第10話
クラリスは自室で、
一通の手紙を指先でなぞっていた。
淡い象牙色の紙。
几帳面すぎるほど整った文字。
ルシアンからの手紙である。
「……ふふ」
思わず頬が緩む。
しばらく、ただ眺めていた。
「まあまあ……本当に律儀ですこと」
そばに控えていたマリアが、そっと微笑む。
「殿下からのお手紙ですか?」
「ええ。殿下ったら、ついこの間お会いしたばかりなのに……」
クラリスはもう一度読み返し、
大切そうに封筒へ戻した。
「嬉しそうですね、クラリス様♡」
「当然でしょう?
婚約者からの手紙なのですもの」
胸元に手紙をしまい、クラリスは学園へ向かった。
――この手紙はクラリスがルシアンに
「書いて」と指示……お願いした結果なのである。
◆
学園の中庭に面したカフェテーブルの一角で、
数名の令嬢たちが声を潜めて集まっていた。
「ねぇ……あなたの詩集、読んだわよ」
新興貴族の令嬢が、興奮気味に言った。
「王都では評判ですって。
平民の間でも回し読みされているのでしょう?」
「ご実家が王都で書肆を支援していると聞きましたわ。
その伝手で、小冊子として出されたのでしょう?」
「感情が素直で……
胸にすっと入ってくるのよね」
そう言われ、
詩集の作者である令嬢は照れたように目を伏せた。
「そ、そんな……ありがとうございます」
その輪の外から、
ふっと鼻で笑う音が落ちた。
「……あら、あの程度で?」
旧貴族の令嬢が、扇で掌を軽く叩く。
「文学的とは言えませんわね。
あまりにも直情的。
比喩も浅く、構文も単純。
あれを“名作”だなんて……」
空気が、わずかに張りつめる。
新興貴族の令嬢が眉を動かした。
「でも、読まれていますわ」
「……え?」
「読まれて、語られて、覚えられている。
それが“文学”ではありませんの?」
旧貴族の令嬢は、くすりと笑う。
「量と質は別ですわ。
あなたの好む“軽さ”は、ただの流行りもの。
中身がないから、誰でも読めるだけ」
「……中身がない、ですって?」
別の新興貴族の令嬢が肩をすくめた。
「文学講義で、あなたの詩を拝見しましたけれど、
比喩ばかりで……
正直、途中で迷子になりましたわ」
「なっ……!」
さらに別の令嬢が、小さく首を傾げる。
「読ませるお気持ちは……ございますの?
あれでは、読み手が置いていかれてしまいますわ」
空気が、ぴんと張りつめた、その時。
深紅のドレスが翻り、
クラリスが通りかかった。
「エ、エルヴァン公爵令嬢……!」
誰かが慌てて立ち上がる。
「ちょうどよかったですわ」
旧貴族の令嬢が作り笑いで扇を閉じた。
「今、文学のお話をしておりましたの」
「まあ、素敵」
クラリスは、にこにこと上機嫌だった。
「よろしければ、
クラリス様のご意見を聞かせていただけますか?」
普段なら、まず応じない。
だが――今日は、すこぶる機嫌がよかった。
「こちらの詩集ですのね?」
「はい」
微笑みながらページをめくる。
クラリスは幼少の頃から多くの書物に親しみ、
詩集や評論にも目が肥えていた。
数ページ読んだところで、
その指が止まる。
「……?」
令嬢たちが息を詰める。
「これは……」
クラリスは首を傾げた。
「児童文学、ですの?」
空気が、ぎしりと音を立てて軋んだ。
「え……?」
「物語性が分かりやすく、
感情の流れも素直。
読み手を選ばない。
素晴らしいですわ」
にこり、と笑う。
「ですが……
心に残りませんわね」
新興貴族の令嬢たちは、
一瞬、顔を見合わせた。
「それは……」
「でも、悪くは……」
誰も、はっきりとは否定できなかった。
旧貴族の令嬢が、にやりと口角を上げる。
「でしたら――
わたくしの作品も、
ご高覧いただけまして?」
「ええ、どうぞ」
うきうきである。
差し出された詩集を受け取り、
数行、目を走らせる。
「……?」
再び、首を傾げた。
「意味不明ですわ」
空気が凍りつく。
「比喩が目的化していて、
何を伝えたいのか分かりません」
誰も、息ができない。
「もう少し、
読み手の気持ちになって
考えられてみては?」
本を返し、穏やかに微笑む。
「あら、詩集の評論会でしたの?
でしたらお二人、
もっと勉強なさってくださいな」
そして、何事もなかったかのように続けた。
「もっと名作を読まれたら、
よろしいのではなくて?」
深紅のドレスが翻り、
クラリスは回廊を去っていく。
残された令嬢たちは、
沈黙の中で紅茶を見つめていた。
誰も、口を開けなかった。
――クラリスは、
胸元から封筒を取り出し、再び読む。
「……あの程度の内容では、
人の心は動かせませんわ」
――本日は、お加減いかがでしょうか。
次にお会いできる日を、
楽しみにしております。
ルシアン
「ふふっ♡」
結局、相手次第である。
そして――
「わたくしも、返事を書かなくては♡」
クラリスは図書館の一角、
陽の差し込む机に腰を下ろした。
羊皮紙を整え、インク壺を引き寄せ、
ペン先を軽く浸す。
「さて……」
迷いなく、書き出す。
『ルシアン殿下へ。
今日はお天気がよくて、
空がとても青いです。
わたくしの心は、
青々としています。
青はお好きでしたでしょうか。
わたくしは、好きです。
この前の服は、
似合っていました。
またお会いできたら、
――うまく言えませんが、
嬉しいと思います。
クラリス』
「……」
書き終えたクラリスは、
満足そうにペンを置いた。
「ふふ……想いは、
伝わりますわよね」
紙を折り、封筒に入れながら、
頬を染める。
「気持ちが大切ですもの」
これが、クラリス公爵令嬢の文章力である。
――なお。
この手紙を受け取ったルシアンは、
一読したのち、
しばらく沈黙し――
「……うん」
とだけ呟き、
引き出しにしまったという。
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