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第29話 異世界クラス会議(第3回)

「ポーン達が帰って来ない。これで5体だ」


 うち捨てられた古城の中で、女はそう呟いた。破れたソファに腰かけた男が、ふんと鼻を鳴らす。


「ポーンなんていくらでも補充が効くじゃねぇか。タマはまだ残ってんだろ?」

「ゲートを開くのもタダではない。それに、私が懸念しているのはもっと別の問題だ」


 この古城は、人間勢力への襲撃拠点として確保した場所のひとつだ。この世界における人間の活動圏というのは、そう広いものではない。少なくとも、彼らが今いる大陸においては、そうだ。

 かつてより様々な外敵に襲撃を受け、狭く縮こまざるを得なかったのだろう。その過程で、他国から見放され、滅んだ国も多かったに違いない。彼らが根城としているこの城も、200年以上前に滅んだ国のものである。


 男は退屈そうに天井を見上げ、言った。


「クイーンか。なんで反応がねぇんだろうな」

「あれほど王に従順だった彼女が、翻意を抱くとは考えにくいが」

「せっかく戦力になりそうな連中が揃ってるのになぁ」


 女は顎に手をあて、思索にふけるようにして広間を歩き回る。


「良いかスオウ。それぞれ2体しかいないナイトとビショップを、わざわざこの城に1体ずつ置いている。王の意図はわかるだろう」

「あー、はいはい。ゾッコンって奴だろ。わかってるよ。早くクイーンに会いたいんだよな」


 持って回った言い方をする女に、男は手をパタパタと振った。女は眉間にしわを寄せる。


「何故貴様のような男がナイトなのだ……」

「そんなことよりさぁ、アケノ。あいつは? カタコンベから拾って来たハイエルフ」

「フェイズ2までの進行を確認している。戦闘能力は申し分ないが、意識面については教育が必要だ」

「物騒だねぇ。のんびりやろうぜ。北風と太陽の話は知ってるだろ?」

「アンデルセンだったか」

「イソップだよ。おまえ結構バカだな」


 軽口を叩かれた女が黒いエネルギー体を発射し、男はソファに寝そべったまま、それを片手ではじいた。はじかれたエネルギー体は天井に大穴を穿ち、そのまま暗雲立ち込める空へと消えていく。男はパラパラと落ちてくる埃を眺め、『あーあ』と呟いた。


「まーた雨漏りする箇所が増える」

「誰のせいだと……」

「堪え性のないビショップさんのせいだろ。アケノ」


 男はソファから立ち上がると、大きく伸びをしてみせる。


「あー、ゲームしてぇ……。なーアケノ、次にポーンを招聘するときは、テレビとプレステ持って来させようぜ」

「電源がないだろうが」

「世知辛ぇ。これだから異世界は嫌だよ」


 暗雲が立ち込める空からは、もうすぐ雨が降ってきそうであった。





 3回目の異世界クラス会議は、王宮の一室を借り切って行われた。2年4組のメンバーのうち、小金井、ゴウバヤシ、そしてカオルコを除いた37名が全員そろっている。荒野で行われた第1回、迷宮の食堂で行われた第2回に比べ、ずいぶん机や椅子も上等になった。もっとも、その椅子に座れない生徒というのも、結構な数でいたりするのだが。


 檀上には委員長の竜崎。そして書記役の佐久間が立っている。

 このクラスの書記はもともとゴウバヤシだった。彼がいなくなり、竜崎がまた委員長としてクラスをまとめ上げるようになってからは、その場所には佐久間がいることが多くなった。

 元々引っ込み思案だった佐久間も、いくらかの事件を経てたくましく成長し、戦闘においてリーダーシップをとる局面も増えてきた。発言力の高さを考えれば、彼女が竜崎と同じ立場にいるという状況が持つ意味合いは非常に大きい。


 クラスの隅っこで爪を弄っている紅井明日香に意見できる、貴重な存在でもあるのだ。


「さて、俺がこの国の女王陛下から聞いた話は以上だ」


 檀上で、竜崎が資料を眺めながら言う。


「俺たちはクラスとして、これからの方針を改めて決めなきゃならない。みんなの意見を聞きたい」


 クラスの中に、ざわめきがはしる。


 話自体は、しごく単純な話だ。元の世界に戻るためマスター・マジナを尋ねるか、あるいはこの国にずっととどまり続けるか。


「姫水は、国を発つ方に賛成なんだっけ」

「うん。そりゃあね。ウツロギくんは?」

「まぁ、俺もそうかな……。瑛はどうだ」

「僕はこの国でのんびり暮らすのも良いかなとは思うけどね。ただ、わからないものがわからないままというのは、気持ち悪いな」


 恭介たちがそうしているように、クラスメイト達も親しい友人と言葉をかわしている。自分一人で決められることでは、ないだろう。その中で、最初から揺るがぬ決意を抱いているであろう剣崎デュラハンや、五分河原ゴブリン奥村オークなどは、微動だにしていない。

 犬神は机に突っ伏して寝ていたし、紅井も退屈そうに爪を磨いていた。ただ、その紅井の両隣では、取り巻きである春井ハーピィ蛇塚ラミアが真剣な顔で語り合っている。寝ていると言えば原尾ファラオも同じだ。彼は棺桶の中から一向に出てこない。


「先に言っておく。俺は元の世界に帰る手段を探すために、積極的に動くつもりだ」

「委員長、その、戦争が終結するのを待ってからってんじゃ、ダメなのか?」


 竜崎の言葉に挙手をして問いかけたのは、ギルマンの魚住鮭一朗だ。


「うん。俺もそれが一番安全だとは思うんだけど、魔導省に問い合わせてみたら、俺たちがこっちに飛ばされた時期と連動して、時空境界面? っていうのが、不安定になってるらしいんだ」

「なんだそりゃ」

「世界と世界を隔てる、壁みたいなもののことじゃないかな」


 最近は魚住とすっかり仲の良くなった(そして時折獲物を見るような視線を送るようになった)ケット・シーの猫宮美弥が、ご自慢のヒゲを撫でている。


「ここ20年近くは安定していたものが不安定になって、世界と世界の間の移動が起こりやすくなっている。だから、帰ろうと思ったら早い方が良いらしいんだよ」

「ぐずぐずしてると、それがまた安定しちゃうってことか?」

「まぁ、そう」


 竜崎は肩をすくめた。


 赤い翼の悪魔、いや、紅き月の血族レッドムーン達は、恭介たちの異世界トリップに関して明らかに何かを知っているし、おそらく何かしらの形で関与している。

 その時空境界面とやらが、彼らの活動の影響で不安定になっていたり、あるいは逆に、時空境界面が不安定になった時期を見計らって彼らが活動を開始したのかはわからないが、彼らとの戦いがのんびり終わるのを待っていたら、境界が安定して世界間移動が困難になる可能性は、十分にある。


「まぁ、そのマスター・マジナって人は凄い賢者らしいから、多少境界が安定したところでも、俺たちを元の世界に帰したりはできる、かもしれない、そうだ。ただ、やっぱり俺は自分から動いていきたい。みんなに強制はしないけどな」


 クラスの中のざわめきが大きくなる。


 竜崎が語る2択は、次第にこういう意味合いを帯びてくる。

 確実に元の世界に帰るため自分たちから危険な世界に飛び込んでいくか、あるいは、帰れない可能性を受け入れてこの世界で安全に過ごすか。

 ともすればこれは、今後の人生をも大きく左右しかねない、重要な決断だ。


「ちなみに、今の段階で答えが決まっている生徒は、どれくらいいる?」


 その問いに、真っ先に手をあげたのは凛だ。続いて恭介も手をあげ、それに瑛も倣う。

 他の席では剣崎、それから書記の席に座っている佐久間だ。蛇塚や春井も手をあげている。これらの生徒は、みなマスター・マジナの下へ向かうことに賛成している生徒だろう。少し遅れて、五分河原と奥村も手を挙げる。


「よく考えりゃあ、俺、しばらく重巡でゴブリンどもの面倒見なきゃならないんだった」

「おいらもゼクウに付き合わなきゃならないデブ」


 二人の意見は、竜崎の方針に対する消極的な同調、ということで良いのだろうか。

 だが、他の生徒は、少しばかり手をあげかねているように見える。


「まぁ、すぐに決めろとは言わない。後日もう一回、会議をしようと思うんだ。ただ、俺からみんなに与えられる猶予は一週間。勝手だけど、これ以上かかるようだったら、この国で暮らしてもらった方が良い」


 竜崎の言葉は、いつになく厳しい物だった。だが、それも当然だろう。期限を設けずダラダラと引き延ばすことになったら、いつまで経ってもこの国を出ることはできない。元の世界に帰ることなど、できないのだ。


「ねーねー、ウツロギくん」


 恭介の腸骨のあたりを、凛がつんつんとつつく。


「ウツロギくんは、帰るんで良いんだよね?」

「そうだよ。さっき、手を挙げただろ?」

「それってさ、あたしが帰るって言ったから?」

「え?」


 その質問はまったく想定していなかったので、思わず聞き返してしまった。


「だってさ、前のクラス会議の時も……」

「姫水」


 凛の言葉を遮ったのは瑛である。いつになく感情を滲ませない声に、凛は思わず飛び跳ねた。


「ひゃあっ! すいません正妻様! 三角コーナーごときが調子にのりましたぁ!」

「いや、僕は特に怒っていないんだが……」


 少し困惑気味に呟く瑛に対し、凛はべたあっと薄く引き伸ばされたパン生地のようになった。


 前のクラス会議の時も、どうだったのだろう。恭介は首を傾げる。

 まぁ、ひとまず帰る。その方針に異論はない。危険が伴うことになるのは確かだろうが、それでも凛や瑛、竜崎などと力を合わせれば、決して打破できないようなことではない、と恭介は思っている。もちろん、ついて来てくれる生徒が多いに越したことはない。


「むー……」

「どうした? 姫水」

「いやー、うーん……。別になんでもないー……」


 凛の声は拗ねたようでもあり、悩んでいるようでもある。

 付き合いは短いが、本人が『なんでもない』と言った時は、追及しても口を割らない。その程度のことはわかりはじめている。なので、恭介は特に問いただしたりせず、視線を前へと戻した。


「腹が減ってるなら、あとで大衆食堂ビストロに行くか?」

「えっ!? 良いの!? いやぁ、それとはちょっと違うんだけど、そろそろお小遣いが少なくってさぁ……」

「姫水はかっこいい石ころを買いすぎなんだよ」

「だってかっこよかったから、つい……」


 結局のところ、第三回目の異世界クラス会議はそれからしばらく続いたが、ほとんどのクラスメイトが頭を悩ませるだけで終わった。そのまま大衆食堂のご飯を奢ってもらえることになった凛が、恭介と共にウキウキ気分で会議室を後にするのを、瑛はしばらくじっと眺めていた。





「ウツロギ!」


 凛と恭介が王宮の通路を歩いていると、竜崎が後ろから声をかけてくる。


 2年4組のクラスメイト達が、王都を訪れて3日目。王宮で寝泊まりさせてもらっているが、出入りする貴族たちは、相変わらず目を白黒させながらこちらを見守っている。帝国周りが徐々にキナ臭くなる中で、モンスター達を王宮に留めておくことには、かなりの反発があるらしい。

 それでも竜崎は、女王陛下に交渉し、なんとか1週間はここにいられるよう約束を取り付けたのだ。


「お、やっほう。竜崎くん!」

「凛も一緒か。これから食事か?」

「うん! 二人で大衆食堂行くんだ!」

「……もう少し遅くに行かないと、営業妨害にならないか?」


 王都の大衆食堂はいくつかあるが、モンスター生徒の受け入れをしてくれる店舗は限られている。恭介たちが向かうのはその中のひとつだが、当然、一般市民の客も多く入るのだから、彼らを無駄に怖がらせたりしないよう、なるべく営業時間ギリギリの時間に向かうよう言付けを受けていた。


「まぁ、良いや。ウツロギ、それに凛も聞いてくれ。ひとつ頼みがあるんだ」

「頼みか。なんだろう」


 委員長という重責を背負う立場にある竜崎だが、ここ最近は何かと恭介を頼ってくれている。自分があのゴウバヤシの代わりになっているとは思わないが、恭介としては結構良い気分だ。


「実は1週間後のクラス会議のことなんだけど」

「ああ、4回目な。あそこで、決を採るんだろ。何人ついてくるんだろうな」

「俺の見立てだと、30人近くはついてくるよ」


 竜崎はあっさりと言う。凛は驚いたように身体を跳ねさせた。


「そんなに!? そんなに集まる!?」

「みんな、結構帰りたがっている。今は安全と天秤にかけて迷っている状態だ。でも、『帰れるかも』という希望を得られたところに『もしかしたらここで一生過ごすかもしれない』という選択肢を選ぶ生徒は、多分あんまりいない」


 クラスメイトを観察することにかけては人後に落ちない竜崎だ。その言葉には説得力がある。


「で、竜崎の頼みっていうのはなんだ?」

「ああ、それなんだけど……」


 竜崎は周囲に視線を巡らせて、恭介に耳打ちするようにそっと告げた。凛も身体を伸ばして聞き耳を立てる。


「俺は37人全員、連れて行きたい」


 これには、さすがの恭介も目を丸く―――は、できなかったが、少なくともそれに比肩するレベルの驚きを覚えた。


「本気で言ってるのか?」

「あのクラス会議の場では立場上ああ言ったけど、俺はここでクラスがバラバラの決断を取るべきじゃないと思うんだ」


 どちらか片方、全員が一丸となった結論を出すべきだと、竜崎は語るのである。ここで、各々の意見を尊重し、クラスがバラバラになることに、メリットはない。

 何人かのクラスメイトと別れることになれば、それは結果として『いつか他のクラスメイトとも意見が割れるかもしれない』という無意識に繋がる。クラス内のちょっとした不和や仲違い。その際、いつ誰が、またクラスを抜けようとするかわからないのだ。


 既に今、ゴウバヤシがクラスを離れている。そうした空気になる可能性は十分にあった。


「ゴウバヤシがいなくなってわかったんだけど、仲の良いクラスメイトと別れるって、結構堪えるんだ。ウツロギはどうだ?」

「いや、俺も……わかるよ」


 既に仲良くはなっていなかった少年の顔を思い出し、しかし恭介は頷く。


「例えば杉浦と花園だよ。あの二人、結構仲良いだろ?」

「あー、うん。そうだね。元から良かったけど、こっち来てからもっと良くなった感じあるかも」


 竜崎の言葉に凛が同意した。

 コックの杉浦スキュラと、家庭菜園で食材を育てている花園アルラウネだ。拠点上の役割上言葉をかわす機会も多く、先ほどのクラス会議の場でも隣同士に座っていた。


「でも多分、杉浦は俺たちについて来ようとしてるし、花園は留まろうとしている。ここで別れたら、一生の別れになるかもしれない。その準備をするのに、さすがに1週間は短すぎるよ」

「留まるなら全員留まるべきだし、行くなら全員行くべきだって、そういう話か?」

「そう。で、これは俺のワガママだけど、俺はこの国でのんびりはしたくない」


 ゴウバヤシのことだろうな。恭介は思う。竜崎の親友であるオウガの豪林元宗ごうばやし・げんしゅうが、少し前に南へ向かったという情報が、恭介たちにはもたらされているのだ。当然、迎えに行きたいという気持ちがあるのだろう。

 おおよそ、竜崎の言いたいことはわかった。


 つまり、恭介と凛に、根回しをしろと言っているのだ。

 この国に留まりたいと考えている生徒を、一週間以内になんとか説得する。

 コミュ力の低い恭介だけなら自信はなかったが、凛と一緒ならば可能かもしれない。


 竜崎は、少し自虐的な笑みを浮かべていた。


「勝手な委員長だろ」

「いや、ちょっとくらい勝手な方が良いさ。人間らしい」

「そうかな。そういうウツロギはどうなんだ?」

「え?」


 尋ねられて、恭介は思わず顔をあげる。


「ウツロギだって、貫き通したい勝手とか我儘とか、あるんじゃないか?」


 言われて、考え込む。他人の意志を捻じ曲げてまで、貫き通したい勝手や我儘か。言われてみれば、パッと思いつくようなものはない。一刻もはやく小金井を助けたいという気持ちはあるので、強いて言うならそれだろうか。

 だが、そのために他人の意識まで捻じ曲げようとは、想わない。


「……特にないな」

「そうか。変わってるなぁ。ウツロギは」

「竜崎ほどじゃないと思うんだけどな」

「いやぁ、あたしもウツロギくんの方が変わってると思うなぁ……」


 さっきのような、やや拗ねたような口調で凛が言った。恭介は頭を掻く。


「そうかなぁ」

「なんかさぁ、ウツロギくんって……」

「ん?」

「やー。うん。なんでもないや」


 結局、凛はそのまま言い淀み、黙り込んでしまった。


「とりあえず竜崎、おまえの頼みはわかった。良いよな? 姫水」

「うん。竜崎くんの言うことはわかるし、あたしもできれば、全員で旅立ちたいしね」

「ああ、ありがとう。引き留めて悪かったな」


 竜崎はそう言って笑うと、一枚の紙を渡してくれた。見たところ、おそらく竜崎が考える『残ろうと思っている生徒』のリストなのだろう。7、8人程度はいるはずだが、そこに書かれているのはその半分程度だ。もう半分は竜崎が根回しをするということなのだろう。

 竜崎は簡単な説明をしてから、恭介たちに別れを告げて廊下を去っていく。

 恭介と凛も手を振ってそれを見送ってから、そのまま王宮の中庭に出ることにした。


 これから食べるご飯について楽しげに会話をかわす二人を、竜崎は少し離れた場所から、心配そうに眺めていた。





 恭介と凛が王宮に戻る頃、日はとっぷりと暮れていた。


 大衆食堂の料理はたいそう美味かった。この国に地球人が多いのはどうやら本当らしく、恭介たちの世界に寄せた料理もいくらかあったが、一番美味しかったのはパテのような鶏肉のペースト状の料理だ。凛がたくさん頼むものだから、恭介の小遣いもすっかり減ってしまった。

 ちなみに外食する際、恭介と凛は合体しながら食べるという方法を思いついた。恭介の喉元を通った料理を、すべて凛がキャッチして消化すると言う方法だ。これなら一人分で二人ともしっかり食べられる。何故最初からそれをやらなかったというレベルではあるが。


「じゃあ、ウツロギくん。おやすみー」

「ああ、おやすみ」


 恭介は、凛に手を振って男子の共同部屋へ戻る。少し、歩かねばならなかった。

 明日は凛とともに根回しに奔走しなければならない。紙をどこにしまっておくか散々悩んだ結果、くるくると筒状にして眼窩に突っ込んでおくことにした。普通は脳を入れておくだけあって、頭蓋骨はなかなか良い保管場所だ。


「ウツロギ、」


 不意に呼び止められて、恭介は振り向いた。今日はよく名前を呼ばれる日だ。

 だが、そこに立っていたのは意外な人物である。


「紅井……」


 窓ガラスから差し込む、柔らかい月光を身に浴びて、紅井明日香が立っていた。いつも退屈そうな双眸には、いつもと違う色が滲んでいる。爪を弄ってすらいなかった。モデルじみた長身は相変わらずで、壁に背を預け、身を抱え込むようにして腕を組む姿は、まるで一枚の絵画のようである。


「珍しいな。俺に何か用か?」

「用ってほどじゃないんだけど……」


 紅井は壁から身体を放し、組んだ腕をほどいて恭介の方に歩いてくる。


「一応、あたしの血について話しておこうと思って」

「あ、ああ。あれか……。おかげでかなり助かってるよ。ありがとう」


 吸血鬼である紅井の血は、粉々に踏み砕かれた恭介の身体を蘇生した。

 それ以降、空木恭介の持つスケルトンの身体は、以前よりはるかに頑健になっている。骨が外れやすいのはあいかわらずだが、その骨自体が非常に硬くなったのだ。深海圧並と思われた、圧縮状態の凛にも耐えられたのだから相当と言える。


「うん。まぁ、その辺は初歩的な効果なんだけど」


 紅井は、恭介の肋骨の隙間に軽く指を突っ込むと、そのままくるくると円を描くように回した。

 恭介の骨全体に染み込んでいた紅井の血が、彼女の指先に集まり、ひとつの形を作っていく。


「………!?」


 肋骨の間で一か所にまとめられた血は、まるで心臓のように鼓動を打ち、さらに恭介の全身に紅井の血を循環させはじめる。


「多分、ウツロギ。これからも、あんたは他のクラスメイトより、常に一段早い段階で強くなっていく」

「ど、どうしてそんなことが言えるんだ?」


 紅井が、恭介の肋骨から指を引っこ抜くと、心臓は一気にはじけ飛び、その血は再び身体全体に染みわたっていった。どうやら、血をそのまま抜き取ることは、もうできないらしい。


「フェイズ2からフェイズ3に移行するのに必要なのは、あたしの血だから」

次は明日朝7時ですじゃ!

紅井さんの言葉の意味とは! 竜崎や瑛が複雑な視線で恭介たちを見ていたのは何故なのか! 恭介たちの根回しは果たして成功するのか! 待て次回!

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