第102話 急転直下
書籍版は明日発売ですよー。よろしくです。
すがのたすくさんのイラスト、かっこいいよ!!
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炉心溶融まで、あと5日
「甘いよ、殺す気でかかってきな!!」
猿渡の身体を片手で弾き飛ばしながら、ジャイアント・ママが叫ぶ。
タイミングを同じくして、地中から巨大な木の根っこが生え、女傑の巨躯へと殺到する。だが、ジャイアント・ママは一切呼吸を乱さずに片手を掲げ、その分厚い唇が高速で呪文を口ずさむ。おおよそ人類の可聴域を超えた超高速詠唱を聞き取れたものは、少ない。
「閃空光烈覇!!」
最後に唱えられたその文言を合図に、手のひらからは閃光が迸る。視界を埋め尽くさんばかりの輝きは一瞬。それは収束して刃となって、襲い掛かる大量の根を粉砕した。
おおよそ人間が行使しうる中では最高級の詠唱型黒魔法である。エプロンをつけた2メートル近い肥満体の中年女性、都で民宿を経営している騎士夫人が放つには、あまりにもスケールの大きいものだった。絵面は極めてシュールだが、実際に導き出される破壊力について言えばまったくもって笑えない。
光が晴れると同時に、飛びかかってくる影がふたつ。ジャイアント・ママは不動の構えで応じた。
「うおおおらあああああッ!」
影の片方は、叫び声と共にその身体を変貌させる。全身が不自然に肥大化し、その姿は10メートル近い怪魚と化した。ひと口で人間を飲み込めるほどの大顎が、ジャイアント・ママへと迫る。
怪魚の姿へと変貌した魚住鮭一朗だが、相対した女には恐怖も焦燥もない。まるで手慣れたものであるかのように片腕を掲げ、そして彼女の手には魔力が収束した。
収束した魔力が呪文と共に放たれる、より早く、背後からの急襲。オークの張り手が突き飛ばしにかかる。そこで初めて、ジャイアント・ママは体勢を崩した。魚住に向けて放たれるはずであった火雷撃は照準を外し、蒼穹めがけて消えていく。魚住の大きく開いた顎は、そのまま男児3人女児2人を立派に育て上げた、肝っ玉母さんの腕に食らいつかんとする。
如何に卓越した魔法使いと言えど、しょせんは人間だ。フィジカルな強さで言えば、おおよその場合において魔物が圧勝する。はずだった。が、次の瞬間、地面に叩きつけられていたのは魚住の巨体であった。
みしり。鱗と骨の軋む音がする。魚住を中心として半径数メートル近くの大地が、ゆっくりと陥没していった。突如として生じた重力の檻が、魚住を大地へと貼り付けにする。その時既に、ジャイアント・ママは魚住ではなく、背後から迫っていた奥村の方へと向き直っていた。既に至近距離まで迫った奥村に対し、女傑が短く呪文を唱えると、その右腕は空気の弾ける音と共に雷電を纏う。雷光はやがて槍となって、奥村の身体を正面から貫いた。
「ふおおおおおおッ!!」
それでなお、オークの巨体は止まらない。奥村は両腕でもって、ジャイアント・ママの手を掴み上げ、そのまま一気に捻りあげる。
「やるじゃないか!」
余裕の中には喜色さえ滲ませて、ジャイアント・ママが叫んだ。口元から牙を覗かせ、鼻息荒く人体を捻じ伏せようとするオークの形相は必死そのものである。膂力の上での圧倒的優位は、しかしこの場合においては砂上の楼閣に等しい。直後、奥村の身体にも、超重力による負荷が襲い掛かった。
「ふっ、ぐうっ……!」
さすがに怪力自慢なだけあって、一瞬ではくずおれない。だが、全身に張り付いた汗は、パワーゲームの劣勢を如実に告げるものであった。
この状態でなお、魚住も地面に叩き伏せられたまま動けない。この女は、複数の場に同時に高位の攻撃魔法を展開し、それを維持するだけの力を持つ。五神星の名は伊達ではない、と思うと同時に、さすがに見た目との著しいスペック差は詐欺の域だろう、とも思う。
彼らが相手取るのは、この世界において最強の主婦。“獅吼星”ジャイアント・ママ。
同時に一斉に殴りかかった一同を、彼女の魔法は次々に撃墜していった。攻守に優れた多彩な魔法を使う女傑を前にしては、ルークのシャッコウを封じた戦法も役に立たない。壁をもって封じ込めれば地を掘って脱出し、茸笠の薬品攻撃も風を操られれば意味をなさない。結局、正面から力でぶつかるよりは、他になくなってしまった。
そして今である。仲間たちが次々に力尽きる中、奥村曙光が必死の抵抗を見せる。
「ぐっ、ぐ、ぐぐううう……!!」
「むゥ……んッ!」
高負荷の中で、怪魚化した魚住が必死に身じろぎをする。更に、一番最初に動きを封じられたゴウバヤシの身体も、軋む骨を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
超重力に対する反発。抑え込もうとする力を強引に振り払う。
「この中で、動くってのかい……! やるね!」
ジャイアント・ママの言葉の中から、徐々に余裕が削れていく。周囲の木々がぺしゃりと潰されていく中、ゴウバヤシが歩き始めた。
一方の奥村も余裕はない。ぷしっ、と血管が弾けて紅が跳んだ。腕やこめかみ、首筋の動脈が膨れ上がり、力みから生じる圧力に屈して次々と血を噴いていく。
オウガの全身から、黄金色の闘気が滲みだす。このあたりでようやく、女傑の額に冷や汗が浮かんだ。
ゴウバヤシがここまで体力を温存していたのは、周囲にも織り込み済みの作戦である。高火力の攻撃魔法を連発するジャイアント・ママに対し、彼女が最も苦手とするインレンジでの戦闘を仕掛ける。一人でも懐に忍び込み、動きを封じた隙を狙う。
当然、すべてが思うままに行くわけではない。至近距離に忍び込まれた際の対策として、彼女はやはり多彩な魔法で応じた。そしておそらくその虎の子とも言うべきが、この重力結界だ。複数の場に重ねて展開し、動きを封じ込める。極めて強力な魔法を複数行使するジャイアント・ママに、一切の隙は見当たらないように見えた。
結局のところ、ゴウバヤシは奥村と魚住が限界を迎える前に、動かざるを得なかった。結論から言って、この判断はどうやら正しかったようだ。
ジャイアント・ママの魔法処理能力も無限というわけではなかった。広範囲に複数展開した重力結界は、少なくとも彼女の精一杯に近いものであったようである。その上で、闘気を纏ったゴウバヤシを、相手取るだけの余力は残されているか。ここは仕掛けどころだ。そして奥村にとっても、踏ん張りどころだ。
「……ふっ」
その瞬間、ジャイアント・ママは、周囲に展開した重力結界のすべてを解除した。堪えていた奥村の身体が、勢い余って倒れ込む。同時に、見事なタル型ボディの中年女性が、ふわりと空へ浮かび上がった。飛翔魔法の一種と思われる。そして彼女の掲げた手には、再度魔力が光となって集約されていた。
先ほどの魔法で、地上ごとなぎ払うつもりなのだ。ママの口元が高速詠唱を行うのを、ゴウバヤシは見る。
「ふゥンッ!!」
重力結界が解除され、ジャイアント・ママが空に浮かび上がり、そしてそれを追ってゴウバヤシが大地を蹴りたてるまで。この間、1秒にも満たない。闘気を纏ったゴウバヤシの肉体は、砲弾のごとくとなって、浮かび上がった魔法使いの身体を打ち落とした。
『そのようなわけで、辛くも一勝だ』
ゴウバヤシの声は通話越しにもわかるほどに、疲労困憊であった。恭介はねぎらう。
「それでも大したもんじゃないか。五神星っていうことは、あの名無しと同じくらい強いんだろう」
『だいぶ手は抜いてもらっている印象だが』
拠点に残った面子は、ここ数日、ジャイアント・ママ相手に模擬戦を挑んでいるという。五神星や皇下時計盤同盟。それに血族の幹部級。彼らはこの世界でも上位の戦闘能力を持つ存在だ。胸を借りて鍛錬を積むのは、悪いことではない。
恭介としても、一度名無しに手ひどくやられた借りがある。一度くらいは返してみたいものだが、あいにくどこにいるかもわからないし、先にやらなければならないことも、たくさんある。
悪霊湿原に入って既に数日。恭介は凛とともに、剣の特訓も続けていた。剣崎の教え方は非常に古臭いというか、見ての通り極めて直感的で苦労も絶えないが、その辺は凛がきちんと通訳してくれるのでモノにはなっている。ついてきた原尾は相変わらずよく寝ていた。
『それ……ツロギ、そち…の……はどう…っている?』
さすがに花園謹製の通信用トマトも、そろそろ距離の限界であるらしく、ゴウバヤシの声は途切れ途切れだ。要するに植物型モンスターのテレパシーを利用した通信だが、万能というわけでもないらしい。ベヒーモスの頭から生えたトマトも、なんだかツヤを失っているように見える。
「まぁ、順調、と言えば、順調……なのかなぁ」
ゴウバヤシの声が進捗を尋ねるものであると読み取った恭介は、ぼんやりそう答えながら、ちらりと後ろを向いた。
「では改めて説明する! 私は剣崎、集まってもらったおまえ達を暫定的に指揮する人間だ! いや、人間ではないが!」
そこでは、湿原のぬめっとした風にマントをはためかせた剣崎恵が、剣の柄に両手を重ね置き、背筋をピンと張って立っていた。いわゆるセイバー立ちという奴だ。その横では、凛が剣崎の首を同じ高さに掲げている。
よくとおる剣崎の声に、ずらりと並んだアンデッドモンスター達が一斉に応じた。多くはスケルトンであり、カタカタと音をたてる。中にはゾンビやゴーストもいるが、かなりの少数。さらには2体ほどデュラハンもいた。剣崎に比べれば、甲冑が汚れていてみすぼらしく、片方は首を持っていない。
彼らはこの悪霊湿原に生息しているアンデッドモンスターである。恭介たちの目的は、手っ取り早くいえば彼らのスカウトであった。野生のモンスターへ配下に加わるよう持ちかけ、連れ帰るのである。戦力になってもらう代わり、衣食住を保障するという話だ。
五分河原の連れていたゴブリン軍団や、なんだかんだで拠点までついてきたオウガのゼクウと同じである。他にも、転移当初のダンジョンでは、恭介に協力してくれるスケルトンの群れがあったし、カオルコが仲間にしたインプや、魚住に従うサハギンもいたのだが、スケルトンは約束の墓地に置いてきたし、サハギン達とははぐれてしまった。
野生の魔物を戦力として引き込もう、という発想は、実は血族たちとあまり変わらない。だから、せめて恭介は、なるべく暴力的な手段には訴えたくなかった。少なくとも彼らの理解を得た上で連れ帰るつもりだったのだが、それでも意思疎通の結果、それなりの数のアンデッドモンスターがついてきてくれた。
『なら良いんだが』
順調、という恭介の言葉を受けて、ゴウバヤシは言う。その後、彼はこう続けた。
『ウツロギ、火野のことなんだが』
「ああ、何か進展があったか?」
『いや、状況そのものに変化はない。俺が気になるのは、火野の能力のことだ』
「ああ……」
恭介は空を見上げる。彼も、ずっと考えていたことではあった。
火野瑛がフェイズ2能力に覚醒していることは、おおよそ間違いない。かつては火を起こすことが精一杯だった瑛だが、その出力はかつてとは比べ物にならないほど飛躍的に上昇しているし、そしてそれに伴う副次的効果が、他の形でも散見されている。
その瑛がどのような能力を得たのかは、恭介もあたりをつけていることではあった。
『荒唐無稽な推測かもしれんが、俺は核分裂のようなものだと思う』
「やっぱりそうだよな」
笑い飛ばしたりなどはせず、恭介もあっさりと頷く。
帝国につけられた“黒い太陽”という異名も、茸笠の菌糸ネットワークを細胞から破壊したのも、放射能を連想させる言葉だ。太陽が起こしているのは核分裂ではなく核融合だが、恭介もそのあたりの違いを詳しくは知らない。
剣と魔法の世界に飛ばされて、モンスターとして生活を続けてから、早数ヶ月。いまさら、放射能だと核融合だのといった言葉に思いを巡らせることになるとは、思わなかった。
そうであるとして、ひとつ、不安なことがある。
「ゴウバヤシさぁ、ゴジラって見たことある?」
『ない』
「俺も全部見たわけじゃないんだけどさ。そのうちのひとつに、ゴジラが体内のエネルギーを制御しきれずに暴走する話があって、まぁ、メルトダウンしそうになるんだよ」
『ふむ』
背後で剣崎が死霊の軍団に訓辞を垂れている。恭介は、それをどこか遠くに聞きながら、自らの懸念についての話をした。
『おまえは、火野が……その、メルトダウンを起こすことを懸念しているのか?』
「うん。俺も、鷲尾が死んで心が乱れた時は、能力が使えなくなっただろ。瑛も、使えなくなるだけなら良いんだけど、コントロールができなくなったら危ないんじゃないかって」
少なくとも今の状況が、瑛の精神にとって理想的なものであるとは思えない。何より、放射能が大量に漏れているのがその証左だ。少なくとも以前、獣王連峰の山中でまみえた際は、そのような兆候は一切見られなかった。
恭介も、その映画を映画館で見たわけではない。子供の頃、瑛の家で見せてもらった程度の思い出だ。
メルトダウンが起これば東京だか関東だか日本だかアジアだかが全て吹き飛ぶというシチュエーションで、しかし最終的にはそれは起こらずに済んだのだが、果たして映画はどのような結末を迎えたのであったか? 赤熱化した怪獣王を鎮めるために、人類は冷凍弾か何かを撃ち込んでいた記憶があるのだが、2年4組の熱血冷凍弾は現在血族の手の内だ。
『……ウツロギ、これからおまえ達は、どうするんだったか?』
「一応、当初の予定では北に向かって、アンデッドモンスターのスカウトを続けようと思ってるけど……」
この湿原より北に向かえば、“戦士たちの墓”と呼ばれる大型のダンジョンがある。大陸に複数ある文化圏の中でも、極めて好戦的な文化の根付く土地であり、太古から戦い続けた戦士の魂が眠る墓所だ。死後もその衝動に突き動かされた死体が徘徊しているという。
下層部には王墓もあり、特殊な埋葬形態で葬られた亡骸が、マミーやファラオとなって根付いている。彼らを仲間に加えるのが目的のひとつではあった。が、
『ひとまずの目的が整った以上、引き返すことを俺は提案する。俺も火野の能力のことは考えていたが、メルトダウンの危険性は一切考慮に入れていなかった』
「でも俺の想像だ。根拠も何もないよ」
『そう言って、何かあってからでは遅い』
ゴウバヤシの声音は、焦っているというよりもむしろ、どこか諭すような感情が込められている。
『ウツロギ、火野の件を一番気にかけているのは、おまえだ。空想でも懸念があるなら、戻った方が良い』
「……わかった。けど」
恭介はため息をつき、馬車の荷台に鎮座する棺桶を見た。
『うむ?』
「いや、一応みんなと話し合ってみる。俺だけ戻って、みんなにはこのまま北へ向かってもらっても良いかな、って」
『なるほど。それに関しては、そちらの判断に任せよう』
「うん。このままじゃ、何のために原尾を連れてきたのかよくわかんないしな」
幸いにして、戦力は整っている。見たところ、アンデッドモンスター達は剣崎の言うことには従順だ。剣崎は剣崎で、人語を話せない魔物達の感情を理解できている様子だった。これも、剣崎のフェイズ2能力《心眼》の効果だろうか。
ひとまず、ゴウバヤシの通信はここまでにして切り上げる。会話にほとんど支障はなかったが、ここより北上すると、やはり通信にも制限がかかってきそうでは、あった。
「以上だ! 服装のたるみは精神のたるみである! 私がおまえ達の上に立つ以上、たるみは絶対に許さんからそのつもりでいろ!」
「服着てる子の方が少ないじゃん……?」
超旧時代的な薫陶を垂れる剣崎に、凛が小声で突っ込んでいる。
「ちなみに魔王は不在だが、私たち2年4組は魔王軍を名乗るそうだ。さしずめ私たちは、死霊騎士団、といったところだな。なぁ、凛!」
「風紀委員会だと思う」
「いや、しかしそうなると、私が風紀委員長になって、それはややこしいぞ……」
「じゃあ、特別編成風紀委員連合。略して“特風連”というのはどうだろう」
「それは良いな。それにしよう」
なし崩しで名前も決まっているようだった。
炉心溶融まで、あと4日
その後、詳しい話し合いをし、特風連(マジでそういう名前になったらしい)を引き連れた剣崎が北へ向かい、恭介は南へと引き返すことに決まった。当然、北への旅路には原尾が引っ付き、凛は恭介と共に拠点へ戻る。
荷車を牽引していたベヒーモスは、そのまま恭介たちの足となることに決まった。理由としては、これ以上北へ連れて行っても、通信用トマトがきちんと機能しなくなってしまう為というのが大きい。代わりに、湿原で仲間になったゾンビジャイアントが荷車を引っ張っていくことになった。まぁ、歩兵を連れて行く以上、行軍速度はゆったりしたものになるだろう。
食料はほとんどを剣崎たちの方に預けた。死霊兵に食わせる分もあるのだから当然だ。通過地点のジャングルで狩りをしながら進んできたためか、兵站にはある程度余裕もありそうだった。
行軍中の食糧事情を舐めてかかっちゃいけない、というのは、軍オタの小金井から散々しつこく聞かされた話であるので、同じことをきっちり剣崎にも話しておく。食料に余裕がなくなりそうなら引き返すよう告げ、計算の苦手な剣崎は腕を組んだまま冷や汗を流していたが、棺桶の中から『我に任せよ』という頼もしい声が聞こえてきたので、そこは任せることにした。
ともあれ、ここで恭介と凛は剣崎たちと別れた。剣崎と原尾、そして彼らに引かれた死霊だらけの特別編成風紀委員連合は、意気揚々と戦士たちの墓を目指して北上を開始した。
「拠点までだいたい4日、急げば3日……ってところだねー」
恭介の身体に張り付いた凛が呟く。この感覚も久しぶりだ。
「ああ。寄り道はしないでまっすぐ行こう。……頼むぞ」
最後の言葉は、ベヒーモスに向けたものである。頭にトマトを生やしたベヒーモスは、恭介の言葉に応じ、湿原をゆっくりと南に下り始めた。
「火野くん、居場所はわかってるんだよね」
「ああ。目的はわからないけど、ヴェルネウス王国のどこかにいて、位置自体は正確に追えてるみたいだ」
瑛のそばにいるのは、皇下時計盤同盟のひとり、“冥獣勇者”メロディアス・キラーだ。見た目はまだ10歳過ぎの少女といった様子だが、その恐るべき戦闘能力は実証済みである。彼女の放つ冥瘴気が魔物を凶暴化させるという情報も得ている。
放射能を放つ瑛と、冥瘴気を放つメロディアス。2人の組み合わせは凶悪だ。とは言え、放置をするわけにもいかない。状況が不利でも、ぶつかりに行くしかないのだ。どのみち、瑛のことを放ってはおけない。
ジャイアント・ママからもたらされた情報を信頼する限りでは、瑛たちはこちらの所在を探している。拠点の場所が見つかれば後々面倒なことになるから、そういった意味で、打って出るのが理想だ。
「恭介くん、不安そうだね」
身体に貼り付いたままそう尋ねる凛の声は、それ自身は言葉に反して明るいものだ。
「火野くんを連れ戻す自信がない?」
「どうなんだろうな。あんまり、実感が沸いてないのが正直なとこかな」
瑛の居場所を探し当て、彼を連れ戻すのが恭介の直近の目標となる。それを経て、帝国との交渉だ。これ以上、彼ひとりに無茶をさせられない。
「俺さ、今まで瑛と、喧嘩したことなかったんだよね」
「あ、そうなの? 割りとしょっちゅうしてるイメージだけど」
「あ、いや……。一度あったかな。小金井を殴った時、あの後は……まぁちょっと、喧嘩みたいな雰囲気ではあった」
そう。でも、そのくらいだ。
恭介がよく無茶をして、瑛がそれを咎める。それ自体はよくあることだったが、喧嘩にまで発展したことはほとんどない。恭介は瑛の言葉を尊重したし、それ以上に、瑛は最終的に、恭介の無茶を受け入れてきた。決断をなぁなぁで済ませてくることが、多かった気がする。
「付き合いは長いんだよね。もう17年?」
「生まれた時からずっと一緒だったから、そう」
物心ついた時から、ずっと一緒だった。瑛は当時から特撮ヒーロー番組が大好きで、幼稚園ではよくごっこ遊びに付き合わされた。
『きょうすけ、キミがレッド。ボクはブルーだ』
『きょうすけ、キミはライダーをやれ。ボクはけいさつをやる』
当時からそんなんだった。
で、恭介が基本的に怪人役の子と戦って、一度は負けるのだが(そこまで織り込み済みだった)、そうすると瑛が無茶を咎めるような叱責をしてくる。配役自体が瑛の希望に沿ったので、今思えばかなり理不尽な気もするが、恭介はそんな瑛に笑顔を返し、また無茶をしながら怪人役の子にぶつかっていくというのが、いつものストーリーだった。
それ自体は楽しい思い出だし、瑛もまた、そんな遊び方に満足していた。
あの時点で既に、今の関係に至るまでの萌芽は、あったのかもしれない。
だが、明確に楔を打ち込んだのは、今にして思えば。
「恭介くん」
凛は、やや遠慮がちに尋ねた。
「火野くんから聞いたことあるんだけど、恭介くん、火事に巻き込まれたんだよね。子供の頃」
「……ああ」
恭介は頷く。
「それで親を亡くしたんだ。……他人事みたいな言い方だけど、今になると本当に、ふわっとした感覚でさ」
あの一件で、恭介は心に傷を負った。長い間塞がれなかった穴である。だが、今になってみると、記憶も薄れて曖昧なものになりつつある。
「火事のきっかけは俺なんだけど、……あー、まぁ、うん……」
「あ、ごめん。嫌な話だったよね」
「まぁ、嫌な話ではあるんだけど、凛が謝ることでもなくてさ……」
火事の記憶は曖昧だ。それもそのはずである。恭介は煙に巻かれて早々に意識を失い、目が覚めれば病院のベッドにいたのだ。
目の前で両親が火に包まれるところを目の当たりにしていれば、もっと傷跡はわかりやすい形で浮かび上がっていたことだろう。恭介が両親の死を知ったのは、やはり病院のベッドの上だった。葬儀は行われたが、棺桶の中は見せてもらえなかったし、結局のところその死にまつわる実感は薄いまま、両親は遠くへ行ってしまった。
だが、家に火がついたその瞬間と、きっかけに関して、恭介はよく覚えている。
「家に火がついたのって、俺が使ったユーティリティライターが原因なんだけど」
「火野くんも言ってたけど、ユーティリティライターって……なに?」
「チャッカマン」
恭介はかちっ、と火をつける仕草をしながら答えた。
「でもチャッカマンって商品名なんだよ。で、俺が使ったのは商品としてのチャッカマンじゃなかったんで、新聞にはユーティリティライターとか、柄の長いライターとか載ったの。瑛も俺も変なところでマジメだから、じゃあアレをユーティリティライターって呼ぼうってことになって、そうなった」
ま、問題はそこじゃなくてさ、と恭介は続ける。
「なんで俺がライターなんか持ちだしたのかって、ずっと忘れてたんだけど……」
「……うん」
凛の返事が、かすかに重苦しい雰囲気を纏う。
「きっかけは瑛だった気がする。本人は、ずっと言わなかったんだけどさ」
炉心溶融まで、あと3日
湿地帯を抜け、ジャングルへとたどり着く頃には、恭介たちはスコールに晒されていた。雨は密林の構造を変え、大地は水没して別の顔を作り出す。突発性の雨によって生じた水たまりは、本来密林を流れる川に生息する水棲モンスターの生息域を大きく広げる、極めて危険な徴候であると、冒険者のレスボンから聞いたことがあった。
なるべく水たまりを避けつつ、しかしあまり遠回りをするわけにもいかない。恭介たちを乗せたベヒーモスは、やや急ぎがちにひたすら南を目指した。
『あまり良くない報せだ』
ジャングルを通る道すがら、拠点のゴウバヤシからそのような通信が入った。
このタイミングでわざわざ連絡をよこしたということは、瑛関連のニュースなのだろう。恭介は身を固くする。
『新たに皇下時計盤同盟が2人、ヴェルネウス王国に入国したらしい。火野を含めると、これで4人。1ヶ所に4人の皇下時計盤同盟が集まることは、極めて異常な自体らしい』
恭介たちが獣王連峰で遭遇した際も、連中は4人いた気がする。あれは異常自体だったのか、と、いまさらながら思った。
だが、ゴウバヤシの報告はそれでは終わらない。単純に敵の戦力が増強されたという、それだけで済む話ではないのだという。
ゴウバヤシの報告によれば、ヴェルネウスまでやってきた皇下時計盤同盟は以下の通りである。
第1時席“銀狼竜”アンスロック。
第7時席“神槍賜りし”リー・シェンフー。
いずれも、帝国に古くから名を連ねる強豪であり、特に銀狼竜アンスロックは帝国の建国時からその席に座る大重鎮、古老だ。帝国の貴族議会などにも強いコネクションを持ち、皇帝からの信頼も厚きこの老竜が直接出向いてきた意味は、大きいという。
ずいぶん詳しいな、とも思ったが、これらの情報はすべてジャイアント・ママからもたらされたものらしい。そして、問題はここからだ。
いかに帝国の支配域から外れ、強硬な態度を保持できるヴェルネウス王国とは言え、国内に皇下時計盤同盟が4人も集ったとすれば、それは喉元の刃を突きつけられたにも等しい。ましてやその1人は、“竜の一声”で帝国の軍隊をも動かせる古老“銀狼竜”。彼らから申し出された要求を、強硬に突っぱねることは難しくなる。
ヴェルネウス王国の騎士団が、彼らに協力する可能性が出てきたということだ。積極的ではないにせよ、国家の協力を取り付け彼らは、大義名分をもって恭介たちの“拠点”を捜索しにかかることができる。
『さすがに、悠長すぎたかもしれん』
ゴウバヤシの声には、わずかな悔恨が滲む。
ジャイアント・ママは王都へと帰還した。せざるを得なかったのだ。彼女は最強の冒険者のひとりではあるが、同時にこのヴェルネウス王国の国民であり、その家と息子たちは王都にある。彼女が皇下時計盤同盟と直接ことを構えれば、親しい人間達に危害が及ぶ可能性があった。
つまり、皇下時計盤同盟4人を相手どるにあたって、ジャイアント・ママの助力は期待できなくなるということだ。状況は極めて悪い。
「ひとまず、早めに引き返したのは正解だったな」
恭介はつぶやく。
『拠点を発見される前に、打って出る必要はある。その上で、火野との接触が最優先だ。まずはおまえ達の帰還を待つ』
「ああ、なるべく急ぐよ」
密林を揺らすスコールは、止むどころかいっそうに、その勢いを増していた。
炉心溶融まで、あと2日




