プロローグ トンネルの向こうはモンスターハウスでした
「(生きてる……のか……?)」
空木恭介が目を覚ます。頭がくらくらする。なんとか身体を起こし、周囲を確認しようとするが、視界がクリアにならない。額を押さえようと手をやり、恭介は違和感に気付いた。
髪が、ない。
ハゲたか!? この一瞬で!? と思ったが、すぐにそうではないとわかる。なかったのは髪だけではない。そもそも手に触れる感触が、もっと冷たく、堅いものであったのだ。そう、髪ところか、皮膚さえない。すわ重傷か、と思っても、流れる血も肉も、一切の感触がない。恭介は混乱した。
待て、状況を整理しよう。
ひとまず大きく息を吸い込み(吸い込んだ息が、胸のあたりから抜けていくような感覚があった)、今までのことを思い出そうとする。
神代高校2年4組の一同は、修学旅行の真っ最中だった。移動中のバスの中、みんなカラオケやら、トランプやら、他愛のない雑談やら、思い思いの時間を過ごして満喫していた。無論、恭介もだ。オタクグループとしてクラスカーストの下層部に位置する恭介は、同じグループの友人たちと、目立たないように談笑しながら、それなりに楽しんでいたのである。
地獄は急に訪れた。急カーブの多い山の斜面。ただでさえ道路は雨の後で滑りやすくなっていた。そうした中で、カーブの角から飛び出してきたバイクと、接触事故を起こしそうになったのである。運転手は慌ててハンドルを切り、バスの車体はそのままガードレールを突き破った。
車内に悲鳴が響き渡り、そこから先の記憶は、ない。
とにかくバスの転落事故が起きたのだ。だが、どうやら幸運にも、恭介は生き延びたらしい。
いや待て、それでは俺がハゲている理由が説明つかないぞ。恭介は目蓋をこすろうとして、更に恐ろしいことに気が付いた。
目蓋が、ない。
恐る恐る、指先をそっと、目元に這わせてみると、縁のような部分が見つかった。指を突っ込んで、その縁をなぞりながら、大きさを確認する。
眼窩だ。これは。
なんということだ。目玉すらない。それどころか鼻もない。唇もない。耳もない。意を決して眼窩に再度指を突っ込み、引っ掻き回してみると、なんと脳みそすらなかった。
「やばい! 生き延びたと思ったけど、これ俺確実に死んでる!!」
叫んだところで、ようやく視界がクリアになる。なんで目がないのに見えるんだ、というセルフツッコミをするだけの余裕は、恭介にはなかった。まずは自分の手を確認しなければならないのだ。
「うわあ! 手も骨だ!」
手だけではなかった、アバラ骨も丸見えだ。もともと恭介は痩せ型で、プールの度にアバラが浮き出ているとバカにされたものだが、そんな比ではない。肋骨が盛大に自己主張をしていたのである。
死んだのか? やっぱり死んだのか!? それにしたって、肉のひとつも残っていないとはどういうことか!?
そもそもここはどこなのだ。周囲を見回してみると、明らかにバスが転落した山の中とは景色が違う。針葉樹が並ぶ山の斜面ではなくて、赤茶けた地面の、ごろごろとした岩場だ。
やはりここは死後の世界なのだろうか。あるいは、今自分が見ているのは胡蝶の夢で、やはり本当の自分は今も転落したバスの中で押しつぶされつつあったり、するのだろうか。
恭介が考えを巡らせていると、岩の影から、青い半液状の物体が、ぬばぁ、と這い出てきた。思わず、ぎょっとした。
更に驚いたことには、そのねばねばした物体が、恭介を指して可愛らしい悲鳴をあげたのである。
「きゃあっ! お化け!!」
正直言ってかなり心外だった。
確かに恭介はどういうわけかガイコツ人間になっているが、それでもまだヒトの形状を保っている。化け物に化け物と言われるのは納得いかなかった。
いや、待て。
恭介はすぐに考え直した。この声には、聞き覚えがある。
「おまえ……姫水か……?」
「えっ……?」
岩の後ろへ逃げ込もうとしていたねばねばお化けが、ぴたりと動きを止める。そうしてまた、おそるおそる、こちら側に這い出てきた。
姫水凛。恭介のクラスメートだ。陸上部に所属する、クラス三大美少女の一人。はっきり言って、恭介がまともに言葉を交わした経験はほとんどないが、2年4組でも1番の元気印である彼女の声は、教室のどこにいてもはっきり聞こえていたから、覚えている。
ずいぶんとまぁ、変わり果ててしまったものだが。
「えぇと、そんなキミは……キミは……えっと」
思わず苦笑いした。なんといっても、クラスの底辺にいた恭介だ。凛のような、いつもみんなの輪の中心にいたような子が、声だけで思い出せるはずがない。
しかし、凛は、その身体をたぽん、と跳ねさせてこう言ったのだ。
「わかった! カラキくん!」
「ウツロギ、な」
「そうそう! それそれ!」
恭介の言葉に同調するように、凛はたぽんたぽんと揺れまくる。半液状のねばねばお化けになったところで、凛の元気印は早々変わらないらしい。なんというか、人間の形状から離れた分、見ていて和む。
しかし名字を間違えるとはいえ、凛に認知されていたのは驚いた。クラスの中で声をあげたことなど、ほとんどないのに。
ひとまず、姿かたちが恐ろしく変わってしまったとは言え、目の前にいるのは正真正銘の姫水凛らしい。クラスメイトが一人、そこにいるというのは心強かった。
「どうしよう、ウツロギくん。あたし達、バスに乗ってたよね?」
「ああ。バスが事故に合って、落ちて、死んだと思ったら……こんなところにいた」
「悪い夢でも見てるみたいだよぉ。ウツロギくんがガイコツで、あたしはこんなんで……」
何気ない会話をかわしていると、別の岩陰から、更にガタッという音がした。びくん、と凛が跳ねて、恭介の影に隠れる。隠れるのだが、恭介は全身スケルトンなので、まったく隠れられていなかった。
「ウ……グ、オオオオオオ……!」
地の底から響くような唸り声がして、岩陰から3メートルはあろうかという巨人が、ゆっくりと姿を現した。筋骨隆々。鋭い三白眼に、口元には不揃いの牙が生えている。ざんばらの頭髪の隙間から、大きな角のようなものが2本、生えていた。まるで鬼だ。
それだけではない。
更に別の岩陰からは、下半身が蛇のようになった女が這い出てきたし、他にも豚ヅラのでっぷりとした怪物、全身を包帯で巻いたミイラ男、全身から触手を生やした化け物、エトセトラエトセトラ。恭介と凛の周囲が、たちまちモンスターハウスと化す。
呆気にとられているうちに、囲まれた。恭介は心胆を冷やす。いや、心も肝ももう持っていないのだが、とりあえず慣用句的表現として心胆を冷やす。これでは、逃げられない。
そう思った矢先、鬼はその視線を、恭介と凛に向けた。ふたりはびくりと震える。
「ウツロギと……姫水か?」
恭介に目蓋が残っていたら、思わず目を瞬かせていただろう。
「……ひょっとして、ゴウバヤシ?」
「ああ、俺だ」
鬼が腕を組んで頷く。その直後、蛇女は自らの下半身を見て絶叫した。
「ちょっ、な、なによ! 何よこれぇー! あたしの下半身どうなってんの!?」
「お、おかしいデブ! おいらの身体がいつの間にか豚になってしまっているデブ!!」
「アー……。今は、何時かね? 目的地には、着いたのかね? どうやら相当眠っていたようだが……」
「お、俺の全身から生えているのは……まさか、触手か……!?」
蛇女だけではない。そこかしこにいるモンスターが、次々と自分の身体を見、そして周囲のモンスターを見、驚愕に充ちた悲鳴をあげている。そのいずれもが、クラスメイトの声であるのだと、恭介はしっかり理解した。
どうやら、バスの転落事故に巻き込まれたクラスメイト達は、みな、生きている。
そして、どういうわけか、みな怪物の姿になってしまったらしい。
これは一体どういうことなのか。恭介は凛と顔を見合わせ、その直後、凛には顔がないことを思い出した。