第92話 黄金色の砲弾
御座敷童助は、その時、ちょっとした無力感のさなかにあった。
当然だ。彼は仲間たちを助けることができなかったのだから。
その存在感の薄さとは対照的に、サッカー部のエース。とりわけストライカーとして活躍する御座敷ではあるが、本質的に争いを好まない。中性的で優しい顔立ちのとおり、どこかのんびりとした、平和な性格の持ち主だ。魔物に転生することで獲得した姿も、能力も、戦いに向いたものではなかった。
だがそれでも、仲間の危機を前に逃げることしかできなかったのはショックである。結果として、長い付き合いである烏丸義経を、おめおめと敵の手に落としてしまうことになった。
「あ……。おはよう、御座敷くん」
「あ、うん。おはよう、壁野さん」
朝起きて、クラスメイトの壁野千早と挨拶を交わす。
「あれから少し経ったけど……。大変なことになったわね」
そう言う壁野の言葉も、どこか重たいものがある。
彼女も、付き合いのある雪ノ下たちが敵の手に落ちたことが、まだ尾を引いている様子だ。
「これから、私たちどうするのかしら……」
「今は、だいたいウツロギくんの方針に従ってるから、ウツロギくんと相談することになると思うけど……」
「不満?」
「不満はないんだ。ただ、ちょっと心配なだけで……」
新大陸の頃から、恭介が一応、一行のリーダーということになっている。
烏丸あたりは不満たらたらであったが、少なくともその烏丸よりは、まぁリーダー向きであったと言えるだろう。ただその彼も、導き手にするには少し不安の残る性格というか、どこか自分本位ではない部分があるというか。御座敷の目にはそのように映った。
雪ノ下涼香などの方が、よほど先頭に立つに向いた性格だ。が、彼女はその立場を、頑として恭介に譲ったまま受け取ろうとはしなかった。その意図はまぁ、御座敷にはわかっている。
「確かに、心配よね。また1人で駆け出したりしないかしら」
「ああ、うん。やっぱりそういうところあるよね、ウツロギくん……」
結局、そこだ。一番不安なのはそこなのだ。
人は、1人でなんでもできるほど万能ではない。恭介だってそれをわかってきた頃のはずだが、彼は自分で駆け出す以外に、難局を乗り切る術を知らないのだ。誰かに頼るということを、本質的に知らない。だから、自分から力を貸し出すような、姫水凛のようなタイプが近くにいれば頼ることはできるが、そうでない相手に助力を乞い願う方法を、彼はわかっていないのだ。
「どのみち、またウツロギくんが無茶をしたり、思い込んだりしないように、姫水さんあたりと相談したほうが、いいんじゃないかなぁ」
「そう、ね……。私もそれが良いと思うわ」
御座敷と壁野は、寝床替わりに使っている倉庫を出た。まだ朝は早く、冒険者自治領ゼルネウスは、靄に包まれている。恭介と凛は、既に中にはいなかった。犬神の寝息が聞こえてくるだけだ。
まさか、もう1人で無茶をしに行ってしまったんではないだろうか。
そんな思いが、御座敷の脳裏をよぎる。
なにせ今回の件はかなり特殊だ。恭介の友人である火野瑛と小金井芳樹が、どちらとも敵に回ってしまったのだ。空木恭介の当事者性はかなり高い。というか、もう当事者と言って差し支えない。無茶をする友人の目を覚まさせるため、空回りをしてもおかしくはない。そういった状況だ。
いや、でも、さすがに。それは凛が止めるだろう。だからいないのかもしれないし。
おかっぱ頭の御座敷童助は、困ったように靄の中をきょろきょろと見回した。
すると、
「おはよう! 御座敷、壁野」
朝靄の中から、恭介の声が聞こえた。
「えっ、あ……うん。おはよう、ウツロギくん」
「お、おはよう……」
存外に元気な声に、ややたじろいでしまう壁野と御座敷である。
恭介の後ろには、一台の荷車。そしてその上には、なにかよくわからない荷物が大量に載っている。
「え、ええっと……。ウツロギくん、それは……?」
「ああ、ちょっと朝市に行ってきたんだ。左腕の新しいパーツが欲しくて」
見れば、確かに失われていたはずの恭介の左腕が、すっかり元通りになっている。それだけではなく、なぜか鳥の骨らしきものが肩のあたりから1本、ぴょこんと生えているのがちょっと気になったが。
「え、なに。全部スケルトンの腕なの?」
「全部腕じゃないけど、まぁ……」
恭介が振り返ると、凛とレインが荷台から降りて、せっせと大量の骨を倉庫の中に運び込んでいる。
「お金は、まぁレスボンから借りてさ。悪いけど、2人もちょっと手伝ってくれよ」
「あ、うん。わかった」
思った以上に、恭介は落ち着いている。御座敷にはそれがやけに奇妙に思えた。
てっきり、1人で思いつめて、また何か良くない方向に向かうとばかり思っていたのだが。どうやらそうでもない。どこかいつもと違うのだ。どこが違うかと言えば、まぁ、『落ち着いている』という以外に表現するほうほうがわからないのだが。
とにかく恭介は安定していた。
「なんか、ウツロギくん、イキイキしてるね」
荷車の骨を降ろしながら、御座敷は言った。
「ん?」
「いや、こういう言い方するとアレだけど……。僕も烏丸のこととかあったし、ウツロギくんももっと、落ち込んだり、自分を責めたり、やる気がから回ったりしてるんじゃないか、って思ってたんだけど」
見上げると、そこにはひび割れた頭蓋骨と、虚ろな眼窩がある。
眼球がないのだから、虚ろで当然だ。だがなぜか、その空洞でしかないはずの両眼が、生きているようにさえ御座敷には感じられた。これは生きている人間の目だ。目はないはずだが、生きている人間の目に見えるのだ。
「そうか……」
恭介は骨を下ろしながら、応じた。
「俺の目が、生きているか……」
「いや、そんなこと言ってないけど……」
確かに思ってはいたが。
「なぁ、御座敷」
「う、うん……?」
御座敷は壁野に目をやりつつ、いつもと違う雰囲気の恭介に戸惑いを隠せない。ちなみに壁野は、身体を横にして、その上に大量の骨を載せて運ぼうとしていた。横にしたまま地上とは水平にホバリング移動できるらしい。“ぬりかべ”としてその移動方法はアリなのかとも思ったが、効率的なのは確かだ。
恭介は骨を抱え込んだまま、こう続けていた。
「サッカーは11人いないと、できないじゃないか」
「ああ、うん。そうだね」
「御座敷はフォワード。詳しいことはわからないけど、まぁ、他にも強い選手がたくさんいるんだろ」
「うん。強い、ってほどじゃないけどね」
神代高校は伝統的にスポーツが強い。だが、いまはっきりと強豪と言えるのは、凛の所属する陸上部と、魚住妹の所属する水泳部と、剣崎の所属する剣道部だ。サッカー部や中堅、バレー部や体操部などは弱小である。
だが、何故いきなりサッカーの話なのだろう。御座敷はただでさえ恭介の雰囲気に困惑しているのに、それを加速させるばかりだ。
「いや、大変なこともあったし、これからもあるけど、よろしくな。って思ってさ」
「え?」
「よろしくな、御座敷。何かあったら、頼りにするからさ」
「う、ん……」
思わず足を止め、ぽかんとしてしまう御座敷である。恭介からそんなことを言われるとは思っていなかったのだ。
だいたい、そんな接点のある関係でもないし。
だが不思議と、そんなに悪い気はしなかった。あの恭介が頼りにしている仲間の中に、自分がカウントされているというのは、そう悪いものではなかったのだ。それは、それ自体はこの暗雲じみた状況を打開する上で、なんのヒントにもなりはしなかったが、御座敷の気持ちはほんのちょっとだけ、晴れた。
「ひと皮剥けたね、ウツロギくん」
「剥ける皮なんてないけどな」
恭介はそう言って笑った。表情筋などないはずの恭介の顔だが、確かに笑っているように、御座敷には見えた。
スケルトン、だけではないが、ひとまずは骨素材。傷についていない完品が実に十数体分。
これを買い占めようと思ったのは、昨晩ふと凛と話していたときのことだ。
スケルトンというのは、さほど強い種族ではない。どころか、魔物全体の中でもかなり弱い部分に入る。動きが緩慢で力はない。せいぜい強みはしぶとさくらいで、身体の頑丈さもそれほどのものではない。倒し方さえ掴んでしまえば、ツノウサギよりも容易に仕留められるモンスターだ。
恭介の悩みというのはまさにそれである。必死に腕立て伏せをしたところで筋肉はつかないし、剣の鍛錬を積んだところで、人間ほどの恩恵は受けられない。せいぜいコツが掴めるくらいなものだ。魔法を使うには魔力が圧倒的に足りず、生命がないので闘気も扱えない。多くの魔物を強化し、狂化させる力を持つという冥瘴気ですら、せいぜい骨が頑丈になる程度の恩恵しか与えられないと、レスボンに説明された。
それは、紅井の血、クイーンの血を得ても、ほとんど強化されない恭介のスペックを鑑みても明らかだ。
スケルトンは、弱いのである。
だから恭介は、骨素材を大量に買い集め、そのうちのいくつかは武器屋に持っていった。持ち込んだ素材は骨だけではないが。とにかく思い立つことがあったのだ。
昼間、恭介は倉庫の中にこもりきり、買い占めた骨にひたすら細工をしていた。
1人でやるには量が多すぎるので、そのへんも仲間を動員してである。骨とは別に買ってきた札を貼り付けたり、何かを刻み込んだり、そういった地道な仕込み作業だ。
「ウツロギくん、頼りにするって、これじゃないよね?」
「これもそうだな。まぁ、俺のわがままみたいなものだけど、もうちょっと付き合ってくれ」
御座敷の言葉に、恭介はちくちく細工を続けながら返す。
「結局、これからどうするの?」
「とりあえず最初の予定通り、ゼルガ剣闘公国のゴウバヤシ達と合流したいかな。何をするにしても、人手はいたほうがいいと思うし」
「それはそうだね」
以前“名無し”から聞いた話、それにこの街に流れてきている噂からするに、ゴウバヤシ達のところにいるのは剣崎や猿渡、奥村といった戦闘向きのクラスメイトたちだ。彼らと合流できれば、今後の方針も打ちたてやすい。
「あとはまぁ、個々の特訓……かな。俺も、剣の練習はするけど。御座敷や壁野たちにもやってもらう」
「僕たちも? 剣の?」
「剣じゃないけど、なんだ。ほら、フェイズ2に覚醒したし、もうちょっと能力を使いこなす的なさ……」
御座敷童助のフェイズ2能力は《運気招来》という実にフワッとしたものだ。周りの仲間の運がよくなる。
フワッとしているだけに、使いこなせるようになればかなりの強能力なのは間違いないのだ。御座敷はサッカーは上手いが、座敷童子の能力自体はサッカーに向いたものではない。おそらく、あの場から壁野と共に逃げられたのも、御座敷の能力のおかげだろうし、八方がふさがりかけた時でも、ひょんなことから幸運が舞い込んでくる可能性はある。
「僕や壁野さんはいいけど、犬神さんは?」
「犬神にも特訓はしてもらうけど。あいつの場合、どうなんだろうな。月の満ち欠けでも操作できればいいんだけどなぁ」
犬神の場合は、能力という能力がない。基本的にガチンコバトルタイプなので、レベルを上げて物理で殴れば良い話なのだ。要するに地道な鍛錬がモノをいうタイプではある。
実は、犬神は最低限の鍛錬は続けている。定期的に小動物を捕まえてくるのがそれだ。だから、彼女はそのハンターとしてのセンスを地味に少しずつ成長させている、はずだ。少なくとも鈍りようはない。
「うーん。特訓か……。どうすればいいんだろうね」
「こう……。くじ引きを作って」
「うん」
「それを、道行く人に引かせて」
「うん」
「10回連続でアタリを引かせるように念じ続けるとか……」
「それ効果あるのかなぁ」
御座敷は首をかしげていた。
「でもそれなら、今でもできるじゃないか」
黙々と作業を手伝ってくれていた冒険者のレインが、ぽつりと言う。
「ここに大量の骨がある。印をつけたものとそうでないものもある。似たようなことならできるぞ」
「それもそうだ」
ちなみに、今この部屋にいるのはこの3名だけだ。となると、クジを引く役がいない。
「いや、待って。わかった」
御座敷は部屋をぐるりと見回して頷く。
「これから、何か良いことがあるように念じてみるから」
「フワッとしてるなぁ。大丈夫か?」
御座敷は真剣な顔になって、作業を再開する。作業をしながらだと雑念が入るような気がしたが、それでも何か幸運を呼び込めるようであれば、それはホンモノかもしれない。恭介もレインも、そのまま何も言わず、黙り込んで作業に没頭することにした。
お昼ご飯はカレーライスだった。
一同は、決してのんびりしていたわけではない。だがさりとて、焦るようなこともなかった。
恭介は何やら秘策を練りつつ、剣の練習に時間を割くようにしたし、
凛は今までもこっそり続けていた変形の練習を続行していたし、
御座敷は運気を呼び込むという怪しげな能力を使いこなせるよう練習を続けたし、
壁野も防壁を生み出す能力の特訓を始めた。
犬神は犬神で、レインやレスボンを相手にした実践練習をするようになった。この2人の冒険者も、よく付き合ってくれるものだ。だが、いまは迷惑になるからと助力を断るだけの余裕が、恭介たちにはない。好意には精一杯頼っておくことにした。
そんな転機が訪れた日の、午後。夕方近くのことである。
異変は突如として起こった。
ゼルネウスは、この中央大陸に3ヶ所ある冒険者自治領のひとつだ。
およそ30年前から40年ほど前、世界最初の冒険者であるランヴィスド・ノルンバッカーが、帝国から自治を認められた冒険者自治領ゼルシアがそもそもの起こりであり、それからしばらくして、北にゼルメナルガ。南にゼルネウスという2つの冒険者自治領ができた。
北に比べてダンジョンの少ないゼルネウスだが、獣王連峰にほど近いこの周辺地域では野生モンスターによる獣害がたびたび発生する。ここを拠点とする冒険者の多くは、それに対処するためのクエストを周辺地域の村落などから請け負うことを、日々の食い扶持としていた。
さて、そのようなゼルネウスであるから、魔物退治には自信のある冒険者が多い。
腕の立つものとなれば、協会の直属となって自治領の守衛任務に就くことで生活を安定させることもある。
その時も、自治領の首都たる探求都市ゼルネウスを取り囲む城壁の上で警護を行っていたのは、ベテランの冒険者たちであった。
「あれ……。なんだ?」
夕闇の向こうに目を凝らしながら、冒険者の1人が呟く。
「なにか見えたの?」
「ああ、あっちの方だ。何か、群れ……か? あれは」
同僚に尋ねられ、冒険者は北の方角を示す。
獣王大火山の麓、その空に、何か鳥の群れのようなものが見えるのだ。だが、距離からしてみるとかなり大きな鳥である。
この周辺に生息している大型鳥類と言えば、ロック鳥。サンダーバードが生息するのは雷鳴山脈や千本槍山脈の方だから、距離が離れすぎている。あるいは、大陸南部全域に生息する飛竜ワイヴァーンも、鳥によく似た飛行シルエットを持つ。
「確かに……見えるわね」
「何だと思う?」
「私には、ワイヴァーンに見えるわ」
だが、ロック鳥にせよサンダーバードにせよワイヴァーンにせよ、群れをなして行動する種族ではない。
何かとてつもない異変が起きているように、彼らには思えた。
「そういえば、ここから西のあたりで、ベヒーモスの冥獣化個体が見つかったそうよ」
「ああ、やっぱり噂の特異個体は冥瘴気の影響だったのか……。だが、ワイヴァーンがミアズマに汚染されたとして、群れをなすようになるなんて症例は聞いたことがないぞ」
「ねぇ、ちょっと……。あの群れ、こっちに向かってきてない?」
同僚の緊張した声に、その冒険者ははっとした。改めて、夕闇に目を凝らす。
いや、凝らすまでもなく、その群れは確かに、こちらの方へ近づきつつあった。まだまだ距離はあるはずだが、彼らのよく鍛えられた視力は、そのシルエットの正体を正しく暴き出す。やはりそれは、ワイヴァーンであった。
これこそ異常事態だ。ワイヴァーンが群れをなし、人間の生息域をまっすぐに目指してくるなど、原則としてありえない。
ワイヴァーンは大きな縄張りを持ち、その中でつがいを作って暮らすものだ。縄張りは山の頂から平原まで多岐に渡るものだが、人間の縄張りとはあまり交わらないことが多い。
何かに追われているのか。あるいはもっと別の理由か。どのみち異常が起きているのは確かなのだ。
「ひとまず協会に報告だ。ワイヴァーンの群れが本気でここを通過する予定なら、迎撃も視野に入れなくちゃならない」
「わかったわ」
同僚は身軽な仕草で城壁を飛び降りると、協会の本部まで走っていく。
いつもに比べて、やけに鮮やかな夕焼けは、まるで血に染まったかのような色をしていた。
ゼルネウスの町並みが、にわかに騒がしくなる。半鐘が打ち鳴らされ、メインストリートに軒を連ねる商店からは、多くの商人や冒険者たちが顔をのぞかせていた。
いま一同は、拠点としている倉庫から少し離れた広場のあたりにいる。追加の買い物の帰りだ。凛と犬神は別件を済ませている途中だが、他のメンツは揃っていた。
「珍しいな。迎撃戦の半鐘だ」
夕闇に染まりつつある空を眺めながら、レスボンが呟く。恭介は首をかしげた。
「迎撃戦?」
「この辺は、たまに獣王連峰から降りてくる超大型モンスターの襲撃を受けるんだよ。クジャタとかさ」
クジャタは、大きいものでは全長数百メートル級に達する、この世界では最大級の巨躯を誇る魔物だ。獣王連峰からハナナルカン平原にかけて広く生息している。
「他にも、冬眠できずに凶暴化したタラスクとか、穴なしのベヒーモスとか。海が近いからケートスなんかが河を遡上してくることもあるな」
そういった大型モンスターが、冒険者自治領ゼルネウスの首都、すなわちここ探求都市ゼルネウスを通過、襲撃する可能性のある際、こうした半鐘が鳴らされるのだという。街の中にいる冒険者、すなわち冒険者許可証を持つ者には迎撃戦に参加する義務があり、迎撃に成功したあとは多大な報酬が支払われる。
「と、いうことは、レスボンとレインも行くのか」
恭介の問いに、『ああ』と答えたあと、レスボンは顔をしかめる。
「しまったな。まだランクダウン申請してなかった……。妙なところに配置されなきゃいいんだけど」
「どうせその腕とその目を見れば、危険なところには回されん」
レインはさっそく、ハルバードを用意している。新大陸でレッサーデーモンから受けた火傷は、痛ましい痕を残してはいるものの、体力自体はすっかり快癒している様子だ。
「あー、ウツロギくん。僕もだ」
彼らを見送ったものかどうか考えていると、背後からそんな、気まずい声が聞こえる。
「ああ、そうか。御座敷も冒険者登録してたな……」
「うん……。しかも僕、ゴールドランカーだからね……。嫌だなぁ」
振り返ると、おかっぱ頭の少年は金色に輝くカードを持って頭を掻いていた。御座敷と雪ノ下は、冒険者として協会に登録申請をしていたのである。種族は妖精として登録されている彼だが、冒険者である以上、種族がどうであるとかは、関係ないのだろう。
「御座敷くん、私もついていくわ」
後ろからぬっと出てきた壁野が言う。
「そ、そう? 嬉しいけど、大丈夫なのかな」
「魔物を連れて行くのは、別に禁止されてるわけじゃない」
「そっか……」
レインの言葉に、御座敷は少し複雑そうな顔をした。壁野を『手懐けた魔物』扱いされるのが、あまり良い気分ではないのだろう。
「でも、わかった。行こう、壁野さん」
「ええ。ウツロギくんは、どうするの?」
「ついて行きたいのは山々だけど、荷物があるからな」
恭介は荷車に載ったいくらかのマジックアイテムを眺めて呟く。
「それに道具がないと役に立てないから、一度倉庫に戻るよ。そのあと、凛や犬神といっしょに手伝いにいく」
「わかった。まあ、そんな大変な敵じゃないかもしれないけどな。案外さらっと片付くことの方が多い」
レスボンは肩をすくめて言った。
腕の立つ冒険者が十数人集まれば、大型モンスターといえど撃退は容易であったりするものだ。一度、五神星のうち2人が街に滞在している時に、クジャタの襲撃を受けたことがあったらしいのだが、それは本当に一瞬で片付いてしまったという。
この付近にはいま、五神星の1人である“名無し”がいることがわかっている。彼が街に滞在しているのであれば、今回の迎撃戦も楽な話になるだろう。
もちろん、いれば、の話だ。彼は、ずっと街に滞在していることのほうが珍しいらしい。自治領内にいても、大抵は野宿という噂だから、あまり期待はできない。
「ま、とにかく行ってくるよ」
「ああ、また後で」
そこで、恭介はレスボン達と一度別れる。その後彼は、荷車をギコギコ引いて倉庫の方へと戻った。
さすがに非常事態というか、災害のような扱いになるのだろうか。どの店もいそいそと店じまいを始め、メインストリートには人影がまばらになっていく。急いで家に帰る商人や、協会の方へ駆けていく冒険者以外の姿は、見えなくなった。
果たしてどのような魔物による襲撃なのか。それは定かではないが、これは思いついた新戦法を試す、良い機会かもしれない。恭介は、荷車の上の載ったいくつかのマジックアイテムを見た。
どれも、中古の放出品だ。仲間内で相談して、今後のためにと思って買ったものである。
もちろん、恭介が自分のために買った品もある。ディメンジョン・ケースという古ぼけたカバンがそれだ。ウェポンケースの一種で、大量の武器やアイテムをしまっておくことができる。昔は冒険者の必携品だったが、いまはそうでもないらしい。
このケースと、灼焔の剣、そして大量に買い溜めた骨素材が、今の恭介の武器だ。もちろん、最終的には凛と力を合わせ、エクストリーム・クロスで戦うのが一番強くはあるのだが。
エクストリームの状態でより強くなる手段は、実はそう難しいものではない。凛が水を溜め込めば良いのだ。凛の強さは水分の量に比例する。だが、あまり大量の水を溜め込む場合、《完全融合》をする際に多少の不安がつきまとう。
つまり、合体したときに凛の比率があまりにも大きくなりすぎることだ。バランスが崩れることで何か実害が発生するとは限らないが、もし相当量の水分を蓄えた凛と融合するのであれば、恭介も自身の容量を増やしておいたほうがいい。大量に溜め込んだ骨素材には、そういった目的もある。
しばらく歩いていると、ようやく倉庫が近づいてきた。だがそんな時になって、通りの後ろの方から、悲鳴が聞こえてくる。
「ワイヴァーンだ! 城壁を突破された!」
その声に、恭介ははっと顔をあげた。
「ワイヴァーンだって?」
通りに店を構えていた店主が、窓から顔を覗かせている。
「そんなの珍しくもないだろ。苦戦するようなものなのか?」
「違うんだ、群れなんだ! それにただのワイヴァーンじゃない、こう、目が赤くて、牙も鋭くて……。何かおかしいんだ! プラチナランカーも1人やられた!」
必死にまくし立てているのは、全身に傷を負った冒険者らしき男だった。顔を真っ青にしているところを見ると、どうやら嘘ではないらしい。いや、既に通りには喧騒が巻き起こりつつあった。それは、命からがらに逃げてきた冒険者たちだけのものではない。パニックに押し出された、商人たちの姿もある。
そして振り返り、恭介は見た。
メインストリートを超えた遥か先、冒険者協会ゼルネウス支部の上から翼をはためかせて飛来する、翼竜の群れを。
竜だけではない。いくつか、黒い鎧をまとった人影がそこに混じっているのが見えた。あれは血族。ポーンだ。
ワイヴァーンは逃げてきた冒険者の言葉通り、目が赤く、口元には鋭い犬歯が覗いていた。血族とまったく同じ外見的特徴。恭介はすぐに理解する。あれは血族の因子を撃ち込まれたワイヴァーンだ。血族の手によって、特別に強化された個体なのだ。
それが、何故、この冒険者自治領を襲っているのか。
「ひいっ、き、来たっ!」
傷だらけの冒険者は、悲鳴をあげて逃げ出した。
逃げ出してきた冒険者は、そう多くはない。城壁を超えてきたワイヴァーンの影もだ。まだ多くのワイヴァーンは、城壁の向こうで足止めならぬ翼止めを食らっている様子だった。それでも何匹かはポーンと共に城壁を越え、市街へとなだれ込んできている。
傷だらけで逃げてきた何人かの冒険者めがけて、ワイヴァーンが急降下する。彼らはまだ経験が浅いのか、悲鳴をあげて走るだけだった。恭介は、今の自らの姿――スケルトンであることも忘れて、彼らに怒鳴りつける。
「物陰に入れッ! 追いつかれるぞ!!」
だが結局、恭介の言葉が届くことはなかった。ワイヴァーンはその爪を、逃げ惑う冒険者たちにえぐりこませ、そして自らの自重を持って押しつぶしたのだ。そのまま、片足をぐりぐりと地面にえぐりこませるほどの、念の入りようだった。
「くっ、そ……!」
恭介は、荷車の上からディメンジョンケースと灼焔の剣を取り出して駆け出す。倉庫に向けてだ。
凛や犬神が、いまどこにいるかわからない。いや、別件を片付けているなら、街の外に出ているはずだ。街の異変を察知すればすぐに戻ってくるはずだが、合流がいつになるかはわからない。ならばやはり、ここで骨素材のいくつかを消費してでも、戦うしかない。
「なんで誰かを頼るって決めた矢先に、1人になるかな……!!」
駆け出した背後から、悲鳴が聞こえてくる。傷を負った冒険者が、ワイヴァーンに襲撃を受けているのだ。
「た、たすけっ……助けてっ……!」
「(ふっざけるな……!)」
恭介は心の中でそう叫びつつ、足を止める。
「助けるったって……限度があるだろ!」
振り返れば、まだ息のある冒険者数人が、ワイヴァーンにじりじりと追い詰められているところだった。
恭介は、灼焔の剣の柄を握り、肩にディメンジョン・ケースをかけたまま、わずかに震えた。
「良いか、俺はな! クラスまるごとワケわかんない異世界にとばされて、怪物に姿を変えられて、それでもみんなでがんばって家に帰ろうって矢先に、親友は裏切るわ仲間は連れ去られるわ、1人じゃどうしようもないってんで、仲間に頼ることをようやく覚えたような、そんな状態なんだよ! 俺も生きるか死ぬかなんだ! こんなナリだけど生きてるんだよ! 仲間といっしょに帰るために、ここで死ねないんだ! 見ず知らずの異世界人を助けてる余裕なんかないんだ! わかるか!? なぁ、わかるかッ!?」
叫びながら、恭介は荷車の上にあるマジックアイテムの1つを手に握った。魔弾と呼ばれる投擲武器の一種だ。原則として、使い捨てである。猿渡が仲間になったとき、使いでがあるかと思って買ったものだったが、
「わかるかってんだよ、くそったれぇ―――ッ!!」
恭介は、それを自らの独断で、思いっきりワイヴァーンに向けてブン投げた。
みしり。
魔弾は果たして、ワイヴァーンの即頭部に思いっきりめり込んだ。真っ赤な瞳がぎょろりと動いて、恭介の方を捉える。その瞬間、血族化したその飛竜の標的が、明確に書き換えられた。
恭介はワイヴァーンに背を向けて、倉庫に向けて思いっきり走り出す。
「バカなんだよなぁ、俺って!!」
知ってる、と、脳内で凛が同意した。
背後から猛烈な勢いでワイヴァーンが追いかけてくる。倉庫まで逃げ込めば。せめて倉庫まで逃げ込めば戦いようはある。通じるかどうかはわからないが、試すことはできるのだ。距離は目測にして100メートル。
恭介の100メートル走のタイムは14秒30。ぶっちゃけ骸骨になっている今はそれよりも遅いわけで。
ワイヴァーンの、決して発達しているわけではない両足が、ドタドタと大地を蹴る。震動がこちらまで伝わってくる。もうすぐにでも、追いつかれそうな気がした。
「くっそ……! いっつもこうだ!」
恭介は叫んだ。
「俺はみんなの窮地に駆けつけるのに! 颯爽とみんなを助けてきたのに! どうして俺のところには誰も来ないかな! 俺、頑張ってるよね!?」
「……ああ、よくやったぞ、ウツロギ」
はっとした。重く響くその声に、思わず足を止めそうになった。
止まってはいけない。無理やりにでも足を動かす。だが、首だけは振り返っていた。
視界の片隅から流れ込むように、黄金色の砲弾が穿つ。それは、ワイヴァーンを横合いから殴りつけるかのように追突し、その巨体をストリートの脇へと叩き込んだ。ワイヴァーンがバランスを崩す。倒れこむ。一軒の家屋が倒壊した。
何が起こったのか、おおよそ理解はできている。だから恭介はそれ以上振り向かなかった。倉庫の中へとなだれ込み、中にあった大量の骨素材を、片っ端からディメンジョン・ケースに詰め込んでいく。そして、自らの両腕と両足を取り外し、倉庫にあった骨素材と換装した。
「……ぃよし!」
その腕骨は、他のものと区別がつくように赤いラインで印がつけられている。足は緑のラインで印がつけられていた。
まずは、こいつを試す。
恭介は、窓から倉庫の外を見た。ワイヴァーンが、今まさに立ち上がるところだ。今度はこちらの返礼をしてやる。恭介は、灼焔の剣をディメンジョン・ケースに放り込み、ケースを肩にかけたまま再び倉庫から飛び出した。
「うおおおおおッ!!」
大地を蹴る様は先ほどに比べ、はるかに軽やかだ。恭介が一際強く、ストリートのタイルを蹴り飛ばすと、彼の身体はふわりと宙に舞い上がった。
「でぃいいいいやぁぁぁっ!!」
両の拳を握り合わせ、ワイヴァーンの背中をめがけながら、ハンマーのように振り下ろす。
拳が背中の甲殻に叩きつけられた瞬間、腕骨に貼り付けられた呪符と彫り込まれた紋様が、魔導反応を引き起こした。それは大きな爆裂を伴って、ワイヴァーンの甲殻の一部を、恭介の両腕ごと吹き飛ばす。
「ガアッ!!」
ワイヴァーンは悲鳴をあげ、背中の恭介を振り払わんと大暴れした。両腕を失った恭介は掴まるすべもなく、空中へと放り出される。背負ったケースだけは落とさないよう、残った腕の部分でしっかりと掴んでおいた。
吹き飛ばした甲殻はほんの一部に過ぎない。だが、効果はあった。恭介が着地すると同時に、両足の骨――風属性の術式を彫り込んだそれも、限界を迎えたかのようにボロボロと崩れていく。
その隙をめがけて、ワイヴァーンがぐぐぐ、と口の中に熱を蓄えるのがわかった。
火球だ、と思った瞬間、それは恭介めがけて発射される。だが恭介は目を逸らさなかったし、みっともない悲鳴もあげなかった。そこに割り込んでくるであろう男の存在を、あらかじめ知っていたからだ。
「むゥン!!」
恭介の前に滑り込んできたオウガの巨体が、黄金の闘気を伴って盾となる。人間1人をたやすくローストするワイヴァーンのブレスを、その男は生身ひとつで受け流してみせた。
その間に、恭介はディメンジョン・ケースに命じる。飛び出してきた腕と足が、再び恭介の身体に接続された。接続チェック。異常はなし。
「ありがとう、ゴウバヤシ」
目の前に立つ級友の背中に、恭介は感謝の言葉を投げかける。男、豪林元宗は静かに答えた。
「礼には及ばん」
「変わんないな」
ゼルガ剣闘公国にいたという彼らだ。助けに来た、わけではないだろう。
彼らもここに向かっていたのだ。恭介たちと合流するために。結果として、助けてくれたわけだが。
「おまえは変わった」
「え、そう?」
「助けを求められるようになったな」
そう言いつつ、ゴウバヤシは迫る2発目、3発目のブレスをしのぐ。
周囲の騒がしさが、また違った色合いを帯び始める。ゴウバヤシだけではなく、他の生徒たちもたどり着いたのだろう。変化は街の西からだけではなく、東の方からも起こり始めていた。街の東側では、まるで森がなだれ込んでくるかのように、凄まじい植物の成長が発生している。
「あれは……」
「“名無し”のツテだ」
ゴウバヤシが静かに言った。
「おまえ達の居場所をしったクラスメイトは、どうやら俺たちだけではないらしい」
それがおおよそどのような意味を持つのか、恭介は理解することができた。
「逆境を乗り越えて成長したのはおまえ達だけではない。その上で聞く。ウツロギ、いけるか?」
「あたりまえだ……!」
恭介も頷き、ゴウバヤシの隣に立つ。
「ありがとう、ゴウバヤシ」
「礼には及ばんと言った」
「このありがとうは、これからたくさんかける、迷惑の分さ」
その瞬間、ゴウバヤシはまるで珍しいものを見るかのような視線を、恭介に向けた。恭介は、そんなゴウバヤシの顔を見上げずに、続ける。
「こいつらを倒す。全員倒す。血族は倒す。瑛と小金井と、たくさんのクラスメイトを取り戻したいんだ。力を貸してくれ、ゴウバヤシ」
「無論だ」
ゴウバヤシは、ゆっくりと拳法の構えを取る。身体に纏う闘気は、風圧を孕んで大気を揺らした。
「竜崎を支えてもらった借りを、おまえにはまだ返していない」
次回は16日くらいかなー。ペースを元に戻せたら良いなーって思います。




