婚約破棄されたので、指輪の魔法は「あなたを忘れる」に使います ~前世は魔道具鑑定士、一度きりの奇跡は自分のために使わせていただきます~
「エルナ・フォン・ラングフェルト。お前との婚約を破棄する!」
王立魔法学園、卒業パーティーの夜。
きらびやかなシャンデリアの下、婚約者であるロイド・グレンヴィルは、大勢の貴族たちを前に高らかに宣言した。
「お前のような愛想のない女は不要だ。俺は――真実の愛を見つけた」
彼の隣には、亜麻色の巻き毛をした男爵令嬢ミアが、潤んだ瞳でしなだれかかっている。
(真実の愛、ねえ)
わたし――エルナは、翠玉の瞳を細めた。表情ひとつ動かさずに。
(そのわりに、ずいぶんと打算的な顔をしているけれど)
会場がざわめく。かわいそうに、氷の令嬢がついに捨てられた。そんな囁きが波紋のように広がっていく。
でも、残念ね。
わたしは前世で、日本のアンティーク鑑定士だった。事故で命を落とし、この世界へ転生した記憶を持っている。
ものの真贋を見抜くのが、わたしの仕事だった。
そして今世でも――魔道具鑑定を独学で極め、貴族御用達の凄腕鑑定士として、密かに名を馳せている。在野の、ね。
つまり。
(あなたたちが結んだ『偽物の愛』も、とっくに見抜いているのよ)
「なにか言うことはないのか、エルナ」
ロイドが勝ち誇ったように顎を上げる。
わたしは、静かに口を開いた。
「……そう。わかったわ」
それだけ。
ロイドの顔が、わずかに引きつった。もっと取り乱すと思っていたのだろう。泣きすがるとでも。
(あいにく、あなたに使う涙は、一滴も持ち合わせていないの)
◇
「ふん。強がりか」
ロイドの視線が、わたしの左手に落ちる。
そこには、母の形見の古びた指輪。くすんだ金の台座に、曇った石。
「その安物の指輪も、身の程をわきまえろ。みすぼらしい。まるでお前のようだ」
会場に、くすくすと嘲笑が漏れる。
(安物……?)
わたしは内心で、深々とため息をついた。
(これ、国宝級なんだけど。『一度きりの魔法を宿す指輪』よ。所有者の心から望む願いを、たった一度だけ叶える伝説の魔道具)
(あんた、鑑定スキルEランクでしょ。曇った石とガラクタの区別もつかないの?)
ミアが、かわいらしく小首をかしげて追い打ちをかける。
「そんな古びた指輪で、何ができるの?」
無垢を装った、勝ち誇りの声。
聖属性ギフト持ちの、か弱い聖女様。その希少なギフトを盾に、周囲を味方につけてきた。
(善の象徴たる聖属性で、よくもまあ悪事に手を染められるものね)
わたしは知っている。
この二人が、婚約破棄という舞台の裏で、本当は何を狙っているのかを。
わが実家ラングフェルト子爵家が有する――『魔泉の鉱脈』。
この国でも稀少な、高純度の魔力が湧き出る宝の泉。
ロイドとミアは、それを横領するために、不正な魔力契約を結んでいた。
わたしとの婚約は、鉱脈に近づくための足がかりに過ぎなかった。
(知っていたわよ。ずっと前から)
だから、わたしは冷淡でいた。あえて、泳がせていた。
証拠を集めるために。
そして――今夜、すべてが揃った。
◇
「ねえ、ロイド」
わたしは初めて、自分から彼の名を呼んだ。
会場が静まり返る。
「わたしがなぜ、あなたに冷たかったか、わかる?」
「……なんだと?」
「愛せなかったからよ。あなたのことを、一度も」
ロイドの顔が、みるみる赤くなる。
「な……っ、生意気な!」
「でも、ずっと悩んでいたことがあるの」
わたしは左手の指輪に、そっと右手を添えた。
「この指輪の、一度きりの魔法。何に使うべきかって」
周囲がどよめく。まさか、あの伝説の魔道具を――
「エルナ様、まさか」ミアが目を見張る。「ロイド様の心を、取り戻すおつもり? そんな無駄なことを?」
ああ、そう思うのね。
未練がましい女が、最後の悪あがきをするのだと。
ロイドまでもが、憐れむように鼻を鳴らした。
「哀れだな、エルナ。だが無駄だ。俺の心はもうミアのものだ」
(……本っ当に、おめでたい頭ね)
わたしは、ゆっくりと微笑んだ。
この夜、初めて。
「もう我慢しない」
静かに、けれどはっきりと。
「この一度きりの魔法。ずっと悩んでいたけれど――決めたわ」
指輪が、淡く輝きはじめる。
「そんな古びた指輪で何ができるの、ですって?」
わたしは、ミアの言葉を静かに返した。
「今から、教えてあげる」
◇
わたしは指輪に、心から願った。
「――『わたしの中の、あなたへの想いをすべて忘れさせて』」
瞬間。
まばゆい光が、指輪から弾けた。
会場中を白く染めるほどの、荘厳な輝き。
「なっ……!」ロイドが腕で顔を庇う。
「これは、本物の……!」ミアの声が震えた。
(そう。本物よ。国宝級の、正真正銘の伝説の魔道具)
そして――ここからが本番。
(あなたたちは、大きな勘違いをしているの)
わたしが願ったのは「忘れる魔法」。
ロイドへの、報われない想いを断ち切るための。
でも、この指輪の真価は、鑑定士のわたしだけが知っていた。
前世の知識と、今世で磨いた鑑定眼。その二つが交わって、わたしはこの魔道具の“隠された構造”に気づいていた。
(願いを叶える。そしてその反動として――対象との『魔力契約の痕跡』を、すべて可視化し、記録する)
「忘れる」とは、すなわち「契約を断ち切る」こと。
わたしとロイドを結んでいた婚約という魔力契約。
(それを断ち切った瞬間、契約に紐づいたすべての魔力痕が――連鎖して、暴かれる)
「な、なんだ、この光は……!」
ロイドの足元、会場中央の魔法陣が、めらめらと輝きはじめた。
光の文字が、宙に浮かび上がっていく。
それは、契約書。
『ラングフェルト家魔泉鉱脈・所有権譲渡に関する密約』
署名――ロイド・グレンヴィル。ミア・レーヴェンツァール。
横領の、動かぬ証拠。
「……あなたたちの、署名つきでね」
会場が、凍りついた。
◇
「ち、違う! これは……!」
ロイドが青ざめて、光の契約書を掻き消そうとする。だが魔法陣に刻まれた記録は、彼の手をすり抜けるばかり。
「そんな……なんで、なんでこんなものが……!」ミアが崩れ落ちる。愛らしい仮面が、ぐしゃりと剥がれ落ちた。
そのとき。
会場の奥から、静かな足音が響いた。
漆黒の髪、鋭利な紫紺の瞳。
『氷の王太子』と恐れられる、レオンハルト・アルデバラン殿下。
人垣が、波のように割れる。
殿下は浮かび上がった契約書を一瞥し、冷ややかに告げた。
「――魔泉鉱脈の横領。国家反逆に等しい重罪だ」
「殿下っ、これは誤解で……!」
「魔力痕は偽装できん。契約時の術式署名まで、克明に残っている」
殿下が指を鳴らすと、衛兵たちがロイドとミアを取り囲んだ。
「連れて行け」
「待って、待ってください! わたしは聖属性の……!」
ミアの叫びも、むなしく引きずられて消えていく。
ロイドは最後に、信じられないという顔でわたしを見た。
「エルナ、お前……鑑定士だと……? そんな価値が……」
「今さらね」
わたしは、静かに背を向けた。
「……失ってから気づいても、もう遅いのよ」
ざわめきの中、殿下がわたしの前に歩み寄る。
そして、あの冷酷無比と噂される王太子が――なぜか、少し早口になった。
「エルナ嬢。あなたの指輪、素晴らしい。二重構造の術式反動を利用した契約痕の可視化。私は長年こんな精緻な魔道具を見たことがない。あの発動の理論構成は――」
「あの、殿下……?」
はっと殿下が我に返り、こほんと咳払いをした。
そして、ほんの少し、視線を泳がせて。
「……あと、あなた自身も。素晴らしい」
(え。今、何て?)
さすがのわたしも、一瞬、鑑定を誤りそうになった。
◇
騒然とした会場を離れ、わたしは静かなバルコニーに出た。
夜風が、火照った頬を冷やしていく。
背後に、控えめな足音。栗色の髪をきっちり結った、侍女のヨナ。
わたしの裏の顔――在野の鑑定士としての活動を、唯一知る協力者。
「お見事でした、お嬢様」
彼女は深々と頭を下げ、それからぽろりと本音を漏らした。
「あの方々、鑑定書一枚まともに読めないのに、よくもまあ、あそこまで偉そうにできたものですね」
「ふふ。ヨナ、それは言い過ぎよ」
「事実です」
きっぱり言い切る彼女に、わたしは思わず笑ってしまった。
長い夜だった。
泳がせて、耐えて、証拠を集めて。誰にも言えず、ただ冷たい女と侮られて。
でも、終わったのだ。
わたしは、夜空に浮かぶ月を見上げた。
左手の指輪は、もう魔力を使い果たし、ただの古びた金属に戻っている。
それでも――母の形見であることに、変わりはない。
そっと、モノローグを落とす。ゆっくりと、静かに。
「一度きりの魔法」
「世界を救うでも、富を得るでもなく」
「わたしはただ――報われない恋を捨てて、自由になるために使った」
風が、銀灰色の髪を揺らす。
「……悪くない使い道でしょう?」
ヨナが、そっと目元を拭った。
「ええ。最高の使い道でございます、お嬢様」
◇
「――ここにいたのか」
振り返ると、バルコニーの入り口に、レオンハルト殿下が立っていた。
ヨナが心得たように一礼し、静かに下がっていく。
二人きり。
「殿下。此度は、お手を煩わせました」
「礼には及ばない。むしろ礼を言うのは私のほうだ」
殿下は月光の下、いつもの冷たい仮面を――少しだけ、ゆるめた。
「エルナ嬢。実は、以前から一人の鑑定士の仕事を、ずっと追っていた」
「……鑑定士、ですか」
「匿名で提出される鑑定書だ。独自の理論に裏打ちされた、明晰きわまる分析眼。私はその者に、長年、心を奪われていた」
わたしの鼓動が、わずかに跳ねた。
まさか。
「殿下、それはもしや」
「今夜、確信した」
殿下は、懐から小さな箱を取り出した。
ふたを開けると――そこには、澄んだ光を宿す、新たな指輪。
見ただけでわかる。これもまた、相当な業物。
(うわ、いい魔道具……って、そうじゃなくて)
殿下は、あの冷酷無比の王太子が、ぎこちなく、けれどまっすぐに、わたしの目を見た。
「あなたの一度きりの魔法は、もう使ってしまった。だが」
すっと、指輪を差し出す。
「では次の魔法は――私と結ぶ契約に使ってみませんか」
夜風が、二人の間を静かに抜けていく。
わたしは、翠玉の瞳で、その指輪をじっと見つめた。
それから、久しぶりに――心から、微笑んだ。
「殿下。ひとつ、鑑定させていただいても?」
「……鑑定を?」
「ええ。この求婚が、本物かどうか。わたし、偽物を見抜くのが得意なんです」
殿下が、ふっと目を細める。氷が溶けるように。
「では、とくとご覧あれ。鑑定士殿」
報われない恋を捨てた指に、新しい光が触れる。
一度きりの魔法は、自分のために使った。
そして次の魔法は――きっと、二人のために。
(悪くない使い道、でしょう?)
*
【番外編・予告】
氷の王太子は、なぜ匿名の鑑定書に恋をしたのか。
早口でオタク語りが止まらなくなる王太子殿下の、ポンコツで一途な片想いの日々――彼視点で、いずれ。




