第31話 伽藍洞
「はぁー……。平和だねぇ……」
「うん、平和ねー」
アルラウネとなった花園華と、サンダーバードとなった神成鳥々羽は、のんびりと空を見上げていた。
王都の外に広がる農耕地は緑がいっぱいで、今ちょうど収穫のシーズンを迎えている。見渡す限りに畑が広がり、奥には山々が霞んで見える。景観を邪魔する電柱などは一切なく、澄んだ空気を汚す車も走っていない。こんな光景、日本ではなかなか見られないだろう。青い空を、トンビのような鳴き声をあげながら、見たこともない鳥が飛んで行った。
「平和だね……」
花園が改めて呟く。
王国で寝泊まりするようになってまだ一週間と経っていないが、ここでの生活は平和そのものだ。外敵に脅え、明日に脅え、ビクビクと過ごしていた拠点での生活は、今や遥か忘却の彼方である。周りに人間がたくさんいる、という安心感も強い。
花園と神成は、さほど恐ろしい外見をしたモンスターではない。街に繰り出すだけで悲鳴と苦情があがる剣崎や奥村とは違って、そのあたりは非常に恵まれていた。王都の外に広がる農耕地を見て、その手伝いをしたいと言い出した時、いくらかの受け入れ先となる地主が見つかったのも、その外見のおかげかもしれなかった。
「ねー、神成さん。どうする? 一週間後」
「うん、どうしようね……」
青空を見上げながら、のんびりとそんな会話をする。
昨日、第三回となる異世界クラス会議で、竜崎からクラスにある通達がなされた。すなわち、元の世界に帰るためにこの国を発つか、あるいは国の庇護を受けてのんびりと暮らすかだ。いつかは決めなければならないことであったとは言え、クラスメイト達は大いに揺れた。
この国で安全に暮らし、その有名な賢者に会って帰る目処がついたところで合流する、などという、ムシの良い話は許されないだろう。この国から賢者の住む森までの、距離の問題もある。この国に留まるということは、下手をしたら、他のみんなにはもう会えなくなるかもしれない、ということなのだ。
「あたし、帰んなくても良いかなーって……」
神成は呟いた。奇しくも花園も同じことを考えていたので、隣に座る雷鳥を見上げる。
「神成さんも?」
「うん……。美弥はね、帰ると思うんだ。でもあたし、そんな元の世界に未練ないの。だから迷ってる」
好きな人も、やりたい夢もなかった。その点、どちらも持っている猫宮美弥は、ちょっと羨ましかったかもしれない、と神成は語る。
花園にも、杉浦彩という親友がいるから、よくわかる話だ。
花園は植物を育てるのが好きだった。が、夢というほど、大層なものではない。こちらの世界に来てアルラウネとなり、育てた植物たちと言葉を交わすことができるようになった。人間に戻ったら、この能力を手放さねばならなくなると考えると、それはあまりにも寂しい。
「やっぱり、こっちに残ろうかなぁ」
花園も頷く。きっと杉浦は寂しがるだろう。でも、これからまた、何かに脅えながら暮らす日々が始まるかと思うと、それは怖い。
そろそろ作業に戻ろうか。花園はゆっくりと立ち上がった。ちょうどその時、街道を物々しい騎士の集団が駆けていくのがわかる。何かあったのだろう、と思っていると、その騎士達は、この農地を持つ地主の屋敷前で停まり、門番と何か話をし始めた。門番がすぐに引っ込み、屋敷の中に騎士達を招き入れる。
他の農夫たちが、顔を見合わせて何かを話しているところからするに、普段はなかなか無いことらしい。花園は、妙な胸騒ぎを覚えた。
「あ、花園さん。あれ」
神成がそう言って、街道から走ってくる別の人影を指す。それは意外な人物だ。
空木恭介と、姫水凛。その二人が合体した姿(命名ストリームクロス)だ。真横を火野瑛も飛んでいる。
「花園、神成!」
大きく手を振って、恭介が二人のもとまでやってきた。瑛は、生えてきた野菜を焦がさないように慎重だ。
「やっほう、華ちゃんに鳥々羽ちゃん」
凛も恭介の肩当たりから、うにょっと腕を伸ばして挨拶する。
「なんか珍しいね。3人ともどうしたの?」
「あーうん。まぁちょっとな」
「ちょっとで来るような場所じゃないと思うんだけど……」
神成もやや困惑した調子で、ちらりと他の農夫たちを見る。屋敷の方から出てきた騎士が、農夫たちに声をかけると、彼らは顔を青くして屋敷の中に駆け込んで行った。
「何かあったの?」
「あったと言えば、あった」
その様子を見て花園が尋ねると、瑛が頷いた。
「屍鬼が出たんだ」
「えっ……」
花園と神成は、思わず顔を見合わせる。
「グールって、あの、こないだの……?」
「ああ、このあいだのだ」
「え、でも、なんで……」
花園の動揺は、思いっきり声に滲んだ。平和だと思っていたのに。安全だと思っていたのに。その前提がいきなり叩き崩されたような気分である。神成も同じであるらしく、目をぱちぱちさせていた。
それに続けるようにして、恭介が口を開いた。
「俺たちがここに来たのは、それを伝える為と、2人に話したいことがあったからなんだ」
「話したいこと?」
「うん。一週間後のクラス会議のこととかさ」
ちょうど話をしていたことではある。だが、それをいきなり恭介が持ちかけてくるというのは、ちょっぴり不自然だ。花園は困惑を隠せない。
答えはもう決まっているようなものだ。この国に残留する。この国が平和で安全だと信じているし、植物と会話する能力を失いたくないからだ。屍鬼出現という寝耳に水の報告を受けて、それが揺らいでいるのは確かだが、やはり気持ちは残留に傾いたままだ。
「あ、あの……あたし達、残ろうと思ってるんだけど……」
「あーうん、やっぱそうだよなぁ……」
神成がそう言うと、恭介は少し困ったように頭を掻いた。
「ただ、もうちょっと考えてみて欲しいって思うんだ。悩みとかあるなら……」
「ウツロギくん」
恭介の言葉を、凛の緊張感ある声が遮った。
「近くまで来てる」
「ん、そうか……」
恭介と凛が振り返り、花園たちもそちらの方へと視線を向けた。
まるでゾンビ映画やゾンビゲームの中で見たような、身体の一部を腐敗させた動く屍の集団が、街道の方からこちらに近づいているのが見える。屋敷の方でもそれを確認したらしく、何人かの護りを残し、騎士達が馬を走らせ向かっていった。
屍鬼だ。
花園は、きゅっと拳を握った。平和な農耕地にはあまりにもそぐわない、おぞましい死の怪物たちだ。
まるで、自分たちの心に揺さぶりをかけに来たかのように感じてしまう。だが、きっとこの国を出発すれば、あれよりもっと恐ろしい怪物たちがウジャウジャと待ち受けているのだ。それを思えば、意識はますます固くなる。
「ウツロギくん、2人はあたしが守るよ。ウツロギくんは、火野くんと屍鬼を追っ払って」
「良いけど……。神成が飛んで逃げればいいんじゃ……」
「鳥々羽ちゃんは高所恐怖症なの!」
「あ、う、そうか。ごめん……」
謝る恭介から凛が分離し、ずるりと地面に落ちた。そんまま恭介は、瑛と頷き合い『ブレイズクロス!』という叫びでタイミングを合わせながら、ひとつの姿に合体した。全身から燃え上がる炎で農作物を焼かないよう宙へと浮かび上がり、恭介は凛を見下ろす。
「姫水、あとは頼んだ!」
「まっかせといてー」
凛が全身でブイサインを送り、屍鬼の集団に飛んでいく恭介を見送った。
「あのー、すらりん、あたし、怖いのは高いところじゃなくてカミナリなんだけど……」
神成がおずおずと口にした。
「うん、知ってるー。修学旅行の初日、灯台に登ってはしゃいでたもんね」
「じゃあ、なんで……」
「ウツロギくんじゃ説得は厳しそうって思ったからかなー」
説得。その言葉を受けて、花園は身を強張らせた。
やはり、一週間後のクラス会議についての話をするつもりなのだ。説得、というからには、こちらの考えを変えるつもりでいる。それを堂々と口にしてしまうあたりは、凛らしいと言えば、凛らしかったが。
「まぁ落ち着きたまえよキミたち。あのくらいの屍鬼なら、ウツロギくん達でじゅーぶん。ただ、一応安全確保のために、水のあるところでお話がしたいな」
たっぽんたっぽんと上下する姫水凛の姿からは、まったく表情が読み取れなかった。
農耕地の近くを流れる用水路の方へ、凛たちは移動した。少し離れた場所では、恭介と瑛が騎士たちと連携して屍鬼の集団を蹴散らしている。屍鬼の姿は、報告にあったものよりも数が多い。単なる報告の間違いなのか、あるいは、犠牲者が拡大していることを示すのか、それはわからない。
後者であるとすれば、まだここ以外にも屍鬼はいるはずだ。現在別に動いている剣崎達が無事に、見つけてくれれば良いのだが。
そんな状況で、二人を説得する。何もこんな時にと思う自分がいないでもなかったが、凛はそれを強引にねじ伏せた。凛にとって、クラスの離散と屍鬼被害の拡大は同じくらい深刻な問題である。
花園と神成は、連れてこられながらも明らかに警戒をしていた。まぁ当然だ。あれは恭介の切り出し方が悪かった。
空木恭介は優しい男だ。最近いろいろと思うところはあれど、凛もその認識を変えるつもりはない。彼のことは好きだし、何度も助けられた。だが、その恭介にこの二人の説得は難しい。だから出しゃばった。
「ねぇ、凛ちゃん、どういうつもりなの?」
花園は、いつもののんびりした口調に、いくらかの緊張感を織り交ぜて言った。
「うーん、どういうつもりだろうねぇ。いや、とぼけるつもりは、あんま無いんだけどね」
凛は用水路の中に身体を落とし、水を吸収してグングン大きくなっていく。万一、別方面から屍鬼の集団が現れた時には、文字通りこの身体を盾にしなければならない。
「あたしも神成さんも、ここに残るつもりでいるんだけど……。説得って、その話?」
「うん、そうだよ。あたしはね、自分の意見を二人に押し付けにきたの」
ここで変に取り繕うつもりはないから、凛ははっきりそう言った。
花園と神成が、顔を見合わせる。
「二人がこの国に残りたいのは、元の世界に帰る気がそんなにしないっていうのと、外より中の方が安全だから、って感じだよね?」
「この国の中もそんなに安全じゃないよ、って言いたいの?」
「あー、そういう考え方もできるねぇ」
凛は屍鬼の集団を見ながら頷いた。
「危険の大小はあっても掛け値なしに安全な場所なんてないよ、って言い方はできるね。あたしはいつも命がけのつもりだけど、まー、そーゆーことを言いたいわけじゃあ、ない」
肥大化した身体をキュッと圧縮し、凛は用水路から這い出た。
「あたし、単純に2人とバイバイしたくないんだよねぇ」
「あたしと凛ちゃん、そんなこと言うほど仲良かったっけ……」
「元の世界に戻った時、『あー、誰と誰は帰れなかったけど、戻れて良かったねぇ!』じゃなくって、『あー、みんなで戻れて良かったねぇ!』って言う方が、良いじゃん?」
これは割と凛の本音だ。そして、しっかり自覚していることではあるが、クラスカーストの上位層にいたからこそ考える、身勝手な意見であるとも言える。人間時代、高い位置からクラスを俯瞰していた凛は、自分たちのクラスはすごく良いクラスだと思っていた。多少絡みづらい生徒はいても、特に問題は起こっていないし、みんなが楽しくやっていけているクラスだと思っていた。
一度底辺まで落ちてみると、結局上澄みしかモノを見れていなかったのだとわかる。クラスの中心と外縁では、温度差が違うものだ。だがそれでも凛は2年4組が好きだったから、クラス全員で戻りたいと思っていた。個々の事情など考慮しない、独善的なものの考えだ。きっと竜崎だって本音は同じはずである。
「それに、仲が良くないから、こんな勝手なことが言えるんだよ。みゃーちゃんや彩ちゃんだと、二人の気持ちを考えて遠慮しちゃうからね」
それぞれにとっての親友の名前を出すと、二人はびくりと震えるのがわかる。
凛は風呂でしっかり聞いてきた。猫宮美弥と、杉浦彩の言葉をだ。
猫宮は神成と一緒に帰りたいと思っている。神成は自分に自信がなく臆病だが、本質的には舞台の上で鮮烈に、稲妻のように輝ける才能を持っている。一度でいいから、彼女を舞台に立たせてみたい。ただ、神成自身がこちらの世界に残りたいと言うのなら、それを引き留める権利は自分にはない。
杉浦は花園と一緒に帰りたいと思っている。花園が人間時代に園芸部で育てていた花壇の話をするたびに、元の世界に戻ったら見てみたいと思っていた。できることなら、彼女と一緒にだ。ただ、花園自身がこちらの世界に残りたいと言うのなら、それを引き留める権利は自分にはない。
親友だから言えないことを、親友ではない自分が代弁する。言葉を溶かし、消化し、抽出して、自分の言葉にして語る。
「……それって、あたし達をその気にさせるために適当なこと言ってない?」
神成が警戒心も露わに、鋭いところを突いてくる。だが凛は怯まなかった。
「言ってる言ってる。その気にさせたいからね。あたし、今の姿はこんなだし。語る言葉も都合よく変わるよ。グネグネとね。水みたいに、器に合わせて形を変えるよ」
言いながら、圧縮した密度をほどき、全身を大きく広げていく。薄く延ばし、円状になり、波打たせ、そしてまた一か所にまとまって、圧縮する。神成と花園は驚いたように、変幻自在な動きを見せる凛を視線で追っていた。
「でも、水はどんなに形を変えても分子式はH2Oだから。形は変わっても、一番大事なところは変わらないよ」
「一番大事なところって、どこ?」
「それは言葉にすると変わってしまうから、言わない。超純水と同じでね。どんなに不純物のないまじりっ気なしの水を作っても、大気に触れた途端、結局何かが混ざっちゃうんだよね」
水のようにとらえどころのない言葉の中から、余計な不純物を取り除き、一番大事なところを見つけるのは神成と花園本人たちだ。
見つけてもらえると良いな、と凛は思っていた。
親友と別れることになったら、猫宮も杉浦もきっと落ち込む。クラスメイトが落ち込むのは、見ていて辛い。猫宮のテンションが下がれば戦闘や士気に影響が出るだろうし。杉浦のテンションが下がればご飯が不味くなる。それだって困るのだ。
まぁ、でも、大丈夫でしょう。これ以上何かが必要だとすれば、それは今度こそ二人の親友の出番だ。
「さぁって、ウツロギくん達はどうかなぁー……」
凛が見上げると、恭介たちはちょうど、残されたわずかな屍鬼たちに、最後のトドメをささんとしているところだった。
「「せいやァァァ―――――ッ!」」
はぐれた一体の屍鬼を追い立て、炎を纏った恭介のパンチがどてっぱらをぶち抜く。紅井の血によって強度が上昇した恭介の身体は、瑛との合体でもある程度の物理戦闘に耐えうるようになっていた。無論、パワーはでないので、スピードを乗せ、その上で熱で焼き切るくらいしかやり方がない。
それでも、農作物に被害を出さないため、『プロミネンスボール』のような飛び道具を使えない現状では、ありがたい能力強化であった。
残る屍鬼は3体。うち1体は、騎士たちが追い立てている。恭介と瑛が倒すべきは、2体。
「ブレイズクラッシュだ。恭介!」
瑛が叫んだ。
「なんだっけそれ!」
「プロミネンスドロップだよ! 足開いてキックする奴!」
「あー、あれか」
恭介は街道の床を蹴り、ジャンプする。瑛が全身の炎を噴かせ、恭介の身体を宙へと押し上げた。残る2体はちょうど1ヵ所に固まっている。これで一気にトドメを刺せる。
瑛が脚の骨の形を組み替える。脛が跳ねあがるように開き、まるで足の構造が猛禽の爪と化したようにタテに開く。
「ブレイズッ!」
恭介が両手を広げて叫ぶと、瑛が背中の炎をいっそう燃え上がらせ、地上に向けて一気に加速させた。
「「クラァァァ――――ッシュ!!」」
爪状に開かれた炎が、2体の屍鬼の身体を上下に挟み込み、食い破り、引き裂くように焦がしていく。骨を槍のように突き立て、そのまま一気に蹴りぬいた。
着地の直前、瑛が急いで脚の骨を元通りに組みなおす。街道の上に土煙を巻き上げながら、恭介たちは着地した。時を同じくして、騎士たちがちょうど最後の1体を仕留める。これで、この場の屍鬼たちは全滅だ。
恭介はほっと胸をなでおろす。
「ご協力感謝します!」
騎士のリーダーらしき男が、敬礼と共に言った。
「姫殿下からお話は聞いておりましたが、さすがですね」
「ああいえ、まぁ、俺だけの力じゃないんで……」
恭介は照れくさくなって頭を掻く。
騎士たちは、そのまま他の屍鬼を探索するため、頭を下げて去っていった。
「さすがに屍鬼程度ではもう止まらないな」
瑛が感心したように言う。
「あぁ、まぁな……」
落ち着いたところで、街道に転がる屍鬼の骸を眺める。瑛の炎によって、芯まで完全に炭化していた。
一息をつくと、考えることがたくさん沸き起こってくる。屍鬼の出自のこと。紅井のこと。それらと紅き月の血族との関連性。そして、紅井自身が口にした、恭介の抱えているという『問題』。恭介は、丁寧に焼け焦げた屍鬼から視線をずらさず、瑛に尋ねた。
「瑛、俺って問題を抱えているように見えるか?」
「ん?」
「他のクラスメイトにそんなことを言われた」
恭介がそんなことを言うと、瑛は恭介の身体から分離してふわりと浮かび上がる。
「……さぁ。僕の口からは何とも言えないな」
彼にしては珍しい、ちょっと突き放すような言い方だ。恭介は肩をすくめた。
「僕は恭介とは付き合いが深いから、客観的に見て問題を抱えているように見えるか、という問いには答えられないな」
「それって、結局問題を抱えてるってこと?」
「君はどう思うんだ?」
「俺は、あんま自覚ないけどな」
それに、もし恭介が本当に何か問題を抱えていたとしても、瑛はそれを今までおくびに出したりしたことは、一度もない。自分の持っている問題を瑛がずっと黙っているというのも、妙な話だ。恭介に対し、瑛はそれ以上何かを言ったりはしなかった。
ふと、恭介は以前2年4組を去ったゴウバヤシのことを思い出した。ゴウバヤシは、自分の内面に住まう“鬼”を反映したのが今の姿であるとし、それと向き合うために修行の旅に出た。そうしたものもまた“問題”であるとすれば、今の姿は向き合うべき問題を反映した姿であるとも言える。
自分の問題。スケルトンの抱える問題。それは一体、なんだろうか。
悶々と考えていたあたりで、凛が花園や神成を連れて戻ってくる。そう、彼女たちの説得もあった。こちらの方が重労働になるな、と思っていたのだが、先頭を這ってくる凛の態度はどこか妙に誇らしげだ。
後ろを歩く花園や神成の表情も、ちょっと変わったように見える。
「うっつろっぎくーん!」
「うおっ……」
凛はぼよんと飛び跳ねて恭介にダイブしてきた。そのまま思わず合体してしまう。
「ウツロギくん、ひとまず使命は果たしたよ。帰ろう!」
「使命は果たしたって……あの、二人と?」
「うんうん。話した話した。まだ結論は出てないけど、ねー! 華ちゃん、鳥々羽ちゃん」
凛の声がかかると、花園は少し照れくさそうに頬を掻いていた。神成は神成で、その大きな身体を縮こませている。
「まぁ、ちょっと考えてみるよぉ……」
花園らしいのんびりした口調で、苦笑いを浮かべる。
「問題が解決した、ってわけじゃないけど。まー、逃げてちゃいけないしねぇ」
「うん。あたしも、みゃーと向き合ってみて、それから決める」
「そうそう、問題なんて、一人で悩んで解決するわけじゃないしねー」
あっけらかんとした凛の声。恭介の心を見透かしたわけではないと思いたいが、『問題』というキーワードは、恭介の身体にやけに重くのしかかる。一方で、あの短い間で、この二人に『問題』と向かわせるだけの考えの変化を起こさせた凛のことを、素直に称賛する気持ちも湧き上がる。
「大したもんだなぁ、姫水」
「えー、いや。別にそんな変わったことはしてないよぉ」
自然と王都へと戻る流れになった。ひとまず花園と神成が世話になった旨を伝える為、一同は大地主の屋敷へと向かう。花園と神成が言葉を交わし合う様子に、緊張感はない。どことなくすっきりした表情を浮かべてもいた。
「でも、俺が言った2、3言は、まったく効果なかったぞ」
「ん、まぁね……。だって、ウツロギくんの言葉は……」
ぴたりと足を止める。
「……俺の言葉は?」
「いやいや、なんでもないなんでもない。それよりウツロギくん、あたしお腹減ったよぉー」
「もう財布の中はほとんど残ってないぞ。屋敷で野菜をもらって帰るしかないな……」
花園たちに続いて、恭介と凛が歩いていく。その後ろでは、瑛が親しげに言葉を交わす二人の様子を、じっと眺めていた。
凛はその晩、瑛から呼び出しを受けた。珍しいこともあるものだ、と思い、女子の共同部屋を抜け出す。灯りが落ちてすっかり暗くなった来賓用サロンには、ぼうっと浮かびあがる火の玉が待っていた。どんな暗い状況でも、すぐに見つけられるというのは意外と便利な身体なのかもしれない。
「やっほう、火野くん」
「ああ、姫水。どうだった。花園たちは」
「あー、うん。彩ちゃんやみゃーちゃんと、真剣に話し合ってた」
杉浦は花園と、猫宮は神成と一緒に帰りたいと、本気で考えている。その気持ちをぶつけろ、とまでは言わないが、それでもキチンと共有して話し合った方が良い。猫宮は、いつものような気取った調子で『まったく、キミは余計なことをするなぁ』と言ってきたが、言葉の中には、どこか安堵したような色が滲んでいた。なんだかんだ言って、正直なところを伝えられずに別れてしまうのが、嫌だったのだろう。
こちらの世界で暮らしたいなら、それでも良い。でもできることなら、最後のギリギリの別れの時まで一緒にいたい。もちろん、一緒に帰れるのが一番良い。そんな二人の言葉を、花園も神成も真面目に聞いていた。
「まー、あれはもう心配ないと思うよ。用事はそれだけ?」
「いや、恭介のことだ」
暗闇に浮かび上がる瑛の身体が、不思議な燃え上がり方をしたので、凛は思わずビビる。
「ひいっ! すいません正妻様! あたしばっかりウツロギくんと親しくして!」
「そうじゃない。どっちかというと真面目な話だ」
「あたし的にはこれも結構真面目な話なんだけど……」
正妻に嫌われてしまっては、側室は生きていけない。恭介の傍から追い出されるのはゴメンなのだ。
だが、次に瑛から発せられた言葉は、別の意味で凛を強張らせた。
「姫水、今日、君は恭介になんて言おうとした?」
「えっ……」
「『ウツロギくんの言葉は……』の後だ。恭介の言葉が、なんだって言いたかったんだ?」
「え、えーと、それはですねぇ……」
凛に目玉があれば、思わず宙を泳がせていたことだろう。それはとても、正妻様に直接言えるようなことではない。今まで何度か恭介に伝えようとして、言いよどんだ言葉の数々は、いずれも彼の優しい心に傷を与えかねないものだったからだ。まして、それを大親友である瑛の前で告げるなど、自殺行為のようなものである。
だが更に意外なことには、瑛は続きを口にしたのだ。
「『中身がない』」
「うっ」
「あるいは『軽い』かな。そんなことを言おうとしていたんじゃないか」
まさかの図星である。
そう、なんというか、恭介の言葉は、軽いのだ。
何を隠そう姫水凛が、その軽い言葉に救われたのは確かである。迷っていた凛に、明るく道を照らしだしてくれたのは、恭介のその『中身がない』『軽い』言葉だったのだ。だから凛は、その恭介に少なからぬ好意を抱いている。
ただ、打てば響くような、当たり障りのないレスポンス。凛は恭介の言葉に、そんなものを感じ始めていた。それは凛には効いたが、今回の花園や神成のように、既に答えの出かかっていた者の心を逆方向に向けるだけの力は、持たない。
『それで良い』『良いじゃないか』『良いと思う』。恭介の吐く言葉は、だいたいこんな感じだ。
否定意見を述べるときでさえ、そこに主体性はない。
「良いんだ。僕だってずっと感じていたことだから」
瑛は、どこか穏やかな、しかし無力感を感じさせる声で言った。
「ただ、僕は気づくのに10年かかった。そこを1ヶ月ちょっとで気づくなんて、姫水。君は大したものだ」
「えぇ、いやぁ……」
「謙遜することはないよ。僕は嬉しいんだ。あいつをちゃんと見てくれる奴がいて。姫水になら、恭介一級の資格を与えても良い」
「なにその気持ち悪い資格」
「すまない、冗談だ。場を和ませたかったんだ」
瑛はこほん、と咳払いをする。
「もう気づいてるんだろう、姫水。恭介には、欲望や主体性というものがない」
それは、少し前から、違和感として感じ始めていたことだ。
最初におかしいと思ったのは、第2回異世界クラス会議の時。あの時恭介は、凛に答えを求め、そしてそれに従った。まるでそれが自分の意見であるかのように口にしていたから、たまたま意見が重なっただけなのかなと思っていたが、そうではなかった。
きっと恭介は、今までもずっと、そうやって他人に意見を求め、それが自分の意見であるかのようにすり替えて生きてきたのだ。だから、どうしても語る言葉には主体性がない。中身がない。真実がない。だから、軽い。
凛とは似ているようで、真逆だ。
凛はグネグネと自分の意見を違えることはあるが、その中央にある本質は決してブレないし、違えない。
「それじゃあ、ウツロギくん、空っぽだよ……」
凛の呟きに、瑛は頷いた。
「ああ、恭介は空っぽなんだ。スケルトンに転生したのもよくわかる」
「火野くんは、そんなウツロギくんとずっと付き合ってきたんだよね?」
「付き合ってきた。だが、今の恭介を思うと、それが正しい付き合い方だったかどうかはわからない」
それは、瑛が恭介の問題に気付いてから今に至るまで、恭介が何ひとつとして変わっていないことを示している。
瑛は、恭介が主体性を獲得できるよう、今まで色んなことを試して来たという。だいたいつるんでいる時、彼にはやりたいことをやらせようとした。子供の時からずっとそうだ。本を読ませたりゲームをやらせたり。恭介は、一応それには熱中した。だが、それだけだった。
本は面白いし、ゲームは楽しい。だから今でも児童書ばかり借りて読んでいるし、瑛が家から引っ張り出して貸してやったレトロゲームを、延々と続けている。しかしそこから新しい趣味を獲得しようとはしなかった。
凛は、ふと思って尋ねる。
「そういえば、あの、ウツロギくんの御両親は?」
「亡くなったよ。火事でね」
「そっか……」
なんとなく、予想が当たってしまった。苦い気持ちになる。
「僕は、このウィスプの身体に転生した時、嫌だなと思った。両親が死んだ火事には、恭介も巻き込まれてたんだ。あいつにとって火は幸せな家庭を奪った象徴のはずなのに、僕のことは拒まなかったし、僕と合体することにも躊躇しなかった。ましてや、」
そこから先の言葉を、瑛は口にしなかった。凛は、心なしか炎の強さを弱めた彼に、こう告げる。
「このままで良いはず、ないよね」
「ああ、だが……」
「良いはずないよ。あたし、ウツロギくんのこと好きだけど、このまま空っぽで自分を持ってなくて、そんなウツロギくんをずっと見続けるなんて、嫌だ」
「そうだね、あれを見続けるのは辛いことだ」
瑛は辛うじて頷いた。
「ありがとう、姫水。君に話して良かったよ」
「あたしも。ウツロギくんの大事な話が聞けてよかった。ありがと、火野くん」
「恭介も幸せだ。君のような友人を持てて」
「ゆ、友人かぁ……!」
凛は、がっくりと肩を落とすような感覚で、床にべたぁっと広がった。
友人、友人か。仕方がないのか。結構、露骨なアピールをしているつもりなのだが。でもまぁそれで良い。今の状態で恭介のそーゆー存在になりたいと思っても、『そうか、じゃあそうしよう』なんて言われるに違いないのだ。中身のない、軽い言葉で。
いや、さっちゃんのカラダから目をそらしたりするくらいだから、多少の動揺は誘える、のか?
「まぁ良いでしょう。恭介一級資格保持者として頑張ります。正妻様」
「一応言っておくけど姫水」
瑛は、少し困惑した様子で言った。
「お? なになに」
「僕が恭介に抱いているのは別に恋愛感情などではない」
「うそぉ」
次回更新は明日朝7時です。
クラスの意見がいよいよまとまり、王都を発つ約束の期限が迫りつつあります。一方で、紅き月の血族たちにも新たな動きが。お楽しみに!