第100話 盤上の針は交わらず
『アッキーの様子が、あんまりよろしくない』
フィルハーナは、そのような魔法通信を受け取った。
『やっぱり、例のスケルトンくんと接触したのが原因だと思うー。炉心の調子が不安定で、“毒”が凄い撒かれてる。あたしじゃなかったら、死んでるかもしんない』
火野瑛の近況を告げるその報告は、あまり思わしいものではなかった。単なるウィル・オ・ウィスプから、“神の炎”へと進化を遂げた瑛は、その炎から周囲に“毒”を放出する。彼はその毒の放出量を自らの意志で抑え込むことができるはずだが、精神的に不安定となっている今、それが難しくなっているというのが、彼と行動を共にしている“冥獣勇者”メロディアス・キラーの言葉であった。
火野瑛の毒は、生物の細胞を蝕む。あるべき遺伝情報を破壊する。その毒はあまねく生物に対して有害だ。一世代限りではなく、子子孫孫にまで爪痕を遺すという。メロディアスは、言わば冥瘴気で自らの身体を動かす人造人間であり、毒の影響を受けないというのが、辛うじて僥倖ではあった。
加えてメロディアスは、ヴェルネウス王国での活動に際し、王国からの援助が見込めないであろうと語った。
現時点で、ヴェルネウス国内において転生体モンスター達の居場所を探すのは、極めて困難だ。メロディアスは、素直に応援を要請してきた。
「応援に関しては、これから会議がありますので、その結果次第ということになります」
『おー。まじか。期待していい?』
「ランバルトは口が上手いですからね。何とかなるのではないでしょうか」
『わかった! じゃあ、あたしはアッキーを刺激しすぎない程度に、あの子たち探すねー』
魔法通信はそこで終了する。フィルハーナは顔をあげ、薄暗い室内に居揃う顔を、ずらりと眺めた。
ここは、中央帝国帝都の“どこか”に存在する、皇下時計盤同盟の本部。それぞれが盤面の数字を冠した、そうぜい12名の守護者が顔を突き合わせ、方針を語る場だ。
実のところ、12名が同時に揃うことなどほとんどありえない。召集をかければ、みな渋々応じるが、それでも大抵の場合は現在従事している作戦が優先される。
そして先に言えば、皇下時計盤同盟は一枚岩ではない。
国家の決定よりも早く、国家の敵となるものを叩く。それが皇下時計盤同盟だ。だがその過程で、思想によって激突が生じることは、それは決して珍しいことではないのだ。
「このたびは、諸兄にお集まりいただき感謝する」
第6時席、“剣暴術数”ランバルト・ゴーダンは、朗々たる声でまず定型の謝意を示した。
現在、この円卓に着いた影は6つ。
第1時席、“銀狼竜”アンスロック。
第3時席、“巨天”オケアヌス。
第4時席、“鉄拳聖女”フィルハーナ・グランバーナ。
第5時席、“焚骨砕神”ダイアログ・ブラスター。
第6時席、“剣暴術数”ランバルト・ゴーダン。
第7時席、“神槍賜わりし”リー・シェンフー。
うち、アンスロックとオケアヌスは皇下時計盤同盟最古参。帝国の建国時からこの円卓に席を持つ者である。アンスロックは銀の鱗に狼の毛並を持つ竜人の賢者であり、オケアヌスは海色の神を持った背の高い女性だ。本来は山ひとつを抱えるという体躯の巨人であるが、普段は人間にしてはやや大きいといった程度のサイズで活動している。
フィルハーナとランバルトは言うまでもなし。ダイアログは、首から下を機械式の甲冑で包んだ、精悍な顔立ちの中年である。ランバルトの依頼を受け、瑛の駆動式甲冑を作ったのはこの男だ。本質的に、ランバルトの側の人間である。
リー・シェンフーは口数の少ない老人である。鍛え抜かれた肉体は、20代かと勘違いするほどに若々しいが、顔には皺と白髪が年輪として刻まれている。求道的な性格であり、自己主張はあまりしない。
ランバルトは、おそらくアンスロックとオケアヌスを抱き込むために今回の招集を行ったのだ。
発言力の強い彼らがこちらの方針に賛成すれば、元老院や貴族議会、ひいては帝国軍をも動かしやすくなる。
「6時席殿、とってつけたような謝意を示す必要はない」
銀狼竜の顎が重々しく開く。
「貴兄の独断行動については、我々としてもうかがいたいことがある」
「ほう」
ランバルトはわずかに目を細めた。
「それは、ピリカ南王国の一件だろうか。それとも、」
「いずれもです」
彼の言葉を遮るようにして、静かに語るオケアヌス。
「南王国のクーデターを鎮圧した一件、あれ自体の手腕は見事なものでしたが。やり口が強引すぎたのではと、元老院や貴族議会でも批判の声が上がっています。人望のあった第三王子の処刑以降、国民の不安が高まり統治には苦労しているとの話です」
「迅速な対応が必要と判断したまでだ。それに、戦犯を処刑しないとあっては、改革派を付け上がらせるだけではないか」
「本当にそれだけかね」
「何がおっしゃいたい、アンスロック老」
銀狼竜アンスロックの、縦長に切れた瞳孔が、ぎょろりと動いた。
「貴兄が魔物に執着しているという件は窺っている。その為に強引で雑な処理を行ったのではないかと、我々は疑っている」
「ふぅむ……」
ランバルトは、細い顎に手をやって、考え込むしぐさを見せる。
「そうした思いが無かったかと言えば、否定はできません」
「ほう。場合によっては、皇明裁判ものであるぞ」
「それが皇下時計盤同盟の意向となるならば従いましょう。だが、まずはお聞きいただこう」
そう言い、ランバルトはフィルハーナとダイアログに視線を向ける。2人は頷き、席から立ち上がると、右腕をすっと宙に掲げた。
彼らの腕がぼんやりと輝きを帯び、やがて宙へヴィジョンを投影する。腕を組み、目を瞑ったままだったリー・シェンフーが片目をあけた。彼らが宙に映しだしたヴィジョンは、なんのことはなく、それ自体は単なるプレゼン用の資料である。
こちらが掴んでいる情報を、まずはアンスロックとオケアヌスに説明する。それが一番だ。
ランバルトもまた、皇下時計盤同盟の一員として中央帝国の為に動いているのであり、南王国の制圧も転生体モンスターの捕獲も、それに従ったものである。その説明には、新たに発覚した“赤き月の血族”の脅威について、説明をし直さなければならない。
「アンスロック老とオケアヌス殿ならご存知であろう。神話戦争時代、眷属を率いて世界より逃亡した王神の存在を」
「“血の王”か」
「王神の中では少々、特殊な位置にありました」
竜の王、剣の王、海の王、獣の王、命の王、死の王魔の王、そして血の王。
いずれも、かつてこの中央大陸を支配していた王神と呼ばれる存在である。だがそれは、古代の神話戦争において滅び、あるいは天神に従属を誓うことで生き延びた。
竜の王は滅び、その骸を遺したまま消滅した。王片は帝国の手にある。
剣の王は唯一天神に従属することなく生き延び、大陸の片隅に剣王の城という領土を構えている。
海の王もまた滅び、その骸は海へと消えた。王片は、やはり帝国の手にある。
獣の王は戦いの果て、天神、ひいては帝国への従属を誓った。肉体は滅んだが、王片は代々適格者に受け継がれ、“獣王”として帝国に従っている。
命の王は従属を拒み、王片を宿したままその姿を大樹へと変えた。既に王神としての意識は残されていない。
死の王は滅んだが、その王片は行方が知れていない。
魔の王も滅び、その王片の所在が長らくつかめなかったが、このたびランバルトの手で帝国に引き戻された。
そして血の王だ。血の王片は天神によって奪われ、その王片は現在でも帝都に保管されているが、血の王本人は世界の外側へと逃亡した。そして長らく、こちらの世界では忘れられていた存在でもある。
しかし、この近頃、帝国周辺に発生する“赤き月の血族”と名乗る集団が、その血の王の眷属であることが発覚した。これは、フィルハーナの掴んできた情報だ。
血の王はこちらの世界に戻ってきた。彼らが血の王の本格的な復活、すなわち王片の奪取を目論んでいるのは明らかなことである。そして彼らは、そのための手段として、ランバルトが『転生体モンスター』と呼ぶ魔物を戦力として手中に収めようとしている。
オケアヌスの語った通り、他の王神と比べ、血の王の立ち位置は特殊だ。
血の王は自身の生み出した眷属を持たず、他の眷属に自らの因子を打ち込むことで従属させる。それは血というよりもむしろ、病の象徴であるようにも思われた。だがとにかく、血の王の因子を埋め込まれた存在は、たとえそれが何者であろうとも王の命には背けなくなる。
そうした眷属化の適性素体として、血の王が異世界から連れてきたのが転生体モンスターということなのである。
「ふぅむ……」
これまでに得た情報を、ランバルトが語る。するとアンスロックは下顎を撫でながらそう漏らした。
「連中が王神の復活を目論んでいるというのは、にわかに信じられぬ話ではある、が……」
「彼らは魔の王片を所持していました。加えて、血の王片を狙っているのも間違いはありません」
フィルハーナが強調する。アンスロックは目を閉じた。
「仮にそうであれば、由々しき事態であるという貴兄の話は、理解できるところでもある」
“血の王”が復活した場合、それは単純に脅威だ。
代替わりを経た獣王は、オリジナルの“獣の王”ほどの力を持たないし、世界に唯一残る“剣の王”は、帝国に従属する存在ではない。天神が去った後の地上において、神の力に歯止めをかけられる者は存在しないのだ。
「だが、それほどまでに魔物に執着する必要はあるのか? 所詮は魔物であろう?」
「個体によっては、我々に匹敵しうるほどの成長を遂げることがあるそれを、“所詮は魔物”と断じられるのか?」
ランバルトが言っているのは、もちろん火野瑛のことだ。
彼の口から、血族に関する情報はある程度得られている。血を与えることで彼らを従属させ、更なる力を与えることこそが血族の計画の最終段階なのだ。瑛はあれだけの破壊力を持った力を有しておきながら、まだ第二段階に過ぎない。
瑛だけではない。ランバルトが捕獲した他の魔物にも、通常の個体では見られない特殊能力を発現させた者がいる。そしてフィルハーナが新大陸で出会った、空木恭介たちも、やはりまたそうだ。
元が人間であり、特殊なゲートを通じて魔物化した彼らは、通常の魔物よりもはるかに強力な個体に成長しうる。そしてそれを更に強化し、従属させるのが、血族の血なのだ。
魔物の数は全部で40体近く。そのすべてが同じように力をつけ、同じように血族化した場合、皇下時計盤同盟の全戦力をもっても応じきれない可能性がある。
危険の芽を摘むなら、今だ。
「7時席殿はどう思う?」
「………」
いきなり水を向けられ、“神槍賜わりし”リー・シェンフーは黙りこくる。
だが、しばらくして彼は、このように口を開いた。
「……少なくとも筋は通っている」
リー・シェンフーが自身の意見を述べるのは珍しいことだ。彼らはじっと次の言葉を待つ。
「……剣暴のが言う言葉がどれだけ信用に足るものであれ……、危険な魔物を放置する手もない」
「……危険な魔物、ですか」
それを思わず口に出してしまったのは、フィルハーナであった。一同の視線が、一斉に彼女へと向く。
「……何か?」
「あ、いえ……。意見があるわけではありません」
フィルハーナが転生体モンスターの捕獲に協力的なのは、彼らの戦闘能力を血族に利用されることを恐れるからだ。
もちろんそれは、彼らのことを“危険な魔物”と認定している事実に変わりはない。そこに余計な情けは不要であるとも、考えている。少なくともほとぼりが冷めるまでは、彼らは全員、帝国の庇護下に置かれるべきだ。
そしてこの考えの延長線上には、血族側に既に捕獲されてしまった転生体モンスターに関しては、手心を加えずに抹殺するべきであるという考えも含まれる。
だがフィルハーナには、どうしても割り切れない感情のようなものがあった。少なくとも彼らは、怪我をした冒険者を見逃すだけの情緒を備えている。彼らの目的が、『全員無事で元の世界に帰ること』であるのも、瑛の口から聞く限りは真実であるはずだ。それを“危険な魔物”と断じることに違和感がある。
フィルハーナの抱えたモヤモヤを放置して、議題は進行していった、
「―――ヴェルネウス国内で、転生体モンスターの捕獲に従事しているメロディアスが、応援を要請している」
「……では儂が行こう」
腕を組んだまま、目を瞑ったリー・シェンフーがそう呟く。
「私もゆこうか。6時席殿の言葉をすべて信用したわけではないが、状況は見定めねばならん」
「あ、それでは私も……」
次に、銀狼竜アンスロックも頷いた。フィルハーナも手を挙げ、立候補しようとする。
「いや、フィルハーナ。おまえには別に頼みたい用件がある」
「私に、ですか?」
ランバルトがそう言い、フィルハーナは首を傾げる。
「ああ。俺と一緒に、物資の輸送を行ってほしい。詳しい話は、後でしよう」
「……わかりました」
何か釈然としないものを感じつつも、フィルハーナは頷いた。
その後、いくつかの議題が話し合われはしたが、やはり彼女のなかのモヤモヤは、消えることはなかった。
捕獲された転生体モンスターは、帝都のはずれにある帝国稀少生物書士隊の本部に送られる。
白塗りの壁で周囲を覆われたこの施設には、大型モンスター用の飼育檻がいくつも用意されているというのが、その理由だ。そうして彼らは稀少生物書士隊の研究対象となるが、フィルハーナや瑛の方から、皇下時計盤同盟の権限を持って、彼らの尊厳を尊重したうえで接するよう厳命を下していた。
とは言え、檻の中だ。いかに扱いが丁重であろうと、自由が保障されない以上尊厳も軽んじられる。彼らを人間のように扱えというその言葉自体が、あるいは欺瞞なのかもしれなかった。
フィルハーナは会議のあと、この書士隊の本部を訪れていた。
皇下時計盤同盟の証明たる懐中時計を見せれば、警備の厳重な壁の内側にもやすやすと入ることができる。ちょうど、壁の中の広い庭には、青白い雷光を纏った翼を広げ、一頭の怪鳥が舞い降りてくるところだった。
サンダーバードだ。
千本槍山脈から雷鳴山脈にかけてのみ生息する大怪鳥であり、その生態はほとんどが謎に包まれている。書士隊から見れば垂涎モノのサンプルだろう。あのサンダーバードは、書士隊に対して積極的に協力をしていた。名前を、神成鳥々羽と言う。
書士隊に協力を申し出ているのは、神成だけではなかった。その後ろから、風を引き裂くようにして地面に着地する黒い影が、鴉天狗の烏丸義経だ。あちらの方は、フィルハーナもよく知っている。
神成にせよ、烏丸にせよ、飛行能力を持つ彼らはその気になれば壁を飛び越えて逃亡することなど容易いはずである。だが、彼らはそうしなかった。
「………」
フィルハーナは、しばしの逡巡の後、中庭を歩いて彼らの方へと向かった。
「お、フィルハーナさんだ」
書士隊から差し出された水にクチバシをつけながら、烏丸が言った。
「あ、どうも。お疲れ様です」
神成も、その巨体でぺこりと頭を下げる。
全身に迸る電流で、ばちばちと空気を弾く神成の姿は荘厳である。翼の色も、白を基調に青、黄色、オレンジなどが混じって大変美しい。聞くところによれば、捕えられてから一貫して塞ぎ込むことなく、唯一前向きな態度を見せているのが、このサンダーバードであるという。
芯の強い心根を持っているのだろうな、とフィルハーナは思った。
「なぁ、フィルハーナさん。そろそろ俺たちを、ここから出してくれるわけにはいかないの?」
烏丸が、出来るはずもない提案を軽口で叩いてくる。彼の軽薄な態度は、フィルハーナの彼らに対して抱く後ろめたさのようなものを緩和してくれた。少なくとも、塞ぎ込まれて恨み言を叩かれまくるよりは、よほど気が楽だ。
「残念ながら、当分、こちらの庇護下から動かすことはできません」
フィルハーナは小さく笑ってそう答える。
そして、手元の石版で情報記憶結晶にデータを書き加えていく書士隊の隊員に、こう尋ねた。
「……他の魔物は、どうでしょうか?」
「塞ぎ込んだまま立ち直れていない個体が多いですね。特に……」
そう言って、隊員は小声でこっそりとデータを見せてくれる。浮かび上がったヴィジョンは、捕獲された当時のそれぞれの魔物の情報が記載されていた。
「特に、この個体です」
指し示されたのは、霊獣ケット・シーのデータである。メスの個体で、名前が猫宮美弥というところまでは確認できた。
他の個体、例えばケンタウロスであるとか、キキーモラであるとかは、時間経過によってコミュニケーションがとれる程度には回復している様子だし、ケンタウロスは神成や烏丸同様、研究に協力する姿勢を見せてくれていると言う。あずき洗いの御手洗あずきも同様だ。
だが、その中で、このケット・シーだけは一向に回復の兆しがない。こちらの呼びかけにも応じない。食事はするようだが、日に日に弱っているのが確認できるという。
「我々はあくまで、生物の専門家です。ただ、この場合はどちらかというと、人間的な精神に関わる問題であるように思えますので……」
「わかりました。ありがとうございます」
フィルハーナは頭を下げる。わかったところで、彼女にできることなど、何もありはしないのだが。
「(やっぱり、人間と変わらないのよね……)」
彼らのメンタリティは、そうだ。その事実が、フィルハーナに迷いを与える。
瑛が友人との再会に揺れているように、このケット・シーもなんらかの原因で心に傷を負い、それを癒す術がない。あるいは、それに向き合うための方策を探すために、神成や烏丸は積極的に書士隊との交流を図っているのかもしれない。
「それで、フィルハーナさんは、今日は何をしに来たんですか……?」
神成がこちらにクチバシを向けてそう尋ねた。
「ああ、いえ、特に理由はないんです」
本心を気取られぬうちに、慌てて取り繕う。同時にフィルハーナは、会議のあと、ランバルトに告げられたことを改めて思い出した。忘れていたわけではない。フィルハーナがここに来たのは、本来それを告げる目的があったからだ。
だが、それはあまりにも急な話だ。まだ彼女としても納得しかねるものがある。だから、まだ口には出さなかった。
『血族に狙われる可能性があるので、彼らを安全地帯まで護送する』とは。
真意が掴めずにフィルハーナは問いただしたが、結局ランバルトには上手く丸め込まれてしまった。彼の真意が掴めない。心の内側にぽつりと疑念が沸いて、それがやはり、当分消えそうにはなかった。
炉心溶融まで、あと7日
スランプは脱した! これからまた隔日更新に戻れ……たら、良いな!!




