15話 リアルがこんなにくそゲーか?
風呂を上がって風吹貴と2階に上がると、帰宅していた日火輝が腹をすかせて待っていた。
「ただいま、風呂上がりか?」
「おかえりなさい、お兄ちゃん。すぐにご飯にするわ」
風吹貴が応じたので、雪姫も倣って挨拶をして置く。
「……おかえりなさい」
「ただいま、雪姫」
挨拶をして日火輝の横を通ろうとしたら大きな手に頭を撫でられた。立ってるのに座った日火輝に簡単に撫でられる背の低さが悔しい。逃げるようにテーブルを挟んで向かい側の雪姫の席にひょいと上る。日常のあちこちで身体の小ささを実感させられるのが歯がゆくてならない。
「今日は風呂上がりにしては、おしゃれしてるな。可愛いぞ、雪姫」
日火輝がそんなことを言ってきた。昨日は子供っぽいスウェット姿だったから、それと比べるとおしゃれなのかも知れない。兄が歳の離れた妹をかわいいと思うのは普通だろうし、客観的に見るぶんに雪姫は間違いなくかわいいが、俺が選んだ服を着たところをかわいいと言われるのは俺の存在自体をかわいいと言われるみたいでむず痒い。
「今日は、雪姫が初めてお友達連れて帰った日だからねー、雪姫」
オープンキッチンのカウンター越しに風吹貴が余計なことを言って来た。
「それは良かったな、おめでとう雪姫」
日火輝はそういってテーブル越しに手を伸ばして頭を撫でてくる、その癖やめてくれないか。
そんなことをしているうちに夕飯ができあがり料理が並べられる、深めの和皿に盛りつけられたのは、大根に豆腐に厚揚げ、ウズラ卵の串、白身魚のつみれか鳥つくねらしき串、日火輝の皿にはこんにゃくや巻き白滝、鶏のゆで卵、ちくわぶ、ジャガイモ、はんぺんと色々入ってる。これは、おでんなんだな。雪姫の皿に盛られた状態を見るといまいち実感が湧かないが、大根は一切れが厚さと同じくらいに切り分けられていて、厚揚げと豆腐も同様に細かく切り分けられている。雪姫に食べやすいように切り分けてあるんだろうが、おでんらしさが壊滅で悲しいものがある。
「いただきます」
「……いただきます」
日火輝に続いていただきますを言って大根の一切れを箸で掴む。試してみたが、握力が弱いせいか箸で上手く切り分けることができない、過保護気味な風吹貴が切り分けて出すのはしょうがないことか。ふうふうと冷まして口に入れた大根はまだ熱さを残していて、柔らかく煮られていて深い出汁の味が口内に広がる。雪姫の皿には盛られてない様々の具材も出汁としてこの皿の中にも息づいている。
「はい、ご飯どうぞ」
自分の分のおでんと一緒にご飯茶碗を3つお盆に載せて来た風吹貴が席に着いた。大ぶりな茶碗に山盛りのご飯が日火輝の前に、普通の茶碗に軽く盛られた茶碗が風吹貴の前に、雪姫の前にはママゴト道具のような小さな茶碗にちょろっとだけ申し訳程度に盛られている。
風吹貴と比べて半分にもならない僅かな量で、専門店に匹敵する美味さでもっと食べたいと思わせる味なのに、食べきるのに長い時間を掛けて苦しい思いをしてやっとの想いをした。美味しいものを存分に食べられないのはもの凄く悔しい。
「……ごちそうさま」
「今日も良く食べたね、ありがと」
半人前位の量しか食べてないのに、頭を撫でられて褒められるのがむず痒い。
「……部屋戻るね」
小さな胃をいっぱいにして苦しいのが落ちつくのを待ってダイニングテーブルから離れ部屋に向かった。
『雪姫のおへや』へと入った雪姫は一先ず、明日の準備をする。頭の中の時間割表を見て教科書やノートをカバンに詰めていく。そこではたと手が止まった、明日の時間割の4時間目に体育の授業が入ってる。記憶違いならうれしいんだが、雪姫の映像記憶で呼び起こした記憶はそこに意味も判断も無く、見たままの画像ファイルをコピーしただけの高解像度のデジカメ画像のようなものだ。時間割表を引っ張りだしてみても同じ内容が書いてあるだけだ。
体育の授業があるとなると問題点がいくつも出る、まず雪姫は体育の授業に出ても大丈夫なんだろうか? 1km足らずの登校途中に息が上がるほどに体力が無いし、焔邑に引っ張られて走った後には気を失った程だ。授業に出られるとすると、今度は着替えをしなければならないという問題点がでる。女子の体操服を着るというのにも抵抗はあるが、本当に問題になるのは体育の着替えとなればクラスの女子と一緒に着替えることになる。社会人の男が女子中学生の着替えに同室するのはまずいだろう。今、自分の身体になってる雪姫や風呂を一緒にした風吹貴は元はと言えば『Hidden Secrets』での持ちキャラである意味身内の話だが、クラスの女子達はそういう訳じゃない、なるべく見ないようにするつもりだが同室するだけで気まずい。
ここで1人考えていても答えは見つからない、体育に出ても大丈夫かどうかと出る場合に着ることになる体操服の用意について情報を持ってるであろう風吹貴から情報収集するしかない。意を決して部屋を出る、ボロを出さないように慎重に話を進めよう。
カチャと小さな音を立ててドアを開けるや否や、風吹貴の声が掛った。
「どうしたの、雪姫?」
食器を食器洗い機に入れていた風吹貴が手を止めて振り返り、視線を合わせる為に膝を曲げて腰を落とす。見上げなくても視線が合うのは話易いけど、子供相手にするような態度が不愉快だ、だが妹という立場上強く出られない。
「……明日、体育がある……」
不満を飲み込んで、本題を切り出す、語尾はあえて濁すが言葉を続けるのが苦手な雪姫のしゃべり方としてはそれほど違和感を感じさせないだろう。こちらの意図が通じたのか、風吹貴が手を雪姫の頭に乗せて訊ねて来た。
「体育出たいのね。ここの所、熱も出してないし大丈夫かな? でも、無理せずに辛くなったらちゃんと先生に言って休まないとダメよ。お姉ちゃんと約束できる?」
そう言って目の前からじっと見つめてきた、風吹貴の淡い鳶色の瞳が真剣でちゃんと答えないと許されない雰囲気を出している。体育は良く休むらしいが、出ることはできるらしいと分かったし、無理しないようにして体育を受けるしかないだろう、着替えの問題は今悩む訳にもいかないので、後で考えるとして風吹貴に返事しよう。風吹貴の目をしっかり見つめ返して、頷く。言葉で返しても良いだろうが、同意や否定だけなら言葉にしない方が雪姫らしいだろうという気がした。
「約束だよ、体操服は用意して置いて上げるから、他の用意して来なさい」
風吹貴は頷きの返答に納得し、雪姫の頭を一撫でして家事に戻った。雪姫も踵を返して部屋に戻る。体操服かあ、俺の脳裏に『Hidden Secrets』の設定画で見た中等部体操服のデザインを浮かべた。あの赤いジャージと赤ラインのシャツを着るのか。
部屋に戻った雪姫は、ドアに鍵を閉めて机の前の椅子に座るとパソコンを開いた。今晩はしっかりとあのMMORPG『Real Wolrd Online』を調べてみないといけない、武人と雪姫が同時にお互いのキャラクターを作ってプレイし始めた符合は単なる偶然にしてはでき過ぎている。
起動したパソコンのフロントカメラに雪姫の顔を映して顔認証をパスすると、迷わず『RWO』を立ち上げる、マウスをクリックしてポインタを動かすとそちらに向かってキャラが歩く、左クリックするとキャラが走り出す。右クリックでメニューを開くとステータスの他スケジュールや装備、履歴の確認ができる。
あれこれと操作をするが、正直言って何が面白いのかわからない、ちょっと遠くへ移動しようとすれば電車やバスあるいは自家用車等がないと所要時間の予定が1時間、2時間とか出て現実的じゃないし、公共交通機関に乗ればチマチマと金が減る。動いてたら空腹が蓄積して、走るの操作を受け付けなくなってくる。何をするにしてもチマチマと金が減るばかりで、金を増やそうとすれば仕事をして給与を貰わなきゃならないが、簡単に仕事にも就けない。
現実を良く再現しているか否かで言えば、良く再現していると言える。ゲーム自体の評価でいえば、くそゲーだ。現状維持をする為の作業でスケジュールがほぼ埋まり、スキルアップやキャリアアップなんて普通にプレイしていたらできたものじゃない。正確には全く不可能という訳ではない、優良企業就職のコネや高度な技術を学ぶ講座等を入手する事ができるようになっている。入手方法はあるが、それは制限数付きの入札方式でゲーム内通貨ではなく課金ポイントでのリアルマネートレードになって居た。良さそうなアイテムは軒並み何万十何万という課金額になって居て中学生の小遣いでは到底手が出せない物だった。
フリーメールで捨てアドを取得して、新規のキャラクターメイクを試してみる。1,000ポイントを割り振ってステータスやスキルを設定する方式で、平均より高くするにつれて極端に高いポイントを要求され、低い能力にして得られるポイントでは追いつかない。スキルも趣味レベルなら安いが、実用レベルになるとかなり高く、一流と呼ばれる水準にするのは膨大なポイントが必要になる。1,000ポイントの割振りだと何度やり直しても武人と似たり寄ったりの冴えないキャラしか作れない。
キャラクターメイク時に天賦の才や資産家の両親という課金アイテムを買うと、支払うポイント0で通常のポイント割振りで得られる上限より高い知力や運動能力を得られたり、幼少時の教育度合を高くしたりできる。だが、この課金アイテムが馬鹿みたいに高い、ステータスアップの為に市販ゲームソフト1本どころか携帯ゲーム機を丸々買える値段を要求されては、中学生の小遣いでは手が出る筈がない。
このRWOを一言で表現するなら、現実の厳しさを疑似体験するゲームだ。社会を知らない中高生が疑似体験で社会の厳しさを知るには良いゲームかもしれないが……、半年と持たずに投げ出すのが落ちだろう。だが、俺としては武人を投げ出す訳には行かない。このくそゲー、もとい『RWO』が俺と元の世界を繋ぐ唯一の糸口だし、戻ったは良いが職を失って路頭に迷ってるとか目も当てられない。逆にこのゲームを上手くやれれば、戻った時の俺の生活がランクアップしたりするんだろうか?
今この瞬間、俺にとっての現実は、この雪姫の身体で中学生をしながら魔法少女として人知れず平和を守るというゲームのような境遇で、しがない派遣社員の日野武人はゲームの中のキャラクターでしかない。
だが、それは一時的な仮初の姿で、本来のあるべき姿、回帰すべき現実は、今ゲームの中にある日野武人という健康体くらいしか取り柄がないが26年連れ添って生きてた身体であり、それを取り巻くくそゲーとも言うべき現実だ。
現実に飛び出して来たゲームの世界を脱出し、ゲームの中に封じ込められた現実を取り戻す。それが、俺の目的だ。現実になっている『Hidden Secrets』の世界と『Real World Online』の中に閉じ込められている日野武人の現実世界の間で、何が起こって武人の意識が雪姫の身体に入り込んだのか。それに何の意味があるのか、どうすれば元に戻すことができるのか? その謎を明かす手掛かりとなる情報を集めることと、いざという時に協力を求められる仲間を作ることが当面の目標になる。雪姫としての活動も大変だが、武人の現実の接点である『RWO』もおろそかにはできない。
数時間『RWO』をプレイして分かったことがある、このゲームはクォータービューでキャラが動くRPG的なインターフェイスが導入されているが、そうやってプレイヤーが手を掛けることで効率を2割ほど改善できるが、基本はスケジューリングによるブラウザゲームだ。出勤するというスケジュールを割り当てることで仕事をこなし、給与が貰えるというのが『RWO』の主要部分を担っている。RPG風の画面上の操作は、ゲーム的には重要性の低い余暇時間の使い方で、ゲーム内でカラオケに行ったり飲み会やコンパに行く等して他のプレイヤーと交流するのが主な用途だ。やっぱりこれはくそゲーじゃないかと思うが、ソーシャルゲーム・コミュニケーションゲームとしてみればこれもアリなのかも知れない。
雪姫の持っている子供用携帯はメール機能は付いてるがブラウザ機能のないものだから、自宅のこのパソコンでだけプレイしていたに違いない。そのプレイスタイルは、『RWO』では非常に効率が悪いことが攻略wikiの情報で分かった。朝の出勤時間である8時台と昼休みの12時台、退勤時間の17時台に操作することで発生する有利なイベントを取りこぼし続けていることになる。この時間帯のイベントを拾う為には、外でプレイできる環境を確保するしかない。『RWO』は幸いなことにスマートフォンでのログインと操作にも対応している、スマートフォンがあれば良いイベントを拾って『RWO』のキャリアアップ、ひいては元の世界に戻った時の豊かな暮しを実現できるかもしれない。
だが、社会人である武人の場合と違い中学生の雪姫はスマートフォンが必要だからと言って、簡単に買い換えることはできない。この飾り気のない部屋と裕福そうな天王院家の経済事情を考えるとお年玉の蓄え等で一括で本体を購入できる程度の貯金を持っているだろう。だが、金を持っていても身元が中学生の雪姫では1人で機種変更の契約をすることができない。保護者無しではできないことだらけの不自由な身分、それが中学生というものだ。
コンコン
「雪姫、お茶にしない?」
風吹貴がやって来た。時計を見ると21時半になっていた昨日も同じくらいの時間にホットチョコを届けに来ていたな。ここで開けないと変に思われるし、おねだりをするのには丁度いい状況だろう。部屋の入口にまで移動して鍵を開けドアを開いて招き入れる。
「……入って……」
扉を開けるとトレイにカップを乗せた風吹貴が入って来る。
「今日は、お姉ちゃんの特製チャイだよ、これ飲んだら歯を磨いて寝なさいよ」
そう言いながら、テーブルにカップを下ろす。カップから気持ちの安らぐ良い香りがする。チャイっていうとインド風のミルクティーか、茶葉とミルクと砂糖以外のスパイスが入ってるらしいがそれが何かを言い当てるには俺の食事経験はお粗末すぎた。
「……ありがと」
チャイを置いた風吹貴に礼を言うと部屋を出て行こうとしたので、呼びとめようとするが声を出すのが間にあわない。とっさに、風吹貴の袖の肘を細い指で掴んでいた。
「どうしたの、雪姫?」
風吹貴が振り返って訊ねてくる。『RWO』を勝利に導く鍵となるスマートフォンを手に入れる為、保護者代理である姉を抱き込むミッションを始めよう。風吹貴の袖を握ったまま、下から風吹貴の目を見上げて声を絞り出す。
「……お願いがあるの……」
反応を待つ為にそこで言葉を切り、風吹貴の顔色をうかがっていると、予想外に激しい反応が返って来た。目を潤ませ、何度も瞬きをしながら、両手で雪姫の手を取ると、これまでにない震えた声で噛みしめるように返してきた。
「どんなお願いなの? お姉ちゃんにできることならどんなことでもして上げるから、遠慮なく言って」
これほど熱く激しくそれでいて慈愛に満ちた返事は想定外だった、雪姫がお願いをするということが非常に珍しいことだったのだろうか? 腰を落として視線を合わせた風吹貴が雪姫の言葉をじっと待っている。その予想外に熱い期待の眼差しは、俺ではなく本来の雪姫に向けられたものだ。本物の妹じゃなく雪姫の皮を被った他人が、雪姫が受けるべき愛情をだまし取っている。そう思うと胸が痛んだ。これも、風吹貴達の妹を本物の雪姫を取り戻す為の1ステップなんだ、そう自分に言い聞かせて罪悪感を押し殺した。
「……スマートフォン欲しい……」
騙しているという罪悪感との葛藤がただでさえ出辛い声をいっそう弱いものにして、消え入りそうな声しか出なかった。
「いいよ、雪姫も中学生だしお友達もできたんだから、子供用携帯じゃ嫌だよね。週末にお買いもの行くときに一緒に買い換えようね。そのくらいなら遠慮しないで幾らでも言って良いよ。雪姫のためになることなら、お姉ちゃんがなんでも叶えてあげるからね」
そう言って、風吹貴は雪姫の頭を豊かな胸に掻き抱き頭を撫で回してきた。顔に当たる柔らかな胸の感触と優しく撫でられる細く柔らかい雪姫の髪の感触が気持ち良すぎて居心地が悪い。風吹貴は、雪姫にねだられることを、願いを叶えてあげることを願っていたのかも知れない。その初めてのお願いを知らずとはいえ奪ってしまったのは、雪姫と風吹貴の両方に申し訳ない気がする。
「こんなことしてたら、チャイが冷めちゃうね。それ飲んだら、早く寝なさい。体操服は玄関に用意しておいたからね」
抱いていた雪姫の頭を離した風吹貴は、そう言って一撫ですると部屋を出て言った。その顔は照れたように少し赤く染まり、目には涙がたまっていた。悪いことした気がした雪姫は部屋を出た風吹貴の背中に向けて頭を下げていた。
懸念事項が1つ片付いたし、『RWO』を切り上げることにしてチャイを一口ふくむとふわっと暖かい味が広がった。話してる間に程良く冷めていて、雪姫の猫舌でも無理なく飲むことができる。カップ片手に勉強机に向かい、『RWO』内の武人のスケジュール設定を確認してパソコンを閉じた。
チャイの香りを楽しみながらゆっくりと飲むと、ふわっとした眠気が思考をベールに包み始めた。睡魔にせき立てられ、カップを持ってキッチンに向かい歯を磨いた雪姫は、パジャマへと着替えてベッドに飛び込んだ。照明のタイマーをセットしたが、消える前にぐっすりと眠りに落ちていた。
『RWO』をプレイしての解析とそれを受けての『初めてのおねだり』回です。
リアルがゲームならそれはくそゲーだという話
活動報告に『ゲームが現実で、リアル(現実)がゲーム!?外伝1 天王院風吹貴の手記』公開中
雪姫の姉、風吹貴の視点で綴られる雪姫の過去と雪姫への思い、亡き母の事情等が読めます。




