エフェス編 第17話 友の失踪、エルフの戦士たちの目覚め
星霊暦五〇四年一月三十日、水曜日。
木々の水分が霧となり、朝日に照らされてキラキラと輝く美しい朝。 昨日までの疲労が嘘のように消え去り、エフェスは十五日ぶりに本当の「快調」の中で目を覚ました。
「リーファ姉さん、おはよう!」
感謝の言葉と共に勢いよく居間へと向かったエフェス。 しかし、彼が目にしたのは昨日とは全く違うリーファの姿だった。 彼女は部屋の入り口に立ち尽くし、その顔から血の気が引き真っ青になってわなわなと震えていた。
「エフェス君……」 絞り出すような掠れた声。
「……大変……!」
「ファラが……」
「ファラが、いないの!」
その一言が、エフェスの脳天を鈍器で殴りつけた。
「……え?」
リーファと共にエルウィン長老の家へと急ぐ道すがら、彼女は震える声で状況を説明した。 「長老がいうには、朝の起床時にはまだファラは家にいたって言っていたわ。いなくなったのは、ほんのついさっき……朝食の野菜を他の子たちと採りに行っている、その最中なの。おそらく、そこに集まっていた人たちが……狙われたんだと思うわ」
ファラだけではない。他の数名の大人と子供たちも同時に姿を消したのだという。 エフェスの頭の中で昨日の会話が蘇る。
『シギロア村で、人さらいの事件が頻発しておりましての』 『人をさらって、奴隷にして働かせたり、売ったりする、犯罪者のことだよ!』
あの時はまだどこか遠い世界の出来事のように聞こえていた。 だが、違う。 あのガラーシャ村での出来事が、世界のどこでも起こりうる当たり前の「現実」なのだ。 昨日、初めて「友」と呼べるようになったあの生意気な少年の顔が浮かぶ。
(ふざけんな……)
怒りが胃の底から込み上げてくる。 長老の家の周辺は、すでにただならぬ殺気に満ちていた。 集まったシギロア村の村人たちは、エルフ特有の穏やかな雰囲気など微塵もなく、その瞳に怒りと恐怖を浮かべている。エフェスという「よそ者」の存在など、もはや誰の目にも入っていない。
「長老!ここで迷ってはなりません!今からでもウィグル鉱山に攻め入るべきです!」
フィンネルがエルウィン長老に掴みかからんばかりの勢いで叫んでいた。
「ならん!」
エルウィンが杖を地面に突き立て、その声を制する。
「行ったところで人質を取られている状況じゃぞ! お前らは人質が殺されてでも、相手を攻めようとするのか!」
「うぅ……っ!」
フィンネルが悔しそうに言葉を詰らせる。
「わかっておろう。犯罪者どもは狡猾じゃ。人の命もふくめ、自分の益になるものは何でも利用する。おぬしらが行ったところで、おぬしらまでもが人質になるのが目に見えておる」
エルウィンの言葉はどこまでも冷静で、正論だった。 エフェスもその言い分は最もだと思った。だが、フィンネルの今すぐにでも飛び出していきたいという気持ちの方が、今の自分の心にはよっぽど近かった。
「リーファ姉さん」
エフェスは隣で唇を噛み締めているリーファに小声で尋ねた。
「ウィグル鉱山まで行くには、大人で何日かかるか分かりもうすか?」
「場所は……詳しくは知らないけど、フィンネルが言うには三日はかかると言っていたわ」
「三日か……ありがとう」
「エフェス君?」
三日。 その時間がエフェスの頭の中で決定的な意味を持った。 彼はリーファの制止を振り払い、村人たちの輪の中に割って入った。
「エルウィン長老様ー!すみません!」
エフェスが手を上げて呼びかけると、集まっていた全員の視線が一斉に彼に突き刺さった。 フィンネルが燃え盛るような怒りの目でエフェスを睨みつけた。
「エフェス! 邪魔をするな! よそ者のお前には関係ない話しだ!」
「そうだ! 子どもが口をはさむな!」
「リーファ、その子どもは今お前が預かってんだろ! 手綱をつけとけ!」
様々な声がエフェスに投げかけられる。 だが、エフェスはもう怯まなかった。彼はファラのために、そしてここにいる全員のために、今自分が気づいたたった一つの事実を叫んだ。
「こうしてる時間がもったいなかっ! 身内で言い争って、ファラたちが救えっとか!」
そのあまりにも真っ直ぐな子供の正論。 熱くなっていたフィンネルや村人たちは、まるで冷水を浴びせられたかのように、はっと息を呑み言葉を失った。 エフェスはエルウィン長老をまっすぐに見据えて続けた。
「長老様! さっきリーファ姉さんからウィグル鉱山までの道のりは三日はかかるって聞いたんやけど!」
「……それが、どうかしましたかの?」
「今ファラ達が連れ去られた方に向かえば、鉱山に着く前に追いつけるとじゃなかっか!?」
その一言に、エルウィンもフィンネルも全ての村人たちが目を見開いた。 そうだ。 敵は人質を連れている。 その足は決して速くはないはずだ。 先ほどまで村を覆っていた絶望的な焦燥感が、一瞬にして「まだ間に合う」という緊迫した希望へと変わった。
「……わしもファラが連れ去られて冷静ではなかったのう」
エルウィンが深く頷く。
「エフェスさんや。その言葉に感謝するぞい」
そして長老はフィンネルに向き直り、厳しく、そして力強い声で命じた。
「フィンネル!」
「……はっ!」
「ならず者たちが急いで移動したところで、我らエルフを数名も連れておる。まだ遠くには行っておらんはず。すぐに追跡隊を編成し、奴らにバレぬよう急ぎ追いついて、まずは様子を見よ。……そして、夜を待つのじゃ」
「……なるほど。連れ去られた同胞に被害が及ばぬよう、闇討ちを仕掛ければいいのですね」
「奴らには聞きたいことも山ほどある。……生け捕りにできるか?」
「何をおっしゃいますか、長老」
フィンネルの口元に獰猛な笑みが浮かんだ。
「それではただの『狩り』と同じではありませんか。……お任せください」
「「「うおおおおおぉぉぉッ!!」」」
フィンネルの言葉に、それまで鬱屈していた若者たちが一斉に雄叫びを上げた。 「やられっぱなしはもう飽きた!」
「やられたらやり返す!」
「うちの旦那と子どもを、よろしくたのみます!」
村の空気が一変した。 エルウィンは、その熱気がただの復讐心による暴走になりかねないことを危惧し、再びフィンネルの肩を強く掴んだ。
「フィンネル! よいか、あくまでも今回は今日さらわれた同胞たちの『救出』が最優先じゃ。ウィグル鉱山への深追いは絶対に禁止する。鉱山の方は、今回の救出次第で改めて作戦を立てるべきじゃ」
「……しかし!」
「フィンネル!」
エルウィンの声が響き渡る。
「今回の救出隊長は、この中で最も戦闘に秀で、そして冷静であるべきお前じゃ。お前が判断を間違えれば、救出部隊も捕らわれた同胞も、そしてこのシギロア村も、全てが命が危うい。……その責任を負えるな?」
フィンネルは長老のその重い言葉に一度目を閉じ……そして力強く頷いた。
「……わかっています。今回はあくまでも救出のみ。心に留めておきます」
エルウィンは集まった若者たち全員を見渡した。
「そしてフィンネルについていく者たちよ! おぬしらはフィンネルの作戦の通りに動くことじゃ。集団戦になればまとまりのある集団が勝つ。相手はならず者とはいえ、ここまで人さらいを計画的に行うくらいには統率がとれておる。なめてかかるでないぞ!」
「「「「かしこまりました!」」」」
熱気は統率された「覚悟」へと変わった。 エフェスは、その光景を眩しいものを見るように見つめていた。 (……同じだ) マイムハレムで村を守ってきた母マリア、祖父ヤコブ、ゲデオン、レラメッド……あの大人たちと同じ強固な「まとまり」の空気が、今ここにいるエルフたちから感じられた。
だからこそ、彼はもう黙っていられなかった。
「よっしゃ、フィンネル! おいもついていくばい! なんでも言うてくれ!」 「大丈夫か?」
フィンネルが純粋に心配そうな目でエフェスを見た。
「お前はまだ子どもだし、こんな危険なことに首を突っ込む必要はないんだぞ」
「そうよ、エフェス君!」
リーファが血相を変えて飛んできた。
「エフェス君はまだ休んでいた方が良いわよ! 昨日の朝まで倒れていたのよ!お姉さんと一緒にいなさい!お姉さんと!」
二人の本気の心配。それはエフェスにとってとても温かいものだった。 だが、彼は首を横に振った。
「うん。大丈夫。おいもファラたちば助けに行きたかと。それに……」
エフェスはフィンネルの目をまっすぐに見返した。
「正直、ならず者たちに腹が立っとるけん。どうせここで止められても、後から追っていくばい」
「……お前なら、そうしそうだな」
フィンネルが小さく笑った。
「それに、お前らがおいをまだ信用できんのも分かっとる。じゃけん……」
エフェスは、その場でぐっと腰を落とした。 『獣の機動』。 次の瞬間、エフェスはフィンネルの間合いに音もなく踏み込んでいた。
「……ッ!」
フィンネルの目が驚愕に見開かれる。 エフェスは止まらない。そのままフィンネルの横をすり抜け、エルウィンの背後に回り込み、そしてリーファの隣へと一瞬で戻ってきた。
「どう? 一応、これくらいなら動けるけど」
フィンネルは言葉を失っていた。 あの動き。子供のそれではない。森の獣、あるいはそれ以上の何か。 集まっていた他のエルフたちは、何が起こったのかさえ理解できていないようだった。
「エフェス君、すごい! さすが、私の弟!」
「ほっほっほ♪」
リーファの無邪気な賞賛と、エルウィンの感心したような笑い声だけが響いていた。
フィンネルは、ようやく目の前の少年の「異常さ」を理解した。
(こいつ……あの剣がなくても、これだけの動きができるのか……!)
鎧猪を倒したという荒唐無稽な話が、一気に現実味を帯びてきた。
「……エフェスさんや」
エルウィンがエフェスに向き直った。その瞳にはもう迷いはなかった。
「そなたのような子どもにこんなことをお願いするのは、本当に大人として恥ずかしく、一生罵られることじゃが……」
長老はエフェスの前で、その古木のような身を深々と折り曲げた。
「恥を忍んで、お頼み申したい。……ファラを、お願いいたします」
「エルウィン長老様! やめてください!」
エフェスは慌てて長老の肩を支えた。
「おいはこん村に命を助けてもらった大きな借りがあるけん。むしろおいに手伝わせてほしか。それと……」
エフェスは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「一応おいは子どもやけど、ガラーシャ村で成人ばしとっけん。……あんまり子ども扱いはせんでよかですよ」
「……お心遣い、痛み入りますのう」
エルウィンは目尻の皺をさらに深くした。
「そこでなんじゃが、エフェスさんのあの紅い剣。あれは詠唱が安定せん以上、急な戦闘には向かんじゃろう。……この【霊樹の剣】を代わりに持っていきなさい」
エルウィンが傍らに立てかけてあった一本の剣をエフェスに差し出した。 それは星剣オールエッシャーとは全く違う、緑がかった美しい木製の剣だった。
「わしらは鉄や鋼など他の亜人種が一般的に使っておる金属は、毒になるので使えん。鎧猪に刺さっておった、おぬしのボロボロのショートソードはすまんが処分してもらった。その代わりじゃ」
エフェスは、その【霊樹の剣】を受け取った。 驚くほど軽い。 しかし、柄を握った瞬間、鋼の剣では決して感じることのなかった不思議な感覚が全身を駆け巡った。
(……なんやこれ……。力が吸い取られん……!)
鋼の剣を握る時は常に感じていた、あの力が目減りしていくようなわずかな違和感。それが全くない。それどころか、自分の腕力がそのまままっすぐに剣先に伝わっていくような完璧な一体感があった。
「じゃあ……」
エフェスは、そのしっくり感に驚きながらも長老に申し出た。
「この星剣ば、長老様預かっておいてください。おいは必ずここに戻ってくっけん」 「うむ! こちらはわしに任せておきなさい」
エフェスは生まれ変わったかのような新たな武器の感触を確かめながら、決意を新たにした。 フィンネルがすでに選抜していた六人のエルフの戦士たちにエフェスを加えた、計八名の救出部隊。 彼らはリーファから彼女が作れる限りの薬草や解毒剤を受け取り、エルウィンからは有事の際に力を解放するための【五葉松の挿し木】を託された。
「行くぞ!」
フィンネルの号令一下、シギロア村の村人たちの不安と希望が入り混じった声援を背に受け、八人の戦士たちはファラたちが残したかすかな痕跡を追って、西の森へとその身を躍らせた。




