Ep.1 スクランブル 記録番号1029-MH0043K
それは、なんでもない日だった
面倒で捲ることも無くなったカレンダーの向こう側にある、2028/6/8という数字の羅列も、おそらく大した意味を持たないはずであった。もちろん今日は誰かの誕生日かもしれないし、誰かの命日かもしれない
ともかく連邦の海外領土、フォックス環礁……正確にはその中に建設された第319空軍基地とそこに所属する連邦航空宇宙軍 第31親衛戦闘機連隊分遣隊の一日は、変わる事などない……はずだった
「おはよう大尉。よく眠れたか?」
「少佐、おはようございます。南方の夜は蒸し暑いにも程がありますね」
彼が大尉と呼んだその同僚は、麦の様な金色の髪を短く切り揃え、端正な顔立ちをこちらへと向け、敬礼で以て彼を迎えた。彼女の名は詩桜七瀬。連邦防空軍の大尉であり、このフォックス環礁に2機しかいない分遣隊の、空中勤務者の1人である
「なんであれ、今日も緊急待機だ。最近は王国との関係が良くないらしいからな」
「王国と言いますと……ヴァンガルドですか」
「あぁ。どうにも議会のタカ派が前国王の崩御をキッカケに躍進し始めたらしい」
ヴァンガルド王国。連邦制に切り替わる前、帝国の時代から領土や主義で係争を続けてきた面倒な国だ
近年ではハト派の前国王から王位を継いだ現国王が版図拡大を表明し、少佐が述べた通りにタカ派がさらに躍進
ここで関わってくるのが、帝国から連邦へと交代した時に元植民地国家によって行われた、『主権回復条約の締結』である
これは帝国が保持していたすべての植民地を放棄し、その主権と独立を保持する為に努力を惜しまない、と言ったものだ
幸いな事にその広大な国土によって、他国の必要とする事柄でなに不自由することのなかった帝国の植民地支配は非常に穏和な物で、連邦が帝国主義から脱却したことを国際社会に示すというのが実情だった
皮肉と言うべきか、帝国の植民地支配も他の列強各国にその能力を示す為だけのものでもあった
その為、在留帝国軍の撤退または装備の移譲、インフラ整備などのODAと言った支援の後、元植民地国家は連邦との安全保障条約を改定し、再び自国内での連邦軍在留を認めた
ただこれは一部の元植民地……主に王国から多額のODAという名の内政干渉を受けていた国々にとっては、『連邦の帝国主義再建』とし拒否。王国軍の駐留を求めた事により、本来接することのない連邦、王国の地上兵力がそれぞれの属国を介して睨み合う事となってしまった
これはフォックス環礁を保有するザリア共和国にも波及し、直近半年で共和国の防空識別圏に対する王国の侵犯行為は急増
帝国と王国という二大巨塔による冷戦は、連邦と王国に姿を変えて再開されたのだ
だからこそ、現地時間0849時に鳴り響いた警報音も、もはやある種の日常となっていたのだ
「ダーター グラークはスクランブル、スクランブル。対象は観測点より方位0-8-8 高度4300中空 フォックス環礁の防空識別圏を西から東へ侵犯。ボギー機数3、大型機1が小型機2の護衛を受けている」
日常であっても、それが穏やかなものとは限らない。
2人は和やかな雰囲気を躊躇いなく脱ぎ捨て、荒々しく扉を開け放ち、その装備の重量を感じさせないほどの足で乗機へと駆け寄る
彼らの乗機……多目的バンカーに安置されたSu-35SMP邀撃戦闘機は、その爆音轟く2基のAL-41FM3エンジンを回転させ、計器類は完璧にチェック。スクランブルのための準備が整えられた状態となっていた
「スクランブルの両隊へ一方通達。接触進路は離陸後に当基地とは周波数197.4で交信。ミリタリー出力で上昇の後に各個でレーダーコンタクト。グラークは敵小型機、ダーターは敵大型機と各機の監視」
「領空侵犯、指示に従わない、2度の最終警告を経ても行動を変えないといった各種条件のクリア、または敵対的な行動を行った際には撃墜が認可される」
少佐は最終調整を行い、HMDを起動しつつ滑走路へとタキシング。隣のバンカーからは詩桜大尉のSu-35がその鼻頭を見せ、向こうではザリア空軍に供与されたMiG-29SMがエプロンから動き出していた
「グラーク1-1 カリンカ。武装は四発のMRMと二発のSRM、機関砲200発」
「グラーク1-2 トホーニャ。同じ」
少佐はノンストップで出力を上げ地面を離れると、20秒の間隔を保って大尉が続き、そしてダーター隊の2機もスクランブル
少佐と大尉は上昇しつつ4マイルのトレイル隊形を組み、ダーター隊とは8マイルを維持
4機は高度を雲上へと上げ、白雲を引きながら目標へと急行する途中に4機はレーダーを起動。その眼光が遥か遠方の敵を見抜く
「Glack 1-1 BOGEY 3contact. BRAA,HEADING 1-9-3 For 40 COLD」
「敵機は2機のF/A-18とB-52。速度は900km/h前後。これより接近して……」
「小型のボギーが進路変更、Glack 1-2 2BOGEY,HEADING 1-9-8 For 35 HOT」
彼が報告している最中、敵機が進路を変更。2対4で向き合う形となり、スクランブル隊に警戒心は一気に最高潮に達する
少佐は秘密回線で詩桜大尉にマスターアームオンと戦闘隊形への移動を命じ、自身もマスターアームをオンに
MRMのR-77Mを選択して万一の事態に備える。レーダー画面の上では、そのボギーが着実にリードトレイルを組んでいる事実に気付きながらも、何かの間違いであると祈っていた
「Glack 1-1……あー、非常事態につき手段を飛ばし、国際回線で呼びかける」
彼は詰まる距離に焦燥感を駆り立てられながらも、無線を国際回線へと設定し、口を開いた
「ユニフォーム ノーヴェンバー。こちらはアスティア連邦防空軍ならびにザリア共和国空軍である。貴機等は事前の飛行計画の提出並びに認証なしに、我々の防空識別圏を侵犯している。貴機等の所属と目的を説明せよ」
「貴機等は……え〜……「10分後です少佐」10分後に我々の領空へ侵入する。速やかに進路を1-0-0へと変針せよ。これは武力を用いない最後の警告である」
大尉の補足を受けながら、前方のバンディット……既にデータ上ではファゴット1/2/3と割り振られた連中へと通信を続ける
そのレーダー上では、ファゴット3 B-52がF/A-18の後方40マイルで進路を変更。進路を同じくした
「……再度通達する。こちらはザリア空軍並びにアスティア連邦防空軍である。貴機等は我々の防空識別圏を侵犯している。飛行計画の提示、並びに所属を明らかにせよ。これは武力を用いない最後の警告である。速やかにこちらの指示に従い、貴機等の所属と目的を報告せよ」
グラデーションのかかった大空に静寂が広がる。雲を引き接近する7機は雲海へと影を落とし、異様な雰囲気はキャノピーを通り越して共有されていた
そしてそれはあの基地と同じく、鳴り響くレーダー警報装置の警報音によって、状況が動き出した
「ッ!Glack 1-1 Radar Spike!HEADING 2-0-2 For 28 23000ft!HOT!」
「Glack 1-2 Radar Spike!HEADING 2-1-1 For 30 20000ft!HOT!」
「警告する!火器管制レーダーの照射は重大な国際問題である!速やかに照射を停止し、我の指示に従え!繰り返す!速やかに火器管制レーダーの照射を停止し━━」
「ミサイル警報!全機ブレイク!ブレイク!ブレイク!グラーク1-1 ジャッカル!ジャッカル!2-0-2 For 25 2 BANDIT !」
両翼のパイロンに吊り下げられた中距離ミサイルがブースターを点火し、ロフト軌道をとってさらに高空へ上昇する
少佐は即座に操縦桿を倒し回避機動。機首方位を80度北西に向け、レーダーの捜索角度の縁で敵機を捉え続け、HUD上の数字を凝視する
「Glack 1-1!APPROACH HEADING 2-0-2 For 1-1-7!」
「敵ミサイル到達まで20秒!」
緊張感に駆り立てられながらも、決してそれに支配されることのないよう、目の前の情報から策を考える
数的、性能的な優位はこちらにある。先手は自分の反撃で相殺し、さらに予想外の反撃で敵は戦闘隊形を崩して南に回避。ダーター隊は西に回避し、自隊は東に回避。位置関係は三角形になっている
「1-2 GET READY APPROACH HEADING for IN JACKAL 2-3-8!」
「1-2 Copy That!GET READY APPROACH HEDING for IN JACKAL 2-3-8!」
「This is VAU-ADF Glack 1-1,Zariya Air Force check」
「This is Zariya Air Force Darter 1-1 Ready 」
「敵が体勢を立て直す前に反撃に出る。攻撃はこちらで受け、残弾6発のMRMで敵の速度を削る。ダーター隊はこちらのBEDNOSTIコールに合わせてイン、MARKDでJACKAL」
「ダーター了解。そちらのBEDNOSTIに合わせIN、MARKDでJACKALする」
この様な時に統一された戦技などは非常にその効果を発揮する
ザリア空軍は旧帝国空軍のパイロットが多い事もあり、連邦空軍と戦技教範を統一しているのは幸運だった
「Glack 1-2 APPROACH,HEDING 0-9-2 for 2-3-8. Contact 2BANDIT 2-4-0/2-3-2 30 HOT」
「Glack 1-2,JACKAL JACKAL.2-4-0/2-3-2 29 18000ft 」
ミサイルの回避に成功したと判断した少佐は大尉の攻撃と再離脱を待ち、ミサイルの噴煙とJACKALコールに合わせ操縦桿を倒して敵に頭を向ける
Su-35SMPのN136 ベルカ-M AESAレーダーは容易に回避中のF/A-18Cを補足すると、大尉と同じ様に捕捉した2機へJACKALをコール。エアインテーク下部に装備された2本のR-77がロフト軌道をとって白煙を引く
「Glack1-1 JACKAL 2BANDIT 2-3-8/2-4-0 27 19000ft,Glack1-1 BEDNOSTI BEDNOSTI」
「Darter 1-1 APPROACH IN JACKAL, 1-5-8 20 18000ft」
「Darter 1-2 APPROACH IN JACKAL, 1-4-2 24 19000ft」
少佐の指示の通り、西ではダーター隊がその翼下に吊り下げたR-77M中距離対空ミサイルを、度重なる回避機動によってエネルギーを損耗しきった2機のF/A-18Eへと放たれる
そこから僅か30秒もせず、20マイル遠方の雲海へと突入する二筋の黒煙が見えた。レーダーの機影も、その大きさを減じている
「Darter 1-1, SPLASH 2BANDIT Fagot2 3」
「Fagot1は……健在なれど離脱中。いや、このレーダー反応は?!」
機首を取り直し、離脱してゆくB-52とは別の……極小型かつ大量のレーダー反応を探知した
「……巡航ミサイル!やられた!目的は……環礁の基地! 」