第14話 魔王誕生
翌日になった。
あれから、地下4階ではどのような言葉のやり取りがあり、彼らはどのようにして拠点に戻ってきたのか。恭介は特に聞いてはいない。あの時点で、あの場で一番発言力があったのは佐久間だろう。彼女があそこにいる生徒全員をまとめられたとは少し考えづらいが、それでも、竜崎と共にしっかり指示を出したのだとは思う。拠点に戻ってきた鷲尾や蜘蛛崎たちの先頭を歩いていたのは、その二人だった。
当然ながら、小金井の信用は失墜した。小耳にはさんだ情報では、彼は恭介たちが助けに行く前にも、相当な暴言を蜘蛛崎や竜崎に対して吐いていたらしい。女子の間にその噂はあっという間に広まって、死霊の王を前に見せた醜態のこともあり、小金井のことは誰も見向きもしなくなった。
信用が落ちたのは鷲尾や白馬も同様だ。人間時代は竜崎派、モンスター時代は小金井派だった彼らは、完全にコウモリ扱いされている。だが、これ以上小金井の周りにいることは、同じ針のムシロの中に留まることを示す。結局のところ、二人とも小金井を見限らざるを得なかった。
「………」
恭介は、器の中のスープを掻きまわしながら考える。
食堂の賑わいは、いつもより少ない。小金井がいないし、鷲尾たちも隅っこで居づらそうに食事をしている。さりとて、あからさまな彼らの悪口を言うものがいるわけでもない。クラスの中には、変な空気が蔓延していた。
変な空気があるのは、恭介の周りだってそうだ。
恭介は、あれから瑛とは一切口を効いていない。今まで喧嘩したことは何度だってあるが、これほど長引くのは久しぶりだ。あの時、瑛は小金井を本気で殺す気でいただろう。恭介だって、凛が止めなければ同じことをしていたかもしれない。
恭介と瑛が怒った原因は、おそらく似ているようで微妙に異なる。だから恭介は、自分の理屈で瑛を説き伏せ、納得させられる自信がなかった。
「やっほー、ウツロギくん」
黙り込んでいる恭介の横に、凛がずるずると這いずりながらやってくる。
「姫水……」
「元気そう―――じゃあ、ないね。さすがに。うん。背中の羽根は綺麗にとれたねぇ」
「ああ、これな。ちゃんと五分河原に頼んで本人に返しといてもらったよ」
恭介は、自身のむき出しになった肩甲骨を眺めた。
恭介自身に接続され、翼となった骨格は、あるスケルトンに断りを入れて拝借したものだ。おかげで死霊の王すら圧倒し、打倒すほどの戦闘力を手に入れることが可能になったが、パーツ要員となるスケルトンとパズルの天才である五分河原がいなければ、あんな器用な真似はできない。
あの骨の持ち主であるスケルトンは、五分河原の手で無事に組みなおされ、地下2階あたりに今も生息しているはずだ。
凛は、隣の席に這いずり登ると、皿をコトリとテーブルの上に載せる。
「何のこと考えてたの? 火野くんのこと? 小金井くんのこと? 他のクラスメイトのこと?」
「全部かな」
恭介は薄く笑って答えた。凛は『そっかー』と言ってスープに口をつける。
「小金井くんはね、今、部屋の中だって」
「そうか……」
「会いに行こうと思ってるなら、やめといた方がいいかも」
そう言う凛の口調は、いささか暗いものがあった。
「なんで?」
「多分、小金井くん、今のウツロギくんと火野くんのこと、すっごい怖がってるから……」
「………」
やむを得ない話ではある。恭介は渦を巻くスープを眺めながら思った。
あの時、顔面を殴り付けた嫌な感触を、恭介はまだ覚えている。自分の意志で2発。3発目は凛の制止で止められた。そして、瑛の意志でさらに4、5発。
小金井の顔ははっきり見なかった。だが、ひょっとしたら鼻の骨くらい、折れてしまっているかもしれない。脳挫傷が起こらなかったのが不思議なレベルですらある。
「クラスのみんなは、小金井のことを許すかな」
「たぶん、許さないと思うな」
恭介がふと浮かべた疑問に対する、凛の言葉は冷たい。
「多分、鷲尾くんとか、蜘蛛崎さんとか、小金井くんと付き合いがあって、それで、んー……言い方は悪いけど、美味しい思いをしていた子たちも含めてね。みんな、小金井くんのことを許さないと思う。今までの気持ちの裏返しだよね」
それは、かつてクラスのトップグループにいた凛だから言える、俯瞰的な意見と言えた。
「あたしの好きな有名人の言葉なんだけどさ。小さい魚、なんて言ったかな。小さい魚を、ひとつの狭い水槽に入れると、どうしても一匹がいじめられちゃうんだって」
「うん」
「その子を除けても、今度は別の魚がいじめられちゃうんだって」
「人間は魚じゃない」
「うん。でも、あたし達は人間じゃないよ」
凛の言葉が冗談なのか、あるいは痛烈な皮肉なのか、恭介にはわからない。
「小金井はさ、」
「うん」
「そんな悪い奴じゃなかったよ」
恭介が呟くと、凛はまた小さく『うん』と頷いた。
「知ってる。ウツロギくんの友達だもんね」
小金井は昔からああいう奴だった。声が大きくて、空気が読めない。自分の居場所を保つノウハウが、あまり上手ではない奴だった。
異世界に転移し、ハイエルフとしてのルックスと力を手に入れ、結果として小金井はかつてよりも高い地位を手に入れた。それを守るために必死だったのは、間違いない。竜崎に引き抜かれ、クラスの女子にちやほやされ、それでいて、多くの生徒に妬まれた。小金井は、自分の立場の守り方を知らないから、手探りでなんとかするしかなかった。そうして見つけた手段は、決して褒められるものではなかった。
他者を虐げることで、自分の立場を保とうとする人間は、いる。
恭介だって、自分がそうした感情とは無縁であると言えるほど、傲慢にはなれない。
「俺は、いつも傍にいる友達の心の闇を知らなかった」
「まぁ、ウツロギくんだけのせいじゃないよ。悪いのはみんなだよ。あたしも竜崎くんも、みんなだよ」
恭介の食が進まないうちに、凛はスープをすべて飲み干していた。
「だから、うん。いつかほとぼりが冷めて、小金井くんがみんなにちゃんと謝って、みんなも小金井くんに謝って、それでまた、みんなでご飯食べれると良いね」
「うん、そうだな……」
果たして、そんな日は来るのだろうか。
少し離れた席では、いつものように五分河原が『ごっちそうさーん!』と元気に言い放ち、奥村と一緒に食堂を出て行く。クラスの空気が変な感じになっても、あの二人のように変わらない連中もいる。不良少女犬神響も、口に鳥の骨をくわえ、ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、アクセサリーをじゃらじゃら鳴らして出て行く。
火野瑛が食堂にやってきたのは、そのあとだ。ふよふよと浮かんで入ってくるウィスプを、多くの生徒は気に留めなかったが、恭介と凛は真っ先に視線を向ける。
「やあ、恭介、姫水」
少しばかり不機嫌そうな声で、瑛が挨拶する。
「よう、瑛」
「おっす、火野くん」
恭介と凛も、いつもの軽い調子で返事をした。
「今日は来ないかと思ったよ」
「いつまでも引きずるのも大人げないからね」
そう言いつつ、彼の声にはあからさまな不満が滲んでいる。
「君が甘いのはいつものことだから、今回の件に関してはこれ以上言及しないことにする。ただ恭介、君がどう思っていようと、僕は小金井を許さない」
「ああ、それで良いよ」
正直なところ、何故そこまで怒るのかも、よく理解はできないのだが。
「鷲尾たちにも腹に据えかねるところはあるが、連中には最初から知性を期待していない。鳥と馬だからな。ロクな脳味噌が詰まっていないんだろう」
「そういう瑛は脳味噌そのものが詰まってないぞ」
恭介はお決まりのツッコミを入れて、スープを口に運んだ。喉を伝ってビチャビチャと床が濡れて行く。霊的なエネルギーはしっかり摂取できているが、相変わらず衛生面では不便な身体だ。
「そういえば、他の生徒……っつーか、佐久間たちはどうしたんだ?」
「佐久間は、昨日の一件でクラス内の新たな求心力になりつつあるな。ただ、彼女は性格的にはリーダーに向かないだろう」
「さっちゃん、さっき廊下で竜崎くんと話しこんでたよ」
「佐久間が? 竜崎と?」
意外といえば、意外な組み合わせだ。
佐久間がこのクラスで発言力を獲得しつつあるという話は、恭介にも理解できる。元から人気と素養はあったのだ。女子からの妬みも激しいが、そこはクイーン紅井の後ろ盾があるので、それらの女子はあまり強気に出られない。
彼女は、死霊の王と二度交戦している。1度目はクラスメイトを拠点へ逃がすため、2度目もクラスメイトを救出するためだ。その行動力と勇気を見れば、佐久間の株があがるのも当然と言える。
その佐久間が、竜崎と?
「さっちゃん、ウツロギくんの力になりたがってたから」
「俺の?」
「うん」
そこで竜崎に繋がる理由が、わからないのだが。
いや、わからないということも、ないか。
「恭介は、竜崎がリーダーに相応しいという話をしていたからな。小金井はあのザマだし、紅井は最初からなる気がない。妥当な選択ではあるし、佐久間もそれに納得しているんだろう」
「なるほど」
佐久間ほどではないが、竜崎の株も持ち直している。鷲尾や蜘蛛崎たちが、手のひらを返すように彼に感謝を表しはじめたというのが、効いていた。それに、身を挺して佐久間をかばった話、危険を厭わず、奥村を瓦礫から掘り起こした話も、剣崎や春井の口から語られている。
死霊の王に関わるハプニングがあったとはいえ、恭介たちの老婆心は、要らぬお節介だったかもしれない。竜崎はゴウバヤシがいなくとも、いずれ自ら立ち直ることができたのだ。いま、食堂には姿を見せていないものの、彼は生気を取り戻しつつある。
ゴウバヤシが去ったのは、おそらく自分がいなくとも、竜崎がリーダーに復帰できると信じていたからだろう。それでもどうしようもならなかった時は、恭介にサポートを頼む。あの時の問いかけには、そうした意味があったに違いない。
「ああああッ! 彩ちゃん! 彩ちゃーんっ!!」
そんなことを考えていると、バタバタという音がして、食堂に花園が飛び込んできた。そのまま、杉浦彩のいる厨房に飛び込んでいく。
「あれ、花園。どうしたの?」
「あたしの! あたしの子供たち! トマト! トマトは!?」
「ああ、ごめん。使っちゃった……」
「ひ、ひええええ~! ゴードン! ロジャー! アレックスぅぅ!」
恭介と凛はスープの皿に視線を落とす。今日のスープは、ミネストローネだった。どれがゴードンでどれがロジャーでどれがアレックスなのかわからないほど潰され、溶け合い、混ざり合っていたが、どれもたいそう美味しかった。二人は静かに、花園が丹精込めて育ててくれた子供たちに合掌する。
瑛は気にせずにスープを蒸発させ続けていた。
食堂に誰もいなくなると、恭介たちはいつものように下膳し、杉浦に追い出されるようにして廊下に出る。協議の結果、今日は特訓は休もうという話になった。もちろん、ずっと拠点にいるのも息が詰まるので、外に出てのんびり過ごそうというわけだ。悪い話ではない。
恭介たちが出入り口に向かおうとすると、ちょうど後ろから呼び止められた。
「ウツロギ!」
「ん、竜崎か」
振り返ると、そこにはクラス委員長竜崎邦博が立っている。
「ごめん。凛、火野、ちょっとウツロギを借りて良いか?」
その言葉に、恭介は困惑するが、凛と瑛も顔(ない)を見合わせた。
「別にかまわないが……。ひとこと訂正が欲しい。恭介は賃借物ではない」
「うっわー……。火野くんめんどくさい……」
竜崎は苦笑いを浮かべ『少しウツロギと話がしたいんだ』と言いなおす。二人も『それならば』と言い、先に出ている旨を伝えて外に向かってしまった。
この竜崎が、今さら自分を呼び止めてなんの用だと言うのだろう。ひとまず、恭介は気まずさを隠すために頭を掻いて、無難に言葉を切り出した。
「あー、とりあえず昨日はお疲れだったな。竜崎」
「助かったよ。ありがとうウツロギ」
「ああ、いや……」
そんな気にするなよ、と言いかけて、恭介は顔をあげる。
「……ひょっとして、佐久間に聞いた?」
あの黒騎士、瑛に言わせるところの、ブラックナイト・トリニティフルクロス(長い)の正体が恭介、凛、瑛の合体モードであることは、少なくとも竜崎は知らないはずだ。口裏を合わせ、その際に教える予定ではあったのだが、そんな余計で面倒くさいことはしなくて済みそうでもあるわけだし。
佐久間でないにしても、五分河原なり、剣崎なり。誰かから聞いたのだろうか。恭介が尋ねると、竜崎はかぶりを振った。
「やっぱり佐久間は知っていたんだな。誰かから聞いたわけじゃないよ。ただ、動きの癖がウツロギっぽかったから」
「く、癖?」
恭介は、思わずポカンとしてしまう。竜崎は、照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「ちょっとキモいかもしんないけど……。俺、クラス委員長だからさ……。クラス全員の癖とか、好みとか、なるべく把握しなきゃって思って、結構気にしてたんだよね。ウツロギ、よくふざけてジャッキー・チェンみたいなポーズ取るだろ?」
「ああ、いや、あれブルース・リーなんだけど……」
「そ、そっか。ごめん。カンフー映画あんま詳しくなくて……」
気まずくなったのか、目をそらしてしまう竜崎だが、恭介は驚嘆もしていた。
確かに、使えもしないジークンドーのポーズをとる癖はある。教室の片隅で、瑛や小金井とじゃれていたときもそうだし、強敵に挑む際、自らの心を奮い立てるためにブルース・リーさながらのアクションポーズを決める。とは言え、それだけだ。それだけを、あの戦いのさなか、瓦礫を掘り起こしながら、竜崎は見ていたという。
「あと声だな」
「あ、ああ、うん……」
やっぱりバレるよな、と恭介は思った。鷲尾たちも勘付いているのではないだろうか。確証がないから、言い出せないだけであって。
少しだけ、気まずい空気が流れる。
「ま、まぁとにかく。そんなだから、あれは敵じゃないんだな、って思ったよ。ブラックナイト・トリニティフルクロスだっけ。カッコイイじゃないか。長いけど」
「その名前つけたの瑛なんだけどな……」
やっぱり長いよなぁ、と思い、恭介も頭を掻いた。しかしすぐに小さく笑い、こう言う。
「あの黒騎士の中身は、ウツロギと火野だけか?」
「あと姫水もいる。でもできれば、なるべく正体は隠したままにしたいんだ。瑛、目立つの嫌いだから」
「なるほど、影のヒーローだな」
「まぁ、この分だとバレるのも時間の問題な気がするけど」
死霊の王を倒した黒騎士のことは、それなりにクラスの中で話題になっている。巨大だからこそ上層部には現れないとされていた死霊の王を、人間サイズの黒騎士が倒してしまったのだ。しかも、小金井に手をあげた。あれは一体なんなのか、という噂だ。
死霊の王よりさらに上位のモンスターである、という意見が大半を占めている。積極的な敵対の意志がないのは幸いだが、エンカウントすれば命はないし、ひょっとしたらこの拠点にまで登ってくるかもしれない。そう思ってそわそわする生徒は多かった。
「凛のこともさ、良かったよ」
竜崎は天井を見上げて呟く。
「俺、いっぱいいっぱいだったんだと思う。変わっていくクラスの中で、みんなのことを見てあげられなかった。小金井のことだって、ちゃんと考えればわかるはずだったし、凛だってさ。ウツロギがいなけりゃ、同じことになってたかもしれない」
確かに、走ることができずに腐っていた凛に手を(足を?)差し伸べたのは恭介だ。
あの凛が、たとえば小金井のようなことになっていた? それはちょっと、想像がつかない。だが、走るという夢を失い、仲の良かった友人たちと距離をとられ、他のクラスメイトからも声をかけてもらえずにいれば、如何に根が明るく、優しい彼女でも、心を病んでいったかもしれない。
病んだ結果、過去の栄光にすがったり、周囲を見下すことで心の防衛を図ったり。恭介は考えたくないが、決してありえないこととは言えなかった。凛もその自覚があるからこそ、小金井のことを悪し様には言えないのだろう。
「死霊の王がいなくなったから、さらに下層の探索ができるようになったんだけど、黒騎士におびえる生徒を説得するのは大変そうだなぁ」
竜崎が腕を組みながら難しい顔で呟いた。
「竜崎も下層に行くべきだと思うか?」
「正直わからないな。このダンジョンがどれくらい深いのかもわからないし。ある程度下層に潜ったら、見切りをつけてこんどは地上に出るべきだと思っている」
この世界のことをよく知るために、と竜崎は言った。どうやら恭介と考えていることはあまり変わらないらしい。
自分たちは、この世界のことを、まだ何も知らない。赤茶けた荒野と言わば、そして、せいぜい地下十数階くらいまでしかないダンジョン。恭介たちにとっての〝この世界〟とは、それだけなのだ。
これから何をして行くにせよ、この世界のことは知りたい。知らなければならない。
そのためにはやはり、クラスをまとめ上げる誰かの存在が必要だ。
「やっぱ、ゴウバヤシに言った通りだったな」
恭介は言った。
「クラスのリーダーは竜崎だよ。確かに、ちょっと優柔不断で、八方美人なところはあるけど。いや、これは俺も人のこと言えないな……」
「ああ……。さっき、佐久間にも同じことを言われたんだ」
竜崎は少し照れくさそうに鼻先を掻いた。やはり佐久間も彼にその話をしていたらしい。
再び、委員長としてクラスの指揮を執って欲しいという、直々のお願いだった。確かに今、ゴウバヤシはいない。竜崎のことを、まだ信用しきれないという生徒はいる。それでも、クラス全員のことを平等に考え、まとめあげることができるのは竜崎以外にはいない。
佐久間は、自分が竜崎をたてれば男子の同意は得られるだろうし、紅井が同じことをすれば女子の同意も得られるだろうと話したと言う。ゴウバヤシはいないが、クラス全員で、竜崎を支えていくことはできる。
圧倒的なカリスマで統率するだけが、リーダーではない。
「まぁ、最初に発案したのはウツロギらしいな」
「ああ、うん……」
「だからウツロギにも、改めて俺から、お願いしたいんだ」
竜崎はそう言って、改めてたたずまいを正す。
「俺はリーダーとして、またこのクラスをまとめたい。甘っちょろいかもしれないけど、一人残らず幸せに―――そしてできることなら、元の世界にも戻したいんだ」
元の世界に、戻す。戻るではなく、戻す。まったく、竜崎らしい言葉だな。と思う。
このクラスに、元の世界に戻りたいと考えている生徒は、どれくらいいるのだろうか。恭介にはわからない。だが、リーダーとして再起する竜崎のその言葉は、このクラスに新たなる指針を示すだろう。この世界のことをもっと知らなければならない。そして、元の世界に戻れるか、本当に戻りたいのか。それを吟味しなければならない。
「ウツロギ、この未熟なリーダーを、陰からで良いんだ。支えてくれないか」
竜崎が、そっと右手を差し出した。
彼を、陰から支える。最初から考えていたことではある。だがそれを、竜崎の方から言い出されるとは、思ってもいなかった。結局、あの黒騎士の力を竜崎は必要としなかったわけで、それを考えれば、できることなんてたかが知れている。凛や瑛とも、相談しなければならないこともある。
それでも恭介はしっかりと握り返した。
「わかった。竜崎、出来る限りのことはする」
「ああ、ありがとう」
握手をほどくと、恭介は自らの右手を見た。昨晩、小金井の顔面を殴り付けた感触が、生々しく蘇る。
出来ることなら、あんな思いは二度としたくない。
竜崎がリーダーとしての権威を保っていれば、あんなことにはならなかったかもしれない。恭介が小金井のことをもっと深く理解していれば、あんなことにはならなかったかもしれない。どちらにもその後悔があるなら、多分、目指すべきところは同じはずだ。
「そういえば、昨日、小金井がこんなことを話していたんだ」
竜崎は、不意にそんなことを言った。
「ネット小説とかじゃあ、よく、学生がクラスごと異世界に転移しちゃう話があるらしい」
「あー、集団トリップな」
「だいたいの場合、学生は異世界で勇者ってことになるらしいけど……。俺たちはどう見ても勇者じゃないよなぁ」
ごもっともだ。竜人にスケルトン。スライムにウィスプ。サキュバス、デュラハン、ヴァンパイア。
どう控えめに見ても、人類の存在を脅かすモンスター御一行様である。どっちかというと魔王軍だ。
「じゃあ、竜崎。おまえは魔王だな」
「魔王!?」
竜崎は目を真ん丸に見開いて叫んだ。
「魔王、魔王か……。俺、委員長なんだけどなぁ」
「良いじゃないか。魔王委員長。ハッタリが効いている」
この世界に、知的生命体がどれだけ存在するのか。それもまだわからない。だが、接触の機会があるのなら、この集団にはキチンと名前をつけるべきだ。『神代高校2年4組』だけでは、あまりにも弱い。クラスメイトを守ろうというのだから、委員長から魔王にジョブチェンジしてもらうくらいの気概がなければ困る。
「わかった、魔王だな。魔王で良いよ。俺は、みんなをまとめる魔王になる」
最終的には竜崎も同じ思考に至ったのか、苦笑いしながらそう言う。
「だが、魔王には優秀な参謀がいるよな。なぁ、ウツロギ?」
「ん?」
「表に立てなんてことは言わないが、何かあった時はよろしく頼む。骸骨参謀」
「なんかそれ、仮面ライダーの悪の幹部みたいだな……」
恭介も苦笑いを浮かべようとして、表情筋がないことに気付いた。
この後日、竜崎邦博は食堂で小さな演説のようなものを行う。クラスメイトの大半は、決して真剣に聞いていたわけではなかったが、それでも彼の言葉に耳を傾けていた。ずっとこの迷宮にこもって過ごすわけにはいかない。誰だって、薄々は感じ、しかしなるべく意識せずにいたことなのだ。
竜崎はその事実を改めて突き付けて、その上で、みんなに協力をお願いしたいと言った。頭を下げたのだ。
クラスには小さなざわめきが起こったが、まずは佐久間が拍手をし、その次に紅井が気だるげに手を叩いたことで、雰囲気は一気に流れた。
空気が作られたということはある。それでも、竜崎はリーダーとして認められた。らしい振る舞いは、これから続けていくしかない。少なくとも、身を挺してクラスメイトを庇う竜崎の仲間意識は、既にみんな知るところとなっている。
ようやく、スタートラインに立てたというところだ。
課題は山積みである。だがしかし、異世界転移に巻き込まれてから十数日。神代高校2年4組の生徒たちは、改めてまとまりを持ち始めていた。
「それで? 骸骨参謀としてはどうするんだ?」
拍手していた恭介の横で、瑛が意地の悪い声で言う。
「そういうのやめろよ。気に入ったのか?」
「恭介が参謀なら、僕は何かな、と考えていただけさ」
「正妻でしょ?」
凛もぺちんぺちんと拍手もどきを行いながらいらんことを言った。
「それでね、あたしはねぇ。えっと、何が良いかなぁ。えへへ……」
「三角コーナーだろ?」
「えっ……?」
ともあれ、こうして、迷宮を最初の拠点とした神代高校2年4組に〝魔王〟が誕生した。
こうして誕生した〝魔王軍〟が、この世界全体を巻き込む新たな動乱に首を突っ込んでいくことになるのは、このまた少し、あとの話である。
クラスまるごと人外転生 ―最弱のスケルトンになった俺―
第一章 <完>
第一章完結! ありがとうございます!
第二章は明日の朝7時。第二章からは1日1話更新です。
あと、外伝作品〝乾物ティーチャーかつぶし〟を午前0時に投稿します。本編に登場しなかった先生やバスガイドさんはどうなってしまったのか! 本編とは直接関係ないので、気になる方はご覧ください。




