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『ティオ』―リク家族の人材管理フロー改革

リク家族の軍団工場は人材マネジメントの危機に陥り、ティオは命を受けて制度のほころびを洗い出す。

一見単純なフロー改革は、工場側の反発という火種を孕む。近づけば近づくほど、真の難しさは制度ではなく「人」にあると知る。消極的に抵抗する駐在主官に挑まざるを得ず、姿なき敵を相手取る管理の対局が静かに始まる。

理想の施策を現場に落とし込むための「方法論」を、彼はいかに見いだすのか――。

灼けつく日差しがやわらかく降りそそぎ、蔓の緑に覆われた黄石の丘陵を黄金色に染めていた。

リク内城の軍団工場の外、営集合場の脇では、白葡萄の緑と暗紫を基調にした軍団服をまとう若者たちが、頑丈な廃樽をいかなる手段でも破壊する格闘遊戯──〈樽割り〉に興じている。


「ぱきん!」厚みのある菱形の投げ刃が細い隙間をまっすぐ貫き、樽が弾け、内に満たされた清水が勢いよく噴き出した。

三十メートル離れたところで、巻き気味の長い茶髪の男が両手を高く掲げ、歓声を浴びて得意顔を見せる。

「へえ──やるじゃないか、ティオ!」野次馬の金髪の男が言う。

「ふふん、何度も命中させたからな! 今のが樽を仕留めた最後の一本ってわけだろ?」と、引き締まった体つきの黒髪の女が叫ぶ。

「午後はそのまま工場に応援直行だ! 本部に戻って執務室で座ってる暇なんてあるか?」金髪の男がそう言うと、皆どっと笑いに包まれた。

「ちっちっち──」ティオは、まだ七枚の厚刃を残した八錐鋼環を下ろし、人差し指を左右に振る。「体術は、趣味だ!」そう言い放つと、仲間たちは口々に茶化して笑った。


その時、主官服を着た短髪の男がポケットに手を入れたまま場の端を通り過ぎる。短い外套の下で藤果状の紋章が真昼の陽にきらきらと光った。

「おっと! お前んとこのボスだ、続きはまた今度な!」群衆が言う。

「よし、じゃあ負けたら人事処に応援に来いよ!」ティオは笑って皆に別れを告げ、その主官の後を追った。


「ティオ、どうやらまだまだ腕は鈍ってないな!」主官が笑う。彼はリク家族の人力資源処の主官、ウェイドだった。

「へえ? “宝刀未だ衰えず”ってのは、“宝刀もさすがにちょっと古い”連中に向ける言い草だろ?」ティオは得意げに言い、「俺は優等生側だ」と続けた。

彼は鋼環を軽く鳴らし、カランと響く刃が橙の光点を放つ。ペウ武具にほかならない。

「ついでにウヴィア荘園にも寄ったんだろ? 今年の出来は悪くないようだね」ウェイドは言い、二人はリク城の東門を抜けていく。

「いつも通り、悪くはないさ。工場も順調に回ってる。今年は雨季が短くて葡萄の味が濃い。ペウの含鉱量も高い。晶粒の生産見込みは記録更新も狙える。だが……」ティオは眉を曇らせる。「ジョー爺さんがそれとなく言ってた。『人事部が人力資源処に昇格したんだ、うちの生産賞与は増えるのか?』ってな。どうやら皆、こちらの出方をうかがってる」ジョー爺はリク家族からウヴィア工場に派遣されている領班官だ。

「そうだな」ウェイドがうなずく。「組織診断のまとめはできたね? 今日の午後はノル、テティール、フーロンロンが本部に揃う。対策を一緒に練ろう」


大陸シルバーレイの西北に位置するリク区は、稀に見る巨大なプレートである。ここで産するリク葡萄は一本の蔓に一房だが、果実はサッカーボールほどに大きく、甘酸っぱく多汁で、香りは清冽かつ芳醇。赤白いずれの酒でも最大の産地として知られる。だが、多くのプレートにおける鉱区の集中型とは異なり、ペウ原鉱の分布は様相を異にする。

リクのペウ果鉱は葡萄の種核の内に生成され、広大なリク区には実に三十六もの果鉱区が点在する。そのため統治は名目上リク家族に一元化されつつも、実務は十三の荘園家族に分掌させねばならない。各荘園にはリク家族直轄の小規模なペウ工場が一棟ずつ置かれ、念流師で編成された〈錬成班〉が駐在して、現地で原鉱を摘出し、ペウ晶粒を精錬している。

数ヶ月前、リク南境のモーム家族の荘園で、派遣工場長のボンド少佐が晶粒の生産量を意図的に過少申告し、極端派の組織に密かに供給してリク産ペウ武具の製造に用いさせたことが露見、リク城を騒然とさせた。家族はウェイドの要求──「財務人事処の下位部局だった人事部を、人力資源処として昇格させること」──をのむ形で、彼をアッスール家族から礼聘した。質朴を旨とするリク家族の中で、実務に明るく人脈広いことで業界に名の知れたウェイドは、瞬く間に総団の仲間たちの一定の信頼を勝ち得た。


ティオ(Tio・Uva)は二十八歳。リク家族に加わってまだひと月ほど。彼は三つの荘園を擁するリク第三の家──ウヴィア家の出だ。長男であり、上には切れ者の姉が二人いてそれぞれ一つずつ荘園を預かり、下には弟が二人。おかげで彼は独立心が強く、細やかな性分となった。幼い頃から農場と工場を行き来し、ペウ武具に通じ、念流師の仕事にも通暁していたため、リク高等学院を卒業すると、覇を競う実力を持つ白石家族へ実習に入り、後に軍団工場の念能エンジニアとなった。主務は「人材管理処と協働し、軍団工場の協訓メンバーを務める」こと。

「ボンド密輸事件」ののち、リク家族は荘園家族への統制と制限を大幅に強めた。就任早々のウェイドは「ウヴィア家にリク家族の信頼を勝ち取らせる」ことを口実にティオを口説いてリクへ呼び戻す。三十六の軍団工場に分散配置された人材を、実質的な管制下に置くには、ティオの来歴と経歴はうってつけだった。

とはいえ人事の専門教育を受けていない彼には、まだまだ不案内なことが多い。命を受けた彼は三週間で十二の軍団工場を訪ね、駐在先の特性を見極めようとしていた。


***


「先ほど述べた通り、現在リク家族が派遣するメンバーの入職から離職までの周期には、問題があると考えます。入職後の流れは──」会議室でティオは、ウェイドと人資処のメンバーに報告する。「本部と駐在工場の共同採用、入職後は即座に駐在先へ。訓練、昇進、評価、昇給、去就、キャリア開発はすべて工場長と主官の権限で、本部への報告は事後。“本部の派遣人材への関与率が低い”。これがボンド密輸事件発生の主要因です」

「工場は屯兵制。他の軍団では工場長は軍団長が務めるの」フーロンロンが説明する。「平時であっても工場長の権限が強い主因は、彼らが『生産はすなわち作戦』という圧力を負っているから。“本部の関与率を高める”って、裏を返せば“工場の権限を削ぐ”ってこと。そう言い切る前に、覚悟はできてるの?」

「どう受け取ろうが、これは紛れもない事実だ」ティオは顔を曇らせる。「大半の工場長がリク家族のために尽くしているのは信じている。だがウェイドも言った。リク家族は人材の統御を強化し、モーム工場の二の舞を避けたいのだろう?」

「おやおや──“統制”ね? 言葉は選ばないと」フーロンロンは平静に応じた。彼女は落雷区出身で、生まれつき聡明にして率直なアンディ一族の娘。ティオはこらえきれず、彼女と応酬を始めた。


ウェイドは苦笑し、手を軽く振って言う。

「ティオ、君の見立てには全面的に同意するよ。だが今の反応は、フーロンロンの指摘が正しいことの裏返しでもある」

「……」ティオは言葉を失う。

「彼女は事実を述べただけで、君を否定したわけじゃない。リク家族の誰に言っても、同じ反応が返る可能性がある」ウェイドは静かだが厳正な口調で続ける。「分かるかい? それが私たちのジレンマだ。人材の“管理”を強めるために、家族は『人事部を財務処と並ぶ単位に引き上げる』と決した。私たちはその決意に応える以上、細部の一言一句が与える印象に、徹底して配慮せねばならない。たとえ内部会議であっても、今ここでの言い回しが、今後の内向きの関係全体に響くんだ」

『事実だ、の一言で済むか!』ティオは反駁したかったが、飲み込んだ。


ウェイドの人資処に入る前、彼は幼少から職業人生まで一貫して軍団工場の環境に慣れ、白石家族では人資処の訓練開発を手伝った経歴を持つ。ゆえに人資という部署は「要するにそういうことをする所だろう」と考えていた。

『遠回しに言う必要がどこに? 幕僚なんて、どうしてこうも回りくどく気取るんだ』心の中で舌打ちする。


ウェイドは彼の胸の内を見透かし、言った。

「その通りだ、ティオ。人材統御の強化が必要だ。君の現状診断にも強く賛成だ。より正確に言うならこうだ──我々人資処の目標は『リク家族の人材マネジメント制度を梳理し、軍団発展に資するよう最適化する』。『梳理』は『家族目標』か『制度の裂け目』から着手する。密輸事件は典型的な裂け目だった。“訓練職能、評価、組織帰属から人材開発に至る主権が、人事ユニットの手にない”。だからこそ人材管理を強める。“強化”は目的ではなく手段だ。だが見てごらん。君はこれまで人資と協働してきた念能エンジニアだ。その君でさえ、正統派の人資に触れた途端、観念的な反発が出た。ならば工場の一般メンバーはどうだ? これが、我々が直面する課題だ」

ティオは黙し、入処にあたって自らに言い聞かせた「職務を変えるなら思考を開くこと」を思い出す。彼はフーロンロンに軽く会釈し、彼女は気に留めた様子もない。

「それに、旧人事部から私が残したのは彼女だけだ。君がこの後進める〈軍団工場人材発展対策の梳理案〉の最中、彼女は法務稽核処と組んで新しい内部統制プロジェクトを担当する。法務の後衛にもなる」ウェイドは言う。「視察旅を続け、二週間後に最良の人材管理フローを私に出してくれ。『手段』の策を練るのと同時に、『方法論』──制度調整をどう実装し、ほぼ確実に起きる反発をどう弱めるか──を考えるのを忘れないこと」

『目的、手段、方法……目的、手段、方法……』ティオは何度か唱え、うなずいて任を受けた。


***


白果荘園。広い黄石高原は太古の氷河に切り割られて方形の陣をなし、ところどころに硬い氷片がまだ覆う。葡萄の蔓はなお青々として、巨大な果実は薄い氷紗をまとっている。

先週には人材管理フローの提案をウェイドに提出しており、フィードバックが届く前ではあるが工場視察の旅は続け、全初訪が終わるまでにはさらに二週間を要する。北境に位置する白果荘園はいまひどく冷える。水念流でペウを精錬する軍団工場のなかは凍庫さながらだが、長く暮らしたヴィテルスティーン雪原に比べれば、ここは温室のように暖かく静謐だった。


工場の錬成区の作業卓で、彼は自ら走り書きした組織図を何度も見返していた。

『この描き方でいいはずだ……いや、細かいことはいい』


三十六の軍団工場は荘園ごとに駐在しているが、軍務と物念工程処(軍工処)の管轄下にあるのは軍務だけだ。リク区は長く平穏が続き、家族に覇位を争う野心は薄く、周囲の松平家族、白石家族、北山邦連といった強国には力で及ばない。ウェイドがかつて勤めたニニウェ軍団における念能技術の総力でさえ、リク家族全体を凌ぐ。土壌は痩せ、鉱区は散漫、百年まともな戦もない。

『軍工処の統括頻度が、業務処・研究開発処との協働頻度より著しく低い』。その帰結として、かえって工場長の意思決定の独立性が増している。


「先週の対策、何度考え直しても実務的だ」ティオは深紅のペウ晶粒を弄び、独りごちる。「新しい人材管理フローを採用すれば、工場長の人員要請を受けて本部が採用、リク総工場での初期訓練を経て駐在先へ、駐在先での再訓練ののち総工場で試験。工場長と駐在員は本部への輪番訓練で職能と組織帰属を強める。評価制度は各駐在先の慣行を統合して人資処に集中。報酬や昇進と一体で管制する。報酬の再設計も……そこはテティール嬢に助けてもらう。評価、報酬、職階を納管できれば、人材発展はより掌握でき、離職情報から工場の内情も拾える……」

彼はフローチャートを描き起こし、かなり満足した。


彼は軽く息を吐き、前方の水念師たちに目をやる。彼らは葡萄の種核に宿る紫晶色の胚乳を凝集し、採取瓶に錬しぼっている。脇では念能エンジニアが原鉱で満たされた鋼瓶を箱型工作機の原料ラックへと装填していた。


『懐かしい……』

ティオは白石家族の雪原工場での仕事風景を思い出す。ほんの数ヶ月前のことだ。

『だが──人資も面白い。いまの仕事で工場仲間の貢献が可視化できるなら、これは双方にとって得だ』

組織図と腰の環刃を見比べ、彼はこのちぐはぐな一枚絵に苦笑した。ウヴィア家の疑念を払うためウェイドの誘いに応じたのが発端だったにせよ、正直に言えば「この仕事、難しくて可笑しいほど面白い」。


「ティオ」収発室の当直エンジニア、ジョウ・マンリーがゆっくり近づいてくる。手には小型の飛菓を提げていた。「本部のリクから君宛てだよ」

「助かる」彼は飛菓を受け取り、ダイヤルを回して解錠する。

「こっそり教えるけど──」マンリーは意味ありげにささやく。洒脱なティオに惚れこんでいるのだ。「昨日、ペイ長官に、新しい採用訓練フローを定めたいって言ってたでしょ?」

「ああ」ティオはウ・ユージュン工場長の本心を知りたかった。面前の丁寧な顔つきではなく。

「最初はぶつぶつ言ってたよ。『リク家族は口を出しすぎだ。現状維持でいい。人手の問題で生産に支障が出たら、人資処が責任を取るのか?』って」ティオは眉根を寄せる。だが意外でもなかった。

「でもね──私が言ったの。『ティオさんはウヴィア家の人で、ずっと念能エンジニアよ!』」彼女はいたずらっぽく笑い、彼の注意を引こうとする。「あの人、呆気に取られてね。『ならばいい。少なくとも執務室で制服をピカピカにして座ってる連中の机上案じゃない。ひとまず試す価値はある』って」

「ふむ……ありがと、マンリー。一杯奢らないとな」彼は喜ぶどころか、むしろ憂いを深めた。「だが夕方には境張ザンジエ工場へ発つ。また今度だ」そう言って、飛菓から取り出した紙片を広げる。差出人はウェイドだった。


「『君の〈軍団工場人材発展対策案〉を読んだ。驚嘆したよ、ティオ。だがこの“巨作”を、どう実装する? 言いたいことは分かるね……“方法論”だ』」

ティオはそこまで読むと、ジョウ・マンリーが管制門を抜けて艶やかに去る姿を見送り、彼女の話を思い出す。

「『私もニニウェ軍団で同じ問題に直面した。あれは解のないジレンマだ。だが今の新チームには、君のような役どころがいる。率直に言おう──この件は私より君が上手い。必要な資源は言いなさい。ただし、拙速は禁物だ。拙ければ全てを壊す。ああ、それとフーロンロンは重い風邪を引いている。君はこのあと南へ向かうそうだし、日曜はついでに彼女の代わりにルース学院の〈家族軍団CSRフォーラム〉へ出てくれ』、えっ!? 日曜!? ちぇ、残業手当は?」

彼は舌打ちし、後ろの小字を見つける。『心配無用。残業手当は出す。ついでに補講だ──日曜出勤はダブル』


「くそ、ほんとに俺より年下か?」ティオは笑い混じりに悪態をつき、すぐに不安の色を濃くする。

『これほどの大幅改定は“フロー革命”だ。工場長の多くは貴重極まる人材──念流師だ。彼らを怒らせ、工場ぐるみの反発を招けば……俺やウェイドや人資処どころか、ウヴィア家まで巻き添えだ!』

ウェイドの言う通り──彼は誰より分かっていた。この変更は反発の危険が高すぎる。自分が工場長でも、匙を投げるかもしれない。


だが、彼はのらりくらり“調整”をやる性分ではない。ボンド事件ののち、リク家族にもそんな余裕はない──彼らは鉈を振り下ろすような刷新を求めている。これは人資処に極めて不利だ。強い反発が起きれば、昇格したばかりの人資処に黒鍋が被せられる。新任の総執事レナーテ(Renate)はリク家族十四代の一員。彼女ならやりかねない。


『どうする? どう動く──』


***


「モーム荘園か。どうにもリク家族の色には馴染まない……」

ティオはウル*から降り立ち、剥げた外壁と裂けた道路を目にする。広い荘園丘陵に、ぽつりぽつりと小さな工場。灰色に曇った空の下、その寂寞さは一層際立っていた。

「密輸事件の現場だと言われても違和感はないな」


家族の調査によれば、ペウ晶粒の密輸は人手の乏しいモーム家族とは無関係だった。

老いた当主、ヨルゲン・モームは葡萄作り一筋の農人。子らは皆、故郷を離れて働き、妻と使用人がスーク大陸*から導入された大量の労働者を率いて農務に就く。ボンド少佐との接点は薄い。現在、臨時で工場長職を務めるウ・ラオイ大佐は、リク家族に三十五年仕えた古強者。品質処の出で、問題工場の火消し役として知られる。


「“人資処”、ね……レナーテ嬢が持ち帰りそうなものだ。おっと、今は総執事と呼ばないと」ウ・ラオイは穏やかに言った。ティオは工場に入るや執務室で拝謁し、この数多の難工場を立て直してきた先達に最大の敬意を払った。「ティオ殿、私は整頓専門だ。現地チームを育て上げたら去る。年寄りに見えるかもしれんが、新しい観念は飲み込む方だよ。そうでなければ、どうやって火を消す? 違うかね」

「はい」彼はほとんど憧憬の眼差しで答える。

「君の人材フロー調整案は興味深い。実のところ、私は新しい選抜・訓練・評価の手立てが要る。モーム工場の問題をとっとと片付けるためにね。今年、初孫娘が生まれてね! これまでは工場問題のせいで聖沐日*も駐在しっぱなし……今年は家族と過ごしたい。ティオ、君の案で、私を故郷の祭に間に合わせられるかね?」

これは年長者の甘えではない。鋭い眼差しが、変革の険しさを語っていた。

「手を貸してくれるか?」

「もちろん。ただし、入り口はそれじゃない、ティオ殿」

「入り口ではない?」彼には意図が掴めない。

「君は元念能エンジニアだろう? 一日中、工場に詰めていたエンジニアだったはずだ。──どう始めるか、分かるだろう?」

ティオは沈黙した。


その通りだ。見知らぬ人資処の顔が、うずうずした様子で助力を求め、しかも命令口調なら──仏頂面の一つもする。

助けるとも。だが、始め方が違う!

「そうだ……入り口が違う」ティオは思わず口の中で繰り返した。


「長痛より短痛だ、若いの」ウ・ラオイは口角を上げる。「ボンドの罷免後、彼に唆された二名の念流師にも確たる罪証が上がった。免職、再雇用なし。他の仲間は証拠不十分だが、本部の疑いは晴れない。物資便のウカ運転手にすら蔑まれる。軽蔑の眼差しがもたらす痛みを知っているか? “体制に苛立ち”“体制に狙われていると感じる”──反発の首魁はこの手合いだ。真正面から口説いてみるかね? とくに“監督不行き届き”と家族に咎められた領班官、ベンハルトだ」


***


「吾神静まり、これを聚わしめたまえ……」ベンハルトは低く詞を紡ぎ、気を練る。

幾筋ものさらさらとした流水が集合場の地の裂け目から析出し、空へと浮き上がり、車輪ほどの大きさの水弾八発に凝集する。彼が両掌を返すと、水弾はひゅっと音を立ててティオへ殺到した!

「ちっ!」ティオは荒い息を吐く。疲労が色濃い。『あいつも消耗しているはず。これが最後の一手だ!』

彼は腰の鋼環から短刃を四本引き抜き、しゅっ、しゅっ、しゅっ、しゅっと二発の水弾に投げ付ける。水弾は弾け散った。

『あと六発──』左手で鋼鎖を引き、八枚の尖錐を溶接した鋼環を引き剥がして投げ放つ! 腰をひと捻りし、鋼鎖をしならせ、回転する鋼環に弧を描かせて次々と水弾を裂く。四つの球状水弾が音を立てて破れた!

そのとき、左手首に鋭い痛みが奔り、動きが一瞬途切れる!

『ぐっ! さっき打ち据えられた箇所か──痛い!』二発の水弾が面前に迫る。破砕は間に合わない。彼は両腕を交差して顔を庇うしかなかった。

ぱん! ぱしゃあ──!

厚い水塊が彼の身体を弾き飛ばし、後方へ十数メートル滑らせる。


ベンハルトは手を下ろし、勝利の笑みは見せない。ただ「だから言ったろう」という顔。直径一メートルはあろう大水球が掌に浮かび、余裕綽々たる態度を示す。暗紫の衽の縁には眩い銀の一本線。


「はあ、はあ……二段の水念師は、やはり強い」ティオが息を整える。彼の環刃は光点を散らし、遠距離召喚の念流師を仕留めるための脅威ではある。だが“鋼性特化”のペウ武具は、水体を制御する念流にはまるで歯が立たない。


事の発端は、ウ・ラオイの助言でティオがベンハルトに接触を試み、集合場で彼を見つけて軽く案を口にしたときのことだった。ベンハルトの反応は、怒号でも冷笑でもない、ぬるい無関心。

だがティオには分かっていた。本部の動きが目立つ状況下、年季の入った領班官は自己保全のため消極的な構えを取る。新制度の導入過程では、否定よりもこの態度のほうが危うい。そこで彼は咄嗟に武闘の勝負を吹っかけたのだ。


「君は負けた。だから、私が君の太鼓に合わせて踊る義理はないな」ベンハルトは歩み寄り、手を差し出してティオを立たせる。

ティオは無言。〈体術師は念流師に優る〉という格言も、失敗率は低くないらしい。

「とはいえ、話せないこともない。ここまで打ち据えた相手を無碍にもできん」ベンハルトは苦笑する。「君のフローは不可能ではない。むしろ実務的だ。我々に益があるやもしれん」ティオの瞳が明るむ。

ベンハルトはその様子に眉をひそめ、言う。

「だが、私の下には要の二名を含め、工場の古参がいる。モーム工場だけじゃない。残り三十五の工場に、百を超える念流師。みな軍団のやり口を身に染みて知っている。君は体術師だが……全員と一戦交えるつもりかね?」


***


ティオは〈家族軍団CSRフォーラム〉の会場で、むっつりと円卓に突っ伏すように座っていた。鈍く痛んでいた左手首は、催しの退屈さにだんだんと痺れてきた。にもかかわらず、数百卓の二人掛けの円卓はほぼ満席だ。


『こいつら全員、人資の連中か?』以前の彼なら鼻で笑ったろう。いまは焦燥が募るばかりだ。壇上の話は、彼にとっては馬の耳に念仏。自分の窮地の答えなど望むべくもない。

散会後、彼は重い足取りで会場を横切りながら考える。

『モームでは一歩進んだ。だが無意味だ。“方法論”は、なお足踏み……詰んだ!』


「おやあ──それ、リク家族の軍団服じゃない?」と、彼が通りかかった円卓の女が不意に声をかけた。「フーロンロンがひどい風邪だって言ってたわ。大丈夫? あなたが新しい同僚よね?」

「え?」ティオは面食らう。「ああ……俺はもう一月出張づめでね。無事だといいが」よく見ると、女は若い頃のフーロンロンにどこか似ている。

「はいはい、照れない照れない。こっち来て座って。散会直後は人混みがひどいんだから」女は快活に笑う。「私は彼女の妹、ドウドウでいいわ」

「ドウドウさんですね。私はリク家族人資処のティオです」彼はどう振る舞うべきか分からず、硬い口を開いた。

「“ドウドウさん”だって? ふふ、可愛い!」フー・ドウドウは笑い、ティオに紹介する。「こちらはうちのおさ、ベーデメロ。で、彼の副官ナタリアよ。長、フーロンロンが言ってたの。彼の新しい同僚はあなたと同じ、元はエンジニアで、人事に鞍替えした変わり者だって!」


ティオは、静かに座る“長”を見つめ、息を呑む。

ベーデメロは端正な男で、ドウドウの屈託ない調子に苦笑し、ティオに礼儀正しく会釈を返す。その傍らの雪髪に褐色の肌の若い娘は、息を呑むほどの美しさだった。

「ベーデメロさん、あなたも元はエンジニアで?」ティオは驚く。〈長〉と呼ばれるなら、人資ユニットの主官のはずだ。

「ああ。二十年はエンジニアだったよ」ベーデメロは淡く笑う。厳格にして親和。その佇まいが、追い詰められたティオの求知心を強く揺さぶった。

「ベーデメロさん! ひとつ伺いたい──」ティオは意を決し、リク家族で直面している難題を要約して打ち明ける。


聞き終えると、ドウドウは眉根を寄せ、ナタリアは何か考えがあるようだが、まだ言葉にしない。ベーデメロだけが淡々と薄笑みを浮かべている。

「人波も引いたし、要点だけ言おう、ティオ君」ベーデメロはそう言うと、不意に冷たく、わずかに挑む調子で続けた。「入職初訓は、工場の領班官にとって、そんなに厄介か?」ティオは眉をひそめる。

「当然だ! 基礎初訓は家族史と環境、規範の習熟がせいぜい。技術初訓の価値は高くない。工場側の訓練コストが重すぎる!」

「なら、どうする?」

「は?」ティオは目を見開く。さっき言ったばかりだろう。「新人離職の代償は、工場の生産に甚大だ。だから初訓を集約し、スケールの効率を出すんだ!」

「なら、進階訓練も本部でやればいいだろう?」

「各工場には独自の文化と蓄積がある。錬成工法も微妙に違う。進階の技術訓練は駐在工場でやるしかない。それは代えが利かない。むしろそれで、本部に工場端の技術的鍵を理解させるんだ」

「そうするなら、訓練が済んだ時点で以後の管理は工場側に任せればいい。評価まで本部の管理体系に入れる必要は?」

「それでは工場が割を食う。『評価を本部に納入』してこそ、本部は各主官の貢献を把握し、評価成果を工場運営方針と結びつけられる」ティオは苛立ち始める。すでに説明したことの繰り返しだ。

「それだと工場主官は『昇給勧告権』の根拠を奪われる。彼らは他の統御手段を失うんじゃないか?」

「むしろそれでこそ、彼らが“公開・公正・公平”のリーダーシップを持つことを本部に示せるだろう?」

……。


二人のやり取りは続いた。ベーデメロは、既に答えた問いを次々と投げ、ティオに工場の苦境から出発して、再度解法を語らせ続ける。

『この人は人資の長じゃないのか? なのにどうして……』最初、ティオはそう思った。

だが対話が続くうち、彼は気づく。傍らの副官ナタリアは意外そうでもなく、むしろ学び取るように静観している。ドウドウは面白がって眺めている。

『わざとやっている?』ティオは悟り始めた。


そう──彼は、工場側の痛点の立場で、再度“自分で”解を引き出し始めていたのだ。


ベーデメロは彼の表情の変化を見て、詰問を止め、微笑んだ。

「ティオ君、段取りと実装は違う。だが今の君は“工場の仲間の立場で”問題を見直し、発想している。問うが」その眼差しは鋭い。「君は、自分が関わって練り上げ、共に作った案に反対するのか? それとも、その合意を語り広め、他者を説得するのか? 出発点が家族の利であったとしても、工場主官の痛点から出たのなら、彼らの口からそれを言わせてみせればいい」

雷のような言葉に、ティオは覚醒する。

返答を待たず、ベーデメロは続けた。

「リク家族は、君の悠長な“調整”を待たない。だが、潮目を変えられるのは君だけだ。もしその対策が、工場主官たちの“合意”になるなら、君は本当に独りか? “十”の前の数字は?」

「“九”だ!」彼は叫んだ。

「ふむ……私の心づもりは“一”だったがね。『一が十に伝わり、十が百に伝わる』からだ。はは、どうやら君は実務家らしい」会場の撤収が始まり、ベーデメロは立ち上がる。「人資処でも分業は必要だ。分工場が多すぎるからね。君のボスもなかなか切れる男のようだ。『どういう主官に、どういう部下がつくか』というが、ナティとドウドウがこれだけ利口なら、納得だ。──健闘を祈る」

そう言って、彼はナタリアを伴い、歩み去った。


『そうだ、“感染”が最速だ。合意さえ形にできれば!』

ドウドウに挨拶しながら、ティオは急いで尋ねる。

「彼は一体……?」

「え? フーロンロンから聞いていないの?」ドウドウは目を丸くする。「私はアッスール家族ニニウェ軍団。彼は鞭策会の長よ!」


「鞭策会?」ドウドウの背を見送りながら、ティオは胸の内で繰り返す。

『“相手の口で言わせる”、か……どれほど高等な対話術だ? 腹黒いと言えばそれまでだが──ウェイドの兄貴なら、何手か指南してくれそうだ。ふふ……』

そう思うと、彼は含み笑いを漏らし、胸の底に久々の確かな手応えを覚えた。


〔注釈〕

•水念師:水を召喚し、あるいは液体を操る念流術師。

•ウル:ペウエンジンで駆動する小型四輪車。性能は非常に高いが、エンジン室の空間が限られるため、通常は原生プレート内での移動に用いられる。

•スーク大陸:シルバーレイ大陸の東方海域にある謎めいた大陸。そこでもプレート割拠の家族分治が続いていると言われるが、表向き統一を装うブローミン王国のような枠組みはない。

•聖沐日:シルバーレイ大陸で毎年二月初めに行われる最重要の年祭。地方ごとに祝い方は大きく異なり、たとえばニニウェでは〈漂堡祭〉、スグでは〈パザ・モモ〉(Pachamama)の武闘祭が催される。

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