第6話
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マリアは恍惚とした表情で、ため息をついた。
「クラリス様……とても素敵です♡」
夜会用のドレスは、過度に飾らない。けれど線は端正で、歩けば布が静かに波打つ。
クラリスは鏡の中の自分を一度だけ確かめ、小さく頷いた。
「ありがとう、マリア。動きにくくはない?」
裾をわずかにつまみ、半歩だけその場で足を運ぶ。布は静かに流れ、引っかかる気配はない。
「はい。裾の流れも綺麗ですし……長く立っていても問題ありません♡」
「それなら十分ね」
扇を畳み、掌に軽く打ちつける。
「夜会は、立っている時間の方が長いもの。……いつも話しかけられるから、座るタイミングないのよね」
「ですよね♡」
マリアに微笑みかけた、その時――
「姉様……お出かけ、なのですね」
扉の影から、少年が姿を現した。
黒髪は几帳面に整えられ、赤褐色の瞳は年齢に似合わぬ落ち着きを帯びている。
エルヴァン公爵家の後継、リュシアン。
クラリスの年の離れた弟である。
「リュシアン。ええ、レイフォード侯爵家の夜会にお呼ばれしたの」
「……そうですか」
一瞬だけ、その視線が揺れた。けれどすぐに整えられ、礼儀正しく問いを重ねる。
「お気をつけて。……お戻りは、遅くなりますか」
勤勉で礼儀正しく、そして何より――姉を慕っている。
「ええ、少しね」
クラリスは歩み寄り、自然な仕草で弟の頭に手を置いた。
指先が髪を撫でると、わずかに肩が緩む。
「……でも、早めに帰るようにするわ」
その言葉に、リュシアンは目に見えて嬉しそうに表情を緩めた。
「行ってくるわね」
(うふふ……わたくしに似て、なんて優秀で素直で可愛いのかしら)
――これがクラリスの自己評価である。
◆
夜会は、甘い香とざわめきに満ちていた。
「……なかなか、印象的な夜会でございましたな」
レイフォード侯爵が、穏やかな笑みを浮かべて声をかけてくる。
「ふふ……ええ、楽しめましたわ」
「王妃陛下も……さぞ、計算が狂われたことでしょうな」
その言葉に、クラリスは扇で口元を隠し、意味深に微笑んだ。
ふと、視線を横に流す。
別の輪では、オスカー・フォン・グレイユ伯爵子息が、得意げに語っている。
「領地経営? 一応は勉強してますけど……まあ、こんなの普通ですよね」
言い終え、軽く顎を引いて笑う。
まるで自分の力量を、周囲に預けるような仕草だった。
「さすが伯爵家ですわ」
「いえいえ、家の名前に助けられているだけですよ。僕自身は、まだまだで」
「まあ、ご謙遜を♡」
「私は鍛冶屋を見て回っていて。最近は鉄の質が――」
「ええ! すごーい!」
それは社交界でよく見る――
「大したことはない」と言いながら、相手に持ち上げさせるための、ありふれた話術だった。
「……若い、というのは眩しいものですな」
レイフォード侯爵は小さく喉を鳴らし、笑みを深める。
クラリスは何も言わず、ただ眺めていた。
(領地経営が……普通、ですって?)
胸の内で、温度がすっと下がる。
やがてオスカーがこちらに気づき、声をかけてきた。
「おお、クラリス様。少し、お話を」
クラリスは穏やかな微笑を貼り付け、輪に加わる。
「あら……勉学は、たいしたことではないのですの?」
問いかけに、オスカーは一瞬だけ言葉を探すように瞬きをし、気楽な調子で答えた。
「そうですね。領地経営など退屈ですよ、クラリス様。ただの伯爵家の長男ですから。たいしたことはありません」
彼に悪意があったわけではない。
だが――
「……貴家の南畑。今年は旱つきで収量が落ちたと聞きますわ」
空気が、わずかに張り詰める。
「え……ええ、多少は」
視線が、わずかに揺れた。
クラリスは扇を開き、ゆるやかに仰いだ。
第二王子との婚約以降、彼女は徹底して領地経営を学び直している。
「来年に向けて、どの程度の備蓄調整を?」
「それは……まだ、父と……」
「それとも、徴税の再配分かしら。干上がった農地の補填案は?」
言葉が途切れ、空気が止まる。
周囲の令嬢たちが、そっと視線を逸らした。
クラリスは扇を畳み、静かに微笑む。
「あら……たいしたことのないお仕事なのに、ご理解が足りないのかしら」
別に、クラリス自身の努力を軽んじられたと感じて怒ったわけではない。
ただ――
「たいしたことがないのは――どうやら、あなたの勉学のようね」
(わたくしの可愛いリュシアンと、その程度の理解を同じ場所に並べないでくださる?)
それだけの理由であった。
クラリスは静かに踵を返した。
囁きが遅れて広がり、令嬢たちは息を詰め、
オスカーは言葉を失ったまま立ち尽くす。
若い貴族の、ほんの些細な見栄でさえも、
気に食わなければ――それだけで、クラリスは容赦なく断罪する。
背後で、レイフォード侯爵は心中で小さく息をついた。
(……なるほど。これは、敵に回したくない)
◆
「――ということがあったのよ」
扇を揺らしながら語り終え、クラリスは小さく肩をすくめた。
リュシアンは穏やかな声で、静かに相づちを打つ。
「……そうなんですね」
そばで聞いていたマリアが、小さく息をついた。
「……いろいろな方が、いらっしゃるのですね」
「全く……器量のない男ですわ」
(……器量以前の問題だ)
少年の胸中で、冷たい評価が下される。
(自分の愚かさを、名乗っているだけじゃないか……使えない男だ)
――クラリスの英才教育を受けた彼は、決してその内心を口にしない。
机上の書を閉じ、リュシアンは記憶の奥に名を刻んだ。
――グレイユ伯爵家。
見栄が先、実が後。危険度、低。
(いつか役立つだろう)
こうして公爵家の跡継ぎは、
社交界の生き方を学んでいった。
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