第11話
アルヴィーン公爵家は、慈善を誇らない家として知られている。
それが当たり前であるかのように、寄付を続ける家柄だった。
そして、その公爵家の娘。
クラーラ・フォン・アルヴィーン。
社交界では、穏やかで控えめな令嬢として知られているが、
その行動力は、確かに家から受け継いだものだった。
クラーラは、今日も孤児院へ向かっていた。
「……また、孤児院でございますか?」
同行する侍女が、ためらいがちに口を開く。
「ええ、そうよ」
「クラーラ様が、そこまでなさらなくても……」
クラーラは歩みを止めず、視線も前に向けたまま答える。
「誰かが行っているから、行かない――
そういうのは理由にならないわ」
「クラーラ様……」
侍女はそれ以上、何も言わなかった。
ただ静かに背筋を伸ばした。
◆
孤児院に到着すると、すでに先客がいた。
「ごきげんよう、クラリス様」
声をかけると、真紅のドレスが翻る。
クラリスが、ゆっくりとクラーラに向き直った。
「ええ。今日も奇遇ですわね、クラーラ様」
ただの挨拶。
それだけなのに、空気がわずかに冷えるのを、
孤児院の人々は感じ取った。
クラリスはそのまま、職員に奥の部屋へ案内されていく。
(相変わらず、あの方らしいわね)
クラーラはそれを追わず、中庭へ向かった。
「こんにちは」
子どもたちは、逃げはしない。
だが、すぐには近寄ってこない。
クラーラは、自分から近づかなかった。
声をかけることも、手招きすることもない。
「……これ、読んでくれる?」
しばらくすると本を抱えた子が、小さく尋ねた。
「ええ。どうぞ」
安心したように、その子は腰を下ろした。
別の子が、袖を軽くつまんでくる。
「……あら、そこ。気になる?」
クラーラは自分の袖を少し引き、
本が見えやすいように体の向きを変えた。
それだけで、子どもは満足したようにページを覗き込んだ。
近くで見ていた令嬢が、思わず視線を逸らした。
普通なら、反射的に子どもの手を払っていたはずだ。
クラーラは、何も言わなかった。
「今度はこの本読んで!」
「いいわよ」
クラーラは、ほんの少しだけ表情を緩めた。
――その直後だった。
「クラリス様に、何をするのです!」
鋭い声が、空気を切り裂いた。
マリアの平手が、エドワードの頬を打った。
クラーラは一歩踏み出し、エドワードに近づく。
「大丈夫……?」
孤児院の大人が慌てて現れる。
「も、申し訳ございません!
この子は親に捨てられ……」
「クラリス様に、関係ありません!」
マリアが叫ぶ。
「善悪が分かる年齢の子どもに、
叱らなくてどうするのです!」
誰も声には出さなかった。
だが――
(え、ちょっと)
(今の、言う?)
クラーラ喉が、詰まる。
(今、言えば……この子を巻き込んでしまう)
その迷いが、クラーラの声を奪った。
「誰からも相手にされず――孤独に死ぬ!」
そして、呪いの言葉である。
クラーラは動けなかった。
拳を、強く握りしめる。
「クラリス様に、謝りなさい」
「……ごめんなさい」
クラーラは、周囲の子どもたちを見渡した。
目を伏せる者。
一歩、後ずさる者。
その場で、固まってしまう者。
それを見て、クラーラの胸の奥で、静かに何かが沈んだ。
◆
その場が落ち着いた後、
クラーラは、クラリスに近づいた。
「……クラリス様」
クラリスが、立ち止まる。
「先ほどの言葉ですが」
ゆっくりと、振り向く。
「孤児院で使う言葉では、ありませんでした」
マリアが、ぴくりと肩を揺らす。
クラリスは扇で口元を隠した。
「……わたくしの侍女が、間違えたと仰りたいの?」
クラリスは、低い声で続けた。
「わたくしはマリアを信頼しています。
わたくしの侍女は、何も間違っておりませんわ」
クラーラは、目を伏せた。
「……ええ」
小さく、そう答える。
「わたくしも、クラリス様が
侍女を信頼なさっていることは存じています」
だから、と続ける。
「それでも――
場所を選ぶ言葉は、ございます」
クラリスは、扇をぱちんと畳んだ。
「それは……あなたのお考えですわね」
一歩、距離を取る。
「わたくしに、あなたの理想を押しつけないで」
背を向ける。
「失礼しますわ、クラーラ様」
クラーラは、その場に立ち尽くしていた。
◆
マリアの言葉は、強すぎた。
善意であろうと、正論であろうと――
子どもたちの未来に影を落とした。
エドワードのように、
「孤独になってたまるか」と
怒りに変えた者もいる。
だが、それは例外だった。
大半の子どもたちは、
「未来を決めつけられた」ことを恐れた。
手を挙げなくなり、
失敗しそうな役を避け、
目立たぬ場所に集まるようになった。
その後も、クラーラは、
変わらず孤児院に通い続けた。
「また来たの?」
「そうよ。また来たの」
「……今日は、何するの?」
「決めてないわ」
クラーラは、何かを導くことはしなかった。
ただ、そこにいた。
「失敗しても……怒らない?」
「ええ」
「……黙ってても、いい?」
「いいわ」
その繰り返しの中で、
子どもたちは少しずつ理解していった。
――ここにいて、いいのだと。
「……今日、できなかった」
「そう。じゃあ、片づけましょう」
やがて彼らは、
声高に成功を語ることはなかったが、
それぞれの場所で、確かに生きていった。
そうして、この孤児院は、
静かに――変わったのである。
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