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クラスまるごと人外転生 ―最弱のスケルトンになった俺―  作者: 鰤/牙
第一章 あなたが魔王になった日
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第9話 変容する日常

 自分の未熟さが、今のクラスの鬱屈とした状況を招いたことを恥じている。

 思うところはあったが、これ以上、自身の中の鬼を見過ごしておくことはできない。


 ゴウバヤシの書き置きは非常にシンプルなものだったが、当然のようにクラスに波紋を呼んだ。一人でクラスのバランスを保っていたような男である。彼がいなくなることで、混乱が広がることは誰にも想像ができたことだろう。

 ゴウバヤシの後ろ盾をなくした竜崎には、おそらく誰もついて行かない。

 クイーン紅井はさして驚いた様子もなく、気怠そうに爪の手入ればかりしている。

 もはや、クラスの次なるリーダーが誰になるか、決まったようなものだった。小金井芳樹。彼の増長を止めるものは、誰もいない。


「ていうかさぁ、ゴウバヤシくんだけじゃなくてカオルコちゃんもでしょ?」


 凛が、剥き身になったエビをボウルに移しながらそんなことを言った。


 恭介たちは今、食堂の片隅でエビの殻を剥いている。迷宮探索を行っていた五分河原が地下7階の泉で大量に捕獲してきたものだ。エビというかザリガニなのだが、味と食感はバナメイエビに似ており、クラスでも人気が高い。ただ、クラス全員分の下ごしらえとなると準備が大変で、コック杉浦スキュラの要請で、その手伝いをしているといった状況だ。


「うむ。カオルコもゴウバヤシについて行ってしまった」

「カオルちゃん、元からゴウバヤシくんのこと気にしてたから」


 どういうわけか、剣崎デュラハン佐久間サキュバスも殻剥きに参加している。


「表立った動きはあまりしなかったが、女子への影響力の大きいカオルコが抜けたのも、地味な痛手だな……」


 恭介も小さな声でぼやく。

 カオルコは、あのクイーン紅井に対してさえ意見ができる唯一の存在だった。こちらの世界にきてからは、そうした発言力をほぼ活かす間もなく姿を消してしまったことになる。ゴウバヤシがいなくともカオルコがいれば、怠惰な紅井をもう少し動かし、クラスに新たな風を吹き込むことができたかもしれないのだが。


 一同は小さな溜め息をつく。

 なお、この時瑛は当然のようにエビの殻剥きには参加せず、少し離れた場所で本を読んでいた。


「ねーねー、この剥いた殻、そのあとどうするの」


 凛がボウルの中を覗き込んで尋ねる。


「花園の家庭菜園に使うんじゃないか?」

「あー、そっかー……」

「なんだ姫水、食べたかったのか……」

「えっ、そ、そんなわけないじゃん!!」

「ほれ」


 恭介が剥かれた殻をひとつとって、凛の上にぽとりと落とす。半液状の身体にエビの殻がゆっくりと沈んでいき、やがてジュワジュワと溶けていった。


「あー、そうそう。このキチン質が身体に染みるんだよねぇ……ってバカァ!」

「うおっ、危ねっ!」


 びゅんっ、と凛の身体の一部が鞭状にしなり、恭介の真横を薙いでいく。


 ここのところ、凛はスライム的なムーブがますます板についてきたように感じる。人間に戻る方法はあるかどうかすら不明だが、もし仮に戻れたとしても、人間社会への適合に著しい支障をきたすのではないかと、恭介は不安になった。


「凛とウツロギはいつの間にそんなに仲良くなったんだ……」


 やや釈然としない様子で、デュラハン剣崎がぽつりと呟いた。言葉こそ口にしないものの、佐久間もぶんぶんと首を縦に振る。


「そりゃあまあ、世界が変わって状況が変わってつるむ相手が変わったら、新しい相手とも仲良くなるよねって」

「そうだな。小金井だって佐久間だってそうだ」


 凛の言葉に、恭介は自らの指を鼻に近づけながら言った。骨がすっかりエビ臭い。


「私は、あんまりなじめなかったかな」


 佐久間は小さな苦笑を浮かべる。恭介も凛も剣崎も、そこでしばし、手を止めた。

 確かに、そうかもしれない。迂闊な発言だった。凛と剣崎が、かわるがわる恭介の頭を叩く。


 佐久間祥子は、転生してサキュバスになった。クラス内でも随一の魔力を保有し、その美貌とスタイルで今まで彼女に見向きもしなかった男子たちを魅了した。一気にクラスのトップ層に引き入れられた彼女だが、その環境が佐久間自身に向いていたとは考えにくい。

 クラスの男子からの、唐突でなれなれしい〝さっちゃん〟呼ばわりなど、彼女の環境の変化をもっとも如実に表す要素のひとつだろう。もともと大人しく、引っ込み思案気味であった佐久間である。本来はこうやって、部屋の隅っこでエビの殻を剥いている方が好きなのかもしれない。


「まったく、竜崎にも幻滅だな」


 剣崎はテーブルの上においた首を思いっきりしかめる。


「委員長の権限を使ってまっさきに佐久間を自分のグループに引き入れるとは。そこまで助平だとは思わなかったぞ」

「あ、違うの剣崎さん」


 彼女の言葉を、佐久間は慌てて否定した。


「多分、竜崎くんは、私を庇う意味でグループに入れてくれたんだと思う」

「む、そうなのか?」

「うん……。他の男子がちょっかい出してるときとかに、ゴウバヤシくんと一緒に助けてくれて……。多分、私が……」


 と言いかけて、少し視線をさまよわせる。


「私が、えっと……。うん。私が、断るの苦手だってわかってるから。その、他に好きな人がいるっていうのも……知ってたし……」

「あー、竜崎くんはそういうトコあるよねぇ」


 凛もうんうんと頷きながらエビの殻をつまみ食いしていた。


 竜崎、ゴウバヤシのトップ2人もグループに引き入れられれば、他の男子はおいそれと手を出せなくなる。おそらくは小金井を引き抜いたのも、そうした理由のひとつなのかもしれない。当時の小金井はまだ周囲に対しておどおどしていたし、やや口の悪い言い方をすれば、佐久間にコナをかけるような性格でもなかった。二人をグループに入れておけば、一緒に守ることができる。竜崎はそのように考えたのかもしれない。


 その見立ては、一方では正しかった。

 だが、もう一方では……。


 小金井は変わってしまった。恭介はエビの殻を剥きながら、そのことを考える。


 突如として手にしたルックスと力。佐久間と同じ境遇でありながら、今や小金井は自分勝手に振る舞う暴君になりつつある。瑛は『最初からあんな奴だった』と言っていたが、本当にそうなのだろうか。恭介は、彼の友人として何ができるだろうか。


「もうすぐエビの殻剥き終わるな。杉浦はどこだ?」


 剣崎がテーブルの上の顔を掴み上げてボウルの中を覗き込む。


「花園さんの家庭菜園じゃないかな……。そろそろ何かが採れるって言ってた」

「まだこっちの世界に来て1ヶ月だろう。早くないか?」

「花園さん、アルラウネだから。多分植物の成長とかを自由に操作できるんだと思う」


 一同がちょうどそんな話をしていると、食堂の入り口に籠を持った杉浦スキュラが姿を見せた。籠の中にはいっぱいのジャガイモ。ずいぶんな量があるな、と思っていると、彼女のタコ足の一本にしがみつく、もう一人の女子の姿が見えた。頭から一本の花を生やしている。


 あれが花園アルラウネだ。


「やめてー、彩ちゃん! あたしが一生懸命育てたかわいい子供たちを食べないでー!」

「何言ってんの! 食べるために育てた野菜でしょうが! あっ、みんな。このジャガイモ、皮剥いといてくれる?」

「あーっ! あああーっ!!」


 どうやら花園は、家庭菜園で野菜を育てている内に情が移ってしまったらしい。アルラウネからすれば、ジャガイモも同族のひとつなのだろうか。ちょっぴり罪悪感を覚えなくもないが、食事がなければ飢え死にしてしまう。恭介はジャガイモを手に取って、皮にナイフを当てた。


「ああああー! ウツロギくんの鬼! 悪魔! ダシガラ!」

「そうは言っても花園、ジャガイモは根っこだから別に子供じゃないんじゃ……」

「あ、そうか!」

「ちょっとウツロギくん。花園に余計なこと言わないでよ。トマトとか収穫できなくなるじゃん」


 ところで、スケルトンである恭介や、ウィスプである瑛も食事を摂るのかという問題であるが。


 摂る。


 迷宮のスケルトンは、モンスターを狩りその魔力をエネルギー源としているが、恭介はそれをする必要がない。それは、活動に必要なエネルギーを食事として摂取しているからではないかと、瑛は言っていた。食べたところで内臓のない恭介は消化できないが、食事に込められた一種の霊的なポテンシャルが、恭介の身体に活力として供給されているのだ。

 つまり、スケルトン達にも食事を与えることができれば、彼らも魔力を摂る必要がなくなるかもしれない、というのが、瑛の立てた仮説だ。


「姫水、ジャガイモの皮食べるか?」

「ウツロギくん、あたしを三角コーナーだと思ってるの!? はぐ! はぐ!」

「もうおまえは立派な三角コーナーだよ……」


 こっそりジャガイモの皮に手を伸ばし、消化を始めた凛を見て恭介はぼやいた。


 結局、その日は一日中杉浦の手伝いで時間を潰してしまい、恭介たちは探索も特訓もできなかった。






 竜崎邦博は、その日、一人で迷宮に潜った。頼もしかったゴウバヤシは、もう隣にいない。


 竜人として生まれ変わった竜崎は、決して弱いわけではない。ソロでも地下5階までは行ける程度の実力があり、その防御能力の高さもあってクラスの中では比較的上位に位置する。比較対象がゴウバヤシや小金井では分が悪いという、それだけのことだ。

 だから、一人で迷宮を探索するにあたっても、別段不安があったわけではない。


 ただ、心細かった。


 竜崎は、トリップ前から委員長として、誰よりもクラスのことを見て、考えてきたつもりだった。時としてそれはゴウバヤシに『独りよがりすぎる』と指摘されることもあったが、竜崎はそれが正しいことだと信じてきた。

 クラスの中で、誰が、誰に、どのような感情を抱いているか。どういう趣味や癖があり、どのように動くのか。クラスのリーダーである竜崎は、それをつぶさに知り、起こりうる不和や衝突を未然に防いできたつもりだ。


 だが、それも今にして思えば、ゴウバヤシの言う通り『独りよがり』だったのだろう。


 まったくもって、無様な話だ。


 結局のところ、竜崎はすべてを失ったのだ。今の自分は、もう抜け殻のようなものである。

 あの時、ほんの軽い気持ちで、クラスメイトを地下へと連れて行った。結果として一人の死者も出ていなかったが、失われた信頼は取り戻せない。優秀なリーダーというメッキが剥がれ、醜く愚かな木偶人形だけが残った。


 ゴウバヤシが迷宮を去る前日、彼と最後の迷宮探索を行った。


 ゴウバヤシは、何も言わなかった。あるいは、自分の面倒を見ることに、嫌気がさしていたのかもしれない。もう見捨てようと、思っていたのかもしれない。

 だったら、それでも良い。彼は自分なんかとは違う。本当に優秀で、立派な男だ。やりたいことをやるべきだと思うし、それでももし、気が晴れたならこのクラスに戻って、今度は彼自身がリーダーとしてクラスを率いて欲しいと思う。


 自分は、リーダーの器ではなかったのだな。


 竜崎はわずかに自嘲した。


 幼いころから、優柔不断で、目立ちたがり屋で。通信簿に『クラスの中心となる良い子です』と書かれただけで良い気になって、それが自分のやるべきことなんだと信じ込んで、その顛末が、このザマだ。


 迷宮をとぼとぼと歩いている竜崎の耳に、何やら明るい話し声が聞こえてきた。ハッとして、身体を隠す。


 見れば、数人の男女グループが迷宮探索を行っているところだった。

 男子は触手原ローパーに、人間時代近しい友人だった鷲尾グリフォン白馬ユニコーン。女子は蜘蛛崎アラクネ木岐野キキーモラ。そして、それを率いているのが、


「小金井……」


 ぽつりと、その名が口から洩れる。


 小金井は、ゴウバヤシが去った後、クラス全体の空気をまとめつつある。ただ、それは傍から見ていて、あまり気分の良いものではなかった。弱者を虐げるし、気に入ったものは贔屓する。そして竜崎が一番気分を害していたのが、特定のクラスメイトに対する彼の態度だ。

 かつて彼の親友であったはずの、空木恭介、火野瑛に対するあまりにもぞんざいな態度。彼らはそこまで気にしていないようだが、今や小金井は明らかに二人から距離を置き、見下してすらいた。


 そして、佐久間祥子に対する露骨で執拗なコナかけ。


 下世話な話だとはわかっているが、佐久間は恭介のことが好きである。竜崎は、なるべくそうした感情は尊重したいと考えていた。小金井にも、その話はきちんと通してある。その上で佐久間に恋慕し、想いを打ち明けようというのなら、別に竜崎だって何も言わない。小金井は姫水凛のことが好きだったはずだが、想いが移り変わることはある。

 だが、小金井は嫌がる佐久間を執拗に誘い続けた。

 それが、佐久間の新しく手にした美貌や、艶めかしい肢体に目が眩んでの行動であるとまでは、竜崎は思いたくはない。しかし、何かにつけて肩や腰に手を回したり、佐久間の髪に触れたりしようとする小金井の態度には、妙な嫌悪感を催した。


 小金井は、まだ佐久間に手をつけていない。だが、明らかに彼女を〝狙って〟いた。


「もう、小金井ってば。やーだ!」


 きゃあきゃあと、じゃれ合うクラスメイト達の言葉が聞こえる。


 小金井は、蜘蛛崎の腰に腕を回していた。彼女はアラクネ。下半身が蜘蛛になった女性型モンスターだ。その蜘蛛崎に、小金井はまるで佐久間にやるときのように、身体を密着させて囁いていた。


「いやいや、嘘じゃないって。俺下半身が蜘蛛でも気にしないよ? 人間の時はそういう画像でもヌいてきたし」

「うっわー、さっすがキモオタ!」

「引くわー。小金井引くわー」


 鷲尾と白馬がゲラゲラと笑いながら囃し立てる。潔癖な竜崎には、いささかまともに聞きかねる会話ではあった。


「うるさいなー。だって俺、童貞だよ? キモオタだから彼女もいなかったんだよ? おっぱいがあるだけで幸せだよ? だからさー、蜘蛛崎さー」


 小金井が、自分のコンプレックスを武器に笑いを取っている。少し前までの竜崎なら、彼の成長として微笑ましく見守ったことだろう。だが、今となっては何故か嫌悪感しか感じない。


「だーめ。だからイヤだって……。ちょっ、マジで小金井……。や、やめてって!」


 身体を密着させ、顔を近づける小金井。蜘蛛崎がジタバタするのが見えた。竜崎は拳を握る。

 蜘蛛崎の姿に、佐久間が重なる。もし嫌がっているのに無理やりスキンシップを取っているようであれば、断固として止めるべきだ。クラスのリーダーではなく、男としてである。


「やめろよ、小金井」


 竜崎は壁際から姿を見せて、はっきりと声をかけた。その瞬間、その場にいる全員が硬直し、視線をこちらへと向けた。


「蜘蛛崎が嫌がってるじゃないか」


 それからしばらくの沈黙。一同は顔を見合わせ、それからもう一度、竜崎を見た。竜崎は毅然とした態度を保つ。怒られようと笑われようとかまわない。自分が正しいと思っていることを、やっているのだ。


「はぁぁ―――……」


 だが、最初に聞こえてきたのは嘆息だった。鷲尾も白馬も、完全に冷めきった視線を竜崎に向けている。

 小金井は頭を掻いて続けた。。


「竜崎さぁ……。結構、マジで、空気読めないよね……」


 まぁ、俺が言うのもなんだけど、と付け加えると、それまで白けていた男子たちが急に噴き出してゲラゲラと笑う。


「なんのことだ? 蜘蛛崎は本当に嫌がって……」

「別にこれ以上は言わないよ。蜘蛛崎に恥かかせたくないし」


 見れば、蜘蛛崎は真っ赤にした顔を伏せている。一方で、木岐野は軽蔑したような目つきで竜崎を見ていた。小金井はもう一度、優しくそっと蜘蛛崎の肩を抱き寄せる。


「ごめんね、蜘蛛崎」

「う、ううん……。あたしこそ、ごめん……」


 その様子を見て、竜崎はようやく察しがつく。しどろもどろになって、頭を下げた。


「あ、いや、その……。ごめん、悪かった。俺は……」

「いや、良いよ」


 冷たい口調できっぱりと、小金井が言う。


「別に謝ってほしいわけじゃないし。竜崎がそういう奴だってのはもうみんな知ってるし。まあ、そんなんだから、今みたいなことになってると思うんだけど」


 小金井はそう言って蜘蛛崎を放し、パーティメンバーをぐるっと見渡した。


「なんか冷めたね。どうする?」


 その言葉に、鷲尾と白馬は顔を見合わせる。


「このまま戻るのもなぁ……」

「もう少し下行けるか? 大丈夫かな。俺たちの実力じゃ、地下5階が精一杯だし……」

「あーうん。じゃあ6階をちょろっと回ってみよう。6階からはでかいワニが出るけど、数はそんな多くないし。俺が怯ませてる間に触手原と蜘蛛崎で拘束して、一気に攻撃しかければ、いけると思う」

「あたし賛成! あのワニ肉美味しかったし!」

「じゃあ、それで行こっかー」


 一同はそのまま頷き合って、通路を渡っていく。その間、竜崎は既にいないものとして扱われ、彼らが賑やかに談笑する間も、一切視線が向けられることはなかった。竜崎は背中に壁を預け、ずるりと床に座り込む。


 バカじゃないのか。


 何がリーダーではなく、男としてだ。

 何が正しいと思っていることだ。


 結局のところ、ただの道化なんじゃないか。竜崎は拳を握り、壁を叩く。目元から、自然と涙があふれてくるのがわかった。

 小金井は立派だ。少なくとも、自分なんかよりはよほど。


 自分は小金井に嫉妬していただけではないのだろうか。

 自分の立場を脅かそうとする彼を、薄汚れたフィルターで見ていただけなのではないだろうか。


 ひょっとしたら、佐久間も本当は嫌がってなんかいなくて、小金井のことが好きだし、ウツロギや火野も彼とは仲良くやっていて、自分が勝手に彼への恨みを正当化させていただけなんじゃないだろうか。


 からまわる感情。薄汚れたピエロ。


「ふ、ふふ……あはははははは………」


 俺は、バカだ。


 竜崎邦博は、涙を流しながら、虚ろな笑い声をあげ、迷宮の片隅に座り込んでいた。






 竜崎がすっかり元気をなくしている。食堂でエビチリもどきを食べながら、恭介はぼーっとするトカゲ男を眺めて、少し心配になっていた。凛の心境も恭介と同じようで、食があまり進んでいない。瑛は相変わらず気にした様子もなく、エビチリもどきを灰になるまで燃やしていた(これが食事らしい)。

 ただゴウバヤシがいなくなったという、それだけの理由ではないのだろう。きっと様々な事情が積み重なって、ああなってしまったに違いない。


「姫水、おまえ、なんか声かけてやれよ……。仲よかったろ?」

「そりゃあ人間時代は良かったけど……。あんな竜崎くん初めて見るから、なんて言えば良いのか……」


 たぽんたぽんと揺れながら、凛は申し訳なさそうな声をあげる。


「あたしがフッた時でさえ笑顔だったからねぇ……」

「……おまえ、あいつフッたの?」

「えっ、知らなかったの? 結構有名な話だよ。『あたし今陸上以外に夢中になれない』って答えたら、『そうか。俺も走ってる凛が好きだししょうがないな』って……」


 別に竜崎はそのことを隠そうとしたわけでもなく、変な噂が立って凛に迷惑がかかるとまずいと、積極的に自分がフラれたエピソードを拡散したと言うのだ。その話を聞き、さしもの恭介も唖然とした。


「あいつ筋金入りのお人好しだな……」

「君がそれを言うのか、恭介」


 瑛がエビチリを燃やしながらぽつりと呟く。


「まぁ、それであたしを恨んだ竜崎くんファンの子にヘンな噂立てられたりしたけどねー」

「あいつ結構バカだな……」

「でも気にしてないよー。ちょっと悪いことしたなって思ってるけど」

「僕からすれば恭介も竜崎も大差ないけどね……。しいて言うなら、君の方がわずかに生き方が賢いというだけだ」


 恭介は、『そうかなぁ』と思い、竜崎を見た。


 やはり、いい奴なのだ。彼は。クラスをまとめるには少しばかり、優柔不断に過ぎたというだけのことである。


「ごっちそうさー……おぉぉっと!」


 食堂の中央で、いつものように五分河原が立ち上がり、出て行こうとするが、出入口のところで踏みとどまる。彼は相棒の奥村オークと一緒に恭介のところまで来ると、テーブルの上にゴトリと何かを置いた。それは甲冑の一部、黒光りする籠手ガントレットである。


「ご注文の品だぜ。ウツロギ」

「俺が頼んだのはフルプレートメイルなんだけど……」

「まぁ待て。そのうち全部揃うから。パズルの天才舐めんなって」


 五分河原と奥村は、迷宮に拠点を構えたその日から一貫して、二人だけで迷宮探索に精を出している。クラス内政治には一切感心のない様子で、まぁ、竜崎の判断ミスが佐久間たちの危険を招いた時は他のクラスメイトとそれを非難したが、それ以降竜崎を避けることもなければ、小金井にすり寄ることもない。

 一匹狼ローンウルフ犬神響ワーウルフと同様、派閥にあまりとらわれない生徒なのだ。一方で非常にドライなので、落ち込んでる竜崎にも『ウジウジしてんなよ! トカゲの干物になっちまうぞ!』と言うだけで慰めのひとつもかけたりしない。


「おい竜崎、ウジウジしてんなよ! トカゲの干物になっちまうぞ!」


 また言った。


 五分河原と奥村の〝ファンタジーエロゲ汁男優コンビ〟(小金井命名)や、犬神は、迷宮探索の代行を有償で請け負うようにまでなっている。有償と言っても、晩御飯のおかずを半分ゆずるくらいの素朴なものだが。迷宮で探してほしいもの、持ってきて欲しいものがあれば、彼らに頼むのだ。


 恭介が頼んだのは、全身甲冑フルプレートメイルの一式だった。ひとつ、考えがあったのである。


「でもウツロギ、驚いたな! おまえの言う通り、迷宮のスケルトンが協力してくれるんだ。おかげで探索代行もグッとやりやすいぜ」

「まぁ、話はつけといたからな。なんか、同種のモンスターだと言葉が通じ合うらしいんだ」


 言いながら、恭介は朽ち果てた重巡洋艦に住まうゴブリン達のことを思い出す。

 また少し状況が落ち着いたら、五分河原をあの重巡まで連れて行くつもりだ。ここ数日で、彼はお調子者だが口の堅い、信用がおける男であることがわかっている。重巡のゴブリン達と意思疎通ができるようになれば、新しい展望も開けてくるだろう。


「じゃあ俺たち、またちょっと潜って来るわ! 行くぞ奥村!」

「わかったデブ。そんじゃみんなまたデブー」


 五分河原と奥村は教室を去っていく。奥村の腹がスッサスッサと揺れていた。柔らかさは凛と良い勝負だ。


「奥村はよくあのキャラでイジメられないな……」

「えっ、知らないのウツロギくん。奥村くんはね、中学時代〝赤いちゃんこ鍋〟って恐れられた不良だったんだよ」

「なんだそれ」

「相撲部所属だったんだけど、張り手ひとつで屍山血河を築き、退部させられたんだって。でね、その奥村くんを更生させたのが、五分河原くんのお姉さん。二人は付き合い始めたんだけど、お姉さんはなんと不治の病に侵されていて……」

「めちゃくちゃ気になる話だけどまた今度聞こう」


 人には見かけによらないドラマがあるものだ。


 食堂にいたクラスメイトは、一人、また一人と食事を終わらせて去っていく。鳥の骨を咥えた犬神は、やはり今日も探索に行くらしかった。


 食堂の中央には、小金井のグループがいる。触手原、鷲尾、白馬、蜘蛛崎、木岐野がそのグループに所属している。小金井は蜘蛛崎の腰に手をまわして、何やら親しげに言葉をかわしていた。蜘蛛崎はぺしぺしと小金井の頬を叩いているが、別に本気で嫌がっているわけではない。じゃれ合いの範疇だ。


「小金井にもカノジョができたかぁ……」

「羨ましい?」

「まあ、そりゃあなあ……」


 恭介は、凛の問いにぼんやりと呟く。


「そんなもんじゃないと思うけどね」


 瑛は吐き捨てるように言った。彼の小金井に対するここ最近の嫌悪っぷりはなんなのだろう。


「ねーねーウツロギくん。もしさー、もしだよ? もし……」

「お、佐久間だ」

「えッ」


 恭介に何かを話しかけようとしていた凛。その全身が、びくりと波打った。


 見れば、サキュバスの佐久間祥子が、遅れた昼食を摂りに来たようだった。クラス中の男子が彼女を見、そして歓迎の意を示す。その筆頭は、当然のように小金井である。


「さっちゃん、こっちこっち!」


 エルフの甘いマスクに笑みを浮かべ、小金井が手招きする。


「あいつ、蜘蛛崎というカノジョがありながら……」

「だから言ったろう恭介。そんなもんじゃない、って」


 小金井の言葉に、佐久間は困ったような笑顔を浮かべていた。


 佐久間は小金井に、熱烈なアプローチをかけられている。これは、今に始まったことではない。クラス中の男子がそうであるように、小金井は佐久間に明らかな好意を持っていたのだ。今の彼の勢いならば、そのまま強引に彼女を手中に収めることも、不可能ではないように思われた。

 が、そうはならなかった。睨みを利かせるものがいたのだ。

 少し前まではその役割はゴウバヤシが請け負っていたが、彼が迷宮を去ってからも、佐久間を守るものはいた。


 クイーン紅井ヴァンパイアである。


 ゴウバヤシがいなくなった今、小金井に真っ向から対抗できるのは、あのアンニュイで怠惰なクラスの女王・紅井明日香をおいて他にはいない。その彼女が、小金井が佐久間にちょっかいを出すのを徹底的に阻止いていたのだ。意外と言えば意外だが、互いを「サチ」「明日香ちゃん」と呼び合う二人の関係は、意外と親密なものであるのかもしれない。


 ただ、この場に紅井はいなかった。だから、小金井は遠慮なく佐久間の腕を引っ張る。


 当然、蜘蛛崎はあまり面白そうな顔をしていなかったが、小金井は気にしない。

 この時、紅井の取り巻きの一人である蛇塚ラミアが、食堂を出て行くのがわかった。ひょっとしたらクイーンを呼びに行ったのかもしれない。


「ねー、さっちゃん。さっちゃんもさー、一緒に迷宮探索行かない?」


 ぐっと佐久間を引き寄せ、腰に手を回す小金井。鷲尾と白馬がそれを下品に囃し立てた。


「え、ええー……。い、いいよ。みんなの邪魔しちゃ悪いし」

「邪魔なんかじゃないよー。さっちゃん強いし、みんな歓迎してくれるよ」

「でもほら、蜘蛛崎さんとか……気にしてそうだし」

「気にしてない気にしてない。ねえー、さっちゃんさぁー」


 そのまま、整った顔を佐久間の胸元へと近づけて行く。佐久間は、それを振りほどけない。


 竜崎は、と思い、恭介は彼を見た。少し前なら、正義感をたぎらせて小金井を注意しに行っていたであろう彼は、その光景をぼーっと眺めているだけだ。凛は、その全身を棘のように逆立てているが、瑛だけはいつも通りの冷静さで、恭介にこう言った。


「恭介、また余計なことを」

「考えてる。悪いな、瑛」


 そう言って、恭介はがたんと席を立った。凛が合体しようとしてくるが、それを片手で制する。


 ここは食堂だ。人の目がたくさんある。恭介と凛が〝合体〟できること。それにより、役立たずだった二人がかつて以上の力を発揮できることは、なるべく秘匿しておきたい。それは親友である瑛の意志だ。恭介は彼の意に背くことをこれからするわけだが、それでもなるべく、瑛の気持ちは汲んでおきたい。


 ぽすっ、と小金井は佐久間の胸元に顔をうずめる。ひゅーっ、と周囲から声があがった。が、


「やめろよ、小金井」


 恭介は、その歓声の中でも聞こえるくらい、はっきりとした声で告げる。


「う、ウツロギくん……」


 佐久間の声は震えていた。


 食堂が、一瞬だけ静まりかえる。突き刺すような視線が、一斉に恭介へ向けられた。だが、恭介は怯まない。たじろがない。

 顔をあげた小金井が、白けたような目で恭介を見た。


「あのさぁ、ウツロギ……」


 嘆息交じりに、小金井が言う。


「おまえは、結構、空気が読める奴だと思ってたんだけどさぁ」

「俺もおまえも、空気なんか読めたらあんなミジメな高校生活は送ってなかったろ」


 そのつもりはないのだが、口を出た言葉は挑発的だった。瑛の癖が伝染ったのかもしれない。

 小金井の目つきに、明らかな敵意が混じる。


「なんなの? ウツロギ、俺に喧嘩売ってんの? 友達だったろ?」


 友達だろ、とは、言わないのか。


 既に形を変えてしまった友情の残骸が、そこには転がっていた。

 小金井は佐久間を放さない。彼女の表情は明らかにおびえていた。先ほど小金井がじゃれあっていた蜘蛛崎とは違う。どれだけ美しく、妖艶に姿を変えたところで、彼女は図書室で楽しそうに本の話をしていた、あのおとなしい佐久間祥子と変わらないのだ。

 だが、小金井の表情は滑稽なまでに自信たっぷりだった。白い指先で、そっと佐久間の顎を撫で、そのまま首筋を伝っていく。


「ウツロギさぁ、妬いてるんじゃないの?」


 その言葉を受け、鷲尾や白馬が笑いをこらえているのが見えた。


「だってあの俺がさ。小金井がさ。ウツロギよりも火野よりもチビで、ガリで、どうせウツロギだって俺のこと見下してたんだろ? その俺がさ、こんなイケメンで、強くなって、たくさん友達を作って。羨ましいんでしょ? 別に悪いことじゃないよ。俺だって逆の立場だったら嫉妬してるしさ」

「……もう一度言うぞ。小金井、佐久間は嫌がっている」

「そう見えるだけじゃないの? ウツロギ、さっちゃんと仲良かったし。でも地味だったからね。そんなさっちゃんが、今はサキュバスだよ。こんなに可愛くて、エロくて。もったいなことしたな、とか。あの時モノにしとけばよかったな、とか、思ってんじゃないの?」

「小金井……!」


 それだけは口にするな。佐久間が、おそらく、一番気にしていることだ。

 自身がスケルトンに転生していることを、恭介は感謝する。もしこの顔に表情筋がついていたら、怒りを表に出さないよう努めるのには、今以上に多大な努力を有したことだろう。

 佐久間は顔を真っ赤にして伏せていた。だが、小金井は続ける。


「サキュバスがどういうモンスターかくらい、ウツロギだって知ってるでしょ。さっちゃんもカラダを持て余して大変だと思うよ。まー、さっちゃんさえ良ければ、友達だったよしみでウツロギにやらせてあげても良いんだけど、でもウツロギ、骨だけだしさあ……」


 身体を伝う指先が、まるで絡みつく蛇か百足のようだった。やがてそれが、言葉と共に佐久間の纏う薄い布地へ侵入していこうとした時、恭介は拳を握った。


 折れるかもしれない。避けられるかもしれない。だが、拳を握った。

 得意げに滔々と語ることを止めない、小金井芳樹の端正な顔面めがけ、恭介はそれを思い切りたたき込んだ。

次の更新は12時です!

ちょっとした思い出話と恭介たちの新しい特訓! お楽しみに!!

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