第96話 ディア・マイ
遅れてごめんなー!!
「おっつかれさまー!!」
『いぇーい!!』
ささやかな祝勝会とも称すべきものが、その後、冒険者の酒場にて開かれた。10体以上の魔物を連れ込むにはいささか手狭ではあったが、モンスターを連れ込めるような場所というのが、そもそも少ない。
というか、この酒場はあくまでもモンスターの連れ込みがOKな酒場であって、本来は、モンスターが集まって騒ぐための酒場ではない。なので、周囲の冒険者たちからは、奇妙なものを見るような視線が、こちらに向けられていた。
ひと目は憚るべきであったかもしれないが、友人たちとの久々の再開だ。何も縮こまることだってないだろう。加えて、初のルーク退治からの凱旋でもある。
「いっやあ、しかしみんな、強くなったねぇ!!」
やけに弾む声で、凛が言った。
「成長するっていうのは、良いもんだね!」
「先に断っておくが姫水。強くなることだけが、成長することではない」
ゴウバヤシはグラスを片手に小さくつぶやく。
「が、その上で言おう。みな、成長した。良いことだ。無論、おまえや、ウツロギもだ」
「ふっへっへっへっへ……。いやぁ、そりゃあもちろん……。ねぇ、恭介く……おや、恭介くんは?」
凛が身体をにょろにょろと動かしながら周囲を見回すが、そこには確かに空木恭介の姿が見当たらない。少し離れた席で一心不乱に食事していた魚住鮭一朗が手を止め、くるりと振り返った。
「外で冒険者の男と何か話してたぞ」
「あらら……。マジメだなぁ。まぁ、いろいろあるからねぇ」
いろいろ、なんて誤魔化した言い方はしたが、凛にも恭介の気持ちはわかる。
今までレスボンにはさんざん世話になったが、いつまでもそうしているワケにはいかないのだ。彼にはこれから、彼の生活がある。頼めばもっと力を貸してくれるかもしれないが、他のクラスメイトたちと合流できた以上、恭介はそれを望まないだろう。だから、これからのことについて、レスボンと話しているのだ。
合流した一行は、これからヴェルネウス王国に向かう。杉浦たちが用意した温泉旅館は、現在、花園の《植物操作》や原尾の《ピラミッドパワー》によって恐るべき要塞と化している。そこを拠点に仲間を集め、新たな方針に向けて動くのだ。血族との戦いも、視野に入れていかねばならない。
「ま、こっちではもう少しゴハン食べてましょー」
なお、金銭に関しては、闘技大会で優勝を収めたゴウバヤシ達が一番羽振りが良い。逆に、カネを一番持っていないのは凛達の方だ。ベヒーモス退治でも成功させていればまた別だったかもしれないが。
現在は、一同の財布は統合されているため、この酒場での食費はそこから出ることになる。
財布を握ることになったのは杉浦である。突入戦では見事な《体色変化》による擬態能力と、オクトパスホールドを披露した彼女ではあるが、やはり戦闘向きではないため、引き続き料理番を続けることになる。金銭感覚割りとしっかりしていそう、という、一同の偏見によってお金も預けられた。
ちなみに、当の杉浦は少し離れた場所で花園とテーブルを囲んでいる。出された料理を、何やら不満げな顔で眺めていた。
「彩ちゃん、なんでそんなに怒ってるの……?」
「怒ってないけど……この魚のフライ、揚げ過ぎじゃない……? やっぱりあたしが調理場に立つべきだった……」
唇を尖らせる杉浦とは対照的に、花園はニコニコ顔だ。
「もー、彩ちゃん。ここはこーいうお店なんだからさー。ここは美味しいゴハンを食べるところじゃないのー」
「そりゃあ……。……花園はこういうお店来たことあるの?」
「ないよー」
「でも、」
「ナイヨー」
花園も、以前の引っ込み思案な性格に比べれば、ずいぶんと変わったように思える。のんびりしたところや、自己主張をあまりしないところは変わらないが、割りとしたたかになった。
「えっ、ハナさんってお酒飲むの……?」
魚住鱒代が驚いたような顔をして、そっと凛に耳(ない)打ちをしてくる。が、凛もぐにょんと身体をかしげることしかできない。
「さ、さぁ……。あたし、華ちゃんの噂はあまり集めてなかったから……。彩ちゃんがね、飲むのは知ってるよ。特技は利き酒だって。センセーには秘密だけどねー」
「へー、酒豪なんだ」
「お父さんもお母さんも強い肝臓の家系なんだって。ハイブリッドだね」
そんな杉浦であるからして、この場でもしっかりお酒を頼んでいたりする。いわゆる蒸留酒だ。
杉浦が好きなのは日本酒なので、実際あまり口には合っていない様子だったが。
「フッ……。酒か」
グラスを傾けながらそう呟いたのは首なし風紀委員の剣崎恵である。普段の彼女ならここで小うるさいツッコミを入れてくるところであったはずだが、今の剣崎は違う。
「ほどほどにな」
「おー、つるぎんも変わった」
「フッ、だろう?」
テーブルの上に置かれた生首が、思いっきりドヤ顔を見せていた。
人間時代、クラスの女子ヒエラルキーでは、凛のグループが実質的な頂点にあった。メンバーは剣崎に鱒代と、スポーツ系女子が揃った比較的優等生寄りのグループだ。その中でも、風紀委員の剣崎はやたらと口うるさかったため、他グループから煙たがられることも、それなりにあった。
その剣崎が飲酒を認めるかのような言動を取るというのも、それはそれで事件である。こういうのは、心に余裕ができたということなのだろうか。
「無論、これは状況が状況だからだ。元の世界に戻ったら同級生の飲酒は見逃さない。良いな?」
「まー、あたしはしないけどね。お酒」
凛は答えた。未成年の飲酒喫煙は、身体の生育に多大な影響を及ぼすのだ。凛はまだ成長期を諦めていない。
胸はともかく、もう少しタッパがほしいところだ。もっと言えば、足の長さだが。ま、これは人間に戻る時の話だろう。
「あたしもー。お酒は喉に悪いって言うじゃない」
隣で鱒代もそう言った。陸上部の凛同様、水泳部のエースとして有名な魚住鱒代だが、その実、水泳以外のものに吹っ切れない未練があったことを、凛はよく知っている。合流後の彼女は、その未練に正面から向き合っているような姿が増えた。これも成長だ。良いことである。
一方で、まるっきり変わっていないように見えるのが猿渡や奥村たちだ。
奥村はともかく、猿渡は自分の中の何かしらの問題を解決したのではないかと思われるのだが、見たところまったく変化がない。以前のような熱血青春野郎のままである。
「これは女子の視線なのか……。男子から見ればまた違うのかなぁ」
あまり広くない店内で、クラスメイト達は思い思いの時間を過ごしている。凛たちのように、旧友との再会を喜んでいる者もいるが、ゴウバヤシや原尾などは1人で静かに食べている。杉浦と花園のように、もともと仲の良かった相手と中心に話している者もいる。
ここに白馬がいれば、原尾と話が弾むこともあったのだろうが、彼は血族に捕まってしまったままだ。
「それで、これからどうするのだ。姫水」
ナッツを口に運びながら、剣崎が言う。テーブルの上に顔が置かれているので、なんだか食べさせているような構図だ。
「どうするって?」
「杉浦達が用意した旅館を拠点にするのは良いが、その後だ。具体的にこれからどういった行動を取る?」
「んー。まぁ、最終的には、恭介くんについてこうと思うかな。あたしは」
今までだったら、恭介に方向性を示してやる存在が必要だったが、今はその心配もいらないはずだ。
凛は元の世界に帰りたい。そのための最速ルートは、とっとと東の森の賢者に会って帰還のための準備を整えてしまうことだ。凛に限らず、そう考えているクラスメイトはいるはずだ。ただ、その為に囚われた仲間を見捨てるのが、ちょっと気まずいだけであって。
「私は、クラスメイトを全員連れて帰るぞ。鷲尾の遺骨も含めてな」
「つるぎんはそう言うよね。うん。安心した」
「雪ノ下達や御手洗達が捕まった話は聞いた。諦めるつもりはない」
ぐっ、とガントレットに覆われた拳を握る剣崎。
「ますっちゃんは?」
「あたし? あたしはねぇ、ひめりんと同じかな。帰りたいけどね……。まぁ、ここまで来たらねぇ」
そう言って、鱒代はふわっと自らの髪をかきあげる。人間時代はベリーショートだった彼女のヘアスタイルだが、人魚に姿を変えて大きく変化した。この変化はおそらく鱒代の理想の具現であって、目標をきっちり見つめなおした今、帰還のモチベーションも高いのだろうな、と思う。
「ウツロギの今後の方針は尊重するつもりだが、」
と、背後で静かに食事をしていただけのゴウバヤシが、話に入ってきた。
ブドウの粒をひとつひとつ、房から丁寧に取り外して口に運ぶ動作は、図体の大きさに比して彼の几帳面さを表しているようで面白い。
「あいつが無茶をしたり、させようとしたりした場合は、もちろん止めるのが俺たちの役割だ」
「あーうん。まぁ、そうだねぇ」
「今回はルークを倒すことができた。だが、協力できるラインは、現時点ではここまでだろうな」
ゴウバヤシが危惧しているのは、血族と帝国の両勢力を同時に敵に回すことだろうか。それは、凛にもわかる。ルークに匹敵する敵を、複数同時に相手にするには、まだまだ戦力が足りていない。
「喧嘩の鉄則は、必ずしも相手を屈服させることではないデブよ」
更には、奥村が横から口を入れてくる。
「相手に条件を飲ませるなら、上手な虚勢の張り方ってモンもあると思うデブ。ここでいう“条件”っていうのは、もちろん、捕まったクラスメイトの開放デブなぁ」
「でも、恭介くんさぁ、そんなに器用じゃないよ?」
「器用に立ちまわる必要はないデブ。これはあとでウツロギにも言うつもりデブが、ルークと同等の戦力を持つ相手、つまり皇下時計盤同盟を、最低でも1人、うまくすれば2人、こっちでボコボコにしてやれば良いんデブ」
口調は温厚だが、彼の言葉はかつて近隣一体を恐怖に陥れた伝説の不良“赤いちゃんこ鍋”のものだ。
こちらの戦力は現状舐めきられている。舐めさせておけば良い状況というのはままあるが、少なくとも今はそうではない。帝国にとっても血族にとっても、凛たちは“狩りの標的”でしかないのだ。その認識を是正させなければ、同じ土俵に立たなければ、クラスメイトの開放などままならない。
「確かに、その手段を使って話を飲ませるなら、帝国の方だな」
がちゃ、と扉が開いて、ボロ布をまとったスケルトンが店内に入ってくる。
「おっ、恭介くん。聞いてた? レスボンさんとのお話、終わった?」
「聞いてた。話も終わったよ」
つかつかと歩いて、恭介が椅子に腰を下ろす。
「リスクは高いな。脅威だと認識されれば潰されるかもしれない」
「ま、それは否定しないデブ」
「でも、血族はどのみち潰さないといけない。このままだと、紅井が自由にならないし。交渉するのは帝国の方だな」
恭介の言葉は攻撃的だ。だが、彼はこうも続けた。
「ただ、血族を倒すのは紅井の安全を確保して、かつクラスメイトを全員取り返すことが目的だから、まあ、俺たちが実は無理にぶつかる必要はないんだよなぁ」
「そのために帝国と手を結ぶか?」
ゴウバヤシの言葉を受け、恭介は天井を見上げる。
「可能性としてはナシじゃない。けど、搾取されるだけにならないようにするには、やっぱり、1発ぶん殴る必要があるよな」
やはり、恭介の言葉は妙に攻撃的だ。
それは、帝国をどこか信用しきれないというよりも、単純に彼らの強引なやり口に対して憤懣冷めやらぬといった感じである。そして当然、彼の怒りの矛先は、そんな帝国と手を結ぼうとした瑛にも向けられているわけだ。
「とりあえず、今後の方針を固めなきゃ」
次に、恭介はディメンジョン・ケースから、一枚の紙と羽ペンを取り出した。
「おっ、ペンだ。買ったんだね」
「あると何かと便利だからな」
「でも墨がないね」
「……うん」
恭介が少し気まずそうに視線を反らすと、横からにゅるっと伸びてきたタコ足が、グラスをテーブルの上に置いた。中には、明らかに食用ではない黒い液体が注がれている。
「えっ、これ、彩ちゃんの墨?」
「ノーコメントでお願いします。まぁ、使っていいよ、それ」
その場に座る一同の視線が、杉浦彩へと向けられる。確かに彼女の下半身はタコだが、上半身は人間だ。タコは口から墨を吐くものだし、下半身がタコである杉浦がいかにして墨を出したのか、謎が深い。
「ほらほら、こっち見るんじゃないの。何かメモるんでしょー、ほら、ちゃんと書く」
「お、おう」
伸びたタコ足がぺちんと恭介の頭をひっぱたいたので、彼は改めて羽ペンを持ったまま、羊皮紙に向き直った。
「えーっと、これから拠点をヴェルネウスに移すだろ」
恭介は、つらつらと羊皮紙に文字を書き連ねていく。
「うわっ、恭介くん。字ぃ下手!」
「仕方ないだろ! ここ数ヶ月くらい、ペンなんて握ってなかったんだぞ!」
「フッ、では私に貸してみろ」
剣崎が横から恭介の羽ペンを奪い取り、羊皮紙に走らせる。
「焼けたアスファルトの上にみみずを放り捨てたような字だ」
「しっ、仕方ないだろう! 視界がズレてだな!」
「《心眼》使えよ」
恭介の冷たいツッコミに耐え切れなくなったのか、剣崎はゴウバヤシに筆を押し付けた。ゴウバヤシは、人間の頭蓋骨などたやすく握りつぶせそうなそのぶっとい指で、器用にペンをつかみ、メモを取る。さすがに寺の息子は達筆だった。
「だがゴウバヤシ……。草書体は読めんぞ」
「む……」
「では我に貸すが良い」
今度は、いつの間にか瞬間移動で背後に立っていた原尾がゴウバヤシからペンを取る。
凛が歓声を上げた。
「おお、原尾くんも上手い。日本語じゃないことを除けば!」
「なんでヒエログリフなんだよ」
「教養の差だ」
「そこは教養発揮するところじゃないよ」
その後も、わいわいとクラスメイト達が筆をとっかえひっかえし、最終的には凛に落ち着いた。
スライムボディでやわらかく羽ペンを掴みこんだ凛は、そのまますらすらと羊皮紙の上に文字を書く。この中では一番まともな文字を書いていた。
「意外な才能だ」
「意外は余計ですぅ」
「すごく無駄な時間を過ごした」
改めて凛が筆を執り、これからの予定についてひとまず記録を始める。
「まずは拠点をヴェルネウスに移す、だよね?」
「ああ。で、その拠点を中心に活動したい。当面の目標は、帝国との交渉に入ること。瑛の説得もセットでできたら、まぁ理想的だとは思う」
血族に対しては、またしばし受け身の状態が続くかもしれない。
未だに連中の拠点がわかっていないのが辛いところではあるが、そこはこれから積極的に調べていきたいところだ。
「で、帝国との交渉に入る上で、敵の主戦力を一度叩きのめす必要があるデブ」
「皇下時計盤同盟だな。えーっと、名前わかってるのだけ上げておこう。まず、瑛がいるだろ」
凛が“火野瑛”と名前を書く。
「次に、えーっと。あの剣を持ってた男だ。ランバルトって呼ばれてた」
「いたねー。一番、話の通じなさそうな人だった」
恭介たちが遭遇したのはあと2人。そのうちの1人は、意外な人物だった。
「そういえば、衝撃展開が続きすぎてスルーしてたけど、フィルハーナさんもそうだったな」
「フィルハーナ・グランバーナ、っと……」
何故彼女が冒険者の一員として新大陸に渡っていたのかまではわからないが。少なくとも、恭介たちが力を合わせなんとか退治したルークと互角の殴り合いを演じていたのは事実だ。最低でも、同じだけの力を有していると思っていい。
ただ、話がまったく通じない相手だとも思えない。交渉するには、良い相手だろうか。
少なくとも、あの冷たい印象のするエルフのランバルトよりはマシに思える。
「もうひとり、いたっぽいよね。あたし達はロクにかち合わなかったけど」
「ああ、なんか、子供だっけ? 小さい女の子」
「“冥獣勇者”だ」
腕を組んだまま、ゴウバヤシは重苦しい声で言った。
「これ絶対日本語じゃないはずなのに、なんで“冥獣勇者”って漢字が頭の中にぱっと出てくるんだろう……」
「細かく考えるのはやめよう。きっと転移変性ゲートのおかげだ」
羊皮紙に、すらすらと“冥獣勇者”の名前を書き連ねる凛。
「ゴウバヤシ達も戦ったのか?」
「戦った……というよりは、遭遇した。闘技場に乱入してきたんだ」
横から剣崎が口を挟む。それを聞きながら、頷くゴウバヤシの表情は苦い。
「ずいぶん、嫌な思い出があるのね」
「ゴウバヤシは一度、そいつに操られたんデブよ」
「操られた? ゴウバヤシくんが?」
鱒代の意外そうな声に、やはり、ゴウバヤシは苦い表情で頷く。
それは、一同にとってはちょっとした衝撃だった。クラスメイトの中では一番メンタルが強そうなゴウバヤシである。よりによってその彼が、“操られる”というのが、いまいちピンと来ない。それ以上に、クラスでもトップクラスの戦闘力を誇る彼が敵に回るというのも、恐ろしい話だった。
「紅井が血族に操られるのとは、また別なものだ。生物の戦闘能力を強化し、理性を失わせる冥瘴気というものがある。かつてこの世界を襲った魔神の遺産らしいが、あの少女はそれを武器とすることができる」
「じゃあ、操られたっていうよりは、その瘴気で凶暴化しちゃった感じか」
「うむ。あやうく、剣崎や猿渡、それにリュミエールを手にかけるところだった」
自らの巨大な手のひらを眺め、ゴウバヤシは呟いた。
「危険な能力を使うってことだな。殴り合いだけで済まないのは厄介そうだ」
「俺やゼクウは、特別その冥瘴気と相性が“良い”らしい。あまり正面から戦いたくはない」
彼にしては珍しく弱気な発言だが、それだけ慎重を期す必要があるということだろう。ゴウバヤシとゼクウ、すなわちオウガだ。とすると、彼らの近縁種である奥村や、ここにはいないが五分河原も、その冥瘴気と相性が良い可能性がある。
「となると、やっぱり付け入ることができそうなのは、瑛とフィルハーナさんか……」
羊皮紙に連なった名前を眺めながら、恭介はつぶやく。
「恭介くん、大丈夫? 次、火野くんとあったとき、ちゃんと連れ戻せる?」
「そんなの、会ってみなきゃわかんないけど」
恭介の視線は、そこに書かれたひとつの名前をじっと睨みつけていた。
「わかんないけど、でも言うことは決めておく。俺たちが次に倒すのは、瑛だ。あのわからず屋を叩きのめして、もう一度、こっち側に引きずり込む。帝国との交渉は、その後だ」
「正妻復権の日も近いかなぁ……。あたしもこまめにポイントを稼いでおこう」
凛はいそいそと机を降りて、何故かシャドーボクシングを始めていた。
「門前払い食らっちゃったねぇ、アッキー」
メロディアス・キラーは夜空に浮かんだ三日月を見上げながら、そう話しかけた。
「……ああ」
「もうちょっと協力的になってくれても良かったと思うんだけど。ねぇ、アッキー」
「……ああ」
「まぁ、この国が戦場になると帝国も困るし、あたし達も強硬手段に出れないってわかってるのかなー」
「……ああ」
「ねぇ、アッキー」
メロディアスがふっと視線を落とすと、彼女にただひたすら相槌を打っているのは、黒い魔導甲冑の中から出てきた、小さな小さなウィスプであった。
「ねぇアッキー、少しホッとしてる?」
「……なんだって?」
「捜査協力を突っぱねられて、お友達の居場所を探すのに時間がかかって、ホッとしてる?」
炎に少し、青みが差した。
これが単なる火の玉でないことは、メロディアスにもわかっている。
すさまじいエネルギーを生み出し続ける神の炎。同時に、ひとたび暴走を始めれば、街ひとつを焦土と変える悪魔の炎。それこそが火野瑛の正体だ。天に輝く紅鏡と極めてよく似た原理で燃え続けるその炎を、皇下時計盤同盟第6時席ランバルトは、“黒い太陽”と名付けた。
暴走には気をつけろと、ランバルトはこっそりメロディアスに告げていた。現在は安定して高出力を維持し続ける“融合”状態が続いているが、精神の状況次第では、彼の炎は極めて不安定な“分裂”状態へと移行する。そうなった場合、炎は単に熱を伴うだけでなく、人を容易に死に至らしめる毒を放つのだ。
だからメロディアスは、常に瑛の精神状態にも気を払わねばならなかった。
「……僕の覚悟は、そんなに生ぬるいものじゃない」
瑛は、メロディアスの問いにはそう答えるだけだった。
彼らは今、大陸南東部の国、ヴェルネウス王国にて野営を行っている。王宮にほど近いこの丘陵からは、ヴェルネウス王都のきらびやかな町並みが、夜でもはっきりと確認できた。
今日の夕方、メロディアス達はこの王都にたどり着いた。目的は、おそらくこの国に流れ着き、集結する予定であろう魔物たちの捕獲。その魔物は、より正確に言えば火野瑛の仲間たちであり、血族が戦力補充のために狙う可能性がある者たちだ。
メロディアス達は帝国の権威を掲げて、この国の王に謁見を願い出た。事情を説明し、魔物たちの捜索を手伝うよう要求したのだが、突っぱねられたというのが現在の状況だ。
で、メロディアスは、突っぱねられた件について瑛に『ホッとしたか』と尋ね、上の通りのそっけない回答をいただいた。
「あのスケルトンの少年さぁ、アッキーの大切な友達なんでしょ?」
「それは前も言った。友達だった」
「嫌いになった?」
「僕が恭介を嫌いになるなんてことはない。が、僕は彼に対して重大な裏切りを働いたし、今もしている。それを許してもらおうとは考えていない」
「はぁー……なるほど」
メロディアスは、両手で頬杖をつきながら頷いてみせる。そして内心このように思った。
「(フィル姉ぇの言ってたとおり、面倒くさいやつだなこれ……)」
瑛が裏切りを働いているとすれば、それは自らの心に対してだろう。本人がそれに気づいていないというのが、また面倒くさい。このまま嘘をつき続ければ、彼はきっと、心のバランスを保てなくなる。
「(あたし1人じゃ、リカバリーにも限界があると思うんだけどなぁ……。もっと応援、よこしてくんないかなぁ)」
一度帝都に戻ったフィルハーナやランバルトが合流するのはいつになるだろうか。
あるいは、他の皇下時計盤同盟でも良いのだが、そもそもこの作戦に対して協力的に動いてくれそうなメンツが、あんまりいないし。この辺は、緊急招集時以外は自身の判断で動く皇下時計盤同盟の欠点が露呈している感じだ。
ま、ランバルトが帝都にいるうちに、他のナイツなり皇帝聖下なりに根回しをしてもらえれば、動きやすくもなる。一番良いのは、帝国議会を動かして血族との本格的な開戦準備を整えることだが、彼らは腰が重いから、かなり時間がかかるだろう。それまでは、自分たちが矢面に立って血族の動きを食い止める必要がある。
「ひとまずアッキー、明日からあたし達、捜索開始だよ。良いよね?」
「ああ、構わない」
瑛の言葉は終始硬いままだ。やはり、あのスケルトンとの再会はそうとう応えたらしい。
もう一度鉢合わせするようなことがあれば、次はバランスを保てるかどうか。下手を打てば、この緑豊かな半島の一角が、人の暮らすことのできなくなる焦土と化すかもしれないのだ。
「(ま、そうなる前に、始末したほうが良いかなー……)」
“冥獣勇者”メロディアス・キラーは、宵闇の中に浮かび上がる炎を見つめ、その双眸をゆっくりと細めた。
「ルークのシャッコウが死んだ」
王座の間に集った一同に、開口一番、アケノはそう告げた。
「敵は転移変性ゲートをくぐった魔物たちだ。徒党を組んでアジトのひとつを襲撃し、多数のポーンと共に殺害された。“王”がシャッコウの目を通してご覧になったことだ」
それは、小金井芳樹にとっては吉報とするべきか凶報とするべきか、いまいち判別がしがたい。
恭介たちがやったのだ。彼らは着実に力をつけている。あの敗走からも決してへこたれることなく、はぐれた仲間たちと合流して、そして強大な敵を1人、打ち破るのに成功した。
あの男は常にそうだった。幾度と無く振りかかる逆境を跳ね除け、立ち上がり、強敵を打ち砕く。その勝利を共に分かち合うことが、素晴らしいことなのだろうと思える程度に小金井は成長したが、振り返ってみればそれはもう遅すぎた。今は、心のなかで静かに賞賛を送るに留める。
だが、やってしまった。恭介たちは、シャッコウを倒してしまったのだ。
血族の間では、いよいよもって彼らの存在を無視できなくなる。
「それで、“王”はなんと?」
「駒をひとつ失ったこと自体は、そこまで痛手ではないと。そのための“六血獣”だ」
「なるほど」
まるでヒキガエルのような笑みを浮かべたのは、この城の大臣だった男だ。
彼はすでに人間ではない。血族が彼と接触を謀り、この国を拠点とするために乗っ取る三段を立てた時点で、人間ではなかった。いわゆる“死の秘術”によって自らの身体を作り変えたネクロマンサーだ。その後、因子によって血族化している点は変わらない。
「とは言え、ルークのような因子の濃い方を失うのは辛いですなぁ。儂らはほら、いささかばかり性能がピーキーでして」
「クイーンによって重傷を負ったレッドの療養もじきに終わる。シャッコウの抜けた穴はあいつで埋められる」
「それは結構なことで」
血族因子を魔物に埋め込み、同族化させる血獣計画。小金井たちはその最終段階における素体として、この世界に招かれた。
ここに並んだ怪物たちは、この10年の間、アケノがこの世界で計画の試作段階として創りだした血族魔獣だ。
そのうちの1人が、いまアケノと話しているネクロマンサーの“トード”であり、あるいは、壁に背を預けたまま風船ガムをふくらませている“サイクロプス”であったりするわけだ。六血獣と呼ばれるそれらが、現在の血族の主戦力となる。当然、小金井もそこに加えられる。
トード。サイクロプス。あとは、がっしりした全身をフルプレートアーマーに覆った竜人が“ドレイク”、頭から大量の蛇を生やした女性が“ゴーゴン”、全長5メートル近い巨躯をうずくまらせているのが“ティターン”だ。あと、ここに姿を見せていない“スレイプニル”というのが、いるらしい。
「徒党を組んでとは言えルークを倒すなんて、なかなか見どころがありそうでじゃない。ねぇ、新入りさん?」
「え? あ、ああ……。そ、そうだね」
ゴーゴンが肩に手を置きながら妖艶な笑みを浮かべてきたので、小金井は引きつった表情で返答する。こういう時は、カースト底辺としての素が出る。精一杯虚勢を張ったところで、キョロ充になるのが精一杯なのだ。自分は。
「帝国に“魔の王片”を奪われた状態だが、“血の王片”を奪い返す算段は整いつつある」
アケノは、手元の資料をめくりながらそう言う。その場の一同の、ぱらりと資料をめくった。ティターンだけは図体がでかいので、ずいぶんとめくるのに手間取っている。
「我々の宿願である“王の復活”は遠くはない。トード、復活の際に必要な血の準備は?」
「ええ、ばっちりでございます。既に材料となる国民の選別はついておりますので」
「“王”が復活すれば、いよいよ我々血族は、この地に楽園を築く。神話戦争の再来だ」
「え、えぇっとー……」
小金井は、その中でおずおずと手を上げた。一同の視線が、いっせいにそちらを向く。サイクロプスの視線はひとつだが、ゴーゴンの視線はたくさんあるので、めちゃくちゃ怖かった。
「なんだ、ハイエルフ」
「そんなに上手くいくの? それ。皇下時計盤同盟と戦ったけど、1人1人が俺達と互角なら、結構、厳しい勝負になると思うんだけど……」
「だから、王の復活が望まれているのだ」
アケノは淡々と告げる。。
「王は“血の王”、この世界にかつていた王神の一柱だ。神に匹敵する力を持つ存在は、今はもう、この世界にはいない」
「ピンと来ないなぁ」
「かもしれんな」
ともあれ、王様の復活が悲願なのはわかった。帝国と頻繁に小競り合いを続けていたのも、その帝国から血の王片を奪い返すためだ。
血獣計画は、血の王片の奪還作戦にも投じられる目的で用意された計画だろう。だが、紅井の裏切りというイレギュラーが発生したため、新たな作戦に切り替えざるを得なくなった。それがもうすぐ成就すると、アケノは語っているのだ。
「それで、アケノ殿。血獣候補はどうする? まだ捕まえるのか?」
「王の復活後、戦力は多いに越したことはない。連中の扱いは捕獲を優先。それは変わらない」
ドレイクの言葉に、アケノは短く答える。
だが、この話の流れに小金井は少しほっとした。まだ、血族は恭介たちを明確な“脅威”として認識していない。六血獣の動きも、主立っては“血の王片”の確保に向けられることになるだろう。
「アケノさん。俺、帝国の牽制に動きたいんだけど」
「良いだろう」
小金井の言葉に、アケノはあっさりと頷いた。
「ヴェルネウスにて皇下時計盤同盟の動きが確認されている。この居城が発覚したわけではないと思うが、まずはハイエルフ。おまえが牽制に動け」
「うん」
「ドレイク、補佐についてやれ」
「承知した」
のっしのっしと小金井の方に歩み寄ってきたのは、ねじくれた二本の角を持つ、青みがかったウロコのドラゴニュートだ。金色の瞳は片方が潰れてしまっている。背丈は、小金井に比べてやや低い。角の長さを含めなければ、160センチくらいだろうか。
同じドラゴニュートである竜崎が200センチ近かったことを考えると、身長にはかなりの開きがある。
「ティターンとゴーゴンは北に向かえ。スレイプニルとの合流地点がある」
「………」
「わかったわ」
巨人と蛇女が、相次いで頷いた。
「サイクロプスは城で待機。トードは今までどおり、この国を上手く回せ」
「ははは、簡単におっしゃる」
トードがヒキガエルのような笑顔を浮かべるのとは対照的に、ライフルを肩にかけたサイクロプスは目を閉じて、かつかつと王座の間を後にした。
「ハイエルフ殿、よろしくお願いいたす」
「えっ、ああ。はい。よろしくお願いします」
頭を下げるドレイクに、小金井はやや気後れしながら返事をする。割りと、礼儀正しい。
「(人格者のドラゴニュートか……。やりにくいよなぁ)」
何やら一抹の気まずさを覚えながら、小金井は改めて、ドレイクに頭を下げた。
夜が明け、朝が来る。恭介たちは、この冒険者自治領を去り、東へ向かうこととなる。
新大陸からずっと世話になってきた冒険者の2人とは、ここでお別れだ。大した礼もできなかったが、せめて感謝の意を込めて、恭介は頭を下げる。
「今まで、ありがとう。レスボン」
「気にするな。ハクバ達が、見つかると良いな」
骨だけの手のひらを、彼のたくましい隻腕が強く握り返した。
「フィルハーナをぶん殴る機会があったら、よろしく言っておいてくれ」
「ああ、それはもちろんだ」
その後、凛たちもお礼をいい、犬神も軽く会釈し、ゴウバヤシ達も次々の頭を下げた。
「あんた達は、これからどうするんだ」
片腕を失ったレスボンは、今後冒険者として活躍を期待できない。前線からは退く形になるが、彼には現役時代の貯蓄がある。それを元手に、何か事業を始めるなり、土地を買うなりする予定だと聞いていたが、具体的な話は一切耳にしていない。
「ゼルガ剣闘公国で、モンスターギルドのオーナーでもやろうかなって」
「随分意外なことを言い出すな」
「おかげ様で魔物に囲まれる生活にも慣れたからな」
軽口を叩き合っていると、横からゴウバヤシがぬっと顔を出す。
「だったら、リュミエールという少女を尋ねると良い。俺達が世話になったギルドのオーナーだ。魔物と資産はあるが、なにぶん経験が浅い。力を貸してやってくれると、俺も嬉しい」
「ん、わかったよ」
戦いから一夜明けて、このゼルネウスの街は静けさを取り戻していた。襲撃してきたワイヴァーンがすべて灰になってしまったし、観測されていない魔物たちが暴れていた報告もあるので、本部の方は未だに混乱が続いているらしい。半分くらいは身内の責任なのでちょっぴり申し訳ないが、ここにダラダラ残ると余計な手間をかけそうなので、とっとと撤収することにする。
移動手段としては、やはり花園のトマトに頼ることになる。
街の外に出ると、森の中に隠れていたトマトがゆらゆらと手を振っていた。
「花園、俺のキノコドーピングでこのトマトをもっと強くしないか?」
「やだ。あたしのアルティメットロジャー3世に変なのかけないで」
茸笠は調子にのって提案したが、花園の反応は冷たい。それどころか、トマトに彼の胞子がかからないよう、ズタ袋をかぶせる始末だ。
ゴウバヤシや奥村は、大量の荷を運び込んでいる。その中には、昨日血族のアジトから奪取したものもいくらかあった。杉浦などは、こちらの世界ではなかなか手に入らない調味料や香辛料などをありがたがるように拝んでいる。
猿渡は作業を手伝わずに、少し離れた場所から眺めている子供たちに、何故か野球を教えていた。原尾は棺桶の中で大イビキをかいている。まぁこの辺は大して変わらない。剣崎がサボっている連中の頭をひっぱたいて叱りつけるあたりまでは、完全にパターンだ。
「恭介くん、どうしたー?」
「ん、ああ、いや……」
不意に凛が話しかけてきたので、恭介はかぶりを振った。
「久しぶりにみんなと再会できて、良かったな、って思っているところ」
「ほう! なるほど」
凛はなぜか力強く相槌を打つ。
そのまま、ずるりと茎を這い上がるようにして、葉っぱの上に座った恭介の隣に、ちょこんと丸まる。
久々に会った仲間たちは、変わっていたり変わっていなかったりしたが、一度落ち着いて見ると、その再会は素直に喜べるものであった。何より彼らが、この自分に力を貸してくれるのが、恭介にとっては何よりも嬉しかったのである。できることなら、この喜びはもっとたくさんの仲間達と分かち合いたかった。
瑛とも、それに小金井ともだ。
「恭介くん、また少しおセンチになってる?」
凛が、こちらの顔を覗きこむように尋ねてきた。
「なってるかもしれない。まぁ、必要以上に塞ぎこむつもりはないけど」
「そっか。なら、良いや」
「こんな時でも仲間がいるっていうのは、良いもんだよな。凛」
「えっ、う、うん……?」
恭介の言葉にちょっぴり熱がこもると、凛はややうろたえたように身体をひねらせる。
「俺1人じゃどうにもならなかったけど、犬神やおまえのおかげで立ち直れたし、ゴウバヤシ達のおかげで前に進むことができた。みんながいてくれたお陰だよ」
「恭介くん、割りと恥ずかしいこと平気で言うようになったね……」
「えっ、そうかな……」
「こらっ! ウツロギ! 凛! お前たちもサボってるんじゃない!!」
首をかしげたあたりで、下の方から剣崎の叱責が飛んでくる。恭介は立ち上がって、叫び返した。
「すぐ行くよ、剣崎!」
「……それで? 次は、火野くんを取り戻すんだよね?」
「ああ」
恭介は頷く。
茎を伝ってするすると地面に降りていき、同じように滑り降りてきた凛の身体を纏う。
これからも、仲間たちの協力は必要になる。結局のところ、恭介は自分1人では何にもできないのだ。ずっと前からそうだったし、多分これからもそうかもしれない。
ただ、まず他のクラスメイトに頭を下げる前に、一番最初に手を貸してくれた彼女に、こういうのが礼儀だろう。
「またくじけて泣き言を言う時もあるかもしれないけど。それでもよろしく、凛」
「任せなさい、恭介くん」
そう答える凛の言葉は、どこか誇らしげであった。
今月中にかつぶし先生をあげて6章はおしまいです。
7章“ザ・ベスト・パートナー(仮題)”は10月中旬くらいに開始予定です。




