ。まぁ、正確には人間だけではなく纏っている衣服なんかも含まれるんだけど、あたしと犬神が姿が変わらなかったのは、“人間”じゃなかったから」


 淡々と語る紅井の態度に、佐久間は少し、空恐ろしいものを感じていた。彼女が口にしたレッドムーンの計画というのは、すなわち2年4組の生徒全員を怪物に作り替え、そのまま異世界侵略の手駒にしようというものだ。10年以上、友人として付き合ってきた紅井が、そんなことに平然と加担していたのが信じられない。目の前にいる紅井明日香と、佐久間祥子の旧い大親友である紅井明日香の姿が重ならず、ブレて見え始める。

 佐久間の怯えは、態度に現れたのだろうか。紅井は、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。


「そういうのは良い。本心はなんだ、紅井」


 紅井に助け船を出したのは、意外にも犬神である。


「てめぇがその計画に加担しているなら、クラスをまとめて連中の下に戻るチャンスはあったはずだ。ゴウバヤシがいなくなった時とかな。そうしなかったのは理由があるんだろ。そいつを話して、あたしと佐久間を安心させろよ」


 確かに、そうだ。紅井の口ぶりからするに、彼女は2年4組の生徒を引き連れて、こちらに展開しているレッドムーンの軍隊と合流するのが目的だったはずだ。だが、彼女はそれをしなかった。それどころか、2回に渡る仲間の訪問に一切応じず、1回はそれを殺害している。

 佐久間は、一瞬でも紅井を疑おうとした自分が恥ずかしくなった。彼女は決して、2年4組のクラスメイトを売ろうと考えているわけではない。改めて正面からまっすぐ見つめると、紅井は再び小さな溜め息をついた。


「あたしは、もっと自由でいたい」


 紅井は、時折佐久間に吐いていた台詞を吐く。


「支配も命令も、もうされたくないから……。だから、その……」

「うん」


 一語一句、聞き逃さないようにしながら、佐久間は頷く。紅井は少し気まずそうに目を逸らして、頬を掻いた。


「……こういうの、口に出して言わなきゃいけない?」

「言ってもらわなきゃ安心できないな」


 犬神が、硬いベッドに腰を下ろして言う。佐久間に対しても目で尋ねてきたので、首を縦に振った。

 紅井はすぅ、と息を吸い、観念したようにつぶやく。


「サチ、あんた達を裏切るつもりはないし、あたしは、もう二度とあの王様に支配される気なんかない。だからその、えぇと……」

「煮えきらねーな。いつもスカしてるからそうなるんだよ」

「うっさい……。心配しないでサチ、あたし達、友達だからね」


 紅井はそこで初めて、彼女の方から佐久間の目をまっすぐに見つめてくれた。雪のように白い肌が、わずかに紅潮していた。今日は、親友の今までに知らなかった顔を、いろいろ見てしまう日だと思う。佐久間がしばらく何も言えずにいると、紅井は少し表情を曇らせた。


「……友達、だよね」

「うん、友達だよ、明日香ちゃん」


 佐久間は、ぎゅっと紅井のことを抱きしめる。腕の中で彼女はしばらく戸惑ってたが、その手で優しく、いつものように頭を撫でてくれた。


「話してくれて、ありがとう」

「うん……」


 鷲尾の死でクラスは動揺している。佐久間だってそうだった。

 だが、このタイミングで敵のこと、そして友達のことがはっきりとわかったのは、大きな収穫だ。紅井のことを思えば、この話はクラスメイトにするべきことではないかもしれない。だが、これまで不透明だった情報が、一気にクリアになってきた。


「あ、そうだ」


 がばっ、と佐久間は紅井の身体を放す。紅井は不思議そうに首を傾げた。


「サチ?」

「明日香ちゃんに、もういっこ、聞きたいことがあったんだった……」


 空木恭介のことだ。彼の抱えている問題とはなんなのか。彼に血を与えたことには何か特殊な意図があったのか。

 それを尋ねようとした時、重巡分校の船体を大きな衝撃が襲った。





「わわっ、な、なにっ!?」


 強い衝撃が船体を襲った後、重巡分校が動きを停止する。凛は甲板の上で叫んだ。目の前では花園が畑に思い切り顔を突っ込んでジタバタしている。甲板を走り回るゴブリン達が、せわしなく走り回っていた。五分河原が指示を出し、船室からは奥村やゼクウも飛び出してくる。


「ご、五分河原くん、何があったの!?」

「わかんねぇ!」


 花園を起こしながら叫ぶ凛に、五分河原が叫び返してきた。


「何かが船にぶつかったっぽいんだけど、なにぶん霧が濃くてよく見えないんだ!」


 五分河原の言う通りだ。視界の利く範囲というのが、周囲の地形が辛うじて確認できる程度でしかない。そのため、重巡分校も巡航速度を大きく落としての進行となっていた。針葉樹林の林立した斜面は今は見えなくなっており、左右を挟んでいるのは味気ない岩肌である。

 だが、この霧というのが、妙によくない感じがある。真横でマイペースににんじんの手入れをしながら、花園が呟いた。


「そういえば、昔、霧の中から怪物が来るっていう小説読んだことあるなー」

「へ、へぇー。それどうなんの?」

「聞かない方が良いかもしれない」


 じゃあどうして口にした、と突っ込むよりも早く、背後からゴブリンの悲鳴が聞こえる。

 振り返ると、艦首のあたりから伸びたぬめり気のある長太い“何か”が、ゴブリンを霧の向こうに引きずり込もうとしているところだった。


「させるかッ!!」


 五分河原が銃座に飛びつき、その“何か”に向けて機銃を発射する。断続的に飛び出す鉛玉が、肉を引き裂くような音。甲板に血が飛び散って、ゴブリンの身体が投げ出される。


「ギイッ……!」


 ゴブリンは身体に激しい裂傷を負っていたが、まだ息はある。五分河原は他のゴブリンに指示を出し、傷を負ったゴブリンを船内に運ばせた。


「姫水、奥村、今の見たか!」

「う、うん……!」

「なんか蛇みたいだったデブな」


 一同が頷き合う中、オウガのゼクウも拳を握って周囲に気を配っている。

 蛇。確かに蛇だ。だが、長さは10メートル以上、太さにしても2メートルくらいはあった。それだけの大蛇が、今霧の向こうにうごめいているということになる。いや、船体を絡め取ったのであるとすれば、体長は見えていた分よりもはるかに長い。


「華ちゃん、とりあえずキャビンの中に!」

「う、うん……!」


 非戦闘要員の彼女を、凛は安全な場所に連れて行く。その間、五分河原や奥村、ゼクウやゴブリン達が周囲に睨みを利かせていた。


 またも霧を突き破るようにして、蛇の頭が伸びてくる。いち早く気付いた奥村とゼクウが、協力してその頭を掴んだ。怪力自慢2人に押さえつけられ、蛇の首が鬱陶しそうにもがく。凛の見る限りそれは、思った以上に“蛇”だった。口先からは舌をちろちろと出し、押さえつけられた顎をなんとか開こうとしている。

 五分河原が合図を下すと、各銃座についたゴブリン達が、機銃の先を蛇へと向けた。ちょうど船室に花園を送り届けた凛は再び甲板に出ると、霧の中にゆらりと浮かび上がる、複数の影を見つける。


「五分河原くん、後ろ!」

「な、うおっ!?」


 凛の言葉を受けた五分河原は、間一髪のところで飛び込んできた別の蛇頭を回避することに成功する。

 だが、甲板に叩きつけられるように飛び込んできた蛇の頭は船体を大きく揺らし、奥村とゼクウは掴んでいた手を放してしまった。


「なんだ、1匹じゃなかったのか!?」


 五分河原は周囲に視線をやりながら叫ぶ。霧の中に浮かび上がる影は、いずれも蛇の頭のようであった。


「多分だけど、全部の頭をふくめてひとつの個体なんデブ」

「それって、ヤマタノオロチみたいな?」


 凛の問いに、奥村が頷く。ヤマタノオロチ、あるいはヒュドラ。伝承に謳われる多頭竜の類だ。凛たちが持っているのは当然元の世界による知識だが、こちらの世界にも似たようなモンスターがいたとしても、なんらおかしいことはない。

 だが、出てくるタイミングとしては最悪だ。ただでさえ視界の利かないこの状況。クラスメイトはほとんど気を参らせてしまっている。


「な、何があった!」

「敵襲だ。かなりのデカブツだぜ」


 剣崎をはじめとした何人かのクラスメイトが、船室の方から出てくる。五分河原が答えた。

 甲板に出て来てくれた生徒は、いずれも戦闘系のメンバーだ。おそらく異常を察知して駆けつけてきてくれたのだと思われるが、わずかに足が震えている生徒もいる。鷲尾の死のショックが、まだ抜けきっていないのだ。


「わ、わあああっ!!」


 一同の死角となっていた部分から蛇の顔が伸び、生徒の一人をくわえこんだ。


茸笠きのがさ!!」


 そのまま引きずり込もうとする蛇、仮名ヒュドラに、剣崎が斬りかかる。その剣崎に向けて伸びてきたヒュドラの頭が、更に2本。こちらはゼクウと奥村、それに籠井たちが受け止めにかかった。このヒュドラは明らかに強敵だ。浮足だった今の状況では、応戦できない。凛がもどかしい気持ちでいると、背後からかけられる声があった。


「ひ、姫水……」

「ウツロギくん!?」


 振り返ると、いつものスケルトンがそこには立っている。先ほどまで個室にこもっていたはずだ。


「ど、どうしたの……!?」

「船が、揺れたから……。何かあったのかと思って……」

「で、でも……ウツロギくん大丈夫……!?」


 ヒュドラ達から死角になるよう、船室の影に隠れながら凛は尋ねる。恭介が受けた精神的ショックのことは、凛もよく知っていた。内面に抱え込み、決して今まで目を向けずにいたその問題を直視させられた衝撃。そして、その直後、目の前でクラスメイトを殺された衝撃。


「わからないけど……今は、戦うしかない……」


 そう言って、恭介は甲板の戦いに視線を移す。ゴブリンも含めれば数の上ではこちらが勝っているが、このヒュドラは強敵だ。クラスの中でも数少ないフェイズ2の戦闘要員、ストリームクロス状態の2人が加勢すれば、ある程度は戦況を変えられる。

 だが、この状態の恭介を戦わせて大丈夫なのか。凛は迷った。今の恭介がどういった感情で動いているのか、理解できないからだ。衝動、使命感、あるいはもっと別の何か。


「姫水、早く……!」

「う、うん……」


 やや苛立ったように叫ぶ恭介を見て、凛は最終的に彼の言葉を許諾した。


「行くよ、ウツロギくん」

「ああ」


 頷く恭介の身体に全身で摂り付き、巻きつき、包み込む。凛がその身体全体で人の形を作ろうとした時、彼女は違和感に気付いた。いつもに比べて、身体がやけに重いし、辛い。この感覚は、まるで、


「きゃあっ!」


 凛は悲鳴をあげ、そのままべちゃっと床に落下した。


「姫水……?」

「ご、ごめんごめん。なんか、身体が上手く乗っからなくて……」


 凛は再度合体に挑戦しようとして恭介の身体に手をかけるが、やはり同じように滑り落ちてしまう。

 やはり、おかしい。恭介の身体に乗っかっても、いつものように身体を支えるような感覚が得られない。まるで空気の上に腰かけているような、全身の違和感。何度挑戦しても同じことだ。恭介の身体に、凛の身体が重ならない。


 合体、できない。


「……俺の、せいか……?」


 恭介は、わずかに2歩、3歩と下がり呟いた。


「ウツロギくん……」

「俺が、俺が自分の本当の心に気付いたから……それで……」


 凛は、恭介の心が揺るがされる過程を知っている。合体状態にあった彼女は、恭介の心をダイレクトに受け取っていた。

 恭介は、自分の中にある感情。誰かを助けたいだけ、支えたいだけ、そして感謝されたいだけという感情に目を向けることになった。その上で、その相手は誰でもよく、自分の周りにいる人間のことを、自分は何とも思っていないのではないだろうか、と“思い込んで”しまっている。


 凛は、恭介がそんなに冷たい人間だとは考えたくなかった。


 だが、恭介は自分の人間性を疑っている。


「姫水、ごめん……俺……」

「2人とも、戦えないなら下がれ!!」


 恭介が辛うじてそう絞り出した時、五分河原の叫び声が聞こえた。


「ウツロギ達だけじゃねぇ! 少しでも戦えないと思った奴は下がってろ!」


 五分河原の叫びを受け、茸笠をはじめとした何人かの生徒が甲板から船室に逃げ込んでいく。

 空木恭介は、呆然と立ち尽くしていた。凛はその身体を、なんとか船室の中に押しやろうとする。恭介がうわごとに呟く、謝罪の言葉が痛々しい。どれだけ恭介の身体に触れても、凛は以前のように彼の心を知ることができなくなっていた。


 今の恭介と、合体することができない。


 その事実が、どうしようもなく離れてしまった心の距離を象徴しているような気がして、ならない。


「うおおおおおおッ!!」


 時を同じくして、やや遅れてきた竜崎がヒュドラに向けて跳びかかって行く。

 凛は、ヒュドラと戦うクラスメイト達を、歯がゆい気持ちで見つめるしかなかった。





 甲板を駆け抜け、完全竜化。全長10メートルにも達する竜崎の身体が、蛇の頭をひとつ、叩き潰す。


「俺の、クラスメイトに、手を出すなァァッ!!」


 咆哮と共に走るブレス。クラス委員長の竜崎邦博は、甲板をぐるりと見回した。

 五分河原、奥村、剣崎、籠井、魚住、ゼクウ、そしてゴブリン達。彼らは皆無事だ。だが安堵の溜め息をつくだけの余裕はない。竜崎は両手をつき、重巡分校を取り囲むいくつもの影を威嚇する。


「五分河原、状況は?」

「今んとこ被害はゼロだ。でも、けっこーキツいぜ。これ」


 目の前にいる怪物は、おそらくヒュドラだ。セレナが残してくれたメモの中に、類似のモンスターに関する記述があった。もっとも有名なのは帝国の南側にある湿地帯に出現するマーシュヒュドラだが、それ以外にも様々な場所に生息している。個体数はそう多くないが危険度の高いモンスターだ。

 ヒュドラは数百年前にこの世界を統率しようとした邪悪な魔法使いが残した生物兵器であると言われている。歳を経た個体の中には当時から生きているものもあって、そうした場合の戦闘能力は現在繁殖し数を増やした個体をはるかに上回る。


 この土地がかつて滅ぼされた王国の跡地であることから考えても、このヒュドラは、その当時から生きている個体のひとつだ。


「おい竜崎、もういけるのか?」


 五分河原が心配そうな顔を出して尋ねた。竜崎は頷く。


「いつまでも泣いていられるか。俺はこれ以上、俺のクラスに犠牲者を出させない」

「あー、やっぱ泣いてたんだな……」


 言ってから、気づく。どんなに無理をしてもやはり、見る者が見ればバレてしまうものらしい。


「でもな竜崎、おまえちょっと……」

「うおおおおッ!!」

「お、おいっ……!!」


 五分河原が制止しようとする声も聞かず、竜崎は咆哮をあげてヒュドラに突撃した。今は、クラスメイトを守ることが最優先だ。迂闊な決断でクラスを危機に導いた自分が、出来ることと言えば戦うことしかない。

 その考えは、心を苛む自責の念から逃避するためのものでしかなかったが、竜崎はそれに気づかない。


 竜崎は、ヒュドラの首の一本に跳びかかり、その首筋に噛み付く。前脚の爪を深く食い込ませ、顎に力を込めていく。だがヒュドラの首はそれだけではない。周囲を取り囲むヒュドラの首たちが一斉に竜崎めがけて伸び、腕に、首に、羽に、尾に、お返しとばかりに噛み付いてくる。


「竜崎ッ! バカかっ!?」


 剣崎の叫ぶ声が聞こえた。五分河原が、ゴブリン達に指示を下す。


「銃座、蛇頭を狙え!」

「ギイッ!」

「ギギイッ!」


 ゴブリン達が機銃を放ち、内何発かはヒュドラの頭に血を散らしていく。竜崎にも流れ弾は当たったが、頑丈な竜鱗のおかげで大きなダメージには至らない。ヒュドラは悲鳴をあげ、竜崎の身体を宙に放る。彼はそのまま甲板に投げ出された。


「委員長、しっかりしろ」


 ガーゴイルの籠井が竜崎に駆け寄りながら、その翼を広げて宙へと浮かび上がる。竜崎に追撃を加えようとしていて何本かのヒュドラの頭を誘導する。


「リーダーの座を降りるわけにはいかないって、おまえ自分で言ったんだろうが!」

「そこまで自分の価値をわかっているなら、自分を粗末にするような戦い方はするな!」


 鱗を弾丸のように飛ばしながら、悪態をつくのは魚住だ。剣崎も、宙に浮かんだ籠井の背中を踏み台にして、斬りかかりながら頷く。

 竜崎は甲板の上で立ち上がりながら、拳を握った。心を丸裸にされたような感覚だ。結局、またも自分は醜態を晒してしまったということか。わずかな自嘲があり、自嘲は自重へと変わる。


「荒れても悲しんでも、死んだ奴は戻らないデブ」


 竜崎の隣に立った奥村が言った。


「死人を増やしたくないっていうなら、まず自分がその第2号にならないようにしなきゃな」


 五分河原も言う。この2人の言葉は、特に重い。竜崎は改めて頷いた。

 ヒュドラの頭は9本、内3本は潰したので、残り6本。ヒュドラは非常に高い生命力を持つモンスターであり、幾つかの頭を潰したくらいでは数時間後に再生してしまう。再生しきる前に全ての頭を潰すか、心臓部を狙うしかないが、この場は撤退まで追い込めれば十分だ。


 手負いの首に狙いを定め、落としにかかるよう指示を下す。蛇の頭が飛び込んできたところを籠井が受け止め、奥村が真横から押さえつける。剣崎が剣を構え跳びかかる。残る5本の首による攻撃は、なんとかして防がなければならない。

 五分河原の指示で、銃座のゴブリン達が1本を牽制、魚住の鱗弾も1本をうまく迎撃する。竜崎はその腕で一本を押さえつけ、顎で更に1本をくわえ込む。


 残るは1本。竜崎は尻尾を動かすが、ヒュドラの頭はそれをすり抜けて剣崎に襲い掛かる。


「………ッ!!」


 残っていたゼクウが、蛇の頭を押さえ込もうと間に割り込む。だが、大きく開かれたヒュドラの顎は、そのままゼクウの身体に食らいついた。


「ゼクウ!」


 奥村が叫び声をあげる。生えそろった牙が、オウガの鋼のような筋肉を突き破り、甲板に血が飛び散る。

 あいつだってクラスメイトだ。見捨てて良い道理はない。竜崎が助けにいこうとするが、彼の身体は逆にヒュドラの首に絡め取られ自由を奪われる。

 ゼクウをくわえ込んだ蛇の頭が、霧の中へと消えて行こうとした時、どぱん、という音がして、その首が綺麗にはじけ飛んだ。


 まるで、重巡分校の主砲20センチ砲を叩き込んだかのような千切れ方だ。だが視線を向けても、甲板に接地された主砲が発射された形跡はない。そもそも、乱戦中の発射はご法度だと、以前恭介に注意されて以来、こうした状況では撃たないことになっている。


 では、何が。


 甲板に落着したヒュドラの頭の上に、それまでいなかった影が降りたつのを、竜崎は目撃した。


「あ……」


 その場にいた一同は一斉に目を見開く。全長3メートルにも及ぶ巨漢は、ヒュドラの顎の中から同じ姿の同胞を引きずり出すと、微かに呼吸を繰り返す彼の身体を甲板に横たえてこう言った。


「ゼクウ、よくやってくれた。同じ鬼を持つ者として誇りに思うぞ」


 そいつは、拠点を去る時には身に着けていなかったはずの、肩当とマントを身に着けていた。頭部に生えた2本の角と、筋骨隆々の体躯。そして、眼光鋭い三白眼。全身から黄金色のエネルギーを立ち上らせながらヒュドラを睨み、帰ってきた男は、今度はその場にいる全員―――特に竜崎に対して、こう告げる。


「すまない。遅くなった」

次回は明日朝7時更新。

合体不可能となった恭介と凛。鷲尾の葬式。帰ってきた男の出した答えと、紅井の新たなる決断。お楽しみに。

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