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第34話 ロング・グッドバイ

 ナイトのスオウ。そしてビショップのアケノ。目の前にいる2人はそう名乗った。

 以前出会った“赤い翼の悪魔”が“ポーン”であったこと、そして連中がこちらの事情をある程度知っているような口ぶりを見せたことから、容易に関連はつけられる。この2人は連中の仲間だ。そして駒の通りの実力を有しているなら、それはポーンの数倍にも匹敵する。


「(姫水、水の蓄えは?)」

「(ないよ……。探索の時は、軽くしておくから……)」


 長時間合体状態を保つ可能性のある探索では、圧縮状態の凛と合体することは賢くはない。判断としては当然なのだが、現在それは完全に裏目に出ていた。猫宮ケット・シーも、目の前の2人をあからさまに警戒しているのか、全身の毛を逆立て尾をピンと張っている。


 スオウと名乗った学生服の少年は、笑みを解き、不思議そうに首を傾げた。


「なんだ、緊張してんのか?」


 その態度から、敵意のようなものは感じられない。シスター服のビショップ・アケノの方は腕を組み、猜疑に満ちた視線を送ってきてはいるが、ナイトのスオウはどちらかと言えば友好的とすら言える。


「まぁいろいろ聞きたいこともあるんだが、最初に言っておくと俺たちは敵じゃねぇ。ポーンの連中が伝達不足だったせいで、不幸ないさかいは起こったが……」

「信用できないな」


 猫宮は緊張感のある声でそう言った。


「そっちがどういうつもりかは知らないが、ボク達の拠点を襲撃し、クラスメイトを1人さらったんだ。今更仲直りしようって言われても、応じられない」

「だから、それは不幸な事故だったんだって。っつてもまー、信じてもらえねーかな。その様子だと、こっちに来たのは偶然っぽいし」


 スオウがズボンのポケットに手を突っ込む。恭介は、ちらりとその腕章に視線をやった。すべてが読めるわけではないが、『工業高校』と書いてある部分だけは、辛うじて確認できる。やはり日本語だ。それも、高校の腕章。

 スオウ、アケノという響きも、どこか和名を感じさせる。

 すると、アケノのシスター服もやはりこちらの世界のものではないのだろうか。この二人がトリッパー、という可能性は十分にあるが、少なくとも滲み出る雰囲気は人間のものではない。


「偶然じゃない可能性、が、あったのか?」


 猫宮は相変わらず芝居がかった仕草の伴うしゃべり口だが、いつもに比べて言葉はゆったりとしていた。

 時間を稼いでいるのだ。鷲尾や茸笠たちは、恭介たちがすぐに戻ってこないことを訝しがっているはずだ。こうした時、改めて重巡分校の方に合図を送り、竜崎たちに異変を知らせるという取り決めがある。


「もうひとつ聞きたい。キミ達はボク達の事情を知っている。一体何故だ? キミ達はどこから来た?」

「ひとつじゃなくてふたつじゃねーか。知りたがりだな」

「これくらいは許してくれても良いだろう? そっちだけ一方的に事情を知って、友達になろうなんてフェアじゃない」


 ただ口が回るだけでなく、アドリブも利く。戦闘能力はさほどではない猫宮だが、こうした機転が非常に頼れるのだ。伊達に班長として抜擢されているわけではないのである。

 ナイトのスオウは『ふむ』と声を漏らし、顎に手をやった。粗野な態度と容貌の目立つ少年ではあるが、素が端正な顔立ちをしているのでかなりサマになる。


「偶然じゃない可能性、か。俺としちゃあ、なるべくさっさと話しておきたいんだが……」

「無駄だ、スオウ」


 それまで腕を組んでいたシスター服のアケノが、鼻を鳴らした。


「事情を話したところで、応じるはずもない。時間を稼いでいるだけだ。じきに増援が来る」

「なんだ、そうなのか」


 アケノの見透かした言動に、猫宮は舌打ちをする。気づかれていた。


「やはり彼女の裏切りは確定的だ。王に報告する必要がある」

「みたいだな。残念だけどよ」


 彼女? 裏切り? 一体なんの話をしている。恭介は理解しようと必死に考えを巡らせるが、目の前の2人はそんな暇を与えてくれそうにはない。先に動いたのはスオウの方だった。彼はポケットに手を突っ込み、大股でこちらに近寄ってきた。先ほどとは明らかに歩調が違う。

 教会の赤い絨毯を、ツカツカと歩くその姿はヤンキーそのものだ。恭介たちからわずか数歩の場所で立ち止まると、前かがみになり、メンチを切るようなポーズで言った。


「改めて挨拶さしてもらうぜ。俺ァ、スオウ。ナイトのスオウ。今からてめぇらをふん縛る」


 打って変わって好戦的な一言。実質的な宣戦布告だ。


「応じねぇなら、しょうがねぇ。殺す気はねぇが、抵抗するなら知らねぇぜ」

「逃げるぞ! ウツロギ、姫水!」


 猫宮が叫び、恭介たちはまったく同じタイミングで、教会の出口まで走った。逃げ切れるか、という考えはノイズでしかない。こうなったらもう、逃げるしかないのだ。捕まった場合何があるのか、あちらが答えない以上、大人しくするという選択肢は除外する。

 重く閉じた教会の扉に手をかけ、開く。

 だが外に飛び出そうとした瞬間、その言葉は前から聞こえてきた。


「言い遅れたが、」


 足元で四歩足を床についた猫宮が、息を飲むのがわかる。


「逃げるっつーのも、“抵抗”のひとつだ。後出しで悪ィな」


 いつの間にか前に立っていたナイトのスオウが、ポケットに手を突っ込んだまま乱暴なキックを放つ。いわゆるヤクザキックだ。蹴りは恭介の胸部に着弾し、衝撃の炸裂と共に、その身体を軽く吹っ飛ばした。


「ぐおッ……!」

「きゃあッ……!」


 恭介と凛の悲鳴が響き、二人の身体は放物線を描いて教会の内部に押し戻される。


「ウツロギ! 姫水!」


 猫宮が叫び声をあげた。恭介は身体を起こす。


「猫宮、早く行け!」

「なっ……!」

「おまえなら《影渡り》ができるだろ! 早く!」

「………ッ!」


 猫宮は頷き、捉えようとしたスオウの腕をするりと抜けると、その影の中へと飛び込んだ。

 セレナが話していた、ケット・シーの種族能力のひとつだ。影から影へと渡り、移動する。影がよりはっきりしている方がより遠くへと移れるが、この悪天候ではせいぜい窮地を脱するくらいが精一杯だろう。それでも、逃げられれば良い。鷲尾たちと合流し、竜崎に知らせてくれれば。


「あの様子じゃ、ケットシーの方のフェイズ2はまだだな」


 ポケットに手を突っ込んだまま、スオウが呟いた。


「しょーがねぇ。この2人を連れて帰れるだけマシか」

「うむ。《特性増幅》はフェイズ2としてはかなりのレアだ。ポーンどもは知らなかったようだが」


 前にはナイト、後ろにはビショップ。狭い教会の中で、完全に挟まれた形となる。

 恭介も、まだ諦めるつもりはない。ここにいるのは自分だけではないのだ。少なくとも凛は無事に逃がしたい。恭介の身体を包み込む凛が、全身を強張らせているのがわかる。ただ緊張しているのではなく、恭介の考えに対する抗議の意志が感じられた。


「あたしがいるからとかじゃなくて、逃げて」

「ああ、俺だって別に自分を粗末にするつもりは……」

「もう……」


 わずかな会話をかわしながら、スオウとアケノの動きを確かめる。

 スオウは例によってヤンキー歩きで、アケノは背筋をピンと張ってつかつかと、距離を詰めてくる。アケノの両腕に、黒い稲妻状のエネルギーが奔るのがわかった。ポーンが使ったものと同じだ。だが、威力まで同じとは思えない。万が一あれより弱かったとしても、高圧状態ではない凛ではあの攻撃に耐え切れない。


 恭介は拳を握った。凛が握った拳を先端部から硬質化させていく。


「うおおりゃあああッ!」


 振り向きざま、思い切りスオウに拳を叩きつける。だが、ナイトのスオウは避ける素振りさえ見せず、顔面でそのパンチを受け止めた。


「なッ……!」


 避けるどころか受けもしないスオウの態度に、恭介は思わず声をあげる。


「おうおう」


 叩きつけられた拳の下で、スオウが八重歯を覗かせて笑った。


「軽いなぁ。やっぱフェイズ2とは言ってもスライムとスケルトンじゃこんなもんか」

「く、くそッ……!」


 恭介は更に拳を握り、何度もスオウを殴りつけるが、スオウはポケットに手を突っ込んだまま、まるで微動だにしない。頑健な鎧を着こんだポーン達よりも、はるかに浅い手ごたえだった。如何に圧縮状態ではないと言っても、相手は無防備だ。それなのに、こんな。


「おらァッ!」

「ぐあっ……!」


 ポケットに腕を突っ込んだまま、再びのヤクザキック。恭介の身体が軽く吹き飛ぶ。

 倒れ込んだ恭介の身体を覗き込むようにして、スオウはヤンキー座りをした。


「てめーがスケルトン、ウツロギか。小金井から話は聞いてるぜ」

「小金井……!?」


 身体を押さえ込むようにして、恭介が立ち上がる。


「小金井くんはまだ無事なの!?」


 凛も声をあげた。その直後、両腕にエネルギーを溜め込んだアケノが、恭介たちの身体を押さえ込むように稲妻を放出した。全身を焼くような激痛が走って、恭介は再び膝をつく。


「ぐあああッ!」

「きゃああッ!」

「ああ、おいアケノ。こっちが話してんだから邪魔すんなよ」

「む……」


 ビショップのアケノはやや気まずそうに手をどけた。


「小金井は無事だぜ。なんせダチになったからな」

「だ、ダチ……? 友達に……?」

「あぁ。てめぇに謝りたいってよ」


 スオウの言っていることはよくわからなかったが、最後だけはハッキリと理解する。小金井が謝りたいと言っている。だったら尚更、ここで止まっているわけにはいかない。全身に力を入れ、またも恭介は立ち上がった。先ほどに比べると、いくらか、身体が重い。凛の疲労とダメージがダイレクトに反映されている。


「(姫水、大丈夫か……?)」

「(ちょ、ちょっと……辛いかな……)」


 凛の意識は絶え絶えだ。このままだと、いつ途切れてしまってもおかしくはない。


「おめぇも小金井のダチなんだろ? じゃあ、あいつを悲しませるような真似はすんなよ。なぁ?」


 スオウは、果たしてどこまで本気で言っているのだろうか。

 スオウと小金井が、友達? まずはそれ自体が、事実なのか? 今にも溶け落ちそうな凛の身体を押さえ込みながら、恭介はスオウを睨んだ。


「そ、その提案には、従えない……」

「ほう、なんでだ?」

「信じられないからだ……。それに俺は、今分校を離れるわけにはいかない。姫水のこともあるし、俺はみんなに必要とされている。全員で帰らなきゃいけないから、俺は小金井を連れて帰る」

「ほうほうなるほど」


 スオウは腕を組み、うんうんと頷く。


「やっぱ軽いなおまえ」

「なに……」

「言葉が軽い。思いついたそれっぽいことを適当に繋げてるだけだろう。まあ、スケルトンに転生したってことはつまり、そういうことなんだろうが。自分でやりたいことがねーから、そういう上っ面のことばかり口にするんだ」


 やはり、目の前の男が言っていることを、恭介が理解できない。その時、どろどろになって形を保つのが精一杯といったようすの凛が、辛うじて声をあげる。


「う、ウツロギくんは……小金井くんを……」

「姫水、無理はするな!」

「小金井くんを……連れ帰りたいから。それは、本当だから……」


 凛は、何かに必死になっているように思えた。何をそんなに、庇いだてしようとしているのだろう。道端で見つけたタンポポを、踏みつぶされないように守るような。そんな感覚だ。だが、彼女の言葉にスオウは鼻を鳴らした。


「どーだろうな。誰かに言われたからそう思い込んでるだけじゃねーのか? おまえは本当に小金井を連れて帰りたいのか? ただダチと一緒にいたいってんなら、こっちに来るんでも良いだろ?」

「そ、それは……」


 恭介は、心臓のあたりに腕を突っ込まれて、かき回されているような感覚があった。確かにそうだ。彼のことを思うなら、無理に分校の方に固執する必要はない。何故、自分は小金井を、連れ帰ろうと考えていたのか? 他の手段を見つけようとはしなかったのか?

 手段と目的の違いが、恭介にはわからない。恭介は頭を抱えた。自分はいったい、何をしたかった?


 自分のやりたかったこと。自分のほしかったもの。


 誰かを助けたかった。誰かを支えたかった。誰かに『ありがとう』と言われたかった。

 そうした記憶が、微かにある。いや、記憶ではない。心の地層の遥か奥に刷り込まれた感情だ。

 恭介は頭を抱える。その感情の出処をいくら探っても、応えは出てこない。誰の言葉も平気で安請け合いし、頷き、許し、優先し、その対価として『ありがとう』をもらう。その中身は、何もない。感謝されること、他の誰かを気持ちよくさせることだけが、目的だったからだ。


「転移変性ゲートをくぐってスケルトンになる奴は、まぁそういうところがあるんだよ。身がねぇし、肉がねぇし、モツもねぇ」

「やめて!」


 凛がひときわ、高い声をあげる。


「やめて、やめてよ! ウツロギくんをいじめないで! 今、今さっき、ようやく……」

「やりたいことを見つけさせて、それを解決させようったって、そんなんじゃ何にも変わらないさ。なぁ、ウツロギ。俺の言いたいこと、わかるか?」


 ポケットに手を突っ込んだまま、スオウが立ち上がった。いつの間にか、その顔に貼り付いた獣性に滾る表情は消え、冷たく睥睨するだけのものに変わってしまっている。


「おまえは空っぽなんだ。その頭蓋骨みたいにな」


 空っぽ。その言葉を聞いた時、恭介はなんだか、自分の存在がひどく遠ざかっていくような感覚を覚えた。

 自分の中にあるものから目を逸らし、守ることを忘れた結果、気が付いた頃にそれはすべて流れ出してしまっていた。今となっては、本当に小金井を連れ戻したかったのかどうかすら、わからない。小金井に感じていた友情が本当のものかさえもわからない。


 ひょっとしたら自分は、彼を助けることで感謝されたいだけだったのではないだろうか。


 小金井だけではない。竜崎も、佐久間も、セレナも。鷲尾達の謝罪をあっさり受け入れたのだってそうだ。

 瑛のことも。

 凛のことも。

 本当は彼らのことなど何も思っていなくて、自分は、


「違う!」


 凛が必死な声で叫んだ。


「違う、違うよ! ウツロギくんはそんな人じゃない! ウツロギくんの中身が、そんなものだなんて、あたしは思わない! だって……」

「まーそういうのは外野がドーコー言うことじゃねーんだ。姫水サン」


 スオウは頭をぼりぼり掻きながら言った。


「それに、そんなものなんて言い方も酷いな。こいつが空っぽなら、その空っぽの底ン方にちょこっとこびり付いた、“欲求”も、『そんなもの』で切り捨てるわけだ。そいつを認めると、自分が愛されていないことになるから」

「う、ぐっ……」

「悪く思うな。こいつはちょっと重症すぎるが、てめぇと向き合うのは必要な手順プロセスでな。まぁ最後まできちんと面倒見てやるよ。なぁ、アケノ」


 それまですっかり退屈を持て余していたのだろうか。会話から外されたビショップのアケノは、腕を組んで『さぁな』とだけ言った。そもそもこの話題、というよりは、恭介の内面について、あまり興味はないらしい。


「で、スオウ。もう捕まえて良いのか」

「おう。任せたぜ」


 アケノが再び両手に黒いエネルギーを充填させていく。呆然自失となる恭介に、ビショップのアケノがゆっくりと近寄ってきた。


 ちょうど、その時である。


「ウツロギイイイイイイッ!!」


 ステンドグラスを割るようにして、ひとつの飛行体が、教会の中に飛び込んできた。

 それは意外な影である。ワシと獅子を繋ぎ合わせたようなフォルムは、旋回しながら羽根を矢のように飛ばし、アケノのエネルギー充填を中止させた。それまで我を失っていた恭介は、思わずハッとする。


「わ、鷲尾……!?」

「うおおおっ! ハウリング・フェザァーッ!!」


 飛ばした羽根は、スオウとアケノの身体には突き刺さらず、寸分のダメージにも至らない。だが、目くらましにはなった。

 出席番号40番。グリフォンの鷲尾吼太わしお・こうたは、猛禽のような前脚で恭介の腕をつかみ上げると、そのまま猛スピードで割れたガラスから飛び出していく。ドロドロになった凛は、溶け落ちないように必死にしがみついた。


「だから言っただろうが、スオウ」


 それを見送り、アケノは非難がましい声で言う。


「増援が来る可能性があると。まったく、結局逃げられた」

「あー、すまん。でも、言ったお前自身忘れてたろ?」

「………」


 スオウの言葉に、アケノは唇を噛んで黙り込んだ。事実だったらしい。

 スオウはポケットに手を突っ込んだまま、背中から赤い翼を生やす。


「まぁ、逃がすつもりはねぇ。が、俺はひとまず小金井を呼んでくる。まだ転生オウガを探して別の場所をうろついてるはずだ」

「ふむ。では追撃は任せろ」


 アケノも同様に翼を広げ、2体の悪魔は教会から別々に飛び立った。





「間一髪か。間に合って良かったぜ」


 恭介を背中に乗せ直し、鷲尾が言った。凛はひとまずずり落ちる心配がなくなって、一息をつく。


 鷲尾はあの後、猫宮の報告を受けて分校に緊急事態を告げる合図を送った後、そのまままっすぐ恭介たちのいる教会へと飛んできてくれたのだという。知らなかったが、グリフォンの飛翔速度は大したものだった。おかげさまで、一時的にではあるが、逃げおおせることができている。

 だが、鷲尾の背に乗りながら、恭介はうつむいたまま何も言わなかった。


「どうしたんだ、ウツロギ。元気ないな」

「ああ、うん。鷲尾くん、ちょっとね……」


 答えないウツロギの代わりに、凛がそう言う。


 あの時、恭介の感情は凛にダイレクトに伝わってきた。合体効果の副次作用だ。

 だからこそ、自分の中身を探ろうとする過程で、とんでもないものをサルベージしてしまった時の恭介の感情も、凛に伝わっている。ひどくエゴイスティックで、それでいて歪で、虚ろな空木恭介の欲求。ただ誰かに感謝されたいだけという、空っぽで中身のない、伽藍洞がらんどうの欲求。

 事実であるとすれば、恭介は別に自分のことだけをどうでも良いと思っているのではない。他人のことすらどうでもいいのだ。他人の本質に目を向けることができないから、自分の中身を見ることもできない。それは凛にとっても、少なからずショックではあった。


 感謝されたいという気持ちは誰にだってある。

 だがそのために自分の命を軽く扱ったり、他人の本質的な気持ちに気付けなくなったり、ましてその二つを両立してしまうなんていうのは、あまりにも歪だ。


「鷲尾……」


 ウツロギがぽつりと口を開いたので、凛もそれに耳を傾ける。


「な、なんだよ」

「どうして俺を助けてくれたんだ……」

「え?」

「だって、危ないだろ……。死ぬかもしれなかった」

「あー……」


 鷲尾はその話題になると、やけに照れくさそうに、どこか遠くを眺めた。


「いやぁ、俺、ちゃんと謝ってなかったからさぁ……」

「は……?」


 何が飛び出してくるかと思えば、そんな言葉だ。


「悪かったって、思ってんだよマジで……。思ってんのかな。いやよくわかんねーや」

「………」

「でもよく考えたら、俺、おまえのことそんな嫌いじゃなかったから。多分その、ムシャクシャしてたんだよ。ごめんな」


 凛の胸中には、期待と暗澹が同時に訪れる。

 鷲尾の言葉は、恭介の心を潤すだろうか。タイミングが、あまりにも悪い。だがもしかしたら、スオウの言葉に揺さぶりをかけられ、衝撃を受けて沈んでいた恭介にとって、彼の言葉は福音となるかもしれない。鷲尾吼太の、心からの謝罪の言葉だ。


「鷲尾……」

「あん?」

「ありがとう……」

「なんだよ、よせやい。礼を言いたいのは……」


 背後から飛んできた黒いエネルギー体が鷲尾に着弾したのは、その直後のことであった。


「うわあっ!?」


 鷲尾が悲鳴をあげ、空中でバランスを崩す。衝撃の余波は、恭介と凛にも襲い掛かった。山林の上を重巡分校に向けて移動中だった鷲尾の身体が、旋回するように落下していく。凛たちは宙へと投げ出された。

 針葉樹の枝をへし折り、幹を軋ませ、三人の身体は山の斜面へと転がる。一瞬、何が起きたのかわからない。だがすぐに理解が追いついた。先ほどのナイトかビショップ。そのどちらかが、鷲尾を追撃しにやってきたのだ。


 すぐに身体を起こしたのは恭介、続いて凛だった。少し離れた場所に、鷲尾が倒れている。

 高所からの落下を考えた場合、打撲や骨折などが発生しうる分、生物型モンスターの方がダメージが大きい。事実、鷲尾は全身から血を流し、動けなかった。


「鷲尾くん、大丈夫!?」

「なんとかね、生きてるよ……」

「よかった……」


 凛はほっと溜息をつく。彼女に遅れるようにして恭介も駆け寄ってきた。


「鷲尾……」

「いや、悪ぃ……。失敗しくった……。どーすっかな、これ……」


 ゆっくりと鷲尾は立ち上がるが、まだ足がおぼつかない。


「中々の飛行速度だった。だが惜しいな。フェイズ2まで覚醒できていれば、逃げ切れたかもしれないものを」


 またその話か。凛は背中の方から聞こえてきた声に少しビクりとしながらも、しかし怒りと苛立ちの方が先に立つ。

 そこに立つビショップのアケノは、清楚なシスター服の背中から、毒々しいまでの赤色の翼を生やしていた。その姿は、彼女の本質が聖女ではなく悪魔であることを雄弁に物語る。両手には、バチバチと黒いエネルギーを滾らせていた。


「だがもう終わりだ。おまえ達を捕獲する。我が軍の精鋭たれることを、誇りに思うが良い」

「く、くそっ……!」


 鷲尾が羽根を飛ばし、アケノに攻撃をしかける。が、彼女は鬱陶しそうにそれを手で払うだけだ。


「逃げるよ、ウツロギくん! 合体!」

「あ、あ、ああ……」


 凛の言葉に躊躇いがちな返事をしながらも、恭介はそれを受け入れる。凛は恭介の身体にかぶさるようにして包み込むが、どことなく、それまでに比べて全身がちぐはぐな印象を受けた。合体がしっくりきていない。恭介の身体がよそよそしい。


「おい二人とも、伏せろ!」


 鷲尾が叫び、合体直後の恭介たちを突き飛ばした。そうして覆いかぶさってきた直後、周囲の地面を黒い槍状のエネルギー体が貫いてくる。ただ捕まえるつもりではない。こちらが逃げる気力を失うまで、痛めつけるつもりなのだ。

 逃げなければ。逃げられるか、ではない。逃げなければ。


「二人とも、わりぃ」


 鷲尾がぽつりとそんなことを言った。


「もう! 鷲尾くん、今は謝罪のことなんか……」

「俺、なんかもうダメかも」

「なにを……」


 言っているのか、と言おうとして、凛は思わず言葉を止めた。恭介と凛の身体を突き飛ばした鷲尾には、先ほどの黒い槍が2、3本突き刺さっている。傷口から、真っ赤な血が絶えず流れていた。


「は、早く行けよ……。なんで俺が庇ったと思ってんだよ……」


 アケノが冷淡な表情で近づいてくる中、鷲尾が言う。


「で、でも鷲尾……おまえは……」

「あのなウツロギ、こういう時は、恰好つけさせるもんなんだよ」


 アケノの放った黒い槍が、またも鷲尾の身体に突き刺さる。

 戦力として加える、とは言っていたが、フェイズ2に到達していない鷲尾の優先順位は低いということなのか。あるいはギリギリまで弱らせてから、捕獲するつもりなのか。単純に恭介たちを狙った槍を、鷲尾が受けているだけなのか。


「ウツロギくん!」


 凛は叫んだ。だが、ウツロギの身体は固まってしまったように動かない。

 鷲尾は舌打ちすると、そのまま振り返り、アケノに向かって跳びかかって行く。


「むッ……!」


 その行動はさすがに意外だったのか、アケノはやや反応が遅れながらも、黒いエネルギーを拳に纏わせ鷲尾を迎撃する。拳が胸を貫いた。


「ごふっ……」


 鷲尾の嘴から、血が漏れる。


「鷲尾……!」

「あ、あのさ、ウツロギ……。俺別に、本気じゃなかったんだよ。俺ビビりだから、弱い奴をいじめてないと自信が持てなくて……」

「何を言ってるんだ!」


 恭介が叫ぶ。空っぽの底から絞り出すような悲痛な声。しかしそれは、今までに恭介が口にした、どの言葉よりも強く、重みのある台詞だった。


「そんなことはどうでも良い! 許すって言っただろ! 気にしてないって言っただろ!」

「ウツロギくんっ!」


 凛は、恭介の身体を、強引に振り返らせた。まだ動けずにいる恭介の身体から、主導権を奪い取る。外側から強制的に、空木恭介の身体を突き動かす。強い抵抗感はあったが、凛はそれをねじ伏せた。

 瀕死の重傷を負った鷲尾の、どこからこんな力が出ているのだろうか。彼は引きはがそうとするアケノの身体に組みつき、しがみつき、爪や嘴を食い込ませて放さない。苛立ったアケノが、黒い槍を何本も放ち、鷲尾の身体がハリネズミのようになっていく。


「放せ、姫水! 放せッ!」

「放さない!!」


 山の斜面を、転がり落ちるように駆け下りていった。


「だから! 小金井の気持ちもわかるんだよ! あいつに会ったら言っといてくれ! あの時おまえは俺を売ろうとしたけど、俺はもう、気にして……」

「鷲尾ォッ!!」


 背後から必死に叫ぶ鷲尾の声。それを掻き消すようにして、肉と骨が引きちぎられるような音が、霧の濃い山林に響き渡った。





「最後の最後でフェイズ2か。少し惜しいことをした」


 ビショップのアケノは、斜面に転がるグリフォンの骸を蹴飛ばして舌打ちした。全身に突き刺さった羽根からは強力な神経毒が分泌されている。これでは、逃げたスケルトンを追うこともできない。

 最後の攻撃には鬼気迫るものがあった。殺されるとまでは思っていなかったが、毒で身体の機能が奪われたところに襲い掛かられたのだ。さすがに、捕獲用の黒紅気を練るだけの余裕はなかった。まぁ、神経毒の分泌は、グリフォンが発現させ得るフェイズ2能力の中でも、さほど強力なものではない。諦めるとしよう。


 とは言え、この毒は使える。


 身体が癒えたらグリフォンの亡骸を引きずって、一度古城に戻ろう。結局、調整を済ませておいた魔獣の出番はなかったが、あれに新たな能力を加えることができる。

 おそらく連中は一ヶ所に集まって移動するはずだ。そちらの追撃はスオウに任せることとする。


 せめて連絡が取れると良いのだが。

 アケノはシスター服の中から携帯電話を取り出し、溜め息をつく。


「しかしグリフォン1体に襲われてこのザマとは。油断や相性もあったとはいえ、ビショップの名が泣くな……」


 少し苦い思いを抱きながら、アケノは全身の毒が抜けるのを待った。

次回更新は明日朝7時予定です。

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