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第94話 リベリオン

「えぇっと、あの……」


 おずおずと手を挙げてきたのは、杉浦彩だった。クラスの料理当番だった、今はスキュラの少女である。そろそろ、彼女の手料理が恋しくなっている頃だな、と恭介は思った。


「先に言っておくけど、あたしそんな、戦えないよ? 強くなってないし……」

「えー、そんなことないよー。彩ちゃん、こないだお客さんが暴れた時、オクトパスホールドで……」

「はーい。花園、ちょっと黙ろっかー」


 言いかけた花園華に対し、杉浦は見事なオクトパスホールドを決める。


 もちろん恭介としても無理強いをするつもりはない。だが、なるべく多くの仲間たちに手伝って欲しいと思っているのは、本当だ。

 その拠点にどれだけの戦力が駐在しているのかは定かではないが、ルークや皇下時計盤同盟クラスに匹敵する者は、最低でも1人はいるだろう。そしてポーンが数人。予想をつけるにそんなところだ。だが、あの街道でぶつかっただけの戦力、すなわち、ルークのシャッコウ、小金井、サイクロプス、それにビショップのアケノと、その全員がいるとは考えにくい。ぶつかる強敵は、1人か2人だ。


「ウツロギ、具体的な策があるのか?」


 ゴウバヤシが、腕を組んだまま尋ねる。


「まずどんな奴が出てくるかにもよるんだけど……」


 恭介は顎に手を当てて考え込んだ。


『まぁ、あたし達は手も足も出ずに負けたからねぇ』

「俺と凛は強制的に分離させられた。攻撃は当てられなかったし、力比べでも勝てなかった……」


 悔しいが、相性を正面から叩き割るだけの力があったのは事実だ。

 ビショップのアケノであれば攻略法はあるし、小金井が出てくればまた話が違ってくる。問題は、拠点を守護する戦力がルークのシャッコウ、あるいはサイクロプス出会った場合だ。このパターンに関してのみ、恭介は自分と凛の力だけで突破する自信がない。

 ルークの力は特に強大だ。フィルハーナと正面から殴り合うだけで、周囲の地形が変わっていくのを、恭介も見ている。それにおそらく、ルークの持つ能力とは腕力それだけではない。以前、海上で別個体のルークに襲撃を受けたとき、黒い闘気のようなものをまとっていた。

 厄介なのはサイクロプスもである。彼女の力は片鱗程度にしか触れていないが、広大な視界範囲と、強力なライフル銃を持っている。細腕、細いラインの女性だが、アンチマテリアルライフルを平気で取り回し、立脚もなしにぶっぱなすところを見るに、肩も頑健だ。


「私は行くぞ」


 腕を組んだまま、剣崎が言う。


「ウツロギの言う通り、やられっぱなしも性に合わんと思っていたところだ」

「剣崎のフェイズ2能力ってなんだ?」

「私か? フッ……、私はな」


 首の上に乗った剣崎の頭が、わずかに揺れた瞬間ゴロリと落ちそうになるので、ゼクウが慌てて拾い上げた。


「剣崎の能力は《心眼》だ。相手を見ずとも、相対した敵の姿がわかる。動きが見切れる」

「それだけではないぞ。デュラハンの能力として、相手の死線を見切るのだ」


 ゴウバヤシの言葉に、剣崎は自慢げに補足をする。『ふふん』と鼻を鳴らし、やたらと上機嫌だ。


「なるほど。わかった。みんなの能力を改めて聞いて良いかな」


 恭介は顔をあげて一同を見回す。


「その上で妙案が浮かばなかったら、俺の今の寝言は忘れてくれ。勢いで言ったのは否定しないし、この中から1人でも死んでしまうようなら意味がない話だと思うから」

「勢いでそんなこと言い出すなんて、ウツロギも変わったデブなぁ」


 奥村も感慨深げに頷いた。


「わかった、ウツロギ。俺たちのできることをひとつずつ、おまえに説明しよう。杉浦もそれでいいか?」

「えっ、あ、あたし? なんであたし?」


 杉浦彩はびっくりしたように目を見開き、首をかしげる。


「そちらのリーダーはお前だと思ったのだが、違うか?」

「あったりー」


 魚住鱒代が、杉浦の肩に両手を置いてウインクする。彼女の肩には吸盤がついているので、魚住の手が思いっきり張り付いていた。

 杉浦はタコ足でペチンと魚住にパンチをかますと、腕を組んだままため息をつく。


「仕方ないなぁ……。ま、あたしもウツロギくんが頭下げるなら、できるだけ手は貸したいところだし」


 そのまま彼女の目が、正面から恭介(と凛)を眺めた。


「ウツロギくんも変わったよね。誰の役にも立てないなんて、食堂で腐ってたきみがさ、こんな大きいことを言うようになるなんてさ。だからあたしも、協力はするよ。クラスメイトだしね」

「杉浦……」

「今まで、がんばってきたもんね。ウツロギくんも」


 その言葉に、恭介は報われたような気分だった。

 今までにやってきたことが無駄ではなかったと、実証されたかのような心地だった。


 犬神が、『だから言っただろ』とでも言いたげな目で、こちらを見ているのがわかる。その通りだ。こちらに転移してきてから数ヶ月の間、一心不乱に戦い続けてきた自分のことを、クラスメイト達は見てきた。こんな無茶なことを言っているのに、すとんと、首を縦に振ってくれる。

 だからこそ、恭介は、彼らの意思や命を無駄にできないと思った。


 恭介に対し、ゴウバヤシがずい、と一歩踏み出す。


「まず俺からだ。豪林元宗。知っていると思うが、フェイズ2は《闘気覚醒》だ。身体能力の強化や、実体を持たない相手への打撃に使う。新たな力は無いが、地道に鍛錬を積んできたつもりだ。よろしく頼む」

「あ、ああ……」


 次に踏み出してきたのは、ゴウバヤシの隣にいた猿渡だ。


「猿渡風太だ! フェイズ2能力は《振動操作》。物体や気体の振動を操って闘うことができるぜ! あと金斗雲とか呼べる。贔屓のチームは広島カープ、好きな言葉は青春だ!」

「それは知ってる」

「よろしくな!!」


 猿渡の次にも、改めて剣崎が、そして奥村や茸笠、最後にはゼクウも自己紹介をする。

 こちらのチームが終わると、杉浦のチームも自らの能力を次々に教えてくれた。言動がどこか以前と見違えたような者たちもいる。おそらく雪ノ下のように、自分の中の壁をひとつ乗り越えたりも、したのだろう。彼らの能力は、どれもユニークで心強いものだった。


「こっちの組も紹介する。残っているのは御座敷と壁野、あとは犬神と凛だ」


 御座敷の能力は《運気上昇》、壁野の力は《防壁展開》である。どちらもサポート向けだ。


 ここに加わった仲間たちの能力をうまく使えば、あるいはルークの撃破も可能であるかもしれない。賭けに出ざるを得ない部分はあるが、やる価値はあった。なにより先ほど言った通り、このまま敵を放置していれば、またこの街が襲われかねないのだ。


「まずは、敵の潜伏場所だ。拠点がどこかなんだが……」

『つるぎん、ポーンと戦ってたよね?』

「ん? うむ……」


 剣崎が頷く。


『そこから犬神さんに匂いを辿ってもらって……あ、でも倒しちゃったら灰になるんだよね血族って……。手がかりは残ってないかぁ』

「それなら心配はいらないデブ」


 奥村が真顔で横から口を挟んだ。


「剣崎はポーンを逃がしたんデブ」

「ふっ……。……すまん」


 剣崎は即座に両手をつき、首を地面にこすりつけた。頭がごろごろと転がっていった。


「あー、あんだけ偉そうなこと言ってぇ……。変わんないねぇ……」


 魚住妹も、ちょっぴり呆れた目で剣崎を眺めている。

 恭介はよく事情が飲み込めていないのが、どうやら剣崎は凛や犬神を逃がすためにポーンと交戦し、それを取り逃がしたらしい。ポーンが逃げた、ということは、剣崎はそれと互角以上の戦いを繰り広げていたわけで、それ自体は彼女の成長を感じさせる話では、あるが。


 奥村の話では、ポーンはどうやら北に逃げたらしい。方角さえわかっているなら、犬神が因子の臭いを追うことで、拠点の場所は特定できる。時刻は夕暮れ過ぎ。徐々に薄暗くなってきたところだ。やがて夜になるだろうが、あまりのんびりできる話ではない。

 移動には、花園の操る巨大植物が使われることになった。東のほうからやってきて、城壁を破壊したあの巨大なトマトだ。アルティメットロジャー3号だとか言っていた。かつてミネストローネの材料となったあのか弱いロジャーが、随分と立派になったものである。


 恭介は、そこで少し離れたところでこちらの様子を窺っていたレスボンのほうを見た。


「レスボン! 少し教えて欲しいことがあるんだけど」

「ん、あ、ああ……。なんだ?」


 恭介の視線を追うようにして、その場のモンスター軍団がずらりとレスボンを見る。彼は一瞬びくりと震えたが、とりたてて取り乱すことはなかった。この場も人間の身からすれば相当怖いだろうに、やはり肝の据わった冒険者だ。


「このあと、冒険者協会はどうするんだ? 街が襲撃を受けたわけだろ?」

「ん……。城壁を崩されたこと自体、多分、ゼルネウスができてから初めてのことだからなぁ……」


 レスボンは隻腕を手元にあててしばし考える。


「ワイヴァーンの亡骸の処分と、被害の概算……。まずやるとしたら、そんなところじゃないか。平行してワイヴァーンが暴走した原因とかも追究することになるんだろうが、ウツロギ達にはもう、見当がついてるんだろう?」


 隻眼が、じっと恭介を見つめる。


 見当がついている、どころか、恭介たちにはすでに正解がわかっている。ワイヴァーンが暴走し、この街を襲撃したのは血族の仕込みであり、そしておそらく血族は恭介たちを狙ってきたのだ。ワイヴァーンの亡骸をつぶさに観察したところで、それを解明できるかどうかは、謎だ。

 そもそもワイヴァーンの肉体が血族化しているなら、そうしばらくもしないうちに、灰に帰ってしまうだろう。


「(……待てよ)」


 恭介は、近くに転がったワイヴァーンの亡骸を眺めて、ふと思った。レスボンが訝しげな顔をする。


「どうかしたか?」

「いや……。なんでもないよ、ありがとう」


 この時点で、恭介の脳裏にはすでに作戦が整いつつあった。一同を呼び集め、頭を突き合わせる。


「ひとまず、街が混乱している間にここを出るぞ。許可を得てないモンスターがぞろぞろ中に入り込んでるなんてわかったら大混乱だからな」

「おお、そういえばここ、人間の街だったね」


 杉浦が今更なことを言った。


『そういえばつるぎんや奥村くんは、もう街の中にいたよね。どうやって入ってきたの?』

「混乱に乗じて城壁をぶっ壊してきたデブ」

「それが風紀委員のやることか……」

「ひっ、非常事態だったのだ! 仕方ないだろう! 事実、私達は姫水と犬神を助けたぞ!」

「まぁ、そんなことしたなら、なおさら早く出ないとな……」


 杉浦たちも、東側の城壁をぶっ壊して入ってきたのだ。この際、すべての責任を血族に押し付けて、さっさととんずらしてしまった方がいい。その後、改めて冒険者の連れてきたモンスターとして、堂々とこの街に入るのだ。幸いにして、冒険者許可証は御座敷が持っている。

 レスボンやレインに、これ以上頼るのは難しいだろう。彼らにも立場がある。ここから恭介たちがやろうとしていることは、あまりにもリスクが高いのだ。それにまで付き合わせられない。


 恭介は改めて咳払いをし、言った。


「それで、どうやって乗り込んで、敵を倒すかなんだが……」




 獣王大火山の麓に構えられた血族の拠点に、ワイヴァーンは1頭も戻らなかった。おかげで、ルークのシャッコウはたいそう機嫌が悪い。ワイヴァーンの世話役として彼と話すことの多いそのポーンは、びくびくと怯えながらも気を揉まなければならなかった。

 ワイヴァーンの用意と世話をしてきたのはおおよそ彼女だ。このポーンは、もともとビショップ・アケノの「子」として因子を受け継いだポーンである。アケノの薫陶を受けたポーンは因子や魔物の生態について研究をする者が多く、彼女もその例に漏れない。


 用意した血族化ワイヴァーンは、みなシャッコウの因子を埋め込んだ個体である。そのため、シャッコウの支配を受け付ける。因子の遠隔支配によって、ワイヴァーン達はシャッコウの手足として、ここから南にある街を襲ったのだ。

 感覚をリンクさせながら、シャッコウは“狩り”を楽しむつもりでいた。だが、予想外のことが起こったのである。結果として、放ったワイヴァーンは全滅し、シャッコウは機嫌を損ねた。


「さて、どうしてやるべきか……」


 底冷えするような声で、シャッコウは呟く。


 血族の手駒の中でも、とりわけクイーンとルークの戦闘能力はずば抜けて恐ろしい。

 ワイヴァーンだけでなく、シャッコウ本人が出ていれば、こんな結果にはならずに済んだのだ。だが、ポーンにはそれを進言するだけの勇気がなかった。そもそも、血族化したワイヴァーン十数体が全滅するなど、彼女だって予想もしなかったことなのだ。


 シャッコウ自身も、ワイヴァーンを動かして標的をあぶりだした後、本人が襲撃をかけるつもりでいたのだ。だが、あぶりだしてからワイヴァーンが全滅するまで、すなわち不慮の事態に発展するまでが、短かった。


「い、今からでも出られますか……?」

「……いや、」


 恐る恐る尋ねた言葉に返って来たのは、意外な反応だった。


「暴れ足りねぇのはあるが、わざわざ冒険者どもの街に出向いて騒ぎを大きくするほどのことじゃねぇな。血族化ワイヴァーンのデータは取れたんだ。しばらくは、“王”の命令があるまでは待機だ」


 この態度は、慎重とでも言うべきなのだろうか。ポーンにはわからない。

 標的の中で唯一血族因子を埋め込まれているとは言え、あのスケルトンにそこまで戦術的な価値がないのは確かだ。一度王片を取り込んでいる以上、身体になんらかの変化が起きている可能性はあるし、それが気になるといえば気になるのだが、一度ワイヴァーンが全滅した以上、追加の戦力を送り込むほどのことでは、確かにないのかもしれない。


 そう考えていた折、部屋の扉が開き、別のポーンが入ってくる。


「シャッコウ様、ワイヴァーンが1体帰還しました!」

「……何?」


 シャッコウが眉間に皺を寄せて、聞き返した。


「ワイヴァーンの帰還です! 確認されますか?」

「ん、あ、あー……。そう、だな。見ておくか」


 シャッコウはそこか腑に落ちないような顔をしていたが、やがて頷き、そのポーンについて部屋の外に出た。残された女ポーンもそれについていく。ワイヴァーンの飼育と管理は彼女の仕事だ。

 だが、妙だ。街に放った血族化ワイヴァーンは、皆生命活動を停止させたはずだ。それは、因子反応をリンクさせたシャッコウの口からも語られている。死亡した血族は灰になってボロボロに崩れ去るものだから、ゾンビということもありえない。


 だが、ワイヴァーンの飼育施設まで移動すると、確かに1頭、血族化した個体が鎖に繋がれていた。


「生き残ったのはこの個体だけみたいですね……。いったい何があったのか……」


 報告にきたポーンは神妙な顔で呟いているが、やはりシャッコウは腑に落ちない表情のままだ。


 連れてこられたワイヴァーンは、ずいぶんと大人しかった。シャッコウの表情は険しく、じっとその飛竜を見つめている。見る限り、血族化した個体のうちのひとつだ。血色の瞳や、鋭い牙なども、正しく血族化個体の特徴である。


「………おい」


 シャッコウは、えらく不機嫌な声でつぶやいた。


「余計なもん連れ込んで来たなぁ……」

「え……?」

「まぁ、手間が省けたと思えば、良いのか……?」


 報告にきたポーンは、今度は彼のほうが不可解そうな顔をして振り返っている。

 まさにその瞬間、拠点全体を、轟音と震動が襲った。


「うおっ」

「ひゃっ」


 2人のポーンは思わずバランスを崩しそうになるが、シャッコウだけは落ち着いている。震動はすぐに収まったが、轟音は立て続けに響く。入り口の方から聞こえてくるものだ。一体何が起こっているのか、理解できずにポーン達がうろたえる。


「し、侵入者か……!? まさか、帝国に場所を嗅ぎ付けられて……!」


 男の方のポーンが、せわしなく視線を這わせ、シャッコウに助けを求めるような目を向けた。が、このルークの目つきはどこまでも冷たい。彼はすでに、何が起きているのか、おおよそ理解しているのだ。


 ぶしゅっ。


 液体の弾けるような音がして、鎖に繋がれたワイヴァーンの首が破裂した。


「!?」


 女ポーンの理解が追いつくより早く、首の断裂面から飛び出してきた“それ”が、素早く男の胸を貫く。プロモーショナル・アーマーさえ身につけていなかった男は、その一撃で心臓を破砕され、そして死亡した。死亡した瞬間になってようやく、彼は自分が何をこの場に連れ込んでいたのか、気づいたようだった。


 ずぼっ、と男の胸から、“それ”は腕を引き抜く。半液状の身体を流動的に動かしながら、侵入者は激情に滾る双眸で、シャッコウと女ポーンを睨みつける。

 ワイヴァーンの身体は、今度こそ灰になって崩れ落ちていく。当初の見立て通り、ワイヴァーンはとっくに死んでいたのだ。生命活動を維持しているかのように誤認させ、因子の力で強引に身体を動かしていたのは、今目の前にいるその存在に相違ない。


「ここにいるのはお前だけか、ルークのシャッコウ……!!」


 “それ”は、シャッコウを前にして一切怯むことなく、そう言った。シャッコウは小さく鼻を鳴らす。


「さあ、どうだろうな。わざわざ見逃してやろうかと思っていたところに、なんでわざわざ乗り込んできた?」


 “それ”は、ゆっくりと自らの身体の中に手を伸ばす。拳をぐっと握ると、ずぶり、と、中から1本の剣が引きぬかれた。剣身は熱を帯びるかのように、やがて真っ赤に染まっていく。

 シャッコウの問に対して、答えは簡素なものだった。


「お前を倒す」


 その言葉に同調するかのように、ひときわ大きな轟音が、拠点の中に響いた。




 まず入り口の壁をぶち破り、次に地下に続く階段の扉をぶち破り、さらには壁をぶち破り、一同は拠点に雪崩れ込む。見張りに立っていたポーンは、あっという間に沈黙した。もはや何に配慮する必要があるでもない。今や彼らは愚連隊だ。邪魔なものは、すべて腕力でねじ伏せる。

 犬神が因子の臭いを辿って突き止めた拠点は、見てくれは小さな掘っ立て小屋だが、地下には比較的広い空間が広がっていた。白塗りで清潔感のある壁と床は、近代的な研究施設を彷彿とさせる。天井には蛍光灯が備え付けられ、通路を煌々と照らしていた。


「犬神、ウツロギの臭いを追え!!」


 ゴウバヤシの叫びに頷き、犬神が一同の前に飛び出す。


 恭介と凛が、すでにワイヴァーンに偽装して施設の中へと入り込んでいる。おそらくそこに、この拠点を指揮する者がいる。そこに急いで駆けつけ、恭介の立てた作戦に従い行動するのがゴウバヤシ達の役割だ。

 侵入者の存在に気づいたか、通路には警報が鳴り響いている。設備の方も、随分と“元の世界”ナイズされているらしい。だが、侵入者の行く手を阻むために降ろされるシャッターも、彼らの前にはなんの意味もなさない。


「ふおおおおおッ! どすこぉぉぉぉぉぉぉぉいッ!!」


 奥村が張り手をぶちかまし、隔壁がたやすく吹き飛ぶ。だが、その隔壁の向こうには、を構えたポーンが横一列に並んでいた。


「行くぜ、鱒代!!」

「オッケー、けーちろー!」


 魚住鮭一朗と鱒代の兄妹が、一同の先頭へ真っ先に飛び出していく。


「うおおおあああああああッ!!」


 びしびしびしびし、と、鮭一朗の全身のウロコが大きく逆立った。両眼が怪しげな輝きを帯び、壁に映しだされたシルエットがより異形じみた姿へと変貌していく。まるでそれは、深淵に潜むまつろわぬ海神わだつみを思わせるかのような、恐ろしげな異様であった。

 のたうつような太く長い胴体に、ウロコをびっしりと覆う海藻とフジツボ。ぱっくりと裂けた大きな口。海に対する、陸上生物のあらゆる畏怖を一身に凝縮したかのような姿だ。


 ポーン達は鮭一朗のその姿を見るなり全身を硬直させるが、すでに引き金は引かれていた。鮭一朗の巨体は、その堅牢な外皮をもって、銃弾の雨を阻む壁となる。

 鱒代は、その鮭一朗の頭部に腰を据えていた。彼女が手を掲げると、どこからともなく生み出された水が、その腕の中で美しい弦楽器ハープの姿を象る。鱒代が弦を鳴らしながら口を開くと、この世のものとは思えないような美しい歌声が、狭い通路に響き渡った。


 水夫を惑わせ、船を破滅へ誘う悪魔の歌声である。だがそれは、猿渡の振動操作により襲撃部隊の周囲耳には届かない。彼らの周囲は一時的に、空気の振動が遮断された。ポーン達が頭を抑えてのたうつ間に、一同は横をすり抜け、通路を駆け抜けていく。


「く、ぐ……。ま、待て……!!」


 ポーンの中でもわずかに意識のあった1人が、銃を構えて襲撃部隊を背中から狙おうとするが、鮭一朗の巨大なヒレに弾かれて、まるでピンボールのように通路の壁を跳ねまわった。


「……やっぱり歌のほうが好きか? 鱒代」


 鱒代が1曲歌い終わったところで、異形化した鮭一朗が尋ねる。


「うん……。やっぱりあたし、帰ったら水泳部やめて合唱部に入る。髪だって、伸ばすよ」

「それが良い。親父やお袋だって、ちゃんと言えばわかってくれるさ」


 ひとまず、この通路に残ったポーンどもの掃討だ。

 鱒代の《魔歌》が弱らせている今ならば、鮭一朗だけでも十分対処が可能である。彼のフェイズ2能力は、竜崎の《完全竜化》と本質的には同じもの。“海の王”の直系種族だからこそ到達しうる、王神の力の片鱗であるのだ。

 深淵に潜む海神、深き者どもの王たる姿を借りた鮭一朗は、妹の歌声を聞きながら通路にその身体を踊らせた。




「いぃやぁぁぁぁぁぁッ!!」


 剣崎の横薙ぎ一閃が、隔壁を切断する。だが、その時点ですでに別のポーン部隊が後方から迫っていた。

 今の戦力でもポーンを相手取るには問題ないが、この拠点の主が恭介と相対していることを考えれば、余計な時間は取れない。剣崎は剣を両手で握り直し、ポーン達に向き直った。


「ゴウバヤシ! お前たちは先を急げ!」

「うむ、では任せた!」


 微塵の躊躇もなく、ゴウバヤシ達は先を急いでいく。


「えっ、あ、1人も残らないのか!? いや、私ならこの程度……全然平気だが!!」


 ひとまず剣崎は、邪魔にならないように自らの頭を背後へ放った。目は邪魔だ。心の瞳で敵を見る。

 敵の数は3体ほど。ポーンが3体だ。結構、多い。仲間のアシストさえあれば全員倒すことも可能だが、さすがに1人で相手をするには辛いものがある。剣崎の能力はそもそもがタイマン用なのだ。


 だが、任せろと言った手前、退けはしない。


 剣崎恵は、近視眼的で頭の硬い女だった。目の前にあるものを直感的に判断し、白黒つけようとするような、見識の狭い人間だった。今もそれは変わらないかもしれない。

 だが、少しは変われたはずである。

 今の剣崎は、廊下を走ることにも、壁をぶち壊すことにも、なんの躊躇もない。

 大切なものも、正しいものも、いくらでもあると知ったからだ。


「……うむ!!」


 剣崎は、剣を一度、鞘に収めた。ポーン達が銃を構えて突撃してくるのを、迎え撃つ。

 鎧に弾丸がめり込み、衝撃が身体を襲った。だがそれでも剣崎は怯まない。剣を鞘に収めたまま、柄を握って走りだす。首なし風紀委員は、心眼で見据えた相手を目指し、一直線に通路を駆け抜けた。


「いぃぃぃぃぃぃぃぃやァッ!!」


 剣崎の得意技は、抜き胴だ。銃弾の雨に身体をさらし、一気に距離を詰め、抜剣と共にそれを放つ。

 果たして剣筋は、剣崎の確かに見た“死線”をなぞるようにして、ポーンの胴へとたたきつけられた。頑健であるはずの鎧の、脆弱な一点を小削ぎとり、剣崎の一斬は紙を切るよりもたやすく、そのポーンの胴を両断する。上下真っ二つに割られた男の身体が、通路に弾けた。


「でぇぇぇぇぇぇいッ!!」


 返す刃は両手で握り、一気に袈裟に振り下ろす。2人目のポーンに対しても、その一撃は有効だった。


 剣崎は今まで、幾度と無く血族と戦ってきた。

 1回めはたやすく蹂躙された。2回めも、手も足も出なかった。3回めは、仲間たちの力を借りて、ようやく手負いのポーンを1人、仕留めることができた。

 4回めは、追い詰めたが、逃げられた。


 そして今、5回めで胴を断ち、6回めで袈裟に割る。


 首なし風紀委員の晴れ舞台は、返り血で彩られた。


 だが、3人目。対応が間に合わない。首のない剣崎の身体めがけて、再度銃弾の雨が降り注ぐ。へこんだ胸甲キュイラスに穴が空き、血がしぶく。剣崎の腕から剣が取り落とされた。反撃が遠のく。

 その瞬間、剣崎の心眼は、この空間にあるもうひとつの気配を捉えていた。それはゆっくりと、3人目のポーンの背後に回り込んでいるのだが、ポーンは気づいている素振りを見せていない。剣崎は即座にその意図を察し、弾丸に踊らされる死に体の侵入者を演じた。


 通路の片隅に転がされた剣崎の首は、光を通して世界を見る。そこには確かに、撃たれる剣崎の身体と、撃つポーンの2人しかいないように見えた。

 だが、目を凝らせば、ずるりと動く景色に意識が向く。その直後、背景に完全に溶け込んだ無数の足・・・・が、ポーンに背後から巻き付いた。剣崎はこれを、動物番組で見たことがある。それは、体色を自在に変化させ、身体を周囲に溶けこませたタコが、獲物を捉えるときの動きだった。


「がああッ!」


 ポーンが悲鳴をあげる。同時に、擬態を解いた杉浦が、そのタコ足でポーンの身体を縛り上げていた。


「つるぎん!!」

「承知!!」


 剣崎の身体が、取り落とした剣を拾い上げる。彼女の鋭い突き込みは、ポーンの急所をめがけて、寸分違わずに放たれた。




「俺を倒すだぁ?」


 恭介の言葉を受け、シャッコウは嘲笑するように言った。


「馬鹿言っちゃいけねぇな。せっかく助かった分を無駄にする気か? あの鴉天狗も浮かばれねぇ」


 敵の態度は余裕綽々だ。それも当然だろう。彼我の戦力差は圧倒的である。そしてそれは、一朝一夕の努力で埋まるようなものでも、ない。

 目の前の敵がほんの少しの気まぐれを起こせば、あるいはこの拠点そのものが吹き飛ぶかもしれない。だから、この間恭介はまだ仕掛けなかった。ギリギリまで時間をかけて、敵を油断させる。恭介の仕事は、この拠点のリーダーを一地点に釘付けにして、序盤の戦いの展開を有利に運ぶことだった。


 シャッコウのすぐ近くにいる、女のポーンが気にはなるが。

 彼女はまだ、戦闘用の黒甲冑を着ていない。倒そうとすれば容易なはずだが、仕掛けてくる気配はなかった。


「まぁ、そっちから来てくれたならありがてぇ話だ。手土産にさせてもらおうか」


 はっ、と恭介がするまもなく、シャッコウの姿が掻き消える。直後、背後にぞっとするような気配を感じた。


「うらぁッ!!」


 シャッコウの拳が、勢い良く突き込まれる。その瞬間、防御行動を選択したのは凛の意識だった。

 身体を液化させ、シャッコウの拳の形に合わせて穴を開ける。そのまま弾けるように床へ広がり、滑るように移動した。距離を取り、再び人の形へと戻る。


 拳は黒い闘気のようなものを纏う。あの一撃をくらえば、液化状態でもタダでは済まない可能性があった。


「おらおらァ、どうしたァッ!!」


 シャッコウの追撃は容赦がない。恭介は、拳に触れないよう注意を払いながら、必死に攻撃をかわしていく。攻撃に転じる隙が、まだ一切見当たらない。防御に徹するにしても、いつまで持つかわからない。これはギリギリの戦いだ。

 そう、戦いだ。一方的に殴られるだけの、容易い狩りハントではない。そんなものにさせないための、戦いだ。


 敵の呼吸が見えてくる。うまく相手の動きに合わせて、回避行動を取る。身体の柔軟性では、このエクストリーム・クロスは誰にも負けないのだ。だがそれでも、ルークのシャッコウはまだ本気を出していない。


「ちっ、つまんねぇな」


 シャッコウは吐き捨てるように告げる。足を止めた彼の腕に、黒い闘気は渦を巻いた。


「俺を倒すっていうから、どんな隠し玉を引っさげてくるかと思ったが……。がっかりだぜ」


 闘気はやがて部屋全体を包み込み、その空気を震わせる。逃げ場のない一撃を放つつもりなのだ。恭介は直感した。だが、ここで背中は見せられない。自分にできることは、その一撃を、一瞬でも遅らせること。攻めるならば今だ。


「うぉおーりゃああああああッ!!」


 恭介は床を蹴った。灼焔の剣ヒートウィーバーを掲げ、一気に距離を詰める。


「おぉっ?」


 シャッコウの表情が嬉しそうに歪む。引き絞った拳を、ルークは再度放った。恭介は身体をぐねりとたわませて、頭から胴体部分にかけてを大きく歪める。拳はまたも空を切り、しかしその余波が黒い闘気をまとって、恭介の身体を吹き飛ばした。


 同時に。


 勢い良く、恭介からみて左右の壁が砕け散る。パラパラと小石が飛び散り、砂埃が舞った。


 シャッコウは、吹き飛んだ恭介に向けて飛びかかる。床に転がった彼をめがけ、掲げられた拳は鉄槌だ。だが、その槌が振り下ろされるよりも早く、横合いから滑り込んできた黄金色の砲弾が、シャッコウの身体をとらえた。


「むゥゥンッ!!」

「あぁん!?」


 めり込んだその一撃に鬱陶しそうな目を向け、シャッコウの動きが一時停止する。

 豪林元宗の放つ渾身の飛び蹴りは、しかしルークの身体を吹き飛ばすには至らない。シャッコウはその足を掴みとろうと手を伸ばす。だが、今度はその腕の動きがピクリと停止した。見えない力に抑えこまれ、その隙にゴウバヤシは飛び退いて体制を立て直す。


「がぁぁっ! てめぇっ!!」


 自らを縛り付ける不可視の力を、シャッコウは強引に振り払った。


「我の神通力を力だけで破るか……」


 恭介の右隣に立った原尾真樹が、神妙な声でつぶやく。


「だが、どうやら間に合ったようだ」


 ゴウバヤシも頷いて、恭介の左隣に立った。


「ああ、助かったよ」


 恭介もゆっくりと立ち上がって、目の前に立つシャッコウを睨みつける。


 部屋に入ってきたのはゴウバヤシと原尾だけだ。他のメンバーは配置についているか、あるいは他の戦力の足止めをしているか。どのみち、準備は整っている。

 シャッコウは、狩りの予定を狂わせる乱入者の存在に、いらだちを露わにしていた。


 恭介は、右腕を前に突き出し、ジークンドーの構えを取る。ゴウバヤシは拳法の、そして原尾は、エジプト十字アンクを掲げ片腕を背に回すという独特の構えで、ルークのシャッコウと相対した。


 反撃作戦の開始だ。大地を蹴り、こちらへ迫るシャッコウの姿を見て、恭介は身を固くした。

次は20日投稿でーす。

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