表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/11

第7話

「クラリス様、ご機嫌ですね♡」


マリアの声に、クラリスは足を止めずに応じた。


「ふふ……そうね」


横顔だけで微笑み返す。

その仕草ひとつで、侍女はすぐ察した。


「第二王子殿下に、会いに行かれるのですよね」


クラリスは、否定も肯定もせず、ただ微笑を深めた。


婚約が公になって以降、王宮の空気は微妙に変わった。

王太子の婚約は新興貴族に喝采をもたらしたが、

その反動として――旧貴族たちは、はっきりとルシアン側に安堵の色を見せている。


(当然ですわ。――貴族とは、そういう生き物ですもの)


第二王子の婚約者が姿を見せないなど、

殿下に余計な“隙”を与える行為にほかならない。


だが、クラリスにとっては――


(ふふ……ルシアン殿下。

今日もどんなお顔をしていらっしゃるのかしら)


ただ、それだけの理由だった。


深紅のドレスの裾が、王宮の回廊を静かに撫でていく。

門衛も侍従も、彼女を止めない。

元・王太子妃候補であり、現・第二王子の婚約者――

それだけで、通行証は十分すぎた。


(まさか、こんな気軽な気分で、王宮を訪れる日が来るなんて……)


足取りは自然と弾み、石床に落ちる音さえ楽しげだ。


(わたくしが訪ねたら、きっと喜んでくださるわよね。

あの少し照れた顔……ふふ)


謁見室に足を踏み入れた瞬間。

クラリスは、微笑みを崩さぬまま、内心で首を傾げた。


「……」


そこに立つルシアンは、きちんとしている。

侍従が整えたであろう礼装は、寸法も色味も正確。

非の打ち所はない。


――だが。


(悪くはないけど……)


「ごきげんよう、ルシアン殿下」


「来てくれたのか。最近は慌ただしくてね」


「ええ。婚約者が様子を見に来るのは、当然でしょう?」


言葉は柔らかい。

だが視線は容赦なく、全身をなぞる。

肩線、襟元、袖口、靴先。

どれも“規定通り”。


微笑みを貼り付けたまま、心の中で小さく舌打ちする。

(……相変わらず融通が利きませんのね。

以前あれほど、殿下には“似合う装いを”と申し上げたのに)


婚約前、クラリスは侍従たちに何度も釘を刺していた。

殿下の立場と気質に合わせて繕え、と。


「……何か、気になる点が?」


「さすが殿下。ご理解が早くていらっしゃること」


扇を閉じ、にこやかに首を傾げる。


「?」


「デート、なさいません?」


「……デート?」


「ええ。買い物も兼ねて」


相談ではない。

選択肢でもない。

“そう決まっている”という声音。


「殿下、今のお召し物は悪くありませんの」


一拍置き、柔らかく――しかし逃げ道なく続ける。


「ですが――わたくしなら、もっと素敵に仕上げて差し上げられますわ」


拒否権は、最初から提示されていない。


ルシアンは一瞬だけ視線を逸らし、

それから短く息を吐いた。


「……分かった。付き合おう」


クラリスは満足げに微笑み、腕を差し出す。


(うふふ……誰かと違って、素直なところも本当に素敵♡)


――同じ頃。


王太子の執務室では、目に見えない歪みが積もっていた。


書類は遅れ、印章は滞り、報告は噛み合わない。

新興貴族たちは理想を語るが、誰も実務を整えない。


「……なぜだ」


机に手をつき、王太子は眉を寄せる。


(以前は……こんなことはなかったはずだ)


決定的な“欠落”に、まだ名前は付けられない。

だが、違和感だけは確かに胸に残る。


「アリアナは……戦力にならない。

 悪気はないのは分かっている。

 だが……それでは困るんだ」


言い切ったはずの言葉の奥に、

自分でも整理しきれない苛立ちが沈んでいた。


苛立ちの中で、ひとつの影が脳裏をよぎった。


「……クラリス……?」


思い至った瞬間、王太子は立ち上がっていた。


回廊で、深紅の背に追いつく。


「クラリス!」


呼び止める声には、焦りが混じっていた。


振り返った彼女の表情は、驚くほど穏やかだった。


「まあ。王太子殿下。何か?」


「……最近、政務が思うように進まない」


声は低く、苛立ちを隠しきれていない。


「調整が利かん。報告も、人も……」


縋る、というより――不満の吐露。

それでも、答えを期待する視線。


クラリスは一瞬だけ彼を見つめ、

それから、あっさりと言った。


「そうですか……頑張ってくださいまし」


「……何?」


「婚約中にして差し上げていたことは、役目ですわ。

今のわたくしには、関係ありませんもの」


扇を優雅にあおぐ。


王太子の表情が、わずかに引きつった。


「……っ、冷たいな……

だが……君は昔から、そうやって一線を引く女だった」


「さすが殿下。ご理解が早くていらっしゃること」


クラリスは微笑んだまま、一歩退く。


「わたくし、急いでおりますの。

もうよろしいでしょうか?」


「ま、待て……!」


押し殺した声が、背後から追いすがる。

「君は……王太子を助けようとは思わないのか?」


「はい」


間髪入れずに返す。


「……」

王太子は、それ以上何も言えなかった。


その横を、ルシアンが静かに通り過ぎる。

「兄上。失礼する」


それだけ告げ、クラリスの手を取った。


「行きましょう、ルシアン殿下♡」


「……ああ」


二人は並んで歩き出す。

背後で何かが軋む音を、振り返りもせずに。


(……あら?)


クラリスは、ふと気づいた。

いつもなら、もう一言、余計に刺していたはずなのに。


(なんだか……殿下のことが、どうでもよく思えましたわ……なぜかしら)


「どうかしたか?」


「何でもありませんわ♡」


それは――

クラリスが、今、幸せだからである。


(さて……どこのブティックに参りましょう?

殿下には、少し遊び心のある装いもお似合いですもの)


だが彼女は、まだ知らなかった。  


そしてその様子を、

回廊の影から一人の女が、扇を強く握り締めながら見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 クリスマスプレゼントだ!うれしい! やはりクラリス様好き。絶対的な揺るぎない価値観。クラリスこそ、ジャスティスなワケ。次は何をなさるのかと、期待が止まらない。 年末でお忙し…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ