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星輪のギメルス  作者: アドム・ザナヴ
第二章 エフェス編 星なき夜の火種  エセル編 北辰の望郷
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エセル編 第12話 ノウァーリス フィリピ支部

星霊暦五〇四年一月十五日、火曜日の夜。


エイディン大陸の港町フィリピは、砂漠の熱気が嘘のように、海からの湿った風に冷やされていた。

ダリオ・イシュトヴァン に先導されるまま、エセルたち一行がたどり着いたのは、港の中央広場に面して立つ、ひときわ巨大な建物だった。


「こちらです」 ダリオが指し示した建物の入り口には、帆船とピッケルをあしらった紋章が掲げられている。


【大手開拓ギルド ノウァーリス】。 それは、ロゴス教圏において最大級の規模を誇る、開拓者たちの互助組織の名であった。


ハムサと八兵衛がいうには、「開拓ギルド」とは、国家の手が及ばない辺境の地において、魔物の討伐、資源の調査、そして街道の整備までを請け負う、いわば冒険者と土木技術者を兼ねたような組織だそうだ。その中でも【ノウァーリス】は、エイディン大陸の中では単なるギルドの枠を超え、さまざまな商人ギルドや各国の有力者と太いパイプを持ち、辺境の統治や経済に絶大な影響力を持つ、一つの「企業国家」とも呼べる存在であるという。


エセルたちが案内された建物は、そのノウァーリスの南ミズラハ地方のフィリピ支部であった。ダリオに促され、エセルが建物の中に足を踏み入れた瞬間、彼女は息をのんだ。


(……ここは、建物の中?)


彼女が知るどんな建造物とも、それは異なっていた。 床から壁、そして円柱に至るまで、目に入るものすべてが、鮮やかなターコイズブルーの幾何学模様のタイルで埋め尽くされている。ロゴス教圏の様式 を反映した、精緻せいちな唐草模様の彫刻が、アーチ状の入り口を彩っていた。

そして、何よりもエセルを驚かせたのは、ロビーの中央を、本物の川のように流れる、清らかな「水路」の存在だった。

天井からは、おびただしい数の魔法灯が吊り下げられ、その光が水面に乱反射し、建物全体を真昼のように煌々と照らし出している。遥か上を見上げれば、五階まであろうかという巨大な吹き抜け空間が広がっていた。

いやここはギルドの支部などであろうはずがない。建物の中に、一つの「街」が丸ごと入っている。 その圧倒的な文明の光景に、エセルはただ立ち尽くすことしかできなかった。


その時、隣から得意満面な声が聞こえた。


「八兵衛? さっきの顔はなんだ? 物知りを気取っていても、知らないことがあったようだな?」

メル だった。先ほど、ダリオを前にして「想定外だ」と間抜けな顔を晒した八兵衛の失態を思い出し、彼女はここぞとばかりに上機嫌だった。


「そりゃ、ありやすぜ。あっしごときの人間にゃ、想定外な出来事なんて日常茶飯事ですよ」

八兵衛は、タハトン・ファミリーに連れてこられたのが、まさか【ノウァーリス】の支部だったという事実に、まだ動揺を隠しきれない様子で、ばつが悪そうに答える。


「珍しく弱気じゃないか。いつもの余裕が見られないぞ。ん? ん? 八兵衛君?」

「(メル。全然皮肉になっていなくて、逆に可愛いまであるわね……)」

エセルが内心で苦笑していると、八兵衛が、ばつの悪い顔のまま、今度はメルに「カマ」をかけた。


「ところで、メルの姐御あねごは、いつからタハトン・ファミリーが、ノウァーリスの関係者だとお気づきで?」

「え? ……タハトン・ファミリーと、ノウァーリス?」

きょとん、とメルが首を傾げる。


「…では、なぜそんなに、『私は、八兵衛よりこの状況を理解しているぞ』というような口ぶりなんですかい?」

その問いに、メルは、はっはっは、と胸を張って答えた。

「私が、この場所に一度来たことがあったからだ! お前よりこの場所を知っている!」

「ノウァーリスと、タハトン・ファミリーの関係はご存じなく?」

「知るわけないだろうが! 私が知っているのは、この支部のことだけだ!」

「メル殿に聞いた、あっしが馬鹿でしたね……」


八兵衛が、心底うんざりしたように、がっくりと肩を落とした。 「ん? どういうことだ?」 まだ状況を理解していないメルに、エセルはそっと助け舟を出す。


「八兵衛の気持ちも分からなくもないですが、ここはメルの顔を立ててあげて」

「ううむ、全く納得は行きやせんが……そうですね。まずはダリオさんの案内に従いましょう」


エセルに免じて、八兵衛はしぶしぶ矛を収めた。





二人の不毛なやり取りを意にも介さず、ダリオはまっすぐに受付カウンターへと進み、中にいた受付嬢に何事か二、三言、短い言葉を告げた。受付嬢は、ダリオの顔を見るや否や、背筋を伸ばし、慌てた様子で奥へと駆け込んでいく。 すぐに、一人の女性が奥から姿を現した。


(綺麗な人……)

エセルは、その女性の姿に、先ほどの建物とはまた違う、別の種類の感嘆を覚えていた。 四十代半ばほどだろうか。それにしては、あまりにも洗練された、冷たいと言ってもいいほどの美貌の持ち主だった。 身長はエセルよりも高く、一六八センチはありそうだ。きつく結い上げた黒髪には、鮮やかな青と緑の差し毛が数本、秩序正しく混じっている。 体に完璧にフィットした濃紺のスーツは、一見するとアルケテロス教圏の制服にも似た機能的なデザインだが、襟元や袖口にはロゴス教圏の様式 を思わせる、繊細な刺繍が施されていた。 その立ち居振る舞いは、一切の無駄がなく、常に背筋がまっすぐに伸びている。彼女もまた、この壮麗なギルドにふさわしい、完璧な調度品の一つであるかのようだった。


女性は一行の前に進み出ると、完璧な角度でお辞儀をした。

「ガラーシャ村御一行様。わたくしはノウァーリス・フィリピ支部にて、受付部門の統括マネージャーを担当しております、デボラ・ザミラーと申します。ダリオに代わりまして、わたくしが三階の会議室にご案内いたします」


その声もまた、彼女の外見と同じように、一切の感情の揺らぎを感じさせない、理知的なものだった。 その完璧な挨拶に対し、イマ が一歩前に出て、優雅に、しかし堂々と応じた。


「デボラ様、ご丁寧なご挨拶、恐れ入ります。わたくしが、この一行のまとめ役を務めております、イマと申します。どうぞよしなに」

「イマ様。わたくしのような一介の管理者に、そのようなお言葉はもったいなく存じます。どうぞ、ただの案内役と、お気兼ねなくお申し付けください」


デボラは、イマの気品にわずかにも臆することなく、完璧な業務用の微笑みで返した。

(これが……) エセルは、二人のやり取りに、これまで触れることのなかった「社会の一流の作法」と、丁重さの中に張り詰めた、見えない緊張感を感じ取っていた。ガラーシャ村での、あるいは砂漠での、生死をかけたやり取りとは全く違う、言葉と礼節の応酬。それもまた「戦い」の一種なのだと、エセルは肌で感じた。


その時、またもや横から、ひそひそとした小声が聞こえてきた。

「メルの姐御」 八兵衛が、ニヤニヤしながらメルをつついている。

「あれが、メル殿のめざすべきお手本ですぜ」

「うるさい!」 メルが、今度はムキになって小声で怒鳴り返した。

「私だって城では、あれくらいやれるわ!」


(フフッ) エセルは思わず口元を緩めた。先ほどの、何を話しても噛み合わないすれ違いより、こうして軽口を叩き合っている方が、八兵衛もいつもの調子を取り戻しているようで、微笑ましかった。


「皆様、こちらへどうぞ」


デボラの、無機質な声が一行を現実へと引き戻す。 ダリオは一行に目配せだけすると、ロビーの隅に立ち、どこかへと連絡を取り始めた。一行は、デボラに案内されるがままに、ロビーを横切り、奥にある階段へと向かった。


道中、エセルは改めて、この建物の凄まじさを見上げた。 吹き抜けの空間は五階まで続いており、中央には、この建物には不釣り合いなほど荒々しい、竜が水を吹く姿を模した巨大な噴水彫像が鎮座している。その噴水を挟むように、まるで王宮の舞踏会にでも通じているかのような、大きな二つの階段が、緩やかなカーブを描いて上層階へと伸びていた。

一階は、今しがた通り過ぎてきた、一般受付と掲示板、そして事務局だ。多くの開拓者、いわゆる冒険者風の男たちで賑わい、活気に満ちている。 階段を上り、二階を通り過ぎる。そこは上級者向けの受付らしく、一階の喧騒とは打って変わって、ゆったりとしたラウンジが設けられていた。壁には、どこのものか判別もつかないほど巨大な世界地図や、南ミズラハ地方の名産品らしき武具や鉱石が、誇らしげに展示されている。 三階は、いかにも会議などで使われるであろう、静かな廊下と、同じような扉が並ぶフロアだった。 四階や五階は、吹き抜けから見える範囲では、外の景色を一望できる展望施設や、港を監視するための監視所らしきものが見えた。


一行は、三階の廊下の一番奥にある、ひときわ大きな両開きの扉の前で、足を止めた。 デボラは、音もなくその扉の前に立つと、一行に向き直った。


「こちらのお部屋で、タハトンが皆さまをお待ちしております」

「……!」 エセルの背筋に、再び緊張が走った。


(タハトン……オラム・タハトン。ダリオの上司。なぜ、タハトン・ファミリーのボスが、私たちを?)


かすかな予想はあったが、その疑問は一行全員の顔に浮かんでいた。 メルとハムサが、イマを守るように、無意識にその両脇、やや前に進み出る。 デボラは、そんな一行の緊張を気にも留めない様子で、静かに扉を押し開いた。

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