エフェス編 第14話 エルフの村に忍び寄る魔の手
星霊暦五〇四年一月二十九日、火曜日。
リーファに促され、エフェスは寝室を出て居間へと通された。 そこも寝室と同じく、濃い色の木材がまるで編み込まれるようにして組まれた壁や天井が印象的な部屋だった。ガラーシャ村の、石と木材を組み合わせた「建てる」家とは違い、まるで巨大な籠の中にいるかのような、あるいは大樹の内部にいるかのような不思議な一体感がある。
「やっぱり怪しいやつだな。そんなに色々確認して、ここから逃げ出すつもりか?」
テーブルについていたファラが、じろりとエフェスを睨みつけながら言った。
「んなわけないだろ。ちょっと見たことがない不思議な部屋やけん気になっとたい」
「ふん。まぁ、リーファ姉ちゃんの部屋は村一番の薬草師だから、普通の部屋とは違うぞ」
ファラが言う通り、部屋の壁には所狭しと薬草らしき乾燥した植物の束が吊り下げられ、棚には様々な色の液体が入った瓶や壺が整然と並べられている。故郷の薬草師エリヤの家と似ているが、こちらのほうが何倍も整頓されていた。 (星剣は……ここにも無かか) エフェスは、部屋の隅に武器らしきものがないか無意識に探していた。
「お前、紅い剣を探してないか?」
「ギクッ……そ…そんなことあるような、ないような」
「お前、本当に嘘が下手なんだな」
「そういったやろうが、どうや」
「いや、褒めてないぞ」
エフェスから見ると、ファラの方が何やら落ち着きなく、こそこそと周囲を見渡している。その隣ではフィンネルが腕を組んで目を瞑っていた。一見、堂々と待っているように見えるが、その眉間や口元にはファラと同じようにかすかな不安の色が浮かんでいた。 二人とも一体何をそんなに恐れているのだろうか。 エフェスがその奇妙な空気を訝しんでいると、ファラが身を乗り出しひそひそ声で話しかけてきた。
「(おい、逃げるなら今のうちだ。お前が逃げたら俺もお前を追うように逃げるから、逃げろ)」
(……は? こいつ、何ば言いよると?)
エフェスはファラの真意が全く理解できなかった。
「お前、そいでおいが逃げたらご飯ば食えんやろうが。それこそ長老様に会えんやろうが。しかも、おいは腹が減りすぎて走れん」
「しーッ! しーッ! 馬鹿! 声がでかいぞ!」
「馬鹿はお前だファラ。逃げたらあとでリーファにとんでもない目にあわせられるぞ。だまって座ってろ」
フィンネルがファラを叱りつけた。しかし、その声とは裏腹にテーブルの下で彼の足がカタカタと小刻みに震えているのを、エフェスは見逃さなかった。
ズオオォォォォン……
その時だった。 台所の方から強烈な匂いが漂ってきた。 湿った土の匂い、雨上がりの森の青臭さ、そしてどこか薬湯を煮詰めたような……いや、もっと根源的な腐葉土そのもののような匂い。ガラーシャ村では嗅いだことのない強烈で、しかし不快とまでは言い切れない不思議な匂いが、三人のいる居間に流れ込んできた。 その匂いを嗅いだ瞬間、ファラとフィンネルの顔がさっと青ざめた。
「うぅ……無理だぁ……」
「うっ……今日はいつもにも増して重厚な匂いが脳に直接うったえかけてくる」
「はーい。みんな、お待たせ。今日は森の主のお肉を沢山もらえたから、たーんと精がつくように大盤振舞よ!」
朗らかな声と共に、リーファが土鍋のような大きな器を抱えて現れた。彼女の表情は先ほどの穏やかな薬草師のものとは違い、自らの料理を披露できることが嬉しくてたまらないといった無邪気な喜びに満ち溢れていた。 だが、目の前の二人との絶望的なギャップに、エフェスはリーファのその笑顔が少しだけ怖く感じた。
テーブルに「ドン」と置かれた料理。エフェスは恐る恐るその中身を覗き込んだが、見た目は予想に反してゲテモノではなかった。 ドロリとした濃い緑色の雑炊のようなものだ。すり潰された木の実や穀物らしきものが煮込まれ、所々には細かく刻まれた鎧猪の肉片も見える。まぁ匂いさえ我慢すれば、むしろ滋養がありそうに見えた。
「これは【森の恵み滋養薬湯粥】よ。鎧猪との戦いで消耗したエフェス君の体を考えて、回復効果の高い沼ドクダミの根と腐葉土ダケをたっぷりすり潰して入れておいたわ。栄養満点だからね!」 リーファはにこにこと楽しそうだ。
((……ハーッ……ハーッ))
隣のファラとフィンネルは、匂いを嗅がないよう必死に口で息をしている。
しかし、エフェスにとっては。 匂い? そんなものはどうでもよかった。 15日間の遭難。まともな食事はあの塩茹での野草だけ。 彼の本能は目の前にある「食料」に対し、ただ一つの答えしか出さなかった。
「リーファさん! いただきます!」
「うん、エフェス君! たくさん食べてねウフフ!」
「(やっぱり性格まで変わったように見えるな……)」
エフェスは木の匙でその緑色の粥を勢いよくすくい上げると、熱いのも構わず口の中へと流し込んだ。 強烈な土の香りと薬草の青臭さが一気に鼻腔を突き抜ける。 しかし、その直後。 滋味深い肉の旨味と穀物のほのかな甘み、そして何よりも温かい「人の手による料理」の味が全身に染み渡った。
(これだ……これ。これが、欲しかったんだ……!)
飢えと疲労に蝕まれた体が、まるで歓喜の叫びを上げるように震える。 美味い。 あの森で食べた、ただ塩辛いだけの野草とは比べ物にならない。 噛みしめるたびに鎧猪の肉から旨味が溢れ出し、薬草の複雑な風味がそれを引き立てる。エフェスは久しぶりのまともな食事にただ夢中になった。
「美味い! 美味い! ……リーファさん! おかわりしてよか?」
「もちろんよ、エフェス君! 嬉しいわ! こんなに美味しそうに食べてくれる人は初めて! お姉さん嬉しいわー!」
リーファが満面の笑みでエフェスの器になみなみと粥をよそう。 その光景をファラとフィンネルは、まるで信じられないものを見るかのように戦慄の表情で見つめていた。
「(す……すげぇ、エフェス……。その勢いで全部食べてくれ……)」
「(く……奴め……やはりただ者ではないな……。ここは奴に任せるしかない……)」
二人の皿が全く手つかずであることに気づいたリーファが、こてん、と首を傾げた。
「あらら……二人のお口にあわなかったかしら?」
その穏やかな声には、先ほどまでの料理への情熱とは違う確かな「圧」がこもっていた。
「そ……そんなことないよ。本当にお腹がすいていなかったんだよ、ハハ……」
ファラが乾いた笑いを浮かべる。 エフェスは二人のあまりの怯えぶりに、素朴な疑問を口にした。
「てか、このリーファの料理、この村の郷土料理みたいなものじゃないん? ファラもフィンネルも、あんまり好きそうじゃなかけど」
「馬鹿な……なにをいうんだエフェス! 俺はリーファの料理は好きだぞ。ただ、リーファ姉ちゃんの料理は普通の家庭料理じゃないのは間違いない」
「たしかに、この村の料理は野菜や穀物料理がほとんどだが、リーファのように薬草類をふんだんに使った料理は滅多にしない。薬草は効果や成分が多ければ料理にえぐみがでるからな。……まぁ、リーファの料理は、そのえぐみを絶妙に抑えてるから見事だがな」
フィンネルは必死にフォローを入れている。しかし、二人の皿はまだ一口も手が付けられていなかった。
「二人ともありがとう。お腹いっぱいなのは分かるけど、少しだけでも食べて欲しいなぁ」
リーファがにっこりと微笑む。
「そうばい。出された料理はありがたくいただかんばいかんって、ヤコブ爺ちゃんがよう言いよったよ」
「誰だよ、ヤコブ爺ちゃんって……たく、追い打ちをかけやがって…」
リーファによって完全に逃げ道を塞がれた二人は、観念したように顔を見合わせると、意を決して匙を手に取った。 そして、ほんの少しだけ粥をすくい、目を固く閉じてそれを口に運んだ。
「「……ッ! ……ッ……」」
二人は何も言わずにただ咀嚼している。しかし、その顔は喜びとも悲しみとも苦しみともつかない、まさに百面相のようにめまぐるしく変化していた。ファラに至っては涙目になりながら水差しから水をがぶ飲みし、無理やり流し込んでいる。
「そんなにキツイかなぁ? おいが森で食べた草より、よっぽど美味しかけどな」
エフェスの純粋な感想に、リーファはうっとりとした表情で微笑んだ。
「エフェス君、行くあてが無かったら私の弟になっても良いのよ」
「気持ちは嬉しかけど、おいは行かんばいかんところがあっけん。ごめんなさい」
「いいのよいいのよ。私は何があってもエフェス君の味方だから、応援してるわ」
そのやり取りを見ていたフィンネルが、何故かエフェスを悔しさをにじませた尊敬の眼差しで見つめていた。
「……あいつは、男の中の男だ……」
◇
リーファの「温かいもてなし」で腹も心も満たされた(?)エフェスは、フィンネルに連れられシギロア村の長老エルウィンの家へと向かった。 外に出て初めて、彼はこの村の全景を目の当たりにした。
(すげえ……)
家々は全て森の巨木の上や太い枝の間に建てられている。まるで木々そのものから生えてきたかのようだ。それぞれの家は蔦で編まれた吊り橋で結ばれ、村人たちはその上を慣れた様子で軽やかに行き交っている。 ガラーシャ村のように地面を踏みしめて歩くのではなく、まるで空を散歩しているかのようだ。風が吹き抜けるたびに村全体がわずかに軋み、歌っているようだった。
やがて一行は、村の中でもひときわ大きく威厳のある巨木にたどり着いた。その根元に長老の家はあった。
「ここが長老の家だ。失礼のないようにな。また変な動きをみせたら、容赦なく押さえつけるからな」
「わかっとるって。おいは馬鹿かもしれんけど、時と場所をわきまえるくらいは普通にできる」
「ふん。では、入るぞ」
フィンネルが玄関の入り口に吊り下げられた木製の戸叩きを二回叩いた。
「エルウィン長老。フィンネルです。例の少年エフェスを連れてきました」
そう告げた後、重厚な木製の扉が何の音もなく独りでに内側へと開いた。
「えっ? 扉が勝手に開いた? どういうこと?」
エフェスが驚いていると、いつの間にか後ろについてきていたファラが自慢げに鼻を鳴らした。
「あぁそうか、よそ者は分からんやろうけど、これは爺ちゃんの魔法だ」
「爺ちゃんの魔法? 魔法機器とかじゃなかとか?」
「魔法きき? なんだそれ。とにかく、この村では爺ちゃん以外に使えない魔法なんだよ」
「ほら、長老がお待ちだ。行くぞ」
フィンネルに急かされ、エフェスはその不思議な家の中へと足を踏み入れた。
家の中はリーファの家と雰囲気や作りは似ていたが、遥かに広く、そして厳かだった。 天井は高く、中央の太い柱は生きた木がそのまま使われているようだった。壁には古代の文字のようなものが刻まれ、床には苔の絨毯が敷き詰められている。まるで家の中に、もう一つの小さな森が存在しているかのようだった。
その居間の奥。窓から差し込む柔らかな木漏れ日の中に、一人の老人が静かに座っていた。 (あの人が……) 深い皺がまるで古木の樹皮のように顔に刻まれている。長く白い髭は苔のように丁寧に編み込まれていた。その瞳は閉じられているかのように細められているが、エフェスにはその奥に森の全ての叡智と何百年という長い年月の穏やかさが宿っているのが感じ取れた。
「はじめまして、エルウィン長老様。おいはエフェスともうすます」
エフェスはヤコブから教わった最も丁寧な言葉遣いを思い出し、深々と頭を下げた。
「ほっほっほ♪ 異国のお若い方。お若いのに丁寧なご挨拶ですのう。私がこのシギロア村の長老、エルウィンですじゃ」
エルウィンの声はヤコブのそれよりも深く、まるで森の木々が葉を擦れ合わせるような優しく穏やかな響きを持っていた。
「ところでエフェスさんや。あなた様は、何処から来たのですか? 西のアクラブ砂漠の者の格好でもなければ、はるか南のミズラハ地方の格好とも見えませんの」
「おいは森の北東にあるマイムハレムのガラーシャ村から来ますた」
「なるほど、ガラーシャ村ですか。よくは知りませんが、あのトーダー教の村ですの。はるばる遠いところから子ども一人で来られたとは……何かあったのですか?」
エルウィンの全てを見通すような穏やかな瞳に見つめられ、エフェスは堰を切ったようにこれまでの出来事を話し始めた。 ガラーシャ村がアルケテロスの兵士に襲われたこと。 母と祖父が自分を逃がすために戦ってくれたこと。 相棒のアトレイクスと15日間も森を彷徨ったこと。 そして鎧猪に襲われ、意識を失ったこと。 最後に、父に剣を届けるためフィリピの街へ行かなければならないことを。
エルウィンはエフェスの話を一度も遮ることなく、ただ静かに目を閉じて聞いていた。
「……ううむ。そうでしたか……。それはなんとも酷い災難に遭われましたのう」
長老は深く頷くと、目を開けた。
「ここから一人で南のフィリピに向かうのは、正直無謀でしょうな。まずヴィクトリアの大滝が行く手を阻んでいて、簡単に通れる道ではありませんしな」
「では、どがんすれば……」
「道に詳しい者を二名ほど遣わせようかのう。しかし……」
エルウィンは隣に立つフィンネルにちらりと視線を向けた。
「村のほとんどの者がおぬしを警戒しておる。すぐすぐには手配はできぬぞ」
「そいでも助かりもす。ありがとうございます!」
フィリピへ行ける。その希望が見えただけで、エフェスは心から安堵した。
「しかし、マイムハレムにアルケテロス教の兵ですか……。ここ最近、この村の周辺でもきな臭い動きがありましてのう」
「きな臭い動き?」
「ええ。実はこのシギロア村で、我々植物民族(エルフ族)を狙った人さらいの事件が頻発しておりましての。村の者たちはよそ者に対して疑心暗鬼になっておりますのじゃ」
「ひとさらい……?」
エフェスにとって、それは初めて聞く言葉だった。
「そいはどういうことですか?」
エフェスが問い返すより早く、ファラが苛立たしげに叫んだ。
「人さらいっていったら人さらいだろ! 人をさらって奴隷にして働かせたり売ったりする犯罪者のことだよ! そんなことも知らないのか!」
(どれい……)
その言葉に聞き覚えがなかったが、自然とエフェスの頭の中でガラーシャ村の炎とフィンネルたちの冷たい視線が一つに繋がった。 ガラーシャ村がよそ者に襲われたように。 この村もまた、よそ者に脅かされている。
「そん人さらいは、またアルケテロス教の兵ですか!?」
「エフェスさんや、早まるでない」
エルウィンが静かにエフェスを制した。
「この大陸はロゴス教の多いエイディン大陸。アルケテロス教がここまで深く関わることは滅多にはないのです。おそらくは西のアクラブ砂漠の…最近ウィグル鉱山を拠点としたならず者たちの仕業でしょうな」
「……ッ」
アルケテロス教だけではなかった。 父も母もいない外の世界には、こんなにも理不尽な悪意が満ちているのか。 エフェスはやりきれない気持ちで拳を握りしめた。
その時、それまで黙っていたフィンネルが抑えていた感情を爆発させた。
「長老! 我々がこのまま黙っていては、犯罪者どもにいいように荒らされるだけです! いい加減に我々も西のウィグル鉱山に攻め入るべきです!」
「おぬしこそ早まるでないぞ、フィンネル。おぬし達エルフ族の若者たちがもし捕まってしまっては、それこそシギロア村が滅亡する。今はこの村の防衛を強化することが先じゃ」
「それでは遅すぎます! 森の主がいなくなった今、奴らは数を増やしてこちらに来るでしょう! それに我らの同胞が奴隷として酷使されているのに、だまってのうのうとこの村で生きるなんて俺にはできません!」
フィンネルの熱い言葉。エフェスはその気持ちが痛いほどわかった。
「わしらは森に隠れ住むしがないエルフじゃぞ。隠れ住んでいた分、文明力も戦闘力も低く、奴らと戦うには無謀といってるのじゃ」
「その言い分ですと、搾取され滅亡するのを待てと、いうのですか!」
「エルウィン爺ちゃん、強いんでしょ!? 一気に戦っていけばやれるんじゃない?」
「ファラは黙っていなさい! ……わしらの力がバレてはそれこそエルフへの人さらいが増加するおそれもある。それに……わしの力ももう衰えておる」
長老と若者の決して交わらない議論。 それはガラーシャ村がアルケテロス教の脅威を前に何もできなかった、あの日の無力感とどこか似ていた。 エフェスは熟慮することなく、ただ心の底から湧き上がってきた純粋な想いをそのまま口にした。
「……おいが、そん人さらいの集団ば、やっつけにいきましょうか?」




