第12話
今後更新スピード上げるため、
原稿仕上がり次第アップしたいと思います。
王妃の名は、サフィーナ・アル=ラシュド。
彼女の生まれは、南方の国家――ラシュディア王国だった。
ハーレム制の宮廷を母国に持つサフィーナは、女たちの振る舞いを幾度も見てきた。
追い詰められた女は、決まって感情を先に出す。
泣き、取り入り、最後には男に縋る。
少なくとも、彼女の知る限り例外はなかった。
◆
「最近の進捗を聞かせなさい」
王妃の言葉に、王太子は一瞬だけ身を固くした。
「……新興貴族との折衝は続いております。旧来の商会との調整も――」
「結果は?」
遮るように、王妃は言った。
「……目立った反発は、今のところ」
「……そう」
王妃は黙って頷いた。
以前なら、この返答の前に報告書が机へ置かれていた。
頁は揃い、数字は整理され、問いに先回りして要点が並んでいた――クラリスによって。
王妃が指先で合図すると、側近がすっと前に出た。
薄い束を、恭しく差し出す。
「こちらに、折衝先別の進捗と、商会側の反応をまとめております。遅滞はございません」
王太子は、ようやく呼吸を整えた。
――その安堵が、王妃の苛立ちをさらに煽る。
王妃は書類には触れず、指先だけで「置いて」と示した。
「なら、よろしいでしょう」
扇子をゆらし、言葉を継ぐ。
「婚約者については?」
「……社交界の反応は、悪くありません」
「当然ですわ」
王妃は扇子を畳んだ。
「王太子妃という座は、国の顔ですもの。
顔が穏やかなら、家臣は安心する。
――それで十分」
王太子は、肩の力を少しだけ落とした。
◆
「……本当に、面倒なことになったわ」
王妃は、側近にだけ届く声で吐き捨てた。
「クラリス……」
窓の外へ視線を置いたまま、王妃は記憶を辿る。
クラリスが王太子の婚約者として王宮に上がった頃。
彼女は、まだ十歳だった。
「はじめまして……王妃殿下」
声は震え、頭は深く下がる。
王太子は、どこか面倒そうに手を差し伸べた。
「クラリス、こっちだ」
「で、殿下……」
引かれるようにして、クラリスは王太子の隣へ立った。
小さな肩は、鎧を着せられた子どものようだった――と、王妃は覚えている。
「素直そうな子ですわね」
そう言うと、隣の男――エルヴァン公爵が、わずかに胸を張った。
「家の名に恥じぬよう、しつけも教養も行き届かせております」
王妃は扇の陰で、ほんの少し口角を上げた。
(旧貴族の娘。扱いは難しくなさそう――合格ね)
――しかし。
年月が経つにつれ、クラリスは変わった。
「殿下、その書類は先送りできませんわ」
小首を傾げる仕草は柔らかい。
だが、目だけは逸らさせない。
「それとも……また逃げようとしていませんか?」
「……急ぎの案件が重なっていて……」
クラリスは小さく息を吐いた。
それでも頬を染め、殿下を見上げる。
「もう……殿下ったら。仕方がありませんわね」
王妃は遠目に、そのやりとりを見た。
「まぁ……いいでしょう」
弱いなら、隣に立つ女が支えればいい。
そこまでは、王妃にとって想定内だった――。
その異変に、王妃がはっきりと気づいたのは、王太子主宰の会議だった。
議題は、次期五カ年契約における王家御用商会の選定。
軍需と宮廷調達を兼ねる、大口契約である。
「母国のアーレン商会が、最も無難でしょう。
長年の取引実績もあり、外交上の配慮、供給の安定も見込めますわ」
王妃は穏やかな声で告げた。
王太子は軽く頷く。
それを合図にしたかのように、周囲の貴族たちも沈黙を保った。
「……他に意見は?」
王太子の視線が、会議室をひと巡りする。
「ございます」
静かな声が、空気を切った。
クラリスだった。
彼女は一礼し、用意していた書類を机に置く。
「輸送距離、保険料、為替変動。
これらを含めた実質単価では、北方同盟商会の方が、二割以上有利になります」
低いざわめきが、室内を走る。
「また、戦時における供給途絶のリスクを考えますと、
単一国家への依存は、避けるべきかと存じます」
クラリスは、王太子をまっすぐに見た。
「殿下。
この契約は、友好を示すものではありません」
一瞬、王妃を一瞥する。
だがすぐに王太子へ視線を戻し、微かに口角を上げた。
「王家が、どこに依存するかを決めるものです」
短い沈黙の後、王太子は告げた。
「……再検討が必要だな」
その言葉に、クラリスは静かに王太子の傍へ寄った。
身を屈め、届く距離で囁く。
「……殿下、ゆっくり考えてくださいな。
例えお間違えしても、わたくしがついておりますわ」
王太子はクラリスを見て、困ったように口元を緩めた。
「そうか……」
その瞬間、王妃は悟った。
(……この娘は――私の席を、侵す)
旧貴族たちが口を閉ざしたまま、
異論を挟まなくなった。
――その沈黙が、同意に近いものだと王妃は悟った。
王妃は、クラリスを切るべき相手だと評価を下した。
◆
ちょうどその頃、新興貴族の勢力が伸び始めていた。
「バルネ伯が、王宮への拝謁を強く望んでおります」
側近の報告に、王妃は返事の前に一拍置いた。
口元に、薄い弧が浮かぶ。
「通しなさい。形式は整えて。
“こちらから望んだ”と思われないように」
数日後。
新興貴族の伯爵バルネが、養女を伴って現れた。
少女は可憐で、視線を落として一礼する。
――イレイナだった。
控えめな所作に、同席していた貴婦人たちが息を呑んだ。
「……まあ」と、小さな囁きが漏れる。
王妃は一目で判断した。
――好機だ、と。
王太子には、新興貴族の娘を正妃に。
クラリスは、側室に落とす。
「――最近、お顔が固いわね。
クラリスが厳しいのでは、と心配する声もあるの。
……あなたが疲れているのなら、本末転倒ですわ」
王太子は、少し間を置いてから口を開いた。
「……たしかに、最近は……」
王妃は、扇の奥で満足を隠した。
やがて、王太子が口にする名が変わった。
報告の合間に、別の令嬢の話が混じるようになり、
同時に、クラリスへの不満が短く挟まるようにもなった。
――それから、事は早かった。
婚約破棄は、王宮の応接室で告げられた。
クラリスは扇子を強く握りしめていた。
目元は赤く、
顔は伏せられたまま、上がらない。
王妃は、内心で静かに得心した。
すべては計画通り――の、はずだった。
◆
「……第二王子と、婚約?」
報告を受けた瞬間、王妃は言葉を失った。
「聞いておりませんが」
「国王陛下の裁可も下り、正式に発表されました」
「裁可ですって……!?」
王妃は即座に国王のもとへ向かった。
「どういうおつもりですか」
「……あの子は、支えられすぎた」
国王は、しばし黙したまま王妃を見た。
「王太子妃教育に費やした年月と費用。
旧貴族との関係整理。
……それらを考慮した上での判断だ」
(……ありえない)
第二王子は、政治的に動かない駒。
動かないように、置いてきた駒だった。
――それを、なぜ。
◆
王宮の回廊で、二人はすれ違った。
「ごきげんよう、王妃陛下」
クラリスは、唇の端だけを持ち上げた。
王妃には、その落ち着きが不自然に映った。
そして、そのまま去っていく。
王妃はその背を、黙って見送った。
「……来なさい」
低く告げると、控えていた側近が無言で従う。
私室に戻ると、王妃は机に手を置いた。
「第二王子とクラリスの関係……どう見る?」
側近は、慎重に言葉を選ぶ。
「表向きは、恋愛婚約。
しかし、利用している可能性は高いかと」
王妃は、ゆっくりと頷いた。
「ええ。
傷ついた令嬢が、ただ逃げ込む先を選んだ……
そう“見せている”だけに違いない」
――あれは、勝った女の顔だ。
「クラリスは、王太子を失った代わりに、
“別の安全圏”を手に入れたつもりでしょう」
王妃は、指先で机をなぞった。
「問題は、第二王子です。
動かない駒は、
動いた瞬間に“読みづらい駒”になる」
側近が、息を呑む。
「旧貴族派は、どう動くと思う?」
「……様子見でしょう。
ですが、クラリスが第二王子を
“理解してくれる存在”として立たせるなら、
一気に流れます」
王妃は、薄く笑った。
「旧貴族は、支配する王を嫌い、
“理解している顔”を好む」
「クラリスは――
王家の理屈も、貴族の感情も、どちらも理解しています。
それが、最も厄介です」
王妃は側近へと身を向けた。
「第二王子の動向を、洗い直しなさい。
接触した人間、過去の書簡――すべて」
「……承知しました」
王妃は、窓の外へ意識を逃がした。
――まだ、終わってはいない。
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