第32話 カウントダウン
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その日、小金井にはようやく、古城での自由行動が許可された。ずっと牢屋に閉じ込められ、気が狂いそうな毎日ではあったが、殺されずに済んだだけマシだと考えるべきなのかもしれない。小金井は、一人でぶらぶらと古城の中を歩く。
この城は、鬱蒼と茂る森の中に佇んでいた。割れた窓から外を見ると、木々の中に朽ち果てた街並みが確認できる。遥か昔に滅び、そこに木々が生え、森ができた。そんな場所なのだと思われた。
小金井の知る限り、この城の周辺は一度として青空を見せたことがない。重くて暗い雲が天蓋のように空を覆い、よく雨が降る。これでよく木々が育つものだと、小金井は思った。
クラスのみんなはどうしているのだろう。あの赤い翼の悪魔―――いや、ポーンと名乗っていた。あのポーンは、再び拠点を襲うと言っていた。また襲われた時、拠点のみんなは無事でいられるだろうか。
結局、クラスのみんなには謝りそびれてしまった。
生きている間に、せめてひとこと、謝りたかった。
鬱屈とした気持ちで古城の中を散策していると、何やら懐かしい、それでいて、この城では決して聞くはずのない音が、大広間の方から聞こえてきた。
「………?」
小金井が訝しく思って扉を開くと、大広間の中央、破れたソファに、一人の男が腰かけている。
男というよりは少年だ。ややガタイは良く、顔の作りには攻撃的な造形のパーツが多いが、顔立ちそのものはあどけない。なにより、着ている服が学ランだったのだ。
学ラン。何故あんなものを着ているのだ。と、小金井は思わなかった。それ以上に、少年が手にしているものが衝撃的だったのだ。
テレビゲームの、コントローラー。あれはプレステか?
それだけではない。コントローラーはきちんとゲーム機本体に繋がっており、ゲーム機は液晶テレビに接続されている。そして、ゲーム機と液晶テレビは、見たこともないような大きな機械に電源コードを伸ばしていた。
彼は、テレビゲームをやっているのだ。
小金井の理解が追いつかない。ここは異世界ではなかったのか?
それでも広間に足を踏み入れ、少年の背後に回って画面を確認する。もう15年以上前の旧いゲームを、少年はプレイしていた。床を見ると、同じくらいの年代のゲームソフトが大量に積まれている。
「よう、ハイエルフ」
テレビ画面から目を離さないまま、少年はそう言った。
「あ、ええと……。スオウさん、だっけ……?」
「おう。ナイト・スオウ。蘇芳貴史でも良いけどな」
吐き捨てるようなぶっきらぼうな物言い。苦手なタイプだ、と小金井は思った。
こいつは、1年生の時に小金井をカツアゲしたあの憎い不良生徒たちと同じタイプの人種。すなわちヤンキーだ。
さっさと距離をとって離れたかったが、目の前にあるテレビとゲーム機の存在が、それを許さない。
懐かしい故郷を思わせるその品に、小金井は目を放せなかった。
じっと、スオウのプレイを見る。
スオウが遊んでいるのは、1993年にコナミから発売されたゴシックホラーテイストのアクションゲーム……の、移植版だ。これのもっと古いバージョンを、恭介が遊んでいるのを見たことがある。
いかにも悪魔城といった趣のこの城で遊ぶには、雰囲気たっぷりのゲームではある。
が、
「あーくそ……! また死んだ!」
スオウは下手だった。
このゲームの難易度がそもそも高めということもある。が、それ以上に、プレイングに致命的な欠陥がある。ジャンプなどの基本動作からして、まったく使いこなせていない。
小金井は思わずつぶやいてしまった。
「下手くそ……」
「あぁん!?」
スオウはドラキュラ伯爵のような犬歯をぐわっと剥き出しにして、小金井を威嚇する。思わずびくりと身体を震わせてしまった。
「なんだよてめぇ。じゃあおまえやってみろよ」
「え、う、うん……。良いけど……」
ぶっきらぼうに突きだされたコントローラーを、小金井は手に取る。
言ってしまったは良いが、上手くできるだろうか。小金井が得意なのはFPSをはじめとした本格的な3Dアクションだ。こういうゲームは、どちらかというと恭介の得意分野である。
いや、まぁ、スオウよりは上手にできるな。気楽な気持ちで、ゲームを始めることにした。
コントローラーの感触はいつ振りだろう。人間時代でもこのゲーム機のコントローラーには長らく触れていなかったが、プラスチック製の、手にフィットする感覚が懐かしい。スタートボタンやセレクトボタンにあるゴムの感触も、然りだ。
スオウはしばらくソファに腰かけ仏頂面でテレビ画面を眺めていたが、小金井が1ステージのボスを倒したあたりで、身を乗り出した。
「おまえ、上手いな」
「そ、そうかな」
褒められる、という感覚も、なんだか久しぶりだ。小金井は、自分でもびっくりするくらいのプレイングで、順調にステージをクリアしていく。ハイエルフとなったことで、動体視力や反射神経が強化されているのだろうか。だとすれば、いっそこの姿のままFPSを遊んでみたい。小金井に散々辛酸をなめさせたフレンドに、改めて挑戦してみたいものだ。
そうこうしていくうちに8ステージ目、最後のブロックに突入する。気がつけば数時間は経っていただろうか。スオウはすっかり小金井のプレイに夢中で、時折『すげぇ』だの『やるじゃん』だの、感嘆の言葉を口にしていた。
プレイヤーキャラの前に、最後のステージボス、ドラキュラ伯爵が立ちはだかる。スオウは目を輝かせていた。
「こいつがボスか?」
「うん」
小金井は短く答えて、一切微動だにせずコントローラーを操る。スオウも唾を飲んで黙り込み、古城の大広間には、テレビから響くゲームの音声と、わずかに小金井がボタンを叩く、カコカコという音のみが聞こえていた。
「あっ……」
緊張からか、手足で指が滑り、痛恨のミス。わずかな焦りから、続けてライフポイントを減らすという失態を犯す。
結局、最後の最後で小金井はドラキュラ伯爵を倒すことができず、ゲームオーバーとなってしまった。
「あー……。ごめん……」
「良いって良いって。気にすんな。おまえ結構すげぇな。名前なんだっけ」
「小金井。小金井芳樹」
「小金井か。改めて歓迎するぜ。俺はスオウ。ナイトのスオウだ」
スオウがさっと右手を差し出してきたので握り返そうとしたが、それが握り拳だったので困惑する。
すると、スオウはにやっと笑って小金井の手で拳骨を作らせると、そのまま自分の拳をコツンとぶつけ、その後に上から、その後に下からぶつけた。
「なにこれ」
「ダチの挨拶だろ。よろしくな」
ニッと白い歯を見せて笑うスオウ。やはり鋭利な犬歯がやけに目立って見える。
そのスオウを見て小金井が思い浮かべるのは、何故か空木恭介の顔だった。
小金井が『ごめん』と言ったとき、スオウはまったく気にせず『良いよ良いよ』と言った。自分がクラスでしでかしたことを、謝って許してもらえるとは思わない。でも、あの恭介なら、スオウと同じ対応をしてくれそうな気がしたのだ。
第4回となる異世界クラス会議は、無事に終了した。竜崎や凛の根回しが上手く行き、37人全員が、王国を発つ決意をしたのである。女王陛下にその旨を告げに行くと、にこりと笑って『あなた方の勇気ある決断を尊重いたしましょう』と応じてくれた。
神成や花園も、仲の良いクラスメイトと話し合った結果、しっかりついてくることになった。花園の方は、人間に戻るかどうかまだ悩んでいる様子ではあったが、せめてギリギリまでは一緒に居たいという杉浦の気持ちと、まったく同じことを考えていた自分の気持ちに、素直に答えた形だ。東の森に住まうマスター・マジナのもとを訪れるまでは、行動を共にするとのことだった。
ちなみに、第2回のクラス会議で『元の世界に戻るかは保留』としていた暮森は、『戻るかどうかは保留だが重巡の面倒は俺が見る』と言って、第3回が終わった翌日、西の要塞線へと戻って行った。それ以来一週間、要塞線の再建を手伝いながら、ちまちま重巡の補修もしているそうだ。要塞線の騎士にもかなり手伝ってもらって、補強の方は順調らしい。
ま、ひとまずクラス分離の危機は避けられたということだ。恭介たちは、王宮の大食堂で、王都最後の食事を摂りながら、ほっと胸をなでおろしていた。
「もう、議事録作るの、大変で大変で……」
佐久間がパンをかじりながら、第4回クラス会議の内容をまとめている。
彼女はこの王都で、動きやすい服装一式をそろえていた。露出度が極端に減ってしまった彼女の装いを、嘆く声は多い。
「そうか、書記だもんなぁ……」
恭介はしみじみと頷く。恭介は凛と合体状態で食事をしている。食事自体は37人分出されているので、凛は2人分食べられると喜んでいた。
「さっちゃんも忙しいかもしれないけど、たまにはウツロギくんを抱きしめにきてね」
「ええっ!? な、何言ってるの姫水さん!」
「あたし一人では無理でも、さっちゃんがハダカで抱きついてきたらウツロギくんも欲望を取り戻せるかもしれない」
「……!?」
「なんだその、俺の欲望を取り戻すって……」
凛が言い出した突拍子のない一言に、恭介も混乱してしまう。佐久間も佐久間で顔を真っ赤にしながら『ウツロギくんの欲望……』と呟き、もじもじしてしまっていた。これは非常によくない傾向であるように思われる。
だが、結局その意味のわからない言葉の真意を語るでもなく、凛は鶏肉のパテを黙々と消化していた。恭介が首を傾げながら、残ったパセリに手を伸ばすと、腕が金縛りにあったように停止する。
「んっ……?」
「ウツロギくん、あたしパセリ嫌い!」
「おまえに食べれないものがあったっていうの、結構衝撃的なんだけど」
エビの殻やジャガイモの皮を食べるような娘なのに。
「俺は好きなんだけどな」
「パセリが!? 付け合せのパセリが好きって言う人あたし初めて見たよ!」
「まぁ、姫水が嫌いなら良いや」
「諦めるなよおおおおおお!!」
凛がいきなり大声をあげたので、クラス中の視線がこちらに向けられた。
「ひ、姫水!?」
「なんで諦めるの!? 好きなんでしょ、パセリ! そこは『俺は好きだから分離して食べよう』とか、そういうこと言いなよ! なんなの! なんなのもう! 好きなものならもうちょっとガッツけよ!」
「ど、どうした姫水! おまえちょっと今日おかしいぞ!」
「あたしがおかしいのは今日だけだもん! 今までずっとおかしかったわけじゃないもん!」
言うなり、恭介の肩あたりから凛の身体が触手状に伸びる。にゅるっと伸長した腕がパセリをひっつかんで、そのまま恭介の口の中に放り込んだ。清涼感ある苦味が喉元を過ぎ去り、そのままパサッと凛の身体の中に落ちていく。
ぞわり、と全身を取り巻く凛の身体からトゲが逆立ち、その直後、汗が滝のように噴き出した。いや、これは汗ではないな。涙だ。
「ううっ……ウツロギくんっ、ぱ、パセリ……美味しいねえっ……!」
「姫水……?」
彼女の奇行はいまに始まったことではないが、見ていてちょっと心配になってしまう。
「え、ええっと。でも、あの、えっと、クラスのみんながまとまって良かったね!」
佐久間が困惑するこちらの様子を見て、やや強引に話題を変えてきた。
「うん、良かった。それは良かったよ」
まだいくらか涙の入り混じった声で、凛が呟く。
「全員がまとまった、っていうか、個々のわだかまりが徐々になくなってる感じだよね」
「個々のわだかまり?」
「そう。ウツロギくんと火野くんはラブラブだからわかんないだろうけどね。トリップ当初と比べても、徐々に徐々に、亀裂が修復されていってる感じするよ」
佐久間もうんうんと頷いていた。確かに彼女はわかりやすい例かもしれない。トリップ前はクラス内にさほど仲の良い生徒はいなさそうだった(実は紅井という意外な友人がいたわけだが)が、こちらに来てからは委員長竜崎や、同じ班の籠井、班長仲間である剣崎や魚住、紅井の取り巻きである春井に蛇塚、加えて一匹狼の犬神と、順調に交流関係を広げている。
かつてクラスカーストのトップに君臨していた少女は、『結局そういう小さな集まりの集団がクラスだからねー』と、非常にそれっぽいことを言っていた。
まぁ、実際、クラスの雰囲気は以前に比べても良くなっている。
少なくとも、トリップ直後一週間のようなギスギスした雰囲気は、もうない。みんなに余裕が出てきたということでもある。
「な、なぁ……おい。このタイミングで行くのかよ……」
「今更何言ってんだよ。行こうっつったのは鷲尾だろ」
「ウジウジすんな。男らしくないぜ」
「うむ。3人とも頑張れ。ガッツだ。応援しているぞ」
ふと、背後からそのような会話が聞こえてくる。恭介が振り向き、はす向かいの席に座る佐久間も、恭介の後ろを覗き込むように姿勢をずらした。
そこにいるのは、鷲尾、触手原、白馬の3人。その背後で、首なし風紀委員の剣崎が腕を組んで立っている。
先頭に立つ鷲尾が、何やら気まずそうに尻込みしている様子だったが、恭介たちの視線に気が付くと溜め息をつき、覚悟を決めたかのように前に出る。
「よ、よう、ウツロギ……」
「あ、ああ……。どうしたんだ鷲尾。なんか改まっちゃって」
「いやその……、なんだ。えぇっと……」
鷲尾達の背後で、剣崎がグッとポーズを決めている。何の意味があるのかはよくわからない。
照れくさそうに言い淀んでいる鷲尾の後ろで、白馬が苦笑いを浮かべた。
「俺たち、ウツロギに謝りに来たんだよ」
「俺に? 何を?」
「拠点の廊下のこととか、食堂でのこととかな」
ああ、と、恭介は思い出す。そう言えば、彼らとも当初は相当険悪な雰囲気だった。特に鷲尾の方は積極的に突っかかってきたし、食堂でのひと騒動のときは彼らによってバラバラにされてしまった。
鷲尾たちはあの後、元・小金井派のメンバーとしてクラスの中では比較的冷遇されていた。それでも、竜崎の班編成が功を奏し、徐々に元のように打ち解けつつもある。
「クラスの雰囲気もよくなって来ただろ。俺も一緒に旅して、ウツロギが良い奴だってわかったし。謝ったら許してくれるから、スッキリしようぜって、俺が提案したんだ」
「私も鷲尾の班長として全面的に賛成した」
と、腕を組んで胸を張るのは剣崎だ。
「でも白馬はもう謝ってくれただろ」
「鷲尾も触手原も素直じゃないんだ」
そう言って白馬は前に出ると、恭介に向けて丁寧に頭を下げる。
「ごめん。ウツロギ」
「お、俺もごめん。なんか、下げられる頭がないんだけど、とりあえずごめん」
白馬に続くようにして、触手原は全身の触手をべたっと床に降ろしてうなだれた。
「あー、んー。その、なんだ……」
鷲尾は最後まで気まずそうに視線をそらし、照れくさそうにしていたが、最後に溜め息をつくと頭を下げた。
「悪かったよウツロギ。ごめん、許してくれ」
「ああ、うん」
恭介は頷く。
「別に気にしてないよ。顔をあげてくれ」
その一言で、ひとまず手打ちとなる。恭介の肩のあたりから、にゅっと凛の手が伸びて、ぱちぱちと拍手をした。続くように、剣崎、佐久間も拍手をする。
鷲尾はホッとしたような表情を作り、白馬や触手原に視線をやる。触手原は顔がないのでいまいち表情がわからなかったが、鷲尾と同じように安堵しているのだろう。
「まー、なんでも許しちゃうのは、ウツロギくんの美点ではあるよねぇ……」
凛が拍手をしながら、ぼんやりと呟く。
「なんだ姫水。なんか含みがある言い方だな」
「んーん。なんでもない。今回の件は、あたしもこれで良いと思うし」
「瑛には、人が好すぎるって怒られるんだけどな」
「お人好しなのは、良いんだよ。多分ね」
凛の言葉には、どこか探るようなニュアンスが含まれていた。お人好しと、そうでない何かの境界線を探している。彼女の言葉の続きが気にならないと言えば嘘になるが、結局恭介は、それを凛に尋ねることは、なかった。
食事を終えた恭介たちは、名残惜しく思いつつも王都を発ち、西の要塞線へと向かった。
これからどうするのか。重巡洋艦に乗り込み、南の山岳帯を目指すというのが竜崎の説明だった。ここから南には数百年前に滅亡した王国があり、そこから東へ向かうとやがて海に出るのだという。帝国の感知が及ばないルートで、人間たちとの衝突が少ないと教えられた。
ただし、海沿いを通っていくとやがて帝国領へとぶつかる。沖合を進み、やはり帝国の手が及ばない海洋国家を経て、大陸の東側を目指すべきだというのが、女王陛下からの提案である。
『ふざけんな! もう船底をキャタピラに合わせて改修しちまっただろうが!』
聞くなり暮森はそう叫んだわけであるが、実際海に出てからまた重巡を改修するのか、別の手で海を渡るのかは、その時に考えることになる。
「ところで竜崎、いつまでも重巡じゃあ味気なくないか?」
王国から好意で提供された必要物資を、重巡へと積み込んでいく。ゴブリンやスケルトン、それにゼクウらも手伝ってくれるので、こうした作業は比較的ハイペースで進んだ。
竜崎はその言葉を聞き、いつになく自慢げな笑みを浮かべると、竜人フェイスの鼻先を船首部分へと向けた。
「ああ、一応名前はつけたよ」
「どれどれ」
そこには、『市立神代高校 異世界分校』と書かれている。
「……竜崎って、本当にクラスっていうか学校への帰属意識が高いよなぁ」
良いことだと思うけど、と言って恭介は地上に下ろされたタラップを登って行く。
甲板の一部は大きく穴があけられ、そこには大量の土で埋められていた。花園が歓声をあげて飛びつき、王都周辺の農耕地から好意で譲ってもらった苗を、早速とばかりに植えていく。杉浦も大量の調理器具を艦内食堂に運び込んだあと、彼女を手伝って土いじりに精を出していた。
“分校”の船底はかなり大きく改造されてしまっている。確かにこのまま水に浮かべるのは無理そうだ。
甲板には更に、花園の家庭菜園を邪魔しない形で主砲や機銃が配置され、それらをゴブリン達が丁寧に磨いている。こうした火器を扱うのは彼らであって、そのボス格に納まった五分河原は『ゴブリン通訳委員 兼 火器管制委員』という、よくわからない役職を頂戴していた。
おそらく艦載機を射出するためにあった火薬式のカタパルトも2基、しっかりと直されている。竜崎や神成を飛ばすためのものらしい。甲板で羽ばたくと、銃座のゴブリンや花園の野菜を吹き飛ばしかねないからというのが、竜崎の説明だった。
「みなさーん!」
手を振りながら、ばたばたと走ってくるのは、見送りについてきたプリンセス・セレナーデだ。
出席番号41番が与えられているとはいえ、さすがに一国のお姫様をこれ以上は連れまわせない。彼女はここで、お別れになる。恭介たちが動きやすいよう、各国への根回しは任せてほしいと胸を叩いていた。つまりあまり期待してはいけないということだろう。
ただ、モンスター知識やこの世界の知識について豊富な彼女が抜けることは非常な痛手ではあった。
「セレナさん、今までお世話になったな」
「とんでもないですウツロギさん! 今までお世話になったのはこちらの方! これからは、私たちの方が、陰ながらみなさんをお世話する番なんです!」
その彼女に遅れるようにして、何人かの騎士が大量の木箱を運んでくる。竜崎が首を傾げた。
「なにこれ」
「私から皆さんへの贈り物です。ちょっと見てください」
そう言って、セレナは木箱のひとつを開く。そこには、大量の紙束がギッシリと詰められていた。
「見てください! この世界のモンスターについて、私が出来うる限り生態を記したセレナメモです!」
「お、おお……」
恭介と竜崎は、思わず声をそろえて感嘆を漏らしてしまった。
木箱と言っても、一辺の長さが1メートル近くはある。これすべて、セレナが手書きで記したメモだというのだろうか。この一週間、あまり姿を見せないと思っていたが、ひょっとしてずっと、これを書いていたり、したのだろうか。
よく見れば、セレナーデ姫殿下の御尊顔には、おおよそ王侯貴族には似つかわしくないクマができている。
さらに、騎士はその木箱よりいくらか小さい箱を、ゆっくりと置いた。
「それだけじゃないんです。こちら、帝国の希少生物書士隊に問い合わせて得られたいくらかの仮説と、私の論文です」
「仮説?」
「皆さんのフェイズ2能力について。要するに、この世界のモンスターが固有能力を発現させる可能性はどれくらいか。どうした能力が発現する可能性があるか。あとは紅き月の血族についてですね。こっちは帝国魔導省と帝国騎士省の見解もいくらか入っています。まぁ、落ち着いたら目を通してください。私、頑張ったんで!」
ぱらぱらとめくると、こちらの世界の文字と思しき理解不能な文章の羅列がある。だが、その下に1つ1つ丁寧に、日本語による翻訳があった。筆跡はひとつではない。セレナと女王陛下が書いてくれたのかと思えば、それよりももっと、多種多様な人の手が加わっているように見える。
「皆さんには会わせられませんでしたが、この国に定住している日本人の方々にも、いくらか手伝っていただきました」
「その人たちは帰らないのか?」
「帰る気がなかったり、帰れなかったり……ですね。この世界には転移者だけじゃなくて、魂だけがこちらに跳んでくる転生者の方もいて、そういう方は、元の世界には帰れません」
彼らを恭介たちに引き合わせられなかったのには、政治的な背景も大きかったという。一部の貴族は、モンスターを王宮にしばらく置いておくことに強く反発していたというし、転移者や転生者には、異世界知識に関する利権が絡むことも多いらしいのだ。
そんな中で、セレナは反対派の目をすり抜けて日本人たちに協力を要請し、彼らは同郷のよしみで手伝ってくれたという。
「なんか……。嬉しいな、こういうの」
竜崎は、ちょっぴり涙ぐんだ声で言った。恭介も頷く。
「ありがとう、セレナさん。すごい助かる」
「え、えへへ……。良いんですよぉ。私ができるの、このくらいだし……。え、へへ……」
騎士達が、セレナの用意した書類を船の中に運び込んでいく。セレナは笑顔で頬を掻いていたが、次第に声に元気がなくなっていき、顔を俯かせる。
「あの、私、サヨナラは言いませんので……。また、お会いするつもりですから……」
「ん、うん……」
「ただ私、みなさんに会えて良かったです。2年4組の一員として過ごした時間、そんなに長くはなかったですし、怒られてばっかでしたし、みなさんに迷惑かけっぱなしだったけど、楽しかったですし……」
「うん……」
「じゃ、じゃあ、そういうことですから! それじゃっ!」
セレナはガバッと顔をあげ、ピッと敬礼をするとそのまま背中を向けて一気に走り去って行った。
「嵐の転校生だったなぁ……」
竜崎がぽつりと呟く。
「まぁ、お姫様だからな。嵐も呼ぶさ」
恭介も相槌を打った。
そろそろ出発の時間である。恭介は竜崎と共にタラップを登った。
「……って、そんなことがあって……」
「ふーん。それで、謝りにねぇ……」
小金井はスオウと並んでソファに腰かけ、対戦格闘ゲームに興じていた。スオウは当初こそボタンガチャで適当に動かしていたが、次第に波動拳コマンドを覚え、次に昇竜拳コマンドを覚え、今では小金井と技の駆け引きを楽しめる程度には成長している。動体視力と反射神経は小金井以上で、わずか数フレームの動作を見切ってくるのだから、素人と言えど油断はできない。
更に小金井は、スオウに悩みを打ち明けていた。自分をクラスからさらってきたような連中にする話ではないかもしれないが、胸のつっかえをひとつ、取りたかったのだ。
なんとか読み合いを制し、小金井はスオウの操るキャラクターから2ラウンド目を奪取する。これで7勝1分。まだかろうじて、オタクとしての面目は保てている。
視線を床に落とすと、ゲームソフトのほかに様々な資料が転がっている。いずれも日本語だ。おそらくパワーポイントを印刷したものだと思われる。『転移変性ゲート概略』、『屍鬼ウイルス概略』、いずれも、作成者の名前に『朱乃雅』と書かれているそれを、小金井はぼんやりと眺めた。
「まぁ、謝れば良いんじゃねーの。そういう場合は」
コントローラーをソファの上に置いて、スオウは天井を見上げた。
「みんなは生きてるの……?」
「生きてる生きてる。多分だけどな。ポーン5体も帰ってこねぇし……」
それは、小金井にとって福音である。クラスのみんなが、生きている?
しかし、その中に恭介はいるのだろうか。彼は、身体を粉々に踏みつぶされていた。バラバラになった恭介ならば直せるだろうが、粉々になった場合は治せるのか。小金井にはわからない。
だが更にスオウは、驚くべきことを口にした。
「それに謝る機会はすぐに来るさ」
「……どうして?」
「そりゃあおまえ、おまえら全員を仲間に引き込むのが、俺たちの目的だからだよ」
スオウは小金井の顔を見て、にやりと笑みを浮かべる。
「おまえらは、俺たちの仲間になるためにこっちの世界にやってきたんだ」
次回は明日の朝7時更新です(グルグル目
とりあえず小金井を誑し込んだ不良チックなイケメン吸血鬼、ナイトのスオウがついに動き出す!




