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ゲームが現実(リアル)で、リアル(現実)がゲーム!?  作者: 日出 猛
第1章 ~起~ 俺が雪姫?!
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1話 俺が雪姫?

 作者自身の萌えるシチュエーションを追及して書かれたもので、万人受けは一切求めておりません。


 虚弱萌えや不親切設計等、一般的なVRMMOものや異世界転生ものとは違った傾向で構成されています。チートや最強といった展開がお好みの読者は他の作品をご覧ください。

「ふうっ」

 今日も変わり映えせずやりがいを感じられない生きる為だけの仕事から帰宅した。あちこちに脱ぎさしやゴミ袋が転がるワンルームの一室で、そこだけ開けたパソコン前に座り電源を入れる。

 立ち上がったパソコンからアイコンをクリックして、HMDヘッドマウントディスプレイを被る。

『Wellcome to Hidden Secrets. ようこそ、ヒドゥンシークレットの世界へ』

 HMD付属のヘッドホンから、開始のナレーションが響く。

 恋人もおらず特に親しい友人の居ない俺にとってユニークユーザー数千人どまりのマイナーなMMORPG『Hidden Secrets』だけが日々の楽しみと言える。この中には、気心の知れたフレンドも居れば変化と冒険に満ちた世界が広がっている。メインキャラのノルマを昨日でクリアした俺は、メインメニューからキャラクター切り替えをクリックし、キャラクターセレクト画面を呼び出した。ホイールを回すと正面にフォーカスされるキャラクターがくるくると切り替わる。キャラを選んでクリックする。

「こいつらは良いよなぁー」

 日々の退屈な暮しへの不満が、簡単に理想が実現するゲームキャラへの羨望となってこぼれ出た。




 一瞬めまいを覚えた後、ゆっくりと目を開いた俺の目に、緑の並木が照明に映えるメインタウンの中央広場の光景が広がる。ログイン時のルーチンワークで、広場中心のフードスタンドへと足を向ける。

 はっはと白い息を吐きながら小走りに黄色いトラックへと向かう。ほんの30mばかりの距離が思うように縮まらず15秒程掛ってフードスタンドの移動店舗になっているトラックの照明の下に入る、視界の上隅にちらちらと淡い色の前髪が揺れる。

「……ん?」

 脳裏に疑問符が浮かぶが、そこに掛けられた女性の声に思考を中断させられた。

「いらっしゃい、いつもの(・・・・)で良い?」


 Hidden Secretsでは、フードスタンドで飲食したり、喫煙することでストレス値を下げコンディションを良好に保つことができる。繰り返し同じメニューをオーダーすると『いつもの』オーダーとして登録され効果がアップする機能がある。店員のNPCの反応に違和感を感じつつうなずくことで肯定すると、赤いラインの帽子とエプロンが似合う店員は営業スマイルを浮かべた顔を引っ込め商品を用意し始める。ものの1分程でできあがった商品を手に、カウンターに笑顔と共に戻って来る。その間に少し荒くなっていた呼吸もすっかり落ち着いてる。

「はい、いつものストロベリーカスタードクレープ、350円よ」


 そう言われて支払処理をしようと右手を動かすが、手に馴染んだ多機能マウスの感触はなくシンプルな持手の感触とちょっと重い荷重しか感じない。慌てて視線を右手に送ると茶色の学生鞄を下げた成人男性の物ではありえない白く小さな右手が視界に入る。鞄をぶら下げたまま俺の意思通り胸元まで引き上げられた小さなな手は、白いシャツと紺色のブレザーの袖に包まれていた。白魚の指っていうありきたりな表現は、この指に使うべきなんだろうと思える節のない白く細い指、指先には桜色の爪が綺麗に整えられていた。

 これが俺の手? なぜ? そんな思考が横やりによって中断された。

「ボーっとしてどうしたの? クレープ冷めちゃうよ」

 気心知れた常連への対応という感じの軽い調子で笑顔と共に掛けられた言葉だが、思考が麻痺していた俺は慌ててしまう。

 持ち上げていた右手でポケットを探ろうと右の腿に触れる。細い指先に触れる布の感触越しに、細くそれでも柔らかいふとももの感触が伝わって来る。だが、肝心の財布の感触はない。左手で左の前を叩きながら、右手をお尻に回す。筋肉質の男の尻とは違う柔らかな弾力が指先に伝わる。

 ない、ない、ない。軽いパニックになりながら両手でポケットのありそうな所をまさぐっていく。両ふともも、お尻、上着の腰、そして胸。慌てて叩くように胸に触った瞬間、ちくんと胸に痛みが走った。走った刺激に手を止め、あらためておそるおそるそっと胸に触れると、数枚の布越しに柔らかい感触が返って来る。確かめようとゆっくり指先を折り曲げると鈍い痛みを感じる。事態が飲み込めずにパニックが深まりかけた所に、救いの声が聞こえた。


「カバンでしょ」

 声の出所に向かい俯いていた顔を勢いよくあげると、頭の後ろで何か揺れる感触がした。女性店員に顔を向けると微かに呆れを含んだ笑みを浮かべて、改めて言ってくる。

「いつもカバンのポケットから出してたじゃない、お財布。今日はどうしたの?」

 その言葉を聞いてカバンのポケットを開けると、パステルブルーの可愛らしい財布が出てきたので、中身をパッと確認すると500円玉を1つ取り出した。俺の記憶より2回り程大きく感じる500円玉をカウンターの店員に差し出した。

「はい、ありがとうございます。500円のお預かりになります」

 ほがらかな声で答えた店員はカウンターから上半身を乗り出すようにして500円玉を受け取りながら、クレープを手渡してくれた。焼き立てのクレープは包装越しでも暖かい。

「おつり150円になります。また来てね」

 そう言って笑顔でお釣りを乗せてくれた手は俺の手より一回りは大きく。十分白い店員の手よりずっと俺の手は白かった。


 事態が飲み込めない俺は、お釣りをブレザーのポケットに突っ込むと足元に置いたカバンを拾って近くのベンチに座った。理解しがたい状況を整理する情報を得る為に、同時に単純に情報を処理して回転し続けた脳の求めに応じて、手にしたクレープにかぶりついた。

 一口かじりついた瞬間、舌先に触れる薄いクレープ生地の感触、噛みきる歯ごたえ、カスタードといちごジャムの香りが口内に広がり、微かな酸味と一緒にゆたかな甘味が舌をとろかせる。これまで感じたことのない幸福感に満たされる甘味に夢中になって食べ続ける。小さな口でかぶり付いて噛みきったクレープをはむはむと噛む。普通サイズのクレープだが、一口が小さいせいで時間が掛り食べ終わる頃にはすっかり冷めきっていたが、いちごジャムとカスタードのクレープは冷たくても十分に美味しく、腹を十分に満たしてくれた。



 人心地ついた俺は状況を整理する。

 俺の名前は、日野 武人(ひの たけと)、三流大学を出てゲームクリエーターになりそこね派遣会社に勤めるさえない26歳、趣味はゲームを中心にアニメや漫画、ラノベ等インドアオタク系まっしぐらで彼女居ない歴=年齢、もちろん男だ。

 だが、カバンの中から取り出した鏡に映ってるのは、青味がかった銀髪を後頭部で2本の縦ロールに結った碧眼の美少女だ、肌は抜けるように白く北欧系の白人を思わせるパーツだが、パーツの配置は日本的なバランスで白人と日本人の良いとこどりした愛らしい顔立ちは、幼さが先行して小学生にはみえても高校生以上には見えないだろう。着ているブレザーは左前の女子制服の物で、その下はカッターシャツでなく女子用のブラウス、ボトムはズボンではなくチェック柄のプリーツスカートだ。

 ブレザーの内ポケットの中に入っていた生徒手帳に鏡に映る美少女と同じ顔の写真が貼られており、名前は天王院 雪姫(てんのういん ゆき)、私立夢翔学園中等部2年B組と書かれていた。

 私立夢翔学園という名前と、鏡の中の美少女が着ている制服には見覚えがある。この1年余り夢破れた俺の暮しを慰めてくれていたMMORPG『Hidden Secrets』で未成年キャラクターの受け皿として用意された初等部から大学部までを有する巨大学園の名であり、その中等部の女子制服だ。

 そして天王院雪姫という名にも覚えがあるし、鏡に映る顔にも覚えがある。何故なら、その名は俺が自分のキャラに名づけた名で、その顔は俺がキャラクターグラフィックとしてデザインした物だから。ただ、グラフィックと鏡に映る顔は全く同じというわけではない。大きくて(うる)んだ瞳に長いまつ毛と細くくっきりした眉、鼻筋の通った小さな鼻、小さく薄い唇、細い顎、言葉で表すと同じだが3Dアニメーションと生きた人間の差が見てとれる。

 しがないサラリーマンの俺が自分の扱うゲームのキャラクターそっくりの女の子になって居るんだ。自分でも信じられず、白く細い指で頬をつまむ。指先にしっとりとして肌理(きめ)の細かい柔らかな肌の感触を感じながら思い切って引っ張りひねる。

「いたっ」

 こらえ切れない痛みで小さな声が漏れた。自分の声とは思えない高く澄んだ声が聞こえた。信じ切れずに、もう一度声を出して確かめる。

「あー、あー。あえいうえおあお。あーーー」

 出る声はかなり高い声で透き通った綺麗な声だ。がんばって低い声を出そうとしても女性の高音域位までしか下げられないし、あまり大きな声が出せそうにない。


 今の状態は分かった。何が起こってるか仮説を立てて検討してみよう。

 前提1:俺は自身を社会人の日野武人だと認識している。

 前提2:俺の姿はゲームキャラクター天王院雪姫そっくりになっている。

 前提3:服装持ち物は天王院雪姫のものである。

 前提4:俺はこの身体で視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、痛覚、体性感覚も感じられる。

 前提5:俺には天王院雪姫としての記憶(但しゲーム内の物は除く)は一切ない。

 前提6:視界内の広場はゲームのエリアだが広くなっている。

 前提7:俺がプレイしていたMMORPG『Hidden Secrets』はリアビューの3DMMOで視覚・聴覚しかサポートしていない

 前提8:俺の記憶・意識以外に日野武人と証明する品は何もない


 仮説1:これは『Hidden Secrets』の中で大幅にアップグレードされた結果全感覚VRMMOに進化した。

 仮説2:これは『Hidden Secrets』をやりすぎた日野武人の見ている夢の中である。

 仮説3:何かの事情で未来に来てしまった俺は未来で進化した『Hidden Secrets』にログインした状態で覚醒した。

 仮説4:『Hidden Secrets』によく似た世界に持ちキャラの雪姫の姿で取り込まれた。

 仮説5:雪姫は俺の生まれ変わりで、突如前世の俺の記憶と人格に目覚めた。

 仮説6:俺は解離性人格障害である雪姫の中に生まれた別人格でしかない。

 仮説7:俺の人格も天王院雪姫という痛い名前もこの少女が生み出した思春期妄想の産物で制服や生徒手帳も精巧なコスプレだ。


 説明できそうな現象を、これまで読んで来た漫画や小説、ゲームクリエーターになろうと齧ってきたいろんな知識から組み立ててみた。仮説の順番は俺として望ましい順番だ。順番に検討してみよう。


 まずは仮説1だ。これが五感全てを再現した全感覚VRMMOだということだが、正直これはそうであってくれればという願望だけで、可能性は薄いと思っている。これがVRMMOなら気安く楽しめるし、ログアウトすれば元の暮しに戻れるんだから願ったりかなったりだ。

 だが、そもそもVRMMOが実現した実現間近という話は聞いたことが無い、一部の匂いを再現する技術や脳波で直接動かす機械は研究レベルで実現されているが味覚や触覚をリアルに再現することもできないし、これだけの五感情報を構築するのは無理だろう。

 だが、そうであって欲しいという一縷(いちる)の望みを賭けて、ログアウトを試みる。まずは、慣れ親しんだ『Hidden Secrets』の手順をイメージして右手に握った多機能マウスでメニュー呼び出しログアウトを行うが当然反応なし。どう意識しても動かせるのは雪姫の華奢な手だけ。元の手順を諦め、アニメやノベルで見たVRMMOの手順を真似てみるメニュー呼び出しを意識して目の前の仮想メニュー画面を操作するつもりであれやこれやと動かしてみるが全く反応なし。

「メニューオープン」

 音声認識を考えて自分の物とは思えない細く高い声を上げる。あまり声を出すのに慣れてないのか、しっかり声を出そうと思っても出る声はか細い。俺は、日野武人の時は一人暮らしということもあってテレビに突っ込み入れたり独り言を口にする癖があったんだが、この姿になってから普段なら口をついて出るだろう言葉も頭の中だけの思考で終わり言葉にならない。ちょっと呟こうとした程度の言葉も口をついて出てこず、けっこう強い意識をしないと声にならなくなっている。これがVRMMOなら行動にフィルタが掛ってるっていうことになるんだろう。

 そんなことを考えながら思いついた何通りものコマンドを試してみたが何の反応もなし。これがVRMMMOであったとしてもメニューは凍結されてログアウトできないのかも知れない。俺が操作を分かってないだけという可能性もあるが、それは他のプレイヤーに会えたら聞いてみるしかないな。


 仮説2の検討に入ろう。これは俺が見ている夢だという話だ。出てきてる情報は俺の知ってる内容だし、全感覚VRMMOの実現という夢(願望)は俺の中にあったんで、ありえない話ではないと思う。自身でこれは夢だと実感できる夢を明晰夢(めいせきむ)というが、それであれば説明はつかなくもない。ただ、夢にしてはあまりにも感覚が生々しすぎるし、このなめらかな肌や頭に垂れる二本のロール髪の感触、こんな感触に記憶はないし、何度つねっても痛いだけで目は覚めない。

 何より夢ではないと思えるのは、俺の夢なら雪姫になってる筈がないからだ。『Hidden Secrets』は、月単位の成長速度にセーブが掛っていて、スキルを上げる程必要経験値が増える仕掛けで月毎に増加がリセットされる。半月動かしたらもう半月頑張っても2割増し程度にしか成長しない。そんな訳で2キャラ3キャラ機能別で使い分けるのは当たり前になっていて、同一アカウントで複数PCを使い分けるための切り替え機能もサポートされている。多分にもれず俺もそういうプレイをしていて、メインキャラは別に居る。雪姫はメインキャラで使えないアイテムを使ってみる為に作ったただのマスコット的なサブキャラでしかない。プレイ時間も5倍以上開きがあり、壮大な『Hidden Secrets』の夢を見るならメインキャラで見るだろう。

 もし仮に、実は俺にTSだの男の娘だのと言われるような女性化願望があったとしても、それでも選ぶのは雪姫にはならないはずだ。雪の3倍は親しんでいる2ndの生産職の女性キャラが居るんだ。

 いろんな漫画や小説、アニメを見る中で男が女になるような話もいくつかは目を通してきたが、身体が変わって物の見方や人間関係に変化が生じたり、慣れた身体や戦術と異なる別の身体になることで生じるトラブルといった要素が物語上に占める役割としては面白いと思うが、それだけを主題にした話とかはあまり興味を持てなかった。俺に女性化に関する願望はないと思う。


 仮説3の未来のVRMMOだ。荒唐無稽に見えなくもないが、いくつかの条件が重なればありえないとは言い切れないと思う。タイムスリップしたというのには無理があるが。事故か何かで負傷し、現在の技術で治療が不可能と判断された俺が事故の補償で冷凍睡眠でもされて技術の進歩した未来で凍結解除され治療を受け、覚醒の為のリハビリか何かで凍結前に行っていた『Hidden Secrets』を再現した仮想空間内で覚醒した。

 冷凍睡眠は解凍が完全にできるかに不安があるが実現しているし、遠くない未来には全感覚VRは実現されるだろうからありえないとは言い切れない。確率的に何回も連続で宝くじの一等をとる位に幸運に恵まれないと無理だろうという気はするが。次の仮説よりはまだ現実的だろう。


 仮説4は、『Hidden Secrets』に似た世界に雪姫の姿で囚われているという仮定で、並行世界とか電脳世界に元々存在した世界を元に『Hidden Secrets』が造られたのか、何者かが『Hidden Secrets』をモデルに世界を構築したのかは分からないが、そういう世界が存在しそこに居る雪姫の身体に俺の意識が取り込まれてるというもの。

 自分で言っててもかなり荒唐無稽な話だと思う、世にMMORPGなんて何十タイトルもあるのによりによってマイナーな部類に属する『Hidden Secrets』なのか、並行世界だか電脳世界だか知らないがそんな世界に俺の意識だけ取り込まれているというのもフィクションではありがちだが我が身に起こったこととしてにわかには信じがたい。だが、まだこの仮説に救いはある日野武人という俺は確かに存在し、起こった現象と同等の現象で元に戻れる可能性もあるからだ。

 そうか、この世界とこの身体が元から存在したのなら、俺の身体にこの雪姫の精神が入ってる可能性もあるのか。確かめる術はないが。中学生の女の子がいきなり一人暮らしの社会人になってたら相当困るだろうが、今のところどうしようもない。


 仮説5は、俺がこの雪姫の前世だというもの。前世とか中二病の典型的なネタだが、チベットのダライラマの生まれ変わり等それなりに真面目な所で語られている話なんで、稀な話としてありえる事なのかも知れない。人間の記憶をデータ、人格をプログラムだと仮定し、脳を記録媒体と見れば、何かのプロセスでデータの転写が起きれば新しい身体に記憶、人格が宿ることも考えられる。俺には今日までの雪姫としての生活の記憶はないし、この身体にも違和感しか感じないから転生だとすれば今まで前世の記憶人格は凍結されていたんだろう。

 この仮説が正しければ、日野武人という俺は確かに存在した(・・)ことにはなるんだろうが、俺はもう死んでいて戻れないことになる。俺はこの雪姫という少女の身体でこれから生きつづけるか、本来の雪姫を目覚めさせて明け渡すしかないことになる。明け渡した時、俺は再び眠りにつくのか、消えてしまうのか、雪姫の一部に溶け込むのかは分からないが。


 仮説6は、俺が雪姫の別人格だという物。解離性人格障害、解離性同一性障害というのが正式だったかな? いわゆる多重人格という現象だ。記憶を共有してる場合もあるらしいが、人格間で記憶が独立してることもあるし、女の身体に男の人格が宿ったり、別人格が主張する年齢が身体と大きく異なることもあるらしい。人の脳と心の神秘の領域の話で、仮説3,4,5よりはよっぽど現実に起こりえる内容だ。

 これが他人ごとであってくれれば、この説を第1に真相として推していた。だが、これは日野武人であると自認する俺としては受け入れがたい話だ。正しくこの世に存在するのは天王院雪姫という少女だけで、日野武人という男は何処にもいない、少女の心が生み出した仮初の存在でしかないことになるから。


 仮説7、正直これだけは勘弁してほしい。この俺が鏡に映る少女の生み出した妄想の産物であり、26歳男の日野武人でないだけでなく、この姿として認識している天王院雪姫でもない。中二病的な妄想で自分のことを男だと思いこむ痛々しい少女だというのは受け入れたくない。これに比べれば、人格障害の副人格や前世の方がまだましだ。

 だが、この仮説にはかなり無理がある、天王院雪姫が本名でもコスプレでもこの少女としての記憶も何もない。自宅や学校等に関わる記憶がないとなると、記憶障害を起こしてるのか? それとも行き過ぎた思春期の妄想が現実を受け入れることを拒んでる……。


 そこまで考察を進めた所でぞくっと寒気がして身震いする。小さな手で細い肩を抱きしめる。気付くと微かに歯がカチカチと打ち合わされてている。肩を抱いていた手を頬に這わせるきめ細かく滑らかな肌がすっかりと冷え切っていた。

「さむい……」

 北国の大学で過ごして来た俺は寒さには強い方だった、少なくとも俺はそう記憶している。だが、この身体はすっかり冷え切っていたようだ。身体が小さい分冷えるのが早いんだろうか? 本当なら自宅に帰って暖まるのが一番良いのだろうが、何処か分からない。俺にはこの身体の雪姫としての記憶がないから。店に入ることもも考えたが、制服姿の中学生1人じゃ19時には追い出されるだろう。広場の時計台は午後6時半を指している。考えていても仕方がないので一先ず暖かい飲み物でも飲もうと自販機へ向かう。


 広場の一角に並んだ3台の自販機の前に立つとちょっと圧迫感を感じる。俺の記憶の中では、目線は三段組みの商品ディスプレイの上段位だったはずが、今は下段と中段の境目位の目線になる。この感覚の違いは仮説6,7という望ましくない仮説を否定する材料になる筈だ。一歩下がって商品を見る、下がらないと上段の商品が見えないが、この位置からだと今度はボタンに手が届かない。身体を温める為にホットコーヒーを選ぶ、普段ならブラックにする所だが冷えた身体にカロリーを補給する為に微糖コーヒーに決める。微糖といっても普通の缶コーヒーより少ないというだけで、意外と多くの砂糖が入ってるから、身体を温めるには良いだろう。


 半歩自販機に近づくと、クレープのお釣りで貰った150円をブレザーのポケットから取り出して自販機に投入し、さっき選らんだ微糖ブラックコーヒーのボタンを押す。ガコンと音がして商品が受け取り口に落ちるとチャリンチャリンチャリンと3枚の硬貨が釣銭口に落ちる。

 釣銭口から30円を回収しポケットに入れ、受け取り口の中の缶コーヒーを手で探る。触れた缶は思った以上に熱かった。さっき財布を探してまさぐっていた時、スカートのポケットに布のような物が入ってたのを思い出し手を入れると雪だるまのワンポイントが付いた可愛いハンカチが出てきた。素手で持つには熱すぎる缶をハンカチで包んで取り出す、200ccの小型缶が意外にずっしりと太く感じるなと思いながら、プルタブを押し上げて口を開ける。


「……ん?」

 思ったよりもプルタブが固くて開かない。そんな馬鹿なと思いながら、缶を持ち直してしっかりと指をプルタブに掛けて引き上げるが固い、引っ張る指の方が痛くなる。なんとか缶を開けようと左手で缶をしっかりと掴み直し、起こしたプルタブに細い指を2本かけて引っ張ってみる。横にかかる力を左手が支えきれない。どれだけ非力なんだこの身体。

 俺は『Hidden Secrets』でサブキャラクターとして作成した天王院雪姫というキャラクターが、ゲーム開始から1年弱たって解析が進んできた中、色もの的なコンセプトに最適化して作成したキャラだったことを思い出す。戦闘職の根幹になる筋力体力系が最低値で知力や感覚、敏捷等に特化している。この身体がそのステータス通りだとすれば、筋力は中学生女子どころか幼児並みということになる。元に戻るまで、下手すれば一生、こんな身体で暮して行くのか? 先が不安になり肩を落とした。


「雪姫、何してるんだ? こんな所で」

 よく響く力強いバリトンの声が優しく頭上から降って来ると、大きな暖かい手が優しく頭に乗せられる。

「なんだ、缶が開かないのか? 貸してみな」

 そういって、肩越しに伸びてきたライダースーツの右手が手にしていた缶コーヒーを摘みあげると器用に片手で開けるといった。

「缶コーヒー? それもブラック、大丈夫か?」

 不思議そうなそれでいて優しい声で尋ねながら缶コーヒーを返して来たので、ハンカチで包んで受け取りつつ声の主の方を振りかえる。そこには信じられない男が立っていた。


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