Lesson02 セレナよ!自分を信じろ!
「ぐっ、ぐあああああッ……!!」
今日も厨房に、元気な俺の悲鳴が響き渡る。フェイズ2に慣れて久しい俺の身体はそろそろ痛覚がマヒしはじめていたのだが、黙ったまま削られていると杉浦の奴が非常に心配してくるので、俺は可愛い生徒の為に義務感から悲鳴をあげる毎日を続けていた。ただし、俺の迫真の演技は、それはそれで杉浦の精神を苛むらしく、こいつはやっぱり嫌そうな顔をしている。どうしろと言うんだ。
俺の名は、勝臥出彦。
元・市立神代高校2年4組の担任教師にして、今はかつおぶしだ。
もう説明しなくてもわかるよな。俺たちは異世界トリップをしてしまった。俺の可愛い生徒たちはみんなモンスターになってしまい、そして、俺はかつおぶしになってしまったんだ。俺はそれ以来、杉浦の厨房でこっそり暮らしている。まったく、参ったもんだぜ。
ちなみに俺は、“無限再生”という固有能力を会得している。これがさっき言ったフェイズ2って奴だ。どれだけ身を削られても、自分の身体を再生させることができる。便利だろ? チート能力って言われたって不思議じゃない。俺がかつおぶしじゃなければな。
そんな話をすると、2年4組の厨房を預かっている杉浦彩は呆れ顔でこう言うのだ。
「先生、無限にお出汁がとれるかつおぶしなんて、ズルもいいとこだよ」
確かに、そうかもしれん。
今日も、俺の削り節から取られた出汁が、生徒たちの胃袋を満たしている。教師冥利に尽きるというものだ。
ところで、最近教師としての立場から気になる変化が、このクラスには訪れているらしい。
「杉浦さん、このクラスに転校生が来たってほんと?」
俺が尋ねようと思っていたことを、ガイドブックの本のさんが口にする。
「あー、うん。人間のセレナさんと、オウガのゼクウくん。ウツロギくん達が保護したみたいですよ」
「人間! やっぱりこっちの世界にも人間がいるんですね」
本野さんは、やけにうきうきとした声で言った。気持ちはわかる。なにせ、俺はこっちの世界にきてから見た生き物は、杉浦と火野と竜崎、そして本野さんだけだ。ぶっちゃけ火野と本野さんに関しては、生物であるかどうかすら怪しい。
こちらの世界に来てから1ヶ月。生徒たちもモンスターだらけの生活に慣れ始めていた頃だろう。そこに人間が投入されたのだから、テンションうなぎ上りに違いない。もちろん、小金井、佐久間、紅井、犬神といった、人間に近い姿をした生徒たちだっているのだが、それでも『人間である』という事実は、新しい希望にもなったはずだ。
が、杉浦の表情は、妙に苦々しい。
「どうした? 杉浦」
「そのセレナさん、なんだかすごく不器用な子みたいなんだよね」
「ふむ……?」
「探索でも戦力にならないし、拠点要員の手伝いに回っても失敗ばかりで……」
「なるほど」
まぁ、要領の悪い生徒なんていうのはどこにでもいる。うちのクラスでは小金井がそうだった。
ただ、生命がかかった極限状態でのそれは、ちょっとまずいかもな、と俺は思う。
「最初のうちは良いだろうが、だんだんクラスメイトの不満も溜まってくるだろうな」
「だよねぇ。委員長の負担がまた増えそう……」
「まぁ、何かあったら竜崎をまたこの厨房に連れて来い。俺にできるのは、相談に乗ることと出汁をとらせることだけだが……」
「あー、うん」
しゃっ、しゃっ、と包丁を研ぎながら、杉浦は頷いた。
「ま、大変そうだったらね。今の委員長は、結構他の子が支えてるから、大丈夫そう」
「そうか……。嬉しくもあり、寂しくもあり、だな……」
嬉しさは、当然、俺の手を離れて勝手に成長していく生徒たちに対してだ。俺が思うに、子供というのは、大人が思っている以上に、子供ではないのかもしれない。大人が、子供が思っている以上に大人ではないのと、同じことだ。
豪林がいなくなってどうなるかと思ったが、竜崎はちゃんとクラスをまとめている。良いことだった。
俺が一人感傷に浸っていると、包丁を研ぎ終わった杉浦が、ふとこんなことを言う。
「でね、先生。そのセレナさん、今日は厨房担当らしいんだけど」
「ほほう」
「もうすぐ来るかも。だからね、先生……」
「ああ、わかっている。2年4組の担任として、転校生にはしっかり挨拶をしなきゃな!」
「いや、そうじゃなくって……」
杉浦が何かを言おうとした時、食堂の方にバタバタと走るような音がして、厨房ののれんを一人の少女がくぐってくる。
「お待たせしました! スギウラさん、セレナです! 今日はよろしくお願いします!」
「あー、うん……」
珍しく苦笑いを浮かべ、頬を掻く杉浦。
俺は、颯爽と登場した転校生セレナに視線を向けた。異世界の人間、というから、果たしてどのような外見なのかと想像していたが、金髪碧眼、陶磁器のような白い素肌を持つコーカソイド系の人種だ。ダンジョンの外が赤茶けた荒野というから、褐色肌のモンゴロイドなどの可能性もあったが。ちなみに俺は褐色娘が好きだ。運動部で健康的に焼けているとなお良いのだが、期待の星であった陸上部の姫水などはUVケアをしっかりするタイプだったらしく、実に嘆かわしい。
いやまぁそれは良い。とにかくセレナだ。母方の実家が老舗の反物屋をやっていた俺だからわかるのだが、セレナの着ている衣服はかなり上質な布を使っている。動きやすさを重視した構造で、その上からポイントアーマーなどを着けていた。実は、貴族階級の戦士だったりするのだろうか。
俺はなるべく爽やかな声で、セレナに挨拶する。
「やあ、君が転校生のセレナか! 俺は勝臥出彦! 2年4組の担任教師だ!」
「ひゃあああああ! 木刀がしゃべったあああああああ!!」
こいつ、いきなり声の出処を言い当てるとは、なかなかの観察眼を持っているようだ。侮れない。
杉浦は額に手を当て、大きく溜め息をついていた。どうした杉浦。なんだそのヤレヤレ的な態度は。
「セレナ、俺は木刀じゃない。かつおぶしだ。君にはなじみがないかもしれんが……」
ひとまず、訂正しなければならないところには、きっちりと訂正を入れておく。
「え、あ、は、はぁ……」
「世界で一番堅い発酵食品と言われている。こちらではどうだか知らないが。作り方としては、まず鰹の……」
「ちょっと先生!」
「うおっ!?」
杉浦は、タコ足のうちの一本で俺をひったくると、厨房の奥の方まで移動し、俺にひそひそと耳打ちをした。
「(あのね、セレナさんには、あたし達が転移してきたってこと、話してないの!!)」
「(そうなのか? わざわざそんなまどろっこしいこと、しなくて良いと思うんだが……)」
「(あたしもそう思うけど、委員長の方針なんだから! 先生も従ってよ!)」
うぅむ、そうか。俺は唸り声をあげた。ここでセレナにこちらの事情を隠すメリットというのは、あまり考えられない。まぁ、彼女が人間の国から遣わされた魔物ハンターで、このクラスにこっそり入り込んで内部から壊滅させようとしている可能性はゼロではないが、それはさすがに、穿って見すぎだろう。
やはり、竜崎は一人で悩んで、いろいろ難しく考えすぎなのかもしれないな。
ともあれ、竜崎の方針がそうであるというのなら、俺は従う。俺は教師である前に、今はただのかつおぶしだからだ。
「えぇと、あの、どうしました……?」
セレナが、きょとんと首をかしげている。
「ああいや、うん。俺は勝臥出彦。かつおぶしだ。気軽に先生って呼んでくれ!」
「先生ですね! わかりました!」
「素直で良い返事だ! そして先ほどの続きだが、かつおぶしというのは……」
俺が乾物屋の息子としての知識を惜しげもなく披露すると、セレナは真剣な顔で頷いた。
「なるほど……。お出汁を取るための食材なんですね」
「わかってくれたか。なんだ杉浦、結構良い子じゃないか」
「えーと、あー、うん……」
杉浦のこめかみは妙にひくひくしている。一体何を怒っているのだろうか。カルシウム不足かもしれん。医者の不養生というか。コックの栄養不足というか。
杉浦は、一度深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、セレナに向けてこう言った。
「改めて、杉浦彩です。セレナさんには、これから厨房を手伝ってもらうんだけど、お料理作ったことは?」
「え、えっと……。家では、だいたいコックかお父様が作ってくださったので……」
「そっか……。じゃあ、仕方ないね。とりあえず、先生を削ってもらえる?」
「えぇっ!? いきなりそれは難易度高いですけど……がんばります!」
セレナは、杉浦からナイフを受け取ると、険しい顔で俺を掴んだ。槍使いだというので、もっとタコのついたゴツゴツした感触かと思ったが、見た目通りの繊細で柔らかい手のひらだ。しっとりと濡れていて心地よい。いや、かつおぶしに湿気は禁物なんだが。
まぁ、なんだ。セレナに削らせるなら俺も余計な悲鳴をあげる必要はなさそうだな。その代り、簡単なアドバイスくらいはしてやろう。薄く削るのは大変だからな。
「良いか? セレナ、まず俺を削るときなんだが、最初は硬いから……」
「いきますっ!」
じょりっ! つるっ! ぐさっ!
「ぎにゃあああああ!!」
「セレナ!?」
かくして俺は、こちらの世界に転移してきた2年4組のメンバーの中で、初めてこちらの世界の人間のナマの血を見るという、記念すべき体験を会得したのだった。
さすがに、最初からいきなりかつおぶしを削らせるのは無謀だったらしい。杉浦はセレナに謝って、白馬を呼びつけて傷の手当てをさせると、今度はキュウリを切らせることにした。花園の家庭菜園からもいできたものだ。数ある野菜の中でも、キュウリのカットは難易度も低い方に入るだろう。
だが、セレナは、再び鮮血をぶちまけた。
白馬に傷を癒してもらったセレナは、その後ナイフを没収され、皿洗いを任せられた。だが、やはりというか当然のように皿を割り、次に給仕を任せられたが、当然のように料理を床にぶちまける大失態をやらかした。
俺の知る限り、杉浦彩は比較的温厚で理性的な生徒だ。段取りの悪さに苛立つ几帳面な部分はあるが、それでも怒りを自分の中で消化し、建設的な意見を口にできる。
その杉浦が、怒鳴り散らしたい衝動を必死に抑えているのを目の当たりにし、俺は肝(ない)を冷やした。
セレナが失敗をやらかすたび、杉浦の怒りのボルテージが上がっていったわけだが、最終的に彼女は大きく深呼吸して、彼女に対してこう言った。
「ありがとう。セレナさん、今日はもうあがって良いよ」
セレナはその言葉を受けて、少しきょとんとしていたが、やがて全てを察したような笑顔を浮かべると、頭を下げてとぼとぼと厨房を後にした。
「よく我慢したな。偉いぞ、杉浦」
「うん。私も杉浦さん立派だと思う」
俺と本野さんが次々に褒めてやると、杉浦は苦笑いをして見せた。
「まー、あたしが我慢しても、誰かがキレちゃう気がするけどねぇ」
それはあるな。俺も苦々しい気持ちになる。見たところセレナは、悪気があってやっているわけではない。それに、彼女だって何から何までできない、ということは、無いはずなのだ。
生徒の良いところを見つけ、伸ばしてやるのも教師の務め。とはいうものの、セレナは他の生徒とは違う。内申書もなければ引き継ぎもないし、じっくり付き合ってその人となりを分析できたわけでもない。まったく未知の生徒なのだ。
こういう時、自分の手足で移動できないというのが、本当にもどかしい。
「クラス全体でもう少し、セレナとの意思疎通を図るべきだとは思うんだがな」
「それって、もっと打ち解けるってこと?」
「本当の意味で打ち解けるには、今は互いのことを知らな過ぎるような気がするんだ」
セレナにはきちんとこちらの事情を話し、こちらもセレナからもっと詳しい話を聞きだすべきだ。何故それをやらず、彼女に他の生徒と同じような仕事をさせているのか。『特別扱い』をして、他のクラスメイトの反感を買うことを、竜崎は恐れているのだろうか。
まぁ、セレナは転校生というよりは留学生に近い。距離感を掴み兼ねている、というのは、わからなくもない話だ。
こういう時こそ教師の出番であるとは思うのだが、しかし、このかつおぶしの姿でどこまで出しゃばって良いのやら。俺は心の中で、大きく溜め息をつく。
実は、この2年4組の事情をセレナに話すことになるのは、これからそう遠くない日のことになる。
だが、その日はもうひとつ、クラスにとって忘れない事件が引き起こされた。
赤い翼の悪魔の襲撃である。
俺の愛する生徒がさらわれ、あるいは重傷を負った、俺にとって忌まわしき事件である。
「そうか……」
俺が事情を聞いたのは、すべてが終わった後のことだった。
空木が瀕死の重傷を負い、小金井が連れ去られた。まさしく寝耳に水の出来事である。生徒の身に降りかかった厄災のことを思えば、俺だって歯がゆい気持ちになる。
「すまない杉浦、俺がもっとしっかりしていれば……!」
「や、この件は先生がしっかりしていても、どうにもならなかったと思うんだけど……」
正体不明の赤い翼の悪魔。それによる襲撃を受けたのは、ちょうど食堂でクラス会議が行われているさなかだった。竜崎たちも、セレナと本格的な情報交換をする必要性に改めて気づいたらしい。俺としては遅すぎるくらいに感じたが、ま、切迫した状況というのは人間を近視にする。こういうのは、俺が半ば蚊帳の外だから気づけたことだったのかもしれないな。
ともあれ、セレナを中心にしたクラスの崩壊が起こることは避けられるわけだ。俺も本野さんも、この話を聞いた時は素直に喜んだ。これをきっかけに、セレナがクラスに溶け込めるならなおのこと良い。
そう思っていたところに、赤い翼の悪魔の襲撃である。
赤い翼の悪魔は、どうやらセレナの仲間たちを全滅させた張本人であると聞いていた。このクラスと、俺の可愛い生徒たちにどんな用があったのかは知らないが、その口ぶりからして、明らかにこの異世界トリップに一枚噛んでいる様子があったという。
俺はこの話を聞いた時、はらわた(ない)が煮えくり返る思いだった。俺の生徒たちを巻き込んだだけでなく、一人をさらい、一人に重傷を負わせた。俺に手足があればブン殴ってやりたいくらいだった。
「すまない杉浦、俺がもっと強ければ……!」
「先生はかつおぶしなんだから、他のみんなより弱いのは当たり前じゃん」
「俺は教師失格だ! 空木や小金井が酷い目に合うのを、止められなかった……!」
「しょうがないよ。今回の件はさ……」
杉浦はそう言ってくれるが、俺の全身を支配する無力感は払拭しがたい。
「あー、もう。先生、そんなジメジメしないでよ。湿気っちゃうじゃん」
杉浦はタコ足で俺をひっつかむと、炎で俺を炙り始める。
「ああ、もっと焼いてくれ……。こんな俺は火あぶりにされるのがお似合いだ……」
「先生かつおぶしの癖にメンタルは豆腐なんだから……」
「そうだよ。俺は身体は魚の腐ったような奴で心は豆の腐ったような奴なんだ……」
「杉浦さん、先生だいぶ重症だね……」
本野さんも少し心配そうな声を出してくれた。しかし俺は、そんな心配をされるほど立派な男じゃないんだ。
生徒の危機が救えなくて何が教師だ。俺はどんなに偉そうなことを言っても、結局は口だけのでくの坊でしかないのである。しかも、今この姿となってはその口すらない。俺には何もないのだ。無だ。虚無なのだ。
大人として為すべきことを何もできていないダメ教師。それが俺なのだ。
「しょーがないなぁ、先生は……」
杉浦はそう言って、俺の身体をゴトリと棚に置く。
「先生、一人、相談にのってあげて欲しい生徒がいるんだけど」
「俺に一体どんなアドバイスができるっていうんだ? 俺は教師として最低限の使命すら果たせない」
「悩むのは勝手だけど、SOS出してる生徒を自分の都合で退けるのが、先生の言う教師の姿なの?」
「むっ……」
その言葉を受けると、俺だって黙り込んでしまう。
俺が悩んでいるのは俺の事情だ。どれだけ情けなく、みっともない姿をさらしていても、教師としての俺に教えを請いたいという生徒がいるならば、虚勢を張ってでも相手をするべきなのかもしれない。
確かに俺は、大人として最低限のことを為していないダメかつおぶしだが、だからと言って、これ以上大人としての使命を果たさない理由にはならない。
大人っていうのは辛いのだ。
「わかった。相談に乗ろう。この状況、辛いのは誰だって一緒のはずだしな……」
杉浦は、のれんをくぐって食堂に出ると、それからすぐに、一人の少女を連れてきた。
「ぐっ……」
俺は思わず息をのんでしまう。
今にも泣きそうな顔でうつむいているのは、噂の転校生セレナであったのだ。
「先生……。迂闊で無能なセレナを叱ってください……」
ひどく落ち込んだ様子で、セレナはそう言った。
「ど、どうしたんだ? セレナ、自分で自分を卑下するのはよくないな」
言いながら、投擲した言葉のブーメランが俺に思いっきり突き刺さる。
「先生、私はダメな人間です。何をやってもみなさんの足を引っ張るばっかりで、今回、ウツロギさんやコガネイさんを助けることだって、できませんでした。私が、私がもっとしっかりしていたら……!」
「い、いや、この件はセレナがしっかりしていてもどうにもならなかったと思うぞ……?」
「でも! 私がもっと強かったら……!」
「せ、セレナは人間なんだから、モンスターより弱いのは当たり前だろ?」
「でも! 私! 仲間の危機を救えなくて何が騎士見習いでしょうか! どんなに偉そうなこと言ったり、ヤル気をアピールしてみせたって、結局は口だけのでくの坊なんです! 仲間として最低限の行いすらできないダメ人間、それが私なんです!」
こいつ、実はさっきの俺たちの会話を聞いていたんじゃないだろうか。
俺がちらりと杉浦を見ると、彼女は鼻歌なんぞを歌いながら鍋に湯を沸かしている。
このやろう。
さては、こうなるとわかってセレナを連れてきたな。俺とまったく同じ悩みを抱えている奴なんて、扱いにくいにも程がある。どんな慰めの言葉をかけようとしたって、自分を正当化する言葉にしか聞こえなくなってしまうではないか。
心を乗せなければ、言葉は相手には届かない。俺の教師としての信条だ。だからこそ、生徒の悩みに対して真摯な言葉を返すとき、俺は心の底からその言葉を信じていなければならないのだ。こいつは、結構な難題である。
だが、それは所詮、俺の事情だ。セレナが頼っている俺は、そんな事情など考慮するべきではない。
「良いか? セレナ、仲間として最低限の行いって、なんだ?」
「え? えっと、それは、えっと……。窮地に陥った仲間を助けるとか、そういう……」
「先生はな。そんな、“最低限の行い”なんて、ないと思ってるんだ」
「え……」
俺の言葉を受けて、セレナは戸惑う。自分の心に嘘をつくのはかなり辛かったが、それでも俺は、耳心地の良い言葉を吐かなければならない。
「結局そんなのは、外側から誰かがあてはめた枠組みでしかないんだよ。人それぞれ、出来ることは違うんだ。その枠組みに、完全に当てはまるような奴なんていない。セレナが頑張ってきたのは、先生はよく知ってる」
「でも……。ダメなんです、役立たずなんです! 私、迂闊で、無能だし!」
「枠組みの中で考えるからそんなことを思うんだ。セレナ、もっと自由になれ。そして自分を信じるんだ」
「こんな自分の、どこをどう信じろって言うんですか……!」
むう、手ごわいな。当然か。今のセレナは、俺そのものだ。俺が納得していない言葉で、セレナを納得させられるはずはない。
だがそれでも、俺は教師だ。セレナの悩みを解決してやる義務がある。
生徒ひとりでも救えなければ、俺は自分を救えない。
かくなる上は、最後の手段だ。
「杉浦、俺を削れぇ!!」
「はいはーい」
杉浦は待ってましたとばかりにナイフを取り、俺の身体に刃をあてがった。手慣れた手つきで、薄い削り節が1枚、2枚と生み出されていく。俺は悲鳴をあげた。
「ぐわああああああ!!」
「せ、先生!?」
「目を背けるな、セレナぁ! 良いか! 俺だって、空木や小金井の窮地に、何もしてやれなかった! できることなんて、何もなかったんだ! おまえが無力なら、俺だって無力だ! 同じでくの坊なんだよ! でも……あっ! ちょ、痛い! なんかマジで痛い!」
神経を直接削り取られるような激痛に、思わず身をよじりそうになる。だが、よじれるほど柔軟な身体を、俺は持っていない。
「で、でも! でもなセレナ! そんな俺にだってできることがあるんだよ! たったひとつ、俺にしかできない! ちっぽけだけど、きっと意味のあることが!」
「それがコレだって言うんですかぁ!?」
「そうだ!」
杉浦は、俺の削り節をパラパラと鍋に投じていく。厨房には、かつお出汁の香しい芳香が、次第に充満していった。
杉浦は、おたまで出汁スープをすくいとると、器によそってセレナに差し出した。
「飲んで、セレナさん。先生から取れたお出汁だよ」
「は、はい……」
セレナは、器を受け取ると、そっと口をつける。俺から取れたかつお出汁が、ゆっくりと彼女の咥内に入り、喉を通して胃に運ばれていった。
「美味しい……」
セレナは、ぽつりとひとこと、そう呟く。
「美味しい、です……」
「そうだろう」
俺は、優しい声で頷いた。
「俺にできることなんて、この程度だ。でも、おまえはそれを飲んで美味しいと言った。きっと、それだけでも意味があることなんだよ。大切な仲間たちを救えない、無力ででくの坊の俺にできる、精一杯だけど、でもきっと、意味のあることなんだよ」
「先生……」
「セレナ、おまえにだってきっとそれはある。まずは自分のできること、知ってることを全部、試してみるんだ。おまえだけにしか出せない出汁を、見つけるんだ」
「はい……。ありがとうございます……っ」
セレナは、僅かに涙ぐんだ声で頭をさげた。頬を伝ってこぼれる雫が、俺のかつお出汁に塩気を加えていく。それも良い。流した涙の数だけ、スープの味は変わっていく。そうしてたどり着いた味こそが、セレナにしか出せない味なのだ。
「泣く奴があるか、セレナ。さあ、あの夕日に向かって競そ……」
「先生ぇっ!!」
「うおぉっ!?」
セレナは、ついに感極まったように、俺の身体をぎゅうっと抱きしめた。傍からは、少女が木刀を抱いているようにしか見えない光景であろう。
「先生! ありがとうございますっ……! 私、がんばりますっ……!」
「お、うむ。おう……。しかしいや、これは、うん……」
いや、なかなか……。なかなかだな。セレナは着やせするタイプだったようだ。こちらの世界の平均がどれくらいなのかは知らないが、16歳でこれと言うのなら、将来的にもだいぶ期待が持てるような気がするな。
そのままそっと彼女の頭を撫でてやりたかったのだが、当然俺には手がない。まぁ、人間時代にこれをやられたら、また教頭に余計なお説教を喰らっていた気もするのだが。
もったいないような。これで良かったような。
その後、セレナは竜崎たちにすべてを話したらしい。竜崎たちも、セレナにすべてを話したと聞いた。
それから更に数日後、俺は本野さんと一緒に、改修途中の重巡の厨房へと移された。エンジンとキャタピラの取り付け。そして船底の改修が終わって、ひとまず動かせる程度にはなったらしいのだ。らしいのだ、と言っても、俺は重巡を陸上戦艦に改修しているなんて話はその時に聞いたから、えらく驚いた。オーバーテクノロジーにも程がある。暮森の種族能力が存分に生かされた結果なのだそうだ。
で、俺たちはセレナの故郷へと到着する。セレナが実はお姫様だと知ったり、その母親と三者面談したりすることにもなったのだが、まぁその辺の話は今度時間のある時にでもするとしよう。
第三章は本日朝7時です。




