21話 終業式と着せかえ人形(前編)
「もう時間だから起きなさい、雪姫」
朝を告げる風吹貴の優しくも厳しい声が聞こえ、腕を引き軽々と上半身を起こされる。ボーっとしてると目前に風吹貴の顔が近付き、接触する。額と額を合わせて数秒、風吹貴から声が掛る。
「熱は出てないわね、でも気をつけないと駄目なんだからね」
寝起きのぼんやりした頭にうっすらと昨夜の情景が浮かぶ、低血糖発作で倒れた雪姫は風吹貴に消化しやすいフルーツペーストを食べさせられ、風呂でも抱きかかえられて入浴、逆らう気力もわかずになすがままで、さらにしっかりと説教までされた。夕飯は少し多めに盛られたのを最後まで食べさせられ、直ぐに寝かされた。
「シャワーして来なさい」
いわれるままに3度目で大分なれてきた朝のシャワーを済ませる。昨日の夜の事を思うと手足の血色も良い。正確に映像を再生できる記憶は便利が良いが、それ以上に肌の色素が薄くて血色が現れやすいからだろう。待ちかまえていた風吹貴にUVローションを塗り込められながら考える。風吹貴の後を追って階段を上りダイニングに入った。
「髪セットして上げるから早くご飯食べなさい。焔邑ちゃんが迎えに来ちゃうよ」
朝食はトッピングにフルーツを乗せたパンケーキが出されていた。小さく切り分けて一口をはむはむと噛みしめてこくんと飲み込む。深みのある味わいが食欲をそそる。
「今日は終業式でしょ、放課後迎えに行くから買い物いこうね、雪姫」
髪を梳かしながら風吹貴が語りかけて来たので曖昧に頷いておく。雪の低血圧な体質のせいか朝は頭が良く働かない。
「お友達も良かったら一緒に行こうか、焔邑ちゃん達も一緒だと雪姫も楽しいでしょ」
焔邑は明るくて気分の良い女の子だ、もう5年位成長してれば彼女にしたいと思うが、冴えない派遣社員なんか相手にしてくれないだろう。
そうこうするうちに、焔邑が迎えに来て特製ジュースに舌鼓を打っていた。飲み終えた彼女を少し待たせたが、雪姫の朝食も終わり終業式向けの軽いカバンを手に焔邑と一緒に家をでた。
「明日から冬休みだね、雪姫は予定あるの?」
焔邑が尋ねてきたが、予定等ない雪姫は首を左右に振るが、朝の話を思い出して尋ねた。
「……今日の終業式の後……お姉ちゃんが一緒に買い物どうって……」
それを聞いて驚きも見せずに焔邑は答える。
「一緒に行こうね。風吹貴お姉さんから昨日誘われてるから、親にもちゃんと言ってるから大丈夫だよ」
やはり焔邑は明るく朗らかで人間的な魅力にも満ちている。思わず頭を撫でて上げようと思ったものの、雪姫の小さな手を見て似合わない構図を思い浮かべ、手を伸ばすのをやめた。雪姫の姿で焔邑に可愛いというのは滑稽な姿にしかならないだろう。
「おはよー、ホムラ、雪姫ちゃん」
校門前で小柄なもう1人の雪姫の友達、珠ちゃんが元気に手をいっぱいに伸ばして振って来ている。こちらも日傘を持った手を伸ばして応える。
「おはよう、タマ」
隣の焔邑は2人分のカバンを持った手を上げて返事をしてる。
「おはよう……、珠ちゃん」
隣まで移動してから雪姫も返事を返す。離れた所から届くだけの声を出すのが無理なんで、やむを得なかった。
「今日は終業式で、明日から冬休みだよね。雪姫ちゃんは予定決まってる? 一緒に遊びに行こうよ」
珠ちゃんが聞いて来たので、曖昧に頷いて返す。
「今日、雪姫のお姉さんと一緒に買い物行こうって話なんだけど、タマはどう?」
「行く行く、もちろん行くよ」
焔邑の言葉に、迷うことなく首肯する珠ちゃん。風吹貴を入れて女三人と連れだっての買い物の姦しいであろう未来図に頭が重くなった。
3人連れだって教室に入ると、程なく終業式を控えたショートホームルームが始まる。
「今日は終業式でこの後、講堂に移動してもらいます。戻ったら通知表を配るのでちゃんと保護者に見せてくださいね」
担任のかすみ先生が教壇前の最前線特等席の雪姫の目の前で連絡事項を伝えているが、昨日の事を気付いた素振りは全く見せない。認識撹乱が機能してスノープリンセス・ユキと天王院雪姫を結び付けられないんだろう。
「それじゃ、2列に成って講堂へ移動してください」
かすみ先生の連絡事項が終わって、講堂へと移動する。校長の退屈な話が有り、のんびりと話を聞く、しかも半数以上聞き流してるなんて無駄な時間の使い方してるのが学生ならではだよな。講堂には座席がきちんとあるお陰でひ弱な雪姫も貧血や低血糖の発作で倒れることなく式を終えることができた。
教室に戻って通知表を受け取る、俺の入る前の雪姫の成績を元にした通知表だから、他人の通知表を勝手に見る感覚でちょっと後ろめたい。成績はオール5というようなことは無いものの、英語・数学・理科・社会は5で、国語が4、家庭科が3で体育が2という物である意味テストの成績から想像した通りの成績だった。
そして終業式の残りのイベントして、冬休みの宿題が配られた。休みといってもわずか2週間しかなく、クリスマスやら正月で忙しい時期に出されるものだから夏休みに比べればグッと少ないものだ。だが薄い数学の問題集や英語の課題プリント、国語の漢字帳等非力な雪姫にはけっこうな重さになる。
かすみ先生から、気を付けて帰るようにと注意がされて終業式は終わった。
「冬休みの宿題多いね」
荷物を持った焔邑がよって来る。
「重いね宿題……」
宿題を詰めたカバンを右手で掲げて見せる、と焔邑が苦笑いを見せる。
「あたしはそっちは平気だけど、宿題の中身が難敵だよ」
幾ら雪姫が非力とはいえ、持って重い位の宿題を終えるのはスムーズに進まないならそれなりに骨が折れる話か。さっきサラッと目を通したのを思い出してみても、サラサラと解くことができるようなものだった。
そうこうするうちに、携帯にメールが届いた。
「……お姉ちゃんから、校門前に来てるって……」
シンプルなメールを伝えると、3人揃って校門へと向かう。荷物は焔邑に取られ、左右から焔邑と珠ちゃんに手を握られてまるで幼い子供のような構図だが、友達として親愛の情を示してくる2人を無下にする訳にもいかない。
3人手をつないで校舎を出て、校門の前についたら校門前に一台の赤い軽自動車が止まっており、傍らにスラリとモデル体型をした風吹貴の姿があった。
「雪姫ぃーっ! こっちこっち」
風吹貴がこちらに向かって手を振ってる。年上の美人の姿に見惚れる男子生徒や男性教師もチラホラとみえるが、手を上げて応えようにも焔邑と珠ちゃんに両手を握られてるんで振り返す手が無い。
「こんにちは、風吹貴お姉さん。今日はご一緒させてもらいますね」
「はじめまして、お姉さん。ホムラと雪姫ちゃんの友達の丸井珠代です」
やっと手が解放されて、珠ちゃんが風吹貴にお辞儀をしていた。
「これはご丁寧にありがとう。雪姫の姉の風吹貴よ、よろしくね」
風吹貴が手を出して珠ちゃんと握手をしている。
「こっちの方が落ちつくのよね、うちは半分以上白人の家系なんでね」
珠ちゃんがへえーと感心している。雪姫が銀髪で無理が無いように設定したんだ、母が白人で父方にも半分白人の血が入ってるから混ざり具合で雪姫の様にも日火輝、風吹貴位にもなれる。
「焔邑ちゃんも、珠代ちゃんも雪姫の買い物に付き合ってくれるんで良いのかな?」
風吹貴が2人に尋ねると、気持ちのいい返事が二つ返ってきた。
「もちろん」
「迷惑でなければ、喜んで行かせて貰います」
本当に焔邑も珠ちゃんも雪姫に構いたがる。この年頃の女の子なら皆そう言うものなのか? 女の子よりもゲームな中高生時代を経験してきた俺には全く分からない。
「じゃあ、2人は後ろに乗ってね、荷物は荷台に置いてくれれば良いから、シートベルトちゃんと締めてね」
運転手は風吹貴が着くとして、後部座席に焔邑と珠ちゃんが乗れば自ずと雪姫が乗る座席は助手席ってことになる。ドアを開けてシートを目の当たりにすると車のシートの上に、もう一段水色のラインの入ったシートの座面部分だけがある。学童の乗車に義務付けられたジュニアシートって呼ばれるものか?
「お友達に見られて恥ずかしいのは分かるけど、我慢しなさい。座高が基準に達してないから危ないからね」
シートを見ながら躊躇っているので、嫌がるのを友達に子供っぽいのを見られたからと判断されたんだろう。ジュニアシートは身長135cm以下が着用義務で140cm以上ある雪姫の身体は身長はクリアしてるが、足が長すぎるせいで座高は125cm位の子供と変わらない。
色々あきらめて黙ってシートに上ってシートベルトを回すと首に引っ掛からず丁度胸の谷間とも呼べない間を通ってホルダーに収まる。
「雪姫ちゃんって、本当に脚が長いんだねー。うらやましいよ」
後ろの座席から乗り出してきた珠ちゃんがうらやましそうに言う。こんな小さい身体でなきゃ足が長いのも美点だろうが、この身体じゃ胴が短く座高が低いデメリットが目立つ。
「発進するから、しっかりシートに座ってシートベルトしてね」
そう言って、風吹貴が話を切ると、エンジンをスタートさせる。ギュオンキキーッと音がしたと思ったら車の向きが変わっていて、走り出した。
車は車道を快走して駅前の家電ビルの駐車場に文字通り突っ込んだ。
「到着、まずは少し早目だけどお昼に行こうか、今日はお姉さんがおごっちゃうぞ」
元気にいう風吹貴だったが、それに元気に応えられたのは。
「ありがとうございます、風吹貴お姉さん」
風吹貴の運転は凄いの一言だった。速度は制限速度から1km/hたりとも越えて無かったが、制限速度を割り込んでる時間が限りなく少ないロケットスタートとフルブレーキングと切れのあるハンドルさばきだった。急発進・急停止・急旋回尽くしの運転はシートベルトでしっかりと固定されてないと危なかったかも知れない。
「お姉さんの運転はちょっと意外だったかも」
振り回された珠ちゃんも辛そうな顔をしている。
「……何を食べるの……?」
この身体に成ってから、風吹貴の手料理以外はクレープとバーガーショップのパンケーキしか口にしていない。興味を持って風吹貴に尋ねてみる。
「そうね、回転ずしで良いんじゃない?」
風吹貴はそういって、焔邑と珠ちゃんも顔を綻ばせる。回転ずしなら好きな物を好きなだけ食べることができるし、女の子なら食べても10皿程度で一皿105円均一なら1人千円程度で大盤振る舞いした風を装える賢いチョイスだろう。
そのまま家電ビルの上階にある大手回転ずしチェーンに向かう。雪姫の両手はやはり焔邑と珠ちゃんの2人に掴まれていた。その様子を見た風吹貴が、物欲しそうな微笑ましいような複雑な表情を見せる。返答がわりに、照れと苦笑を混ぜた複雑な表情を試みる、狙いが当たったかどうか不明だが風吹貴はクスッと笑いをもらした。
昼にはまだ少し早い回転ずしはほど良くにぎわいつつも、待たずに席に着くことができた。対面テーブル席に焔邑&珠ちゃんと雪姫&風吹貴に分かれて席に着く。
「あたしはいっぱい取りたいから奥に行くね」
焔邑がそう言って、奥に入りその横に珠ちゃんが座る。風吹貴が遅れて来たので自然に奥に座ることになった。
「……お茶いれるね……」
回転ずしの定番であるお茶の湯呑を人数分4つとると、各々に粉茶を振りいれる。後は湯呑を給湯器のレバーに押し当てて熱湯を注ぐだけ、小学生にでもできる簡単な作業だ。
「ん?!」
湯呑を押してる手がレバーの抵抗で進まない。片手で押してダメならと左手も添えて両手で押すと、レバーが少しだけ動いてチョロっとお湯が出たが、成果に浮かれた瞬間力が抜けてレバーに押し戻された。
何時の間に回転ずしの給湯器のボタンはこんな手に負えないほど固くなってたんだろう? 今度は押し負けないようにしっかりと両手で押そうと身構えると、横から手が伸びて来て湯呑を取り上げられた。
「お寿司屋さんのお湯のレバーって固いよね。お茶淹れさせたくないみたいに。お茶はあたしが淹れるね」
そういって湯呑を掴んだ焔邑は、多少の抵抗は感じながらも容易くお湯を入れてお茶を配って行く。
風吹貴も席について女3人との昼食会が始まる。手の長い風吹貴は身体越しで平気で皿を取る。珠ちゃんは焔邑が皿を取るついでに取ってもらっている。雪姫も何をとろうかと流れる皿を見る。脂の乗ったトロサーモンが見えるが、脂のギトギトした感じがして受け付けない。
「……エンガワ」
あっさりした感じの白身に心ひかれるから、それを食べて正解だろう。エンガワ(カレイの物)を取って醤油をつけ口に運ぶ。
「あっ、雪姫、それは!」
風吹貴が驚いて声を掛けるが時すでに遅く、エンガワの寿司は中ほどで噛み切られ半分が口内に入っていた。
「んっ!」
口に広がった鋭い刺激に、視界が涙に霞み、目頭と目尻から滂沱の涙が溢れ、言葉が止まる。
「雪姫、駄目じゃないワサビの入ったお寿司取って。お茶飲んで。残りはあたしが食べるから、他の握って貰いなさい」
その後、ワサビ抜きでと注文するのに情けなさと切なさを感じながら、玉子と甘エビ、ウナギ、マグロを食べたら4皿と1/2貫で雪姫のお腹はいっぱいに成ってしまい、16皿食べた焔邑、8皿と1.5貫食べた風吹貴、6皿食べた珠ちゃんがデザートを取る時にはもう見送るだけしかできなかった。
「焔邑ちゃんは良く食べたわね、食べっぷり良くて気持ち良いから食べさせる甲斐があるわ。少し食欲を雪姫に分けて上げてほしいけど」
回転寿司を後にした俺達は、家電ビルのエレベーターを降りてスマートフォン・携帯の売り場に向かう。
「今日はね、雪姫がスマホ欲しいっていうから、それを買うの。服も買うけど雪姫のたっての希望だから選ぶの手伝って上げてね」
売り場に降りるとCMやつり広告を賑わしている有名キャリアやマイナーなキャリアの販売コーナーが客を奪い合っている。
「雪姫、どんなスマホが良いか決まってるの?」
風吹貴が前かがみに成って視線を合わせながら尋ねてきたが、これという決めての無い俺は首を左右に振る。決まってるのは、対応するOSのグレードと最低解像度だけだから、なるべく風吹貴に負担にならない物を選ぶつもりだった。
「それじゃ、キャリアは今のままあたしやお兄ちゃんと同じで良いね。キャリアってのは電話会社の事ね」
風吹貴の説明はもっともなんで素直に頷いて置く。今の子供向け携帯でキャリアを確認するとそっちのコーナーに向かう。スマホが人気で従来型の携帯電話いわゆるガラケーは肩身が狭い思いをしてる。スマホのコーナーは外見イメージも色合いもとりどりの商品が並んでいる。焔邑と珠ちゃんもあれこれ手にとって遊んでる。
しかし、実物を手にとってみて決定的な問題に気付いた。雪姫の手が小さすぎることだった。最近の流行の大画面モデルだと持った手で反対側どころか中ほどまでも親指が届かない。両手操作にしても、左手の指を伸ばして掴まないと掴めないので不安定になる。
「雪姫、どれにするの?」
風吹貴が様子を見に来て言った。
「それはちょっと雪姫の手には大きすぎるわね。もう少し小さいのにした方が良いんじゃない?」
スポンサー様から意見が出た、自分としても大画面はあきらめざるを得ない。画面の控えめなサイズの少し前の女性向けと書かれたスマホが雪姫の手に合うということでスポンサー様の鶴の一声で決まり、書類が作成される。中学生の雪姫では2,3確認事項を聞かれるだけで手続きは全部風吹貴がする。
切り替え手続きに時間が居るので後ほど受け取りということで、次の戦場へ移動することになった。
初のお買いものと回転ずし体験
次は服と下着のお買いものです。




