「ずるい」と「うらやましい」の違いがわからない異母妹を教育した結果、世界に平和が訪れました。
「おねーさまはずるいわ!」
「あら、一体何がずるいというのでしょう。詳しく聞かせてもらえるかしら。私が納得できる内容でしたら、改善に努めます。納得できなければ、わかっていますわよね?」
やいのやいのと騒ぐ異母妹を見ながら、ヘンリエッタは微笑む。その隣では顔を真っ青にさせた父親が泡を吹きながら、継母と一緒になって貴族名鑑の暗記に取り組んでいた。
***
ヘンリエッタが異母妹と継母に初めて対面したのは、彼女の実母が他界してからちょうど一年後のことだった。政略結婚で愛情のない相手だったとはいえ、喪が明けるまでは再婚を我慢した父親に向かって、よくできましたとヘンリエッタは小さくうなずいてみせる。何を隠そう、正妻が死んだ直後に愛人と娘を屋敷に連れ込もうとした当主を叱り飛ばしたのはまだ幼さの残るヘンリエッタなのだった。
この世界では何より魔力量が物を言う。当時、ヘンリエッタとの関係が薄く、うら若き乙女だと侮っていた父親は、逃げ出したくなるような彼女の威圧感に身体を震わせつつ、再婚を延期するように主張してくる娘に反論した。何せ逃げたくても、彼女の侍従に縛り上げられているので逃げられないのである。
「ヘンリエッタ、今さらなぜわたしの振る舞いに文句をつける。お前は母親に、わたしにすがらないようにと忠告をしてくれていたではないか」
「何か誤解があるようですが、私はお父さまが自由に浮気を楽しむためにお母さまをたしなめていたのではありません。貴族の正妻でありながら、夫の浮気に取り乱す様子が美しくなかったがゆえに、お母さまに別の解を示したまでです」
別にヘンリエッタは、母親の味方でも父親の味方でもない。彼女が大切にしていたのは、自分たちの振舞いが貴族にふさわしいかどうかだけである。
「これは浮気などではない。わたしの心は、最初から彼女に」
「お父さまの心の在り方に興味はありません。お忘れかもしれませんが、犬や猫、馬などの良い血筋を残すのと同じように、私たち貴族は己の血筋を残すことに加えて、政治的なバランスをとることが求められています。幸いこの国は、性別にかかわらず家督を継ぐことが可能です。私という存在があればこそ、公序良俗に反しない範囲でお父さまが愛人を持つことは反対できないと判断いたしました」
貴族の結婚において、愛人の存在は切っても切り離せない。本人たちの心情を考慮することなく政略結婚の組み合わせを決めるのだ。子どもが生まれた後は本当に好きな相手と別宅で暮らす形になることは珍しくもなかった。
ヘンリエッタの母も父のことを義務的な結婚相手だと認識していれば幸せだったのだろうが、可哀想なことに本気で恋をしてしまっていたらしい。結果として心を病みかけていたのだが、男一人に自分の人生を捧げるなんて馬鹿らしいと一笑に付したヘンリエッタが、スパルタ式にヘンリエッタの母を変えてしまったのだ。
何かあった時に自分の尊厳を守るために必要なのは頼りにならない夫ではなく、人脈と財産だとこんこんと説き伏せ、さまざまな茶会や夜会に引っ張り出した結果、最終的にすっかり自立した女性に様変わりしたのである。
初めは夫に愛されないことをあからさまに笑われていたが、日が届かない場所でも力強く繁殖する生命力の強さになぞらえて「ホウトゥニア・コルデータの君」などと呼ばれる羽目になったのも今では笑い話だ。匂いが独特で単為生殖可能な植物を出してくるあたり、ヘンリエッタとしてもいろいろと思うところはあるが、それなりのインパクトを周囲に与えることはできたのだろう。
「お母さまのことを想えばこそ、私はその行動を諫めました。今は、お父さまの行動を諫める時です。正妻の死去直後に愛人を別宅から本宅に連れ込むという行為はあまりにも醜い。誰からの共感も得られないばかりか、血も涙もない非常識な男としてお父さまの評判は地に堕ちるでしょう。せっかく時間ができたのです。喪が明けるまでの間に、お父さまは愛人とその子どもに分別と常識を身につけさせてくださいませ。一年後、新しい母親と異母妹としてこの屋敷に来た際に結果が見られないようであれば、私が教育を施させていただきます」
「わかった」
そんなこんなで、通夜と葬式が終わり次第、愛人を本宅に連れ込もうとした父親を話し合いで説得したヘンリエッタ。最終的に壊れた人形のように首を縦に振る父親に望みをかけていたのだが、残念ながら期待は裏切られてしまったのである。
***
「ヘンリエッタ、今日からお前と一緒に暮らすミランダとシーラだ。母と妹として、仲良く暮らすように」
「今日からあたしが侯爵家の正当な後継ぎよ! 先妻の子どもなんてお呼びでないわ」
「あたくしの娘もようやくお姫さまになれるのね!」
ヘンリエッタの父の愛人、娘にとっては、堂々と本宅に乗り込める日。そしてヘンリエッタの父にとっては死刑執行日。ヘンリエッタは、屋敷に連れてこられた新しい母親と異母妹の姿を見て、眉ひとつ動かすことはなかった。ちらりと流し目で見据えれば、ヘンリエッタの父は脂汗を流しながら膝を震わせている。
「お父さま、約束は覚えていらっしゃいますね?」
「いや、わたしも努力はしたのだ。だが」
「努力が評価されるのは子どもだけですよ。貴族ともなれば、努力はして当たり前。結果を出してこそ。ご自分を甘やかすのも大概になさってくださいませ」
小さくため息を吐いたヘンリエッタに食ってかかってきたのは、見た目だけならばそれなりに愛らしい少女と、その母親だ。
「あたしたちが平民だからって、差別するのね! ずるいわ!」
「生まれつきの貴族だからって偉そうにして!」
本来であれば、愛人とその娘が正妻の娘に受け入れられるはずがないのだ。目的のためならばどんなことでも呑み込める貴族令嬢の鑑であるヘンリエッタだからこそ、彼女は淡々と物事をこなしていけるのである。
そもそもヘンリエッタの父親が選んだ女性は、下級貴族どころか平民の出身だ。そんな彼女が礼儀に通じているはずがない。これでどうやってまともな社交を行おうというのか。男には男の、女には女の戦場がある。そして茶会や夜会は、女たちの戦場なのだ。
一族全体で、各種派閥と対峙しなければならない。家族内で足をひっぱり合っている場合ではないのだ。ヘンリエッタは手に持っていた扇を勢いよく綴じると、にこやかに宣言した。
「おふたりとも、我が家へようこそ。楽しいお勉強の時間の始まりです。ついでにお父さまも、貴族社会についての勉強をやり直しましょうね。他の方の前で、自分や自分の娘のことを姫呼ばわりされることがあるかもしれないだなんて、恐ろしすぎて冗談にもなりませんわ」
ヘンリエッタが再び扇を広げると同時に影のように現れ出た侍従。その侍従により、彼ら三人は悲鳴を上げる間もなく取り押さえられたのだった。
***
こんな風に始まったヘンリエッタと新しい家族たちの生活は、朝から晩まで「ずるい」という異母妹の悲鳴によって彩られていた。
貴族教育をされたことのない継母と異母妹、されたはずがいろいろとすっぽ抜けている父親。こんな家の恥を他人に任せることはできないし、何より易きに流れる父親である。目を離すわけにもいかない。そのためヘンリエッタは、家の仕事をしつつ、三人の教育も行う羽目になった。
異母妹の指導はヘンリエッタ、継母の指導は父親である。何せ、ひとに教える際には自分が内容をしっかりと把握していなければならないのだ。知識やら礼儀やら社交界の人間関係をすべてヘンリエッタの母親に丸投げしていたツケは自分で払ってもらわねばならない。ありがたいことに、他家との茶会や夜会ではないので、失敗もただの勉強の糧である。これが家門を脅かすような命とりになることだけはないので安心だ。失敗するたびに課題が増えていく彼らにとっては、何ひとつ安心ではないようだったが。
「おねーさまはずるいわ!」
「あら、何がずるいというのでしょう。詳しく聞かせてもらえるかしら。私が納得できる内容でしたら、改善に努めます。納得できなければ、わかっていますわよね?」
「昔からお貴族さまだったおねーさまと違って、あたしたちがこんなことできるわけないじゃない」
「それは昔から、私が勉強をしていただけでは? 遅れを取り返す分、詰め込んで勉強するのは当り前よ」
「あたしたちが古い別宅に住んでいるときに、綺麗なお部屋でドレスを着て、お姫さまみたいな暮らしをするなんて!」
「私は不当な手段でもってこの暮らしを享受しているわけではないわ。それなりの責任を果たしているの。例えば、領地の運営とかね。あなたたちが使っているお金は、亡くなったお母さまと私が稼いだものよ?」
痛いところを突かれたのか、異母妹がきゅっと唇を引き結んだ。ちょうどよく静かになったとヘンリエッタは、話を続ける。
「じゃあ逆に尋ねるけれど、私があなたはずるいと言ったら謝ってくれるのかしら?」
「おねーさまと違って、あたしはずるいことなんてしていないもの」
「あら、あなたの両親はふたりとも生きていてずるいわ。あなたは両親から愛されていてずるいわ」
にこりとあえて穏やかに微笑めば、異母妹と継母、父親はそろって顔色を悪くした。腹の中で舌を出しながら、ヘンリエッタは母親譲りの端正な顔にそっと手を当ててみせる。
まあヘンリエッタは、シーラのことをずるいだなんてこれっぽっちも思ってはいなかったのだが。使えるものは何でも利用する。その姿勢は、貴族として正しいものである。だから、ヘンリエッタは己の境遇を使用してみせた。ただそれだけ。
実際、ヘンリエッタが母親の人生を軌道修正することができなければ、ふたりは父親に見捨てられた哀れな母娘として、短い人生に幕を下ろさねばならなかったに違いない。それぐらい母親の精神状態が危うかったことを彼女は知っている。何せ彼女が、「あなたが娘ではなく、息子だったらよかったのに。あの方にそっくりな男の子ならば……」と言った挙句、彼女に男装を強いていたくらいなのだから。
***
「だいたい、どうしてあなたの気持ちを表現する言葉が『ずるい』なのかしら? 『うらやましい』と素直に言えばよいでしょう?」
「だって、『うらやましい』じゃ長いじゃない。『ずるい』の方が言いやすいもの。あと、『うらやましい』って言葉、好きじゃないわ。そういう言葉、周りで聞かなかったもの」
「周りで聞かなかったのではなく、あなたの耳に入らなかったのでしょうね。それに好き嫌いの問題でいうならば、『ずるい』も『うらやましい』もどちらも私は好ましい言葉だとは思わないけれど」
ため息まじりに言い聞かせてみれば、シーラは目を丸くして口をぽかんと開けていた。
「へ? じゃあ、おねーさまは、ずるい……じゃなかった、うらやましいって思った時になんていうの? 黙っておくの?」
「『素敵だわ』、『お似合いだわ』、『憧れるわ』、そう素直に褒めたらよいではないの」
「それ、なんだか嘘くさい。だって、あたしだって欲しいのに。やっぱり、『ずるい』って言いたい」
「自分の中の感情を整理して、より適切な言葉で伝えなさい。『ずるい、ほしい、ちょうだい』ではなく、『素敵だわ。どちらでお求めになったの? 今度紹介してくださる?』みたいにね」
「……そうすれば、同じものが手に入るの?」
「いいえ」
「なによ、じゃあ、結局どんな言葉遣いをしても同じじゃない!」
「だって、あなたと私が同じ人間ではないように、これから出会うたくさんの人々もあなたと同じ人間ではないもの。例えば、今着ているドレス。お互い、系統が違いすぎるでしょう? 腕の良い仕立屋がいても、得手不得手もあれば、似合う似合わないもある。真似をして相手の居場所を横取りしようとするのではなく、あなたの幸せを作っていかなくてはね」
そして「おねーさま」ではなく、「お姉さま」と呼ぶようになり、父親と継母が無難に社交をこなせるようになった頃、シーラはヘンリエッタに尋ねた。
「お姉さまは、どうしてこの侯爵家を支えようと努力なさっているのですか? どうして、あたしとお母さまをこの家に置いてくれたのですか? 憎みこそすれ情けをかける必要なんてなかったのに」
貴族としての正しい解であれば「貴族の義務よ」と答えれば済むはずなのに、ヘンリエッタは困ったように首を傾げた。
「あなたがかつて『お姫さまになりたい』と言っていたように、私にも叶えたい夢があるのよ」
「お姉さま、また昔の話を持ち出して誤魔化すのはやめてください!」
「そう大して昔の話ではないような気もするけれど?」
仲良し姉妹が笑いあっていたところに、ヘンリエッタの侍従が来客を知らせに来たのである。
***
基本的に屋敷への訪問には先触れがあるものだ。眉をひそめつつ、ヘンリエッタは侍従に丁重に出迎えるように指示する。だが断れる相手であれば、侍従はヘンリエッタの手を煩わせる前に客人を追い出していることだろう。そんな彼がわざわざヘンリエッタを呼びに来たということは、それなりの相手だということだ。上級貴族か、王族か。あるいは……。
「これはこれは。聖女さまが並び立つ姿を我が家でお目にかかることになりますとは。光栄至極にございます」
頭を下げるヘンリエッタの前にいたのは、王族ですら膝をつかなくてはならないという中央神殿の聖女二人組であった。彼女たちはヘンリエッタの姿を見かけると一斉に口を開き始めた。
白の聖女がヘンリエッタに向かって叫ぶ。
「主人公が虐められて、何もかもを奪われないと話が進まないでしょう! あなたはドアマットヒロインなの。まずは耐えて、耐えて、耐え続けなくては! 母を失い、父の愛情も失くし、継母と異母妹に虐げられてこそ、世界を救うあなたの伝説は幕を開けるのよ! そうすれば冤罪でお取りつぶしになった幼馴染の無念もちゃんと晴らせるのだから!」
黒の聖女もヘンリエッタに向かって叫ぶ。
「ざまあされる悪役令嬢が、心を入れ替えてヒロインになるのが今どきはむしろ王道なのよ! それならばヘンリエッタの教育方法は正しいわ。あとはこのままヘンリエッタが締め付けを厳しくしたあげく正しさを追求して人間味を失えば、シーラが反感を抱くのは間違いない。ライン越えをしてきたところでシーラがヘンリエッタを追放して万事解決よ! 悪役令嬢だからこそ救える力というものはあるの。シーラならば冤罪の証拠だって全部見つけられるわ!」
なるほど、意味がわからない。ヘンリエッタは首を傾げつつ、合理的で美しい解を考える。ドアマットヒロインだとか悪役令嬢という単語に聞き覚えはないが、ようはヘンリエッタとシーラのどちらが家督を継ぐことになるのか、高見の見物をしているのだろう。社交界でもふたりのうちどちらが後継者になるのかは、注目の的なのだ。
貴族としての血筋の正当性を重んじるならばヘンリエッタ。しかし、侯爵家の財産等をうまく利用することを考えるならばシーラの方が操りやすい。ただのお家騒動ではなく、血に飢えた狼たちの前にぶら下げられた生肉のような存在、それがヘンリエッタとシーラなのである。いずれにせよ、自分が守るべきものはひとつだけ。それをわかっているヘンリエッタにしてみれば、答えなど最初から決まっているのだった。
「残念ですが、私がシーラを追い出すことはありませんし、シーラが私を追い出すこともありません。世界というものがどこまでの範囲を示すのかはわかりませんが、私とシーラが手を組めば最強なのでしょう? わざわざ足を引っ張り合う必要がどこにあるというのです?」
「あら、あなたたちが争わなければ、幼馴染の冤罪は晴れないかもしれないのに?」
「冤罪の証拠があると、黒の聖女さまがおっしゃったではありませんか。しかも、シーラならば、必ず見つけることができると。これで安心して前に進むことができますわ。今までとは違って、はっきりと希望が見えたのですから」
傍らの侍従を見上げれば、彼はその通りですとうなずいた。かすかに手が震えているのは、反撃の手がかりをつかんだからだろう。
「素晴らしい情報をご提供いただき、ありがとうございます。白の聖女さま、黒の聖女さま、おふたりにご満足いただける結末になりますよう、精一杯努力させていただきます」
ヘンリエッタとともに、シーラと侍従はそろって頭を下げた。
***
一年後、侯爵家の女当主となったヘンリエッタの元へ、涙目の異母妹シーラが抱き着いてきた。どうやらまた城から使いがやってきたらしい。
「お姉さま、どうしましょう! あ、あたしが、お妃さまだなんて無理無理」
「まあ、そんなことを今さら言っても。王の影以上の働きで情報収集をしていたら、こうなるのも時間の問題だったわ」
「もう、もう。可愛い妹が大ピンチだというのに、どうしてそんなに落ち着いていられるの! はっ、やっぱりお姉さまは、腹違いの妹なんか大嫌いで、この家から追い出したかったのでは?」
「まったく、人聞きの悪いことを言うのはやめてちょうだい。あなたの夢だったのでしょう、お姫さまになることは。王太子の妃になれば、称号はちゃんとプリンセスになるわ? 良かったわね」
「いやああああ、身の程を知らない子どもの頃の夢が足を引っ張ることになるなんて!」
「ほら、そんなことを言っていたら、殿下がお見えになったわ。先に挨拶をしていらっしゃい」
「いや、お姉さまも一緒に」
「殿下が会いたいのはあなたなのだから、私は後からお伺いするわ。ほら、早くなさい」
「いやああああああ」
いろいろなことを学んだ結果、「どうやら平凡が一番」だと理解したシーラだったが、その時には手遅れで、王太子におもしれー女として目をつけられ、外堀が埋められてしまっていたのである。ちなみにシーラが正妃になるにあたりもともと婚約者だった公爵令嬢は、大喜びで隣国の王太子の元に嫁いでしまっている。どうやら昔から想い合う仲だったらしく、彼女に何かあれば戦争も辞さない覚悟だったと耳にした時には、全員が半笑いするしかなかったのであった。
***
「これで、白の聖女さまと黒の聖女さまはご満足いただけたのでしょうか?」
尋ねられたヘンリエッタは、艶やかに唇をつりあげてみせた。
「聖女さまがたが満足されたどうかなんて、興味はないけれど。まあ、大丈夫なのではないかしら。さきほどから妙にきらきらしい音楽が聞こえてくるもの。これが世に聞く祝福なのでしょう」
「また、そんな適当なことを言って」
「だって私はようやっと正解に辿り着いたのだもの。少しくらい気を抜いて適当に過ごしても良いでしょう?」
「僕を選ぶなんて、一番の大間違いのような気もしますがね」
「あなた以外、欲しいものなんてなかったのに?」
ヘンリエッタは正しい解を求める貴族令嬢である。清濁併せのみ、虎視眈々と力をつける。けれど、それは貴族であることに誇りを持っていたからではない。政治闘争に敗れて、冤罪でお取りつぶしになった幼馴染の名誉を回復させること、それだけが彼女の望みだったのだ。
幼い彼女にできたのは売り飛ばされる寸前の幼馴染ひとりを、侍従としてそばに残すことだけ。力が欲しいとひたすらに願った。だから、貴族として力を手に入れるために正しい解を求めたのだ。
家族のことは嫌いではない。むしろ好きだと言ってもいい。けれど、何よりも一番大切なひとを守るためなら何だってできる。周囲の人間は、ヘンリエッタのことを異母妹さえ受け入れる愚かなお人好し、あるいは貴族としての誇りに生きた真の令嬢だと噂するけれど、ヘンリエッタの心の中は幼馴染がすべてだ。それ以上でも、それ以下でもない。
「本当に悪いひとだ」
「そんな私が好きなくせに」
貴族としての身分を取り戻した幼馴染と結婚したばかりのヘンリエッタは、そっと傍らの夫と口づけをかわした。
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