第2話 役立たずのスケルトン
異世界生活、7日目。
混乱はあったものの、人間結構たくましいもので、順応までは早かった。いや、人間は一人もいないが。
結局、ここが異世界であるとして、何故みんな異世界へ飛んできてしまったのか、姿かたちまで変わってしまったのか、この世界には人間はいるのか、この赤茶けた岩場はどれくらい広がっているのか、疑問こそは尽きなかったが、悩んでいても生きていけない、という思いだけは皆一致していた。
もちろん、我儘を言う生徒はいる。
紅井のグループに所属する、春井と蛇塚は、化粧や風呂がないことに金切り声をあげていたし、小金井だってインターネットが使えないせいで非常に鬱屈としていた。無論、恭介も同じだ。意外と、ケータイやスマホ、とりわけSNSに対する依存度が高かった生徒は多いようで、最初の3日はみんなほとんど使い物にならなかった。
状況が変わったのは、精力的に周囲の探索に赴いていた竜崎とゴウバヤシが、モンスターの肉を持って帰ってきたことだ。角の生えたウサギは、その時点では死んでいたものの、2年4組が異世界に来て、初めて見る別の生き物の姿だった。
腹が減っていたというのはある。
料理部に所属していた女の子が、それをみんなで食べようと言い出した。しかし、調理器具がない。
元・クラス三大美少女の一人である剣崎が、自ら鎧を外し、それで鉄板焼きをやろうと言った。剣崎は、長剣と短刀を持っており、数人でウサギを捌くことにした。
火を起こすのはそんなに難しくはなかった。竜崎をはじめ、炎を吐くことのできる生徒は何人かいたし、何よりエルフとなった小金井が魔法を扱うことができた。火の魔法と水の魔法によりライフラインは大きく改善され、更に他の生徒の中でも、魔法を扱えるものが出始めると、小金井の負担もやや軽減されるようになる。
この出来事を切っ掛けに、クラスは徐々にまとまりを持ち始めたのだ。
最初は姿が変わってしまったことを嘆く声ばかりだったが、この厳しい異世界で生き抜くための力を与えてもらったのだと、前向きに捉える者が多くなりはじめた。実際、これがみなただの高校生だったら、角ウサギにすら嬲り殺され、あるいは飢え死にしていたことだろう。
岩場からしばらく歩いたところに、地下迷宮がある。戦闘能力のある生徒たちは、そこに繰り出し、熱心に探索を行った。迷宮の一部に安全が確認されると、雨風を凌ぐために、拠点をそこに移した。
狩ってきた獲物が、食べられるかどうかわからない。身体の頑丈そうな奥村や五分河原などが毒見を買って出たし、人間時代も園芸部に所属していた花園は、安全な野菜を栽培し始めた。
みな、それぞれが役割を持ち始めたのだ。
その中で、一向に役に立たないままの生徒がいた。
空木恭介である。
「ごっちそうさーん!!」
五分河原が元気な声をあげ、共用食堂を出て行った。いつも彼とつるんでいる奥村も、少し遅れてそれを追う。これから、迷宮の探索に出かけるのだろう。おそらく地下墓地であったと思しきこの迷宮には、自分たちとは違う魔物たちが巣をつくり、生息しているが、下層へ潜らなければそうそう危ないことはない。
彼らの様子を見ながら、恭介はため息をついた。いや、息は出てこない。喉から吸い上げた空気は、口に届く前までに喉から抜けていくのだ。
クラスが団結した後、迷宮探索に恭介も参加した。スケルトンにできることと言えば戦うことくらいだ。盾になる、なんてことができるほど頑丈でも大柄でもないから、とにかく切り込んでいくしかない。小金井が役に立ったのだから、自分も何かやらないと、と思い、戦闘部隊に志願した。
しかし結局のところ、恭介は弱かった。
剣崎や五分河原のように、転生した時点で武器を持っているわけではなく、ゴウバヤシのように優れた肉体があるわけでも、竜崎のような飛び道具を持つわけでもない。本当に、ただ、骨であるというだけ。竜崎たちが苦も無く倒したという角ウサギに挑み、体当たり一発でバラバラになってしまうという体たらくだ。五分河原がパズルの天才でなければ、今も骨の一本や二本が抜けていたかもしれない。
竜崎には、『無理はしなくていいから待機しているように』と言われた。事実上の戦力外通知だ。それからというもの、恭介は共通食堂で死んだような目をして座り込んでいる。なお、スケルトンなので目はない。
「考えすぎなんだ、恭介は」
恭介の隣に浮かび上がる瑛。傍から見れば、亡骸から人魂が抜けていくような光景に、見えなくもない。
「役に立たなくたっていいだろう。何に生まれ変わるかなんて運みたいなものだし、紅井のグループだってほとんど何もしてないよ」
「俺はそこまで気楽にはなれないよ……」
ヴァンパイアと化したクイーン紅井は、取り巻きである春井や蛇塚と共にダラダラとした日々を過ごしている。彼女に強く出れる人間は、クラスでも限られている。少なくとも竜崎では無理だ。
それに紅井はただの役立たずではない。一度、戦闘部隊が出払った後の拠点に、モンスターが押し寄せてきたことがある。それをすべて迎撃したのが彼女だった。紅井が自らの指に傷をつけると、床に落ちた血が人の形を成した。彼女の血でできた軍勢は一気にモンスターを押し潰して、あっという間に消えてしまった。以来、紅井が探索に出かけないことを咎める者はいない。
「結局、俺は何もできていない……」
「僕だってそうさ」
瑛の声は気楽なものだった。確かに、火を起こす時くらいしか役に立たなそうなウィスプだが、その役はもう色んな生徒ができるので、出番はもうないようなものだ。
「小金井の奴は、あんなに活躍してるのになぁ……」
同じ底辺グループ出身だった、彼の躍進は目覚ましい。
ただ魔法を扱えるだけでなく、戦闘能力も卓越していた。竜崎は見かけこそ強そうだが、実際のスペックはそんなこともないようで、現在、クラス内最強パーティは、ゴウバヤシと小金井が支えている。男子生徒の中でも、唯一人間の姿を保った、しかもイケメンということで、にわかに彼をチヤホヤしだす女子もいるほどだ。
女子といっても、ほとんどモンスターでしょう、と思うかもしれない。しかし小金井は人外少女もイケる剛の者だ。きっと嬉しいに違いない。
「あーっ!」
食堂の隅で体育座りをしていた恭介のもとに、非難がましい叫び声が届く。
「もーっ! みんなまた食器片づけないで行っちゃってー!」
ぷりぷりと怒っているのは、クラスの食事係に任命された杉浦だ。スキュラ、という怪物のことを恭介は知らなかったが、小金井が教えてくれた。下半身がタコになってる女の子のことである。
杉浦は、食糧問題に人一倍敏感だった。自分が料理部だからという理由ではない。みんなが飢えたら、真っ先に自分の足が食べられてしまうと思っているのだ。
杉浦は、テーブルの上に放置された食器を、タコ足で一生懸命下げていく。
これくらいは、手伝えそうだな。
恭介はそう思い、他のクラスメイトが遺して行った食器を回収しはじめた。杉浦はすぐに気付いた。
「あー、ウツロギくん。別に良いのに」
「良いんだよ。これくらいしかやることないし。洗い物もやろうか?」
「ううん、大丈夫。その代わりさー」
ちらっ、と杉浦の視線が恭介に向けられる。
下半身がタコとはいえ、そして人間時代から大きく変わっているとはいえ、顔は可愛い女の子だ。恭介はドキリとしてしまう。心臓はとっくになくなっているはずなのに。
「な、なんだ……?」
「今度お出汁になってくんない?」
「えっ」
「あははははは、冗談冗談! ほらほら、邪魔だから行った行った!」
タコ足にぺちぺちと追いやられては、食堂の中にはいられない。恭介は瑛と一緒に食堂を出た。
迷宮の一区画を利用した〝拠点〟には、いくつかの部屋がある。ただ、生徒ひとりひとりに居住区を割り当てるだけの余裕はなく、昼間はみんなそれぞれの〝役割〟を果たしに行くので、割と恭介の居場所は限られてしまう。
「杉浦の奴、恭介をかつおぶしかなんかだと勘違いしてるんじゃないのか」
「お出汁か……」
瑛が呆れたような声で言う一方、恭介は真剣に考え込んでいた。
「まさか恭介、本気で考えてるんじゃないだろうな」
「いや、もうこのクラスで俺が役に立つ方法は、出汁をとられるくらいしかないんじゃないだろうか……」
「恭介……」
「いっそかつおぶしに転生したかった」
「これは相当重症だな」
恭介の憂鬱の原因は、正直なところ「ただ役に立たない」というだけでは、なかったりする。
「なんだウツロギぃー、こんなところにいたのかよ」
粘つくようなそんな声がしたので、恭介は嫌々ながら振り返る。
「役立たずの癖に存在感だけはバッチリあんなぁ」
「もうちょっと隅っこでじっとしてようとか思えねぇのかよ。なぁ?」
通路の向こうから歩いてきたのは、白馬と鷲尾のコンビだった。
クラスの全員が人外に転生したことで、クラス内におけるそれぞれの立ち位置には微妙な変化が起きている。その最たるものは、言うまでもなく小金井だろう。キモオタとして最下層にいた彼が、超絶勝ち組として最上層まで引き上げられている。
当然、引き下げられた層もいる。白馬と鷲尾はその筆頭だ。
人間時代は竜崎の周りで美味い汁を啜っていた彼らだが、人外転生になってからは、周囲の態度が露骨に変わってしまった。〝人間の形を保っていない〟というのは、結構重大な問題だったのである。
竜崎は決して差別をしようとしなかったが、四本足で歩く彼らをあからさまに嘲る者―――特に女子に見られた―――の存在が、彼らの自尊心を思いっきり傷つけてしまったのである。
で、彼らの怒りの矛先は、更なる底辺層である恭介に向くというわけだ。
更に恭介は、彼らの居場所を奪った小金井の友人である。八つ当たりして憂さを晴らすには、ちょうどいいというわけだった。
「おいコラ、なんとか言ったらどうなんだよ」
恭介が黙っていると、白馬が蹄で床を叩きながら威嚇する。更に、彼らの苛立ちは、恭介の後ろですまし顔(顔はない)をしている、瑛の方にも向けられた。
「火野ォ、役立たずはおまえもだろ? 唯一の自慢だった顔ももうねぇしさぁ」
「グリフォンに転生したからって、頭までトリ並にならなくて良いんだぞ。鷲尾」
「ンだとコラァ!」
あっちゃー、と、恭介は思った。
瑛はコミュ症だが、相手を挑発する語彙だけは豊富だ。おまけにクールに見えて、堪忍袋の緒がとても切れやすい。カッとなると一気に燃え上がるのだ。まさしく炎のような男である。
だが、瑛はウィスプだ。ユニコーンとグリフォンでは、彼に殴りかかることさえできない。結局、二人は再度恭介に怒りをぶつけようとした。さしもの恭介もたじろぐ。角ウサギのタックルでバラバラになるのだ。白馬の後ろ足でパッカーンとやられたらひとたまりもない。
「な、何してるのっ」
控えめでか細い、しかし、はっきりとした意志を感じさせる声が、通路に響き渡った。びくん、と動きを止める、白馬と鷲尾。視線をやると、そこには布面積の過剰に少ない、下着のような服に身を包んだ、スタイル抜群の美女が立っていた。
目の毒だ。目はないけど。恭介は目をそらす。目はないけど。
銀髪から紅い角が二本生え、豊満な胸をたゆんたゆん揺らしながら歩いてくるその美女は、両目に怒りを宿している。
「さ、さっちゃん。これはいや、アレだよ」
「違うんだよ、さっちゃん」
白馬と鷲尾が露骨に動揺を見せる。仕方がないだろう。今、クラスの男子はほとんど全員、この娘には逆らえないと言って良い。何しろオトコの天敵、サキュバスなのだ。
「違わないでしょっ」
彼女は両手を腰にあて、二人をしかりつける。頭を下げる白馬と鷲尾だが、その鼻の下はしっかり伸びていた。
「ウツロギ!」
更に、彼女の増援として、小金井や竜崎が駆けてくる。おそらく、迷宮探索に向かう準備をしていたところなのだろう。恭介としては、ややばつが悪くなる。
こうなってしまうと、白馬と鷲尾の四足歩行コンビは、逃げるしかなくなってしまう。二人は謝罪もなしに、通路を駆けて行ってしまった。足が四本あるので、逃げ足だけは早い。
「ウツロギ、大丈夫?」
「ああ、ありがとう」
心配そうな顔をする小金井に、恭介は頭を下げる。次に恭介は、その視線をサキュバスへと向けた。
「う、ウツロギくん……」
「佐久間も、ありがとうな」
「ううん……」
そう、佐久間。佐久間祥子。このサキュバスの正体は、あの地味な眼鏡の文学少女なのである。
図書室で好きな本について幾度となく語り合った、あのおとなしそうな少女が、こんな過激ではしたない恰好をした魔物に転生してしまうというのが、恭介にはひどく衝撃的であった。いや、これが、あの佐久間の本性の姿だとは思っていない。ただ、なんというか、とても目を合わせられないのだ。
「ふたりとも、そろそろ探索に出かけよう」
後ろから、竜崎が声をかける。小金井は頷き、恭介たちに軽い挨拶をしてから、手を振って去っていく。
佐久間は、少し残っていた。
「ほら、佐久間も。おまえがいないと、竜崎たちも困るだろ」
「え、あ、うん……」
佐久間は、もじもじしながら何かを言い淀んでいる。
「あの、ウツロギくん……」
妖艶で扇情的なたたずまいのサキュバスが、もじもじとしているのだから、それだけでもう心臓に悪い。心臓はないが!
そう、佐久間はおしとやかな少女だったはずだ。こんな恰好、恥ずかしいに決まっている。このクラスまるごとの人外転生が何者の仕業なのかはわからないが、えらく意地の悪い種族を選んだものである。
転生した佐久間は魔力が高い。小金井同様、魔法戦士として最強パーティの一翼を担っているのだ。彼女もまた、クラスになくてはならない存在になったのである。
「上手く言えないけどさ、佐久間、頑張れよ」
恭介に言えるのは、それくらいなものだ。
「う、うん……」
役立たずの自分が、これ以上ここにいるのは決まりが悪い。恭介は、その場を逃げるように立ち去った。
佐久間は追いかけてはこない。追いかけて来られても困る。ただ、あまり自己主張をしないウィスプが、何も言わずに周囲を漂ってくれているのだけは、ありがたかった。
「外に出ることはないんじゃないか。恭介、危険だ」
危険だ、と言いつつ、ついて来てくれるのは瑛くらいなものだろう。
迷宮の中は居心地が悪い。外ならば誰もいないから、恭介はこちらへ来ることにした。赤茶けた岩がごろごろ転がるこの土地では、まだモンスターが確認されていない。未知という意味では確かに危険かもしれないが、そう遠出しない限りは、すぐに逃げられる。
「それに、こっちで新しい発見をすれば、俺も何か役に立てるかも……」
「またそれか……。恭介、それは君の悪い癖だ」
瑛が軽いため息をついた。ふう、と火の粉が小さく散る。
「そういう愚直なところ、僕は好ましいと思うけど、賢いとは思えないな」
「賢くなくて良いんだよ。どうせ脳みそなんてないんだから」
除け者にされるなら、それで一向に構わない。ただ、誰かの役に立っている、支えているという自信が欲しかった。この異世界では気を紛らわすものがないから、余計にそれを強く感じてしまう。
―――ううっ……ぐすっ、えぐっ……
不意に、すすり泣くような声が聞こえてきたので、恭介と瑛はギョッとして立ち止まった。
なんだ、まさか迷宮の外に、自分たち以外にも誰かいるのか? 恭介は瑛と顔を見合わせ、しかしすぐに瑛に顔がないことを思い出す。
泣いている、といっても油断はできない。ここは異世界だ。人間の泣き声を真似て、獲物をおびき寄せる生き物だっているかもしれない。声のする方に、慎重に慎重に、足を運んでいく。
―――もう、やだよう……おうち、帰りたいよお……
恭介は、ぴたりと足を止めた。
泣き声の主に、心当たりがあったのだ。
「姫水……?」
そっと呼びかけると、すすり泣きの声が止む。岩陰から、ねばりと這い出てきたのは、こちらの世界に飛ばされてから初めて顔を合わせた、あの姫水凛だった。凛は、ぷるぷると震えながら、いつもの元気さなどまるで感じさせない、か細い声で、恭介を呼んだ。
「ソラキくん……」
「ウツロギな」
ひょっとして、名前覚えるの苦手なのかな、と思った。