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作者: らんたん

とある機会に、横書きをスムーズに書けなくて、ご迷惑を掛けてしまった方がいるので、自分の成長と慣れのために新作を書き上げてみました

ハードルを上げるために、あまり書かないジャンルにも挑戦してみました

普段は本格ミステリーが多いです

今回は振り込め詐欺を題材としたユーモアミステリー

殺人事件などは起きません

日常ミステリーとコンゲームの間に近い内容となっています

 一


 五反田虎也は群集を眺めていた。

「お金を配ろうと思っている」

 耳元に呟かれた声が寒さで噎せた。


「平等に。日本に。明るい未来にね」


 口を抑えていた。我慢していた。

 コーヒーを飲んでいる途中だった。


「わかるか。竜一」


 わかりますと言いたかった。しかし出たのはタールのようなコーヒーだった。

 大人の味は苦く、大人の言葉は甘かった。

 コーヒーより彼の言葉が胸に響いた。舌先に甘味が残っている。

 俺に明るい未来を感じさせる甘味だ。

 

 缶には微糖と書かれてあった。

 

 ブラックだ。コーヒーの色は黒色だ。

 だからブラックである。

 甘い言葉はまだ続いていた。


「困っている人にお金を分け与えるのは正義ではないか。もちろん自己満足と言われかもしれない」


「しかし困っている人に手を貸すのは当然のことだ。俺は彼らを救いたい」

「格好いいですぜ。兄貴」

 

 五反田の兄貴は俺の肩に手を回した。

 二人の顔は俺の目算だと十五センチから一メートルの距離にいた。

 近い。いいや遠い。やっぱり近い。

 

 俺は動きつつ、距離を測っていた。

 今は十センチだ。次は五センチだろうか。

 わからない。難しかった。


「お前にも手伝って欲しい。付いてきてくれるか」

 

 兄貴は俺からそっと離れていった。

 俺の疑問の答えは五メートルだった。

 非常に遠い。

 兄貴はサングラスを掛けている。俺の姿は見えないかもしれない。

  

 彼の呟きにさえ頷けない心が寂しかった。

 だったら、翼の折れた天使に負けないくらいのボリュームで言えば良い。

 

 俺は右手を胸に置いた。

 お腹ではない。威勢を振るうための胸式呼吸だった。


「この真野竜一! 滋賀県彦根市出身。十七歳。AB型。兄貴が指示すれば、火の中、水の中、草の中。ストーカーだって、スカートの中だって! どこにだって行きますぜ!」

 

 案の定、胸式呼吸では大きな声が出なかった。

 しかし、どうにか耳に入ったらしい。


「そう言ってくれると思っていたよ、竜一」

 兄貴の口が動いているが、逆に彼の声は俺に届かなかった。

 

 口の動きだけならわかる。

 俺は読唇術を使った。


 ――ソテークレープをおごりたいよ、竜一


 そう彼は言っていた。


 兄貴はたまに変わったことを口にするらしい。

 俺は兄貴と会話の出来る距離まで近付いた。


「もちろん、ソテークレープは大好きです。しかし一番好きなデザートはショコラです。最近ではミルクレープにはまっています。あれは新境地でしたよ。すごい。すごかった」

 

 兄貴はサングラスの中で、目を泳がしていた。


「どっちでも良いです。兄貴が選んで下さい……」

「――報酬の要望をしているのか」

 

 五反田は黙り込んだ。頭を悩ましているように見えるが、実は違っている。

 辺りを見渡しているのだ。

 鷹の目だと思った。

 

 不敵な面とは今の彼のような凛々しい表情のことを言うのではないか。

 憧れる。

 俺は十五の夜に校長の自画像絵を盗んで退学した。

 

 退学してからは野宿続きだった。

 新宿で寒さに震えていた時、声を掛けてくれたのが兄貴だった。

 五反田の兄貴に従えば、食いはぐれることはなかった。

 信頼をしていた。信頼もされていた。もう一つの何らかの信頼が挟まれていた。

 三層のミルクレープが出来上がっていた。

 兄貴はまだ黙り込んでいた。


「大丈夫ですよ!」

 

 俺は自分の覚悟を待っていると思った。

 男を見せる時だ。


「何だ。何の話だ……。いったい何の話だ」

「正義です。二人で行動を共にして儲けたお金を配る。格好いい。昔に聞いた言葉を思い出しました。流行りましたよね。イタチなオトコらです。俺たちはイタチなオトコらになれます」


「――イタチなオトコら……」

「ええ、イタチなオトコらです」


「オトコはわかるが、イタチだと……どうしてイタチが出てきた……何の話だ」

 兄貴は俺の言葉を反芻していた。

 

 イタチなオトコら。

 よほど気に入ったに違いない。

 

ハードボイルドだ。ショコラより洒落ていた。

 数分後、兄貴は急に俺の肩を叩いた。


「こらだ。子等で子供たちの意味があったな」

「はい?」

 何を言っているのかわからなかった。

 俺は頷くだけだった。

「子等は昔言葉だ。しかし地方では親しい相手に今も使うと聞いている。だとしたら、子等は抜いてもいい。イタチなオト(コら)。イタチナオトだ。そしてイタチを間違えたんだな」


「意外と博識だ。つまり、おれたちがマスクをかぶる二人組になるという隠語だったんだ!」

「まったく意味がわかりませんぜ!」


「言うなよ。終わったことだ。すぐに理解出来なくて。こっちが恥ずかしい」

「兄貴はいつだって誇らしいですよ」


「よしてくれ。今はビジネスの話をしようではないか。具体的にどうやってお金を儲けるのか――」


「竜一。お前は奴らのことはどう思っている」

 兄貴が人差し指を向けた。

 俺は特別区域の通りを見た。一人の中年男性が目に入った。

 別の服が縫い付けられたカシミアのスーツ。

 明らかに自分の物ではない女性用のスカート。

 剥げて茶色になっているブーツ。

 

 よく見れば、周りには似た格好をした男女が入れ違いに座り込んでいた。

 大通りだけではない。両脇にも彼らがいて、古びたアパートのベランダにも彼らがいた。

 しかし、俺の目には美しく見えた。

 一人一人の目は猛禽類のように、遠くにあるが近くに行ける獲物を捉えようとしているのだ。

 まるで目の開けられない昼間のフクロウだ。

 

 暗闇の中でいずれ訪れる希望の光がある。

 彼らは首を正反対まで曲げられるに違いない。


「金さえあれば、今にも這い上がろうしている目だ。野心がある」

 兄貴が俺の心情を悟っていた。流石だ。

 

 俺の着ているスーツには彼らのように穴がなかった。

 もちろん、ズボンは男性用だ。靴は純黒のローファー。

 遠くから見下ろし、彼らより全てが優れているとも言える。

 しかし、たった一つの例外はズボンの下にボクサーパンツを掃き忘れたこと。

 俺の目に彼らのような野心がないこと、例外が一つではなかったことの三つだ。

 彼らには例外がない。素晴らしい。一貫している。


「どう感じた、竜一」

「自分の明るい未来を見ているようです」

「そうだろ。昔の自分を――」

 兄貴は話を止めた。

 首を横に振っている。


「もう一回言ってくれるか」

「素晴らしい人たちです。理想の将来像です」


「か、彼らには野心があるからね。素晴らしいよ」

「……ええ。俺には野心がない」

「ああっ。そうだ! だったら、野心を与えようではないか」


「本当ですか。欲しいです!」

「危険な船を渡ることになる。構わないか?」

「もちろんです。たとえ泥舟だろうと、兄貴と一緒なら、男のスカートの中にでも入りますぜ。何でも手に入れてみせます」


「男のスカートとは隠語だな。別の人間になっても構わないという意味で合っているか」

「はい、誰にだってなります」


「悪者と罵られても構わないか」

「正義のためなら悪者にもなります」


「安心したよ。伊達直人みたいに、嫌われ役を演じる覚悟があるかどうかを確信したくて、連れてきたのだ。具体的には振り込め詐欺の電話役をやって貰いたい。どうだ。今の役割を聞いても、まだやれると言えるか。警察に捕まる可能性だってあるのだ」

 俺は兄貴の話を聞いて、唖然とした。


「どうした。やはり不安か。お前も人の子だ。不安もあるだろうが――」

「いいえ。不安はありません」

「だったら、五反田虎也が信頼出来ないか」

「いいえ、信頼しています。ただ――」

「何だ」


「伊達直人とは誰のことですか」

「お前が言ったじゃないか。イタチなオト。読み違えたのではないのか」


「読み違えていないです」

「どういうことだ。『イタチなオト』は『伊達直人』のことではなかったのか。タイガーマスク運動が報道されていた。知っていてもおかしくないはずだ」


「たいがー。ますく。うんどー」

「だったら、伊達男という意味で言ったのか」

「何の話ですか。ダテオトコ……?」


「伊達男を崩した形が正しいのかと聞いている!」

 兄貴の言うことは難しかった。

 俺をじっと見詰めていた。

 顔を赤くしていた。

 困惑した。返事が出てこない。

 兄貴は何を言っているのだろうか。

 

 もちろん、俺のことを思って口にしたのは間違いない。

 赤くなった顔色を見れば一目瞭然だ。おため顔だった。

 

 俺の兄貴への憧れがさらに強くなった。

 憧れのレベルが一つ上がった。

 街頭アンケートで誰に憧れていますかと聞かれたら、迷わず兄貴を指し、「イエスアイアム」と答えるに違いない。ゲーム内で彼に倒されたら、憧れの目で竜一が見ているというモノローグが出るはずだ。

 兄貴が去っていったら、俺は後を追いかけるに違いない。有名なゲームの六シリーズ目ならむろん、俺は最初に出てくる、ぶちイスラムだった。


 ――待てよ。ぶちイスラム。

 そんな宗教的なモンスターは出ていたか。


「会話が成り立たない。俺はお前がずっと嫌いだった!」

「イ、イエス!」

 

 今だと思った。彼からの街頭アンケートだ。


「イエスアイアム。マム!」


「俺は独身の男だ!」

 兄貴に頭を強く撫でられた。

 

 俺はすぐに立ち上がった。仲間になったのだ。

 後ろから付いていった。


「しかし出来の悪い方が好ましいか。使い捨てるなら丁度良い」

 兄貴の小声を耳にした。確かに好ましいと言っていた。

 

 ああ。こんなに嬉しいことはない。俺は頭の頂点から顎の下まで赤くなった。

 両親からは出来損ないとしか言われたことがなかった。俺は心底、照れていた。嬉しい。

 彼の手伝いなら何でもしたい。

 

 どうやら兄貴が特別区域に来たのは名義を買うためだったらしい。

 数万円で保険証や口座を次々と手に入れていった。

 兄貴に頼まれた振り込め詐欺。必ず成功させようと決心した。


 二 


「ここが今日からお前の仕事場だ」

 兄貴が連れてきたのはマンションのワンルームだった。凄い。

 キッチンが付いている。俺のために用意してくれたのだ。一週間ごとに場所を変えるらしい。

 良い気晴らしになると兄貴が笑った。

 置いてあるのはデスクと名簿と大量の携帯電話だった。


「この名簿には多くの種類がある。つてのある弁護士から横流しされたブツだ」


「電話帳から厳選された番号もある。最優先に掛けるのは年齢が七十歳以上の者だ。何も書かれていなければ、年配の人によく付けられている名前に掛ければいい。大体当たる。チヨとかウメだ。わかるな」

「どうやって振り込ませるのですか」


「口座名を言えば、疑問なく入れるさ。一度使った口座と携帯は次の日には廃棄するから一度きりだ。毎日来るからその都度教える」


「竜一、今の世の中で最もお金を持っているのは爺さんや婆さんだ。若ければ若いほど金は持っていない。年金だって払う分だけ損する世の中だ。金は出回らなければ、意味がないのだ」


「わかりました。将来の若者のためですね。名簿の中には職歴も書かれている。たくさんお金を持っていそうな人に電話を掛ければいいわけなんでしょう」


「その通りだ。俺は少し席を外すが、試しに一つやれ」

 

 俺は名簿の中からトメという人を選んだ。

 八十三歳と書かれてあった。名簿には戸籍情報は書かれてなかった。

 アンケートから流れてきた物らしい。趣味はない。

 九十歳になる夫は地方の政治家だった。家柄も良い。

 世間離れしていると思った。

 

 電話のコールは三回で止んだ。

 あまりに早く電話に相手が出たのであせった。

「もしもし。もしもし」

 俺の声だ。先に声を出してしまった。子供はいないと書いてあった。

 親戚の振りをしなければならない。

 もちろん、親戚の年齢も高いはずだ。声は低い方が良い。

 

 しかし俺は黙り込んだままだった。


 「もしもし。そちらさん。誰だい」

 

 俺は一人称を何にしたらいいか迷っていたのだ。

 相手は高齢だ。自分も高齢の設定だ。

 一人称は何だ。わからない。

 俺の持っている知識の中で最も無難な呼び名にした。


「我が輩だよ。我が輩。わかるかな」


 俺の知る中で最も年齢的に高いのは相撲観戦が趣味の閣下だった。

 閣下は人ではない。悪魔のアーティストだ。

 

 トメの反応は良かった。

 しかし明後日の方向に勘違いしていた。


 「もしかして猫かい。猫なのかい」

 

 我が輩違いだった。しかし別人とは言えなかった。

 猫も閣下も一人称は我が輩である。


 しかし、間違いなんて関係ない。お互いのテンションの高ぶりが既に同調を現している。

 お互いに通じ合っていた。


「そうだ。我が輩は猫だよ!」

「タマ!」

「久しぶりだね。トメさん」


 最初に渋い声を出したので、タマは非常にダンディーな猫になった。

 俺の想像したタマは縁側で葉巻を吸っていた。

 常に足を組んでいるイメージだ。


「一昨年亡くなったタマから電話が掛かってくるなんて、最近の電話は凄く発達しているのね」


「昔は電話が一家に一台あれば、周りに住んでいる皆が集まってきたというのに。ああ、タマも知らない時代ね。今は今生を去っても電話をくれる。トメは嬉しいよ」


「我が輩も実に嬉しいよ」

「お爺さんとも話したかったでしょう。せっかくだけど、留守にしていてね」


「タマの方はどこにいる。天国にいるのかい」

「いいや。我が輩はワンルームマンションにいるのだ」

 

 本当のことだった。


「あら、随分と良いところに住んでいるのね。口も達者になっているし、偉いわ。きっと徳のある猫になったのね。人間のように話している」

 

 しまった。本物のタマとずれが生じている。

 猫言葉を使った方が騙しやすいのかもしれない。


「そうだニャン。我が輩は出世したニャン」

「可愛い声ね。もっと声を聞かせておくれ」


「ニャンニャン!」

「トメは嬉しいよ」


 電話先の声は震えていた。

 俺の声も震えていた。

 俺は何故か感動していた。

 しかし、目的は忘れてはいけない。

 俺は兄貴に振り込め詐欺を頼まれているのだ。


「本題に入るニャン。実はトメさんに頼みがあって電話したニャン」


「今から我が輩の言う口座にお金を入れて欲しいニャン」


「準備は出来ているかニャン」


「構わないよ。トメは可愛いタマの言うことなら、何でも聞くよ」

「やったニャン。我が輩は嬉しいニャン」

「しかし、お金が必要なんて、どうしたんだいタマ。天国でお腹を空かせているのかい」


「そうだニャン。我が輩はぺこぺこニャン」

「わかった。今からタマの埋めた庭にかつお節を置いてくるからね」


「どういうことニャン」

「タマの大好きだった、かつお節だよ。お腹いっぱい食べるのだよ」


「待ってニャー。違うニャー。本物のお金が必要なのニャー」


 ツー、ツー、ツー。

 電話が切れた。

 同時に後ろで大きな物音がした。

 兄貴がカップ麺を入れた袋を床に落としていた。


 冷めた目で俺を見詰めていた。

 俺はゆっくりと右手を上げ、少し内側に曲げた。


 渾身の許してニャンだった。


 しかし兄貴は至って冷静だった。

 お前の設定は人間だと告げ、使い古されている振り込め詐欺のマニュアル本を渡すだけだった。

 兄貴は眉一つ動かさなかった。


 ――似ていると俺は思った

 高校を退学した時、クラスの担任だった先生とよく似た表情だった。

 

 ――校長の自画像絵のことを教えてくれた佐々木先生だ

 ――実際に骨董屋で絵の枠が三千円になった

 ――先生と兄貴には本当に感謝している


 兄貴は自分の携帯電話にいつもと違ったコール音が入り、急いで部屋から出て行った。

 今はマンションの廊下で会話していた。

 電話先から溢れてくる相手の声はどこかで聞き覚えがあった。

 途中で挟まれる残響も聞いている気がした。

 いったいどこだろうか。

 思い出せない。ずっと前のことだ。


「凄い。滝をこんな間近に見たのは初めてだ!」


 昔に俺が言った台詞だった。

 口にしたことは覚えている。汗がジャージの中に入り込み、身体ごと凝固するように冷え込んできた。 俺は自分のシャツを見た。

 汗をかいていない。しかも今はジャージを着ていない。

 幻想だ。  

 どうしてジャージだと思ったのだろうか……。


「あれ、あんな所に小屋があるや」


 一人だった。中に入ったら二人になった。

 先生だ。

 残響していたのは滝の音だった。

 退学になる一週間前の記憶である。


 三


 兄貴に渡されたマニュアル本には、数多くの会話に対する返しパターンが書かれてあった。

 赤線が引いてあるのは注意事項だ。

 今はオレオレ詐欺という言葉が普及していて、オレオレという単語だけで詐欺だと気付かれる場合が多いらしい。オレオレを使わないことが第一優先だと書かれてあった。

 

 後は一度使った携帯電話と口座の処理、仕事場を一週間ごとに変えることなど兄貴に教えてもらったことが書かれてあった。

 

 オレオレを使わないで振り込ませるためには、出回っている名簿の中で電話番号と世帯主の名前だけではなく、子供の名前が載っている相手先から掛けることが良いらしい。

 

 お金を振り込ませる理由は事故を起こして、示談金が急に必要になった。

 役所に特別な税金を払う必要があるなど、状況が相手に伝わらない方が好ましい。

 

 自分の子供だと信用さえしてくれれば、年配者は最近の法改正の話は聞きたがらないのですぐに支払うらしいのだ。特に子供が結婚していれば、夫婦の内、肉親ではない方の名前を出すのも効果的である。

 娘がいる場合は婿側として電話を掛け、息子がいる場合は嫁側として電話を掛ける。

 電話担当の性別から対象を選ぶ方が確実である。

 

 年齢はやっぱり七十歳以上だ。

 耳が遠くなる老年期を利用するのだ。

 肉親ではない義理の息子や娘の場合、声質がわからないために、妻や夫が入院することになったと言えば、子供であるがゆえに、即日、お金を振り込む可能性が高い。

 

 病気は急を要することを知っていることも年配者に掛ける利点でもある。

 

 大体の婿は義母のことをお母さん。義父のことをお父さんと呼ぶので、呼称で疑われるケースは少ない。また電話は日中を選ぶ方がいい。

 昼間は夫婦の片方が出掛けていて、一人でいることが多いからだ。

 ただし真夏、御盆の時期は子供が帰省している場合があるから避けるべきだ。

 名簿に子供の住所が書かれており、相手先と家が離れている場合は優先的に掛ける。


 長い時期、顔合わせしていない子供とは互いの情報に疎い。

 会話が上手く進まなくても疑問を持たないことが多い。

 俺はマニュアルの重さに感心した。

 他にも数多くの上手に詐欺をする情報が書かれてあった。


 振り込め詐欺のマニュアルは六法全書みたいに厚い。これだけ振り込め詐欺が普及していたのか。

 俺は改めて驚いた。しかし、途中で俺はマニュアル本を閉じた。

 今まで読んだ内容は頭に入っていた。十分だと思った。

 

 もちろん読み切れなかったわけではない。

 断じてない。

 本当だ。成功できるという自信だった。

 

 俺は名簿から三木友江という女性を選んだ。

 子供の欄に三木萌という名前があった。性別は男らしい。息子に付けるには変わった名前だ。


「もしもし」

「もしもし、どちらさま」

「俺だよ」


 さっそく間違えた。

 名前が名簿に書いてあるのに俺と言ってどうする。


「わかるか。(もえ)だよ」

「わからない。あなたは誰……」


「だから萌だよ」

「いいえ。息子ではない。あなた、振り込め詐欺の人ね」


 椅子から転げ落ちた。

 あまりに早い正体ばれだった。


「どうしてわかったのですか。不手際でもありましたか」

 聞いてみた。

「第一に息子の名前よ。どこから知ったのか知らないけど、息子の名前は(もえ)ではなくて(はじめ)と読むのよ。子供自身が間違えるわけがないから、他人なのは間違いない。第二に先月も振り込め詐欺の電話があってね。百万円、引っ掛かったのよ」


「だったら、既に名義が――」

「流れた後ということでしょうね」

 三木萌の名前。名義の書類は所々の字が潰されていたが、僅かに裏から学校名が見えていた。

 高校受験の面接時に渡す書類だった。

 名簿は学校から漏れている場合もあるのか。


「以前までは不動産の保証人の項目から情報が横流しされていたらしいけど、最近では規制されて少なくなっているらしい。でも一度漏れたら駄目ね。違うグループが掛けてくる可能性がある。警察から教えられたのよ――今は詐欺だとわかったら、すぐに警察署に連絡するように言われている」

「警察も対処に慣れているのですね。凄いや。もう連絡しましたか」


 俺は悠長に話を続けていた。余裕ではない。

 単に自分から電話を切るというのが失礼ではないかと思ったからである。

 友江は「まだよ」と答えた。

 本当は気付かれたら、携帯電話を跡形もなく処理するようにマニュアルに書かれていたのだが、兄貴以外に話をするのが久しぶりだった。

 気分が高揚していた。


「あなたはどうして振り込め詐欺をしているの」

「兄貴に言われているからです」

「脅されているからやっているの」

「いいえ。年配者がお金を持っているのはおかしいからです。貯め込むばかりで使わない。結局のところ、お金は使わずに次世代の子供に落ちる。だけど次世代の子供も既に高齢になる。結局は世の中に出回らない。だから、振り込め詐欺で騙し取ったお金を寄付すると兄貴は言っていました」

「なるほどね。素晴らしい甘言。素晴らしい殺し文句ね。あなたは振り込め詐欺をやらされているようだけど、出し子、掛け役という言葉を知っているかしら」

「いいえ。初耳です。学がないもので……」

「教えられていないのね。わたしが騙された時、犯人は捕まった。でもお金は返ってこなかった。捕まったのは出し子と掛け役だったからよ」


「どういうことですか」

「振り込め詐欺には主犯格、運搬、出し子、掛け役の四チームに分かれるのよ。運搬と出し子は同一人物のこともあるらしい。あなたの話を聞いている限り、兄貴というのは主犯格ではないわね。主犯格は下位の者とは顔合わせをしない」

「そう言えば、兄貴が誰かと電話しているのを見ました。兄貴より上の立場の人みたいです。マニュアルを持ってきた時でした」

「あなたは掛け役。兄貴という人は出し子と運搬役を担っているのね。わたしの場合は詐欺とわかって、すぐに掛け役も出し子も捕まったけど、大半のお金は主犯格に流された後だった。一部は返ってきたけど、出し子に対する報奨金の分だけだったわ。掛け役の方には一銭も渡していなかったのよ」

 

 何を言っているのだろうか。


「何だか、俺には話が難しいです」

「はっきり言うわ。出し子は持ち逃げが出来るのよ。一方で掛け役は電話の仕事をするだけしかしない。あなた、兄貴という人に騙されているのよ」


「騙されていないです。兄貴は良い人です」

「――良い人か。振り込め詐欺をやらせる相手が良い人だとは思えない。冷静になってごらんなさい。どうせ募金なんかしない。主犯格にお金が流されるだけよ。あなたが警察に捕まって終わるのが落ちね。それでも信じられるの」


「兄貴は俺にミイラ取りを約束してくれた人なのです」

「ああ、多国籍の人なのね。エジプト方面の」


「いいえ。兄貴は日本人です。兄貴は明るいミイラのために行う悪さは正義だと教えてくれたのです。明るいミイラです」

「未来のことね。聞き間違えてごめんなさい。でも、未来取りが未来になるというのも有り得るかもしれない。兄貴さんがあなたを守るという保証はどこにあるの?」

「わかりません。どこにもないです」

「お金はまったく渡されていないのね」

「はい。しかし騙されていたとしたら、どうやってわかるのですか」


 俺は気が付いたら、兄貴を疑っていた。

 本当は振り込め詐欺をやらせるために自分に声を掛けたのではないか。

 慣れない作業に混乱しているのだ。

 しかし――聞いておいた方がいいと思った。


「仮にあなたが振り込め詐欺に成功した時、口座から全額降ろされ、兄貴との連絡が途絶えた場合は連絡するべきだろうね」

「どこにですか」

「決まっているでしょう。警察よ」


 電話が切れた後、俺はしばらく意気消沈していた。騙されている。

 どうだろうか。いいや。兄貴と俺はイタチなオトコらだ。裏切られることはない。

 しかし、昔にイタチなオトコらになった相手は俺が退学になった途端に連絡が途絶えた。

 

 裏切りだ。過去に騙されている。

 俺は兄貴が信用出来る人間だと言い返せなかった。

 

 むろん、俺はまだ振り込め詐欺を一度も成功していない。預金額はゼロだ。

 振り込んだお金がなくなり、連絡が途絶えた時が兄貴の裏切りの瞬間だと言っていた。

 逆に言えば、兄貴が何も行わなかったら仲間ということだ。

 結局は振り込め詐欺を成功させなければ、わからないことだ。


 俺は振り込め詐欺を成功させるために名義と懸命に睨み合いを続けた。

 騙しやすいと思った人物に電話を掛けた。

 

 鉄筋コンクリートのマンションは寒い。隣の部屋からは物音一つも聞こえない。

 聞こえるのは心臓の鼓動だけだ。コール音に手に汗を握っていた。

 何度も何度もマニュアルを読み返した。遂にコール音が止まった。

 

 相手が話し出すまで待った。話すことは時事問題だけにする。練太という名前だった。

 固定電話に掛けても番号は表示される。

 だから、自分の携帯電話はなくし、会社の携帯電話から掛けていることにする。

「どうした。久しぶりじゃないか」

 

 相槌を多くして、情報を引き出す。相手が信用するまで、電話した理由は話さない。

 世間話をした後で財布を落としたこと伝える。家から帰るお金がない。

 遠出なら二桁単位で出してもらえる。


「どれくらい必要。千円くらいか」

「いいや。少なすぎるよ」

「一万円ならタクシーで帰れるでしょう」


 お金が多ければ多いほど怪しまれると書いてあった。

 少ない額を回数で稼ぐか。一か八か大金を稼ぐか。

 俺は前者を選んだ。


「二千円で良いよ」

「わかった。今から振り込みに行くよ。三十分後には入っているからね」

 やった。ありがとう。成功した。初めてのことだ。


 近くの漫画喫茶から口座を調べた。確かに二千円も振り込まれている。俺は兄貴に勇み足で連絡した。しかし、兄貴の反応は俺の期待とはまるで異なっていた。


 誉めてくれなかったのだ。

 もちろん、それくらいで信頼のミルクレープが虫食いになるわけではない。

 翌日に口座を調べても全額減っていなかったことから、二人が作り上げた三層は崩れていないことがわかった。とはいえ、俺は既に信頼のミルクレープの一番上に『裏切り』という新しい層が出来ていたことに気付いていなかった。


 確かに落ち込みはあったのである。

 誉めてくれなかった。しかし、いつものことだった。

 両親にも誉められたことはない。

 俺は自分の思い出の中で楽しかった記憶を思い出すことにした。

 いつも楽しい記憶だけは俺を支えてくれた。

 初めて兄貴に声を掛けてもらったこと、毎週のようにショコラを食べていたこと、高校一年生の飯盒炊爨で友達と笑い合った日々のこと、たくさんの思い出があった。


 ――先生、すごいですね

 ――この辺りの山は全て先生の土地なのですか 


 太陽が反射し、水光は潸潸としていた。最高の飯盒炊爨だった。

 先生の顔は光で見えない。声には聞き覚えがあった。


 ――まあね。紙切れ一枚にもならない土地だけど、学校側から信用を得られるくらいの効果はある。他に使い道があれば良いのだがね


 ――俺は紙切れより山が良いですぜ! どんなに走り回っても怒られない


 ――ため息が出るよ。真野から目を離したらどこにでも行ってしまいそうで心配だ。岩場には気を付けろよ。川向こうに渡るのは駄目だ。大きな滝がある


 ――へえ、滝があるのですか。すげえですぜ。佐々木先生。クラスのため、事務室に何度も出入りしていたのを知っています。感謝です。俺は今日のことを何度も思い出すに違いありません。先生の山のこと。俺の目で……


 ――俺の目で聞いたこと……一生。一生。忘れませんよ!


 ――見たことの間違いだ。真野竜一……しかし出来の悪い方が好ましいか……


 四


 兄貴が一言だけの電話を掛けてきた。

「ノルマは二百万だ」


 俺の立っている天地は逆転したと思った。

 二百万。二百万。二万円でもなければ、二十万でもない。二百万だ。

 誰が二百万もの大金を振り込んでくれる。俺は頭を抱えた。

 両親にはとっくに愛想を尽かされている。

 幼少の頃から出来損ないと罵られ、退学した時には家族の恥と言われ、最後の言葉はろくでなしだった。ほんの端金で東京に出てきた。

 

 頼れるわけがない。のたれ死を望んでいるのが実の両親だ。

 しかし、二百万はどうあっても必要だ。

 振り込め詐欺に成功したのは一度しかない。しかも、たったの二千円だ。

 

 二千円を積み重ねる時間もなかった。

 いったい、どうしたらいい。どうしたら――。

 マンションが変わるまでは残り五日だ。

 とにかく名簿に載っている連絡先にマニュアル通りの電話を掛けるしかない。

 俺は毎日、プッシュ音を鳴らした。目ぼしい者から順番に掛けた。

 しかし、誰一人として振り込め詐欺に引っ掛からなかった。

 用心されていることもあるが、俺の焦りが次々と襤褸(ぼろ)を出していたのだ。

 俺の自信は既にぼろぼろだ。渡された名簿を全て使い切ってしまった。

 しかし、振り込め詐欺を続けなければ、短期間で二百万は稼げない。

 

 名前を知っていて、電話番号も覚えているのは幼なじみだけだ。

 しかし、イタチなオトコら。彼らは裏切られない。

 退学した時に蔑まされたとしても友達なら当然である。

 また同級生は高校に通っているはずだから、二百万を要求したところで親が引っ掛からない。

 友達はずっと会っていなくても、一生涯、友達だ。

 

 俺は縋る思いで一本の電話をした。

 年齢が離れている子供を持った親で知っている番号は一つしかなかった。

 従兄弟だ。

 俺に親切にしてくれたのは従兄弟の家族だけだった。


「もしもし、真野竜一だけど……おばさん?」

「え、竜ちゃん!」


「わたしは信じられないのよ」

 俺よりおばさんの口が頻繁に動くのだった。

「だって、おかしいでしょう。あなたが退学した後、担任の先生は他の学校に移ったと言うし、あなたの両親は学校に問題がない。竜ちゃんのせいの一点張りよ」


「高校一年生が校長の自画像絵を盗んだくらいで退学になるなら、入学金を返すくらいの話し合いが起きても良いはずよ。だけど一切そういう話は出なかった」


「罰金でも停学でもなく、すぐさまに退学になった。裏があるに違いないわ」


「校長が自画像絵を気に入っていたのではありませんか」

 

 俺は退学になった時の話よりお金の話をしたかった。

 しかし、おばさんは熱を上げていた。


「だったら、学校が問題よ。歴代の校長写真の隣に自画像絵を置くという時点で頭の良い校長だと思えない。そもそも学生が自画像絵を盗むなんて窓ガラスを割るのと同じくらいか、それ以下の悪戯よ」


「絶対におかしい、竜ちゃんは他にもトラブルを起こしていた?」

「いいや、何もしていないよ」


「絶対におかしい。何か話し合いがあったはずよ。だからご貴方の両親は学校を責めなかった」


「わからない。俺は駄目な奴だったから、気付かなかっただけでトラブルを起こしていたのかもしれない。佐々木先生にも良く注意されていたし、学校側に迷惑は掛けていたと思うよ」


「もしかしたら先生は俺のせいで転任になったのかもしれない……俺のせいだ……駄目な男だよ……」

「馬鹿がずっと後に天才と呼ばれることもあるのよ」

「おばさん」


「竜ちゃん。元気出して」

「おばさん。――俺は自分のことを『馬鹿』とまでは言っていなかったよ」

 

 しばらく無言が続いた。

 マニュアルの癖で相手が話し始めるまで待つ癖が出来ていた。

 話を切り出したのはおばさんだった。フォローだ。


「まだやり直せるわよ。竜ちゃんはまだ若い。今は自信をなくしているだけよ。切っ掛けさえあればとんとん拍子に良くなるわ。妹夫婦の代わりに何か手伝えることがあれば言ってね」


「ああ、もしかして久しぶりに電話をくれたのは急用があったからじゃない。今はどこに住んでいるのかしら」

 

俺は今だと思った。

 話もスムーズに進められる。


「東京に住んでいる。東京で年上の友達と仕事をしている。ただ、どうしても仕事の契約で大金が必要になったんだ。だから大きな家に住んでいて、裕福な印象のあったおばさんに電話をした。迷惑だとは思ったけど……おばさんしかいなかった」

「いいえ。安心したわ。きちんと仕事をしているのね。いくら必要と言われているの」

「二百万だよ。凄い大金だ」


「二百万ね。わかった。送金する」

「え、良いの。本当に。二百万円だよ」

「構わないわ。竜ちゃんのお願いだからね。あなたの仕事はきっと成功すると信じている。さあ、口座番号を教えてくれる」

 

 用意していた口座番号を恐る恐る伝えた。

 俺の声は自然と小さくなった。身体も硬くなった。寒いからではない。悪いことをしているという自覚が出てきたのだ。二千円を騙し取った時は何とも思わなかった。

 自画像絵を盗んだ時も何も思わなかった。金額が違うからだろうか。顔見知りだからだろうか。いいや、どちらも違っている。


「竜ちゃんなら仕事も上手く行くわよ。契約も取れる。だから、この二百万円は自分のために自由に使いなさい。あなたは誰よりも純粋な子だった」


「昔から友達が良く集まっていた。きっと、あなたの側にいる年上の友達も信用できる人よ」


 俺はマンションでひとりぼっちだった。

 涙声にならない内に電話を切った。

 騙した。俺はおばさんを騙した。何度も何度も自分の声を聞いていた。

 俺はおばさんの親愛を利用して、お金を奪い取ったのだ。

 おばさんは本当に二百万円を振り込んでくれている。

 表示されている額はただのお金ではない。数字の羅列でもない。

 俺の全てだ。生きてきた命そのものだった。

 俺は兄貴に電話を掛けた。


「に、二百万円入れました」

「知っている。随時、口座に入っているお金の変動を見ているからな」

「ノルマ達成ですよね。仕事上手く出来ましたよね」

「ああ、良くやった。――次のマンションに移る時、迎えに行くよ」

 明日だ。しかし、兄貴は明日になっても俺のところには来なかった。

 俺はもう一週間、マンションと契約した。

 次の日も来ない。また次の日も来なかった。

 新たに始まった一週間も終わろうとしていた。カップ麺も底を付いている。

 限界だ。どうして兄貴は迎えに来ないのだろうか。


 ――仮にあなたが振り込め詐欺に成功した時、口座から全額降ろされ、兄貴との連絡が途絶えた場合は連絡するべきだろうね


 俺は思い出していた。おばさんのお金はどうなっているだろうか。

 自分のために使いなさいと振り込んでくれた大事な二百万円だ。

 俺は振り込まれたはずの口座を調べようとしたら、画面にエラーが出るだけだった。

 封鎖されている。

 お金が入っていれば、口座の封鎖が起きるわけがない。俺は兄貴の携帯電話に掛けてみた。

 しかし、現在使われていない番号というアナウンスが流れるだけだった。

 口座のエラーと同じだ。

 

 俺の身体は崩れ落ちた。兄貴の居場所はわからない。

 おばさんのお金は返ってこない。

 

 振り込め詐欺で最も尻尾切りをされやすいのは掛け役だと言っていた。

 ミルクレープの四層目が大きく膨らみ始めた。

 下の三層を押し潰し、裏切りという言葉が俺の頭を回り始めていた。 

 気が付いたら、俺は桜の印が付いた建物の中に入っていった。

 警察署だ。


「どうかしましたか」

 受付の女性警察官が優しく微笑みかけてくれた。

「振り込め詐欺をしていたら、振り込め詐欺に合いました」

 彼女の表情は驚きに変わった。


「どういうことですか? 貴方の名前は……」

「俺の名前は真野竜一です。犯人は五反田虎也という男です」


「おばさんのお金が、おばさんのお金が――奪われてしまったのです! 助けて下さい!」

 間違ったことは言っていなかった。

 困惑しているのは受付の女性警察官、そして後ろにいた他の課の警察官だった。


 ――五反田虎也だと……


 三日前に捕まえた出し子の偽名ではないか。

 主犯格はまだ捕まっていない。

 国内最大の組織グループの尾だったのは判明している。

 可能性は低いが、内部の情報が漏れているかもしれない。

 彼の事情調書に居合わせることにしようではないか。

 数人の警察官が次々と仲間を呼び、真野竜一の周りには自然と(ひと)(だか)りができていた。

 生活安全部から生活安全総務課が来た。

 少年育成課と少年事件課がいる。

 組織犯罪対策部から組織犯罪対策総務課が来た。

 組織犯罪対策第二課が集まっていた。刑

 事部から捜査第二課、捜査共助課もいた。詐欺に関する担当者が揃い組になっていた。

 


 真野竜一は知らなかった。

 自分の関わっている詐欺事件の大きさを知らなかった。

 主犯格を捕まえられない警察官たちの苛立ちも知らなかった。

 彼は以前から詐欺事件の囮だった。尾取りが尾取りしていたことを彼はまだ知らなかった。

 しかし尾は今から一本になっていることを知るのである。


 五


 大きい振り込め詐欺のグループには必ず尾が用意されていた。

 切られても代わりに生えてくる尾だ。真野竜一や五反田虎也が一例だ。

 警察は尾の先にいる主犯格を探していた。

 実は振り込め詐欺をしていたグループに対し、逮捕できた相手はグループ内の三十分の一にも満たしていなかった。詐欺事件の主犯格が逃げおおせている例は少なくないのだ。 

 

 もちろん五反田虎也のように要領だけを教わり、自分で組織を作ることもあった。

 尾はアメーバーのように増えるのだ。

 

 根本的に頭を潰す必要がある。しかし、主犯格は(さか)しかった。

 警察が如何にして詐欺事件が行われているかを捜査するのと同じことをする。

 今までの詐欺事件がどうやって逮捕されたのかを調べているのだ。対策案を立てられている。

 対策案の一つは接触しないことだ。

 以前までは名簿を多く手にしている売り手がいた。

 不動産、弁護士、セールスマン、アンケート、電話帳、様々だ。

 彼らは連絡先を手に入れるために相手と接触することが必要だった。


 当初は警察官が売り手の振りをして、詐欺事件の主犯格を捕まえることができた。

 しかし、今は名簿を自分で手に入れるようになっている。

 以前までは十代後半が犯人だった。しかし最近では二十代、三十代の社会人が多い。

 職場から名簿を盗み、転職する者もいるから厄介である。


 お金を求めるのが十代から三十代に変わったことは時代の変化とも言える。

 対策案のもう一つは連絡手段である。

 今の携帯電話は電話した内容はわからないが、電波が発信された場所はわかる。

 どこに主犯格がいるかを突き止めることができた。

 しかし、今はレンタル携帯があり、海外に持ち出すことが可能だ。


 日本にいても転送サービスを使って、海外から電話が掛かってくるように騙すことだってできた。

 もちろん、レンタル携帯を手に入れ、転送会社を調べれば、居場所の足跡くらいは掴めるのだが、当然、幾つかのグループを逮捕すると方法は変えられた。

 今は電話同士を向かい合わせにして、会話をさせているらしい。

 

 五反田虎也や他の出し子に掛かってきた電話を録音したが、レンタル携帯の場所は中国だった。

 会話内容もどこから掛けているのかはまったく不明だ。

 

 全て同じ男からの電話だったが、駅のアナウンス、選挙カー。

 場所を特定できる音は何一つ聞こえなかった。人里から離れているのだ。

 主犯格の足取りは未だに掴めなかった。

 

 五反田の属しているグループの被害総額は十五億以上と言われていた。

 三年前から始まり、海外からの転送サービスや現金の郵送を利用して、着実に詐欺事件の規模を大きくしていった。真野竜一という男は五反田に利用されていたらしいが、逮捕は出来ない。

 未成年だ。実際に詐欺をしたと言っても、二千円だ。

 

 口八丁で操られたというのが落し所だ。

 二千円で捕まえる方が恥ずかしい。


 学校に通っていれば高校三年生という年齢だ。親戚から振り込んで貰った二百万円も言ってはいないが、回収済みだった。しかしまだ教えるつもりはない。

 警察官が気になったのは五反田に掛かってきた電話の内容だった。

 お金を取り戻したいと考えているなら協力的になるに違いなかった。


「何か気になった会話はなかったか」

「俺が聞いたのは声と音だけでした」

「声は聞いているわけか」

 

 警察官は最初から大きな期待は寄せていなかった。


「相手はこの男か」

 警察官にICレコーダーを渡された。再生される。

 真野竜一は耳を澄ませた。同じ声だ。どこかで聞き覚えのある声だった。

 十秒の間隔で声が途切れるのは、近くで強い音が鳴っているからではないか。

 どうしてそう思ったのだろうか。


 見たこともない場所なのに――


「イタチなオトコらに参加出来ない」

 俺は無意識に口に出していた。


「……どうした真野。真野!」


 ――まったく。らしくないぞ、どうした真野……

 ――いいや。お金がないのです。友達とイタチなオトコらの約束をしているのに


 お年玉も使い切った。俺は仲間はずれになるかもしれない!


 ――ははは!

 ――笑い話じゃないですよ!


 ――今のご時世は頭を使わないとお金はすぐなくなる

 

 校長なんて給料を誰よりももらっているのに、学費を流用して自画像絵を書かせているのだ。

 自分のお金を使わずに生徒の学費を使っている。

 大きな声では言えないけどね。


 ――ひどいですね! 校長!

 ――ああ、詐欺だね。しかも真野の両親が支払った学費が使われているのもわかっているのだ

 ある意味、あの自画像画絵は真野の所有物とも言えるね。

 

 ――本当ですか。俺の学費が使われている……

 ――確かめたからね。しかし済まない。事務室から証拠を突き詰めようとしたのだけれど、既に真野に関する書類は処分された後だった。情けない先生だ

 ――気持ちだけで十分です!

 

 ――悔しいとは思わないのか

 ――確かに悔しいですけど嬉しいという気持ちの方が大きい。あの自画像絵が俺の所有物と言われると嬉しい。先生の持っていた山と同じじゃないですか

 ――その通りだ……好きに使っていい真野の所有物だ


 ――所有物……所有物か……良い響きですね


 ――校長の自画像絵と先生の持っている山は同じだ

 ――イタチなオトコらに似ていますね

 ――真野ならそう言うと思っていたよ


「わかりました。電話の相手は佐々木先生ですよ」



「何だ。誰の声だと言った」

 


ICレコーダーから声がリピートされたままだった。

 長年、足取りが掴めなかった男の声だ。わかるわけがない。

 警察官たちは嘲笑するように聞いていた。

「場所は県境にある山奥の小屋じゃないでしょうか」

 

 徐々にお互いの顔を見合わせていた。

 有り得ない。

 真野という少年はただの掛け役だ。

 主犯格を知っているわけがない。

 何を言っているのだ。

「途中で滝の流れる音がしているでしょう」


「高校の時に飯盒炊爨で行った場所で聞いたことがあります。最近良く高校時代の頃を思い出していたのですが、理由がわかりました」


「電話越しに頭に入ってきたから気になっていたのです」


「おい、真野。詳しく説明しろ。佐々木先生というのは高校の先生か。お前は一年生の頃に退学していたな。佐々木という男と関係しているのか」

 真野は全て話した。自画像絵を盗んだこと、佐々木先生が事務室に出入りしていたこと、盗んだ切っ掛けになる会話のこと、警察官は機敏に反応した。

 彼の知らない事実だが、五反田の属していたグループと真野の出した名前と場所の説明は共通していた。電話先からわかっていることは人里離れた土地にアジトを持っていることだ。名簿の入手手段からわかっていることは職場から持ち出している点だ。

 

 彼らのグループが詐欺を始めた時期は真野竜一が退学した頃とほぼ同時である。

 つまり、まだ詐欺の手段が確立されていない時とも言えた。

 

 高校は学年に一人くらいは退学になる者がいる。理由は様々だが、殆どが自主退学になることが多い。学校側に問題を起こして示談になる。

 

 小学生の頃に給食代を盗む子供がいるように、高校でも同じようなことをして処分を受ける者が跡を絶たない。しかし、校長の自画像絵を盗んだだけで退学になるのだろうか。

 

 両親が縁切りするほどの罪になるだろうか。

 考えられることは一つだ。

 

 生活安全総務課の者が彼の高校に連絡を取り始めた。

 仮に高校受験の時に提示する名簿などが盗まれていた場合、学校側としては最大のトラブルになる。

 だから、事務室は厳重に名簿が保管されるのだ。

 無理に壊されたりしていた場合は誰かを犯人に仕立て上げる必要がある。

 つまり、囮が必要になるのだ。

 同時期に盗みを働いた者がいたら、名簿が盗まれたことを隠蔽すると同時に両親側に罪の大きさを訴え、自主退学に追い込むということは十分に考えられる。

 

 警察に言えば、少年院に入ることになると脅すこともできる。

 もちろん、何度も使える手ではない。

 だから振り込め詐欺の初期の頃だけだ。足が付く行為をしていた時期は限られている。

 自らの土地を飯盒炊爨に使ったというのも事務室に入る理由作りのためだ。

 どこに名簿があるかを確認するためだったのではないか。

 

 捜査共助課が他県に協力要請をした。捜査第二課が移動の準備を始めていた。

 真野竜一は振り込め詐欺の前から振り込め詐欺の囮になっていた。

 

 彼の高校生活は主犯格によって破談しているのだ。

 当然、賠償金というのは多くの方面から請求できるはずである。

 失った友人や両親の信頼も取り戻せる。仮に振り込め詐欺の主犯格を捕まえることができたら、警察から感謝状や恩賞さえ出るに違いない。

 他県に跨がるほどの大きな事件だった。


「真野、飯盒炊爨をした山の場所、小屋の位置というのはわかるか」

「もちろんです。ただ俺はおばさんから振り込んでもらった二百万円の件で来たのです。何だか最後の方は話をまったく聞いてくれなくて。大丈夫なのですか」

「君が小屋に連れて行ってくれたら、お金は返ってくるかもしれない」

 

 むろん、詭弁だ。しかし彼の記憶と行動が唯一の証拠だったから仕方ない。

 日本最大規模の詐欺事件の主犯格を捕まえに行くのだ。

 尾を咥えている真野を先陣にするのが一番だ。

 真野の後ろには強面の警察官が続いた。


「何だか同じ制服の人に囲まれると、イタチなオトコらの頃に戻ったように思えて、嬉しいですね。しかも思い出の土地に行くなんて嬉しいこと尽くしだ」

「お前にとって佐々木先生とはどういう存在だ」

 聞いてみた。手錠を掛けるかもしれないのだ。

「恩人です。俺に自画像絵を手に入れる方法を教えてくれました」

「だったら、五反田はどういう存在だ」

「恩人です。俺にお金を手に入れる方法を教えてくれました」


「騙されていたのに恩人なのか」

「ははは。おかしいことを言いますね。恩人は何があっても恩人ですよ。友達は何があっても友達と同じです。お金が戻ってくれれば、俺はただ兄貴の無事を祈るだけです」

「お前は大物だな」

 警察官はパトカーの後部座席を開けた。

「変わっているとは言われますが。大物ですか」


「警察官は多くの人柄を見ている。目が肥えているのさ。お前は大物だよ。ところで何回か口にしているイタチなオトコらとはどういう意味だ」

「ああ。『良い友達なおとし玉を使いショコラを分け合うグループ』の略称です」

「――何だ。それ。ネーミングセンスが悪いね。変わっている。リーダーが決めたのか」

「はい。リーダーが決めました。リーダーは俺です。やっぱり変わっていると言われた方がしっくりと来る。大物と言われると釣り上げられた魚みたいに苦しくなる」

 

 真野竜一は笑いながら、パトカーに乗り込んだ。

 警察官は息を呑んだ。

 やはり大物である。

 食い付くと先に糸が付いているのだ。

 警察官は会話に目的を持っていた。餌だ。

 彼を小屋に案内させるために誉めようとした。しかし、最終的には貶すことになった。

 本来の目的とは外れたのだ。

 しかし、結局は彼が喜び、困惑するのは警察官という図になった。

 

 踊らされたのだ。

 餌はこちらだった。食われたのは警察官の方である。

 天性の囮だ。


 佐々木という男は真野竜一を小物と思い、囮にしたようだ。しかし、詐欺事件の囮に意図した相手が、自分を釣り上げる囮の糸に変わっていたことに気付かなかった。


 ――ウロヴォロスだ


 自分の尾を噛んで円環となった竜の図は古代よりウロヴォロスと呼ばれていた。

 


 尾取りしている時は、尾取りされている時がわからない。

 


 真野竜一はウロヴォロスになっていた。

 周りに周り、頭に辿り着くのは時間の問題に過ぎない。

 

 その証拠に、真野竜一の地元への凱旋は、今日から間もなくのことであった。




どうか誤字脱字の方、お許しください


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― 新着の感想 ―
[一言] ユーモアの溢れる作風だと思ったら、ミステリ特有の最後にはハッとする納得の心地が上手に融合されていて面白かったです。 また、火の中、水の中、草の中――って、心をゲットされていたから忠誠心がある…
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