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公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
一章

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第14話

「夜会の席次? 私がですか?」


イレイナは首をかしげた。


「夜会の席次は、王家の序列を外部に示すために定められております」


儀礼官は淡々と説明を続ける。


「ですから、殿下の婚約者様として――」


「……お任せします。私には、分かりませんので」


そう言って、イレイナは微笑んだ。


「承知いたしました。では、規定に従い、こちらで定めさせていただきます」


「お願いします」


儀礼官が一礼して退がると、イレイナはすぐに関心を別のところへ移した。


「これから殿下に会いに行くの。どれがいいかしら?」


侍女に問いかけ、イヤリングを手に取る。


「この宝石にしようかしら」





「イレイナは可愛いなぁ」


それは、父の口癖だった。


商家として裕福な家に生まれたイレイナは、欲しいものを与えられ、笑えば褒められ、泣けば守られて育った。


「将来は、お姫様みたいになるんじゃないか」


そんな言葉を、何度も聞かされてきた。


可愛い容姿は早くから評判になった。

商家の娘としては、十分すぎるほどに。


「あの子、なんだか“選ばれる側”よね」


周囲の囁きも、自然と耳に入ってくる。


イレイナは、自分のことを特別だとは思っていなかった。

だが、繰り返し向けられる言葉と視線の中で、次第に一つの感覚が形を持ちはじめる。


――私、どこかへ行く人なのかもしれない。


漠然とした予感。

それは夢というより、予定のように胸に収まっていた。


「お姫様に……なれるのかしら」


そこへ目をつけたのが、バルネス伯爵だった。


「ご令嬢の評判は、以前から耳にしております」

「市場でも教会でも、実に評判がよろしい」


その場にイレイナもいた。

給仕として茶を運びながら、会話を聞いていた。


「率直に言おう」


伯爵は姿勢を崩し、声を落とす。


「あの子を――我が養女として迎えたい」


イレイナは目を瞬いた。


「王宮という場所にはな、

 強い女よりも――そばに置きたくなる女が、必要な時がある」


前かがみになり、続ける。


「伯爵令嬢であれば、王太子殿下のお目にかかる機会も、自然と巡ってくるだろう」


驚きはあった。

だが同時に、胸の奥で何かが静かに噛み合った。


(……やっぱり)


それは、納得に近い感覚だった。


こうして、イレイナは養女となる。


伯爵家での教育は、驚くほど控えめだった。


「伯爵家で学ぶのは、“賢くなるため”じゃない。

 失礼をしないためだ。それだけでいい」


(それだけで、いいのね)


イレイナは素直に頷いた。


 



程なくして、王妃との謁見が組まれた。


「イレイナ・バルネスでございます。

本日は、お目にかかる機会をいただき……ありがとうございます」


イレイナの声は震えていた。

王妃は、その様子をじっと見てから、ふっと微笑んだ。


「……まあ。想像していたより、ずっと愛らしい方ですこと」


「え……?」


思わず、イレイナが顔を上げてしまう。

慌てて視線を伏せると、王妃はくすりと笑った。


「そんなに身構えなくてもよろしいのよ。

今日は、顔を見せに来ていただいただけですもの」


「あ、あの……はい……」


「伯爵。……この子を、どこまでお考えで?」


バルネス伯爵は一瞬だけ言葉に詰まり、慎重に答える。


「まだ、何者でもございません。

ですが……学ばせ、必要とあらば、王家のお役に立てるようにと」


「そう」


王妃は再びイレイナを見る。


「近いうちに、身内だけの小さな茶会を開きますの。

その時に――またお会いしましょう」


――数日後。

王妃主宰の茶会で、イレイナは王太子と出会った。


イレイナは、言葉を失った。

目の前に立つ姿が、あまりにも――物語の中の王子そのものだった。


金髪に青い瞳。

絵本から抜け出してきたような姿。


(……本当に、王子様みたいな人)


そう思った瞬間だった。


イレイナの肘が花瓶に当たった。


「あ――」


花瓶が傾き、水がこぼれ、白い花が音を立てて崩れ落ちた。

周囲の視線が、一斉に集まる。


「……っ、す、すみません……!」


イレイナは反射的に膝を折り、手を伸ばした。


「ごめんなさい……! 私が……私が不注意で……」


その時――


「大丈夫だよ」


落ち着いた声が、すぐ近くで響いた。


顔を上げると、王太子殿下が立っていた。

彼はしゃがみ込み、迷いなく花瓶を起こす。


「怪我はない?」


「は、はい……!」


イレイナは慌てて答える。

王太子はそれを確認すると、ふっと微笑んだ。


「花瓶が倒れただけだ。誰だってある」


「殿下……」


「ほら。立って」


差し出された手を、少しだけ迷ってから取る。


「緊張するよね。初めての茶会なら、なおさらだ」


(庇ってもらえた……)


イレイナの胸が、じんわりと温かくなった。


茶会以来、イレイナと王太子の会話は少しずつ増えていった。


その日も、イレイナは王太子と約束をしていた。


サロンには静かな時間が流れていた。

イレイナは長椅子に浅く腰掛け、両手を膝の上で重ねている。


「……殿下、まだかしら……」


イレイナは落ち着きがなさそうに、キョロキョロしていた。


次の瞬間――

扉が、勢いよく開かれた。


クラリスだった。

ためらいもなくイレイナに向かって、歩み入ってくる。


「……あなたが、イレイナ・バルネスですの?」


「あ……は、はい」


返事を終えるより早く――

ばしゃり、と音がした。


熱い紅茶が、胸元を濡らす。


「……っ」


イレイナは熱と驚きで、頭が真っ白になる。


クラリスはイレイナを見下ろす。


「立場も分からず、殿下に近づいているのではありませんわ」


「あ……」

息が詰まり、声が出ない。


周囲の空気が、凍りついた。


その時。


「――何をしている」


王太子が、そこにいた。

一歩で距離を詰め、イレイナの前に立つ。


「……殿下」


「下がれ、クラリス。……彼女に、何をしたか分かっているのか」


クラリスは首をゆるく傾げる。


「自分が何者か分かっていないようでしたので、教えて差し上げただけですわ」


「――必要ない」


「殿下?」


王太子は、イレイナを庇うように立ったまま、低く言う。


「彼女が何者かなど、僕が判断する」


イレイナは、ようやく我に返る。


「……だ、大丈夫です……殿下……わたしが、不注意で……」


王太子は、ゆっくりと振り返った。


「――無理をしなくていい」


柔らかな声で続ける。


「……君は、悪くない」


イレイナは、無意識に胸元の布をきゅっと握りしめていた。

指先が熱を確かめるみたいに震え、それでも目だけは王太子を追ってしまう。


クラリスの扇が、ぎり、と音を立てる。


「殿下……! 婚約者である“わたくし”より、その方を庇うのですか?」


その問いに、王太子は一拍だけ黙った。


「そうだ」


ざわり、と空気が揺れる。


「……殿下?」


「彼女は、守られるべき立場だ。少なくとも、この場で責められる理由はない」


クラリスの瞳が、わずかに見開かれる。


「……それが、答えですの?」


「君は――強すぎる」


王太子は、苦しげに眉を寄せた。


「正しい。聡明だ。非の打ち所もない。

でも……僕には、それを受け止める余裕がない」


沈黙が落ちる。


「……君といると、息が詰まる」


クラリスは唇を噛み、深く息を吐いた。


「……そうですか。

では殿下、どうぞ彼女を相手に、その喜劇をお楽しみくださいませ」


そう言い残し、踵を返す。

背筋は伸ばしたまま、サロンを後にした。


イレイナは、ただ立ち尽くしていた。

胸元に残る熱さよりも、目の前の背中のほうが眩しくて――視線が外せない。


(殿下が、守ってくれた……)


王太子の背中を、ぼんやりと見送っていた。


この出来事が決定打となり、クラリスと王太子の婚約破棄が進む。

イレイナは王太子の婚約者となった。





そして、今。


執務室には、書類が積み上がっていた。

机の上だけでは足りず、脇の卓にも、椅子の横にも。

どれも処理途中のまま、整えられていない。


王太子は椅子に深く腰を沈め、眉間を押さえていた。


「……終わらない……」


その時、控えめなノックが響いた。


「……どうぞ」


扉が開き、イレイナが顔を覗かせる。


「失礼いたします……殿下」


王太子は、顔を上げた。

一瞬、きょとんとしたように目を瞬かせてから、ほっと力を抜いた。


「……イレイナ。……ごめん、今、少し散らかっていて」


「い、いえ……!」


イレイナは慌てて首を振る。


「お邪魔でしたら、すぐ――」


「いい。……ちょうど、少し休みたかったところだ」


イレイナは、その様子を見て、胸の奥がきゅっとなる。


「……無理、しすぎないでください」


「はは……」


王太子は、軽く笑う。


「そう言われると、少し楽になる。君が来てくれて、助かったよ」


「……え?」


「ここにいると、どうしても……詰められている気分になるから」


書類の山を、ちらりと見る。


「でも、君と話していると、“それでもいい”って思える」


イレイナの胸が、どくんと鳴る。


「少しだけ、ここにいてくれる?」


「……はい」


王太子は満足そうに、微笑んだ。

お読み下さりありがとうございます。

更新ペースで少し迷っています。


曜日固定がいいか、

それとも書き上がり次第のほうが嬉しいか、

よければご意見いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
週2か3くらいの曜日固定で、更新時間もある程度決まってた方が嬉しいです。
とりあえず、席次を《規定に任せて》決定するとトラブル起きるだろうな。 ただでさえ、現在は第1王子と第2王子の継承争いと、その婚約者の爵位差があるし。 王妃の嫉妬はともかくとしてて第1王子は、書類仕…
更新ありがとうございます。 更新スピードですが、そりゃ、曜日指定の方が個人的には嬉しい限りです。でも、毎日更新してないか?と通知を見るのも好きです。でもでも、曜日指定でよろしくです。 クラリス様、で…
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