エフェス編 第15話 星剣の鍵
「……おいが、そん人さらいの集団ば、やっつけにいきましょうか?」
エフェスのあまりにも無謀で、しかしあまりにも真っ直ぐな申し出。 その言葉がエルウィン長老の家の、森のように静かだった居間に響き渡った瞬間、三秒ほどの完璧な沈黙が落ちた。そして、次の瞬間。
「「「「馬鹿なことをいってはけません(いうな)!」」」」
エルウィン、リーファ、フィンネル、そしてファラ。四人の声が見事に一つに重なって、エフェスに突き刺さった。
「いやいや」 エフェスは、まさか全員から同時に否定されるとは思わず、慌てて身振り手振りで反論した。
「おいはよそ者やけんさ、こん村とは関係なかじゃん。じゃけん、普通においがそいつらば倒しにいっても、こん村にも影響が出んやろ?」
「たとえよそ者だとしても、子どもを死地においやる根腐れした大人はこの村にはいない」
フィンネルが、まるで出来の悪い弟を叱るかのように忌々しげに言い放つ。
「エフェスさんや、その気持ちはありがたいが、それこそできぬ相談じゃ」
エルウィン長老も穏やかだが、きっぱりとした口調で続けた。
「エフェス君、そもそも君は鎧猪と戦って身体がボロボロなのよ。今は大人に従って休むのが先ですよ」
リーファも呆れたように、しかし心配そうにエフェスの顔を覗き込んだ。
「俺は、お前が森の主を倒したってまだ信じてないからな。行ったところで捕まるか殺されるだけだろ」
ファラだけが相変わらずの辛辣な言葉を投げかけてくる。
さすがに四人から寄ってたかって止められると、逆にエフェスの負けん気に火がついた。
「おいは本当に戦えるって! フィンネルがいうように森の主ば倒してから人さらいが増えたら、そいこそおいのせいやろうし! 森の主にビビっている人さらいなら、おいの方が強いやろうしね!」
「うん。お前のせいなら、やっぱりお前が行ってこい」
ファラがしれっと余計な茶々を入れてくる。エフェスはそれを無視し、話を続けた。
「なんなら、おいが強い証拠ば見せっけん。あの紅い剣ば返してくれんか。おいが鎧猪を倒したときのようになれば、たぶん分かってくれると思うけん!」
そうだ。あの時、確かに自分は魔法を使った。 頭の中に「雷神鼓」という言葉が響き渡り、全身が雷に包まれたあの感覚。この星剣さえあれば、自分もやっと魔法が使えるかもしれない。その淡い期待がエフェスをさらに前のめりにさせていた。
「フィンネルや」 エルウィンが静かにフィンネルを促した。
「エフェスさんの紅い剣を持ってきて返しなさい。あれは間違いなくトーダー教の祭具の剣でしょう」
「よかったー!」
「ただし、エフェスさんや」
エルウィンの目が優しく、しかし厳しくエフェスを射抜いた。
「わしはあんたさんがウィグル鉱山に行くということに関しては絶対に反対じゃ。紅い剣を返すのは、ただ単に持ち物をお返しするという点と、あんたさんが武芸で周りに認めてもらいたいという点においてですぞ」
その言葉には決して覆せない長老としての重みがあった。簡単にはいかない。だが、星剣を返してもらえる。エフェスはそれだけで心から安堵した。
フィンネルは不承不承といった様子で一度部屋を出て、すぐに黒い鞘に収められた剣を手に戻ってきた。エフェスが思わず手を伸ばそうとした時、フィンネルが怪訝な顔で口を開いた。
「……しかし、この剣、どういう仕組みなんだ? お前が倒れてた時に落ちていた剣を鞘に戻したんだが、それ以降いくら抜こうとしても抜けなかったぞ」
「え?」
「俺も試してみたけど、抜けなかったぞ」
ファラもフィンネルの言葉に続く。
「村のほかの男たちも全員ためしたけど駄目だったんだ。だから、その剣を抜くための秘密を教えろ」
(……秘密?)
エフェスには何のことだかさっぱり分からなかった。 あの時はただ無我夢中で手を伸ばし、そして抜いた。それだけだ。 フィンネルからずしりと重い星剣オールエッシャーを受け取る。冷たく、表面が滑らかな感触。これが母と祖父から託された剣だ。
「……」
緊張が走る。 エルウィン、リーファ、フィンネル、ファラ。四対の瞳がエフェスの一挙手一投足に集中している。 エフェスはごくりと唾を飲み込むと、星剣の柄を両手で強く握りしめた。 そして、一気に引き抜こうとした。
「……あれ?」
剣は鞘にまるで鋳造されたかのように、びくともしない。
「……あれ? 抜けない?」
意味が分からなかった。 さっきまでの自信が急速にしぼんでいく。 冷や汗が背中を伝った。
「ちょ、ちょっと待って!」 思わず情けない声が出た。
「あれー? お前の剣じゃないのかよ? 本当はどっかから盗んできたんじゃないの?」 ファラの容赦ない追及がエフェスの心を抉る。
「エフェス君、がんばれー!」 リーファの的外れな応援がさらに焦りを募らせる。
「なぜあいつが倒れていた時には抜けていたんだ……?」 フィンネルの疑念に満ちた呟き。
「ふーむ……」 エルウィンの全てを見透かすような視線。
「う、うう……!」 エフェスはパニックになりながら、鎧猪と戦った時のことを必死に思い出そうとしていた。
(あん時はたしか星剣が光っていたな、そしてアトレイクスに対してありがとうと言いたくて……「トーダー」って言うたっけ。あとは……「雷神鼓」ってもいうたし……!)
そうだ、あれだ! エフェスは藁にもすがる思いで叫んだ。
「トーダー!」
「……」 剣は沈黙している。
「雷神鼓ッ!」
「……」 剣はびくともしない。
「トーダー!」
「トーダー!」
「雷神鼓!」
「アトレイクス!」
「ありがとう!」
「トーダーッ!」
思いつく限りの言葉を叫んでみた。しかし、星剣の鞘は固く口を閉ざしたまま、まるでエフェスを嘲笑うかのように静まり返っていた。
「……いや、違うんですよ……」
どんな感情かも分からないまま、エフェスの口から苦し紛れの言い訳が漏れた。
「何も違わねーよ、馬鹿。お前がそのトーダー教ってとこから盗んできたんだろ、盗人!」
「いや、本当だって! おいはトーダー教のガラーシャ出身だっての!」
エフェスとファラが子供じみた言い合いを始めた、その時。 それまで黙って考え込んでいたエルウィンが、静かに口を開いた。
「エフェスさんや。その剣も鞘も、おそらくは極めて高度な『魔法器』なんじゃ」
「えいしょう……?」
「さよう。わしがこの家の扉を魔法で開ける時も、ちょっとした詠唱が必要なんじゃよ」
エルウィンの言葉に、エフェスははっとした。 そうだ。ガラーシャ村でヤコブやレラメッドの授業で、何度も、何度も聞いたではないか。
「……魔法石に、聖典に記された祈りの言葉『トーダー』を詠唱することで聖霊と契約し、その力の一部を行使することができる…
…念じるだけでは発動しない。聖霊への『感謝』と正しい『手順』があって初めて成り立つ、科学的な現象……」
エフェスの口からこぼれ落ちた言葉に、エルウィンがにこっと微笑んだ。
「わしらはそのトーダー教の聖典の言葉は知らんし、そもそもわしらエルフ族には聖典もない、ただの聖霊信仰じゃ。じゃが、わしらもわしらで同じような『手順』で魔法を使うておるのじゃ」
目から鱗が落ちるようだった。 違う宗教なのに、魔法が使える。 魔法が使えるのはトーダー教だけじゃない。アルケテロス教だって魔法機器という魔法を利用している。 聖典がなくても同じ「手順」で魔法が使える。
「つまり……魔法は、聖霊への『感謝』と正しい『手順』があって初めて成り立つ現象……」
「ご明察じゃ。おそらくは『感謝』というのが、そなたらのトーダー教の教えの本質なんじゃろうが……なかなかにしっくりくる魔法の教えじゃの。ほっほっほ♪」
(感謝と、手順……)
あの時、鎧猪の前で自分は何を思った? そうだ。アトレイクスへの感謝。 そして口にした言葉は……「トーダー」。 あの時はただそれだけだった。 だが、ヤコブ爺ちゃんはいつも儀式の時に、もっと長い祈りを捧げていた。 あれが、もしかして。
「……もう一度、やってみてもよかですか」
「どうぞ」
しんと静まり返る部屋の中。 エフェスはもうファラやフィンネルの視線を気にすることはなかった。 ただそっと目を閉じ、両手で星剣を胸の前に抱く。 そして、ガラーシャ村でヤコブの後に続いて何百回、何千回と唱えてきた言葉を、その魂の奥底から紡ぎ始めた。
『原初の混沌、万象の御祖よ。御身はかつて、全てにして唯一なる者なりき。その満ち足りた孤独の歌より、父なる生命の光と、母なる死の静寂を、分かち与え給う』
その厳かで、しかしどこか懐かしい響きに、ファラがボソッと本音を漏らした。
「ふーん、トーダー教っていうのは回りくどい詠唱が必要なんだな。一言二言で魔法使えるのにな」
「静かにしなさい、ファラ。……しかし、聞いたことのない詠唱じゃが、なぜか懐かしい響きじゃのう」
エルウィンが静かにファラを制した。
エフェスは詠唱を続ける。 脳裏に浮かぶのはガラーシャ村の仲間たち。マシュー、モー、マキリ。 そして、エセル。
『光と闇は互いを映し、『我は汝、汝は我』と知りぬ。その聖なる愛の交わりより、我らを支える兄弟なる土と、我らを巡る兄弟なる風、そして我らを潤す姉妹なる水を、生まれさせ給う』
父ミシュマエル、母マリア、祖父ヤコブ。 大切な家族の顔が浮かんでくる。
『我らは皆、その始まりの歌声より生まれし兄弟なれば、御身に感謝し奉る。父なる生命よ、ありがとう。母なる死よ、ありがとう。あなたこそ我が全て。我が全てがあなたであり、あなたでないものなど存在しない』
その時、エフェスの胸に抱かれた星剣が鞘ごと淡い、温かい光を放ち始めた。
「ん? あれ? 剣が……」
「エフェス君、すごーい!」
ファラとリーファが小さな声で反応する。
エフェスは構わず最後の祈りを紡いだ。 彼を育ててくれたマイムハレムの全てに。 彼を救ってくれたこの森の全てに。 そして彼を庇ってくれたアトレイクスに。
『この世界の全てに、ありがとう(トーダー)』
カチャッ。
軽く小さな、しかし確かな手応えが柄を握る手に伝わった。
「あっ……!」
エフェスは目を見開いた。 ゆっくりと剣を引く。 今度は何の抵抗もなく、滑らかに黒い鞘から紅い刀身が姿を現した。
「抜けた! やった、抜けたぞーッ! ……って、あれ? 何でみんな何も言わんと?」
歓喜の声を上げたエフェスだったが、周りを見渡すとリーファ以外の三人がなんとも言えない拍子抜けたような顔でこちらを見ていた。 ファラが、まるで期待していた劇のオチを外されたかのように不満げに口を尖らせた。
「お前さぁ……せっかくいい感じに盛り上がってたっていうのに、間が下手なんだよ、間が。もっとこう、リーファ姉ちゃんの料理みたいに、ドーンと、なんかこう、光がほとばしるとか!」
「いや、間ってなんや! やったーって喜んだやん!」
「ううーん、多分、抜いた後の余韻とか言葉だな。もっと儀式のように厳かに抜けよ」
「んなこと言われても、嬉しいもんは嬉しいけん、喜ぶのが普通やろ!」
「まぁ良いけどさ……。それより、ちょっとだけ俺にも見せてくれよ、その綺麗な紅い剣」
エフェスが星剣を抜いたことで、張り詰めていた緊張感は完全に霧散していた。 彼が鎧猪を倒したという証拠を見せるという本来の目的はいつの間にか忘れ去られ、ファラとフィンネルは子供のようにその紅い刀身に刻まれた見たこともない紋様や、柄頭に埋め込まれた紅い魔法石や紫の魔法石の輝きを興味深そうに覗き込んでいた。




